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物理学実験 II
原 子 核 散 乱―タンデム-バンデグラフ加速器を用いた原子核反応の実験―
平成 9年 9月酒井 英行†、岡村 弘之‡
目 次
1 基本概念 3
1.1 原子核の反応形態 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 4
1.2 原子核の構造 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6
1.2.1 液滴模型 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 6
1.2.2 殻模型 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 7
1.2.3 対相関 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10
1.3 (d, p)ストリッピング反応 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 10
1.4 エネルギー損失と粒子識別 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 12
1.5 シリコン半導体検出器と回路 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 13
1.6 タンデム-バンデグラフ加速器 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 18
2 実験の詳細 20
2.1 第一日目 — 予備演習 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 20
2.1.1 シリコン検出器操作とターゲット厚さ測定 . . . . . . . . . . . . . . 20
2.1.2 データ収集プログラム – umca – の使い方 . . . . . . . . . . . . . . 20
2.2 第二日目 — 実験準備 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 22
2.3 第三日目 — 本実験 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 24
2.3.1 測定の手順 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 24
2.3.2 ターゲットの角度に関して . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25
2.4 第四日目 —データ整理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26
2.4.1 データ整理の指針 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 26
2.4.2 umca をオフラインで使うには . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 27
2.4.3 より高度なデータ処理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 28
3 解析の指針 33
3.1 簡単な解析 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 33
3.2 反応理論の基礎 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 34
3.3 歪み波への一般化 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 36
3.4 弾性散乱 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 36
3.5 ゼロ・レンジ近似 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 38
1
3.6 分光学的因子 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 40
3.7 スピンと偏極 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 41
「原子核散乱」では、東大原子力研究総合センターのタンデム-バンデグラフ加速器を使って、10 MeVの重陽子の原子核ターゲットによる散乱および反応を測定する。本年度は、52Crをターゲットとした (d, p)反応の測定を予定している。微分断面積の角
度分布の回折パターンから、53Cr中における中性子の殻模型軌道を調べる事が目的である。5日間の実験日のうち、第 1日目は物理の基本的事項やシリコン検出器の取扱い、実際
に使うターゲットの厚さ測定等の演習をする。第 2日目は原総センターにおいて検出器・ターゲットの設置、および回路系の組み立て・調整を行なう。第 3日目に加速器からの重陽子ビームを用いた実験を行ない、残りの日はデータ整理と考察を行なう。なお、原総センターのビームスケジュールとの兼ね合いで、この予定は若干変化することも有り得る。日程は少々変則的なので、注意して欲しい。
† 理学部 1号舘 221号室、[email protected]‡ 理学部 1号舘 222号室、[email protected]
¶ このテキストで用いられるサンプルプログラムや、テキストの修正情報等は http://gensan1.phys.s.u-tokyo.ac.jp/ または http://tkynx0.phys.s.u-tokyo.ac.jp/gensan/ から入手可能である。
また、テキストの問は理解の助けのために設けたもので、レポートに解答する必要は無い。
2
1 基本概念
原子核どうしを衝突 (反応)させて核の性質を調べる方法は、原子核を研究する上で最も有効なものの一つである。我々が日常行なっている「見る」という行為も、物質によって散乱された光子を目で検出し、散乱の様子から物質の性質を認識しているのだと考えれば、原子核散乱はその自然な延長と言うことができる。
原子核は陽子と中性子 (併せてnucleon
核子と呼ぶ) から構成され、質量数 Aの原子核は半径が
R = r0A1/3 , r0 ' 1.2 fm (1)
のほぼ一定密度 (ρ = 3/4πr30)の球と考えてよい (fm=10−15m)1。このように小さい対象物
の性質を調べるには、ぶつける粒子の波長をそれに見合うだけ短くしなければならない。
対応するエネルギーはMeV を単位として表わされる程度で、accelerator
加速器が必要とされる領域となる。
MeV や fm を含む計算を SI 単位系で行うのは煩雑なので、基本定数をそれらで表わしたものが良く使われる。質量も c2を掛けてエネルギーで表わされる2。
hc = 197.327 MeV · fme2
hc=
1
137.036(
fine-structure constant
微細構造定数 )
muc2 ≡ 1
12m12Cc
2 = 931.494 MeV (mass unit
質量単位)
mp = 1.007276mu (陽子質量)
md = 2.013553mu (重陽子質量)
mec2 = 0.511 MeV (電子質量) (2)
問 10 MeV 重陽子のドブロイ波長を求め、52Cr 原子核の大きさと比較してみよ。
ビーム (入射粒子)が a、ターゲットが A、(検出する)放出粒子が b、残留粒子が B である反応は、
A(a, b)B
と表すのが一般的である。a、A、b、Bは原則として “質量数元素名”の表記 (例えば52Cr)が
採られるが、例外としてneutron
中性子、proton
陽子、deuteron
重陽子等の軽粒子は、各々の頭文字をとって n、p、dと表すのが普通である。反応によって生じるエネルギー収支はQ値と呼ばれるが、質量をエネルギーと見做せばQ = (mA +ma −mB −mb) c
2によって与えられる。
1このような飽和性を示すのは原子核の特徴である。核子当りの結合エネルギーも飽和性を示し、A ≥ 12で約 8 MeVとなっている。
2このテキストではガウス系を使う (SI系ならば微細構造定数は e2/4πε0hcとなる)。
3
問 52Cr(d, p)53Cr、52Cr(d, 3He)51V、および52Cr(6Li, 6Be)52Vの各反応について Q値を
求めよ。各々の原子核のmass excess
質量偏差は下の表を参照せよ3。
質量偏差 質量偏差1H 7.2890 51V −52.19912H 13.1358 52V −51.4389
3He 14.9313 52Cr −55.41536Li 14.0873 53Cr −55.28376Be 18.3750 (MeV)
演習 質量偏差のより完全な表は、サンプルプログラム集に mass exces.tblというファイル名で含まれており、約 2000 種の原子のデータが “原子番号 Z, 中性子数 N , 質量数 A, 元素名, 質量偏差 (MeV)” の形式で一行毎に納められている。mass exces.tbl
を使って結合エネルギー B = N mnc2 + Z mpc
2 −M(N,Z)を計算し、核力の飽和性(B/A ' 8 MeV) が成り立つ事を確かめよ。
演習 mass exces.tbl中の多くの原子核は不安定である。例えばM(N,Z) > M(N−1, Z+1)
+mec2 となるものはβ−崩壊を起こし得る。色々な崩壊形態 (α, β崩壊、核分裂. . . )に
対する安定性を調べ、(N , Z)の地図上でどのような系統性が有るか分類してみよ4。
問 原子核反応の断面積の典型的な大きさを表す単位として b (barn
バーン = 10−24 cm2) がよく用いられる。反応の全断面積を 1 b とした時、1 mg/cm2のクロムターゲットに対するビームの透過率は何%か? (一次近似で計算せよ)
問題 10 MeVの52Cr(d, d)52Cr弾性散乱で、ラザフォードの式
dσ
dΩ=
(ZaZAe
2
4E
)2
sin−4 θ
2(3)
が成り立つと仮定すると、散乱角度 20、60、100、140での微分断面積はいくらか?各々の角度で散乱重陽子を 10,000個検出するとした場合、測定に要する時間を求めよ。ただし、52Crターゲットの厚さを 1 mg/cm2、ビーム強度 I = dQ/dtは 10
nA (1秒間に入射する重陽子の電荷量が 10 nC)、50 mm2のスリットを検出器にセットしてターゲットから 15 cmの距離に置いたものとする (式 (18,19,20)を参照)。
1.1 原子核の反応形態
衝突する各々の原子核は核子の多体系であり、一口に原子核反応と言っても様々な現象が起こり得る。これを反応の複雑さの観点から分類したのが図 1である。
3原子質量M(N,Z)に対して質量偏差はM(N,Z) −muc2(N+Z)で定義される。原子質量を直接用いる
と 10桁程度の演算精度が必要になるので、桁落ちを防ぐために質量偏差がよく用いられる。4中には、π中間子を自発的に放出するという奇異な崩壊がエネルギー的に許されるものもあるが、現象
としてはこれまでの所観測されていない。
4
始状態
bRa
RA
終状態
A
a elastic scattering
弾性散乱
A
ainelastic scattering
非弾性散乱
b
B
transfer reaction
核子移行反応
......
