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34 シアトルとS11:アイデンティティ・ポリティ クスとしての階級 ウィリアムズは、労働者の階級意識の衰退を嘆 き、その原因を労働党に求めた。一方、フレデリック・ ジェイムソンは労働者の階級意識の復活を期待す る。ポスト近代、後期資本主義の時代における階級 意識の一時的な消滅という問題を考えてきたジェイ ムソンは、 「新しい、グローバルな種類の『認知地図』」 をもってそこに風穴を開けることを提唱する。これ は「ポストモダニズム、すなわち多国籍な資本の世 界空間」を正しく表すことによって、「私たちの立場 を個人的で集合的な主体として把握できる」ように しようという試みである。「現在、私たちは、社会的、 空間的に混乱しているため、労働者階級の利害に立 つことができていない」。これに対して「認知地図」 によって、「失われた行動と闘争の能力を回復する」 ための方法を学ぶことができる。ジェイムソンは「認 知地図」が「新しい、そして今までは夢にも見なかっ た類の」階級意識のコードであり、言葉であると説明 している (57) ジェイムソンは1991年にみずからの思想を公に した。90 年代の終わりまでに世界は、「新しい、グ ローバルな『認知地図』」の政治と、「新しい、そして 今までは夢にも見なかった類の」階級意識のラディ カルな実践の、最初のかすかな光を目撃することに なった。クリス・カールソンは、1999 年の終わり のシアトルにおける、世界貿易機関(WTO)会議へ の抗議運動の最中に、自分の経験をインターネット に書いた。「シアトルの街頭で民衆は、新しいグロー バルな政治的状況に対する洗練された理解を示し た。民衆は国境を、職場を、産業を、そして特定地域 の人びとを超える争点を出した (58) 」。 階級、とりわけ労働者階級という考え方は、合衆 国の文化のなかで広く理解されたり、受け入れられ たりはしていない。だがシアトルで発見された運動 は、基本的には労働者階級の運動である。街頭に 立った民衆は、表立っては、エコロジーや人権などの 主義に共鳴している。しかしかれらの大多数は、日 常生活では賃金労働者なのである (59) ウィリアム・タブによれば、デモ参加者の大部分 は「不完全ではあるものの、直感によって、労働者の 階級分析を手にしていた・・・・・・国境を超える資本に 対決しようという提案は、階級的な用語でなされ、 大多数の労働者を含みこんでいる (60) 」。 「シアトルの闘い」は、その手の出来事としては初 めてではなかったにもかかわらず、「新しいグローバ ルな運動のデビュー・パーティー (61) 」として記述さ れてきた。ジェフ・セント・クレアは、WTO がシア トルで開かれた1999 年11月30日(日)から12月 4 日(木)までを、「世界をゆるがした 5日間」と述べ ている。 その週の終わりまでに、ピカピカだったシアトル のデコレーションはあちこちで引き裂かれ、WTO の会談はその意味を激しく問われるなかで決裂し、 新しい多国籍の民衆の抵抗は、ほんの数日の騒々 しい昼夜だったとはいえ、とにかくグローバルな資 本主義とその軍隊をお先真っ暗にした (62) シアトルの後に、世界中で相当な数の民衆がこの 動きに追随して結集した (63) このグローバルな反企業運動を形成する結集の なかに、オーストラリアの S11を含むことができるで あろう。2000 年 9 月11〜13 日にメルボルンのクラ ウン・カジノで世界経済フォーラム(WEF)アジア 太平洋経済サミットが開かれた。抗議者たちは、こ の会議に対して大衆的な封鎖行動をやってのけた。 WEFの約200人の代表は出席を物理的に妨げら れた。メルボルン大学の学生新聞『Farrago(ごた まぜ)』は、次のように報告した。「世界経済フォーラ ムの代表で出席できたのはわずか4分の1だった のに対して、外の群衆は 2 万人以上にまでふくれ上

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シアトルと S11:アイデンティティ・ポリティクスとしての階級

