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Meiji University
Title 共同正犯の主観的成立要件について
Author(s) 阿部,力也
Citation 法律論叢, 70(1): 71-123
URL http://hdl.handle.net/10291/1431
Rights
Issue Date 1997-07-28
Text version publisher
Type Departmental Bulletin Paper
DOI
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/
法律論叢
第七〇巻
第
一号
(一九九七
・七)
【論
説】
共同正犯の主観的成立要件について
阿
部
力
也
目
次
一
本稿
の目的
ニ
デルク
ゼンおよ
びレッシ
ュの所説の内容
三
デルク
ゼンおよびレッシ
ュの所説の批判的検討
四
共同正犯
の構造
五
結語
一
本稿
の目的
刑法六〇条に規定されている共同正犯の成立要件として、通常、主観的成立要件としての
「意思
の連絡
(意思の了
(lV
解
・意
思
の疎
通
)」
と、
客
観
的
成
立要
件
とし
て
の
「共
同
実
行
の事実
(共
同
加
功
の事実
)」
と
が要
求
され
て
いる
。.片
面的
7
共
同
正
犯
を
み
と
める
場
合
に
は、
主
観
的
成
立要
件
と
され
て
き
て
いる
「意
思
の連
絡
」
の要
否
が
問
題
と
な
る。
つま
り
、各
行
為
著
聞
に意
思
の
「連絡
」
がな
いの
に、
あ
る者
が
「一方
的
・片面
的
」
に他
の行
為
者
と犯
罪
的
行為
を共
同
す
る意
思
で実
行
7
(2)
行
為
に加
功
・関
与
し
た場
合
にも
、
共
同
正
犯
の成
立
を
みと
め
る
こ
と
が
でき
る
のか、
と
いう
こと
が
問題
とな
る
の
であ
る
。
ドイ
ツに
お
いても
、通説
は、共
同
正犯
を
「意識
的
か
つ意欲
的
な
共働
」(Φぎ
げ①≦農
8。。β巳
個Φ≦o一ぎ
ωN島
傍目日Φロ三
時魯
)
と捉
え
る
こ
と
によ
って
、共
同
正
犯
の成
立
に
は主
観的
な要
件
と
し
て、「共
同
の行
為
決意
な
いし
行為
計
画」
(山霧
σq①ヨ①凶器
9ヨ①
(3)
日暮
①暮。。。庄島
oら母
国
け巳9ロ)
が
必要
であ
る
と
し
て
いる
。
これ
に
対し
て、
ヤー
コプ
スは、
通説
のよ
う
な
「相
互
的
な通
謀
」
と
いう
意
味
で
の共
同
の行
為
決
意
な
いし
行為
計
画
に代
え
て
、
直接
的
に
は実
行
し
て
いな
いが、
全
体
行為
の形
成
に共
働
し
て
一
いる
(σ弓塁
蚕
畠長
島
『①邑
関与寡
みずからの寄与を実薯
の所為に結び付ける
・A・一化
(はめ込み)の決意L
叢
(4)
(国
暮
露。・巨
αqω①暮
。。。三島
)
で十
分
であ
る
と
す
る。
さ
ら
に、
ヤー
コプ
ス
の影
響
のも
と
に、
デ
ル
ク
ゼ
ンお
よ
び
レ
ッシ
ュは、
論
「客
観
的
な帰
属
」
と
いう
観
点
か
ら共
同
正
犯
を捉
え
る
こと
によ
って、従
来
から
いわ
れ
てき
たよう
な意
味
で
の共同
の行
為
決
(5)
律
意
な
いし行
為
計
画
を必
要
と
しな
いと主
張
す
る。
こ
の見
解
によ
れ
ば、「他
人
の所為
の遂行
を
ひそ
か
に支
援す
る」
(げ虫巨
ぎげo
d暮
Φ冨ε
訂`昌σq守Φ日自費
国
けげ①σq①ゴ
ロσq)場
合
に
も共
同
正
犯
の成
立
を
み
と
め
る
こと
にな
る。
デ
ルク
ゼ
ンは、
たと
え
ば、
背
法一
後にいる者が、同時に、窃盗の実行または盗んだ物の運搬を阻止しようとしている所有者を妨害してくれていること
(6
)
を認識せずに、窃盗犯人が物を奪取する場合をその事例として挙げている。
この事例の場合、複数
の関与者が共同の
行為決意ないし行為計画に基づいて、分業的に行為を遂行するのが通常である共同正犯の基本形態
に合致しないこと
になる。したがって、この場合に共同正犯の成立をみとめるのは、従来みとめられてきた共同正犯
の概念に重大な変
更をもたらすことになるのである。しかし、ドイツの主要な学説
・判例は、このような事例について共同正犯の成立
(7)
を
否定
す
る。
たと
え
ば、
ロク
シ
ンは
、
こ
の種
の関
与
に
つ
いて
は、
常
助
犯
の成
立
を
み
と
める
か
、
ま
た
は背
後
に
いた
者
の
(8)
間
接
正
犯
の成
立
が考慮
さ
れ
る
べき
であ
る
とす
る。
ま
た、
ヘル
ツベ
ルクも
、
こ
の種
の事
案
に
お
いて
、
共同
正犯
の成
立
を
(9)
否定するという解決法には議論の余地がないとしている。
このようなドイツにおける共同正犯の主観的成立要件をめぐる理論的対立は、わが国の共同正犯論にとって非常に
重要な視点を提供すると考えられる。そこで、本稿において、デルクゼンおよびレッシ
ュの所説を批判的に検討した
うえで、共同正犯の主観的成立要件とされている共同の行為決意ないし行為計画、意思の連絡の要否を再検討するこ
[
,
に
し
た
い
.
て、
主
レ
ごノ
の
(1)
団藤重光
『刑法綱要総論』第三版
(平
二年
三
九九〇年)三九
一頁、大
塚仁
『刑法概説
(総論)』改訂増補版
(平四年
・一
件
九九二年)二五二頁、福
田平
『全訂刑法総論』第三版
(平入年
二
九九六年)二六
一頁、荘子邦雄
『刑法総論』第三版
(平入
願
年
二
九九六年)四六責
大野平吉
・概説犯罪総論
(下)』補訂版
(平
七年
二
九九五年)九九⊥
。・真
大谷實
・刑法
鍼
嚢
総論・第四版補訂版
(平入年
二
九九山ハ年)四二入頁、川灘
.刑法総論嚢
・(平七年
二
九九五年)五二六頁、曽根
観
威彦
『刑法総論』新版補正版
(平八年
・一九九六年)二六五頁、前田雅英
『刑法総論講義』第
二版
(平六年
・一九九四年)四
姓
里
↑
責
・高毒
・刑法総論鶉
イ
ー』第二版
(平八年
二
九九六年)二・一貫
など参照.
醗
(2)
なお、片面的共同正犯に関す・文献・して、植墨
正
.共犯論上の諸問題・(昭六・年
.冗
八五年三
四吾
以下
植松正
同
「片面的共犯否定
への道標」『斉藤還暦祝賀
・現代
の共犯理論』(昭三九年
・一九六四年).二五
一頁以下、中義勝
「片面的共同正
身ハ
犯」
『関
西大
学
法学
論
集』
一六
巻四
11
五一
六
合併
号
(昭
四
二年
・一九
六
七年
)
【頁以
下、斉
藤
誠
二
「片
面的
共
犯を
め
ぐ
って」
『成
践
法学
』
一六
号
(昭
五
五年
・一九
八
○年
)
一頁
以
下、
大越義
久
『共
犯論
再
考』
(平
元年
・
一九
八
九年
)五
五
頁
以
下な
どがあ
る。
(3)
菊Oo◎ひQ。一合
"念
∴
bUΩ寓oりけ9
卜∂軋◎。}国劇O∴
卜」♪
口Q。9
悼o。o。∴
○。♪
旨A∴
G。メ
悼o。㊤∴
ヵox貫
∪剛㊦
言霊貯野
㊦富田
国津
ぎ
oQ町餌守①9
戸
口>
6
刈P
QQひお
中
…QQ①巴目窪
⇒"ζ
葺
鋒㊦田畠
㊤守
一巨
ω訂駄目①9
∬
H⑩o。ρ
ω山雪
ド第
…匂①。・o冨
oミ
≦藍
αq魯
P
ピ㊦汀
σ`9
島㊦。。
。。叶鑓
ぎ
9
貫
〉押
弥
》島
こHりり9
qD.雪
q。∴O鉾p
Ω毎
ロ亀ざ
謎
QQ訂既お9
∬〉β
劇.》口恥` ㊤8
b
■8
。。∴G。節日。。。5噂o。遂
竃目g
曽
冨
同
区。日日Φ暮窪
N⊆目
。。け審
督
。。①け国9
。F
しuα■却
≧
ρ
o.〉島
`
巳
⑩ρ
留
μ
菊p
旨
刈∴
≦
σ。・。・。互
oQ町蹄
㊦。7∫
≧
P
鐸
〉島
.弘
8
辞
3
田
圃呂
♪
QQμa
ら切騨βヨ㊤口口\〈8σ①〈ζ
蒜
oF
oQけ届
守①o耳
"〉弓弘
O■〉ロゆ.弘
り㊤∬
留
り影野Q。ρ
ω■⑦置
.