compound reaction
複合核反応
図 1: 原子核反応の様々な形態
入射粒子と標的核の半径をそれぞれ Ra、RAとする。核力は短距離間にしか有効でない
ので、impact parameter
衝突係数 b が非常に大きく、クーロン軌道の最近接距離が Ra+RAより大きい時
は、散乱はクーロン相互作用に支配され、elastic scattering
弾性散乱 しか起こらない。衝突係数が小さくなり、核間距離がRa+RAと同じか少し小さい程度になると、入射粒子と標的核の中の核子
が 1 ∼ 2回衝突し、原子核を励起したり (inelastic scattering
非弾性散乱 )、組み替えを起こしたりするように
なる (exchange
交換 、transfer reaction
移行反応 )。何も起こさずに弾性散乱する場合もあるが、その確率 (断面積)
はクーロン散乱より小さくなってくる。ここまでの段階では、まだ反応に関与する核子 (も
5
しくは自由度)が少ないので5、簡単に取り扱うことが出来る。この様な反応はdirect reaction
直接反応と呼ばれる。核間距離が近づくに連れて、核内の核子は多数回の衝突を起こすようになり、反応に関
与する自由度が増えて取扱いは複雑かつ困難になってくる。さらに衝突係数が小さくなり
正面衝突に近い状態になると、入射粒子と標的核が融合してcompound nucleus
複合核 を形成するようになる。入射粒子の持つエネルギーは複合核全体に散逸し、高励起状態の原子核が作られる。散逸したエネルギーは、(直接反応に較べると)長い時間の中に、中性子やγ線の放出によって解放されていく。反応に関与する自由度は非常に大きくなるが、逆に、統計的手法を適用することにより再び簡単な取扱いが可能となる6。
1.2 原子核の構造
原子核の状態を特徴付ける指標としては、良い量子数であるスピン (系の全角運動量)とパリティが通常用いられる (パリティをスピンの右肩に乗せて 0+、2−などと書かれる)。原子核は高々数百個の核子の有限多体系であるので、構造は極めて複雑であるが、その理解
のためにliquid-drop model
液滴模型 とshell model
殻模型という相反する極端な見方が基礎におかれている。
1.2.1 液滴模型
1節で述べたように、原子核は密度や結合エネルギーに関して飽和性を示す。この事から、構成要素である核子を陽に意識せず、マクロな非圧縮性連続体として原子核を捉えようとするのは自然な発想と言える。液滴模型の立場から、原子核の質量の系統的変化を表
す半経験的mass formula
質量公式 (4)が得られる。ここでは示さないが、原子核の表面振動、変形、分裂といった現象は、質量公式に基づいて説明する事ができる。
MLQ(N,Z)−N mnc2 − Z mpc
2 =
3
5
Z2e2
R− bvolA + bsurfA
2/3 +bsym
2
(N−Z)2
A− bpairA
−1/2 (N , Z とも偶数)
+ bpairA−1/2 (N , Z とも奇数)
+ 0 (それ以外)
(4)
右辺の第一項はクーロンの自己エネルギーである。核力の自己エネルギーは、作用範囲の短い事と原子核の密度の飽和性を考慮すると、体積に比例すると予想される。第二項の体積エネルギーはそれに相当し、第三項の表面エネルギーは核表面の効果の補正である。第
五項は 1.2.3節で説明するpair correlation
対相関 を採り入れるためのものである。
5原子核全体が振動するようなcollective motion
集団運動 は非弾性散乱によっても励起できる。この反応に寄与する核子数は多いが、自由度 (振動の振幅等)は少なく、直接反応として取り扱える代表的な例となっている。
6複合核から放出された粒子が、偶々弾性散乱や非弾性散乱チャネルに行くことは起こり得る。“直接反応と複合核反応”は概念的な分類であり、両者を厳密に区別することは出来ない。
6
図 2: 実験で得られた原子核質量と液適模型による質量公式の差
質量公式 (4)と、実際に実験で得られた原子核質量との差を示したのが図 2である。全体として 0に近い値になってはいるものの、陽子または中性子数が或る特定の数 (2, 8, 20,
28, 50, 82, 126 . . . ) に対応する核は、質量が減少 (結合エネルギーが増大)しており、液滴
模型では記述されない微細なメカニズムが存在する事を示唆している。この数はmagic number
魔法数と呼ばれるが、次節の殻模型によれば魔法数を容易に説明する事ができる。
演習 図 2 はサンプルプログラム liq-drop.f を用いて作成した。以下のコマンド% f77 -o liq-drop liq-drop.f
% sort +1 mass exces.tbl | liq-drop # 原子番号を横軸% sort +0 mass exces.tbl | liq-drop # 中性子数を横軸
を実行するとTopdrawer形式の出力が得られる。mass exces.tbl は原子質量のテーブルであり、サンプルプログラム集に附属している。プログラムで用いられている係数 bを変えて計算し、図 2 がどのような影響を受けるか調べてみよ。
1.2.2 殻模型
殻模型では、液滴模型と逆に核子の運動に注目する立場をとる。他の核子との相互作用を平均場ポテンシャルとして近似し、個々の核子がその一体場の中を独立に運動すると考える。核力が非常に強い事を考慮すると、核子が核内で自由に運動するという描像は想像し難いものであるが、詳しい計算によれば良い近似である事がわかる7。この模型の提唱者であるM.G. Mayer女史と J.H.D. Jensenは 1963年にノーベル賞を受賞した。
7核子が衝突して遷移する先の状態がパウリ原理で禁止されるならば、その衝突は量子力学的に起こらない。全ての状態が埋め尽くされているならば、結果として平均自由行程は非常に長くなり得るのである。
7
核子の感じる平均場ポテンシャル V は、核子の運動を記述する波動関数Φの汎関数 V [Φ]
と言える。従って V とΦをself consistent
自己無撞着 に解くのが正しい取り扱いであるが、ここでは簡単のために V は与えられたものとしよう。先ず三次元等方性調和振動子 V (r) ∝ r2による近似を考えてみる。球面調和関数を用いて角変数を分離した後、波動関数の動径成分φn`(r)/rの満たすべき方程式は[
− h2
2µ
∂2
∂r2+`(`+1)h2
2µr2+
1
2µω2r2
]φn` = E φn` (5)
となる。その固有解は合流型超幾何関数を使って解析的に表され、固有値は
E =(
2n+ `+3
2
)hω (6)
n = 0, 1, 2 . . . , ` = 0, 1, 2 . . .
で与えられる (32は本質的でないので以下では省略する)。さらに核子は1
2のスピンを持って
いるので、全角運動量 j ( |`−12| または `+1
2)を加え、(nlj)の組み合わせによって準位が
指定される。式 (6)からわかるように調和振動子では多くの準位が縮退しているが、それは表 1 のようにまとめられる。ここで ` = 0, 1, 2, 3 . . .は s, p, d, f . . .等の指標で表した。核
エネルギー 0hω 1hω 2hω 3hω 4hω . . .
縮退した 0s1/2 0p1/2, 0p3/2 0d3/2, 0d5/2 0f5/2, 0f7/2 0g7/2, 0g9/2
殻模型軌道 1s1/2 1p1/2, 1p3/2 1d3/2, 1d5/2 . . .
2s1/2
占有核子数 2 6 12 20 30 . . .
表 1: 三次元等方性調和振動子による殻模型軌道
子はフェルミオンなので、各々の軌道には 2j+1個の核子を入れる事ができる8。低い準位から核子を詰めて行くと、核子数に比例して結合エネルギーが増大して行くわけだが、2,
8, 20, 40 の魔法数に対応する値を越える際に不連続な変化がもたらされる事がわかる。これを液滴模型の滑らかな変化と比較すると、魔法数近傍で結合エネルギーが増大していると言い換える事ができる。調和振動子は準位が縮退するという極端な例であったが、本質的なのは、準位密度が一
様でなくなり濃淡が発生するという事である。実際の原子核を記述するには調和振動子の近似は単純過ぎるので、もう少し現実的なポテンシャルを考えよう。密度の飽和性を考慮すると、一体場ポテンシャルとしてはフェルミ型ポテンシャルが適当な近似と考えられる。
V (r) = V0 f(r − r0A1/3) (7)
f(x) =[1 + exp
(x
a
)]−1
8陽子と中性子は区別可能な粒子と考え、別個の殻模型軌道に詰められるものとする。
8
さらに、スピン軌道相互作用を加えなければならない。
VLS(r) = V 0LS
1
r
d
drf(r − r0A
1/3) ` · s (8)
実験的に得られている殻模型軌道の準位を再現するように決定されたパラメータは、
r0 ' 1.2 fm , a ' 0.6 fm ,
V0 ' −50 MeV , V 0LS ' 30 MeV · fm2/h2 (9)
である。これを用いて、質量数 90の原子核に対して殻模型軌道を計算した結果が図 3 である。ただし波動関数φ(r)はスピン軌道相互作用の無い場合についてのみ示した。量子数nは (原点と無限遠を除いて) φ(r)が 0 と交差する回数を表し、ノード数と呼ばれる。
図 3: フェルミ型一体場ポテンシャルV (r)に対する殻模型波動関数φ(r)
(質量数 90の原子核の場合)。右下に示したのは対応する束縛エネルギーで、V (r)と同じスケールを用いている。スピン軌道相互作用が加わると、0f7/2軌道が分離するため、28という新たな魔法数のできる事がわかる。
演習 図 3 の計算はサンプルプログラム shell.f を用いて行った。質量数 52 および 208
の原子核に対して同様の計算を行い、準位を図示せよ。必要ならばプログラムを改良する事。
NOTE
shell.fでは、殻模型のシュレディンガー方程式を、「計算物理」テキスト6.1.2 節で紹介されている Numerov 法を用いて解いている。ただし、原点か
9
らのみ方程式を積分して束縛条件を判断する「計算物理」の方法は、実はあまり実用的でない。漸近領域で満たされるべき斉次方程式[
d2
dr2− k2
]φ(r) = 0
は、e−krばかりでなく e+krも解として持つ (一般には両者の一次結合になる)。そのため、波動関数の漸近領域の振舞いが束縛エネルギーの試行値に依存して大きく変動してしまい、数値計算的に扱い難いものになるからである。そこで、e−krの漸近解を内向き方向に積分した波動関数も計算し、原点から
積分した波動関数との接続条件から束縛エネルギーを調整する方法が、通常は用いられている。接続は古典的回帰点 (エネルギー的に古典軌道の及ぶ限界)で行うのが適当とされている。詳しくはサンプルプログラムを参照せよ。
1.2.3 対相関
殻模型によれば、陽子または中性子数が魔法数である原子核 (closed shell
閉殻 ) は特に安定であり、例えば閉殻に核子を一つ付け加えた原子核の性質は、その核子の占める殻模型軌道で決まると期待される。しかし一般の原子核の性質を説明するには、殻模型の一体場ポテン
シャルだけでは表されないresidual interaction
残留相互作用 を導入する必要がある。その中でも重要なのは、
短距離型のpairing interaction
対相互作用であり、(詳しい説明は省略するが) 同一軌道の同種粒子が 0+の対を形成する時、特に強く働く性質を持っている。質量公式 (4)の右辺第五項や、以下のような原子核の良く知られた性質は、対相関の重要性を特に反映している。
•even-even nucleus
偶-偶核 (N , Zともに偶数である原子核)の基底状態は例外無く 0+である。
• 偶-偶核の第一励起状態のエネルギーは一般に高い (∼ 2 MeV)。
• 安定な奇-奇核は僅かに2H, 6Li, 10B, 14N の 4つしか存在しない。
問 以上の知識を動員して、53Crの基底状態および低い励起エネルギー準位として期待される状態のスピン-パリティを予想せよ。
1.3 (d, p)ストリッピング反応
魔法数は殻模型の正しさを示す根拠の一つであるが、もっと直接的に殻模型を検証し、核構造理論の精密さを高めるには、閉殻に核子が一つ付いた原子核を反応によって作り出す事が考えられる。この目的には、2節で述べた核子移行反応を起こさせるのが最適の方
