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Meiji University Title � -�- Author(s) �,Citation �, 101(2): 1-28 URL http://hdl.handle.net/10291/20135 Rights Issue Date 2019-02-15 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

イギリス協同組合思想再訪 -ウィリアム・キングと現 URL DOI...( 121 ) イギリス協同組合思想再訪 1 イギリス協同組合思想再訪 ウィリアム・キングと現代協同組合運動

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  • Meiji University

     

    Titleイギリス協同組合思想再訪 -ウィリアム・キングと現

    代協同組合運動-

    Author(s) 中川,雄一郎

    Citation 明大商學論叢, 101(2): 1-28

    URL http://hdl.handle.net/10291/20135

    Rights

    Issue Date 2019-02-15

    Text version publisher

    Type Departmental Bulletin Paper

    DOI

                               https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

  • 1イギリス協同組合思想再訪( 121 )

    イギリス協同組合思想再訪─ウィリアム・キングと現代協同組合運動─

    The British Co-operative Ideas in the 1820s─1830s Revisited: 

    Dr. William King and The Modern Co-operative Movement

    中 川 雄一郎Yuichiro Nakagawa

    はじめに

    ドイツ協同組合の無形文化遺産登録

     2016 年 11 月 30 日,ユネスコ政府間委員会は,ドイツから申請されていた「人びとの共通の

    利益と価値を形にする協同組合の理念と実践」を無形文化遺産に登録することを承認した。承認

    の理由をユネスコは次のように記している:「人びとの共通の利益と価値を通じてコミュニティ

    づくりを実践してきた組織」としての協同組合は,「雇用の創出や高齢者支援から都市の再活性

    化や再生エネルギー・プロジェクトの構築に到るまで,さまざまな社会的諸問題への創意工夫あ

    ふれる解決策を編み出している」と高く評価され得るものである。

     ドイツでは,2015 年 3 月にユネスコの「無形文化遺産一覧表」に登録する案件の一つとして

    「協同組合の理念と実践」が提案されていたのであるが,この提案もまた協同組合を的確に表現

    していた。すなわち,

     人びとの共通の利益と価値を明確にし,かつ実質化してきた協同組合は,(地域)コミュ

    ニティが直面する諸課題の克服に貢献することを通じて人びとに持続可能な社会的発展を促

    進する協同組合の能力を認識させ,以てより多くのグループや(地域)コミュニティが協同

    組合の概念を人びとのニーズに合わせて適用していくよう促すであろう。

     このようにドイツでのユネスコ一覧表への登録提案にしても,また政府間委員会への登録提案

    にしても「協同組合の概念を巧みに表現している」と,私は高く評価したい。というのは,「(地

    域)コミュニティが直面する諸課題の克服への協同組合の貢献」こそが,「人びとの生活と労働

    の質の向上」に伴って現れ出る「(地域)コミュニティの質の向上」──そして逆もまたそうで

    ある(vice versa)──を実現する協同組合の事業と運動の普遍的な特質・特性(eエ ー ト ス

    thos)である

  • 2 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 122 )

    ことを世界の人びとに教示するからである。それ故,世界の協同組合とそのステイクホルダー

    (利害関係者)は,二つの意味において,これがこの上ない協同組合人への「贈り物」であるこ

    とに感謝しなければならないだろう。

     一つはドイツユネスコ担当者の次の言葉である:「協同組合の理念と実践に関する提案は,ド

    イツにおけるすべての実践家の名においてドイツが準備しましたが,それはまた世界の他の多く

    の国々における実践家を意識しての提案でもありました」。これを要するに,彼は,この無形文

    化遺産登録はドイツの協同組合のみならず,世界の他の国々の協同組合が人びとにもたらすであ

    ろう「利益と価値」もまた「無形文化遺産」なのである,と言っているのである。「協同組合の

    エートス」はまさにそのことを意味するのである。それ故,「協同組合の文化」としての「協同

    組合のエートス」は,「協同組合の事業と運動が世界の人びとの『生活と労働の質的向上』──

    したがってまた,その人びとが拠って立つ『地域コミュニティの質的向上』──に必ずや貢献す

    る」ことをも意味するのである。

     そしてもう一つは,この無形文化遺産登録は「協同組合の歴史を忘れてはならない」との協同

    組合人へのある種の「訴え」であり,かつ「忠告」でもある,ということである。ヘーゲル観念

    論の「精神の三つの基本テーゼ」──精神は「われわれ」であり,「歴史」であり,そして「歴

    史のなかで自己を知る」──に倣なら

    って言えば,ドイツの協同組合人は,おそらく,ある種のヘー

    ゲリアンとして,「協同組合の精神」は「われわれ一人ひとりが協同組合を自己意識化する」た

    めに「協同組合の存在構造(存レイゾン・デートル

    在理由)を徹底的に考究する」(1)ことによってはじめて,われわ4 4 4

    れ4

    は「歴史のなかで自己を知る」のだと世界の協同組合ステイクホルダー(とりわけ組合員や役

    職員など)に訴えているのだろう,と私は理解した。すなわち,

     特定の「われわれ」が協同組合における多数の自立した「われ」──例えば「協同組合の

    個々のステイクホルダー」──であるとすれば,その「われわれである『われ』」としての

    諸個人が(自己意識として)相互に承認し合うことにより協同(活動)を実践するのである

    が,実は,かかる「協同(活動)」の実践は人間にとって極めて困難な営為でもあって,人

    びとは長期に及ぶ歴史を通じてその契機を準備してきたのである。こうした人びとの「努力

    のプロセス」としての「歴史的営為」のなかにこそ「精神」が存在するのだと,「ある種の

    ヘーゲリアン」である彼・彼女たちは,現代協同組合のステイクホルダーの「われわれ」に

    「協同組合の精神」を自覚するよう呼びかけるべく「われ」の前に彼らの努力のプロセスを

    意味する「無形文化遺産」を置いたのである。

     「ドイツ協同組合の理念と実践」の「無形文化遺産登録」が世界の他の多くの協同組合とその

    ステイクホルダーに与えた影響は小さなものではないだろう,と私は思った。何よりもそれは,

    ( 1 ) 城塚 登『ヘーゲル』講談社学術文庫,1997 年,pp. 29─30.なお,(存レイゾン・デートル

    在理由)は筆者が挿入した用語であることを断っておく。

  • 3イギリス協同組合思想再訪( 123 )

    協同組合運動の歴史的軌跡を辿ることの意義をわれわれに教示してくれているからである。私は,

    世界の多くの協同組合が──とりわけ 1980 年代から現在に至るまで一貫して──その事業と運

    動に「シチズンシップと民主主義」を「協同組合の理アイディア

    念とアイデンティティ」のなかに取り込ん

    で「市民の権利と責任」を具現化し,かくして「持続可能な人間的統治(the human gover-

    nance)の事業モデル」を確かなものに高め,組合員と地域コミュニティのニーズに応えようと

    努力してきたプロセスを高く評価したい。それに何よりも,ILO(国際労働機関)が協同組合の

    事業と運動の展開を「倫理的経営」と称賛し,世界の経済と社会に協同組合が及ぼしている影響

    を高く評価したことは,われわれの記憶に新しい(2)。実際のところ,2000 年 9 月に国連総会で

    採択された,「極度の貧困と飢餓の撲滅」や「普遍的な初等教育の達成」など 8 項目に及ぶ「プ

    レミアム開発(発展)目標」(3)(Millennium Development Goals: MDGs)に国際協同組合同盟(In-

    ternational Co-operative Alliance: ICA)のメンバーである世界の協同組合が大いに貢献したこと

    もまた,よく知られている事実である。

     国連はまた,2015 年に開催された第 70 回総会で「われわれの世界を変革する:持続可能な開

    発(発展)のための 2030 アジェンダ」を採択した(4)。2030 年(項目によっては 2020 年あるい

    は 2025 年)までに「貧困の撲滅」,「食料安全保障・持続可能な農業」,それに「健康的な生活の

    確保」など 17 項目に及ぶ「持続可能な開発(発展)目標」(Sustainable Development Goals: 

    ( 2 ) ILO は 2009 年に「危機の時期における協同組合ビジネスモデルの強さ」と題した報告書を刊行し,「どうして協同組合が経済危機においても安定性を保つことができたのかを示し,またあの金融危機に対応し,将来の危機を避けるための方策として ILO が協同組合を振興する方法を示唆している」と,高く評価した。

    ( 3 ) 2015 年(項目によっては 2020 年)までに達成すべき MDGs の 8 項目は次のものである:①極度の貧困と飢餓の撲滅 ②普遍的な初等教育の達成 ③ジェンダー平等の推進と女性の地位向上 ④乳幼児死亡率の削減 ⑤妊産婦の健康の改善 ⑥ HIV/エイズ,マラリアおよびその他の疾病の蔓延防止 ⑦環境の持続可能性の確保 ⑧開発(発展)のためのグローバル・パートナーシップの推進〈JICA による〉。