7
(4)
』ρ犀oげ。。"oQ身pマ㊦。算
"〉=αQΦ目①冒㊤
国
許
悼.諺ロコ;
Ho㊤ポ
留
\軽ω.さ
ら
に、
ヤ
ー
コプ
ス
は、
こ
のよ
う
な
考
え方
の具
体
的
な
適
用
場
面
と
し
て、
いわ
ゆ
る
「ベ
ルリ
ン
の壁」
裁
判
に
関
す
る
刑
事
裁
判
のう
ち
旧東
ド
イ
ツ
の党幹
部
の責
任
が
問
わ
れ
た
、
bdΩ口GQ∫
7
蔭ρ
トコHQ。.の評
釈
にお
いて、
直
接
に
は実
行行
為
者
で
はな
い者
ら
の行
為
に共
同
正
犯
が成
立す
べき
こと
を主
張
し
て
いる、<oqr岱臼。・`
〉冨目①井
口昌αQ"ZQ。けN
罎
O∬
ωb①h
な
お、鈴
木
彰雄
「組
織
的権
力
機
構
によ
る
間接
正犯」
『関
東
学
園
大学
法
学
紀要
』
一〇
号
(平
七
年
・
一九
九五
年
)入
七
頁以
下
に
お
い
て、
こ
の判
決
が
詳細
に検
討さ
れ
て
い
る。ま
た
、ヤ
ー
コプ
スの
正犯
・共
同
正
犯概
念
に関
し
て
は
、
臼木豊
「正
犯概
念
と
共謀
共
同
正犯
.(二
・完
)」
『上智
法
学論
集
』三
四巻
一号
(平
四
年
・
一九
九二
年
)
一〇
三
頁以
下
、
とく
に
一二
四
頁以
下
にお
いて詳
細
に検討
され
て
いる。
(5)
U①美
。・①♪
出鉱巨
ざ匿
d暮
㊦曇
声霞目
αqマ①ヨ匹㊤
日露けげ①σqΦげ目
αQ巴ω叢
雲馨霞。。。げ弾
"Ω》
δ
Oρ
ω.δ
。。南∴ピ。。。。互
9
①ω。σq葺
口争
彗
σq巳
暮餌§
。・3
聾
=9
㊦『出聾
琶
σq巴。。竃
。日Φ暮
αΦ同。げ」①窪
く曾
N母
①筈
2
ロoq"Nω什≦
δ
只
μ㊤㊤ω)噂。Db刈H第
卜
(6)
U①筈
ωΦP
p■勲O.(岡5.αy
ω.μ①Q。.ま
た、
実
際
の事
案
と
し
て
は、
次
のよ
う
なも
の
があ
る。
す
な
わ
ち
、
リ
ー
ダi
(<思霞08弓)
と
カ
ー
ドを
し
て
いた
三人
の
ジプ
シー
(§oq①βゲ9
のう
ち
、
一人
が、
外
に停
め
てあ
る
リ
ーダ
ー
の車
か
ら何
か盗
もう
とし
て酒
場
を
出
た。
ま
た、
最
初
に出
た者
が
何
を意
図
し
て
いる
の
か知
ら
な
いで、
もう
一人
の
ジプ
シ
ー
が彼
の後
に続
いた
。
彼
は
最初
の
ジプ
論
シー
が窃
盗
を
実
行
し
て
いる
のを
見
た
とき
、
そ
の窃
盗
を
成
功
さ
せ
るた
め
に
共同
す
る
ことを
決
意
し
て、
財
物
の奪
取
が
終
了す
る
ま
で、リ
ー
ダー
が外
に出
た
り
、あ
る
いは
車
に戻
らな
いよう
にす
る
た
め
に、酒
場
のド
ア
を押
さ
え
て
いた
。し
か
し、窃
盗
の実行
者
で
律
あ
る
最初
の
ジプ
シー
は、
第
二
の
ジプ
シー
の行
動
に気
づ
か
な
か
った
(切Ω国ωけρ
N鼻G。
.)。
窃
盗
を
犯
し
て逃
走
中
の共
同者
のう
ち
、
一人
が追
跡
者
を追
い払
う
た
め
に威
嚇
的
に武
器を
使
用
し
たが
、
こ
れ
に
つ
いて
の各
共
同者
の同
意
は
生じ
て
いな
か
った
(じdΩ国
σ虫
↓
U巴軍営αq震
ζ
U即
ドO刈γ
O愈
■)。
この
よう
な
事例
は
、
た
とえ
ば、
植
田
博士
が挙げ
ら
れた
片面
的
共
同
正犯
の事
例
、す
な
わ
ち
、「強
盗
犯
人
甲
が通
行
人
に対
し
て強
盗
行
為を
な
し
つ
つあ
る際
、
甲
の知
ら
な
い間
に、
他
所
か
ら被
害
者
に対
し
て拳
銃
を
擬
し
て、
そ
の反
抗
意
思
を
抑圧
し
、
甲
の暴
行
脅
迫
と
相侯
って、
そ
の強盗
行
為
を遂
行
せし
め
た
乙
は、
従
って甲
の強
盗
罪
に対
す
る
一方的
共同
正
犯
であ
る」
と
いう
事
例
(植
田重
正
『刑
法
要説
(総論
ご
全
訂
版
(昭
三九
年
・
一九
六四
年
)二
四
三頁
。)
と同
じ
パター
ンであ
ると
捉
え
る
こと
が
でき
る
。
(7)
勾。×旦
ρ.穿ρ
(寄
■。。)b
.摯
り.
(8)
即o×首"円餅8房魯
p津
=ロユ
日㊤臣
o霞ωoげ四葺
①曜〉信牢"H㊤㊤♪
oDbQ。①.
(9)
閏の罠ぴ。螢
日興①田∩富
津
茸
山
濤
ぎ
9
ヨ①L
㊤謡
"◎。■o悼9
ニ
デルクゼ
ンおよび
レッシ
ュの所説の内容
(1)
デ
ルク
ゼ
ン
の見
解
て
デ
ルクゼンは、通説によ
って共同正犯の本質的なメルクマールであるとされる共同の行為決意な
いし行為計画の必
ミ仙
要性に賛成する根拠、または反対する根拠も、共同正犯という帰属類型を支える解釈論上
の基礎において形成されな
に
(10)
件
ければならないとする。
要雌
か
れ
は、まず
、ド
イ
ツ刑
法
二
五条
二項
の茎
・口に関
し
て、、共同
・概
念
が、意
思
を同
調
さ
せ
る
。と
は
.共
同
」に
と
って本
納
質
的
であ
ると
提
示
さ
れ
る以
上
の
・とを
構
造
的
に指
し
一示さな
いな
ら
ば
、法
律
な
け
れば
刑
罰
な
し
の原
則
(Q・民
田
け・巨
・・
駐
"§
9.自琶
①σqω)か
ら出
発
し
ても
・正
犯
の確
定
的
な概
念
の中
核
を
指摘
す
る
・・と
によ
・ても
、共
同
の行
為
計
画を
共
同
正
犯
疏
に
と
って
必要
不
可欠
な
メ
ルク
了
ルで
あ
る
と証
明
で
き
るも
の
では
三
とす
殖
そ
こ
で・
此ハ同
正
犯
の問題
は・'な
ぜ
個
々
同』ハ
の関与者に分業的に実現された全体行為を帰属させることができるのか、という点にあるとされる。共同正犯の場合、
各共同正犯者の規範違反を否認するという形で各共同正犯者にはその行為が帰属されるが、行為主義
(目p6ユ目ぢ)に
基づくかぎりで、分業的に実現された全体行為が規範に違反していることになる。しかし、分離的
に考察する場合に
は、各共同正犯者によってもたらされたそれぞれの寄与は、規範違反として明らかにすることができない。また、個
別的に考察した場合には、まさに規範を侵害しているとされる態度は、全体行為の不法に
一致しな
いか、あるいは単
ら7
に部分的に
一致するにすぎないことになる。この点について、デルクゼンは、「個々の寄与をとおして作り出された世
6
界構想
(壽
ぎ暮≦ロ5
は、全体行為をとおして定立された意味と必然的に
一致するわけではない。また、その欠けた
7
部
分
は
他
人
の固有
の答
資
性
に
よ
って作
り
出
さ
れ
て
いる
の
で、
間
接
正犯
の規
定
にし
た
がう
と、
欠
け
た
部
分
を個
々
の参
加
者
には全
体
と
し
て帰
属
さ
せ
る
こ
と
が
でき
な
いL
とし
て、
共
同
正
犯
を間
接
正
犯
的
に説
明す
る
こと
、
す
な
わ
ち、
共
同
正
犯
ヨ
を
間
接
正
犯
の
「特
別
な
ケー
ス」
とし
て説
明
す
る
こ
とを
否
定す
る。
こ
の点
に関
し
て、
ヤー
コプ
スも
、
共同
正犯
は間
接
正
犯者
が道
具
を
用
い
て共
同
の行
為
を
遂
行
す
る
も
の
で
はな
く
て、最
低
限
、
みず
か
らも
行
為
を
遂
行
し
て
いる
の
で、
相
互
的
間
お
接
正
犯
で
はな
いと
し
て
いる。
と
ころ
で、相
互
的
間
接
正
犯
説
は、
共
同
正
犯
を
、個
々の関
与
者
に
よ
って全
体
行
為
が
「】部
自手
的
、
}部
他
手
的
」
に
お
こな
わ
れ
る
こ
と、
い
いか
え
る
と、
「一部
間
接
正
犯、
}部
直
接
正
犯」
(け①諒
巨
暮色げ胃ρ
け9一。。
叢
(14)
暮
巳
審Φぎ舘①日暮①窃。げo津)
とし
て捉
える
考
え方
であ
り、
たと
え
ば、
シ
ュレー
ダ
ー
によ
って次
のよう
に説
明
さ
れ
て
いる
。
論
ず
な
わ
ち
、
共
同
正犯
に
お
い
ては
、各
人
の関
与
が
自
己
のも
の
とし
て
帰属
され
る
の
で、各
関与
者
は
みず
から
全
て
の構
成
要
律
件
要
素
を
満
た
し
たも
のと
し
て
取
り扱
わ
れ
る。
そ
のか
ぎり
で、
共
同
正
犯
は、
ま
さ
に
「間
接
正
犯
の
一つの事
例」
と
みな
さ
法器蘇
鐘穀
織
糠粕難藤舞聾
無鐸
馨雛錫師繕
解に対して、デルクゼンは、実質的客観説の立場からは、実行者よりも背後者が優越していなければ間接正犯は考え
られないので、各関与者が同等の参加者として共同して行為した場合には、類型論的に間接正犯はありえない。また、
あ
答責原理
(<σ田暮≦o詳自嘲胃ぎN一℃)の観点からも、関与者が完全に答責的に行為したのであれば、ある者が自分の行
為
のために他の者
の行為を利用したとしても、それぞれ答責の主体に影響を及ぼすことは考えられないことになるの
(17)
で、
共
同
正
犯
の間
接
正犯
的
な
構成
は否
定
さ
れ
る
と
し
て
いる。
そ
こで、デ
ルク
ゼ
ンは、ヤー
コプ
スと同
様
に、共
同
正犯
の
「説
明
モデ
ル」とし
て
「形
成支
配
」(Ω①
。。e巴ε
ロσq。。げ頸田野
p守)
(18)
を
重
視
す
る。
ヤ:
コプ
ス
は、
行
為
支
配
の概
念
を
「形
式
的
な
行
為
支
配
」、
「決
定
支
配
と
し
て
の実質
的
行
為
支
配
」、
「形
成
支
配
と
し
て
の実
質
的
行
為
支
配
」
と
に
分類
し
、
正犯
性
は
こ
の三
種
類
のう
ち少
な
く
と
も
一つの支
配
を
有
す
る
こと
に
よ
って
獲
得
さ
れ
る
とす
る。
す
な
わ
ち
、
支
配
犯
の場
合
、
正犯
性
は
十
分
な
「管
轄」
(N器
蘇巳
置冨
5
を
基
礎
づ
け
る
組
織体
の行
為
(○門鵯
巳。。㊤鉱8
。。更
け)
とし
て定
義
す
る
こと
が
で
き、
共
同
正犯
の場
合
に
は、
複
数
の関
与
者
によ
る
組
織体
は相
互
的
に調
整
さ
[
れるので、。の黒
体から犯罪窺
出する..とになゑ
また、正程
を毒
づける+分な管轄は、関与
の箋
度によっ
て
て決定され、その重要度は、実行段階における行為の一部分を自手的に遂行した場合、ただちに与えられるものであ
ヘレ
(19
)
つ
る。ただし、正犯の完全な責任を基礎づける予備段階の組織体は、実行段階の行為寄与と同等の重要度を要求されるの
に黙
で、実行段階における行為の自手的遂行は共同正犯に不可欠の要件とはならないことになる。いいかえると、「実質的
厳
な支配
(決定支配)のマイ亥
は・形成支配によるプラスによ・て補われなければならな
い」とされているのであ姻
的観
デ
ルク
ゼ
ンは、
さら
に、共
同
正
犯を
集
団
の構
成
員
の責
任
とし
て定義
し
、個
々の関
与者
の責
任
を集
団
の
一員
であ
る
こと
、王
(21v
肋
から導く考え方も、共同正犯の概念形成にとってほとんど役に立たないものであるとする。すなわち、個々の関与者
考証
の責任は、「集団責任の派生語」(u舞
舞
。穽
・萎
5
尋
ぎ
喜
σ・)ではな一、管轄に対する独自の根拠であり、そ
∵
・同時に管轄を制限する・との根拠でもあ皇
ま久
生活関係がますます複雑になって?