法である。本実験では、52Cr (Chromium
クロム: Z=24, N=28)をターゲットとして52Cr(d, p)53Cr反応により励起状態の53Cr を生成させ、放出される陽子の角度分布から53Cr 中の中性子が持つ軌道角運動量を調べる事にする (図 4)。(d, p)のようなタイプの核子移行反応は、入射粒
子から核子を矧ぎ取るという意味でstripping reaction
ストリッピング反応と呼ばれている。
10
d p
Initial State Final State
Crn
52
Cr53
図 4: 52Cr(d, p)53Cr反応の概念図
53Cr に移行された中性子の持つ軌道角運動量が、(d, p)反応の角度分布にどのように反映されるかを簡単に考察してみよう。反応が中性子と52Crと間の相互作用だけで引き起こされ、陽子は傍観者としてそのまま通り過ぎるという描像を考えてみる。先ず、反応が起こる前 (始状態)の漸近的な波動関数は
ψ = exp[ikd·
rn+rp2
]φd(rn−rp) (10)
と表される。ただし、rnおよびrpは、中性子および陽子と52Cr の間の相対座標を表し、φdは重陽子の内部波動関数を表すものとする。φdのフーリエ変換
G(k) =∫
exp(ik·r) φd(r) dr (11)
を導入すると9、式 (10) は
ψ =∫
exp(ikp·rp) exp(iq·rn)G(K) dkp (12)
と書き換えられる。ここで
K = kp −1
2kd , q = kd − kp (13)
と定義した。qはmomentum transfer
運動量移行と呼ばれる量で、陽子がkpの方向に放出される時、中性子はqの運動量を持ってターゲットに引き渡される事を意味している。式 (12) によれば、その事象が起こる確立は |G(K)|2に比例する事になる。ターゲットに捕獲される中性子は平面波のまま原子核に入り込むわけではない。反応に
関与するのは、殻模型から期待される53Cr中の中性子の軌道に対応する角運動量 `を持つ成分のみである。平面波のレーリー展開を用いれば、式 (12)は
ψ =∫
exp(ikp·rp)∑`
(2`+1)i`j`(qrn)P`(q·rn)G(K) dkp (14)
と書く事ができる。さて、1.1節でも述べたように、(d, p)反応のような直接反応は原子核の比較的表面で起こる事が期待される。内部まで深く入り込んだ核子はターゲットと融合
9φdは球対称と仮定しているが、これは概ね正しい。
11
してしまい、より複雑な反応へと進んで行く可能性が高いからである。ビームとターゲットの原子核の半径の和をRとしよう。始状態の平面波の中で反応に寄与するのは、二つの原子核の表面が接触する時 (rn=R) 角運動量 `を持つ成分であるわけだから、反応の起こる確率 (即ち微分断面積)は
|jl(qR)G(K)|2 (15)
に比例する事になる。これを陽子の放出角度の関数として眺めると、`に応じて特徴的な回折パターンを示すはずである。逆に、実験で得られる微分断面積の角度分布から、中性子がどのような角運動量 `を持つ軌道に捕獲されたか、言い替えれば53Cr 中で中性子がどのような軌道にいるか、を知る事ができるのである。
1.4 エネルギー損失と粒子識別
重陽子ビームをターゲットに当てた時に放出される粒子は、(d, p)反応による陽子ばかりでない。弾性・非弾性散乱等による重陽子も当然混在するので、実験に際しては両者を識別する必要がある。このためには粒子によるエネルギー損失の違いを利用する。
高速の荷電粒子は、物質を通過すると主に物質中の電子との電磁相互作用によってエネルギーを失う。電子より重い粒子 (陽子、α粒子等、荷電重粒子と呼ばれる) の場合、エネルギーを失う過程で運動方向を殆んど変えないので、通過した物質の単位厚さ当りの
energy loss
エネルギー損失 dE/dx (stopping power
阻止能 とも呼ばれる) を一意的に定義する事が出来る。
非常に低いエネルギー (< 1 MeV)を除いて、エネルギー損失はBethe-Bloch formula
ベーテ-ブロッホの式
− dE
dx' 4πe4z2
mev2NZ
[ln
2mev2
I− ln(1− β2)− β2
](16)
によって近似的に表わされる。ここで、荷電重粒子の電荷を z、速度を v (β=v/c )、ターゲットの原子番号を Z 、原子数密度を N 、平均イオン化ポテンシャルを Iとした。NをNA/A (個/g) で表すと、単位面積当りの質量 (g/cm2 ) で定義した厚さ xに対するエネルギー損失になる10。
問 10 MeVの重陽子が厚さ 1 mg/cm2のクロムターゲットの中で失うエネルギーを求めよ。5.486 MeVのα粒子の場合も同様に計算せよ。ただし ICr = 257 eVとする。
同様に、荷電重粒子がエネルギーを失って止まるまでに通過する厚さも、物質に入射す
る時のエネルギーの関数として一意的に定義することが出来る。この厚さはrange
飛程 R(E)と呼ばれ、エネルギー損失を使って
R(E) =∫ E
0
dx
dE′dE′ (17)
で与えられる。シリコン (ISi = 165 eV)に対する荷電重粒子の飛程を図 6に示した。
12
E1 E2
particle
図 5: E1-E2検出器による粒子識別
以上から理解されるように、例えば図 5 のような二台の検出器セットを用意し、一台目(E1)を粒子が突き抜ける程度に薄く、二台目 (E2)を粒子が完全に止まる程度に厚くしておけば、両者の信号の相関から粒子の識別が可能である。正攻法としては、E1-E2の相関を演算しながらヒストグラムする、或いはヒストグラムする前の ADCデータを全て保存し、オフラインで演算する、等の方法が考えられるが、少々大がかりになってしまい、現実的でない。本実験では、E1およびE2検出器の厚さを絶妙に選択する事により、この問題の解決を図りたい。
問 E1および E2シリコン検出器の厚さをそれぞれ 500 µm および 1 mm とする。E1検出器で止めることの出来る陽子と重陽子の最高エネルギーはそれぞれいくらか? 15
MeVの陽子が E1および E2検出器に付与するエネルギーを求めよ (図 6の飛程のグラフを使って簡単に求めることが出来る。R(E) = R(15 MeV)− 500 µmとなるエネルギーEは何を意味しているか考えてみよ)。
1.5 シリコン半導体検出器と回路
エッチングした n型シリコン半導体結晶の表面を軽く酸化させて薄い p型物質層をつく
り、金を蒸着させて電極としたものがsurface barrier
表面障壁型 シリコン検出器である (図 7)。p-n接合
部の電子と正孔 (キャリア)はそれぞれ n型および p型物質に掃引され、depletion layer
空乏層 と呼ばれるキャリアのない高比抵抗の領域ができる。電極に逆バイアスをかけると空乏層は厚みを増して行き、(絶縁破壊が起こらなければ)検出器の全領域にまで広げることができる。この時空乏層は強電解領域となっており、放射線が空乏層を通過して発生させた電子正孔対は速やかに掃引され、電子正孔対の運動が電気信号を作ることになる。電子正孔対を生成するのに要するエネルギーは、Si (300 K) で 3.62 eV、Ge (77 K) で
2.96 eVである。エネルギー分解能が発生するイオン対の統計的ゆらぎによってのみ決まると仮定し、他の検出器と比較してみると
10通常の物質は Z/A ∼ 1/2であり、非常に低いエネルギーを除いて Iの影響は小さいので、dE/dxはあまり物質に依存しないことになる。厚さを g/cm2で表わすのはこのような事情にも基づいている。
13
図 6 水素・ヘリウム同位体イオンのシリコンに対する飛程
14
n
depletionlayer
Au coat
p+ layer
Metal contact
Bias
loadresister
signal
図 7: シリコン検出器の概念図 (左)および一般的な製品の断面図 (右)
検出器 イオン化エネルギー 5 MeV粒子に対する分解能
I (eV) 2.35/√
5× 106/I
シンチレーション 100∼500 1.1∼2.4 %
ガス 30 0.6 %
半導体 3 0.2 %
となる。この高分解能であることが半導体検出器の最大の特徴である。表面障壁型検出器の金の蒸着面は非常に薄く、光を透過してしまう。可視光のエネルギー
(いくらか?)はイオン対を作るのに充分なので、室内光でも非常に大きなノイズとなることに注意せよ。また、蒸着面は損傷を受け易いので、決して触ったりしてはいけない11。
半導体検出器の信号は以下の三つの回路で処理される (2.2節の図 12を参照)。
プリアンプ
半導体検出器の出力信号は小さいので、検出器のすぐ近くに、後続する回路とのインターフェースを行なうアンプが置かれる。検出器に付与されたエネルギーは電荷 QDに比例する (= E/I)が、検出器の容量 CDは
バイアス等の動作条件によって変化するため、電極に発生する電圧 VD = QD/CDはエネルギーを正確に反映していない。また、電荷収集時間がバラついた場合にも QDの正しい値を得るためには、時間的にもある程度の積分作用が必要である。こうした理由から、半導
体検出器には通常charge-sensitive preamplifier
電荷敏感型プリアンプが使われている。電荷敏感型アンプの基本動作は、フィードバック-コンデンサ Cfに発生する電圧 V0 =
QD/Cfを増幅することである。理想的には V0は時間的に階段型となるが、このままでは放射線を当て続けると V0がアンプの動作限界を越えてしまうので、フィードバック抵抗Rfを
11表面にドーピング不純物を導入する新しい方法を用いたion implanted detector
イオン注入型検出器が、シリコン半導体検出器の最近の主流になりつつある。表面の損傷に比較的強い点が特徴であるが、残念ながら本実験で用いる程度の厚い検出器は未だ実用に供されていない。
15
通じてQDを解放することになる。従ってプリアンプ出力は時定数 τ = RfCf (50 ∼ 500µs)
で減衰するパルスとなる (図 8(a))。τが短いと電荷収集が終らないうちにパルスが減衰してしまうし、フィードバック抵抗を流れる電流はノイズ源でもあるので、Rfの値は大きいことが望ましい。一方、τが長過ぎると計数率が高い時にパルスが重畳してしまい、V0が動作限界を越える危険が増大する12。プリアンプは、検出器の負荷を減らすために大きい入力インピーダンスを持っているが、出力インピーダンスは後続する回路を駆動するために小さくなっており、インピーダンス整合の役割を果たしている。
図 8: (a)プリアンプ出力、(b)整形アンプ出力、(c)アンダーシュート、(d)ベースラインシフト
整形アンプ
プリアンプ出力パルスの減衰時間は非常に長いので、放射線によるランダムな時間間隔の事象に対しては、パルスのテイルに後続するパルスが重畳され (パイルアップと呼ばれる)、単なる波高では電荷QDを正確に反映しなくなる (図 8(a))。そこで、長いテイルを取り除いて電荷 QDに比例する波高を持ち、しかも後段の MCAなどで扱い易い形のパルス
を出力するshaping amplifier
整形アンプが使われる。実用的に最もよく使われているのは、一段の CR微分回路と複数段 (4段程度)の RC積分回路を組み合せたもので、数µsの幅のガウシアンパルスを出力するようになっている (図 8(b))。このような交流結合のアンプは、回路の作り易さや雑音特性の点で優れているが、以下の点に注意する必要がある。プリアンプ出力の減衰時間 τ は非常に長いが無限大ではないので、微分作用のためにパルスはアンダーシュートを示し、後続するパルスの波高に誤差をもたらす (図 8(c))。これ
12フィードバック抵抗を使わずに、V0がある値を越えたら瞬時に QDを解放する動的な回路を組む方法もある。これはパルスリセット-プリアンプと呼ばれる。
16
を補正する回路がpole-zero cancellation
ポールゼロ·キャンセレーション (PZ)と呼ばれるもので13、プリアンプの減衰時間の個性に応じて調整するようになっている。交流結合の回路は本質的にベースラインシフトを示す (図 8(d)、
∫∞0 V (t)dt = 0なのでパ
ルスの分下がるはず)。これを解決するためにbaseline restorer