    ( 4 ) SDGs の 17 項目は次のものである:①あらゆる場所のあらゆる形態の貧困を終わらせる ②飢餓を終わらせ,食料安全保障および栄養改善を実現し,持続可能な農業を促進する ③すべての人びとの健康な生活を保障し,福祉を促進する ④すべての人に(社会)包摂的かつ公正な質の高い教育を保障し,生涯教育の機会を促進する ⑤ジェンダー平等を達成し,すべての女性および女児の能力を高める ⑥すべての人びとの水と衛生の利用可能性と持続可能な管理を確保する ⑦すべての人びとの安価かつ信頼できる持続可能な現代のエネルギーへのアクセスを確保する ⑧(社会)包摂的かつ持続可能な経済成長およびすべての人びとの完全かつ生産的な雇用と働き甲斐のある人間らしい雇用(ディーセント・ワーク)を促進する ⑨復元力(回復力)に富む(resilient)インフラストラクチャー(基幹施設)の構築,(社会)包摂的かつ持続可能な産業化の促進およびイノベーションの推進 ⑩各国内および各国間の不平等を是正する ⑪(社会)包摂的で安全でかつ復元力(回復力)に富む持続可能な都市および人間的な住居を実現する ⑫持続可能な生産・消費の形態を確保する ⑬(2020 年までに)気候変動およびその影響を軽減するための緊急対策を講じる ⑭(2025 年までに)持続可能な開発(発展)のための海洋と海洋資源を保全しかつ持続可能な形で利用する ⑮(2020 年までに)陸域生態系の保護,回復,持続可能な利用の推進,持続可能な森林の経営,砂漠化への対処,それに土地の劣化の阻止および回復,そして生物多様性の損失を阻止する ⑯持続可能な開発(発展)のための平和で包摂的な社会を促進し,すべての人びとに司法へのアクセスを提供し,あらゆるレベルにおいて効果的かつ説明責任を伴う(社会)包摂的な制度を構築する ⑰持続可能な開発(発展)のための実施手段を強化し,グローバル・パートナーシップを活性化する。

  • 4 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 124 )

    SDGs)を決議した。これら 17 項目には並々ならぬ決意が込められている,と私には思える。な

    ぜなら,この「2030 アジェンダ」はその冒頭で「われわれは,だれ一人取り残さない」と宣言

    しているからである。そしておそらく世界の協同組合とそのステイクホルダーは,この「2030

    アジェンダ」に十全に応えるべく行為・行動・活動を展開するだろう,と私は確信している。な

    ぜなら,協同組合の事業と運動は「シチズンシップを普遍化し,したがってまた民主主義を普遍

    化し,そしてコミュニケーション・コミュニティを普遍化する」からである。かくして今では,

    私にとって「協同組合による三つの普遍化」は協同組合研究の新たな視点となり,かつ新たなテ

    ーマとなったのである。

     そこで私は,協同組合によるこの「三つの普遍化」の本源を探り出すために,「近代協同組合

    の創始」である「ロッチデール公正先駆者組合」の創設に重要な役割を果たすことになる 1820

    年代から 30 年代にわたって展開されたイギリス協同組合思想(=協同思想;いずれの英語表記

    も co-operative idea である)の再訪を試みることにした。「再訪」としたのは,かつて私は「イ

    ギリス協同組合思想研究の旅」を試みたからである。その旅の成果が『イギリス協同組合思想研

    究』(日本経済評論社,1984 年)であった。それから 35 年を経た今,再び私は,あの「イギリ

    ス協同組合思想の旅」を下敷きに,新たな視点あるいはテーマとしての「三つの普遍化」を,オ

    ウエン主義者(Oオ ウ エ ナ イ ト

    wenite)のウィリアム・キングの協同組合思想のなかに探り出してみることに

    する。そのキングは,ロバート・オウエンの協同思想の影響を受けて,イギリスにおける初期協

    同組合運動と──ロッチデール公正先駆者組合に代表される──近代協同組合運動とを結びつけ

    る,いわゆる「架橋的役割」を担った,協同組合運動史上重要な人物の一人なのである。

    協同組合における「三つの普遍化」

     その前に,ICA を中心にグローバルに展開されている現代協同組合運動の課題あるいは問題

    について簡潔に触れておく。というのは,1820 年代から 30 年代にかけて展開されたイギリス協

    同組合運動の「理念とアイデンティティ」とグローバルな現代協同組合運動の「理念とアイデン

    ティティ」の相関関係がわれわれの視野に入り易くするための橋渡しを設定しておく必要がある

    からである。

     第二次世界大戦後に,とりわけ 1960 年代から現在までに ICA のイニシアティヴの基で遂行さ

    れた「協同組合ガバナンス」に関わる「課題」を簡潔に振り返ると,次のようである。

     1960 年代の「モウリッツ・ボノウ報告:変化する世界における協同組合」(1960 年)と

    「協同組合原則の改正」(5)(1966 年),1980 年代の「レイドロー報告:西暦 2000 年における

    ( 5 ) 「1966 年原則」は次の「6 原則」である:(1)自由加入制(2)民主的管理(3)出資に対する利子制限(4)剰余金分配の基準(5)協同組合教育の重視(6)協同組合間の協同(この原則は,改定前の

    「1937 年原則」から「政治的,宗教的中立」および「現金取り引き」を廃し,「協同組合間の協同」を

  • 5イギリス協同組合思想再訪( 125 )

    協同組合」(1980 年)と「マルコス報告:協同組合と基本的価値」(1988 年),1990 年代の

    「ベーク報告:変化する世界における協同組合の価値」(1992 年)と 1995 年の「協同組合ア

    イデンティティに関する ICA 声明」(6),そして更には新たな世紀の 2008 年 9 月に起こり,

    長期にわたって世界を席巻した金融・経済危機=リーマンショック後の「世界的レベルでの

    経済的,社会的,政治的な混乱」を受けて 2012 年 10 月に開催された ICA 総会において承

    認された「協同組合の 10 年にむけたブループリント」である。

     私は,これらの「課題」についてしばしば論及してきたが(7),その度に想い起してはそれらの

    「課題」に問いかけた言葉を思い出す。それは,すぐ前で触れたヘーゲルの「精神の三つの基本

    テーゼ」であり,とりわけ第三テーゼの「歴史のなかで自己を知る」である。なぜ「精神の三つ

    の基本テーゼ」であり,また「第三テーゼ」なのか。それは,協同組合の事業と運動は単なる

    「私的存在」の「投資家所有企業モデル」としての事業体では決してないこと,さらには地域コ

    ミュニティで生活し労働する人びとが相互に協力し協同して自らの生活と労働を改善し,したが

    ってまた地域コミュニティにおける市民的諸関係をより豊かにしていく「市民の公共」──ハン

    ナ・アーレントの言う「われわれすべてに共通する世界」──という意味での「公共的存在」と

    して創り出され,かつ発展してきた事業体であり,運動体であることを認識するためである(8)。

    加えたものである。)( 6 ) 1995 年に決定された協同組合原則は次の 7 原則である:(1)自発的で開かれた組合員制(2)組合員

    による民主的管理(3)組合員の経済的参加(4)自治と自立(5)教育,研修および広報(6)協同組合間の協同(7)地域社会への関与。

    ( 7 ) これらについては以下の編著・拙著並びに拙論を参照されたい。編著:中川雄一郎・杉本貴志編著(全労済協会監修)『協同組合を学ぶ』(日本経済評論社,2012 年)第 2・6 章,中川・杉本編著(全労済協会監修)『協同組合 未来への選択』(日本経済評論社,2014 年)終章,中川・JC 総研編『協同組合は「未来の創造者」になれるか』(家の光協会,2014 年)序章・第 1 章。

      拙著:『協同組合のコモン・センス』(日本経済評論社,2018 年)第 2・5 章。  拙論:「協同のアプローチ」協同組合経営研究誌『にじ』No.626(2009 年夏号),「シチズンシップのリ

    ヴェンジ:新自由主義政策は何をもたらしたか」『にじ』No.627(2009 年秋号),「レイドロー報告の想像力:協同組合運動の持続可能性を求めて」『にじ』No.629(2010 年春号),「国際協同組合運動の哲学:グローバリゼーションとシチズンシップ」『にじ』No.635(2011 年秋号),「ブループリント・アプローチの『協同組合の理論』:シチズンシップの視点から考える(前編)」協同組合研究誌『にじ』No.648(2014 年冬号)・「同(後編)」『にじ』No.649(2015 年春号),

      「持続可能なイニシアティヴ:協同組合アイデンティティと職員の役割」『にじ』No.654(2016 年夏号)。「協同組合アイデンティティと職員の役割:コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合」(堀越芳昭・日本協同組合連携機構編『新時代の協同組合職員:地位と役割』全国共同出版)第 5 章,2018年。