場A臥
すでに他人の
態
度
を
と
お
し
て設
定
さ
れ
て
いる作
用
の連
鎖
(ノ《一門閃=昌σqω犀①けけ①)、
あ
る
いは他
人
の態度
を
と
おし
て
は
じ
め
て媒
介
さ
れ
る作
用
の連
鎖
に対
す
る包
括
的
な
責任
を関
与
者
に負
わ
さ
な
いこと
は
、差
し迫
って必要
な
こ
とで
あ
る。
このよ
う
に考
え
た場
合
、
共
同
正
犯
と
いう
帰
属
類
型
に関
し
て
は、
他
人
の態
度
を
と
お
し
て惹
起
さ
れ
た
こと
に対
す
る
管
轄
に
つ
いて、
特
別
な
根
拠
が
必
(22)
要
となってくる。デルクゼンによれば、共同正犯の帰属根拠は、「関与者が、みずからの態度を犯罪計画に確実に組み
77
込まれる筈である他人の態度に結合させることによ
って、規範に違反する他人の組織体
への不参加、または制度的な
78
管轄
の侵害
への不参加について、その関与者に信頼を寄せることができなくなる」点忙あるとされている。これを別
の角度からいうと、他人とともに組織体を形成した以上、他人との分業において実現されたことは、所為の関与者に
共同正犯として帰属させることができることになる。なぜならば、所為の関与者は、分業的に実現された事象をとお
して全体が明らかとなる規範違反を、すでに、みずからの部分的寄与をとおして完全に一たしかに具体的ではないか
(23)
も
しれ
な
いが、
し
か
し、
そ
の意
義
から一
惹起
し
て
いる
と
いえ
る
か
ら
であ
る。し
かし
、各
関
与者
自身
の所
為
と
い
っても
、
そ
の
(部
分
的
、
場
合
によ
って
は全
部的
な)
所
為
自
体
は
、
な
んら
か
の刑
法
的
な意
味
を
有
す
る
も
のでな
け
れ
ば
な
ら
な
いは
一
ず
であ
る
・
こ
の点
に
つ
いて・
デ
ルク
ゼ
・は・
・目
的
論
的
に調
整
さ
れ
た刑
法
体
系
に
お
い
ては
・所
為
の構造
はな
ん
ら
一般
的
叢
な意
義
を
も
た
な
い」
とし
て
い
る。
す
な
わ
ち、
答
責
的
に
な
さ
れ
た
こと
(1δ『⇔昌け♂くO『e一一〇げ5P僧O】P①昌oo)、
い
いか
え
る
と
、
犯
罪
論
行
為
の対
象
を
記
述す
る
と
いう
理
解
は、
体系
の
コ
ンテ
ク
スト
に
お
い
て
の
み明
ら
か
にす
る
こと
が
で
き
る
の
で、
所
為
の構
造
(24V
律
を形成することの中心点は
「刑罰目的」ということになる。
つまり、現実の事象がそれ自体として意味をもつのでは
なく、いいかえると、各関与者の所為がそれ自体意味をもつのではなく、ここで考慮されている特殊刑法的な観点か
法一
ら
は、
そ
の所
為
を
「規範
違
反
2
日}き口・
(冨暫昌一ぼooけ㊤け一〇旨くOロツ伺O同日日σ同仁O『)
と択
え
る
・
と
にな
る
わけ
であ
有
し
た
が
って、
規
範
の違
反
を中
和
さ
せる
こ
と
が刑
罰
の目
的
であ
る
場合
に
は、「発話
と応
答」
(国巴
①§
亀〉暮≦o円け)
と
いう
対
話
的
な
コ
ン
テ
ク
スト
に
お
いて、
刑罰
が科
せら
れ
る事
象
は規
範
違
反
と
し
て証
明さ
れ
な
け
れ
ばな
ら
な
い
こと
に
な
る。
さち
に、
デ
ルク
ゼ
ンは、
共
同
正
犯
に関
す
る多
く
の見
解
に
お
いて、
所
為
の
コミ
ュ
ニケー
シ
ョ
ン的
な
内
容
は
これ
ま
で
十
(25)
分
に注
意
が払
わ
れ
て
こな
か
ったと
す
る。
す
な
わ
ち
、
従
来
の自然
主
義
的
な
見方
によ
れ
ば
、
所
為
は
「言
葉
がな
い」
も
のと
評
価
され
てき
た
ので、
所
為
の前
地
(ぐσ円融匡)
に
お
い
て、
そ
の所
為
の意図
を
明ら
か
にす
る解
説
者
と
し
て
の関
与
者
が
必
要(26)
と
さ
れ
る
こ
と
にな
る。
つま
り
、
共
同
の行
為
計画
は
、
所
為
の構
造
上
の欠
損
を補
う
機
能
を有
す
る
とさ
れ
てき
た
の
であ
る
。
このような見解に対して、所為の構造を概念的に重要であると考え、そのかぎりで、所為の関与者の主観的な意味付
与に
=疋の自主性を維持することを認める場合、行為計画は次の二
つのことに区別して理解することができるとデル
クゼンはいう。すなわち、「ω主観的な計画のレベル"それは個々人の領域であり、なお社会的に重要
でな
い領域であ
る。ω客観的な計画のレベル
…その計画の惹起者を指摘する社会的形成である」。そして、刑法上の所為が生じるのは
レベル②の領域においてである。ただし、この二つのレベルは、分析的にのみ分けることができるのであり、場合に
↑
よ
って、この二つは発展過程の異なった段階と見ることができるので、レベルωとωとは関連して
いるとされる。し
へ飢
たがって、所為は、社会的な領域においてその意味が認めちれるか、あるいは間主観的な意味が認められるので、所
こ
こ
側
為
の意味は、行為者の主観的な意味付与と必然的に
一致するものではないことになる。そこで、このように理解され
要彪
た行為計画を所為の前提とした場A・、さらに具体的な所為の讐
についての藁
が必要となる.
納
デルクゼ・によれば、所為の外延は、場所的、時間的、社会的な観占…から決定されなければならず、と-に社会的な
姓
観点からは、「場所的/時跡的に測られた事象」は、その惹起者に負わすことができるということを意味する。いいか
飢
え
ると・なんらかの侵害をもたらす事象経過について・自然の自己運動
または社会の同
程
理解
に合致す・社会的
一八
過程が
「事故」と理解されるのに対し、組織化が所為と理解されるかぎりで、所為の外延をめぐる諸観点は刑法上い
ちじるしく重要なものにな勉
そこで・所為は・分析的に二つの・ヴ・ルに区別する・とができるとされる.すなわ
ち、まず、人的に帰属が可能な形成領域
(組織化)が形成されうるか否かが問われなければならず、次に、そのよう
な形成領域は規範違反を意味しなければならない。それゆえ、行為者が彼に認められた社会的に自由な範囲を逸脱し、
そ
の限界を遵守すること
への信頼が、自由に制御できる権限が彼に認められた彼の存在領域の管理
にもはや示されな
7
くなったときに、所為は開始されたことになる。また、いつの時点で、規範に服従すること
への信頼がその行為者に
よ
って保
障
さ
れな
く
な
った
の
か
と
いう
こ
とは
、基
準
とし
て確
立さ
れ
る
べき
規
範的
な
観
点
に妥
当
性を
も
たらす
こと
に
な
る
8
(29)
とさ
れ
る。
さ
ら
に、
デ
ルク
ゼ
ンは
、
「複数
の行
為
間
の関
係
は、各
行
為
のそ
の時
々
の他
の行
為
への関係
性
(bd。N。
σq①ロずΦε
を
と
お
し
て生
じ
る」
とし
て
いる。
よ
り詳
し
く
いえ
ば、
「行
為
の合理
性
」
と
いう
特
殊
な形
式
を
と
お
し
て各
行
為
間
の関
係
は
(30)
生
じ
る
の
であ
り
、
こ
の場
合
、
組
織
体
は
、
これ
ら
の諸
行為
を包
括
す
る計
画
と
し
て現
れ
る
こと
に
な
る。
こ
の点
に関
し
て、
たと
え
ば、
承
継的
に重
な
り合
っ.て次
々と複
数
の行為
が生
じ
て
いく
こ
とに
よ
って所
為
が遂
行
さ
れ
た
り、
あ
る
いは、
「殺
虫
剤
を
買う
こと↓
致
死
量
の殺虫
剤
を
グ
ラ
ス
のな
か
に入
れ
る
こと
↓
そ
のグ
ラ
スを
被
害者
に手
渡
す
こと
」
と
いう
よ
う
にし
て
「
所為が遂行されたりする場倉
は・個人の正犯性を認めることになんら問題は生じな
い・
つまり・
この場合
理
の
叢
行為の間に関係が生じるのは、最初の行為が、それに続く行為に対する管轄を基礎づけているからである。すなわち、
論
「ωA行為によ
って開始された他人の許されない組織化が、B行為によ
って継続される、②A行為は、B行為の回避に
(31)
律
関して制度的な管轄を基礎づけるか、もしくは現実化する」ことになるわけである。
デルクゼンは所為について次のように総括している。すなわち、「ω所為
の構造↓行為の社会的意
味から生じる、②
法[
行為の社会的な意味岩
為のA・理性から生じる、⑧行為の合理性占
的の的確な堤
碩
ω目的の的確な現実牛
与
え
られ
た所
為
の状
況
(コンテ
ク
スト
)に
お
いて
(目
的
を達
成
す
る
た
め
に)適
当
な手
段
を
用
いる
こと
。し
た
が
って、
所
為
の構造
↓
与
え
ら
れ
た
所為
の状
況
にお
いて
(目
的
を
達
成
す
る
た
め
に)
適
当
な手
段を
用
い
る
こと」
と
理解
し
て
いる
。
さ
ら
に、
こ
のよう
な
観
点
のも
と
で、
所為
は、
自然
法
則
的
に記
述
が可能
な
コンテ
ク
スト
に
おけ
る合
一化
(は
め込
み)
であ
り
、
(32)
他
人
の計
画
を
と
お
し
て決
定
さ
れ
る
コンテ
ク
スト
にお
け
る合
一化
(はめ
込
み)
であ
ると
す
る。
合
一化
は、
他
人
の行為
と
の関
係
とし
て、
す
な
わち
、
他
人
の行為
の意
味
内
容
と
の隔
た
り
が止
揚
さ
れ
る関
係
とし
て理解
さ
れ
る
べき
こと
に
な
り、
合
一化
の実
質的
な
基
盤
は、
刑
法
上
の観
点
か
ら
、管
轄
の規
範
的
な
カ
テ
ゴリ
ー
に
し
た
が
って
決定
さ
れ
る
こと
にな
る。
さら
に、
規範違反的な他人の組織体と制度的な管轄から導かれうる諸義務の不充足という観点から考察するならば、「合
一化す
る者」は、分業的に現実化する全体行為の成功に対し寄与しないということについての
「保障者」であることになる。
つまり、合
一化する者が保障者である場合には、自分が他人の犯罪行為に関して特別に知っていることについて、A呈
化する者に責任を負わせることができることになる。デルクゼンは、このことから、共同正犯を計画
のコンテクストに
ついての個々人の構想の集積として説明することができるとする。さらに、他人の答資性はかならずしも帰属の障害
て
となるわけではなく、また、他人の答資性が所為の完成をもたらしたかぎりでも帰属の障害とはならないので、他人
ミ脳
の寄与が包括的な組織体の構成要素であるかぎり、背後者
(たとえば前述の事例の窃盗犯の背後者)
に所為を
「完全
に
(33V
件
に」帰属させることは可能であるとしている。なぜならば、他人の態度をとおして影響を及ぼす
「作用の連鎖」に行為
要証
を倉
化させた・とによって、規範服従を用意する・とに対する信頼を与えられな要
った場倉
は、行為の意味を
舳
も
は
や他
人
の態
度
から
分離
さ
せ
る
・
と
は
でき
な
いから
であ
る
.
