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京都精華大学紀要 第三十二号 -141- 『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド 北 脇 徳 子 KITAWAKI Tokuko 序 論 『分別と多感』は1811年10月に出版された,ジェイン・オースティンの最初の作品である。 この作品が出版された時は,「あるレディによる」となっており,作者の名前は書かれていな かった。ちなみに,1813年に出版された彼女の最も有名な『高慢と偏見』は,「『分別と多感』 の著者による」とだけ記されていた。 『分別と多感』の最初の草稿は1795年頃に書かれ,『エリナーとマリアン』という題名の書簡 体小説になっていたが,原稿が残っていないので,それ以外のことはほとんどわからない。出 版前には2回校正をして書き直しをしている。この作品は初稿から出版まで,16年のずれがあ る。彼女の初期の3作品はいずれも出版までに年月がかかり,20歳の時に書かれた『高慢と偏 見』は17年後に出版され,『ノーサンガー・アベイ』は20年かかったので,作者の死後に出版 されている。出版がかなり難航したために,これらの作品が世に出るのは遅かったが,オース ティンには,家族,とくに父親の応援があった。彼女は,常に自分の作品を家族に読み聞かせ て,楽しませていたと言われている。オースティンは25歳の誕生日までに,3つの作品を書き 上げたのである。クレア・トマリンは『ジェイン・オースティン伝』の中で,次のように,彼 女の小説家としての才能を誉めたたえている。 この初期の3つの小説を見てまず驚かされるのは,主題へのアプローチがそれぞれまっ たく違うということだ。『分別と多感』は―大ざっぱに言って―討論だが,『高慢と偏見』 は恋愛小説,そして『ノーサンガー・アベイ』は諷刺文学であり,小説および小説を読む ことについての小説なのである。若い作家なら同じスタイルを何年かつづけてみて,その 間に技術を学んでいくのが普通だろう。ところがジェイン・オースティンはちがった。ひ とつの形式に安住するには独創性がありすぎ,小説技法に興味を持ちすぎていた。だから こそ,これほど多様な3種類の形式に脅威的な技で挑んだのである。 1)

『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド...京都精華大学紀要 第三十二号 -141- 『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド

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京都精華大学紀要 第三十二号 -141-

『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド

北 脇 徳 子

KITAWAKI Tokuko

序 論

『分別と多感』は1811年10月に出版された,ジェイン・オースティンの最初の作品である。

この作品が出版された時は,「あるレディによる」となっており,作者の名前は書かれていな

かった。ちなみに,1813年に出版された彼女の最も有名な『高慢と偏見』は,「『分別と多感』

の著者による」とだけ記されていた。

『分別と多感』の最初の草稿は1795年頃に書かれ,『エリナーとマリアン』という題名の書簡

体小説になっていたが,原稿が残っていないので,それ以外のことはほとんどわからない。出

版前には2回校正をして書き直しをしている。この作品は初稿から出版まで,16年のずれがあ

る。彼女の初期の3作品はいずれも出版までに年月がかかり,20歳の時に書かれた『高慢と偏

見』は17年後に出版され,『ノーサンガー・アベイ』は20年かかったので,作者の死後に出版

されている。出版がかなり難航したために,これらの作品が世に出るのは遅かったが,オース

ティンには,家族,とくに父親の応援があった。彼女は,常に自分の作品を家族に読み聞かせ

て,楽しませていたと言われている。オースティンは25歳の誕生日までに,3つの作品を書き

上げたのである。クレア・トマリンは『ジェイン・オースティン伝』の中で,次のように,彼

女の小説家としての才能を誉めたたえている。

この初期の3つの小説を見てまず驚かされるのは,主題へのアプローチがそれぞれまっ

たく違うということだ。『分別と多感』は―大ざっぱに言って―討論だが,『高慢と偏見』

は恋愛小説,そして『ノーサンガー・アベイ』は諷刺文学であり,小説および小説を読む

ことについての小説なのである。若い作家なら同じスタイルを何年かつづけてみて,その

間に技術を学んでいくのが普通だろう。ところがジェイン・オースティンはちがった。ひ

とつの形式に安住するには独創性がありすぎ,小説技法に興味を持ちすぎていた。だから

こそ,これほど多様な3種類の形式に脅威的な技で挑んだのである。1)

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現在では,ジェイン・オースティンの第一作目の作品とされている『ノーサンガー・アベイ』

は,18世紀に大流行していたゴシック小説のパロディである。従って,他の作品に見られるよ

うな,道徳に挑戦する野心,まじめさ,熱心さが欠けている。この点で,「最も習作に近いも

のだと思われる」2)のである。

第二作目である『分別と多感』は『ノーサンガー・アベイ』に比べて,登場人物も多彩で,

魅力があり,何よりも,ヒロインたちがまじめで情熱的である。ヒロインのエリナー・ダッ

シュウッドは,『高慢と偏見』のヒロインであるエリザベス・ベネットほど,機知に富んだ会

話や,生き生きとした眼や動きをするわけではないが,エリザベスにはない鋭い観察力があり,

人の性格を見抜く洞察力にも優れ,何よりもその判断力と分別に信頼がおける。エリナーにエ

リザベスほどの精彩がないのは,この欠点のなさに原因があると思われる。『高慢と偏見』は,

偏見によって正しい判断ができないというエリザベスの欠点が,この小説の原動力になってい

るからである。エリザベスの物怖じしない躍動的な性格は,エリナーよりもロマンティックな

マリアン・ダッシュウッドのものである。マリアンはエリザベスの原形とも言えるだろう。

『分別と多感』において,長女エリナーと次女マリアンの2姉妹をヒロインにして,二人の

結婚を描いているが,『高慢と偏見』においてもまた,長女ジェインと次女エリザベスの結婚

がテーマになっている。ジェインは,彼女自身が道を切り開いていく力も判断力も与えられて

いないので,妹のエリザベスに自分の運命をゆだねている。そのために,ジェインはエリナー

と長女という立場は同じでも,かなり影の薄い存在になっている。一方,マリアンの後継者と

も言えるエリザベスが,マリアンとちがう点は,失恋をして,物語の半分は鬱状態と病気に苦

しむという病的なところが少しもないところである。エリザベスは,誤った判断をしても,反

省して,正しい判断をし直す分別があり,いつもはつらつとして健康的である。

エリザベスはオースティン作品の中で最も人気の高い女性像であるが,彼女の結婚相手のミ

スター・ダーシーも,最も魅力ある男性の一人である。エリナーがただ一人の男性エドワー

ド・フェラーズに恋をしているのとはちがい,エリザベスの場合は,彼女自身がコリンズ牧師

にプロポーズされたり,色男のウィカムに一時的にうつつをぬかすといったコミカルな場面も

用意されている。さらに,物語の結末には,合計4組のカップルが誕生し,それぞれのカップ

ルの結婚物語が,エリザベスとミスター・ダーシーの結婚に至る物語に重なりあいながら展開

している。

確かに,『高慢と偏見』は,これから論じていこうとしている『分別と多感』に比べて,プ

ロットの展開の仕方,多彩な登場人物と性格描写,ヒロインの機知に富んだ軽妙な会話におい

ても,はるかに楽しめる作品である。しかし,『分別と多感』もまた,ジェイン・オースティ

ンの初期の作品として高く評価されてしかるべき作品なのである。この稿では,『分別と多感』

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をエリナー・ダッシュウッドの物語として,読み解くことによって,作品の魅力に迫りたい。