    ( 8 ) 私の言う「市民の公共」は,ある意味で,山脇直司氏の「公共哲学」に近いかもしれない。山脇氏はこう論じている。「民や人々の『単なる共同』ではなく,政府や国と積極的に相互作用する行為主体として『民(人々)の公共』をとらえるという点,またそれに,営利経済,私有財産,プライベート空間などの『私的領域』の次元も加え,公・公共・私の三つを相関的に考えるという点で,公共哲学はよりより包括的な社会哲学としても自らを定位します。その際に最も重要視されるのは「民や人々の公共」ですが,そこでいう民や人々とは,地球市民というレベルから,国民,地域住民,その他さまざまな組織の一員というレベルまで,多層的にとらえられなければなりません」(山脇直司『公共哲学とは何か』ちくま新書,2005 年,p. 36)。

  • 6 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 126 )

     そこで私は,そういう事業体であり運動体でもある「協同組合の公共性」を次のように論じて

    もきた(9)。

     人はお互いに協力し協同することなしに生活を営むことができない──このことは誰もが

    理解していることです。実際,私たちは,孤立や対立ではなく,お互いに協力し協同するこ

    とによってはじめて安定した生活を営むことができるのです。言い換えれば,私たちはお互

    いに協力し協同することによって日々生活を営んでいるのだという「人間の本来的な関係」

    を自覚し,したがってまた,そのような関係それ自体が私たちの社会の枠組みを形成してい

    ることを認識するのです。その点で,協同組合は,私たちが日々の生活のなかでお互いに協

    力し協同するさまざまな機会を提供することによって,教育や保健・医療など福祉を享受す

    る権利,生態系・環境を保護するための規制,それに文化的資源を活かしていく条件や物質

    的資源を公正に配分する条件といった「社会的枠組み」を維持し,またシチズンシップのコ

    アである「自治・権利・責任・参加」を基礎とするヒューマン・ガバナンス(人間的な統

    治)を創り出す「新しい社会秩システム

    序」を形成するのに役立つ諸条件を再生産する,という社会

    的役割を果たしているのです。協同組合によるこのような社会的役割の実践的プロセスを私

    たちは「協同組合運動」と呼んでいます。

     また私は,「協同組合の公共性」を,自立しかつ自律した市民である人びとが地域コミュニテ

    ィにおいて相互に協力し協同することによって「生活と労働の質」を向上させ,それを維持する

    努力のプロセス4 4 4 4 4 4 4

    である,と簡潔に示唆しておいた。実際のところ,現代協同組合運動の公共性の

    実体を問われたならば,上記の論旨を説明することで理解してもらえるであろうし,またすぐ前

    の「簡潔な示唆」であっても,先に紹介されたドイツ協同組合の「無形文化遺産登録」の論旨と

    伴とも

    にそれを説明することで,ある程度の理解は得られるであろう。事実,協同組合ステイクホル

    ダーによる「人間的な統治」を基礎とする協同組合にあっては,「民主主義,参加そして結集」

    (democracy, participation and mobilization)が協同組合の基盤を形成し,その基盤の上に事

    業と運動が展開されているのである。組合員の加入・脱退の自由が尊重される協同組合の事業と

    運動は,彼・彼女たちの「自治」(autonomy)がその基底を支えているのであって,それを尊

    重するガバナンスが「参加型民主主義」を必然化させるのである。ところが,協同組合の事業と

    運動の骨格を支える「参加型民主主義」が時として弱体化し,そのことが「協同組合の歴史」に

    刻まれることがある。例えば,先に見た M. ボノウが 1960 年に提起した「構造改革路線」がそ

    うである。この路線はヨーロッパ諸国の協同組合に「競争相手より一歩先んじることができるよ

    う協同組合構造の根本的改革」を求めたのであるが,しかし,これが結局,協同組合の事業にお

    ける「民主的基盤の活力を全面的に維持するのを困難にしてしまった」のである。1992 年の

    ( 9 ) 中川・杉本編著,『協同組合を学ぶ』,p. 174.

  • 7イギリス協同組合思想再訪( 127 )

    「ベーク報告」はこう記している(10)。

     資源の集中化,運営単位の拡大と統合の強化,専門的活動および連合する権限の中央集中

    化,それに多数のプロフェッショナル・マネジャーの育成といった具体的な構造改革は,結

    果的に,協同組合の基礎である組合員のさまざまな部門への参加を排除してしまった。この

    傾向は,1970 年代末から 80 年代にかけて強まり,経済的効率のための資源の集中化が強ま

    っていくにつれて,「民主主義の弱体化」が構造的な傾向となり,やがて恒常化していった

    のである。

     M. ボノウによる構造改革路線によって生起した「民主主義の構造的弱体化」の進行が「民主

    主義・参加・結集」の効果的な適用を困難にしてしまったのだと分析したベーク報告は,そこで,

    民主主義の構造的弱体化を矯正する方法を提起する。「参加型民主主義の再活性化」がそれであ

    る。そして彼は,その戦略的な骨子として,①「経済民主主義を目指す協同組合の方法」が未来

    の世代の目にもはっきり見えるようにする(民主的経営・運営の可視化),②組合員,職員,経

    営執行部の三者は共に,参加型民主主義の理念を活性化させる(参加型民主主義の実質化),③

    発展途上諸国の協同組合も,市場経済に基礎を置いている先進諸国の協同組合も,協同組合組織

    の再生・復活のために参加型民主主義を多様な形で取り入れることを強調した(参加型民主主義

    の多様性と活性化)。

     ベーク報告の鋭さは,「参加と民主主義と結集」の価値を等値させることで,組合員と職員そ

    して経営執行部の「協同(共同)活動」を実体化させるよう優先させたことである。ベーク報告

    はこう説明している:結集について言えば,それは,既存の組合員と潜在的な(未来の─中川)

    組合員とが協同組合の発展に関わるようになり,その結果,彼・彼女らの個人的な資力・資源と

    参加の意志を,自分たち自身の生活に資する利益(benefits)と健全な社会の向上を目指す協同

    (共同)活動へと変えていくプロセスなのである。ベーク報告は協同組合の事業と運動への組合

    員の参加と活動(行為)の特質・特性が那な

    辺へん

    にあるのか,明確に捉えていると言うべきである。

    ベーク報告のこのような意識が「職員の参加」=「職員民主主義」の課題を協同組合のステイク

    ホルダーに訴える力を生み出したのである。

     こうしてベーク報告は,確かに協同組合の事業と運動に「参加・民主主義・結集」を具現化さ

    せていく筋道を描いてはくれた。だが,それから先に進む道筋を彼の報告は明示しなかった。そ

    うしなかった主たる理由は,協同組合にあっては「組合員民主主義が第一」,すなわち,Mem-

    bership First が優先事項であるからだ,と私には思える。とはいえ,周知のように,イギリス

    初期協同組合運動にあっては基本的にすべからく組合員=職員であったし,「組合長・仕入れ

    係・供給係・会計係・出納係」などはベテラン組合員が交代で担当していたし,ロッチデール公

    (10) 中川雄一郎「持続可能なイニシアティヴ:協同組合アイデンティティと職員の役割」協同組合研究誌『にじ』No.654(2016 年夏号),p. 13.

  • 8 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 128 )