ウィリアムズは、労働者の階級意識の衰退を嘆き、その原因を労働党に求めた。一方、フレデリック・ジェイムソンは労働者の階級意識の復活を期待する。ポスト近代、後期資本主義の時代における階級意識の一時的な消滅という問題を考えてきたジェイムソンは、「新しい、グローバルな種類の『認知地図』」をもってそこに風穴を開けることを提唱する。これは「ポストモダニズム、すなわち多国籍な資本の世界空間」を正しく表すことによって、「私たちの立場を個人的で集合的な主体として把握できる」ようにしようという試みである。「現在、私たちは、社会的、空間的に混乱しているため、労働者階級の利害に立つことができていない」。これに対して「認知地図」によって、「失われた行動と闘争の能力を回復する」ための方法を学ぶことができる。ジェイムソンは「認知地図」が「新しい、そして今までは夢にも見なかった類の」階級意識のコードであり、言葉であると説明している(57)。

ジェイムソンは1991年にみずからの思想を公にした。90年代の終わりまでに世界は、「新しい、グローバルな『認知地図』」の政治と、「新しい、そして今までは夢にも見なかった類の」階級意識のラディカルな実践の、最初のかすかな光を目撃することになった。クリス・カールソンは、1999年の終わりのシアトルにおける、世界貿易機関(WTO)会議への抗議運動の最中に、自分の経験をインターネットに書いた。「シアトルの街頭で民衆は、新しいグローバルな政治的状況に対する洗練された理解を示した。民衆は国境を、職場を、産業を、そして特定地域の人びとを超える争点を出した(58)」。

階級、とりわけ労働者階級という考え方は、合衆国の文化のなかで広く理解されたり、受け入れられたりはしていない。だがシアトルで発見された運動

は、基本的には労働者階級の運動である。街頭に立った民衆は、表立っては、エコロジーや人権などの主義に共鳴している。しかしかれらの大多数は、日常生活では賃金労働者なのである(59)。

ウィリアム・タブによれば、デモ参加者の大部分は「不完全ではあるものの、直感によって、労働者の階級分析を手にしていた・・・・・・国境を超える資本に対決しようという提案は、階級的な用語でなされ、大多数の労働者を含みこんでいる(60)」。「シアトルの闘い」は、その手の出来事としては初

めてではなかったにもかかわらず、「新しいグローバルな運動のデビュー・パーティー(61)」として記述されてきた。ジェフ・セント・クレアは、WTOがシアトルで開かれた1999年11月30日(日)から12月4日(木)までを、「世界をゆるがした5日間」と述べている。

その週の終わりまでに、ピカピカだったシアトルのデコレーションはあちこちで引き裂かれ、WTOの会談はその意味を激しく問われるなかで決裂し、新しい多国籍の民衆の抵抗は、ほんの数日の騒々しい昼夜だったとはいえ、とにかくグローバルな資本主義とその軍隊をお先真っ暗にした(62)。

シアトルの後に、世界中で相当な数の民衆がこの動きに追随して結集した(63)。

このグローバルな反企業運動を形成する結集のなかに、オーストラリアのS11を含むことができるであろう。2000年9月11〜13日にメルボルンのクラウン・カジノで世界経済フォーラム(WEF)アジア太平洋経済サミットが開かれた。抗議者たちは、この会議に対して大衆的な封鎖行動をやってのけた。WEFの約200人の代表は出席を物理的に妨げられた。メルボルン大学の学生新聞『Farrago(ごたまぜ)』は、次のように報告した。「世界経済フォーラムの代表で出席できたのはわずか4分の1だったのに対して、外の群衆は2万人以上にまでふくれ上

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がった。労働組合のメンバーは、組合会館からデモ行進して、封鎖に加わった(64)」。カート・アイバーソンとシェーン・スカルマーは、S11の抗議者たちの力で、「クラウン・カジノは、企業資本によるグローバルな空間支配と争う場に変化した(65)」と述べ、この変化の因って来るところを記している。

アモーリー・スターは、反企業運動を構成する潮流を分析した。この分析は、「アイデンティティ」の概念が一般的に階級を排除してきたことを、私たちに思い出させてくれる。「反企業運動には、アイデンティティの運動として組織されたものは一つもない」。スターは、「アイデンティティ」はもはや、社会運動が人びとを組織するときに最重要の原則ではありえない、と主張する。なぜなら社会運動は、複数の抑圧に取り組み、多くの戦線で企業と対決し、同時にアイデンティティ・ポリティクスの枠組みでは含むことのできない仲間を見つけているからである