1章 エリナーとマリアン

ダッシュウッド家の長女エリナーは,「しっかりとした分別と冷静な判断力」があり,「愛情

が深く,感受性は強いが,それを自制する術を知っていた。」次女のマリアンは,「感じやすく,

利発だが,何事においても熱烈で,悲しいにつけ,嬉しいにつけ,ほどほどということがない」

(1章)激しい感情の持ち主で,思慮深さに欠けている。二人のヒロインの性格描写から,一

見したところ,作品のタイトルである分別はエリナーを表し,多感はマリアンを表していると

思われるかもしれない。しかし,人間の性格はそう単純に図式化できるものではない。エリ

ナーにも豊かな感情があり,マリアンにもおおいに分別があり,二人の性格は,根本的には,

まったく異なっていると言うよりもむしろ似ているのである。

例えば,この小説には3人の悪女が登場する。ダッシュウッド姉妹の義理の姉にあたるファ

ニー・ダッシュウッドは,プライドの高い強欲な物質主義者であり,ダッシュウッド姉妹と彼

女らの母親が住んでいるノーランド・パークを乗っ取る。ファニーの母親フェラーズ夫人は,

へつらう者には気前がいいが,自分より身分が低い者を見下す権力主義者で,親の権威を振り

かざす横暴な女性である。エリナーの恋敵ルーシー・スティールは,抜け眼がなく,裕福な人

に巧妙に取り入って,自分の利益を計る人物である。ルーシーは,4年間の秘密の婚約でエド

ワード・フェラーズを縛り,彼が彼女と婚約していることがばれて,母親のフェラーズ夫人に

勘当され,財産を取り上げられると,その財産をそっくり与えられた弟のロバートと秘かに結

婚をしてしまうのである。エリナーはしっかり観察することによって,マリアンは直感によっ

て,彼女らの性格を見抜いている。ただ,エリナーは自分の感情を偽ってでも,周囲に気配り

をする社交性を持ち合わせているので,何とか彼女らに対しても礼儀を失しないように振る舞

えるが,マリアンは,正直で率直なために,ストレイトに感情を表現して,彼女らのひんしゅ

くを買うのである。

モーランド・パーキンズは,『分別と多感』を論じた画期的な著書の中で,「オースティンは,

マリアンとエリナーを,ただ単に,二人の人生を表すためだけではなく,悲痛な内面の葛藤や

分裂した自己を表すために,作り上げているのである」3)と述べている。オースティンは,一

人の人間の内面の葛藤を表象するために,二人のヒロインを用いたのである。すなわち,オー

スティン自身の心の中にある,社会通念やマナーズに捕らわれないで,自由に自分の考えや感

情を表現したいというロマン主義的な面と,社会的な責任を重んじ,理性的な行動を取り,節

度や均衡を旨とする合理主義的な面を,マリアンとエリナーという二人のヒロインによって,

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描き出そうとしたのである。もちろん,すべての登場人物と何らかの関わりを持ち,彼らの秘

密や打ち明け話に耳を傾けるのは,エリナーであり,語り手の視点もエリナーと一致しており,

オースティンがエリナーを支持しているのは明らかである。しかし,マリアンの歯に衣を着せ

ない小気味よい発言は,明らかにジェイン・オースティンの意見を代弁しているのである。

住み慣れたノーランド・パークを離れ,デヴォンシャーのバートン・コテージに落ちついた

ダッシュウッド夫人と姉妹は,さっそく,所有主のサー・ジョン・ミドルトンから,妻のレ

ディ・ミドルトン,彼女の母親のジェニングズ夫人,ジェニングズ夫人のもう一人の娘のパー

マー夫妻,サー・ジョンの友人ブランドン大佐たちに引き会わされる。ミドルトン夫妻は次の

ように紹介される。

サー・ジョンはスポーツマン,奥方は母親そのもので,前者は猟犬や銃による狩りをし,

後者は我が子たちをあやす。これだけが二人の楽しみだった。(7章)

人のよいサー・ジョンはできるだけ大勢の男女を集めてパーティをすることを楽しみにして

いたが,彼ら夫婦の凡庸さから,パーティは退屈なものになる。ダッシュウッド姉妹もたびた

び参加するはめになる。レディ・ミドルトンは優雅で上品であるが,彼女の会話が貧困である

ことに,彼女らはすぐに気づく。マリアンはカジノゲームを持ちかけたレディ・ミドルトンに,

礼儀作法を無視して,仲間に入らないと言うとさっさとピアノに向かう。エリナーは妹の不作

法の言い訳をするが,エリナーにも限界がある。スティール姉妹がミドルトン家の子供たちを

誉めたたえても,マリアンはもちろんエリナーもそのようなお世辞は言わないので,レディ・

ミドルトンはダッシュウッド姉妹を疎ましく思っている。ジェニングズ夫人はやかましくは

しゃぐ人であるが,お節介焼きで心根が優しく,姉妹は彼女の招待を受け,ロンドンの彼女の

邸宅に滞在することになる。道中の馬車の中では,マリアンは夫人に絶対話しかけないので,

エリナーが気をきかせて,夫人の相手をする。エリナーとマリアンが付き合う女性たちが,ど

れほど陳腐で退屈な人たちであるかは,次の場面にも風刺されている。ダッシュウッド家の息

子ハリーとミドルトン家の次男のウイリアムのどちらが背が高いかという話題に女性たちが集

中していた時,エリナーはウイリアムの方が高いと言って,ダッシュウッド家の機嫌を損ねた

が,マリアンはそんなことは考えたこともないと言って全員の機嫌を損ねるのである。

マリアンは自分の感情の赴くままに行動をして,他人の感情に無頓着である。彼女は自己中

心なので,他の人がどう思い,どう批判しようとまったく気にしない。それは,ウイロビーと

の恋愛に顕著に表れている。ウイロビーは風采がよく,「充分な才能と機敏な想像力,快活な

気性,それにあけっぴろげで情こまやかな人への接しかたを持ち合わせた青年」(10章)であ

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る。彼は音楽の才能もあり,詩の朗読もうまく,たちまちマリアンの心を捕らえてしまう。エ