    正先駆者組合にあっても同様に当初は組合員が組合長(理事長)はもちろん,職員としての役職

    を担っていた。組合員と職員が明確に分離するようになるのは,1852 年に「産業および節約組

    合法」(the Industrial and Provident Societies’ Act)が成立した以後のことなのである。とはいえ,

    現代の協同組合においては,理事長や他の理事の多くは組合員から選出されているし,しかも,

    いかなる協同組合でも「職員は組合員の利益(benefits)に奉仕する」ことが謳われている。

    「組合員が協同組合事業体の所有者」であり,また「組合員と地域コミュニティのニーズを満た

    す」ことが協同組合の目的であるのだから,当然である。現代協同組合は理念的にも法律的にも

    そうなのである。

     実は,この事実がわれわれに教示していることは,協同組合は「『共同(協同)』と『個の自

    立』との統一」である,ということなのである。すなわち,

    われわれがその「生活と労働」において「『共同(協同)』と『個の自立』が統一されてい

    る」ことを確信するのは,他者を介してなのであるから──他者を意識する意識ではなく

    ──自己を意識する意識,すなわち,私は私一人で生きているのではなく,他者との関係の

    なかで生きているのだと意識する意識=自己意識によってである,ということである。こう

    して,自立した個々人は社会で生きる自覚を明確に意識するのである。

    現代市民社会4 4 4 4 4 4

    において市民として求められる「自立した個人の自己意識」が協同組合ステイクホ

    ルダーとしての組合員と職員にも同じように求められることは,言うまでもない。なぜなら,協

    同組合は,一方ではその事業と運動を通して市民である組合員と職員の間に「人間の尊厳」を相

    互に承認し合う「協同組合の新たな形フォーム

    式と秩システム

    序」を創り出すことによって,他方では,その「形

    式と秩序」に基づいて,組合員と職員が相互に「自分自身の生活と労働について判断を下す能

    力」を承認し合うことによって「すべての組合員と職員の尊厳を承認する」プロセスを確かなも

    のにするからである。こうして「自治・権利・責任・参加」をコアとするシチズンシップが協同

    と公正(正義)・平等に基礎を置く協同組合の事業と運動の新たな形式と秩システム

    序を組み立てる諸契

    機が導き出されるだろう(11),と私は予期するのである。ベーク報告が協同組合ステイクホルダ

    ーに伝達しようとした「職員民主主義の本意」はこの点にあるのだと,私は思っている。

     とはいえ,これだけでは十分ではないだろう。組合員民主主義と職員民主主義に基づいて組合

    員と職員の双方がお互いに協力し協同するためには,「協同組合の理念とアイデンティティ」を

    自己意識化するための「協同組合の三つの普遍化」が可能か否かに左右されるからである。そこ

    で私は,この「三つの普遍化」,すなわち,「シチズンシップの普遍化」,「民主主義の普遍化」,

    それに「コミュニケーション・コミュニティの普遍化」に言及する。

    (11) 拙論「協同組合アイデンティティと職員の役割:コミュニケーション・コミュニティとしての協同組合」堀越芳昭・日本協同組合連携機構編『新時代の協同組合職員:地位と役割』全国共同出版,第 5 章,p. 111.

  • 9イギリス協同組合思想再訪( 129 )

    シチズンシップの普遍化

     シチズンシップ(citizenship)は「市民権や公民権」あるいは「公民の資格」などと訳されて

    いるが,私としては,シチズンシップは理アイディア

    念を要する言葉であることから,むしろ「市民である

    こと」あるいは「市民の地ステイタス

    位」と訳した方が適切ではないか,と思っている。いずれにしても,

    ここで必要なことは,‘シチズンシップ’が「市民の権利と責任」に関わる理念を表現する言葉

    である,と理解しておくことである。

     そこでまず,市民であるわれわれが認識しておくべきことは,シチズンシップが最も重要な社

    会的,政治的な理念の一つである,ということである。「個人にはさまざまな権利を享有する資

    格があることを承認する理アイディア

    念であり,また個人には安定した統ガバナンス

    治を支える共同の責任があること

    を承認する理念である」こと,したがってまた「個人の権利と共同の責任」を基礎としているこ

    と,これらのことが先ずは確認されなければならない。

     ところで,シチズンシップには二つの性向がある。一つは「自由主義者がシチズンシップを尊

    重する理由である」。それは,シチズンシップによって自由主義者たちに与えられる諸権利が他

    者から干渉されることなく,個人一人ひとりに自らの利益を追求する余地を与えるからである。

    もう一つは,権利はその政治形態に基づいて共通の政治制度を形成することに個々の人たちが関

    与できるようにすることから,「個々の人たちは生活を営むのにお互いに協力し協同することが

    どうしても必要であるという人間の本来的な関係を表現する理念としてシチズンシップを訴えか

    ける」からである(12)。要するに,シチズンシップには「個人主義的な要素と共同(協同)的な

    要素の双方」と「民主主義の潜在能力」とが包み込まれているのである。シチズンシップの理念

    に,程度の差はあれ,保守主義者も,コミュニタリアンも,エコロジストやフェミニストも,そ

    れに社会主義者も賛意を示すのは,彼らが,一方でシチズンシップにはそのような要素や能力が

    包み込まれていることを認識しているからであり,また「貧困や差別などの社会的排除」がシチ

    ズンシップの利点を喪失させてしまうこともまた認識しているからである。その意味で,彼らは

    また「シチズンシップは本来的に平等主義的である」ことを是認するのである。「市民であるこ

    と」あるいは「市民のステイタス」はシチズンシップのこのような「要素」や「能力」を理解し,

    認識し,そして自己意識化していかなければならないのである。われわれにとって「市民である

    ことの意識」は,実は,このように極めて重要かつ高尚な意識であり,同時に一般化される意識

    でもあるのだ。

     すぐ前で私は,「シチズンシップは本来的に平等主義的である」と指摘しておいた。例えば,

    奴隷制度反対運動,女性参政権獲得運動,それにアメリカの公民権獲得運動などに見られるよう

    に,自由主義的形態においてもシチズンシップは「不平等な処遇は人びとの尊厳を支える基本的

    権利の侵害である」と主張する少数者の訴えに大きなウエイトを置いてきたのであるから,シチ

    (12) Keith Faulks, Citizenship, Routledge, 2000, p. 1.(中川雄一郎訳『シチズンシップ』日本経済評論社,2011 年,p. 1.)

  • 10 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 130 )

    ズンシップは「その利益や利点が必然的にますます普遍的で平等主義的になるよう要求する内在

    的な論理を内包している」のである(13)。

     現代シチズンシップのこのような本性は「個人は一人ひとり人種・民族,宗教,階級,ジェン

    ダー,あるいは他の独自のアイデンティティによってあらかじめ決定されることなく,自分自身

    の生活について判断を下す能力のあることを承認する」のであり,したがって,「他のどんなア

    イデンティティよりも人間の基本的な政治的欲求を充足させることができる」のである(14)。ヘ

    ーゲルはこれを「承認の必要性」と呼んだ。こうしてわれわれは,シチズンシップの本質的に民

    主主義的な本性としての「社会包摂的意識」を認識するのである。

     シチズンシップに基づくわれわれの社会包摂的意識は,個人一人ひとりが「コミュニティ(あ

    るいは社会)に貢献することを承認する」と同時に,市民である人びとの「個人の自治(自治

    権)」を承認するのであって,またその自治(自治権)が「権利を行使する人たちによる政治的

    行動の承認」を意味する一連の諸権利に反映されるのである。こうしたシチズンシップの特徴を,

    「上意下達の承認受諾関係」を拒否する「参加の倫理」,とわれわれは呼んでいるのである。シチ

    ズンシップが「能動的なステイタス」とみなされる所ゆ え ん

    以でもあるのだ。その意味でも,シチズン

    シップは他者に対する責任や義務的拘束から個人(自分)を放免する一連の権利では決してない4 4 4 4 4

    ことを市民であるわれわれは自覚しなければならない(15)。われわれが「自治・権利・責任・参

    加」をシチズンシップのコアだと提唱する所ゆ え ん

    以である。

     権利はまた常にその承認と仕メ カ ニ ズ ム

    組みと手順の枠組みを必要とする。なぜなら,その枠組みを通じ

    て権利が行使され,実現されるからである。したがって,市民のすべてが,学校,病院,議会,

    裁判所などさまざまな社会的な枠組みを維持する役割を果たすよう求められるのは,「シチズン

    シップには権利だけでなく,義務や責任も伴っている」ことを市民に意識してもらうためである。

    確かに,民主主義に基礎を置く国家・社会にあっては,教育や保健・医療などいくつかの市民の

    社会的諸権利について,市民が公式に自己表現しなくとも,それらの権利が公正に行使されるこ

    とはわれわれが日頃経験しているところである。しかしながら,もしコミュニティの構メ ン バ ー

    成員であ

    る個人一人ひとりが「義務や責任の意識」を持たなのであれば,われわれは安定した人間的なコ

    ミュニティを想像することができないだろう。そうであるが故に,シチズンシップはヒューマ

    ン・ガバナンス(人間的な統治)のための優れた基礎となり得るのである(16)。

     かくして私は次のことを述べて,協同組合における「シチズンシップの普遍化」が支える「協

    同組合の理念とアイデンティティ」の自己意識化への意味を示しておくことにする。

     一般に,社会的ガバナンスは「社会的秩序を創り出し,それを維持し,また物質的資源を

    (13) Ibid., p. 3.(同上,p. 4.)(14) Ibid., pp. 3─4.(同上,pp. 4─5.)(15) Ibid., p. 4.(同上,pp. 5─6.)(16) Ibid., p. 5.(同上,pp. 6─7.)