(66)。しかしシアトルとS11の結集に見られたレトリック

を検討してみると、そこには企業主導のグローバル化に反対する新しい社会運動(スターが記しているように、それは「アイデンティティ・ポリティクス」の不在によって特徴づけられる)は、階級にもとづく、あるいは少なくとも社会経済的な不利益にもとづくアイデンティティ・ポリティクスとして解釈できる。この点で、それはアイデンティティ・ポリティクスを終わらせるためのアイデンティティ・ポリティクスということになる。なぜならそれは、アイデンティティを消費から切り離し、それがためにアイデンティティは、資本主義社会の内部で活発になる可能性から切り離されるからである。ジャッキー・スミスによれば、シアトルで「ティーチ・イン」とは、「参加者が、成長中の運動と『企業主導のグローバル化』による自分以外の犠牲者に関わり合い、一体感を味わう空間であった(67)」。

シアトルで代表的だった、いくつかのプラカードを考えてみよう。「資本主義は生活のすべてを破壊する」。「サウナで搾取工場(スウェット・ショップ)

1999 年 11 月、米シアトルで WTO 会議に反対し道路に座り込むデモ参加者(共同)

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を流し続けろ」。「労働者を搾取するのをやめろ」。「WTO っておかしくない? 資本主義って何なんだよ!」。いくつかの人形のなかには、10平方フィートで回転する「企業権力のピラミッド」があった。群衆はピンク・フロイドを替え歌にした。「私たちには企業はいらない、私たちには思想統制はいらない(68)」。シアトルの街頭からインターネットにあふれでた音や歌のタイトルは、「家族農場対企業」。「鉄鋼労働者」。「仕事と環境」。「そんな靴は買うな」。「富は労働者によって生み出される」。「資本主義的なフランス人」。「鉄鋼労働者会長」といった具合だった(69)。

あるティーン・エイジャーは、自分がなぜシアトルに参加したかをジェフ・セント・クレアに説明した。

「僕はウミガメが好きだ〔訳注−シアトルのデモの直前、

WTOは漁船にウミガメの保護ネットの使用を強制すること

が貿易の制限にあたるという規則を設けた。このためにウ

ミガメは、シアトルのデモの象徴となった〕。僕はビル・ゲイツのバカヤロウが嫌いだ(70)」。民衆がいかなる動機でその集まりに参加したかの調査をしていたジョン・チャールトンの質問に対して、バンクーバーから来た男の答えも同様だった。「私は資本主義が嫌いなのだ」。また別の参加者の答えは、このテーマを詳しく説明していた。「私は国境を壊して、企業を民主化したい。ここはそれをするにはよい場所のようだね!木を守りたいと思っている人は決して少なくなんかない。ただ思うに、ほとんどの人が企業にマインド・コントロールされちゃってるんじゃないの」。アキオはこの恐怖について、「民主主義が企業の寡占に取って代られつつある」と書いた。道化師として働き、シアトルで群衆と警察を楽しませた、プロの役者のビル・Oは、「国境を超えてどんどん馬鹿でっかくなる、訳のわからない企業の影響力と、この怪物が広めている人権と環境の破壊と闘うことに関心があるんだ」と言う。「WTOは第三世界を再植民地化する、巨大で複雑なシステムの一部さ。ほとんどあらゆる争点の原因は、組織化された資本の権力に行き着くんだ(71)」。クリス・カールソンのインターネッ

ト日記によれば、「シアトルにはたくさんの人たちがいて、たくさんの出来事があった。けれどもWTOに反対してそこにいるすべての人たちは、自分たちが足枷を外された『自由市場』と資本主義的な開発のために設けられた、企業主導の協議事項に反対していたことはわかっていた(72)」。

S11の印刷物は、WTOと同じように世界経済フォーラム(WEF)が、「労働組合と環境保護を弱体化し、貧乏人から金持ちへの富の移転を強化するための、グローバルな政策を促す手段である(73)」と説明していた。WEFは「大多数の世界の民衆と環境を犠牲にして、企業利益と金持ちの富を増大させる経済・社会政策を積極的に促進してきた(74)」。企業をスポンサーにしたグローバル化の結果は、次の通りである。グローバルなレベルでの大規模な貧困、金持ちと貧乏人との間のさらなる不平等、労働者の賃金・労働条件や職場での健康・安全基準に対する攻撃、環境と人権に対する広範な侵害(75)。「その一方で、利潤は急速に増大し、グローバル・エリートたちは日に日に豊かになる」。メルボルンのWEF会合は、「世界の大多数の人びとと環境を犠牲にしながら、利潤を増大させる方法を議論するだろう」。S11は民衆を「金持ちに対する怒り」のディスコへと誘った(76)。