リナーは,彼が慎重さに欠け,マリアンの気を引こうとして,周囲の者に対する礼儀を無視し

たり,他人のことを状況判断もしないで言い過ぎることには賛成できない。当のマリアンは,

彼のこのような点が心地よく,非のうちどころのない理想の男性だと有頂天になるのである。

マリアンは,社交儀礼を無視して,みんなの前でも二人の仲をおおっぴらに見せつける。心配

したエリナーは妹に少し自制をするように忠告をする。

ところがマリアンは率直さはべつに恥ではないとして,隠し立てすることを一切嫌った。

それ自体不都合でもなんでもない感情を抑えようとするのは,彼女から見れば,無用の努

力であるばかりか,陳腐で誤った観念への理性の不名誉な屈服だった。(11章)

ので,エリナーのせっかくの助言を聞こうとしないのである。

ウイロビーは,アレナム・コートの持ち主であるスミス夫人の財産を相続することになって

いて,財政的に彼女に依存している。ウイロビーとマリアンは,一緒に馬車で気晴らしに出か

けようとした一行から逃げ出して,二人だけで遠乗りをし,アレナム・コートを見に行く。マ

リアンは,まったく面識のないスミス夫人の屋敷へ,しかも,夫人が在宅している時に,のこ

のこと入って行くという淑女にあるまじき行動を取ったのである。詮索好きなジェニングズ夫

人が,小間使いを差し向けて彼らの行方を突き止め,みんなの前で暴露する。エリナーが,マ

リアンの思慮のなさを責めると,彼女は次のように反駁する。

「だってわたしのしたことにもし少しでも不穏当なところがあったら,わたしはそのとき

それに気づいたはずよ,だってまちがったことをしてるときは必ず自分でわかるもので,

そういう自覚があったら,わたし楽しめなかったはずだもの」(12章)

マリアンは自分が楽しければそれが善であるという持論を持っていて,自由気ままに振る舞

う。ウィロビーは,ブランドン大佐がマリアンに好意を持っていることを知っているので,彼

の悪口を言うと,マリアンもそれを受けて,

「それにこう付け足すといいわ」…「才能や趣味のよさや活力はゼロ。理解力には冴えが

なく,感情には熱がなく,声には抑揚がない」(10章)

と不用意にけなすのである。17歳のマリアンは35歳のブランドン大佐を年寄り扱いして,外見

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だけで判断して,彼の真価を見極めようともしない。病気になって,自己反省の機会が与えら

れるまで,彼女はブランドン大佐の誠実な人柄だけではなく,ジェニングズ夫人の心からの世

話や,姉エリナーが,自らの失恋の苦しみをおくびにも出さずに,妹を必死に愛情込めて看病

してくれたことにも気づかなかったのである。それはマリアンが状況を観察しようとしないか

らである。「マリアンは自分の主観的な反応に大きな信頼を置いていて,その根拠になるもの

が充分ではないことを無視している」4)のである。

マリアンは,ウィロビーが突然ロンドンに行ってしまってから,今までの活発さをすっかり

失ってしまう。彼の出奔の真相を確かめるまでは納得のできない彼女は,ジェニングズ夫人の

ロンドンへの誘いに喜んで応じる。そして,ロンドンに到着するとすぐに,ウィロビーに会い

たいと手紙を書くのである。当時,手紙のやり取りは婚約している男女のみが許される行為で

あった。やっとの思いで,ウィロビーに再会したときは,舞踏会場での公衆の面前で,大声で

ウィロビーの名前を呼ぶ。マリアンは,その激しい情熱のために,社会通念を無視して,自分

の立場を無防備な状況に置いてしまうのである。ウィロビーが,持参金付きの金持ちの女性ミ

ス・グレイと結婚するために,マリアンを捨てたということが明らかになると,マリアンは失

恋のために,身も心も憔悴してしまう。彼女の恋が激しかっただけに,その悲嘆も苦しみも大

きいのである。

クレア・トマリンは,オースティンのマリアンの描きかたを,次のように分析している。

マリアンの雄弁,嘘を断固拒否する態度,自分の考えや気持ちを臆せず口に出す性格は,

魅力たっぷりに描かれている。オースティン自身はトム・ルフロイへの好意こそ隠さな

かったものの,マリアンのように婚約者でもない男性とひそかに文通するといった,社会

通念に反する行動はとらなかった。語り手としてマリアンの軽率さをはっきり批判しても

いる。だが,物語が進むにつれて,次第にこの娘への共感を示すようになっていくのだ。5)

だから,マリアンは,ブランドン大佐がエリナーに語る二人のイライザのように,男性に捨

てられて零落していく悲劇的な運命を辿らない。彼女は,失恋の痛手から立ち直り,今までの

軽率と不遜を反省する。そして,2年後の19歳になって,ブランドン大佐の愛を受け入れ,デ

ラフォードの領主夫人におさまる。オースティンは,マリアンに共感しながらも,いや,共感

しているからこそ,彼女のウイロビーとのロマンティックな恋を成就させなかった。彼のよう

な放蕩者が結婚する相手は,軽薄な女性か,あるいは,性格の悪い女性である。オースティン

文学においては,ヒロインは,経済力があり,愛情深くて,りっぱな人格者と結婚するのであ

る。マリアンをこのような幸せな結婚に導くためには,作者は,彼女に生死をさまようほどの

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病気にかからせるという罰を与えて,分別のある体制順応者に変わらせなければならなかった

のである。語り手のオースティンは,マリアンの結末に関して,かなり苦しい言い訳をしている。

マリアン・ダッシュウッドは尋常ではない運命に生まれついていた。ことごとに自分の

判断の誤りに気づかされ,自らの座右の銘に反する行動に走ってしまうさだめだった。17

にもなってやっと芽生えた愛を抑え,深い尊敬の念と熱い友情以上の感情は一切抜きで,

別の相手に自ら進んで結婚の承諾を与えるさだめだった。(50章)

さらに,エリナーからも,金使いの荒いウイロビーと持参金のないマリアンが結婚したら,

お金に困ることになって,家庭的な幸せは得られないだろうという意見(47章)を述べさせて

いる。オースティンの世界においては,つつましくても暮らしていけるだけの経済状態が保証

されなければ,結婚できないのである。母,エリナー,エドワードの三人の総意が「それぞれ

に大佐の悲哀と自分たちが受けた恩義をしみじみ感じ,マリアンこそ何よりのお返しになるは

ずだ」(50章)ということもあり,大佐の善良さと自分に対する恋慕を知った以上,マリアン

に残された道は大佐との結婚しかないのである。ウイロビーに心を残すマリアンにとっては,

これは,かなりの譲歩である。しかし,結婚してからは,マリアンの心はすべて夫に捧げられ

たし,マリアンは捨てられたとは言え,ウイロビーの「完璧な女性像のひそかな基準」(50章)

