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』“.螢 .蘇 溝、筆 懇灘噛撃t 驚難難鷺誰郷馨一硬’饗騨響 辮… 拷難暢 菊露 “恕焦,磯. 一責’欝堀 醐こ で.~僚 i傭i漁Ilm”1痢li舳簡ll面1繍1“礪”1”lilil幡”梱i舳ll而ii”llli”而llll””lil川i而i面1血{血而面lmlml繍liil血llii”Iliml田煎illl血舳血i而lifi”而iml側餅il田伽曲血fll山咄i 富士から見た梅雨前線 “大井 llmll田田川1田ll川lm川i川1田lll田田1川1川II川lm目”川lll田illlllmllml川m田llml川11mmmlil田田iHl 重第1図及び第2図は富士山頂から5分間を隔て、東め・ 方を写したものである.第1図の右の方を見ると広範囲’ に亘って水平な雲の薄層があり,下から上昇気流が起っ・ て塔状積雲となり,この薄層の上に出ると急にふくれ上 っている誠におも「しろい有様が見られる.第2図を見るー lll“1[m”“imlll欄”11“mll”llim“ml“mm”ll“mlll”“”m“llllll[1”m””“”lll と盛んに活動している部分は第1図で活動している部分 の手前にある部分の雲であウて,僅か数分でこのように 盛衰が起?ていぞのがよく見られておもしろいと思う』 第3図は月夜の写真である.これと前の図と比べて見る と左方の雲の峰嫡八王子の方向で・左の雲の峰は平塚の一 29年7月6日12h33m撮影したもの・.火 壁は空から白山毎・大日岳・餌豆ケ岳・成 尾岳で白山岳には電柱と吉田口の小屋,成 就岳には電柱と無線中継所が見える,左手 の白い雪は向うが金明水,手前が小内院附 近である.(山本年郎撮影) 第2図鞭 蝋懸 、7h4。mに撮影し耀嚢聾騨聾.1 畷3遡■ 蕪嚢 もの,僅か5分のう ちに前に活動してい た雲の峯が弱ま膓 前には小宰く見える・ ものが大きく盛り上 つて活動しているさ まがよく見えてい 、る,.(山本三郎撮影) 雛懸灘 嚢灘一鱗 覇鑛 鰯盟嚢1鍵嚢 灘拷轟 第3図 第2図と同じ位置かち写した夜景で,火口壁は左かち大日岳,伊豆 ケ岳,成就岳である.大日岳の肩に明る斗見えるの準横田基地・東 京の灯は大日岳の後ろに非常に薄く見えるのがその上の空が明畜く なつているのでよくわかる.伊豆ケ岳と威就岳の間には大山が黒く 見え,その肩に厚木基地が明るくその上に横浜が見え翫成藍岳の 右には無線中継所が見える.その上に三の塔が黒く,その上に平塚 の灯が萌るく見え海岸線に溜うている.これと前回と比較する・と雲 の位置が推定される.(大井正一撮影> 方向にあることがわかる.次に当日の気象状態を調ドて 参考としたヤ》., 地上天気図(第4図)を見ると.梅雨前線から切り離さ 、れた弱い低気圧がある.この年の梅雨は7月中ほとんど いっも続いているので,一応典型的な梅雨状況と見てさ しっかえない.上層天気図(第5図)を見ると弱い上層 の谷があり,これが低気圧と結びついている・.館野の高 22 層資料(第6図)を見るξ550~600mb付近で気温!ま 等温となりジ湿度は80%から27%に飛躍している・この 層の下では湿度が飽和に近いので雲ができつ、あり,こ の層の上では気温減率や湿度から見て恐らく下降気流に なっているであろう.こ’のような低温度が異常視程と関 連していることはよく知られている〔1〕.又・風を見 るとこの層で急に弱,くなっているカ㍉これも梅雨時によ “天気,,2・11

.蘇 . i傭i漁Ilm”1痢li舳簡ll面1繍1“礪”1”lilil幡”梱i舳ll …i傭i漁Ilm”1痢li舳簡ll面1繍1“礪”1”lilil幡”梱i舳ll而ii”llli”而llll””lil川i而i面1血{血而面lmlml繍liil血llii”Iliml田煎illl血舳血i而lifi”而iml側餅il田伽曲血fll山咄iliii”””lll”1”而ml舳lilllll醐f臨

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富士から見た梅雨前線

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『  重第1図及び第2図は富士山頂から5分間を隔て、東め・

   方を写したものである.第1図の右の方を見ると広範囲’

   に亘って水平な雲の薄層があり,下から上昇気流が起っ・

   て塔状積雲となり,この薄層の上に出ると急にふくれ上

一 っている誠におも「しろい有様が見られる.第2図を見るー

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と盛んに活動している部分は第1図で活動している部分

の手前にある部分の雲であウて,僅か数分でこのように

盛衰が起?ていぞのがよく見られておもしろいと思う』

第3図は月夜の写真である.これと前の図と比べて見る

 と左方の雲の峰嫡八王子の方向で・左の雲の峰は平塚の一

29年7月6日12h33m撮影したもの・.火口

壁は空から白山毎・大日岳・餌豆ケ岳・成

尾岳で白山岳には電柱と吉田口の小屋,成

就岳には電柱と無線中継所が見える,左手

の白い雪は向うが金明水,手前が小内院附

近である.(山本年郎撮影)