S11の抗議の主要なスローガンは、「人間には企業の欲は必要ない」、「私たちの世界は売り物ではない(77)」であった。S11の宣伝が主張するところによれば、社会経済的な不平等の増大は、ついに厳しい境遇にある人たちを刺激して、行動に向かわせた。新しい科学技術は、労働者の負担を軽減するのではなく、労働者を取り代えることに使われた。かれらはこのことに辟易していた。

国家は企業の投資を目あてに競わなくてはならない。環境保護を除去しなくてはならない。賃金と労働条件を下げなくてはならない。そして国家は、政府支出と法人税を切り下げなくてはならない。それは底辺に向かっての競争であり、私たちのすべてが

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負けるのである(78)。

S11の組織者は、「グローバル化と、それに続いて起きる貧困・不平等・搾取といった災難に対する嫌悪が増大している(79)」と主張した。

このような語彙と言葉の枠組みは、参加者と観察者にグローバルな経済権力の構造について考えるよう促す。それは、階級分析と階級的な憤り、すなわち、ジェイムソンがそう表現したように、「新しい、グローバルな認知地図」を導入するような方法でなされる。実際、もし企業主導のグローバル化のレトリックが、世界の豊かな者たちのアイデンティティ・ポリティクスの情報を与えているのだとすれば、ますます強力になる反企業のグローバル化のレトリックは、世界の恵まれない人びとにアイデンティティ・ポリティクスの出現を促す言語なのである。ロビン・ハンネルの記述によれば、シアトルの結集は「企業に支援されたグローバル化の有害な結果(80)」を強調した。そのなかには「合衆国の労働者と労働運動への悲惨な影響」も含まれていた。労働者階級や労働運動に対して特別に言及しないときでさえも、反企業ラディカリズムの言語は、階級を視野のなかにしっかりと取り戻し、階級アイデンティティなるものを促進している。

階級のアイデンティティ・ポリティクスは、これらのサミットにおけるグローバル化に異議を示した人びとにふさわしいものであろうか?運動の構成要素は、概して労働運動が含まれていなかった1960年代の新しい社会運動とは、明らかに異なる。シアトルでの最大の部隊は、組合員だった。AFL-CIO官僚は、強制的に労働者集会を迂回させることで、労組勢力を戦闘地域から引き離すことを企図した。しかし多くの一般の闘士たちは幹部に反抗して、ダウンタウンの部隊に加わった。ジョン・チャールトンの観察によれば、

何万もの組合員が、ダウンタウンに向かってデモ行進をして、抗議に参加した。アラスカからサン・ディ

エゴまで、太平洋岸のすべての港を封鎖する一方、ここシアトルでは見渡すかぎり仲間たちで街頭が溢れかえるなか、組合員はシュプレヒコールを連呼し、ピケットのサイン・ボードを振りかざした(81)。

S11においても、組合が抗議者を結びつけるのに果たした貢献は、相当なものだった。またシアトルのときと同じように、オーストラリアの組合の指導層の一部は、微妙な態度をとった。12月12日にクラウン・カジノへ行進した7,000人の強力な組合部隊は、公式にはその封鎖に加わらなかった。だが組合運動の多くのメンバーは、組合の集会の最後には、道路を横断して、封鎖に加わった。S11の活動家であるジェフ・スパローは、組合事務所のエリートたちがごまかそうがためらおうが、それにはおかまいなく、S11は左派活動家と組織された労働運動との間により緊密な関係を作り上げた、と断言している