となったことで,彼にかつて捧げた愛も報われたのである。

マリアンの恋と失恋の苦しみ,その後に続く病気の間,彼女をずっと励ましたり,忠告をし

たりしながら,愛情深く見守るのは,姉のエリナーである。エリナーは,軽率な行動に出るマ

リアンに対する周囲の人たちの批判から,彼女を常にかばってきたし,自己破壊的になる彼女

を,必死で支えてきたのである。結婚したウィロビーが,マリアンの病気を聞きつけてやって

来たときには,彼の釈明に耳を傾けて,彼を許し,哀れむ。エリナーがウィロビーを「早過ぎ

た独り立ちと,その結果身についた怠惰と放蕩と贅沢三昧の癖によって,心と人格,自身の幸

せにまで取り返しのつかない害を受けてしまった」(44章)人間だという理解を示し,彼を許

したことで,彼は救われたのである。

この作品の展開に大きな役割をはたしているのは,マリアンである。しかし,彼女を支えて

軌道修正していくエリナーの存在が,作品をより重厚なものにしている。エリナーとマリアン

の絆は深く,オースティンと姉カサンドラのように,強い愛情で結ばれている。マリアンとの

関わりだけではない。エリナーは,鋭い観察力と客観的な眼で,作品の中に登場してくる人物

たちの欠点や長所を見抜きながら,彼らすべてに対して,分別のある誠実な態度で接している

のである。

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2章 エリナーとブランドン大佐

ブランドン大佐は,サー・ジョンの友人で35歳の独身男性である。彼は,この作品中,最も

思慮分別のある男性で,その人柄を表すのに「寡黙で重々しい」という言葉が使われる。彼の

第一印象は,語り手によって「美男でこそないものの,顔つきは知的だし,物腰はとりわけ紳

士的だった」(7章)と紹介される。マリアンの弾き語りを彼だけが静聴して敬意を表する。

彼はマリアンをひとめ見たときから好意を抱いているのだが,マリアンは彼を外見だけで判断

し,肩にリューマチを患うフランネルのチョッキを着た老人だと思っている。ウィロビーが大

佐を「誰も関心を払わない類の人間にすぎない」とけなすと,マリアンも同調する。二人は大

佐を軽んじるが,エリナーは大佐を「敬意と同情の眼」で見ており,「35歳の寡黙な男が25歳

の元気溌剌とした男と対抗して勝ち目があろうはずがない」(10章)と秘かに心を痛めている。

ブランドン大佐の親戚の者が所有するウィットウェルの名園を見に行く計画が立てられる

が,彼はロンドンに急用ができ,この小旅行は中止となる。皆が大佐を引き止めたり,管理人

に手紙を書いてほしいと懇願するが,彼は,きっぱりとそれらをはねつけて,皆の不興を買う。

彼の引率なしには,屋敷に誰も入れないという持ち主の気持ちを尊重しているからである。そ

のすぐ後に,ウィロビーは,予め許可も求めないで,突然,スミス夫人在宅のアレナム・コー

トに,まったく面識のないマリアンを連れて行く。ここで,ブランドン大佐の思慮深い行動は,

ウィロビーの軽率な行動とみごとに対比されている。ウィロビーは「ブランドンがひじょうに

注意深く避けたまさにその不作法を犯す」6)のである。さらに,ブランドン大佐の突然のロン

ドン行きは,彼が面倒を見ているミス・ウィリアムズの危機を救うためであるが,ウィロビー

のロンドン行きは,マリアンを捨てて,金持ちの女性と結婚することによって,自分の生活の

安定を得るという利己的な目的のためである。

ブランドン大佐はウィロビーに夢中になっているマリアンの姿を見ても,決して自身のみじ

めな感情を出さないで,彼女の行く末を心配しながら見守っているだけである。そして,彼の

人柄をよく理解しているエリナーと話をすることに慰めを見いだしているのである。彼の「妹

さんは,初恋以外は認めないようですね」(11章)と言う言葉に,エリナーは彼の失恋の痛み

を感じとっている。

ブランドン大佐は,状況をきちんと把握し,決して出すぎた真似をしない人物である。マリ

アンの失恋を知ったサー・ジョンはウィロビーを怒り,パーマー夫人は彼と絶交すると言い,

ジェニングズ夫人はあれこれと気を使ってマリアンを慰めようとする。そのような周囲の騒が

しいお節介をマリアンは一切受け付けようとしない。彼女の失意を何とか慰めようとするエリ

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ナーもまた,彼らのお節介よりも,「ブランドン大佐の思いやりのある控えめな質問」(32章)

を歓迎する。ブランドン大佐は,

「わたしの目的は―意図は―それを望む唯一の意図―願わくば,いやそうなると信じます

が―慰めを与える手だてになればということで,―いや,慰めと言っちゃいけない―いま

すぐ慰めにはならない―しかし妹さんの心に確信を,永続的な確信をあたえることにはな

る。妹さんや,あなたご自身や,母上へのわたしの好意を―それを証明する意味で,ある

事情をお話させてもらえますか,これはまさしく....

心からの好意があればこそ―お役に立ち

たいという切なる願いがあればこそなので―お話ししてもさしつかえないと思うんですが

―わたしの判断が正しいと自分に納得させるのにずいぶん時間をかけたんですが,わたし

がまちがっているかもしれないと危ぶまれる理由が何かあるでしょうか?」(31章)