  • 11イギリス協同組合思想再訪( 131 )

    配分し,文化的資源を活かしていく」という人間本来の要求に関わる。このことは,シチズ

    ンシップが一方で「個人一人ひとりを平等に処遇せよ」と要求することにより,社会秩序を

    脅かす可能性のある社会的な緊張関係の原因を打ち消し,他方で「権利と責任を包括する」

    一連の政策を通じて,社会生活の利益と負担を共有するための諸資源を公正に配分し,有効

    に管理・運営する方法を提示することを意味するのである(17)。

    民主主義の普遍化

     「現代シチズンシップは民主主義の潜在能力をその内に包み持っている」といわれる。それは,

    既に述べたように,現代シチズンシップが「本来的に平等主義的である」からだ。その理由を

    B. ターナーは「弾みの概念」としてこう述べている(18)。

     シチズンシップの近・現代史は,対立と闘争の弾みによって推し進められる一連の拡大す

    る 環サークル

    として理解される。……シチズンシップの運動は特定の運動から普遍的な運動になっ

    ていくのである。というのは,人びとを排除するために,ことさら人びとに制限を加えるこ

    とは,ますます理性を失っていくように思えるし,また現代の政治形態の基礎とますます矛

    盾するように思えるからである。

    「弾みの概念」についてフォークスはこう説明している:市民は社会の正当かつ対等平等なメン

    バーシップ(構成員の資格)を正式に享受する。そうであれば,シチズンシップはメンバーに対

    する恣意的な処遇を許さないであろうし,市民は客観的で平明な基準に即して判断されなければ

    ならない,と(19)。そしてフォークスはさらに,それを「参加の倫理」と結びつけて次のように

    主張する(20)。

    要するに,支配の根源が国家であろうと,家族,夫であろうと,教会,民族集団であろうと,

    あるいはわれわれを,自治権を有する個人,統治能力のある自律的な個人であると認めよう

    としない,いかなる他の強制力であろうと,シチズンシップは支配と相容れないのである。

    フォークスのこの指摘は重要である。なぜなら,シチズンシップの理念の一つは,「異議申し立

    て」を善よ

    しとするし,また「シチズンシップの議論には権力を注視することが必ず伴う」からで

    ある。実際のところ,シチズンシップのあらゆる権利には「諸資源の配分」が必ず含まれるので,

    (17) Ibid., p. 5.(同上,p. 7)を参照されたい。(18) Ibid., pp. 3─4.(同上,p. 5.)(19) Ibid., p. 4.(同上,p. 5.)(20) Ibid., p. 4.(同上,p. 6.)

  • 12 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 132 )

    人種・民族,ジェンダー,そして貧困などの差別によって,個々の市民が束縛や抑圧を被る可能

    性が常にあることをわれわれは目撃しているのである。このような社会状況に異議を申し立て,

    その状況を変え,改善していくのにシチズンシップの理念が重要な役割を果たすのである。要す

    るに,シチズンシップには,個人一人ひとりが自らの生活において,参加の倫理を基軸とする自

    治の確立,権利の行使,そして責任の履行を通じて,民主主義をより身近な,そしてより人間的

    なものにしていく潜在可能性が大いにあるのだ。シチズンシップと民主主義は密接な関係にある,

    といわれる所以である。

     先に私は,「参加の倫理」は「上意下達の承認受諾関係を拒否する」ことであると述べておい

    たが,フォークスはさらに「権利と責任を結び合わせる鍵」は「参加の倫理」であり,また「参

    加の倫理」は「民主的ガバナンス・システム」によって促進される(21),と強調している。この

    ことは,シチズンシップの特性の一つである「権利と責任の相補性」にわれわれ市民が意識して

    対応し,以てシチズンシップの形骸化を防ぎ,民主的ガバナンス・システムの構築と維持とに責

    任を負うことを意味している。「市民の責任」という意識は「市民の権利」を犠牲にしては決し

    て生まれない。市民は,民主的ガバナンス・システムを構築し,維持していくために,その権利

    を行使する責任を負うのであり,それ故にこそ,健全な政治形態には積極的で活動的な市民が求

    められるのである。フォークスはこう主張する(22)。

     積極的なシチズンシップは積極的な個人を以て始まる。なぜなら,シチズンシップの構造

    的な諸条件は,個々人の諸活動を通じて再生産され,改善されるからである。それ故,政治

    改革は「参加の倫理」を促進することによって市民がその権利を行使し,その責任を履行す

    る機会を活用するよう求めるに違いない。

     アマルティア・センもまた,協同組合の事業と運動に関わる「参加の役割」を「協同のアプロ

    ーチ」として次のように論じている(23)。

     協同のアプローチは「人間的な経済と社会にとっての中心的戦略」であり,人びとの自治

    と自発的参加に基づいて,人びとの市民権(労働の権利,生存権,教育を受ける権利等々)

    と政治的自由を実現していく社会構成的な機能と役割を意味する。協同組合は,民衆のため

    に市場メカニズムを長期的かつ有効に機能させようとするのであれば,民衆にとっての社会

    的平等と社会的正義・公正を創り出していく「グローバルな倫理」の基礎を拡げていくよう

    努力しなければならない。グローバルな倫理はグローバルな経済的,社会的な関係の規範を

    (21) Ibid., p. 106.(同上,p. 157─158.)(22) Ibid., p. 108.(同上,p. 160.)(23) アマルティア・セン(講演)「協同の民主主義とグロバリゼーション:両者の共存は可能か」(イタリ

    ア・レガコープ,ボローニャ。1998 年 10 月)

  • 13イギリス協同組合思想再訪( 133 )

    より強固にし,より確かなものにしていくからである。その意味で,協同組合にとって「参

    加の役割」は,これまで協同組合によって実践されてきた伝統的な役割を超え出たそれでな

    ければならない。それ故,協同のアプローチは,これまで協同組合が担ってきた経済的,社

    会的な機能よりもはるかに広いパースペクティヴ(展望)の基で捉えられなければならない。

     アマルティア・センは,この講演で,協同組合とそのステイクホルダーに,個々の「市民の自

    治と自発的参加」によって市民の権利と政治的自由が行使される「社会構成的な機能と役割」と,

    また一般民衆のために市場メカニズムを長期的かつ有効に機能させる「社会的平等と社会的正

    義・公正」をより確かなものにする「グローバルな倫理の広くかつ厚い役割」とを担うよう期待

    した。彼は,今やグローバルに経済的,社会的な能力を発揮することが可能となった世界の協同

    組合の果たすべき機能と役割を「協同のアプローチ」と名づけたのである。私は,この「協同の

    アプローチ」の基底にはシチズンシップと民主主義が設定されている,と考えている。したがっ

    て,協同組合とそのステイクホルダーにとって重要なことは,キース・フォークスとアマルティ

    ア・センに共通する基本認識,すなわち,「個々人は生活を営むのに協力し協同することが必要

    であるという人間の本来的な関係」と「人間的な経済と社会にとっての中心的戦略である,より

    広い経済─社会的機能のグローバルな協同のアプローチ」をどのように具体化し,実質化するか

    である。

     こうして観てくると,協同組合にとって「市民の権利と責任」は,二元論的対立の関係ではな

    く,相補的,互恵的な関係に基づいて市民同士の結びつきを創り出す関係にあることが分かるで

    あろう。その意味で,「市民の権利と責任」は,二つの方法によって「地域コミュニティ」と

    「広域コミュニティ」の双方を支えることが可能となるであろう。一つは,市民が社会構成員と

    して「民主的なガバナンス・システムのあり様に応じて結びつく,さまざまな個人同士の連帯」

    を構築していくことであり,もう一つは,シチズンシップのコアである「自治・権利・責任・参

    加」の市民による実践的遂行が市民にとっての「教育的プロセス」に連係することである(24)。

     協同組合のガバナンス・システムが本来そうであるように,民主的なガバナンス・システムに

    「権利と責任」が必ず含まれるのは,民主主義には「参加する権利」という理念が必ず伴うから

    である。協同組合民主主義の歴史には,「言論の自由」の権利,「 結アソシエーション

    社 の自由」の権利,それ

    に「異議申し立ての自由」の権利といった意見表明に必要な市民の権利が必ず伴う(25)。その点

    で,近・現代協同組合は,その事業と運動の民主的運営を通して,イギリスからヨーロッパ一円

    に,そしてアメリカや日本などへ時代を経ながら世界中に「市民の権利」を確立していくことに

    貢献してきたのである。これは協同組合民主主義の誇るべき歴史的役割を意味する。まさに協同

    組合は「民主主義を普遍化する」歴史的な役割を実践し,遂行してきたし,現にまた実践し,遂

    行しているのである。

    (24) Op. cit., p. 110.(前掲書,p. 164.)(25) Ibid., p. 111.(同上,p. 164.)