い
いか
え
る
と、
行
為
は
、す
べて
の関
与
者
の寄
与
に
よ
・
主
、
(34)
の
て
現
実化
し
た所
為
か
ら
、
そ
の意
味
内
容
を
受け
取
る
から
であ
る。
つま
り
、他
人
の態
度
を
行
為者
に帰
属
さ
せる
こと
の根拠
犯肛
は
、
かな
らず
し
も
所
為
の手
段
を
支
配し
たと
い、つ占…にお
いて
の
み形成
され
るわ
け
で
は守
、.世
界
の・つち
に存
在
す
る
出来
諸へ、
事
と
し
て
の他
人
の寄
与
L
(畠9
守①居住①口u①貯
塑αq包。・一昌
匹田
≦
σ展
げ①自民
ぎ
げΦω団円①黄巳の)
が、
包
括
的
な
組
織
体
の構
成
要素
(35)
として組み入れられうる点においても根拠づけることができるのである。
このような観点から、共同正犯を基礎づけ
る関係は、「客観的な帰属」を基礎づける実質的な諸前提、すなわち、「他人の許されない組織化」と
「制度的な管轄
から生じる諸義務の侵害」から導かれるのである。したがって、事実的根拠
(ω霜げ鵯O巳①)が存在す
る場合、全体行
為を完成させた者が他人の犯罪的所為について特別に認識していたことは、帰属されるべき事柄の外側にあるのでは
81
なく、客観的な帰属に合致した故意の基準となる内容なのである。
つまり、このような客観的な帰属を基礎づける諸
前
提
が
存
在
す
る
場
合
に、
行
為
者
が
「世
界
内
に存
在
す
る
出
来
事」
(早
島①7壽
写
。。①δ巳
①ω-国邑
σq三ω)
とし
て
の自
身
の寄
与
82
を、その寄与を超えて拡がる秩序構想
(9
含琶σq。・8ヨ焉馬)の中に組み入れた場合には、各共同正犯者ごとに帰属さ
れ
るべき不法の存否と範囲が個別的に確認されうるかぎりで、かつ、ある共同正犯者の不法が別の共同正犯者の不法
に影響を与えないかぎりで、正犯性を認めるのになんら特別な問題は生じない。つまり、各関与者に共同正犯者とし
め
ての帰属が認められることになるのである。しかし、所為に対する複数の関与者の計画の外延が
一致することも考え
ら
れ、この場合、その所為に複数の惹起者がいるという特殊な事例がありうる。すなわち、他の関与者の寄与が世界
一
内
に存在し・・れが包括的な所為の現実化のために利用できる出来事である場A・、ある関与者が客観的な帰属を基礎
叢
づけ
る事情のもとでこの出黍
に対し管轄的である場A・には、その出来事に対し、すべての関与者は全体として答責
請
的
であ
ると
さ
れ
る
こ
と
にな
る。
ただ
し
、
こ
のよう
な
場
合
には
、「共同
正
犯
の従
属
性
」
が、
な
お
問題
とし
て残
る。
デ
ルタ
(37)
律
ゼンは、行為者には、みずからの不法が帰属されるのであって、他
の者の不法が帰属されるのではな
いとする。すなわ
ち、所為は、「帰属されるべき不法の外延」を決定するのであり、他人の寄与が行為者に帰属されるべき行為の構成要
融
琴
・る・い…
は、自己の態度は、他人の態度の・ンテ・一
おいて、その意味内容を受け取る.芝
に基づい
て
いる
ので
あ
る。
こ
のよ
う
に
考
え
た場
合
、
コンテ
ク
スト
は、
他
人
の態度
に対
す
る
管
轄
を
と
お
し
て媒
介
さ
れ
る
と
理解
さ
れ
る
こと
に
な
る。
い
いかえ
る
と
、「他
の者
の行
為
から
予
期
さ
れ
た結
果
を
生
じ
さ
せな
い
こと」
に対
し
て、
あ
る
いは
「他
の
者
の行
為
によ
って脅
かさ
れ
る
領
域
の完
全
性
」
に対
し
て保
障
者
であ
る
者
は
、
みず
から
が
所
為
を完
成
さ
せ
るた
め
に
寄与
し
た
場合
に
は、
他
の者
の犯
罪的
所
為
か
ら離
れ
る
こと
は
でき
な
いの
であ
る。
こ
のよう
な
観
点
か
ら
は、
他
人
の態
度
は
、
彼
の
自
己答
責
性
によ
って
形成
され
た
こと
の土
台
の強
化
を
も
た
らす
と
いう
よ
り
も
、幽むし
ろ意
味
を
付
与す
る
「触
媒
」
と
理解
さ
れ
、
共
同
正犯
の帰
属
の場
合
でも
、
個
人
責
任
の原則
は破
棄
さ
れ
る
こ之
に
はな
ら
な
い
のであ
る。
な
ぜ
な
ら
ば、
共
同
正
犯
者
は
「全体行為の部分」のみは実現しているのであ
って、全体のなかに個々人が行為をはめ込むことは、所為に関与す
る各
人が・全体行為をとおして侵害され窺
範
の妥当弊
・完全に」募
で寡
すということに帰結するからであ髄
デ
ルク
ゼ
ンが理
解
し
て
いる所
為
の構
造
は、
さら
に、
次
のよう
にま
と
める
こと
が
で
き
る。
す
な
わ
ち、
帰
属
の対
象
は
所
為
で
あ
り、
所
為
と
帰属
の対
象
の
「同
一性
と外
延
」
は実
現
さ
れ
た組
織
体
から
決定
さ
れ
る。
行
為
者
に
所為
が帰
属
さ
れ
る
場
合
に
は、
行
為
者
は
、
直
接的
に、
所
為
を
共
同
し
て形
成
す
る
よう
な寄
与
を
遂
行
し
て
いな
け
れ
ば
な
ら
な
い
(共
同
正
犯
の場合
て
に
は
形成
支
配
と
な
る)。
つま
り
、
こ
のよう
な
場合
に
のみ、
行
為
者
は、
規
範
の妥
当
性
を
外
部
に
現
れ
る
形
で
否
認
し
た
こ
と
い
(40V
つ
か
ら
、遠
ざ
か
る
こと
は
でき
な
い。
い
いか
え
る
と、
帰
属
か
ら逃
れ
る
こと
は
で
きな
いこ
と
にな
る。
注
意
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
に
(41)
難
い
のは、
.
.れ
ら
の。
と
は、
.遡
及
の禁
止・
の場
合
に
は排
除
さ
れ
な
け
れ
ば
な
ら
な
いと
い、つ・と
であ
る.
つまり
、
・
・
で
灘
は、
帰属
の対象
と
し
て
の所
為
の外
延
を
考
え
た
場
合
、
帰
属
の制
限
が問
題
とな
る
の
であ
る
.
す
な
わ
ち
、
個
々人
の
.表
現
L
舳
(》邑
・甚
をなんら有しない寄与は、かりに事実的に所為を共同的に形成していたとしても、共同正犯として帰属
主の
さ
せ
る
こ
と
は
でき
な
い
こと
にな
る。
な
ぜ
なら
ば
、
個
々人
の
「表
現
」
を有
し
な
い寄
与
は
、他
人
の犯
罪
計
画
の
コンテ
ク
ス
犯旺
一
に
お
いても
.規
範
に暮
し
た態
度
・
(ぎ
村ヨσq①目農
㊦。。<σ島
巴け魯
)
とし
て
の意義
を
失
わ
な
いか
ら
であ
り
、
.あ
場
Aロ、関
共
与者
の態度は、すでに、日常の行動、または役割行動として
一般的な意味を獲得してお
り、犯罪計画
に近接していな
いからである。また、寄与が、直接、世界形成的に作用するのではなく、その寄与の共同形成的な効果が、まず他人
の態度を超えて形成された場合には、所為とその正犯としての帰属と関係がないところで寄与は遂行されたことにな
(42)
(43)
る。
し
た
が
って、
デ
ルク
ゼ
ンによ
る
と、
「所
為概
念
は
、
つね
に正
犯
の帰
属
の限
界を
際
立
た
せ
る」と
さ
れ
て
いる。
つま
り、
他
人
の犯
罪
的
決意
を喚
起
す
る、
も
し
く
は他
人
の犯
罪的
所
為
を
促
進
す
る
と
いう
形
式
で、規
範
の妥
当
性
を
「移譲
的
に否
認
83
す
る」
(①巨9
ゆΦ詳㊦2①σq註
8
)
こと
は、
共
犯
とし
て
の
み把
握
さ
れ
る
こ
と
にな
る
。
さ
ら
に
、
共
同
正
犯
とし
て帰
属
さ
れ
る
84
べき
行
為
寄
与
の
「重
要
度
と
性
質」
は、
自
然
主義
的
な基
準
によ
って
は
把
握す
る
こと
が
でき
な
い。
ま
た、
帰属
さ
れ
る
べき
事
柄
の外
延
は、
行為
者
によ
って形
成
さ
れ
た
現実
の事象
と
は
一致
し
な
いの
であ
る。
こ
のよう
な
出
発点
は、
「正
統
的
な法
益
刑
法
」
(色目o詳げo匹o×①。。国8巨。。σq葺
①窃訂亀屋。ま)
にと
って納
得
の
いく
も
の
であ
る
。
な
ぜな
ら
ば
、責
任
を
負
う
べき事
柄
の
範
囲
は、
つね
に
財
の侵
害
の程
度
によ
って
の
み示
さ
れ
る
から
であ
る。
つま
り、
あ
ら
か
じ
め
帰属
さ
れ
る
べき
所
為
を確
認
し
(44)
て後
に、
はじ
め
て正
犯性
が問
題
とな
る
の
であ
る。
こ
のよう
に理解
され
た所
為
は、
「行
為
の意
味
を決
定
し
、そ
の
コミ
ュ
ニ
ケ
ー
シ
ョン上
の意
義
か
ら構
成
要
件
に
該当
す
る行
為
と
}致す
る」
こと
にな
る。
そし
て、
寄
与
は、
そ
れ
が共
同
正
犯
と
し
て
一
掃属
されることになる場合には・露
に特徴を与え・葭
葉
でなければならな
い・され・のであ殖
叢論
(2
)
レ
ッシ
ュの見解
律
レッシュによれば、BGHが共同正犯に要求する明示的ないし黙示的に把握される共同の行為決意
は、伝統的な学
法一
説にしたがえば、共同正犯の負責に関して、
一般的に、他人の行為寄与の相互的鴨
居の根拠かつ去
。になる.しか
し、このテーゼは、共同正犯の自然主義的-心理学的な誤
った解釈であるとされる。そこで、かれは、このことを確
認するために不法論から出発する。まず、かれは、刑罰は
「構成要件的に定型化された刑事不法」の実現を前提にし
て
いるとする。それゆえ、刑法に固有の法律効果を視野に入れることによ
って刑事不法を説明することは、機能的に
基礎づけられた本来の刑法上の不法論にと
って自明のことである。刑罰が、二つの害悪の単なる反復的な継起欺上の
も
のでなければならな
いとすると、刑罰と刑事不法は同じレベルに置かれるべきであり、「発話と応答」として理解さ
(47)
れ
な
け
れ
ば
なら
な
いと
す
る。
そ
し
て、
刑
罰
の機能
は、
次
のよう
に
理解
さ
れ
て
いる
。
す
な
わ
ち、
刑
罰
は
、
実行
さ
れ
た規
範
違
反
的
な
行
為を
否
認
す
る
こと
に
よ
って、
行
為者
が無
視
し
た規
範
の妥
当
性
を
確
証
し
よう
とし
、
ま
た、
刑法
的
に保
障
さ
れ
た規
範
の拘
束
力
に対す
る
公共
の信頼
を
対
事
実
的
に
(『O昌け目PhP閃け一◎oαげ)安
定
さ
せ
よう
と
す
る
も
の
であ
る
。
つま
り
、刑
罰
(48∀
は、
犯
罪
的
行
為
の明確
か
つ象
徴
的
な意
義
に対
す
る
明確
か
つ象
徴
的
な
反論
であ
る
と理
解
さ
れ
て
いる。
し
た
が
って、
そ
の
行
為
状
況
に
おけ
る行
為者
に
と
って規
範
が
決定
的
では
な
か
った
ことを
表す
こ
と
にな
る行
為
のな
か
に刑
事
不法
は存
在
す
る。
こ
の場
合
、
一般
化
さ
れ
た象
徴
的
な
構
造
と
し
て
の規
範
は、
事
実
によ
って
で
はな
く
、
コミ
ュニケー
シ
ョン
によ
って
の
み影
て
響
を
受
け
る
ので、刑
法
は、行
為
の
コミ
ュ
ニケー
シ
ョ
ン的
な
側
面
から
引
き起
こさ
れ
た葛
藤
(区o目窪葬)
を
処理
す
る
こと
に
へ仙
な
る。
こ
のこ
と
から
、
レ
ッシ
ュは、
「刑
事
不
法
を
明確
にす
る
た
め
には
、因
果的
な外
界
事
象
の評
価
は
重
要
ではな
く
、規
範
に
(49∀
件
の妥
当
性
に対
す
る
外
界事
象
の意
味
の
みが重
要
であ
る
」
と
し
て
い
る。
要髄
・のさ
つに理蟹
れた刑罰と不法との関係は、かれの共同正犯の帰属の理論に関する見解にどの考
な帰結をもた
幽
ら
す
・と
にな
る
の
であ
ろう
か.