(82)。トレーシー・マイヤーによれば、組合運動の「大衆的な連帯の展開は、S11の連合を包括的なものにし、結合力を強くした(83)」。

シアトルでは、企業主導のグローバル化への反対という共通の社会経済的な関心から、労働者と小農との連合の形成も見ることができた。それを象徴するのが、65 ヶ国の小農の運動を代表するネットワークである、ビア・カンペシーナの存在だ(84)。同様に、自分のロックフォール・チーズを他の抗議者に配っていたジョゼ・ボベの出現は、世界の小農がシアトルで発見された運動に関心を持っていることを明らかにした。ちなみにフランスの農民であるボベは、「新自由主義的なグローバル化」と「フランケンシュタインの食物」に反対するキャンペーンの一環として、ミヨーのマクドナルドの店舗にブルドーザーで突進したことで有名である(85)。スーザン・ジョージは、小農がいかに根絶やしにされるかを述べ立てながら、結局小生産者は大量に資本が集中し高度に機械化された、ヨーロッパと合衆国の農業やラテン・アメリカ諸国の大規模所有地の農業などととても太刀打ちできないことを訴える。同時にこ

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の小農が絶滅する過程は、各地の消費者の食物をより高価にし、すでに超満員の都市へさらに膨大な人びとを追い立て、結果として環境に甚大な被害をもたらすことを意味する(86)。

若年層は反企業運動に特に積極的である。グローバルな労働市場は、老年集団よりも、35歳より若い被用者をひどく扱ってきたからというのが、その理由の一端である(87)。この若年層には大学生も多くおり、新しい運動を軽蔑する人たちは、一般的には学生たちが社会経済的には不利な立場にいないことを根拠にして、かれらの動機を非難する。しかし学生の立場を特権層と見なすのは、同じ年齢層の大多数が大学に通い、大学卒業の資格が十分な報酬と職業の安定の手段ではなくなっている時代において、もはや妥当ではない。抗議する学生たちは、かれらの未来が、新しい社会運動に結集して社会経済的な争点以外を強調する余裕のあった先輩たちのそれよりも、きびしいものであることを知っている。多くの大学生たちは、大学卒業の資格のない人たちとほとんど同じくらい厳しい社会経済的な苦難を経験するであろう(88)。欧米の学生たちは、かれらが近年結束して支援してきた開発途上国の搾取工場の労働者よりもましなところで働けるだろう。だが資本のグローバル化は、相対的に豊かな側の単なる利他主義を超えた連帯のかたちを推し進めている。クリス・カールソンによれば、シアトルに参加した人たちは、世界全体に広がる被抑圧者の共同体を想像していた。「貿易政策をめぐる闘いのなかで、街頭に立った民衆は、かれらの状況が他の国で同じ政策の犠牲になっている人たちのそれと、基本的には同類だと知った(89)」。

その新しい運動のなかにはホワイト・カラーの雇用者も見られる。かれらの闘争を促しているのは、この数十年生じている教育を受けた労働者のプロレタリア化である。それは教師のような古くからのホワイト・カラー職だけでなく、新たなグローバル経済の象徴のようなホワイト・カラー職においてさえもそうである。たとえば、その新しい運動のなかで「ハ

クティビスト」と「ネット戦士」の役割は、数多くコメントされてきた(90)。情報技術の労働者は、頻繁に労働運動の前線に出ていた19世紀の機械工の21世紀版にあたる。アウトノミー派のマルクス主義理論は、この点に光をあてている。資本は労働に依存するシステムなので、それぞれの資本家が構造改革を行うときには、新しく異なる種類の労働者を集めなくてはならない。その結果、労働者階級は再構成され、異なる階層の労働者を新たな抵抗の力に巻き込む可能性が生み出される。こうした労働者階級の構成/解体/再構成の過程は、闘争のサイクルを構築している。ニック・ダイアー・ウィザーフォードにとって「この概念は闘争形態の変容を理解する上で重要である。あるサイクルから次のサイクルに移る時、ある労働者セクターの主導的役割、とりわけその特定の組織戦略や固有な文化形態が果たす主導的な役割は、衰退し、古くなり、乗り越えられていくことであろう。今日流行している階級衝突の不在論は、本当はそういう変化だということがわからず、混同しているのだ(91)」。

展 望

新しい運動の職業的・政治的な多様性は、これまで数多くコメントされてきた(92)。企業主導のグローバル化の代弁者たちは、この多様性を抗議者の支離滅裂さの証拠として描き出している(93)。しかし新しい運動が持つ大きな挑戦を開始する力と潜在性は、かれらの表面的な支離滅裂さや人を不安にさせるほどの幅広い連合にこそある。環境保護運動家と鉄鋼労働者、コンピューター労働者と小農らの人びとは、伝統的に対立して捉えられてきた。だが現在、不平等や貧困や仕事の不安定さや環境悪化を生み出す資本主義に抵抗するなかで、それらの人びとは統一される可能性が見えてきたのであり、このことは、新自由主義的グローバル化論者たちを不安にさせている。だからかれらは、抗議者たちの共通の目的が階級的な不平等や不公正に反対すること