ベースライン再生回路 (BLR)が通常つけられている。これは一種のスイッチ回路で、入力がある閾値を越えたかどうかを判断して動作する。パルス波高が閾値を越えるとスイッチを開いてパルスを出力させ、パルスのない状態ではスイッチを閉じて出力をGNDにショートし、ベースラインを回復するようになっている。閾値はノイズレベルに応じて調整が必要だが、最近のモジュールはノイズを自動的に判断して閾値を設定出来るものがほとんどである。
波高分析器
PHA (Pulse Height Analyzer) またはMCA (Multi-Channel Analyzer) と呼ばれ、機能的には二つの部分に分けることが出来る。一つは、入力パルスのピークを判断してそれを保持し、ディジタル量に変換する部分 (Analog to Digital Converter : ADC)であり、もう一つは、変換されたディジタル量を基にメモリ操作を行い、ヒストグラムを作成したり簡単な解析等を行なうCPU部分である。これらが一体となったスタンドアローン型も広く用いられているが、実習後の解析の便宜等の理由から、本実験ではADCモジュールとイーサネットで接続された UNIX ワークステーションを使用する予定である。
問題 ADCの代表的なタイプとしては、ウィルキンソン型、逐次比較型、フラッシュADC
等がある。それぞれの原理および特徴について述べよ。
波高分析器は一つのパルスの処理に通常数 10 ∼ 100µsの時間 (dead time
不感時間と呼ばれる) を要し、その間は次のパルスを受け付けないことに注意する必要がある14。この “数え落とし”を無視できる程度 (例えば 1%以下)にしようとすると、不感時間が 100µsの場合、計数率は毎秒 100個以下に抑えなければならない。この計数率はあまり実用的と言えないので、より積極的な方法として、A-D変換されるべきパルスの個数Aと波高分析器に受け付
けられたパルスの個数 Bを数え、測定結果を一律に A/B倍してdead-time correction
不感時間の補正を行なう。
13物理学実験 I「エレクトロニクス II」の中で出て来たラプラス変換の応用である (Coffee Break―極とゼロの相殺―)。
14検出器自身やアンプ等の回路も不感時間を持つが、波高分析器に較べると短いのでここでは無視する。
17
1.6 タンデム-バンデグラフ加速器
図 9: タンデム-バンデグラフ加速器の概念図
10 MeV のエネルギーの粒子を得る最も直接的な方法は、10 MV の高電圧を発生させてイオンを加速する事だが、バンデグラフはそのような静電加速器の一種である。絶縁体のベルトに+電荷を乗せて運び、電荷を蓄える事により高電圧を発生させるという単純なアイディアは、1930年に R.J. Van de Graaffにより初めて加速器として実用化された。
バンデグラフ加速器では、ion source
イオン源 (中性原子から電子を剥ぎ取って正イオンを作る装置) を高電圧に印加した状態で動作させる必要が有り、これが種々の困難の要因となっていた。そこで、中性原子に電子を付けて負イオンを作り、+電極に向けて加速した後、炭素薄膜等を通して電子を剥ぎ取り (ストリッパーと呼ばれる)、正イオンとして接地電極に向けても
う一度加速するtandem Van de Graaf
タンデム-バンデグラフ加速器のアイディアが生まれた (図 9)。イオン源を接地電位で運転できるばかりでなく、発生電圧を二倍 (荷数が 2 以上になる元素ならば数倍)に使えるという、大きな長所を持っている。
今日のバンデグラフ加速器は、不安定な絶縁ベルトの代わりにペレットチェーン (小さな金属円筒をプラスチックの絶縁物で鎖状に繋いだもの) を使い、加速管内を SF6高圧ガスで満たす等して性能向上が図られており、最高 20 MV にまで達するものもある15。バンデグラフ型加速器は加速粒子のエネルギーが極めて安定しており、しかも微細にコントロールできるのが特徴である。このため、原子核の精密実験に適しているのみならず、元素の微量分析やイオン注入などへの応用範囲も広い。
加速器から引き出されたビームは、dipole magnet
双極電磁石とquadrupole magnet
四重極電磁石を使って実験室へ導かれて行く。双極電磁石は、一様磁場によってビームを “曲げる”ための装置である (光学的なプリズムに対応する)。ビームのエネルギーをより精度良く決めたり (運動量分析)、いくつかの実験室にビームを振り分ける (ビーム分配) 目的で使われる。
15本実験で使うタンデム-バンデグラフは、http://malt.rcnst.u-tokyo.ac.jp/indexj.html に写真入りで紹介されているので、興味の有る人は覗いてみると良い。
18
図 10: 四重極電磁石
四重極電磁石は、図 10のように 90毎に極性の異なる磁極を配した電磁石を組み合わせて構成され、ビームを集束させるために使われる (光学的レンズに対応する)。図の極性の場合、中心軌道から y方向にずれたビームは中向きに引力を受けて集束し、x方向にずれたビームは斥力を受けて発散することになる。このままでは光学的凸レンズのようには機能しないが、極性の反転した四重極電磁石を二つ組み合わせることにより16、xと yの両方向に関して集束性を持たせることが出来る。
16焦点距離が f1, f2の二枚のレンズを間隔 dで組み合わた合成系の焦点距離 Fは次の式で与えられる。
1F
=1f1
+1f2− d
f1f2
特に焦点距離の等しい凸レンズと凹レンズ (f1 = −f2)の時は F = f2/dとなり、集束性を持つ。
19
2 実験の詳細
2.1 第一日目 — 予備演習
実際の実験に向けて、簡単な問題演習と検出器操作の練習を行う。問題演習の詳細は実習時に指示する。
2.1.1 シリコン検出器操作とターゲット厚さ測定
241Am のα線源 (半減期 433年) を用いてシリコン検出器のテストと操作の練習を行う。また、実験で使用するターゲットの厚さをα線のエネルギー損失を用いて測定する。α線のエネルギーと分岐比は以下の通りである。
エネルギー 分岐比5.486 MeV 85.2%
5.443 MeV 12.8%
空気中でのエネルギー損失は無視できないので、小型の真空チェンバーを用いてテストを行う。2.2節の図 12を参考に回路を組んで、先ずα線のスペクトルを採ってみよう。十分なエネルギー分解能が得られれば、二本のピークが観測されるかも知れない。
検出器の動作が確認されたら、α線のエネルギー損失を利用してターゲットの厚さの測定を行う (本実験のターゲットは <1 mg/cm2のものを使う予定である。実物を見ればわかるが、これはマイクロメータの類を使って測れる厚さではない)。α線源とシリコン検出器の間にターゲットを挿入した場合/しない場合を測定し、スペクトルのピークのシフト量からエネルギー損失を算出する (スペクトルのゼロ・チャネルをゼロ・エネルギーと仮定せよ)。ターゲットは僅かな衝撃でも破れる恐れがあるので、取り扱い (特に真空のリーク)には十分注意する事。エネルギー損失から求められる厚さ dは単位面積当たりの質量 (mg/cm2) である。これ
から、単位面積当たりの原子数 N52Crを
N52Cr =厚さd ÷
質量数A ×
アボガドロ数NA (個/cm2) (18)
に従って求めておく。
2.1.2 データ収集プログラム – umca – の使い方
一台の ADCからデータを取得してヒストグラムし、表示・記録を行なうプログラムがumcaである。原総センターでは 4台の ADCが用意されており、複数の (独立な)ヒストグラムを同時に作成できる。プログラムの起動は、例えば
% umca1 &
というコマンドを端末から入力して行なう。末尾の ‘1’は 1番目の ADCを使用する事を意味し、2–4の対応も同様である。プログラムが起動されると図 11のウィンドウが開かれる。
20
図 11: umca の表示画面
以降の操作はほとんどマウスによって行われる。ヒストグラム表示部分をマウス左ボタンでクリックすると、クリック位置にカーソルがセットされ、画面下にチャネル数と対応するカウント数が表示される。カーソルをセットした後にマウス右または中ボタンをクリックすると、その値が ROI (Region Of Interest) の領域としてセットされる (ただし以下で述べる条件に注意)。これを二回繰り返すと ROIが塗潰し表示され、領域内のカウント数の和 (Gross)とバックグラウンドを引いた値 (Net)が画面下に表示される。バックグラウンドの評価は台形近似に依っている。即ち
Gross =Right∑i=Left
Yi , Net = Gross− 1
2(YRight + YLeft) (Right−Left+1)
ROIは設定された順番に通し番号が付けられる。Gross/Netの表示を切替えるには、スペクトルの塗潰された領域をクリックするか、または ROI番号に対応する数字キーを押す。その他のコマンドは、ウィンドウ右側のメニューボタンを左クリックする事により実行
される。意味はほぼ自明だが、以下に簡単な説明を示す。現在の版では、メニューが表示されても機能の実現されていないものが多いので (つまりプログラムは未完成である)、適宜判断して使用する事。ファイル名やコメント等の文字列を入力する箇所は、バックスペースによる修正のみが可能である17。電源投入後初めて起動する時は、ヒストグラムメモリにランダムなデータが入っているので、先ず Clear を実行する事。また、データ収集状態で起動される事も多い (!?)ので注意。
Start データ収集をスタートする。
17さらに原総センターの Solarisマシンを使う場合には、先ずサブメニューのタイトルバーをクリックしないと文字列が入力できない事に注意。
21
Stop データ収集をストップする。
Clear ヒストグラムを消去する。 サブメニューが現れて確認を促すので Sure をクリックする。
File ヒストグラムのファイルへの出力/ファイルからの読み込みを行う18。サブメニューでディレクトリ (File Path)、ファイル名、コメント等の入力を行う。既に存在するファイルを出力先に指定した場合は、上書きするか否かを問うサブメニューが現れる。
ROI ROI表示/非表示の切替え ( ROI ON ROI OFF )、Gross/Netが表示されているROIの削除 ( ROI Clear )、全ての ROIの削除 ( ROI All Clear ) を行う。
Log/Lin ログ/リニア表示を切替える。
VFS Up VFS Dn 表示領域の縦軸最大値 (Vertical Full Scale)を半分/二倍にする。
Line/Dot 各チャネルの値を、線で結ぶ/点のみで表示する、を切替える。ただし後述の
Full/Win がWindowモードの時のみ有効。ROIは Dotモードでのみ有効。
〈〈Exp〉〉 〉〉Comp〈〈 表示領域横軸を拡大/縮小する。領域はカーソル位置ができるだけ
中心となるように設定される。後述の Full/Win がWindowモードの時のみ有効。
Misc いくつかサブメニューが現れるが、 End MCA のみが有効である。プログラムを終了するのに使う。
Full/Win 全領域表示モード/拡大表示モードを切替える。Fullモードの時にはヒストグラム全体が塗潰し表示される。ROIはWindowモードでのみ有効。
2.2 第二日目 — 実験準備 バンデグラフは高電圧を発生させる静電加速器なので、真空度に対する条件が厳しく、実験コースの散乱槽も 10−7 Torr以下の真空度に達していないと、バルブを開く事すら許されない。つまり、第三日目の本実験時に散乱槽を開けてセットアップを変更する、等という事はできないので注意すること。第二日目は慎重に準備し、本実験までに二日間かけて十分真空度を高めておかなければならない。
図 12に従ってセットアップを組み上げる。ほとんど同じ回路を二系統組むので、混同しないように注意する事。特に、E1検出器と E2検出器にかけるバイアス電圧は全く異なるので、最悪の場合検出器を壊す事故に繋がる恐れがある。もちろん、検出器自体を逆にセットしては測定にならない。各々の検出器は外見が似ているが、よく見ると (引っ掻き傷のような)シリアルナンバーが記されているので、検出器のケースに書かれたナンバーと対応
18ROI情報等も一緒に保存されるので、後日設定値を確認する際に利用すると便利である。
22
PreAmp.
ADC2
ADC1S-Amp.
H.V.Supplier
S-Amp.
Work Station
PreAmp.