  • 14 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 134 )

     民主主義は「国家行政組織体のメンバーシップ」を従属的身分から市シ チ ズ ン シ ッ プ

    民の身分に変え,個人一

    人ひとりを自セルフ・ガバナンス

    己統治することのできる自治的で自律的な行為者と承認することによって「積極的

    なシチズンシップ」を可能にすると言われるが,このことは,現代の脈絡からすれば,安定した

    ガバナンスのためには民主主義がますます重要になってくることを意味する(26)。なぜなら,「民

    主主義は普遍的な真理を達成しようとするのではない。民主主義は多様な市民同士の間の関係を

    築いていこうと努力することなのである」からだ(27)。要するに,民主主義は市民同士の間の関

    係を築いていこうと「努力するプロセス」なのである。

    コミュニケーション・コミュニティの普遍化

     第 27 回 ICA モスクワ大会(1980 年)で採択されたレイドロー報告(『西暦 2000 年における

    協同組合』)は,協同組合人に「協同組合の社ソーシャル・ミッション

    会的使命」に関わる問題を提起した。その一つが

    「未来における協同組合の事業と運動の出発点」の大前提である,とレイドロー報告が論じた

    「協同組合は『未来の創造者』になるために『未来の歴史を書く』」であった。一風変わった問題

    提起であるが,かつて私は,この問題提起を,協同組合人が「協同組合の理念と目的」,「協同組

    合イデオロギー」,「協同組合のエートス(普遍的な特質・特性)」,そして「協同組合アイデンテ

    ィティ」をいかに自己意識化するか,との提起であると捉えて,その中心的論点は,協同組合ス

    テイクホルダーが自らの「協同組合アイデンティティ」の基底に「協同組合はコミュニケーショ

    ン・コミュニティである」との認識を常置することにある,と述べておいた(28)。

     ところで私はすぐ前で,協同組合は「シチズンシップと民主主義を普遍化する」ことに論及し,

    要するに,協同組合はその事業と運動を通じて「市民の権利と責任」を軸とする「自治・権利・

    責任・参加」の適切な諸条件を再生産し,以て健全な社会的枠組みを支えていく「民主的な社会

    的ガバナンス・システム」の促進に貢献する旨を述べておいた。実は,協同組合のこの貢献は,

    協同組合が市民としての個人一人ひとりを「自己統治することのできる自立・自律した行為者」

    として承認するよう多くの人びとに促していく,一種の社会運動体でもあることを示唆している

    のである。そしてこのことはまた,協同組合がコミュニケーション・コミュニティであることを

    示唆してもいるのである。

     コミュニケーション・コミュニティは,「対話的モデル」に基礎を置くコミュニティであり,

    象徴的モデルやオールタナティヴの単なる規範的ビジョンに基づくモデルではない(29)。その意

    味で,われわれは,協同組合を「社会的行為のダイナミックな展開のただなかで形成される対話

    的プロジェクトの構築」として注視する(30)。

    (26) Ibid., p. 111.(同上,p. 164.)(27) Ibid., p111.(同上,p. 165.)(28) 詳しくは,中川雄一郎・JC 総研編『協同組合は「未来の創造者」になれるか』第一章「協同組合の

    哲学」(家の光協会,2014 年)を参照されたい。(29) 同上,p. 42 を参照されたい。(30) 同上,p. 42 を参照されたい。

  • 15イギリス協同組合思想再訪( 135 )

     「コミュニケーション・コミュニティ」はユルゲン・ハーバーマスが提唱した「抵抗のコミュ

    ニティ」でもあり,真理を追求する大学制度もコミュニケーション・コミュニティである。コミ

    ュニケーションを人間にとって重要な「社会的行為の一形態」と考えるハーバーマスは,社会的

    行為は言語を基礎にしており,また「社会は言語的に形成され,支えられる実体」でもあり,そ

    してコミュニケーションはすべてに向けて開放されているだけでなく,あらゆる社会的行為の基

    礎でもあるのだから,コミュニケーションを決して道具的関係に還元してはならないと主張して,

    「対話的なプロセスは常に閉鎖に抵抗し,したがって,支配に抵抗する」,と強調する(31)。シチ

    ズンシップが「支配と相容れない」ように,コミュニケーションも「支配に抵抗する」のである。

     シチズンシップと民主主義の観点からすると,ハーバーマスの「コミュニケーション・コミュ

    ニティ」は,「参加の倫理」,すなわち,市民である個人を「自治権を有する個人」あるいは「自

    己統治能力のある自律的な個人」として承認しない力(強制・支配)による「上意下達の承認受

    諾関係」を拒否するコミュニティでもある,と私は観ている。これを協同組合に即して言えば,

    コミュニケーション・コミュニティとは,コミュニティとしての協同組合が「人びとがその日々

    の生活においてお互いに協力し協同する多様な機会を創り出す」ことにより,福祉を享受する権

    利の行使,文化的資源の活性化,物質的資源の公正な配分などを規定する「社会の基本的枠組

    み」の維持や改善に貢献することで,「自治・権利・責任・参加」に基礎を置く人ヒ ュ ー マ ン・ガ バ ナ ン ス

    間的な統治の

    諸条件を再生産する社会的役割を果たす,と表現されるだろう。別言すれば,コミュニケーショ

    ン・コミュニティとしての協同組合は「生活世界の対話的な構造がシステムの道具的合理性に抵

    抗するところの,システムと生活世界との抗争の一つの表現」なのである(32)。

     ハーバーマスのコミュニケーション・コミュニティを論究してきた G. デランティは,コミュ

    ニケーション・コミュニティについて次のように述べている(33)。

     もしコミュニティが共有されるものであるならば,それは対話的な形態を取らなければな

    らない。これがハーバーマスの対話的行為理論の意味するところである。それはまた,対話

    的能力の表明に向かわせるものであり,変化を起こす力を持ったコミュニティという発想を

    示唆している。コミュニティは完全なものではなく,常に現れ出るものである。

     私には,デランティのこの指摘は,協同組合は「生活世界におけるコミュニケーション・コミ

    ュニティの実体を擁している」と示唆しているように思える。それ故私は,協同組合におけるコ

    ミュニケーション・コミュニティとは,協同組合の事業と運動を,単に「規範的,道徳的な全体

    性」に還元させるのではなく,コミュニケーションを通して協同組合ステイクホルダーによって

    (31) ジェラード・デランティ著/山之内靖・伊藤茂訳『コミュニティ:グローバル化と社会理論の変容』NTT 出版,2006 年,p. 157.

    (32) 同上,p. 157.(33) 同上,pp. 159─160.

  • 16 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 136 )

    創り出される協力・協同の多様な機会の源泉として構造化させていく努力のプロセスの「公共空

    間」であり,「民主主義の場」である,と強調したい。

    イギリス協同組合思想再訪

    ロバート・オウエンとオウエン主義者(Owenite)

     本論の「はじめに」で私は,「ドイツ協同組合の無形文化遺産登録」の意義について言及し,

    ユネスコが「協同組合の理念と実践」を無形文化遺産として承認したことの理由を記しておいた。

    ユネスコの「承認の理由」も全体として的確であると思うが,同時に私は,ユネスコがその理由

    の一つとして挙げた言葉,すなわち,「人びとの共通の利益と価値を通じてコミュニティづくり

    を実践してきた組織」に大いに感心した。だが,この言葉は,現代4 4

    協同組合運動にのみ当て嵌は

    る言葉ではない,と私は考えている。実は,2016 年 6 月 21 日にユネスコは「ロバート・オウエ

    ンの手紙 1821─1858 年」(Robert Owen’s Letters 1821─1858)もまたイギリス無形文化遺産に登

    録しているのである(34)。

     この「ロバート・オウエンの手紙 1821─1858 年」は,現代にあってもなお「協同組合運動の

    父」と称されているオウエンの生涯(1771─1758 年)の後半に彼が関わった「時代の文脈」をわ

    れわれに教えてくれるだろう,と私は考えている。オウエンが生まれそして生きた時代の大半は,

    イギリスの経済と政治を,したがってまた社会を激しく揺れ動かした「資本と労働の対立」が常

    態化された時代であり,フランスの著述家アルジャンソンが名づけたといわれる「産業革命」(35)

    に相応しく,まさに「疾風怒涛の時代」であった。このような視点から「オウエンの手紙」を観

    るならば,繰り返すが,それは,産業革命が新たな経済─社会的な構造を突き動かして駆け抜け

    た「時代の文脈」をわれわれに語り伝えてくれる「無形文化遺産」に外ならないであろう。イギ

    リス協同組合記録保管担当者はこう記している:「ロバート・オウエンは世界的規模に及ぶ現代

    協同組合運動の基礎となる協同組合の理念を発展させるのに決定的に重要な人物であった。1821

    年から彼が没する 1858 年までのこれらの手紙は,協同組合運動の理念を詳細に論じており,協

    同組合運動の開始を際立たせ,深い印象を人びとに与えている」。

    (34) 「ロバート・オウエンの手紙 1821─858」は,「マグナ・カルタ」(Magna Carta),「ウィンストン・チャーチル記録文書」(Winston Churchill’s Papers),それに「ウィリアム・シェイクスピアの生涯に関する重要資料」(Key Documents on William Shakespeare’s Life)と共にイギリス無形文化遺産に登録された。