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にあるという事実をあいまいにしたがるのだ。こうして多くのメディアは、シアトルでの連合に驚きを表明したのだった。「まるでベルリンの壁のようなものが、前は運動を構成する人びとの間に存在していたかのようだ(94)」。

華 し々い政治的コラージュであるS11も、同じ反応を引き起こした。ダミエル・グレンフェルとアニータ・レイシーによれば、「多様性と差異の化け物は、ごちゃごちゃとめちゃくちゃという別名を与えられた

(95)」。グレンフェルとレイシーの見解では、一つになりつつある抗議者の不平不満の原因は、企業権力にある。そう言わなくとも、不満は「社会内部で新自由主義的な経済に与えられた絶対的な優越」に起因する(ただしこれは、コメンテーターが最も認めたがらないことである)。この理由のために、抗議者たちはメディアによって支離滅裂なものとして描かれている。だが意義申し立ての核心を理解している人たちから見れば、その抗議は十分に意味をなしている。

S11の期間中、あるデモ行進者たちは、オーストラリアの原住民が直面している不正義を強調した。別な人たちは、第三世界の債務の帳消しを主張した。さらに別な人たちは、スポーツ・シューズを作るための児童労働の使用に反対していた。これらの違いは、さして重要ではない。表面的に異なった議題は、資本による公的空間、資源、身体の搾取をともに拒否することを通じて、しばしば結びつけられる

(96)。

S11の組織者であるジェフ・スパローが言及しているように、確かにアイデンティティ・ポリティクスにおいては、原則として差異を称揚することで不統一が生み出されるところがあった。そういうアイデンティティ・ポリティクスが影をひそめて、このことははっきりした。それにかわって今度は、目的を根底から統一することで、あらゆる種類の政治スタイルや立場の違いが乗り超えられた。「私は友人が巨大

なカブトムシの格好をした女性に革命雑誌を売っているのを見た。かれらのどちらもその売買に矛盾を感じてはいないようだった(97)」。

新しい行動主義は、すべての国際ブルジョワジーに共通な問題の処理を目的とする、国際ブルジョワジー経営者委員会とも言える組織に反対している。それは、強力なアイデンティティ・ポリティクスを基礎にして、新たに労働者階級を含み込み再結集させる可能性を指し示している。企業権力の砦を封鎖した抵抗は、異議を唱えられている社会経済的な分裂を象徴的なかたちで表す。クリス・カールソンによれば、シアトルで「労働者は団結して、閉ざされたドアの向こうで交渉されている貿易政策に異議を唱えた(98)」。S11に関する解説は、その交渉の舞台となったカジノの様子についてこう述べていた。「内側には、産業の指導者たち、ホワイト・カラーの企業エリートたち、全地球からやって来た高位の役職者たちがいる。外側には、抗議者たち、周辺化された者たち、『下層民たち』がいる(99)」。

あらゆる個々の抵抗を構成する階級的な要素が何であろうとも、これらの結集は、社会経済的な立場にはっきりと基礎づけられた、アイデンティティ・ポリティクスの形態を前提にしている。世界の中心には経済エリートたちが存在している。これに対して、上記の対決を維持し、参加者の間に必要な結びつきを築くレトリックが存在する。時にその結びつきは、地球の運命・男性による女性への暴力・人種集団や民族集団の差別に対する関心から、ラディカルな運動へ促された人たちの間にも築かれる。闘争の境界線は、世界を支配するお金持ち対支配しない貧乏人という観点からはっきりと引かれる。

戦前の労働運動とより最近の新しい社会運動は、言葉の力を利用したアイデンティティ・ポリティクスを効果的なかたちで表現し、その要求を提示して従属集団のニーズを明らかにした。対照的に20世紀後半の主流の労働運動は、最初は階級アイデンティティを強調していたものの、それがどんどん機