PowerSupplier
Target
Beam
Faraday Cup
ChamberScattering
Current
UNIgate
Experimental Area Counting Room
EthernetIntegrator
Start/Stop
Scaler
gate
digital
E2E1
図 12 回路系セットアップの模式図
23
させて確認する事。また、実験室と計測室は離れているので、整形アンプ入力をterminate
終端 しないと、反射のためにパルス波形が乱れる事に注意。ワークステーションでデータを採る準備ができたら、検出器にα線源をセットして散乱
槽を真空に引き、実際にデータを取得してみる (E1とE2で二回行う)。期待される最大エネルギーが収まるようにアンプのゲインを調整し、その値を記録しておく事。調整はCoarse
Gain (2 または 2.5 倍の間隔で大まかな調整をする)と Fine Gain (0.5 ∼ 1.5 倍の範囲で微妙な調整をする)の二種類で行い、両者の積でゲインが決まる。各々の検出器のテストが終了したら、立体角および角度広がりを考慮して、ターゲット
からの距離が適当となるようなアームの位置に検出器をセットする。検出器の有感面積は不定性が大きいので、検出器前面にスリットを付けて面積を確定する。スリットの穴の面積 Sと、ターゲットからスリットまでの距離 rから、立体角
∆Ω =S
r2(19)
が決定される。散乱槽内のケーブルの引き回しを考え、アームを回転する際にケーブルがビームや検出される粒子を遮ったりしないか確かめる。シリコン検出器のマイクロドットコネクタはネジが緩みやすいので、最後に確認しておこう (不完全な接触はノイズの元になる)。全ての準備が整ったら散乱槽の蓋を閉め、真空に引いておく。
ビームが止められるFaraday cup
ファラデーカップは電気的に絶縁されており、そこに発生する電荷量 Qからビーム照射量を知る事ができる。ただし電流値としては非常に僅かなもの (nA)
であるので、Current Integratorという専用回路を用いる。Current Integratorは照射電荷量が 10−10Cに達する度にパルスを発生するので、これをスケーラで数える事にする。
2.3 第三日目 — 本実験
2.3.1 測定の手順
スケーラとワークステーションの測定開始・停止の同期を図るため、Start/Stop回路の出力を二台の ADCと Current Integratorのゲート入力に並列に繋ぐ (図 12)。測定の手順は概ね以下のようになる。
1. ビームが止まっている事を確認し、検出器角度をセット。
2. ビームを出してもらい、計数率が適当な値 (103 counts/sec以下)である事を確認。
3. Start/Stop回路がストップ状態である事を確かめ、ワークステーションのヒストグラムと Current Integratorのスケーラをクリアし、スタート状態にする。
4. Start/Stop回路をスタート状態にする。
5. 52Cr(d, d)52Cr弾性散乱および52Cr(d, p)53Cr反応の幾つかの励起状態に関してワークステーション上で ROIを設定し、それぞれ適当な統計精度のカウント数が得られたら、Start/Stop回路をストップ状態にする。
24
6. Current Integratorのスケーラの値を書き留め、ワークステーション上のスペクトルをファイルに出力する (ファイルのコメントにスケーラ値を入れておくのも一手である)。現場整理のために ROIのカウント数もノートに記録しておく。
1. に戻って次の角度の測定を行う。
上記作業と並行して. . .
7. 各励起状態に関する微分断面積を
カウント数Y = N52Cr ·
Q
e· dσdΩ·∆Ω (20)
から算出し、散乱角度を横軸にグラフ化してみる19。角度分布から、測定角度のステップや統計精度はどの程度が適当か、また測定ミスがないかチェックをする (重要!!)。
検出器角度の設定は計測室からリモートで行われるが、モーターの動作はギアを通してアームに伝達されるので、ギアの「遊び」が角度設定の誤差と成り得る事に注意せよ。具体的には、角度が増える方向に回転しながら設定を行うように取り決めておき、小さい角度に設定する際も、一旦目標より小さい値まで回してから設定し直すようにすれば、少なくとも再現性 (相対値)は保証されるであろう。角度の絶対値の較正方法は後で述べる。
2.3.2 ターゲットの角度に関して
測定は 0から 180までのできるだけ広い角度範囲で行いたい。もちろん、ビームが検出器やホルダーに当たらない範囲にとどめるのは言うまでもない。それ以外に、ターゲットの角度によっては測定不能な「死角」の生まれる事に注意せよ。具体的には、図 13 のように前方角度 (θL ≤ 90 )と後方角度 (θL ≥ 90 )でターゲットの角度θT を変更すべきである。この時、ターゲットの実効的な厚さは sin−1 θT 倍となるが、θT の絶対値の精度はあまり保証されないので、各々のターゲット角度について共通する散乱角度θLの測定を何点か行い、後の補正を可能にしておく。
Beam
Particle
Beam
Particle
TargetTarget
θ ≥ 90 θ ≤ 90
図 13: 後方角度 (左)と前方角度 (右)の測定におけるターゲットの角度
19カウント数は Yield と呼ばれるので Yと表した。不感時間補正が必要である事に注意。
25
2.4 第四日目 — データ整理
2.4.1 データ整理の指針
解析の最初に行わなければならないのは、下の表に示した各反応の各々の準位に対する微分断面積の角度分布を質量中心系で求め、誤差を正しく評価する事である20。余裕が有れば、より高い励起エネルギー準位に関しても解析してみよう。
52Cr(d, p)53Cr 反応 52Cr(d, d)52Cr 反応53Cr 準位 励起エネルギー 52Cr 準位 励起エネルギー基底状態 0.000 MeV 基底状態 0.000 MeV
第一励起状態 0.564 MeV 第一励起状態 1.434 MeV
第二励起状態 1.006 MeV
カウント数に対して不感時間補正が必要な事は既に述べた通りである。この他に注意すべき事柄として、ターゲット角度の補正がある。前方角度と後方角度でターゲットの角度を変えて測定を行ったが、両者の相対角度は比較的信頼できるものの、ビームに対する絶対的な角度は較正しなければならない。各々のターゲットの傾きで測定した同じ散乱角度のデータがあるはずなので、両者が一致するように補正角度を決定せよ。
理論と較べられるべきはcenter of mass system
質量中心系 (C)の量なので、laboratory system
実験室系 (L)の測定量を変換する必要がある。一般的な A(a, b)B型反応 (Q値を Qとする)の場合、両者の関係式は以下のとおりである (ただし、非相対論的近似を用いる。±の−符合はγ > 1の時のみ有効)。
EC =mA
ma +mA
EL
cos θC = ± cos θL
√1− γ2 sin2 θL − γ sin2 θL
dΩC =∑±
∣∣∣∣∣∣±2γ cos θL +1 + γ2 cos(2θL)√
1− γ2 sin2 θL
∣∣∣∣∣∣ dΩL (21)
γ =
√mamb
mAmB
ECEC + Q
問題 式 (21)を証明せよ。
問題 同じく A(a, b)B型の反応で、実験室系角度θLに放出される粒子 bの実験室系でのエネルギー Ebは、
Eb =mambEL
(mb +mB)2
(2 cos2 θL + F ± 2 cos θL
√cos2 θL + F
)
F =mB(mb+mB)
mamb
(Q
EL− ma
mB
+ 1)
20発生事象数から求められるstatistical error
統計誤差 の他に、データ点全体に一定の影響を及ぼすsystematic error
系統誤差 もある事を忘れてはいけない。両者は区別して議論されるべきである。
26
で与えられる。これを証明せよ。10 MeVでの52Cr(d, p)53Cr反応に関して、放出される陽子のエネルギーEpを角度の関数として図示せよ。また、1H(d, p)2Hや1H(d, d)1H、12C(d, d)12C、16O(d, d)16O 等の弾性散乱の場合はどうなるか?
2.4.2 umca をオフラインで使うには
プログラム umcaは、131号室のパソコンや教育用計算機センターでも使用可能である(実際の使用法は実習時に指示する)21。作業を分担すれば効率化が図れるが、各々のマシンで解析を進めるには、先ずヒストグラムデータをコピーする必要がある。具体的には、以下のように ftpを使って転送を行なう。
% ftp gensan1.phys.s.u-tokyo.ac.jp
Name : username
Password : password
ftp> binary
ftp> get histogram-file # ヒストグラムを個別にコピーまたは
ftp> get spectra.tar.gz # 全てのヒストグラムをまとめてコピーftp> quit
全てのヒストグラムを転送する場合には、spectra.tar.gzを利用する方が効率的かつ便利である。ここで、.tar (tape archive)というファイル識別子は複数のファイルが一つにまとめられている事を表し、.gz はファイルが圧縮されている事を表す。ヒストグラムファイルのように、連続した 0が多数含まれている場合には圧縮効率は非常に高い。spectra.tar.gzからヒストグラムファイルを抽出するには
% tar xzvf spectra.tar.gz file-name
を実行する22。file-nameを省略すると全てのファイルが抽出されるが、教育用計算機センターではディスクの個人使用容量に制限が有るので、残り容量に注意する事。含まれるファイルの一覧を見るのは
% tar tzvf spectra.tar.gz file-name
である。spectra.tar.gzは重要なデータなので、誤操作で削除しないよう
% chmod -w spectra.tar.gz
によってファイル属性を書き込み禁止に変更しておくべきであろう (データを全て消してしまいましたという人は、何故か毎年居るのである)。
21パソコン (Intel)と計算機センター (Sun)の CPUはバイトオーダーが異なるが、umcaは自動判断/処理を行なっているので、共通のデータを扱う事ができる。
22教育用計算機センターでは機能拡張された tar (GNU tar)によって、このように圧縮/展開を同時に行う事ができる。標準的なUNIXの tarでは、 % gunzip -c spectra.tar.gz | tar xvf - のようにパイプを用いて展開出力を渡す必要がある。
27
2.4.3 より高度なデータ処理
umcaは必ずしも使い易いプログラムではないので、ヒストグラムデータを他のデータ形式に変換して利用したいと考える人も居るであろう。バイナリデータであるヒストグラムをアスキー形式に変換する例題として spcread.cを用意した。使い方は以下の通り (ただし、ヘッダファイルとして phainf.hが必要なので、所在するディレクトリを-Iオプションで指示する事に注意)23。
% gcc -o spcread spcread.c -I.
% spcread histogram-file
# Comment1 = first comment . . .
# Comment2 = second comment . . .
# Date,Time = 95/10/09 17:20:20
# Live Time = 437
# Real Time = 446
# Chan.Size = 4096
0 437
1 446
2 0
3 0...
...