・
の点
に
つ
いて、
具
体
的
に
かれ
の考
え
方
を
見
て
い≦
・と
にす
る.
駐
かれによれば・分割された実行による分業的な遂行の場A峡
個々の相互的に入り組んだ寄与が全体事象として・ミ・
犯正
ニケーションをとること、すなわち、規範の拘束力に関する各関与者に共通の情報として理解されることによって、は
同繊ハ
じ
めて
=疋の刑法的に保障された規範の妥当性に対する侵害i
つまり、構成要件の完全な実現一
の質
と全体量が明ら
かになるので、刑法的な答責に関係する客体は、個々人がみずから関与したこと
(所為に対する個
々人みずからの関
(50)
与)ではなく、分業的に実行された構成要件の実現の全体である。普通、共同正犯において個々の関与者は単独正犯
よりは実行部分が少ないのであるから、各関与者は、全体に対して単独で管轄
(N自盛賢島αq)しているわけではな
い。
つまり、各関与者自身の所為が存在するのではなくて、共同の所為、すなわち、集団に帰属されるべき所為のみが存
85
在するとされ輸恥共同正犯として組織化された犯罪を集団の所為、とくに共同した各関与者の共同体
の所為として解
釈
し
た
の
は
ー
レ
ッ
シ
ュ
の
こ
と
ば
を
借
り
る
と
そ
の
「歴
史
的
な
典
型
」1
ま
ず
、
共
同
惹
起
説
(四一①ζ
一叶犀『7Φσ①同一〇『円①)
で
あ
っ
86
た
と
さ
れ
る。
た
とえ
ば、
ケ
スト
リ
ン
は、
意
図
の統
一性
(画一①閏)一昌げΦ一酔匹Φ同》げ石o一〇げ辞)
が所
為
の統
一性
を
生
じ
さ
せ
、
これ
か
ら、
共同
惹
起
者
の連帯
責
任
が生
じ
る
こと
に
な
る
とし
た。
こ
の考
え
方
か
ら
は
、主
観
的
な
帰
属
の根
拠
は、
個
々
の共
同
惹
(52)
・
起者
の
そ
の時
々
の個
人的
な意
思
では
な
く
、惹
起
者
の共
同
体
の
「全
体
意
思
」
と
いう
こ
と
にな
る
。
さ
ら
に、
レ
ッシ
ュによ
る
と、
ヴ
ェ
ルツ
ェルも
ケ
スト
リ
ンに比
肩
す
る
よう
な
共
同
正
犯
の解
釈
に
到達
し
た
と
さ
れ
る。
す
な
わち
、
ヴ
ェル
ツ
ェルは、
一般
的
な
正
犯
のメ
ルク
マー
ル
は目
的
的
行為
支
配
であ
る
とす
る。
つま
り
、
みず
から
の意
思
決
定
に
基
づ
き所
為
を
目
的
的
に
[
遂行した者は所為を支配していることになる・そして・計画的に羅
された実現意思による所為の形成は・行為者を
叢
(53)
所為の支配者にするので、目的的実現意思
(構成要件的故意)は行為支配の一般的要素であるとす
る。ヴ
ェルツェル
論
は、このような正犯概念を前提として、共同正犯を
「一体的な所為に対する行為支配を複数の者が共有する点に特質
(54V
律
がある正犯」と捉える。したが
って、各共同正犯者は、共同の行為決意
の共同担当者であり、この共同の行為決意に
基
づいて犯罪の実行に共同して関与しなければならない。
いいかえると、共同正犯の場A口、各関与者
の行為は、共同
法「
の行為決意によ.て基礎づけられた目的関係に基づいて、他の関与者の行為とともに統
一的全体を形成する・とにな
るので、各関与者は単なる部分の行為者ではなく、つまり、部分の行為者はなんら独自の機能をも
たないので、各関
(55)
与
者
は
、
全
体
に対
す
る
「共
同
」
行為
(正犯
)
者
(ζ苧
月鉾巽
ρ日
Ωき
N8
)
と
いう
こ
と
にな
る
と
し
て
いる。
レ
ッシ
ュに
よ
れば
、
ケ
スト
リ
ンと
ヴ
ェル
ツ
ェルは、
正当
にも
、
共
同
正
犯者
の集
団
的
統
一体
、
す
な
わ
ち
、
人的
な共
同
(56)
体
のな
か
で結
び付
け
ら
れ
た
諸
個
人
の組
織
化
さ
れ
た
統
一体
は、
そ
れ
自
体、
葛
藤
が帰
属
さ
れ
る行
為
の主
体
であ
る
と
し
て
い
る。
つま
り
、
共
同
正
犯
に
お
いて、
共同
す
る全
関
与
者
、
い
いか
え
る
と
、
「人的
共
同
体
と
し
て
の集
団
」
(匹霧
國。頴
葬ぞ
巴。・
℃①鵠o口曳oΩ㊦巳9朗
。富
津)
に対す
る
「行
為
およ
び負
責
の管
轄
」
(。ぎ①寓き
巳巨
σq甲
巨
畠Φ冒①凶弾
巨
σq。。N轟
け雪
虫σq犀Φ騨)
は
彼
ら
の結
合
のな
か
にあ
る
と、
ケ
スト
リ
ンと
ヴ
ェルツ
ェルが
解
釈
し
た
こ
と
は、
そ
の出発
点
に
お
い
て的
確
であ
った
とさ
れ
(57)
る。
そ
こで、
レ
ッシ
ュは
、
次
のよう
にそ
の考
え
方
を展
開
す
る。
す
な
わ
ち、
人
的
な
共
同
体
の構
成
的
な
要
素
は
、
=疋の犯
罪
を
共
同
的
か
つ分業
的
に作
り
出す
こと
に内
在
す
る
し、
し
かも
、
そ
れ
は、
相
互
的
に基礎
づけ
られ
る必
然
性
が
な
い
「超
個
人的
な
共
同
の目
的
の追
求
」
(象①<醇8お巨
σq①冒①のま
Φ目ぎ島三山話
目窪
σq①ヨΦぎ。。㊤目窪
N≦①。訴
)
であ
る。
こ
の点
に関
し
て
、
ヤー
コプ
スは
、
犯
罪
が分
割
す
る
こと
が
でき
る部
分
か
ら組
成
され
、
個
々
の部
分
が異
な
った者
によ
って実
行
さ
れ
る
かぎ
り
て
で、
各
関
与
者
が
全体
とし
て達
成
し
よう
とす
る目
的
のた
め
に結
A口し
て
いる場
合
に
の
み、各
関
与
者
は、
全
体
に対す
る共
同
へ
酬
正犯者として責任を負うことになるとする。なぜならば、共同の目的は、個
々の寄与が全体の部分
であることを明ら
に
(58)
件
かにするからであるとされる。ただし、レッシュは、このように理解される共同の目的を
「心理学的に解釈する」こ
要髄
とには反対する.共同の目的を形成する・とは、決して民事法における社団設立、すなわち、対向的決議の意味にお
納
ける定款の締結による社団設立の類推から導かれるものではな
い.