と,自分の真摯な願いから話すのだということをエリナーに理解してもらい,彼女の同意を求

めて,このように慎重に前置きをすると,二人のイライザの物語を語り始めるのである。

ブランドン大佐は,幼くして両親を亡くした従妹のイライザ・ウィリアムズと一緒に育つ。

二人はお互いに熱烈に愛し合っていたが,彼女の保護者でもある彼の父親は,多大な負債が

あったために,莫大な遺産を残されたイライザと,長男を結婚させる。兄は彼女を愛してもい

なかったので,薄情な仕打ちをする。それに耐えかねたイライザは,ブランドン大佐と駆け落

ちをしようとするが,それも不首尾に終わる。二人は引き裂かれ,その後,イライザは不貞,

離婚と転落の道を辿り,最後に結核で死ぬ前に,彼に3歳の私生児の娘を託す。彼は,娘のイ

ライザ(ミス・ウィリアムズ)を寄宿学校に預けて面倒をみるが,17歳になったイライザが

ウィロビーに弄ばれて妊娠して苦境に陥っているのを知らされて,ロンドンに駆けつけたとい

うわけである。ブランドン大佐はウィロビーと決闘をするが,無傷で別れたというのである。

ブランドン大佐は14年間語らなかった従妹のイライザとの恋を,信頼するエリナーに打ち明

けて,イライザにあまりにも似ているマリアンが,イライザのような悲劇的な結末を迎えない

ようにと願ったのである。ブランドン大佐の寡黙な人柄の奥に,これほどの情熱と苦悩が隠さ

れていたのである。若かった彼が救えなかったイライザの分までも,マリアンが失恋を乗り越

えて生きてほしいという彼の真摯な気持ちが伝わってくる。彼がマリアンに自分の方を向いて

ほしいという願いをもっていても,自分のことは一切話さず,ただマリアンの回復と幸せを

思って語る彼の話に感銘を受けない者がいようか。エリナーはよき聞き手であり,ブランドン

大佐の苦悩を分かち合い,彼の話をマリアンに伝える役を彼から託される。「エリナーはもう

一度厚く礼を言って大佐を送り出してからも,彼への深い同情と尊敬の念が胸にあふれて消え

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なかった」(31章)のである。

ブランドン大佐の思いやりは,エドワード・フェラーズにも与えられる。大佐は,エドワー

ドがルーシーとの婚約で母親に勘当されて財産を分与されなくなったために,結婚できなく

なったという話を聞き,彼にデラフォードの牧師の職を提供する。大佐はエドワードとは余り

面識がないが,彼の話に同情し,エリナーへの友情から申し出たのである。大佐は,直接エド

ワードには言わずに,エリナーにこの話を持ちかけ,彼女からエドワードに伝えてほしいと依

頼する。エリナーにしてみれば,エドワードは恋敵のルーシーのものになるのだから,彼らの

便宜を計るのは非常につらい立場であろうと推察される。ところが,彼女は,自分の感情より

も,エドワードの幸せを願う気持ちのほうが強くて,大佐に「尊敬と感謝の念を強く感じ」,

「エドワードの節操と気性をお世辞ではなしに褒めた」(39章)のである。彼女が人に託さずに,

大佐自身がするに越したことはないと思ったのは,「エドワードに彼女から恩義を受ける苦渋

を味わわせたくない」(39章)からである。ブランドン大佐の博愛精神は言うまでもなく,エ

リナーの「公僕」7)精神もみごとである。大佐もエリナーも,個人の感情を超えて,他の人た

ちに良かれと思われることに尽力するのである。

予期せぬ聖職の仕事を与えられたエドワードの驚きは,彼の自然な感情の表現であろうが,

妻のファニーに劣らぬ物質主義者で私利私欲のみに汲々としている,兄ジョン・ダッシュウッ

ドには,縁者でもない者に聖職禄を提供したブランドン大佐が信じられない。エリナーと次の

ような会話をする。

「まったく驚くべきもんだな!」とジョンは妹の話を聞いたあとで叫んだ。「いったい大

佐の動機はなんなんだい?」

「ごく単純よ―フェラーズさんのお役に立つこと」(41章)

ジョンは,死んだ兄の家督を継ぎ,年収2,000ポンドのデラフォードの領主であるブランド

ン大佐と妹エリナーが結婚してくれれば,自分の責任も免れるし,金持ちとの付き合いは望む

ところなので,状況もわからないままに,エリナーに大佐との結婚を熱心に勧める。ブランド

ン大佐とエリナーの会話のやり取りを漏れ聞いて,ジェニングズ夫人は,エリナーが大佐のプ

ロポーズを受けているのだと早合点する。エリナーとブランドン大佐が,自分たち自身のこと

ではなく,他人を思いやってどれだけ話し合い,お互いを信頼しているかを考えてみれば,

ジョンやジェニングズ夫人が二人を結びつけたとしてもおかしくない。しかし,ブランドン大

佐はマリアンを気にかけていて,エリナーはエドワードを愛しているので,結婚には結びつか

ない。他人に対する配慮,鋭い観察眼,思慮分別のある行動,何よりも自分のことよりも他の

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京都精華大学紀要 第三十二号 -151-

人のことを優先させるその奉仕精神が二人には備わっていて,二人は深い友情で結ばれたよき

同志であり,相談相手なのである。

マリアンとエリナーは,すでに,ロンドンから,バートン・コテージには一日位の距離にあ

るパーマー夫妻の屋敷クリーヴランドに移動している。失意のマリアンは不注意が原因で重い

風邪にかかる。それが感染症であったために,夫妻は赤ん坊を連れて親戚の家に避難し,邸宅

に残っているのは,母親代わりを努めるジェニングズ夫人と召使いの他は姉妹だけである。エ

リナーには,マリアンの容態の悪化を伝えて,相談する相手はブランドン大佐をおいて他にな

い。彼は,母を呼び求めるマリアンの状況を聞き,自分がダッシュウッド夫人を呼びに行く使

者の役目を引き受ける。エリナーの大佐に対する評価と感謝の気持ちは次のように表現されて

いる。

こうした場合にブランドン大佐のような友人がいて,母の道連れに―その判断力が頼り

になり,同行が安心の種に,友情が慰めになるような道連れに!―なってもらえる心強さ

は,つくづくありがたかった。こういう呼び出しを受ける母のショックが多少ともやわら

げられるものならば,大佐の存在そのものと物腰と助力が最大限やわらげてくれそうだっ

た。(43章)

マリアンの病状は,エリナーの手厚い献身的な看護と,ジェニングズ夫人の暖かい気使い,

ブランドン大佐がダッシュウッド夫人を連れてきてくれたお陰で,徐々に回復して,バート

ン・コテージに帰宅できるまでになる。マリアンが差し出した手を握った時の大佐の心情を,

エリナーは次のように感じとる。

エリナーは妹をみるときの大佐の憂わしげな眼と顔色の変化から,おそらく過去のさま

ざまな痛ましい光景が彼の脳裏によみがえっているものと,じきに見てとった。その思い

出を呼びもどしたのは,前からわかっていたマリアンとイライザの類似点で,それはいま

や,落ちくぼんだ眼,血の気の失せた肌,弱々しく後ろにもたれた姿勢,そして特別の恩

義に対する心からなる感謝の言葉によって,一段と強められているにちがいない。(46章)

ブランドン大佐は,サー・ジョンやジェニングズ夫人から尊敬されており,語り手も彼の強

い味方であるが,エリナーとの深い友情とつながりがなければ,彼のマリアンへの愛は実らな

かったであろう。エリナーはマリアンにとってだけではなく,ブランドン大佐にとっても,一

番の理解者であり,友人であり,救世主なのである。

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『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド-152-