(以下、各チャネルのカウント数が続く24)
さて、53Crの高い励起エネルギー準位の解析にも挑戦しようとすると、準位間のエネルギー差が小さくなるため、シリコン検出器の分解能によっては十分にピークを分離する事ができないかも知れない。ピークの形が例えばガウシアンN exp[−(x−m)2/2σ2] で表されると仮定し、スペクトルを再現するように最小二乗法で種々のパラメータを最適化して、各々のピークのカウント数を求める方法が考えられる。この時、フィットさせる関数は求めるパラメータ (N , m , σ ) に関して線型でないので、最小二乗法を用いるにしても少し複雑な手順が必要である。既存のパッケージをブラックボックスで用いるのも教育的でな
いので、Marquardt method
マルカール法を用いて、最適化関数
F (pj, x) = p1 + p2 x︸ ︷︷ ︸バックグラウンド
+npeak∑i=1
p2i+2 exp
[−(x−p2i+3)2
2p23
]
のパラメータ pjを求める簡単なサンプルプログラムとして peak-fit.f を用意した25。ここでピークの幅 (σ )は準位に依らず等しいと仮定している。例題の実行方法は以下の通りである。ただし、前出の spcread 等で ASCII形式に変換されたデータを読み込むように
23gcc とは GNU C Compiler である。SunOS 標準の cc を使うとエラーが出るので注意せよ。24この例でわかるように、チャネル 0には Live Time、チャネル 1には Real Timeが格納されており、多くのMCAプログラムがこの慣習を踏襲している。
25計算機を用いた実験データの解析や統計的手法等の解説書は多数出版されているが、原子核・素粒子実験で扱うような種類のデータ処理に関して、日本語で平易に書かれた教科書としては文献 [6]が好著である。
28
なっているので注意する事。最適化されたパラメータは標準エラー出力 (stderr)へ、フィットの結果得られるスペクトルは標準出力 (stdout)へ各々出力される。例題自身はあまりスマートではないので、各自使い易いように書き換え、改良して欲しい26。
% f77 -o peak-fit peak-fit.f
% peak-fit data-file > fitted-spectrum
1150 1250 # フィットさせる範囲 (xmin, xmax)
6 # σ 初期値300 # peak-1 N 初期値1192 # peak-1 m 初期値400 # peak-2 N 初期値1216 # peak-2 m 初期値^D (ctrl-d, 入力の終りを示す→ 計算開始)
ndata= 100
nfree= 93 chi^2= 1.02916574 # 自由度、χ2
1 -1.11169E-01 4.88426E+00 # 最適化パラメータ pj 、誤差 ∆pj2 2.75821E-04 4.09123E-03
3 5.97603E+00 4.90717E-02
4 2.84723E+02 5.20616E+00
5 1.19322E+03 1.06642E-01
6 4.18844E+02 6.35552E+00
7 1.21501E+03 8.70818E-02
図 14: 近接するピークをガウシアンの和としてフィットした例
26とは言え、後述するように多くのファイルを処理する場合はスクリプトを使うのが一般的であり、むしろ spcreadや peak-fitのように無愛想なプログラムが扱い易い事は多い。
29
NOTE
最小ニ乗法において “パラメータが非線型である” 事の意味を補足しておこう。先ず一般的に、n個のデータ点 (x1, y1) , (x2, y2) , . . . , (xn, yn) を関数F (p, x) を用いて最適化する場合を考える。ただし p= p1, p2, . . . , pmは関数を規定するパラメータとする。カイニ乗は、重み関数を wi (= ∆y−2
i )として
χ2 =1
n−mn∑i=1
wi (yi−F (p, xi))2 (22)
と定義され (n−mは自由度)、最適化条件は (実際には極値条件だが)
∂χ2
∂pj= 0 (j= 1, . . . , m) (23)
で与えられる。関数 F のパラメータpに対する依存性が線型である場合、即ち
F (p, x) = f0(x) +m∑j=1
pjfj(x) (24)
という形で表されるならば、式 (23) はm個の連立方程式m∑k=1
(n∑i=1
wi fj(xi)fk(xi)
)︸ ︷︷ ︸
Ajk
pk =n∑i=1
wi (yi−f0(xi)) fj(xi)︸ ︷︷ ︸bj
(25)
(ただし j= 1, . . . , m) に帰着する。式 (25)を行列形式でAp= bと表せば、最適解はp=A−1b から一意的に求められる事がわかる。さて、我 が々スペクトルのピーク形を表すために用いようとしているガウシア
ンは、パラメータpに対する依存性が式 (24)の形をしていない、即ち線形でないので、問題は少々複雑である。先ず考えられるのは、適当な最適解p0が何らかの方法で予想できたとして、その近傍でF をテーラー展開し、一次までの近似で式 (25)を適用する事である。
F (p, x) = F (p0, x) +m∑j=1
δpjfj(x) +O(δp2)
δp = p−p0 , fj(x) =∂F (p, x)
∂pj
∣∣∣∣∣p=p0
(26)
得られた解 (p1とする)はp0より真の解に近付いているはずでなので、更にp1
近傍の展開に関して式 (25)を適用し. . .という手順を繰り返して行けば、真の解に収束して行くであろう。この方法はニュートン法と呼ばれる。実際にはニュートン法は、初期値p0が真の最適解に充分近い場合を除いて
収束が遅く、実用的でない。この点を改良したのが peak-fit.f で用いているマルカール法である。詳しくは文献 [6]を参照して欲しい。
30
NOTE
複数の人が分担してデータ整理をする際は、予めどのような形式で結果をまとめるかを取り決めておくのは当然だが、例えば、下記のような書式のテキストファイルを各人が作成し、データが揃った所でファイルを結合してから、微分断面積をまとめて計算するのは一つの方法である。
検出器角度 ビーム電荷量 不感時間 基底状態 第一励起状態 . . .
(degree) (10−10 C) 補正因子 カウント数 カウント数...
......
......
......
......
...
UNIX上で使えるファイル結合のコマンドには、以下のようなものがある。
% cat file1 file2 > file3 # 行単位の結合
1 2 3
a b c
File 1
x y z
File 2
⇒
1 2 3
a b c
x y z
File 3
% paste file1 file2 > file3 # 列単位の結合
1 a
2 b
3 c...
...
File 1
x
y
z...
File 2
⇒
1 a x
2 b y
3 c z...
......
File 3
また、エディタ (mule, emacs) の中で同様の操作をするには、C-x + i +file-
name (カーソル位置にファイルをインサート)や、C-Space 、M-x +delete-
rectangle (矩形領域の削除)とM-x +yank-rectangle (削除された矩形領域をカーソル位置にペースト)の組合せ等が使える。さて、このような行単位表形式のテキストの処理にはAWK等を使うのが簡
単. . . という事になっているが、ここで行うのは単なる四則演算ばかりでなく、実験室系から質量中心系への変換も必要である事に注意して欲しい (AWKでは逆三角関数として atan2しか使えない)。AWKに慣れているのでなければ、C
や FORTRAN等のプログラムを書く方が速いかも知れない。
31
NOTE
数多くのファイルに同じ操作を繰り返すのは、UNIX の得意とする所である。教育用計算機センターのデフォルトでは C-シェル (csh)がログインシェルとなっているが、C-シェルで繰り返し操作を行うには次のような方法が有る。
% foreach i (*.dat)
foreach? spcread $i > $i:r.asc
foreach? end
この例では拡張子が ‘.dat’であるファイルのf o r e a c h
各々に関してコマンド spcread
が実行される。対象となるファイル名は変数 iによって参照されるが、変数は更に修飾子を付して加工する事もできる。上で使われている ‘:r’は拡張子を取り除く修飾子であり、‘.dat’を ‘.asc’に付け替えたファイルに spcreadの結果を出力するようになっている。長い操作はスクリプトファイルに書いて実行する。以下の例題は、昨年度の
学生がピークフィットを自動化するために書いたスクリプトの一部である。
#!/bin/csh
foreach filename (*.asc)
set param=‘grep $filename:r fitpara.dat‘
cat <<EOF | (peak-fit $filename >! $filename:r.fit) \
>&! $filename:r.res
$param[2] $param[3]
$param[4]
$param[5]
$param[6]
$param[7]
$param[8]
EOF
end
‘fitpara.dat’ の内容#ファイル名 最適化範囲 σ初期値 N1 m1 N2 m2 の初期値run001 700 950 12 388 849 176 791
run002 700 920 12 376 849 151 792
‥‥‥ ‥‥‥ ‥ ‥ ‥ ‥ ‥
ところで 4–5行目の “( command > file1 ) >& file2 ”という書き方は、stdout
および stderrを別々のファイルに出力する為の工夫だが、少々込み入っていると言わざるを得ない。この様な点は C-シェルがスクリプト記述に不向きな理由の一つとされている。スクリプト記述に優れた言語として他にどのようなものが有るか、興味有る人は調べてみると良い。
32
3 解析の指針
3.1 簡単な解析
得られた微分断面積の角度分布から、53Crの各励起状態における中性子の軌道角運動量`を推定してみる。殻模型が良い近似で成り立っているとすれば、中性子軌道は 0f7/2 まで詰まっているので、低い励起状態は 1p3/2, 1p1/2 (`=1) または 0f5/2 (`=3) のいずれかに一つの中性子が入り込んだ状態と考えて良いであろう。1.3節で示したように、式 (15) を` = 1 および 3 について計算し、実験の角度分布と比較してみよう。G(K)を計算するには、重陽子波動関数φd(r)のフーリエ変換が必要である。解析関数で
φdを近似する場合、
φd(r) =
√√√√2ab(a+b)
4π(b−a)2
e−ar−e−brr
(27)
という形がよく用いられる27。Y 00 (r) = (4π)−1/2である事と、平面波のレーリー展開
exp(ik·r) = 4π∑LM
iLjL(kr)Y ML (k)Y M∗
L (r) (28)
を用いると
G(k) =∫
exp(ik·r)φd(r)dr
=
√√√√8πab(a+b)
(b−a)2
[1
a2+k2− 1
b2+k2
](29)
が得られる。さて、j`(qR) の中のR (= Rd +R52Cr) に関してコメントしておきたい。52Cr は十分な
大きさを持つ原子核なので、RA = 1.2A1/3 [fm] とする近似は適当と考えられるが、二つの核子が小さいエネルギーで結合した重陽子は “飽和した”原子核とは程遠いものである。従って、Rd を定義する事自体に難が有るが、他の多くの実験から Rd = 3.5 ∼ 4 fm が妥当な値とされている。
上記の簡単な取り扱いは、移行中性子の軌道角運動量が推定できる程度であり、微分断面積の大きさに関しては本質的に予言性が無い。実験データをより詳細に再現するには、もう少し複雑な数値計算が必要である。次節以降で示す解析は、必須ではないが、より本格的な計算を行ないたい人のために用意したものである。慣れていない人には計算機による解析も容易ではないが、サンプルプログラムを用意したので是非トライして欲しい。実際に計算する事によって理解も深まると期待する。
27φd(r)を球対称と仮定する。rが十分大きく陽子-中性子間相互作用が無視できる漸近領域でφdが満たすべきシュレディンガー方程式は [d2/dr2 + 2µdεd/h2](rφd) = 0 である。その解はφd(r) ∝ e−ar/rで与えられ、重陽子の束縛エネルギーεd = −2.22 MeVを用いると a =
√−2µdεd/h = 0.2316 fm−1となる。この一項だけ
ではφdは原点で発散してしまうので、e−br/rの項を加えている。b = 6.39 aがよく用いられるが、ここで行う程度の計算ではφdの原点近傍の振舞いはあまり重要でない。
33
3.2 反応理論の基礎
先ず量子論的な反応の取り扱いについて簡単に復習しておこう。道具立てが少し長いが、学部三年の量子力学の範囲を越える部分はほとんど無い。詳しく勉強したい人は、他の教科書 (例えばメシア「量子力学」第 19章、文献 [2]第 11章等)を参照の事。
さて、始状態 (反応が起こる前の状態)および終状態 (反応後の状態)に関する量を、それぞれαおよびβの添字を付けて表す事にする。52Cr(d, p)53Cr反応の場合について具体的に考えてみよう。ただし p、n および52Crは内部構造を持たない粒子として扱うことにす