つまり、共同の行為決意は、帰属の必要的な根拠
姓
でもなく、また、それ自体、共同正犯の責任の十分な識別基準でもないのである。そもそも共同正犯とは分業による
犯正
犯罪の実現であり、分業に関しては、相互的な意思の
一致が問題となるのではなくて、構成要件を実現するために遂
同
(59)
辻ハ
行
し
な
け
れ
ばな
ら
な
い
「作
業
の分
配」
(〉`津色
目
αq畠①円≧
σ①詳)
が問
題
と
な
る
の
であ
る
。し
かし
、自
然
主
義的
、
心
理
学
(60)
的
記
述
によ
る
誤
り
は、
たと
え
ば、
前
に述
べた
「共同
惹
起
」
の考
え方
な
ど
にす
でに
見
て
と
る
こと
が
で
き
る
とさ
れ
る
。
す
なわ
ち、
共
同
惹
起
の二
つ
の形式
で
あ
る陰
謀
と偶
然
的
な共
同惹
起
(区o目笠o詳
β民
国目障毎σq①ζ
詳β}
①げ葭。・。富
津)
にお
い
て、
個
々
の寄
与
の全
体
活
動
への結
合
が全
体
意
思
の形成
を
必
要
と
す
る
場合
、
およ
び
、
そ
の全
体
意
思
が
、各
関
与
者
の個
別
的、
個
人
的
、
精
神
的
な意
図
から
構
成
さ
れ
る場
合
には、
共
同
に把
握
さ
れ
た相
互
的
な
決意
のみ
が、
結
合
要素
と帰
属
の根
拠
8
と
し
て考
慮
さ
れ
る
こと
にな
る。
こ
の限度
で、
不
法
を
基礎
づけ
る
こと
に
つ
いて決
定
的
であ
る意
思
は、
規
範
の拘
束
力
に関
8
係
す
る
.意
味
表
現L
(QQ一コ口ρ`ooα円βO犀)
とし
ては
理解
され
ず
、ヴ
ェル
ツ
ェル
におけ
るよ
う
な
「外
部
的
な因
果
事
象
を
目的
的
8
に決
定
す
る心
理
的
な事
実
」、
つま
り、
ド
イ
ツ刑
法
一六
条
の意
味
にお
け
る故
意
と
し
て理
解
さ
れ
て
いる。
し
か
し、
そ
のよ
う
な
個
人
的i
精
神
的
な
状態
(5自三
音
寧
で契
。臣。。。げ①同bd①2
巳
)そ
れ
自
体
とし
て
の行為
意
思
は
、規範
の拘
束
力
にと
って、し
たが
って、
刑法
にと
って
、
ま
ったく
意
味
のな
いも
の
であ
る。
さ
ら
に、
因
果
的
な
外
界事
象
に関
係
す
る
行
為意
思
、
す
な
わ
ち
、事
実的
故
意
(]βけ~「○目口o㊤けN)も
、行
為
の刑法
的
に重要
な意
味
表
現
、す
なわ
ち
、事
象
の中
に
コー
ド化
され
た各
関
与
者
の
(61)
規範の拘束力
への態度決定と同
一視されてはならな
い。それゆえ、レッシュは、共同の目的は規範的に解釈されなけ
一
れ
ば
な
らな
い
とす
る
・
か
れ
は・
脱
心
理
学的
に記
述
さ
れ
・
ケ
スト
リ
ン・
ヘル
シ
・ナ
}・
ベ
ルす
ら
に
よ
り
明ら
か
にさ
れ
叢
た
「全
体
意
思
」
((甲①gロ9bPe≦一一一①)
を
用
い、
共
同
の目
的
を
、
全
体
の活動
に対
し
て
個
々
の寄
与
が入
り
組
ん
で
いる共
同
正
犯
の
論
決定
的
な
契
機
と
し
て定
義
す
る場
合
、
共
同
の目的
は、
共
同
の事実
的
故
意
を
意
味
す
る
ので
はな
く
、
即
自的
か
つ向
自
的
に存
律
在す
る普
遍
的意
思
に向
け
ら
れ
る
「特
殊意
思
」
(店頭
告
①。。o冨山霞Φ≦
已①..)
のみを
意
味す
る。
そ
の
「特
殊意
思
」
は
、現
実
性
に
お
いて表
象
し
、
規範
の妥
当
性
の侵
害
を惹
起
す
るも
ので
あ
る。
こ
の意
思
を事
実的
故
意
とし
て心
理学
的
な
記
述
によ
って
法}
解
釈するならば、不可避的に、意思と因果的な外界豪
(、犯罪の単なる産物・)との関係、したが
.て官
金
藷
な伝統的刑法解釈学
の帰属モデルへ赴くことになる。しかし、刑事不法は、外的な因果経過のレベ
ルで生じるのでは
なく、規範の妥当性のレベルにおいて生じるのであるから、全体意思に関しては、ただ刑法的にのみ重要である事象
の客観的な意味表現が問題となり、他のことは問題にならな
いのである。その意味表現が、集団的な規範違反、すな
わち、共同的かつ分業的に組織化された規範違反の意味を、集団的な
「特殊意思」とみなすことになるのであり、
い
(62
∀
いかえると、共同正犯の責任の根拠は、主観的な帰属の問題ではなく、客観的な帰属の問題であるとされる。そこで、
このように共同の目的を規範的に理解して、これを各共同正犯者の行為を客観的に帰属させるための契機として考え
て
いく
場
合
には
、
よ
り積
極
的
な
基
礎
づ
け
が必
要
とな
る。
こ
の点
に
ついて
、
か
れ
は、
共
同
の目
的
の形成
、
す
な
わ
ち、
各
人
の寄
与
を
、完
全
に決
定
さ
れ
た
犯
罪
の共
同
的
か
つ分業
的
に組
織
化
さ
れ
た
実
行
と
し
て定
義
す
る
こと、
そ
し
て、集
団的
に実
現
さ
れ
た
刑事
不
法
を
確
定
す
る
こと
は、
精
神
的
な
共
同
(窟
箸田。。畠ΦΩΦ臼Φぎω98閃葺
)ではな
く
、客観
的
な共
同
(oげ甘蓉幽く㊦OΦ臼①貯。。帥8匿Φε
を
必要
とす
る。そ
し
て、客
観的
な
共
同
は、超
個
人的
に
(す
な
わち
、個
々人
の寄
与
を
超
え
て)「客
観化
され
た
計画
連
関
」
(09
Φ犀自≦①島田
℃冨自
口。。騨ヨ目窪
『雪
四)
↑
のもとで・複数の関与者の懇
的な活動のコミ・二て
シ・ン上簗
な蓉
をと芒
て生じ蜷
た萱
この確認自
脳
体
は、
な
ん
ら特
別
の
こと
を
いう
も
の
では
な
い。
な
ぜな
ら
、態
度
(ぐσ}巴9ロ)
の社
会
的
な意
味
は客
観
的な
側
面
から
生
じ
に
(64V
件
る
の
であ
り、
そ
の客
観
性
は行
為
の主
体
から
離
れ
た
現
象
と
し
て
理解
さ
れ
る
わけ
で
はな
く
、
つね
に、
「客観
化
さ
れ
た主
体
要磁
性
・
(・琴
・三
・・蕊
・げ」・搾・三
け豊
とし
て、
い
いか
え
る
と、
「個
人
の意
味表
現・.(ω巨
窪
・・ユ・奨
・ぎ・モ
…
8
)
と
し
て
謝
理解
さ
れ
・る
から
であ
る
とす
る.
そ
・
で、
・の考
に
.態
度
」
を
理
解
す
る場
合
に
は、
デ
ルク
ゼ
・の見
解
と同
様
に
、
そ
駈
れが刑法上重要なものであるかどうかを判断するための基準が必要となる・この点について・かれは・判断の基準は・
犯正
客観的な帰属について
一般的にそうであるように、「事象の社会的かつ規範的なコンテクスト」、およ
び
「関与者
のぞ
噸難
謹
終
話謹厳ボ師磐
監
縣
鋒
動静陽譲翻謹
鐸
一人
が、
そ
の店
に飛
び
込
ん
で来
てナ
イ
フを
買
い求
め、
そ
れ
を使
って喧
嘩
の相
手方
を刺
し
殺
し
た
ど
き、
店
主
は、
そ
の行
為
に対す
る従
属
的
な
負
責
(爵
N①ω。。8
。・9
①出聾
巨
σq)
を免
れ
る。
す
な
わ
ち
、・店
主
の態
度
は彼
の役割
に
よ
って意
味
のあ
る
も
のと
し
て説
明
しう
る
から
であ
り、
行
為者
の次
のよう
な
態
度
と関
連
し
て
いる
から
であ
る。行
為
者
の態度
は、
そ
れ自
体
、
9
ロ
合
法
的
(一①σq巴)
で
あ
り、
後
続
の可
罰的
行
為
(こ
の場
合
は殺
害
行
為)
がな
く
ても
、
社会
的
にも
個
人的
にも
意
味
を
も
って
いる
も
のであ
る。
つま
り
、
あ
る態
度
が、
社
会
的
な
コ
ンテ
ク
スト
と
関与
者
の社
会
的
な
役割
を
考
慮
す
る
こと
に
よ
って、
そ
90
れ
が
よ
く
あ
る
こと
(二げ5急け貯)、
な
いし社
会
的
に相
当
であ
る
(。。。邑巴巴
餌ρ`鉾)
と解
釈
さ
れ
う
る
か
ぎ
り
で、
行
為
者
は犯
(66)
罪
結
果
に
な
ん
ら関
係
が
な
いとす
る
こ
とが
でき
る
の
であ
る。
レ
ッシ
ュは、
こ
のよう
な
観
点
から
、客
観的
な
共
同
は、「組織
的-
規
範的
な
共
同」
(oお留
置象o騎
。78
同口鉾
ぞ①Ω㊦ヨ⑦ぎ-
(67)
。。9日冨
ε
と
し
て基
礎
づけ
ら
れう
るとし
て
いる。
レ
ッシ
ュに
よれ
ば
、組
織的-
規
範的
な
共
同
と
は作業
が実
際
に分
配
さ
れる
こと、厳密
に
いう
と、
一方
的
に、ま
た
は相
互
的
に関
与
者
が
「作
業
を
手中
に収
め
て
いる」
(ぎ-厳守自働巳
甲≧
げ①含①ロ)と
いう
一
態様でおこなわれる分業の典型例を意味する・この場食
まず・蓉
にと・て重要なのは客
行為寄与の
・客観化され
叢
た作
用連
関
」
(①ぎ
。9①譲
≦①『§
≦
莫
`蹟
。。ぴΦN品