    (35) 「産業革命の名付け親」の説はいくつかある。T.S. アシュトン著『産業革命』(The Industrial Revo-lution, 1760─1830)によると,「フランスの著述家アルジャンソン侯によって作り出された」(中川敬一郎訳『産業革命』岩波文庫)であるが,他の書籍によると,フランスの経済学者ジェローム=アドルフ・ブランキである。いずれにしても,「産業革命」の用語が世界に広がったのは 30 歳にして世を去ったイギリスの経済史家(オクスフォード大学)であり,イギリス協同組合のオクスフォード地区委員でもあったアーノルド・トインビー(Arnold Toynbee)の功績であることは,誰もが一致する見解である。ちなみに,オクスフォード大学での A. トインビーの席を埋めたのは,アルフレッド・マーシャル

    (Alfred Marshall)である。そしてマーシャルは協同組合のオクスフォード地区委員をトインビーから引き継いでいる。

  • 17イギリス協同組合思想再訪( 137 )

     ロバート・オウエンがイギリス協同組合運動の発展に大きく貢献し,後に,そして現在も「オ

    ウエン,協同組合運動の父」と呼ばれている要因は──私が「近代協同組合運動の黎明」と称し

    ている──1830 年代前半にマンチェスターやロンドン,それにリヴァプールなどで開催された

    「協同組合 大コングレス

    会」(The Co-operative Congress)をオウエンの名で招集したことによる,と私

    は考えている。それは,産業革命の開始とほぼ同時期の 1760 年に始まり 1820 年代初期に終焉し

    たといわれる──G.D.H. コール(36)が「孤立した実験」と称した──自然発生的かつ地方分散

    的であり,したがって統一的な運動を構成し得なかった,生活防衛型協同組合運動と称される初

    期協同組合運動に取って代わる新たな協同組合運動を展開するための全国ネットワークを構成し

    ようとするものであった。しかもそれは,協同組合運動に一定の方向性を与える「新たな経済─

    社会体制」をオリエンテーリングできるものでなければならなかった。それが「協同コミュニテ

    ィの建設」であった。

     協同コミュニティの建設については,既に 1824 年にロンドン協同組合が設立され(1824─34

    年),またその機関誌である『協同組合雑誌』(The Co-operative Magazine 1826─30)が発行さ

    れて,協同コミュニティ建設についての議論が『協同組合雑誌』でしばしばなされており,オウ

    エン主義者(オウエナイト)も次第にその議論に加わってくるようになり,オウエンも有名なオ

    ウエン主義者のウィリアム・トンプソンもこの『協同組合雑誌』に投稿している。『協同組合雑

    誌』の「趣意書」は次の言葉で締め括られている(37)。

     勤労諸階級(industrial classes)は次第に知性を身につけつつある。そこで彼らは,労

    働が富の承認された親(parent)であるのに,貧困と悲惨がなに故に労働者の運命なのか,

    と自問し始めている。……社会のすべての階級の間には,事物の既存の秩序が不自然であり,

    人為的であり,人間の幸福にとって都合の悪いものである,という確信がますます強まって

    きている。したがって,それから起こる研究の性向は,新しい社会構造が不変の基礎の上に

    うち建てられるまで,また利害対立の現状が「暴力と激変なしに」,結合4 4

    ,平等4 4

    そして普遍4 4

    的同胞愛4 4 4 4

    のそれに変わるまでは,止みはしないであろう。

     この趣意書に見られるように,科学的精神を身につけつつある勤労諸階級は,今やその科学的

    精神を以て自らの利害を明らかにし,「労働が富の源泉」であることを保証する新しい社会シス

    テムの構造をうち建てなければならい社会情況にあることを認識しているのだと,ロンドン協同

    (36) D.G.H. コール教授は,オクスフォード大学のイギリス経済史,労働運動史,協同組合運動史,それにロバート・オウエンの著名な研究者である。特にロッチデール公正先駆者組合 100 周年を記念して1944 年に出版された A Century of Co-operation(森 晋監修・中央協同組合学園コール研究会訳『協同組合運動の一世紀』家の光協会,1975 年)は有名で,現在でもしばしば活用されている。

    (37) The Co-operative Magazine; The Monthly Herald of the New System of Social Arrangements, founded on Mutual Co-operation and Equal Distribution. the 1st of January, 1826, Vol.1, title page(reprinted in 1970).

  • 18 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 138 )

    組合の指導者は主張しているのである。この『協同組合雑誌』の表題である「協同組合雑誌;相

    互協同と平等な分配に基礎を置く社会的取り決めに関する新しい制システム

    度」がそのことを教示してく

    れている。要するに,ロンドン協同組合は,オウエンが提示した「新しい社会制度」によって運

    営される協同コミュニティの建設を目指すのであり,そのための建設基金を確保するために,初

    期協同組合運動以来さまざまな地方で経験されてきた消費者協同組合や生産者協同組合を展開す

    る具体的な運動目標を掲げたのである。

     こうしてロンドンにオウエン主義者たちが結集し,協同コミュニティ建設の理念とアイデンテ

    ィティが確実に生み出されていく。そこで私は,再びウィリアム・キングを訪ね,彼らの「協同

    組合の理念とアイデンティティ」をキングから聴き出して,現代協同組合思想の「骨格」とでも

    いうべきものを探し当てることにする。

    ウィリアム・キングの協同組合思想再訪

    ロンドン協同組合とブライトン協同組合

     1826 年 7 月,ロンドン協同組合の内部に「比較的小規模な協同コミュニティの建設基金」を

    募る「協同コミュニティ基金協会」(Co-operative Community Fund Association)が結成される。

    この協会を組織した──C.F.C. のイニシャルで『雑誌』に登場する──機械工の組合員は,コ

    ミュニティ建設基金を確保する方法の一つとして共同店舗(消費者協同組合)に加入することを

    労働者に勧めている。「労働者は逸早く,確実に,どんなに小規模の店舗であっても加入して,

    どんなに少額であっても出資金を支払って……労働者自身による協同コミュニティ建設基金創出

    の手段を確保しよう」と訴え,コミュニティ建設と消費者協同組合運動との結合を呼びかけ

    た(38)。そして彼は,翌 27 年の初めにこの基金協会内に「支援基金」(Auxiliary Fund)という名

    称の共同店舗(消費者協同組合)を設立する。この「支援基金」は,協同コミュニティ建設基金

    を確保するために基金協会の会員やロンドン協同組合の他の組合員などがこの店舗で生活必需品

    を購買することによって生じる「利益」(利潤)を蓄積しようとするものであった。C.F.C. はこ

    う強調している(39)。

     共同店舗での取り引き(購買)で得られる利益を集積する計画は,構想され得る計画で最

    も容易な計画である。なぜなら,当事者たちには彼らの現在の便宜や生活のために必要とさ

    れている以上のどんな費用もかけさせずに建設基金を確保することができるからである。彼

    らが現に日常生活で無差別に使っているお金が「彼ら自身のために」,すなわち,彼ら自身

    の店舗(depôt)に使われるのである。ある個人が一週間に 1 ポンド消費し,その結果得ら

    れる利益が 2 シリングだとすれば,(「支援基金」を通した)協会の基金は週末には潤沢にな

    (38) Ibid., p. 224.(39) Ibid., Vol.2, No.5, May 1827, pp. 223─224.

  • 19イギリス協同組合思想再訪( 139 )

    っているだろう。ところが,その 1 ポンドが「支援基金」以外の店舗で使われるのであれば,

    その利益は最も手荒な敵を富ませるために使われることになろう。さらに言えば,もし協会

    の会員が彼の 1 ポンドを支援基金以外の店舗で使うとすれば,彼は規定の基金額である「週

    6 ペンス」を拠出することができないかもしれないのに対し,自分自身の「店舗」で購買す

    ることによって彼は「当然なさなければならない以上の犠牲を払わずに,2~3 シリングを

    拠出することが可能となるのである。

     実は,C.F.C. のこの主張は,ブライトンのウィリアム・キングが労働者に協同組合運動への

    参加を促す際に用いた論調でもあった。キングは,ブライトン協同組合を実際に指導していたの

    である。そのキングの友人ウィリアム・ブライアンの筆による「ブライトン協同慈善基金協会」

    (Brighton Co-operative Benevolent Fund Association)についての記事がロンドン協同組合の

    『協同組合雑誌』第 5 号(1827 年 5 月),9 号(同 9 月)そして 11 号(同 11 月)に掲載されてい

    る。ブライアンは,この基金協会について(1)協同コミュニティに──自らは参加する手段を

    持っていない──労働者が参加できるようにするための基金として,少額の拠出金を毎週収受す

    る,(2)協同組合システムについての知識を普及する,(3)協同組合の組合員は基金協会に少な

    くとも毎週 1 ペニーを拠出する,(4)協同組合は組合員によって選出された委員および書記等に

    よって運営される,と記している。

     また彼の記事が「C.F.C. の共同店舗とコミュニティ」に関わって『協同組合雑誌』第 3 号に

    掲載されているので紹介しておこう。この時期の「協同コミュニティの建設」と「消費者協同組

    合の事業」との関係をオウエナイトがどのように観ていたのか,その一端を知ることができるだ

    ろう(40)。

     もし各年平均して 50 ポンドをその労働と引き換えに受け取る労働諸階層の家族 50 人ある

    いは 30 人が,彼らの資金を共同して使うならば,彼らは大量の品物を購買することによっ

    て,最も低く見積もっても,ポンド当たり 2 シリングを節約できるのであり,もしこれに

    50 家族が参加するとすれば,年当たり 260 ポンドを節約することになるだろう。

    そしてブライアンは「この計画は,協同組合店舗が十分な資金(capital)を確保するのに当事

    者たちにはいかなる不自由もかけはしない」(41)と,強調し得たのである。

     ブライアンはまた,「ブライトン協同慈善基金協会」の記事(7 月 22 日付)を書き送り,その

    なかで「ブライトン取り引き組合」(Brighton Co-operative Trading Association)が慈善基金協

    会の組合員によって設立されたことを公表している。ブライアンによれば,「取り引き組合」の

    設立は慈善基金協会の活動の成果によるものである。すなわち,慈善基金協会は「協同組合の原

    (40) Ibid., p. 226.(41) Ibid., p. 226.