p
n
r
x
xrβ
βα
α
52Cr
図 15: 52Cr(d, p)53Cr 反応の座標系
る。座標系を図 15のように定義する。全系のハミルトニアンは以下の二通りに表される。
H = − h2
2µd-52Cr
∂2
∂r2α︸ ︷︷ ︸
Kα
− h2
2µp-n
∂2
∂x2α
+ Vp-n︸ ︷︷ ︸Hα
+Vn-52Cr + Vp-52Cr︸ ︷︷ ︸Vα
(30a)
= − h2
2µp-53Cr
∂2
∂r2β︸ ︷︷ ︸
Kβ
− h2
2µn-52Cr
∂2
∂x2β
+ Vn-52Cr︸ ︷︷ ︸Hβ
+Vp-52Cr + Vp-n︸ ︷︷ ︸Vβ
(30b)
先ず始状態について考えてみる。Hαは重陽子の内部波動関数φd(xα) (=〈xα|φd〉)を記述するハミルトニアンであり、重陽子の束縛エネルギーをεdとすると
Hα |φd〉 = εd |φd〉 (31)
である。粒子が十分離れて Vα= 0と見倣せるような領域では、Φα=φd exp(ikα·rα)は
(Kα +Hα) |Φα〉 =
(h2k2
α
2µα+ εd
)|Φα〉 (32)
を満たし、漸近解の一つである事がわかる。ここでµd-52Crをµαと表した。終状態についても同様で、53Crの内部波動関数 (簡単のためにφn(xβ)と表す)は、中性
子の束縛エネルギーをεnとすると、次の式を満たす。
Hβ |φn〉 = εn |φn〉 (33)
34
さて、境界条件としてΦαを使うと、全系の波動関数Ψは積分方程式
Ψ(±)α (rα) = Φα(rα)− µα
2πh2
∫exp(±ikα|rα−r′α|)
|rα−r′α|Vα(r′α)Ψ(±)
α (r′α)dr′α (34)
で与えられる。Ψαの満たす全系の方程式は
(E −Kβ −Hβ) |Ψ(±)α 〉 = Vβ |Ψ(±)
α 〉 (35)
と書く事もできるので、式 (34)の該当部分をβに置き換え、|φn〉との内積をとると
〈φn|Ψ(±)α 〉 = exp(ikα·rα) δβα −
µβ
2πh2
∫ exp(±ikβ|rβ−r′β|)|rβ−r′β|
〈φn|Vβ |Ψ(±)α 〉dr′β
→ exp(ikα·rα) δβα + fβαe±ikβrβ
rβ(36)
となる28。rβ r′βの極限では |rβ−r′β| → rβ−rβ·r′β = rβ−kβ ·r′β なので、散乱振幅 fβαは
fβα(kβ,kα) = − µβ
2πh2 〈Φβ|Vβ|Ψ(+)α 〉 (37)
で与えられる事がわかる。ここで、Φβ(rβ)=φn exp(ikβ ·rβ) は終状態の漸近解である。
微分断面積は散乱振幅の二乗で与えられるが、transition matrix element
遷移行列要素
Tβα(kβ,kα) = 〈Φβ|Vβ|Ψ(+)α 〉 (38)
を定義して29
dσβαdΩ
=2π
hvα|Tβα|2ρ(Eβ) (39)
と表す事も多い。ただしEβ = h2k2β/2µβとした。ρ(E)は状態密度であり、平面波を exp(ik·r)
と規格化した場合は
ρ(E) =dn
dE=
dk
(2π)3dΩdE=
p2
(2πh)3
dp
dE=µp
h3(40)
で与えられる。式 (39) で、vαは始状態波動関数Φαの流れの密度であり、残りの部分
2πh−1|T |2ρは、Fermi’s golden rule No. 2
フェルミの第二黄金律によればα→ βの遷移確率を表す。従って微分断面積は、単位面積当たりの入射束で規格化された遷移確率とみなす事ができる。
さて、扱う問題にもよるが、Ψ(±)α を求めるのは一般に (我々が扱おうとしている (d, p)反
応の場合でも) 容易ではない。Vαがあまり大きくない場合には、Ψα ' Φαと見倣して
Tβα ' 〈Φβ|Vβ|Φα〉 (41)
とするBorn approximation
ボルン近似の方法が考えられる。28右辺第一項目は (d, p)反応の場合 0になるが、弾性散乱 (β = α )にも応用できるように一般的に書いた。29〈Φβ|T |Φα〉 = 〈Φβ|Vβ |Ψ(+)
α 〉 を満たす遷移演算子 T の行列要素の意。
35
3.3 歪み波への一般化
現実の問題ではボルン近似 (41) が適用不能な場合は多い。そこで次のステップとして
Vα(rα,xα) = Uα(rα) +Wα(rα,xα) (42)
のように分解する事を考えてみる。ただし、
(Kα +Hα + Uα) |Xα〉 =
(h2k2
α
2µα+ εα
)|Xα〉 (43)
を満たすXα(rα)が比較的容易に計算できるとする。式 (36) と同様に、漸近形が外 (内)向き球面波を含む解に添字+(−)を付す30。即ち
〈φd|X (±)α 〉 → exp(ikα·rα) + f (0)
αα
e±ikαrα
rα(44)
Uαはxαに依存しないので、α → βのような反応は引き起こさない。終状態βに関しても同様の分解が可能であるとする。前節と同様の手順によって、遷移行列要素は
Tβα(kβ,kα) = 〈Φα|Uα|X (+)α 〉 δβα + 〈X (−)
β |Wβ|Ψ(+)α 〉 (45)
のように分解される。このように、補助ポテンシャル Uを導入して遷移行列要素 (38) を
(45) に書き換える事をGell-Mann Goldberger transformation
ゲルマン・ゴールドバーガー変換 と呼ぶ。さて、W が小さくなるように Uをうまく選べば、Ψα ' Xαと見倣して
Tβα(kβ ,kα) ' 〈Φα|Uα|X (+)α 〉 δβα + 〈X (−)
β |Wβ|X (+)α 〉 (46)
とする近似は妥当であろう。これはdistorted wave Born approximation
歪曲波ボルン近似 (DWBA)と呼ばれる。
3.4 弾性散乱
Uとして適当なのは、弾性散乱 (始状態ならば52Cr(d, d)52Cr、終状態ならば53Cr(p, p)53Cr )
を記述するポテンシャルであろう。始状態に関しては、(d, p)反応の測定の際に弾性散乱のデータも同時に採られているはずなので、これを再現するように Uαを決めてみる。弾性散乱の計算においてもゲルマン・ゴールドバーガー変換は有用である。d-52Cr間に
はクーロン力も働くが、レンジが非常に長いため、漸近解を平面波とみなす事ができないからである31。ポテンシャルを以下のようにクーロン力部分と核力部分に分けて考える32。
Uα(rα) =ZdZ52Cre
2
rα+ V N
d-52Cr(rα) (47)
30両者は X (−)(k, r) = X (+)∗(−k, r) で関係付けられる。31とすると、微分断面積の定義自体が変更を受けてしまいそうに思われる (無限遠では電子の雲で中性化されるから大丈夫さ、というのは議論の本質を避けている)。が、実はクーロン力が働く場合でも流れの密度は平面波と同じになるので、問題は無いのである (詳しくは、例えばメシア第 11章 §8)。
32以降では球対称ポテンシャルのみを扱う。
36
散乱振幅を書き下し、核力に対応する振幅を部分波展開すると33
f (0)αα (θ) = fC(θ) + fN(θ)
fC(θ) = − η
2k sin2(θ/2)exp
[−iη log
(sin2 θ
2
)+ 2iσ0
]
fN (θ) =1
2ikα
∞∑L=0
(2L+1)e2iσL(e2iδL−1)PL(cos θ) (48)
η (=ZdZ52Cre2µα/h
2kα )はクーロン・パラメータ、σL (= arg Γ(L+1+iη) )はクーロンによる位相のずれ、δLは核力による位相のずれ、θは散乱角度である。歪曲波 X (+)
α (kα, rα)を
〈φd|X (+)α 〉 =
4π
kαrα
∑LM
iLχαL(kα, rα)Y ML (kα)Y M∗
L (rα) (49)
と部分波展開すると、動径成分χαLの満たすべきシュレディンガー方程式は[d2
dr2α
+ k2α −
L(L+1)
r2α
− 2µα
h2 Uα(rα)
]χαL(kα, rα) = 0 (50)
であり、位相のずれは境界条件
χαL(kα, rα)→ i
2eiσL
[H−L (kαrα)− e2iδLH+
L (kαrα)]
(51)
によって決まる。ここでH±L (kr) =GL(kr)±iFL(kr)であり、FLは原点で正則な、GLは原点で特異なクーロン波動関数である。核力ポテンシャル V Nとして適当なのは、原子核の密度の飽和性を考慮するとフェルミ
型ポテンシャルであろう。これは殻模型波動関数の計算でも用いたが、弾性散乱の場合には、さらにポテンシャルを複素数に拡張する。
V N(r) = VRf(xR) + iVId
dxf(xI)
f(xi) =1
1+ exp xi, xi =
r−riA1/3target
ai(i = R, I) (52)
パラメータ VR , rR , aR , VI , rI , aIは、実験値を再現するように最適の値を選ぶ。ポテンシャルの虚部によって、(VIが正ならば) 散乱粒子の流れの密度は減衰する事になるが (例えば、シッフ「量子力学」§20を参照)、これは、核反応を起こして弾性散乱以外のチャネルに遷移する波を現象論的に表したものである。本来、物理的観測量はエルミート演算子によって表されるはずだが、正功法をとるならば52Crの内部自由度も考慮し、全ての核反応 ((d, p)反応以外にも有象無象の反応が起こる) を解かなければならない。しかし、これは実際上不可能なので、便法として複素ポテンシャルは広く用いられている34。また、式
33fC(θ)はラザフォード散乱に対応する。部分波展開は Lに関して収束しないので、解析的表記を示した。
34吸収を表すのに複素数を使うアイディアは光学に由来するので、optical potential
光学ポテンシャル の呼び名が一般的である。ポテンシャルの虚部をフェルミ型の微分で表しているのは、核の表面で強く吸収される事を表している。これに対し、フェルミ型そのものを虚部とすれば体積全体での吸収となる。種々のエネルギーで行われた系統的な研究によって、10 MeV程度の低い入射エネルギーでは表面部分が強く、エネルギーの上昇と共に体積部分が相対的に強くなって行く事が知られている。
37
(47) ではクーロン力部分を点電荷で表したが、一様電荷球とする方が現実的であろう。
Uα(rα) = V Nd-52Cr(rα) +
ZdZ52Cre
2
rα, rα ≥ R
ZdZ52Cre2
2R
(3− r
2α
R2
), rα < R = rCA
1/3target
(53)
この場合、fNに寄与するのは V Nばかりでなく、点電荷からのずれも含まれる事になる。
以上で準備は整った。殻模型波動関数のサンプル計算プログラム shell.f でも用いたNumerov法によって、式 (50)を原点から積分して行き、V N(r) = 0と見倣せる rで式 (51)
に接続して位相のずれを求め、式 (48) によって散乱振幅、さらに微分断面積を計算すれば良い35。弾性散乱の微分断面積を求めるサンプルプログラムは elastic.f である。クーロン波動関数を計算するサブルーチンを使っているので、
% f77 -o elastic elastic.f coulomb.f
等として実行形式を作る事。後の便宜を考えて、ポテンシャルはexternal function
外部関数 としてサブルーチンに渡しており、パラメータはその中で定義されている。実験で得られた微分断面積を再現するように最適な値を決定せよ36。
終状態の p+53Cr弾性散乱に関しては、我々はデータを持っていないので、文献のパラメータを参照する事にする37。53Crの低励起状態のみに注目するとして、Ep = 15 MeVの最適化されたパラメータを以下に挙げる。
VR = −50.0 (MeV) , rR = 1.25 (fm) , aR = 0.65 (fm)
VI = +53.2 (MeV) , rI = 1.25 (fm) , aI = 0.47 (fm) (54)
3.5 ゼロ・レンジ近似
(d, p)反応の遷移行列要素を、歪曲波ボルン近似によって書き下してみよう。終状態の歪曲波を記述するポテンシャルを
Uβ = Vp-53Cr ' Vp-52Cr (55)
と近似すると、Wβは式 (30b) より
Wβ = Vβ − Uβ ' Vpn (56)
35この中で、クーロン波動関数FL , GLを計算するのは容易ではない。FLは合流型超幾何級数で与えられるが、実数の量を公式通りに複素数の無限級数で求めるのは現実的でない。GLに至っては二重無限級数なので、何か工夫が必要である。FL , GLを速く正確に計算する方法に関する論文は幾つか発表されており、coulomb.fで用いているサブルーチンは、Barnett, Feng, Steed & Goldfarb: Computer Physics Communications Vol.8 p. 377 (1974) に従っている。
36 各パラメータは全く独立ではなく、個々の値を完全に決めるのは実は難しい。例えば、V · r2が一定であるパラメータの組み合わせは、類似する結果を与える事が知られている。これは、弾性散乱微分断面積が、ポテンシャルの体積積分には敏感だが、その詳細な形にはあまり依存しない事を意味している。
37F.G. Perey: Physical Review Vol. 131, p. 745 (1963).