)な
いし
「客
観
化
さ
れ
た目
的
連関
」
(Φ冒
oど
実
島≦角8胃N≦。騨
げ①N品
)
論
であ
り、
そ
の連
関
は、
各
行
為
寄
与
が
同
一の目標
に順
次
関
係
づけ
ら
れ、
調
整
さ
れ
て
いる
こと
を
表
わす
の
であ
る。
たと
え
律
ば、
あ
る関
与
者
が
武
器
をも
ち
い
て出
納
係
を押
さえ
付
け
、
同時
に、
別
の関
与者
が出
納
窓
口
から
紙幣
を
カ
バ
ンのな
か
に移
(68)
す
、
と
いう
銀
行
強
盗
の事
例
がそ
の典
型
例
であ
る
とさ
れ
る。
法一
・の吉
な各行為寄与の目的連関を確認するためには、事象の全体的コンテ汐条
、とりわけ各関与著聞の偶然的
な事
前
の
「相
互
作
用」
(冒8国葬
一8
)
をも
考
慮
し
な
け
れ
ばな
ら
な
いと
され
る。
たと
え
ば
、誰
か
が他
人を
殴
り倒
し
て、
そ
の現
場
か
ら
立
ち
去
った後
、
関
係
のな
い第
三
者
がや
って来
て、
殴
ら
れ
て
気
絶
し
て
いる者
の紙幣
入
れを
奪
う
と
いう
よ
う
な
場
合
、
個
々
の行為
の客
観
化
さ
れ
た
作
用連
関
と客
観
化
さ
れ
た目
的
連
関
は
確
認
さ
れ
て
いな
い。
し
か
し、
た
とえ
ば
、
殴
った
者
と紙幣
入
れ
を奪
った者
が
、
一緒
に
犯行
現
場
を
訪
れ
、
そ
のこ
と
によ
って、
事
前
に彼
ら
の態
度
を相
互
に同
調
さ
せ
て
いた
場
合
には
、
別
の評
価
が可
能
と
な
る。
こ
のよ
う
な
場
合
にも
、
各
寄
与
を
、
相互
的
に関
係
づ
け
ら
れ、
集
団
的
にも
た
ら
さ
れ
る
行
為
寄
与
と
し
て証
明す
るよう
な
コ
ンテ
ク
スト
にお
いて、
各
寄
与
が
遂
行
さ
れ
る
こ
とを
と
お
し
て、
はじ
め
て共
同
が生
じ
る
こと
にな
る
と
さ
れ
る。
つま
り
、
レ
ッシ
ュの
いう
「客
観
的
な
共
同
の目的
」
の観
点
か
ら
は
、刑
法
的
に重
要
な
「共
同」
を
根
拠
づ
け
る
た
め
に
は、
単
な
る
通
謀
と
同様
に、
計
画
ま
た
は他
の関
与
者
の態
度
を
単
に
一方
的
に
知
って
い
る
こと
、
あ
る
いはそ
(69)
れを相互的に知
っていることは、なにももたらさないとされる。このことを、かれの提起する事例に即して考えると、
たとえば、複数の者が、スプレーを吹き
つけて落書きをするために同じ時間に同じ場所に集まることを約束し、各自
がそれぞれ持参したスプレーで、自分勝手に、自分の芸術的な好みを追求した場合には、事前の通謀と時間的、場所
↑
的な連関が存在するにもかかわらず、従属的な負責を基礎づけるために必要な共同が欠けているのである。すなわち、
へ仙
この場合には、「助け合う」という意味における個々人の寄与の客観化された目的連関が確認されな
いので、同時犯と
に件
な
る。
し
かし
、
実行
のな
か
に
現
れ
る各
寄与
が、
「外
面的
-
技
術
的
に態度
を
同
調
さ
せ
る」
と
いう
形
で
(各
人
が決
め
ら
れ
た
要虹
色
の
スプ
レー
を
持参
し、そ
れ
を
一緒
に使
用す
る場
合)、ま
た
は
「内
容
的-
芸術
的
に同
調
さ
せ
る」
と
いう
形
で
(た
とえ
ば
、
鋤
各人が共同の芸術作品を註
して描島
A・、あるいは・ンクー
トの圧色で味もそ
・けもな
い地下鉄
の駅に註
して
主の
絵を描く場合)、実行のなかに沈殿している各寄与が相互に関係する場合には、前
の事例とは異なる評価が可能とな
犯眠
る。この場合、各寄与が調整されて互いにかみA口っている組織体は、「共同の目的の形成」と
「全体
に対する全関与者
辻ハ推難馨
羅
.恩讐
.蜷無難
鹸鐙
鞭
馨繕
物酸型齢
に存在することは重要でないことになる。なぜならば、同じことを遂行するということは、同時進行的な分業の形式
だけでなく、承継的な分業の形式においても生じうるからである。つまり、ある寄与が後続する組織体に対して前提
となること、いいかえると、後続する寄与が最初の寄与を利用することによ
ってもたらされる承継的な分業において
飢
も
・同じことを遂行すること」は基
肥となるからであ範
しかし・懇
的姦
点からみて・最初の寄与が次の寄与に
2
対す
る客
観
化
さ
れ
た
目
的連
関
を
欠
いて
いる場
A口に
は、
第
二
の行
為
者
によ
って各
寄
与
の単
な
る
片
面的
な
「調
整
」
と
「結
9
合」
がな
され
て
いる
にす
ぎ
な
いこと
に
な
る。
つま
り
、
共
同
が、
各
寄
与
の相
互的
な
合
一化
(は
め
込
み)
を
とお
し
て
では
な
く、
各
寄
与
の片
面的
な合
一化
を
と
お
し、て形
成
さ
れ
た
場
合
に
は、
各
寄
与
の結
合
は、
各
寄
与
の答
責
的
な
結
合
の範
囲
を超
え
て
いる
こと
にな
る。
こ
の
こ
とを
、
さ
ら
に
レ
ッシ
ュの事
例
に
即
し
て見
て
みる
こと
にす
る。
たと
え
ば
、
あ
る樵
が仕
事
を
終
え
て料
理
屋
に
や
っ
て来
て、
斧
を
ク
ロー
ク
に預
け
た
が
、
そ
の後
、
別
の者
が
そ
の斧
を
用
いて
第
三者
を
打
ち
殺
し
た
場合
に
は、
自
分
の目的
のた
「
めにその斧を使用した者による組織的活動の
芳
的な結倉
か存在しないことになる・これに対し
て・ある者が他の
叢
者
と喧嘩状態にある場合に、樵が彼の斧を貸し与えることには、相互的な合
】化が肯定されうる。すなわち、他人の
論
態度との作用連関および第三者を殴り殺すこと
への調整がなければ、共同して分業的に実現した行為結果として、そ
律
の行為を社会的に意味のあるものと解釈することができないことになる。また、最初の行為者が彼
の行為によって初
めて他人の活動に対する前提を形成する場合には、第二の行為者だけでなく、最初の行為者による片面的な合
一化は
法一
生
じ
、フる.
・
の占…に
ついて
、
ヤー
・プ
スは
次
のよ、・な
事
例
を
挙
げ
て
いる.
す
な
わ
ち、
実行
者
と
通
謀
す
る
・とを
、
あ
る者が犠牲者に睡眠薬を与え、また実行者
のためにドアを開けておき、さらに犯行に適していて、実際に使用された
道具を用意し、実行中も、妨げになるような第三者の介入を防いで、結局、犠牲者は実行者によって寝ている間に殴
(71)
り殺
さ
れ
た
と
いう
事
例
で
あ
る。
レ
ッシ
ュは
、
こ
の場
合
も
、他
人
の態
度
と
の作
用
連関
がな
け
れ
ば
、
みず
から
は実
行
でき
(72∀
な
い者の態度を社会的に意味のあるものとして解釈することはできないとする。
結局、
レッシュによれば、調整としての刑法的に重要な共同の形成は、単に事実的に基礎づけられる共同だけでな
く、規範的な共同でもある。つまり、個々の関与者が何かをなしうる場合に、関与者は全体に対して管轄を有するの
であ
る。
こ
の
こと
は、
組
織
的
な
活
動
の事
実
的
な
結
合
は、
そ
の結
合
が従属
的
な負
責
に帰
結
す
る
か
ぎり
で、
つね
に遡
及
の
禁
止
を
破
る
こと
を意
味す
る。
そ
れ
ゆ
え
、個
々の関
与
者
に
よ
って集
団
的
な
特
殊意
思
のな
かに
統
合
さ
れ
た寄
与
は
、
規
範違
反
に関
す
る
「同
意
」
な
いし
「連
帯
」
の表現
を
意
味
す
る
はず
であ
る
か
ら
、
そ
のよう
な
寄
与
は
、客
観
的
に中
立
的
な
も
のと
はな
り
え
ず
、「規
範
違
反
の指
標」
(才岳訂
8同①ぢ①。。Zo『日三
αΦ閉肩口o訂
)
で
なけ
れ
ば
な
らな
いこと
に
な
る。
そ
し
て、客
観
的
な帰
属
を
問
題
とす
る場
合
に
は、
「客
観
化」
と
いう
こと
が
重要
な
の
であ
って、な
んら
か
の心
理状
態
は
重要
で
はな
いと
さ
↑
(73)
れ
る
こと
にな
る
の
であ
る。
し
た
が
って、
こ
のよ
う
な
観
点
か
ら
は、
共
同
正
犯
は、
他
の者
と
の共
同
遂
行
に関
す
る通
謀
を
、
を仙
明示的な形式でも推断的な形式でも前提とするものではないとされる。すなわち、「従属的な負責は、とりわけ各関与
に件
者
間
の事
実
的
な
コミ
ュ
ニケー
シ
ョ
ンお
よ
び意
思
の
一致
の結
果
では
な
く、
む
し
ろ、
客
観
的
な
帰
属
の所
産
(島島
℃8合
葬
鹸
.げ」①謬
N霞①.げ…
σ・)・すなわ皇
家の規準
社会的な意義の所肇
ある」義
…
にな・ので競
軸
的観
主
主
..'
肋
(10
)
O①蒔
。。Φ7
PP
ρ
(寄
・α)一。。・鵠
ω・
オ正
(11
)
U
①鱒
器
P
P9.O
■(岡目
窃)"QQμO幽.