  • 20 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 140 )

    理」についての知識を広範囲にわたり普及し,その結果,組合員数が日々増加していった。彼ら

    組合員の職業は,機械工,農業労働者,大工,煉瓦積み工,植字工,指物師,仕立て工,パン職

    人,靴製造工などすべての生産的労働者階級がおり,そのうちの何人かは協同コミュニティに参

    加するに足る資金を保持しているのであるから,「要するに,われわれは,われわれの結合され

    た労働によって,協同コミュニティに必要な事業を遂行することができるのである」(42)。そして

    さらにブライアンは,ブライトンの労働者は「わが協同慈善基金協会の有用性を経験してきた」

    ので,「イングランドとスコットランドの労働者同胞にもこの計画を強く推奨する」ためにも,

    「協同取り引き組合」の有効性を確実にする次のような活動に取り組む記事を送っている(43)。

     取り引き組合は次のような計画に基づいて運動を展開する。すなわち,

    (1)各組合員は 5 ポンドを出資し,100 ポンド以上の資金を確保する。

    (2)各組合員の出資割り当てとして毎週 1 シリングを積み立てる。また利潤は 5 ポンドに達す

    るまで積み立てる。

    (3)各組合員は 1 口以上出資する。

    (4)品物は小売り価格(市場価格─中川)で販売される。

    (5)事業については出資者(shareholder)の過半数以上によって選出された委員よび代理人

    (agent)から成る委員会によって履行される。

    (6)委員会委員は 3 カ月毎に選出され,出資者の監査のために定期的に会計報告が実施される。

    この「協同取り引き組合」はブライトンに設立された,事実上,最初の「消費者協同組合」であ

    った。またこの取り引き組合には,キングが関わったブライトン地区の「職工学校」(Mechan-

    ics’ Institute)(44)でかつて学んだ職人や熟練労働者が組合員として多数参加した。この取り引き

    組合で指導的な役割を果たしたのはブライアンであり,キングは,ブライトンに限らずイギリス

    のさまざまな地域で協同組合運動に参加していた活動家や労働者のために──「貧民の医者」と

    して地域の人びとに関わりながら──彼自らが編集・発行した『協同組合人』(The Co-opera-

    tor, May 1828─August 1830)を通じて協同組合の原理や理念や運動について平易な言葉で労働

    者に語りかけ,協同組合運動が労働者の「生活と労働」を改善し改革していく論拠を示していく

    ことに力を注いだのである。

    (42) Ibid., Vol.2, No.9, p. 419.(43) Ibid., p. 419.  なお,ブライアンは「協同取り引き組合」による運動の高まりについて 1827 年 10 月 22 日付の記事を

    『協同組合雑誌』に送っている。「さて,わが取り引き組合であるが,われわれの資金を 350 ポンドにまで増やすことを計画している。われわれに参加してくれるわが労働者同胞は,極めて高い願望を持っている。わが取り引き組合には既に 40 人もの出資者がおるので,それ相応な取り引きをするよう指導がなされ始めている。われわれは,このような取り引き組合を形成することなしには,生産における協同と富の分配における平等を開始するための資金を確保するいかなる方法も見いだせないのである」

    (Ibid. p. 508)。(44) キングはこの職工学校の設立や運営に関わった他に数学も教授した。

  • 21イギリス協同組合思想再訪( 141 )

    ウィリアム・キングの消費者協同組合論

     ウィリアム・キングは,1820 年代後半から 1830 年代にかけてイギリス協同組合運動の発展に

    重要な役割を果たした。そのことは,後述するオウエン主義協同組合運動の舞台となった「協同

    組合コングレス」における「キングへの感謝決議」に表れている。その感謝決議は,1832 年 10

    月にリヴァプールで開催された第 4 回協同組合コングレスの席上でなされ,ウィリアム・ペアか

    らキングへ手紙で伝えられた(45)。

     本コングレスは,『協同組合人』(The Co-operator)の表題でブライトンにおいて発行さ

    れた冊子の,博愛心あふれる有能な著者による簡潔でかつ真に能弁な言葉で綴られている重

    要な諸問題の有益なる訓育に対し感謝を捧げるものである。ウィリアム・ペア氏は,本決議

    をあなたに伝える権限を委任されたので,ペア氏が必要と思われるならば,感謝決議を加

    筆・修正し,『協同組合人』の新版を著者が発行することを本協同組合コングレスの名を以

    て,また本コングレスのために恭敬の意を以て懇請する権限を委任するものである。

     実際,キングには「感謝決議」を授与される確かな事由があった。すぐ後で言及するように,

    キングは,主に『協同組合人』を通じて消費者協同組合,生産者協同組合および協同コミュニテ

    ィ建設について論及することで,協同組合ステイクホルダーに大きな影響を与えただけでなく,

    『協同組合人』の廃刊以後の 1830 年代におけるイギリスおよびアイルランドにおける協同組合運

    動の方向性を導くのにも与って力があったからである。事実,キングへの「感謝決議」を届ける

    責任を負ったウィリアム・ペアは,キングに「『協同組合人』の新版発行」を依頼しているので

    ある。

     そこで,ここではウィリアム・キングが消費者協同組合,生産者協同組合,協同コミュニティ

    についていかなる理念とアイデンティティを熟練職人や他の熟練労働者に教示したのか,またそ

    れらが協同組合ステイクホルダーにいかなる影響を及ぼしたのかを追ってみよう。

    キングの協同組合運動の大要

     キングは彼の『協同組合人』第 6 号で「協同組合の目的」と「目的を達成する方法」を論じて

    いる(46)。すなわち,

    (45) Proceedings of the Fourth Co-operative Congress, held in Liverpool, on Monday, October 1, 1832, and Composed of Delegates from the Co-operative Societies of Great Britain and Ireland, by Wil-liam Pare, Manchester, 1832, p44.

    (46) T.W. Mercer, Co-operation’s Prophet, The Life and Letters of Dr. William King of Brighton with a Reprint of The C-OPERATOR, 1828─1830, Co-operative Union Ltd., Manchester, 1947, p. 71.

  • 22 『明大商学論叢』第 101 巻第 2号 ( 142 )

     [目的]

    (1)貧困に対する組合員による相互の扶助。

    (2)組合員がより安楽に生活することができるよう一層大きく貢献する。

    (3)共同資本(common capital)に基づく組合員の自立の達成。

     [目的を達成する方法]

    (1)共同資本を形成するために,毎週 6 ペンスを協同組合に拠出する。

    (2)形成された共同資本は,投資ではなく,協同組合の購買・販売(trade)のために使用さ

    れる。

    (3)共同資本が十分蓄積されたならば,共同資本の一部は生産者協同組合の生産事業に使用さ

    れる。

    (4)共同資本がさらに蓄積されたならば,協同組合は共同資本で土地を購入し,組合員はコミ

    ュニティとしてのその土地で生活する。

    この「目的と方法」は,協同組合の労働者組合員たちが日常生活のなかで自ら資金を拠出し合っ

    て共同資本を形成し,その資本を先ずは消費者協同組合に,次に生産者協同組合に投下すること

    で漸次産出される共同資本を蓄積し,そして資本の蓄積が十分になされたならば,協同組合は土

    地を購入し,協同コミュニティを建設する。また組合員労働者とその家族は,協同コミュニティ

    で労働することによって貧困から解放され,個人としても自立した生活を安心して営むことがで

    きるようになる,という一種の俯瞰図を描いているのである。もっともキングは,既に『協同組

    合人』第 1 号にこう記している(47)。

     資本が十分蓄積されたならば,協同組合は土地を購入し,組合員はそこで生活し,また組

    合員自らがその土地を耕作し,さらに組合員が必要とする製品(生活必需品─中川)を生産

    し,かくして衣・食・住