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会均等の政治に取って代わられたために、大きな成功を収めることができなかった。現在では反企業の社会運動は、新しい言葉の枠組みを創出し、(社会経済的な)不平等を抑圧として表明している。この新しい運動による階級的な言語の再発見は、西側の労働党や社会民主党の政治家の側が、そのようなレトリックから退却したことに対する怒りの反応の一部である。こうした今まで夢にも見たことのない類の意識は、社会経済的な格差がどんどん大きくなる時代に登場し、世界の被搾取者たちのアイデンティティ・ポリティクスの出現を示している。サンディカリズムからシアトルまでの道のりにおいて、私たちは階級アイデンティティ・ポリティクスの高揚、後退、復活を目撃してきた。アイデンティティ・ポリティクスの一形態として階級が戻ってきたことは、労働者階級の再結集の潜在性を暗示している。ただしそれは、労働運動が反企業運動に対するあいまいな態度を克服し、自らの階級的なレトリックを採用するという条件つきではある。なぜなら格差の政治は、恵まれない人たちを結集させるのに、機会均等の政治よりも大きな力を持っているからである。そのような手段を用いれば、労働者の前進は立ち止まるのではなく、スピードを速めるであろう。

ウミガメとチームスターズはついに団結した。僕らはシアトルで行進した。僕らは自分の階級の

ために行進した。警官と催涙ガスじゃ、僕たちを黙らすことはでき

なかった。僕たちは何かを始めた、どこかでまた君と会うこ

とができるだろう(100)。■

《注》(45) Williams, Politics and Letters: Interviews with the

New Left Review (London, 1981), 377-8.(46) Williams, Culture and Society, 317.(47) Macintyre, A Proletarian Science, 239. (48) Williams, Politics and Letters, 73-4.(49) Raymond Williams, The Long Revolution

(Harmondsworth, 1975 [f irst published 1961]), 349.

(50) Williams, The Long Revolution, 352-53.(51) Williams, The Long Revolution, 361.(52) Williams, "Class, Politics, and Socialism,"

164-5.(53) Williams, "Class, Politics, and Socialism," 171.(54) Williams, Politics and Letters, 373.(55) Raymond Williams, "Britain in the Sixties,"

Towards 2000 (London, 1983), 32.(56) Touraine, The Voice and the Eye, esp. 13.(57) Frederic Jameson, Postmodernism or the Cultural

Logic of Late Capitalism (London,1991), 54, 417-I8.

(58) Chris Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle," San Francisco, January 19, 2000, Version 1.4, from <[email protected]>.

(59) Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle."(60) W i l l i a m K . T a b b , "A f t e r S e a t t l e :

Understanding the Politics of Globalization," Monthly Review 51, 10 (March 2000), 2.

(61) Kevin Danaher and Roger Burbach, Globalize

T h i s! T h e Ba t t l e Aga in s t t h e Wor ld Tra d e

Organization and Corporate Rule (Monroe, 2000), 8.

(62) Jeff St Clair, "Seattle Diary: It's a Gas, Gas, Gas," New Left Review 238 (1999), 82, 85-6.

(63) See David McNally, Another World is Possible:

Globalization and Anti-Capitalism (Winnipeg, 2002), 13-14; Emma Bircham and John Charlton ed., Anticapitalism: A Guide to the

Movement (Sydney, 2001), 340-341. 2001 年 7月までには、ジェノバの 20 万人のデモ参加者は、シアトルに集まった数の二倍に達した。2002 年 3月 16 日のバルセロナには、30 万人が集結と報道され、主催者側は 50 万人と発表した。

(64) Farrago 79, V」(2000), 21.(65) Kurt Iveson and Sean Scalmer, "Contesting

the `Inevitable': Notes on S11," Overland 161 (2000), 12.

(66) Starr, Naming the Enemy, 80, 167.(67) Jackie Smith, "Globalizing Resistance: The

Battle of Seattle and the Future of Social Movements," Mobilization 6, 1 (Spring 2001), 1-1910.

(68) John Charlton, "Talking Seattle," International Socialism 86 (Spring 2000), 4-10.

(69) Http://seattle.indymedia.org.