3章 エリナーとエドワード・フェラーズ

エドワード・フェラーズは,エリナーの兄嫁ファニーの弟であり,フェラーズ家の跡取り息

子である。ファニーが夫のジョンや息子のハリーを連れて,ノーランド・パークに乗り込んで

来てから,姉妹たちがバートン・コテージに移り住むまでの期間,ジョン一家とダッシュウッ

ド姉妹たちは同居することになる。その時に姉のもとに遊びに来ていたエドワードとエリナー

との間に愛が芽生えたのである。マリアンとウィロビーの恋愛とちがって,エドワードとエリ

ナーの愛情は,二人の性格を反映して,地味で控えめである。二人だけで語る会話が実際に描

かれるのは,プロポーズの場面だけである。その時に初めて,エリナーも読者も,エドワード

の本音を知るのである。

エリナーは彼の長所をよく見抜き,知り合ってからずっと終始一貫して,彼を評価している

が,彼の本当の気持ちがつかめず苦しむことになる。エリナーは思慮分別があり,冷静沈着,

知的で,社会性もあり,こまやかな感受性も持っていて,この作品のヒロインとしては完璧な

性格が備わっている。その彼女自身に課せられた唯一の試練はエドワードへの愛なのである。

彼女がそれにどう対処するかは,失恋して自己憐憫と自己破壊に陥るマリアンと対照的である。

エリナーが,彼への思いを誰にも相談できずに一人で胸に秘めながら,危機を乗り切る姿に,

われわれすべての読者は感動して,作者とともに彼女の愛が報われるようにと声援を送らずに

はいられないのである。

エドワードは,ハンサムではないし,風采や物腰に魅力があるわけではない。「物静かで控

えめ」で,「内気過ぎて真価が充分発揮されない」(3章)のだが,心温かい,気のやさしい青

年である。フェラーズ夫人もファニーも,彼には政界入りするか,「誰かいまを時めく大物」

と親交を持ち,世間で頭角を現してもらいたいと多大な期待をかけている。「しかし,なんで

もいいからとにかく有名になってほしいという母親と姉の願いに応えるには,能力的にも気質

からしても彼は不向きだった」(3章)と,語り手は述べている。語り手は,本人の能力も気

質も無視して,世間体とプライドのみで,長男の進路を決めようとする母親と姉を皮肉ってい

るのである。しかしながら,母や姉の望みに沿えないエドワードの立場は弱い。それは,彼の

年収1,000ポンドの相続権が,ひとえに,財産管理をしているフェラーズ夫人の意志にかかっ

ているからである。彼は自分自身の能力と気質をわきまえていて,聖職につきたいと考えてい

る。息子の出世に野心を持つ母親は,もちろん彼の考えに反対である。それで,彼は母親と折

り合いがつかないまま,目下,無為徒食の身に甘んじているのである。彼にはまったく野心は

なく,上流階級との交際も望まないし,ごく普通の平凡な人生を送りたいと考えている。「彼

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の望みはひとえに家庭的な安楽と私生活の平穏にあった。」(3章)のである。

マリアンは,エドワードには音楽や絵の趣味がなく,詩の朗読も単調で,「彼の眼には雄々

しさと知性と同時に感じさせるあの気迫が,熱ってものがまるでかけているのよ」(3章)と

批判する。彼女の批判に対して,エリナーは「あえて言わせてもらうけど,全体として,彼の

物の見方は博識だし,本好きなことは並外れていて,想像力は旺盛で,観察眼は正確で狂いが

なく,それに趣味は繊細で気取りがないわ」(4章)と弁護する。エリナーはマリアンとは異

なり,エドワードの資質をしっかり見抜いて彼を高く評価しているのである。エリナーは,

ノーランド・パークでは,彼が自分を愛してくれていると確信していたのであるが,バート

ン・コテージにやって来たエドワードは,意気消沈しているようで,元気がなく,自分をまだ

愛してくれているのかどうかさえわからない。彼女は「彼の元気,率直さ,首尾一貫性の欠如」

(19章)をフェラーズ夫人のせいにする。「義務と願望,親と子の相克という昔ながらの相も変

わらぬ苦の種」(19章)を彼の不可解な言動の原因だとみなす。エリナーは彼が1週間という

短い滞在期間を経て去った後,彼の愛情に確信が持てない,いたたまれない気持ちと悲しさを

鎮めるために,一日中せっせと絵筆を動かすのである。

エリナーは,べつに自分の殻に閉じこもったり,家族を避けるためあくまで独りで外出し

たり,一晩中寝ないで物思いにふけったりしないで,日々,エドワードのことや彼の態度

のことをその時々の異なる心理状態から生まれるさまざまな受けとめ方で考えてみるだけ

の暇を見つけた。やさしさや憐れみ,是認や非難,疑念といった感情をもって。(19章)

エドワードの「編んだ髪の毛を中央にはめこんだ指輪」(18章)の髪の毛の持ち主が話題に

なる。彼は姉のファニーの物だと言うが,エリナーは自分の髪だと思う。エリナーの思いこみ

が間違いであることが,すぐにルーシー・スティールによって明らかになる。ルーシーとアン

姉妹は,ジェニングズ夫人の親戚だというので,サー・ジョンにバートン・パークに招待され

る。マリアンは「厚顔,低俗,無能」(22章)なスティール姉妹と仲良くしたがらないので,

エリナーが専ら彼女らとの交際役を引き受けることになる。エリナーはルーシーの才知は認め

るが,彼女が「無知,無教養で,知的鍛錬が不足し,ごく一般的な事柄にも疎く」(22章)教

育に助けられていないことに気づく。さらに,「バートン・パークでのルーシーの気配り,か

いがいしい心遣い,へつらいの陰から透けて見える,こまやかな思いやりと正直さと真心の完

全な欠如にはもっと厳しい眼を向けた」(22章)のである。

ルーシーはエドワードを愛しているエリナーに嫉妬し,自分に優先権があることを彼女に知

らしめるという意図で,エリナーにエドワードとの秘密の婚約を打ち明ける。エドワードは

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オックスフォードに行く前に,ルーシーの叔父のミスター・プラットのもとで個人教育を受け

ており,その時に,二人は婚約したが,貧しいルーシーとの結婚を許すはずもないフェラーズ

夫人を恐れて,4年間,秘密にしているというのである。エリナーは最初はこの話を信じな

かったが,ルーシーから指輪の髪は彼女のものだと宣言され,さまざまな状況証拠を見せられ

ては,もはや疑いようがない。エリナーは狡猾なルーシーに決して心の動揺を見せまいと必死

に自制する。「彼女は屈辱と衝撃と困惑を味わっていた」(22章)のだが,表面的には落ちつい

た声で答えるのである。モーランド・パーキンズは,ルーシーと対決するエリナーを次のよう

に評している。

自分のエドワードへの愛情とルーシーの観察だけではなく,自分の知性と道徳性―そし

て個人的なプライド―によって,すばやく,ルーシーから自分自身の痛みを隠し,分析に

専心し,エドワードを非難しないようにし,ルーシーを責めても,彼女のエドワードに対

する権利を認め,エドワードとのロマンティックなつながりからりっぱにひきさがるとい

う道を自分に課し,そして家族から新事実と自分の苦悩を隠すということを確実にやって

のけるのである。8)

エリナーはルーシーの意図を察知すると,エドワードのことや彼の自分への愛情について,

冷静に分析してみる。その結果,エリナーはエドワードが自分を愛してくれているという確信

を持つ。彼が婚約者がいながらエリナーに惹かれ,ノーランドに不必要に長くとどまったとい

う点は責められるべきである。しかし,彼の立場を思いやり,自分のためよりも彼のために泣

くのである。

彼女はいずれは心の平穏をとりもどせるかもしれないけれど,でも彼には...