38
と単純化される。(d, p)反応では式 (45) の第一項は寄与しないので、遷移行列要素は
T(d,p) ' 〈X (−)β |Vpn|X (+)
α 〉 (57)
となる。X (±)は前節で求めたので、あとは式 (57) を積分するだけである。
. . .と言いたい所だが、始状態と終状態の座標系が異なるので、この多重積分は少し大変である38。そこで、核力 Vpnが短距離力である事をさらに単純化して
Vpn(xα)φd(xα) ' D0 δ(xα) (58)
と近似してみよう。ここでD0は、φdの満たすべきシュレディンガー方程式を用ると
D0 =∫Vpn(x)φd(x)dx =
∫ [h2
2µd
d2
dx2+ εd
]φd(x)dx (59)
と表される。φdとして式 (27) を用いた場合、
D20 '
8πεda3
(a+b
b
)3
= 1.53×104 MeV2fm3 (60)
が得られる。この手法はzero-range approximation
ゼロ・レンジ近似 と呼ばれている。式 (58) から
rβ →m52C
m53C
rα , xβ → rα (61)
となり (図 15)、積分はrαに関してのみ行えば良い事になる。では式 (57) を書き下してみよう。53Cr 中の中性子が、特定の軌道角運動量 `を持つと
して
〈xβ|φn〉 =φ`(xβ)
xβY m` (xβ) (62)
と表す事にする。中性子のスピンは、取り敢えずここでは考えない (脚注 42 参照)。φ`はshell.f で計算されたものに等しい。式 (57) の露わな形は
Tm(d,p) ' D0
∫drα
φ`(rα)
rαY m` (rα)
× 4π
kβrα
m53Cr
m52Cr
∑LβMβ
i−LβχβL(kβ,m52Cr
m53Cr
rα)YMβ
Lβ(kβ)Y
Mβ∗Lβ
(rα)
× 4π
kαrα
∑LαMα
iLαχαL(kα, rα)Y MαLα (kα)Y Mα∗
Lα (rα) (63)
と書かれる。上付き添字の mは53Crのスピンの磁気量子数と解釈されるが、測定では m
は区別されないので、|T |2に関して (非コヒーレントに)和をとる事になる。さて、座標系としてkα (入射ビーム方向)を Z軸にとっても一般性は失われない。この時、
Y MαLα (kα) = δMα0
√2Lα+1
4π(64)
38今日の計算機パワーにとっては大変ではないかも知れないが。
39
である事と、一般的な関係式∫YMβ
Lβ(r)Y m
` (r)Y MαLα (r)dΩr
= (−)Mα
√√√√(2Lβ+1)(2`+1)
4π(2Lα+1)〈Lβ ` 0 0|Lα 0〉〈Lβ ` Mβ m|Lα −Mα〉 (65)
に注意すると、式 (63) は
Tm(d,p) ' D04π
kαkβ
m53Cr
m52Cr
∑LαLβ
iLα−Lβ−m
×√
(2Lβ+1)(2`+1) 〈Lβ ` 0 0|Lα 0〉〈Lβ `−mm|Lα 0〉
× Y mLβ
(kβ)∫φ`(rα)
rαχβLβ(kβ ,
m52Cr
m53Cr
rα)χαLα(kα, rα) drα (66)
に帰着する。長い道のりであったが、これが求める最終結果である。式 (66) の遷移行列要素を計算して、(d, p)反応の微分断面積を求めるサンプルプログラム dp.f を用意した。ただし、φ`を計算するサブルーチン solve wfを shell.f 、およびχLを計算するサブルーチン distwfを elastic.f から、各々抜き出して結合する事。また、クレブシュ・ゴルダン係数を計算するサブルーチン racah.f もリンクする必要が有る。パラメータは各サブルーチンに露わに書かれているので、種々の励起状態を計算するためには一般的に書き直した方が良いかも知れない。各自工夫して改良して欲しい。
3.6 分光学的因子
さて、DWBAは実験と比較し得る本格的な計算ではあるが、必ずしも実験結果を十分再現できるとは限らない。前節までに導入された数々の近似の中には不適当なものも有るであろう。特に、重陽子と52Crが一旦融合してから陽子を放出するような、複雑な過程を経るものが大きく寄与する場合には、ボルン近似の取り扱いは無理がある39。ただし、前節までの模型の範囲でも幾つか調整可能なパラメータが有る事に注意したい。
光学ポテンシャルのパラメータは弾性散乱によって決定したが、ポテンシャルの形に関しては曖昧さが残っていた (脚注 36)。式 (66) から分かるように、弾性散乱に較べると (d, p)
反応は歪曲波の内部領域での振舞いが重要となるので、(d, p)反応も同時に再現するように、光学ポテンシャルのパラメータを見直す必要が有るかも知れない。また、殻模型軌道計算に用いたポテンシャルの深さを各励起状態毎に変えて、最適値を求める方法も考えられる。これは少し “邪道”に思われるかも知れないが、本来、殻模型の一体場ポテンシャル
は全ての構成核子の波動関数と共にself-consistent
自己無撞着に解かれるべきものなので、移行された中性子の軌道に依存してポテンシャルが変わるのは不自然ではない。
39この場合には52Cr内の核子の自由度も考慮されなければならない。d+52Crが完全に融合して、励起状態の54Mnが形成されてから陽子が放出されるならば、そのエネルギー分布は古典的描像に従うとマックスウェル分布になりそうに思われる。しかし状態密度が離散的であるため、放出陽子のエネルギーを測るだけでは、直接的に中性子を移行した単純な過程と区別が付かない。
40
殻模型に関連して、spectroscopic factor
分光学的因子と呼ばれる規格化因子に触れておこう40。微分断面積の角度分布の形は実験値を再現するものの、絶対値を合わせるには規格化因子が必要となる事がある41。この因子は、物理的には殻模型軌道の中性子の占有確率を反映していると考えられる。単純な殻模型では、52Cr中の中性子の占有確率は、0f7/2軌道までは 1、1p3/2
以上は 0であった (図 16 左)。しかし、核子の多体系として問題を解こうとすると、一体場
ポテンシャルでは表されないresidual interaction
残留相互作用 (その代表は 1.2.3 節で述べた対相関である) を考慮する必要が有り、殻模型軌道の占有確率としてはより複雑なものになって来る (図 16
右)。(d, p)反応の分光学的因子は中性子の入る確率 (= 1−占有確率)を表しており、残留相互作用に関する重要な情報源となっている。
0f5/21p1p
1/23/2
0f7/20d0d1s
3/25/21/2
0p1/2
1/2
n p
0s
0p3/2
0f5/21p1p
1/23/2
0f7/20d0d1s
3/25/21/2
0p1/2
1/2
n p
0s
0p3/2
図 16: 単純な殻模型による52Cr原子核の描像 (左図)も、残留相互作用によって各軌道の占有確率が分布を持つため複雑になってくる (右図)。
3.7 スピンと偏極
これまで、粒子のスピンは全く無視して話を進めて来た。実際には、重陽子はスピン 1、陽子および中性子はスピン1
2を持つ42。通常の実験条件では、入射重陽子は磁気量子数 〈JZ〉
に関して一様な分布を持ち、陽子および53Crについては 〈JZ〉の区別なく測定している (言い換えれば、非コヒーレントに和をとっている)。これに対し、例えば 〈JZ〉分布に偏りを
40この呼び名は原子準位研究との類似から由来するもので、光とは直接関係は無い。41もちろん、単に実験の間違いという可能性もあるので、十分チェックする事。特に弾性散乱は規格化因子が無くても再現できるはずである。ターゲットの厚さ、検出器の立体角、ビーム照射量、ROIの範囲等、誤差の源は色々あるので、因子の信頼性を検討してみよ。
42 球対称な (スピンに依存しない)光学ポテンシャル U (式 (52))を仮定しているので、遷移行列要素 (式(66))の結果は、スピンを考慮しても大筋で変更を受けない。殻模型波動関数 (式 (62))は変更が必要であるが、磁気量子数mに関する和が [−` , ` ]から [−j , j ]に変わるだけなので、統計的因子 (2j+1)/(2`+1)(2s+1) の違いしかもたらさない (s=1
2は中性子のスピン)。この因子はサンプルプログラムでは考慮されている。
41
持った重陽子ビーム (これはpolarized beam
偏極したビームと呼ばれる) で測定すれば、核構造に関して更に多くの情報を得る事が出来る。
53Crの場合を例にとってみよう。基底状態 (1p3/2) と第一励起状態 (1p1/2) の微分断面積の角度分布の形は区別が付かない程似ており、いずれも `=1であるという以上の情報は得られない。しかし偏極したビームを用いれば、図 17に示すように全角運動量 jの違いが明らかになるのである。原子核反応における偏極観測量とその応用 (或いは偏極したビームを如何にして作るか)に興味の有る人は、文献 [4]が詳しいので参照してみると良い。
図 17: 52Cr(d, p)53Cr反応における、53Cr の基底状態 (jπ=3
2
−) と第一励
起状態 (jπ=12
−) に対する偏極観測
量 iT11の角度分布。微分断面積ではわからなかった全角運動量の違いがはっきり現れている43。
スピンが上向きであるビームに対する微分断面積をσ↑、下向きの場合をσ↓と表すと、iT11は次の式で定義される。
iT11 =√
32
σ↑ − σ↓σ↑ + σ↓
参考文献
[1] 「原子核物理学」八木浩輔 (基礎物理科学シリーズ 4、朝倉書店)
[2] 「原子核の理論」市村宗武・坂田文彦・松柳研一 (岩波講座 現代の物理学 9、岩波書店)
[3] 「原子核」野上茂吉郎 (基礎物理学選書 13、裳華房)
[4] 「スピンと偏極」久保謙一・鹿取謙二 (新物理学シリーズ 27、倍風館)
[5] Table of Isotopes 8-th edition, ed. V.S. Sirley, C.M. Baglin, J. Zipkin and S.Y.F. Chu
(Wily-Interscience Publication, Jhon Wiley & Sons)
[6] 「データ解析 —アナログとディジタル— 改訂版」粟屋隆 (学会出版センター)
[7] 「実験精度と誤差—測定の確からしさとは何か—」N.C. Barford (酒井英行訳、丸善)
[8] 「放射線計測ハンドブック 第二版」G.F. Knoll (木村逸朗 阪井英次 訳、日刊工業新聞社)
43D.C. Kocher & W. Haeberli: Nuclear Physics Vol. A196, p. 225 (1972)
42