      第2図鞭         蝋懸、7h4。mに撮影し耀嚢聾騨聾.1畷3遡■                       蕪嚢    態

もの,僅か5分のう      ず ちに前に活動してい

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前には小宰く見える・

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第3図第2図と同じ位置かち写した夜景で,火口壁は左かち大日岳,伊豆

ケ岳,成就岳である.大日岳の肩に明る斗見えるの準横田基地・東

京の灯は大日岳の後ろに非常に薄く見えるのがその上の空が明畜く

なつているのでよくわかる.伊豆ケ岳と威就岳の間には大山が黒く

見え,その肩に厚木基地が明るくその上に横浜が見え翫成藍岳の

右には無線中継所が見える.その上に三の塔が黒く,その上に平塚

の灯が萌るく見え海岸線に溜うている.これと前回と比較する・と雲

の位置が推定される.(大井正一撮影>

 方向にあることがわかる.次に当日の気象状態を調ドて

 参考としたヤ》.,

  地上天気図(第4図)を見ると.梅雨前線から切り離さ

、れた弱い低気圧がある.この年の梅雨は7月中ほとんど

 いっも続いているので,一応典型的な梅雨状況と見てさ

  しっかえない.上層天気図(第5図)を見ると弱い上層

                      ヨ・ の谷があり,これが低気圧と結びついている・.館野の高

22

層資料(第6図)を見るξ550~600mb付近で気温!ま

等温となりジ湿度は80%から27%に飛躍している・この

層の下では湿度が飽和に近いので雲ができつ、あり,こ

の層の上では気温減率や湿度から見て恐らく下降気流に

なっているであろう.こ’のような低温度が異常視程と関

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           第6図

く見られることである.当時の気象変化を調べてみるに

まず富士山では(鰯7図)7時半頃までは雨があるが・

。それ以後は流れ雲が時々見られる程度で,ほとんど常に

    尭第騨腿難㌧爺llrlヒ 異常視程を示している・す奉わち梅雨を起す雲ρ膏さポ

 富士山頂まで達する事が少く・視程は良〉・1とい零勧、す

  月の山岳気候表〔2〕をみると日照率は富士山が55%で’

 、全甲第2位を示し,箱線山は21%できわめて少いこ・≧は、.

  よくこの事実を物語っている.もっと平たくいえば富士

 山け梅雨時でも雲の上に出ていて視理が良く・・す獄らし

 い雲海が見わわるこ』とが多いとヤ)えるで’あろう・

  珠に各地の禾気をUらべて見るに大島は19時から・卑

L 京}ヰ20時から雨にな?て》るが質時には乱層雲ど・なうてーil

 y・るのみで雨1こなっていない」しかしこの雲ほ小さいか㍉

  ら局地的に雨を降らせているかどうかは・、この図から嫁

 わからないことになった』21時に富士忠炉NNW35ノッ  マチ  トとなったことは上層の谷の通過を示すものであろう.

 9955・535).  .’ , .,  、(中来気象資ン

  〔1〕ナンガパルバ曾ト 朋文堂.

  〔2〕山岳講座一白水社        、一  \、,

、 へ((ノ{)ノ\」ヘノーい㎜ハ(ハ ’/ハー酔μ〈

  Sねrdustと雨

  オーストラリアのE.G.BOwenが

 1953年に発表した流星群がseeding

 の役をして毎年一定の日に雨が多い

 とする説は,われわれの意表に出た

 新説であった、新説はとかくとっぴ

 に見えるので広く興味と関心を持た

 れた.本月4月01iverと V.J.

 01iverアフリカの赤道地域のデr・“/ヘノ「㍉㌧r(’の御へ・ハハズ・(-、

ハハ へ ハかヤハ ハ ハがハ ペハノいヂハ 

 ターを用いて新説が適用されるかど

うかを調査発表している.場所とし

ては東アフリカをえらび,南ローデ

シヤも調べた.統計的な取り扱いを

したのであるが,結論としては,

Bowen説を支持できるとはならなか・

った.けれども何分にも流星説が大

気の超高層にとどいてから地上付近

までどのようにして到達するかも全

〈_φハ〈(ハイ・_.酔,ハ.V.一ハハ!〈一くハハ〈〈ハハハハハ(〈べ(・一八みハ〈(〈〈(〈 (・△〈へ(〈(㎜!一・

   ハハムルヤンレヤノぬハ 然わからないし,粒子め大ぎさも十1

分な確定をされて炉るわけそない.・・悼

だかちわれわれの手に入る’データだ』’

けで結論を出すわけにはいかない.二

わが国でも磯野・駒林両氏によって

火山と降雨の関係が論じられている

ところでもあるし,流星群と雨の関1

連は精密な研究ができるまで積極的

な否定はさきないであろう.(伊東〉

               騨

1955年11.月一

、.驚

』ll』☆