どんな望みが

あるというのか?いったいルーシー・スティールと一緒になって人並みの幸せを得られる

だろうか?エリナーへの愛が疑問の余地のないものだとしたら,誠実さとデリカシーと博

識な頭脳を持った彼が,ルーシーのような教養のない,ずるがしこくて利己的な女を妻に

して満足できるものだろうか?(23章)

エリナーは自分の心の痛みをルーシーに悟られないように努めながら,ルーシーのエドワー

ドへの愛情を確かめる。そして,ルーシーが彼をもう愛してはいないが,金持ちの男性との婚

約が自分にもたらす利益のために彼を縛っていることを見抜く。

ロンドンでジョン・ダッシュウッド夫妻がパーティを開き,そこにミドルトン一家,ジェニ

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ングズ夫人,エリナーとマリアン,ブランドン大佐,スティール姉妹が招待される。同席した

フェラーズ夫人はエドワードを持参金付きのモートン嬢と結婚させようと計画しているので,

彼とエリナーとの仲を疑って,彼女につらくあたり,へつらうルーシーを礼遇する。エリナー

が描いた屏風絵を一同が絶賛するのに,フェラーズ夫人はそれがエリナーの作品だと知ると,

見もしないで絵を返すという意地の悪い態度を取るのである。エリナーは今となってはフェ

ラーズ夫人の悪感情に苦しめられることもなく,彼女を客観的に観察し,エドワードの結婚が

どれほどむずかしいかを実感するのである。

ルーシーとエドワードの婚約がアンの口から漏れて,ファニーはヒステリーをおこし,フェ

ラーズ夫人はエドワードを勘当して,彼の財産相続権を取り上げる。マリアンは,エリナーが

4カ月間,二人の婚約を聞かされながら,それにじっと耐え忍んだことに驚く。姉の態度を信

じられないマリアンに対し,エリナーは「わたしが現在は平静な気持で問題を考えられるよう

になったのや,慰めになるものを進んで受け入れてきたのは,絶えまない努力の結果よ」(37

章)と答える。エリナーが自らの失恋の苦しみにもかかわらず,妹を精一杯励まし慰めてくれ

ていたという事実を初めて知ったマリアンは,自らの利己的な態度を深く反省する。マリアン

は,ここに至ってやっとエリナーの真価を理解し,彼女を高く評価するのである。

エリナーはエドワードがルーシーとの約束を誠実に果たすつもりでいること,しかし,聖職

につくまでは結婚できないことなどを次々とルーシーから聞かされるはめになる。そのような

状況にあっても,エリナーはエドワードを正当に評価しようとする。エドワードの謙虚さと彼

の弟ロバートの軽薄さとうぬぼれを比較して,兄弟でこうもちがうのかと驚いたり,ミス

ター・パーマーの「美食癖,わがまま,うぬぼれ」とエドワードの「寛大な気性,素朴な好み,

内気さ」(41章)を比べて,エドワードの優れた性格に満足を覚えるのである。

エドワードに対する気持ちをできるだけ抑え,彼に近づかないように努めているにもかかわ

らず,エリナーは,ブランドン大佐からエドワードにデラフォードの聖職禄を提供したいのだ

が,その使者の役割をしてほしいと依頼される。彼女は寛大なブランドン大佐のために,そし

て,愛するエドワードのために,その役目を引き受ける。彼女はブランドン大佐の申し出をエ

ドワードに直接伝えた後,けなげにも,「あなたの境遇がどう変わろうとも,お幸せをいつま

でも心からお祈りしています」(40章)と約束するのである。自分の愛は報われないのに,そ

の悲痛な心をおくびにも出さず,相手に対してこれほどの真心のこもった言葉を述べられる人

物は,オースティンの作品の中では,おそらくエリナーだけであろう。

オースティン作品は必ずヒロインの幸せな結婚で終わるのが定番である。エドワードはブラ

ンドン大佐によく似ていて,余り目立たず控えめであるが,分別をわきまえていて,他人の感

情を理解する思いやりのある男性である。二人ともエリナーに高く評価されている。ブランド

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ン大佐の若かりし悲恋物語に深い同情を示したエリナーは,エドワードが若い頃に,ルーシー

と婚約した状況をよく理解し,彼の無分別を許し,現在の彼の苦しい立場に同情している。エ

ドワードを一番理解し,愛しているのはエリナーである。とすれば,エリナーの恋は報われて

当然であろう。

物語は急転直下し,ある日,ルーシーの手紙―エドワードの代わりに財産を相続した彼の弟

のロバートと秘かに結婚したという通知―を持って,エドワードがエリナーにプロポーズしに

やって来る。彼女の喜びの気持ちは,堰を切ったようにあふれだした嬉し涙で表現される。も

うすでにあきらめていたエドワードが,自分のもとにまさか戻って来るとは予測していなかっ

ただけに,その喜びと幸せは大きい。エリナーが,初めて,自分のために見せた涙である。エ

リナーはエドワードから,彼のやさしいゆるぎない愛情を告白され,無上の幸せに感動して,

平静さを取り戻すのに何時間かかかったほどである。

エリナーの提案を受け入れ,エドワードは何とか母親に詫びを入れて,結婚に同意をしても

らう。それで,彼は,財産相続権は弟のものになって失ったものの,1万ポンドを与えられ,

生活に必要な充分な収入を確保する。こうして,エリナーとエドワードは結婚するのである。

マリアンもブランドン大佐の愛を受け入れて,デラフォード領主夫人になる。エリナーとマリ

アの仲のよさはもちろんのこと,夫同志もお互いの人格を認めあっている人たちなので,二組

の夫婦は幸せな家庭を築いたのは言うまでもない。

結 論

『分別と多感』は,ジェイン・オースティン自身の心の中の葛藤,すなわち,合理主義的な

面とロマンティックな面の葛藤を,エリナーとマリアンの二人の登場人物によって描きだそう

とした作品である。エリナーが分別を,マリアンが多感を表象しているとは言え,エリナーに

も感受性があり,マリアンにも分別がある。マリアンは,失恋,それに続く病気という試練を

経て,思慮分別のある行動とはどういうものかを学ぶ。エリナーは,自分の感情よりも他の人

の気持ちを思いやり,自分を犠牲にしても人のために尽くす,誠実な,思慮分別のある人物で

ある。彼女も失恋の苦しみを味わうが,決して取り乱さずに,客観的に恋人の態度や言葉を分

析し,エドワードが自分を愛してくれているという確信をもって,自分を支える。そして,狡

猾な恋敵ルーシーにも,見事に自分の感情を隠して対峙する。彼女の悪意と意図を察知し,彼

女がエドワードにふさわしい女性であるとは認められないものの,彼らの婚約が事実だとわか

ると,速やかに身をひく決心をする。ルーシーの出現と悪意のために,自分自身が恋愛の危機

に直面しながらも,エリナーは,ブランドン大佐の打ち明け話に深い同情を示し,エドワード

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の苦しい立場を思いやって涙を流す。さらに,彼女にとって,愛する妹の失恋の苦しみは自分