Page 8: シアトルとS11:アイデンティティ・ポリティ 立った民衆は、表 … · 階級、とりわけ労働者階級という考え方は、合衆 国の文化のなかで広く理解されたり、受け入れられ

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(70) St Clair, "Seattle Diary," 86.(71) Charlton, "Talking Seattle," 15-16.(72) Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle."(73) S11 Alliance, "From Seattle to Melbourne:

Stand Up for Global Justice. Why Protest?" Leaflet, 2pp., (Melbourne, 2000), 1.

(74) S11 Alliance, "Stand Up for Global Justice and the Environment," Poster (2000), quoted in Grenfell, The State and Protest, 241.

(75) S11 A l l iance, "Why Protest The World Economic Forum," Leaflet 2pp.,(Melbourne, 2000), 1-2.

(76) S11 Alliance, "From Seattle to Melbourne."(77) Gaby Bila-Gunther, "Tram ride from S11,"

Overland 162 (Autumn 2001), 85.(78) S11 Alliance, "From Seattle to Melbourne," 2.(79) Quoted in Weekend Australian July 8-9, 2000,

64-5.(80) Robin Hahnel, "Going to Greet the WTO

in Seattle," (http://www.zmag.org/ Crises CurEvts/Globalism/hahwto.htm).

(81) Charlton, "Talking Seattle," 6.(82) Jeff Sparrow, "The Victory at SI1," Overland

161 (Summer 2000), 20.(83) Tracey Mier, "The Impact of the Ant i-

Corporate Globalisation Movement S11," B.P.P.M. Hons thesis, Polit ical Science Department, University of Melbourne (2001), 36.

(84) Susan George, "Fixing or Nixing the WTO," Le Monde diplomatique (January 2000) [http://www.monde-diplomatique.fr/en/2000/0l/07george.]

(85) "A V ictor ious Weekend for t he Ant i -G loba l i z a t i on Movement i n M i l l au , France,"(ht tp://f rance.indymedia.org); Guardian Weekly July13-19, 2000, 27.

(86) Susan George, "Trading Places," Socialist

Review 233 (September 1999), l8.(87) L. R. Maglen, "Australians working in a global

economy," Working Paper 39, Centre for the Economics of Education and Training (Melbourne, 2001).

(88) Doug Henwood, "Talking About Work" in Rising From the Ashes? Labor in the Age of "Global"

Capitalism, ed. Ellen Meiksins Wood, Peter Meiksins, and Michael Yates (New York, 1998), 22; Zweig, The Working Class Majority; Conley ed., Wealth and Poverty in America;

Borland et al, ed. Work Rich, Work Poor:

Inequality and Economic Change in Australia.

(89) Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle."(90) Sta r r, Na ming th e En e m y, 77-78; Smith,

"Globalizing Resistance," 15; George, "Fixing or Nixing the WTO," 53; Iveson and Scalmer, "Contesting the `Inevitable,"' 4, 6-7; Jason Gibson and Alex Kelly "Become the Media," Arena Maga z ine 49 (October -November 2000),10; Trish Stringer, "The Revolution Will Be Televised," Paper presented to the Global isat ion Online Conference, July 13-August 10, 2001, Adelaide Research Centre for Humanities& Social Sciences, http//lorde.arts.adelaide.edu.au/ARCHSS/globalisation/tstringer.asp, 4-5,12; George, "Fixing or Nixing the WTO."

(91) Nick Dyer-Witheford, Cyber-Marx: Cycles and

Circuits of Struggle in High-Technology Capitalism

(Urbana, 1999), 66.(92) For example, St Clair, "Seattle Diary," 83;

Doug Henwood, Left Business Observer (November 30, 1999) (http://www.panix.com/~dhenwood/lbo_about.html); Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle."

(93) For example, Gerard Henderson, "Rebels w ithout a common cause," December 21 ,19 9 9 ( h t t p : // w w w. s m h . c o m . a u /news/9912/07/text/features5.html).

(94) Charlton, "Talking Seattle," 17.(95) Grenfell and Lacey, "Media Violence," 9-10.(96) Grenfell and Lacey, "Media Violence," 10.(97) Sparrow, "The Victory at S11," 20.(98) Carlsson, "Seeing the Elephant in Seattle."(99) Grenfell and Lacey, "Media Violence," 9.(100) Poem by A lber t Vetere Lannon, Laney

College, quoted in Ross Rieder (President of the Pacif ic Northwest Labor History Association), "Urban Work March 2000" (http://www.members.home.net/pnlha)