の苦しみでもある。彼女が妹のマリアンの回復を祈りながら看病する姿には,妹への強い愛情

と彼女を立ち直らせたいという情熱があふれている。

序論でも述べたように,『分別と多感』は討論であり,対話である。

ジェイン・オースティンは,この小説を通して,分別と多感をお互いに対話させようと

しており,読者は小説の終わりには両方の考え方について,より深く,よりはっきりと理

解することができるものの(そして,プロット上では,分別は全体的に優勢になるのだが),

どちらかが全面的に一方よりも優れたものとして(あるいは,実際に,独立したものとし

て),また,一方だけで完全に充足するものとして現れているわけではない(このことは,

この小説の中で,極端に分別や多感を象徴している,もっと一元的に描かれた登場人物た

ちによってはっきりと示されることになる)。9)

作品の中では,エリナーがマリアンの思慮のない行動や感情的な発言を戒めたり,また,逆

に,マリアンがエリナーの控えめな愛情表現,すなわち,エドワードのことを「好き」だし,

「評価している」という言葉に腹を立てたりする。しかし,彼女らの口論は,強い姉妹愛と相

互理解に支えられているので,対話しているのだと見なされるであろう。それに,何よりも,

二人は作者自身の分身である。オースティン自身が心の中で対話しているのである。エリナー

もマリアンもオースティンである。しかし,やはりこの作品は,分別とは何か,分別のある人

物とはどのような行動を取るのかを描いたものだと言えよう。

とすれば,『分別と多感』は,語り手と同じ視点と価値感を持ち,すべての登場人物とかか

わりを持つエリナー・ダッシュウッドの物語であると言えないだろうか。エリナーはマリアン

に対して,いかなる時も変わらぬ愛情を持って接している。彼女はマリアンの無分別な言動に

心を痛め,彼女に助言を与えつつ,周囲に配慮して,彼女の未熟さを必死に補っている。エリ

ナーはマリアンの姉であり,友であり,保護者でもある。マリアンは,回復してから,姉が置

かれていた状況を知るに及んで,自己反省して,「もし死んでいたら,看病人であり友人でも

ある姉さんになんとも言いようのない情けない思いをさせることになってたでしょうね!」

(45章)と述べている。ブランドン大佐とエドワードに対して,エリナーは最初から彼らの人

格を尊敬して,高く評価している。エリナーはブランドン大佐にとっては,よき理解者であり,

奉仕精神で結ばれている同志であり,友人である。彼女はエドワードの内気さの中に隠れてい

る分別のある思いやり,寛大さを愛している。その愛情は彼とルーシーとの秘密の婚約を知っ

た後も変わることなく,彼の立場に同情して,自分のためにではなく彼のために泣くのであ

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『分別と多感』におけるエリナー・ダッシュウッド-158-

る。

エリナーは,オースティン作品中で一番知性的なヒロインである。彼女は優れた観察力と判

断力も備えていて,決して感情や偏見に惑わされることなく,その場の状況に応じて行動がで

きる。ルーシーのように,権力者にへつらうこともせず,さりとて卑下することもなく,客観

的に相手を見て,義務だと判断すれば,義姉ファニーの見舞いにも出かける。ミドルトン夫人

が自分と子供たちにしか関心がなく,プライドの高い退屈な人物であるとわかっていても,彼

女の催すパーティーに出席し,相手に不愉快な思いをさせない程度の付き合いをする。ジェニ

ングズ夫人には穿鑿好きでお喋りで,時には見当はずれの世話を焼くという欠点がある。しか

し,彼女が善意あふれる人物であり,姉妹の母親代わりとなって,愛情を注いでくれているこ

とに対して,エリナーは常に感謝の気持ちで応えている。兄のジョンが自分の利益しか頭にな

く,物質主義者であることを知りながらも,母親の代行として,彼と話ができるのはエリナー

だけである。

モーランド・パーキンズはエリナーを知性の人,他の人たちの善のために尽くす公僕の人で

あると評価している。パーキンズによれば,彼女は,自分を取り巻く社会のために,大きな役

割を果たしていて,その働きぶりは男性的であると言うのである。当時は父権性社会であった

ことを考えてみると,皮肉にも,この作品の男性たちはブランドン大佐を除いて,ほとんど女

性に一家を牛耳られているのである。ジョン・ダッシュウッドは恐妻ファニーの言うとおりに

動かされて,父の遺言を無視して,姉妹たちに遺産を一切分与しない。サー・ジョンはお人好

しで家族に権力をふるうことはない。エドワードは,権力を持つ母親フェラーズ夫人の意向に

背いて勘当される。ロバートは運良く兄に与えられるべき財産を相続し,兄の婚約者ルーシー

にうまくまるめこまれて結婚してしまう。

作品全体からみれば,男性たちは女性たちに比べて影が薄いのである。ファニー,フェラー

ズ夫人,ルーシーの三人の悪女たちだけではなく,特に害のないミドルトン夫人,愛想のよい

パーマー夫人,善意あふれるジェニングズ夫人たちも男性たちに比べると活力がある。作品に

描かれる多くのパーティーの主催者が女性であり,何かと他人を批評したがるのは女性である

ことを思い起こせば,それも納得がいくであろう。オースティンは女性の世界を描いているの

である。男性たちは,彼女たちの相手役として描かれていて,中心になるのは女性なのであ

る。

『分別と多感』はエリナー・ダッシュウッドの物語であり,彼女はオースティン文学の中で

も,知性的で,誠実で,分別があり,愛情深くて思いやりがある最も魅力のあるヒロインなの

である。

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京都精華大学紀要 第三十二号 -159-

テキストは次のものを使用した。

Jane Austen, Sense and Sensibility (Penguin Books, 1994)

日本語訳は次のものを参考にした。

真野明裕訳『いつか晴れた日に―分別と多感』(キネマ旬報社,1996年)

1) クレア・トマリン著,矢倉尚子訳『ジェイン・オースティン伝』(白水社,1999年),p.212.

2) ポール・ポプラウスキー編著,向井秀忠監訳『ジェイン・オースティン事典』(鷹書房弓プレス,

2003年)p.275.

3) Moreland Perkins, Reshaping the Sexes in Sense and Sensibility (Charlottesville: University Press of

Virginia, 1998), p.118.

4) David Monaghan, Jane Austen: Structure and Social Vision (London:Macmillan, 1980), p.50.

5)『ジェイン・オースティン伝』,p.214.

6) Jane Austen: Structure and Social Vision, p.61.

7) Reshaping the Sexes in Sense and Sensibility, pp.127-176.

作者のモーランド・パーキンズは,エリナーの public servantとしての特質を2章にわたって論じてい

る。

8) Ibid., p.74.

9)『ジェイン・オースティン事典』,p.347.