姻
(21)
。・・葺
舞
ρ
(寄
・)・・,・ま
さら
・、の§
署
一
(13
)
臼㊤犀oげ。。冒Pρ■O■(悶F隣γ
日
\蔭P
(14)
日借昌αqP
U臼
ヨoα①毎
Φ円餅8
き
①αq円崩
β昌昌
匹①門島①暮
。。oげ①QQけ冨賞①。・Φ訂㊦pけ≦母
戸
巳
ωρ
oQ.㎝QoP
Zoo7
<σqド
区o巨富島
67ピ卿冨σqρ
QD訂四叔㊦ω9Nげ磐
戸
蔭ω■〉口中
し
㊤⑦H層ωμ録
.こ
のラ
ンゲ
の見
解
の前
提
にな
った
のが
、共
同
正犯
を
「部
分
的
間接
正
犯
」
(紆=≦①『①
目一暮色げ霞①弓鋒①田野
国津)と捉
え
るライ
ヒ裁判
所
の判
例
(カ∩甲⑦①}口軽O●)、およ
び、共同
正
犯を
」
部自
手
犯、
一部
他手
犯
L(酔㊦一『
①お①ロ叡
ロ岳αq⑦5
8
房
中Φヨ住げぎ
&σq霞
目鋒
Φ崩臼
僧津)Lとし
て捉
え
、「各
共
同
正犯
者
にと
って、そ
の仲
間
は
みず
から
の露
助
者
にす
ぎ
な
い」
とす
る
ビ
ンデ
ィ
ング
の見解
であ
る、
しuぎαぎ鉾
Uδ
牙
虫
Ω『口置ユ8『日oロ餌8
<霞σ冨魯
①器
。げoロ
Q。ロぼ
。算
ω"自省
弓弩05
93
自霞
~げ三
富営
げ雪
(q尋㊦げ9
)一α霞
O①び鵠ず
雷門QQ書9守oo暮露6穿①口渇α
。。町9な容
N霧
の口巴Φ〉げ財ゆ5巳口口σqΦP
ω魁.一}Hり顧
一の●ωOO■
4
(15
)
GQ6げα口才①,GQo訂
αユ①♪
GQ霞
騨お
霧
①呂
げロ。F
昌①・〉
⊆口」
H㊤刈b⊇層く曾
げΦヨ
●貿
凶
刃昌・恥ω↓
oQ●ω㎝9
さ
ら
に
、
バ
ウ
マ
ン
は
、
か
つ
て
、
共
同
9
正
犯
は
「相
互
間
接
正
犯
」
で
あ
る
と
明
言
し
て
い
た
、
<αQr
】W窪
目
窪
P
月鉾
①屋。訂
津
巨
α
目亀
目導
日
①一旨
oD
H㊤①ω"QQ.Q。9
(16
)
GD3
口日轡5♪
QQ零郎
Φ鼻
聾
o冨
・。=呂
傷一`昌σq。・`茸
①o耳
`目ユ
α霧
℃二目N甘
山雪
QQ①ぎ
。。貯
①田
暮
≦9
けニロ
oq
ユ8
}ロα①お
♪
日りo。ρ
QQ●お
卑
(71
)
UΦ目訂
①♪
p
即○
'(門口.α)〕の.HΦ⑱
N
(18
)
∪①蒔
。。o戸
P
費O
・(国P
α)}QQ■日Oりご
くσq日
』自評oげロ・層P
P
O
■(岡昌◆駆)
"圏
\ω。
(19
)
こ
れ
は
、
ヤ
ー
コプ
ス
が
主
張
す
る
決
定
支
配
で
あ
る
鴇
口鉾
oげ。。b
.即
O
。(門戸心γ
曽
\ミ
幽
(20
)
u・器
・ρ
・■p
ρ
(団p
αγ
。,.語
も
ぎ
げ。・》
・b
.(司区
)Ψ曽
\癖oo。
・
(21)
<
個r
臼。①『山①P
ωげ2
葬
ロ旨9
ユ㊦。。
。。け円㊤時㊦。げ島
∩冨
昌
くσ茜
暮
≦o胃ε
昌αq。・げ①αq二評
"
幻①『島oコ①巨
億畠山
詩話
くσ時
o零
口口αq窪
"巳
c・o。一
一
・Q・刈・。
・
叢
(22
)
U
①蒔
。・①♪
鱒
P
ρ
(閃P
αγ
QQ」①㊤山
州9
(32
)
】)①同罪ロo①P
鉾
p
O■(「口●㎝)ΨoQ」刈P
論
(24
)
U①蒔
o。o♪
P
PO
.(閏月
ε
層ω.ミ
O。
(25
)
U①磁界oQ①♪
P
PO
。(鳴戸
αy
o自.H刈9
律
(%)
たとえば、シ
・上
下
テンヴ
・ル註
、共同
の行為計画は、共同正犯者
の統
一性
を基礎
づけ・か
つ限界づけ
るとしている・
融
画
.羅
諜
露
髄
蕪
齢犀F串人的に帰属が可能な領域として自然的な存在に対し出現する
もの
であり、「その時
々の社会の発展状況
に合致した合理性の基準」により、自身
の計画の現実化
のもとにある形成
(ΩΦ
。・け巴εコσq)
として、すなわち、
いまだ自然
に存在していな
い秩序
の創造
として理解されるも
のであ
るとされる。
(29
)
u
①鱒
ω・♪
器
.ρ
(岡p
㎝)一GQ」刈b⊇9
(30
)
一)①『貯qoOP
餌■嘗○
。(「昌U)〕QD』刈トつ.
(31
)
O①『即oD①P
穿
PO
■(団P
㎝y
oQ」
刈卜⊃●
(23
)
UO円陣ooΦP
pp
O
●(岡目ぴy
oDμ
刈ω.
(33
)
u㊦器
β
舞
b
.(寄
・㎝)闇QQ」
刈ω陰
(34)
し
かし
、他
人
の手
に
より
遂
行
され
た寄
与
を行
為
者
に負
わ
せ
る
と
いう
こと
は、
共同
正
犯
に特
有
の問題
で
は
な
いはず
であ
る。
た
と
え
ば、間
接
正
犯
にお
いても
他
の者
の所
為を
正
犯者
に
「帰
属」
さ
せる
と
いう
こと
にな
る。
こ
の意
味
に
お
いては
、共
同
正犯
と間
接
正犯
は
いく
つか
の類似
(℃四目㊤一一①一〇昌)
を
しめ
し
て
いる。
し
か
し、
この
こと
を指
摘
す
る
こ
とと
共
同
正犯
の帰属
原
理
とし
て
「相
互
的間
接
正
犯
説」
に
依拠
す
る
こと
とは
別
であ
ろ
う。
前
にの
べ
たよう
に、
ヤー
コプ
ス、デ
ルク
ゼ
ンや
ド
イ
ツ
の通
説的
な
見解
は、
間
接
正
犯的
に共
同
正犯
を
構
成す
る
こと
を否
定
す
る
。
(35)
U①時
ω①P
窪PO■(国F
⊆只)}QQ■ミ
ら.
(36)
U①時
。。①♪
自■PO曾(団Fαy
QD■口置
。
て
(37)
U①『叶。。①P
9・9・○・(国富ぴy
oQ』謡
-弥
伽
(83)
川端教
授
は、「妥
当性
・(Ω①.けニロ・)と
い、フ言口葉
が非常
・義
的であ
る
。と、と-
・、内
容的
に
は、認
的拘
束力
(奉
。.5。..。穿
Φ.け)、
に
実定性
(℃o。。葺く罫騨)
および実効性
(≦ぼ匪白日ぎ詐)
の意味
がある
ことを明確
に指摘される、川端博
「違法性の認識
につい
難
・
(一)・.葎
論叢・四七巻二号
(昭五・年
二
九七五年=
=
頁、同
.判例・共犯論・.司法研修所論集・九五号
(平八
立
年
・
一九
九
六
年
)
一〇
四
頁
。
成的
(39
)
Oo降
。・ΦP
ρ■即O
・(門戸
α)〕QQ』置
-9
掘
(40)
u婁
…♪
舞
ρ
(同量
・。。μ刈α・
の
(41
)
<σqr
』騨『oσ匂。層閃①oq円①ゆく①『げoけ
げ位
5
団円{⊆
σqqD山①}貯
∬
NQQ貯≦
oo㊤(目り刈ご
"oD』
卑
…島①冨
二
郎P
O
■(岡5」γ
国劇\目α.
ロ動
(42>
oΦ時
・・Φ♪
費費ρ
(穿
・q)b
≒
窃;<αQド密
唱。貫
qげΦこ
霧
泌Φαq・&
<霞げ。け巨
Q。町罫
8
耳
N匂Qけ≦
♂
(Hり罐
)b
・8
0中
期
(43)
uΦ円7・。①ロ・罫
ρ
(閃昌・α)・。,・目刈①・
一
(44
)
O①蒔
。。①戸
嘗
Pρ
(「戸
αy
QQ■旨
①●
(45
)
し
た
が
って
、
共
同
活
動
の
実
行
の時
点
は
、共
同
正
犯
が存
在
す
る
こ
と
に
と
っ
て
決
定
的
な
こ
と
で
な
い
こ
と
に
な
る
、O
霞
器
ΦP
㊤.㌍O
■
(門戸
窃γ
oo」吋O
(悶冨㎝①y
窪目oげ
く屯
.臼堕罪oげ。自}p
pO
■(剛ロ.ら)層日
\幽N
(46
)
ピ①。・oF
費.Pρ
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■
(47
)
い①。・oF
穿
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αy
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刈悼-ω.
(48
)
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P
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心.己
①円。・」
U
霧
中
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居
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ρ
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95
(49
)
い①q自9
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ρ
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窃γ
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刈心∴
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こ
Po■ρ
翁
P
蔭Q。y
QQ」ωG。"δ
ρ
悼αω
中こ
ト⊃Oα
中
…U㊤屍oσ。。「些騨.O
.(鳴戸
駆)"く
P
ミ
α●
(50)
か
れ
は、
こ
の点
に関
し
て
、
M
・E
・
マイ
ヤー
が共
同
正犯
の
「総
A口的
な
要
素
」
に
つい
て言
及
し
た
こと
は
適
切
であ
る
と
し
て
い
9
る
、
冒
。。。互
@・pρ
(写
■α)b
.・、謡
(寄
.同・。y
き
9
〈σqピ
ζ
'国.ζ
超
Φ♪
u醇
〉
=α・・目
・ぎ
・
課
目
山霧
匹8
け。・暮
雪
。,冨
守・。募
弘
o昼
QQ.ωQoド
(51)
い①しnoF
9聾.O■(団ρ㎝y
oD』刈α∴α①冨ご些些○.(間口」Qoy
oD.目QoO第
}悼¶口中■
.(52
)
区α。。高
炉
oQ務
竃目
匹田
匹曾
富。げ①⇒
ω貯9守㊦。暮。・弘
●》夏
こ》壽
①ヨ。ぎ曾
誤
F
一Q。α9
0D.。。○。心中
ベ
ルナ
ー、
ヘルシ
ュナ
ー
も
同様
の考
え方
を示
し
て
いる、<αqピ
切oヨ
①♪
Uδ
ピ。ゴ冨
<oロα霞
目げ①昌昌践
日①四ヨ
<卑げ冨
oげ①ロ⊆昌α
らΦ昌①器
冨昌
Oo暮
『o<①冨①口口σ①『
Uoピ匂・ロ昌ユ
Q巳刀譜
HQ◎心メ
oQ.ω㊤9σ中
}心卜⊇悼卑
…国毘q駐o『ロΦ♪
U霧
隠
①⊆塗。・oげ①QDけ冨
マ①o暮
"N≦詳㊦同日げ①芦
ドcoαQo}QoいQo軽第
(四一壁
口雪
げ
ピ①ωo竺
PPO.(鳴戸
㎝)"OQ面刈窃Y
デ
ルク
ゼ
ンによ
れ
ば、
こ
のよ
う
な
見解
は
、
共
同
正
犯を
基
本
的
に
相互
的
教
唆
と捉
え
るも
ので
あ
ト
り、
相
互的
教唆
の場
合
、共
同
の行
為.計
画
は
そ
の中
核
にな
る
と
さ
れる
。し
かし
、
こ
の見解
にし
た
がえ
ば
、全体
意
思
の成
立
時
点
の
よう
に早
い段
階
で犯
罪行
為
の成
立
を
みと
め
る
こと
にな
り、
帰
属
の根拠
と実
体
と
の間
にな
ん
の結
び付
き
も
な
いこ
と
に帰
結す
る
と
し
て
いる
、
O臼訂
①P
嘗9.○「(「ロ■㎝)冒GQ」O守①.
論
(53)
≦σ冒①r
O霧
02
冨。げ①QQ昏国守①。暮
}日日.〉ロコこ目㊤①P
QD』OO.
(54
)
壽
尽①r
P寧
O
.(岡目.駅ω)層QQ』O刈■
律
(55
)
.
≦
σ冒①ポ
〉
げげ寒
色
ロ昌oq①ロ
国二日
QQ貯
国守①。鐸
自己
N母
国①。耳
目
げ o。・oOぽ
ρ
目黒
∬
ω』①9
法一
(56
)
〉
`oげ
〈oqド
GQ貯
騨言
口≦①詳
7
騨.P
O
.(局口bOy
菊α戸
QoOメ
GoHO∴
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『\Ω
αo。oo①〈N昼ひ
ω霞
織
目Φo『ゴ
〉円
}日①出げ㊤昌ら
N
メ
〉冨山二
目㊤Qoメ
伽隣㊤
国富U
■
(57
)
い①脇oF
空
費
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■(国P
m)闇QQ』
刈①.
(58
)
臼嘗犀oげoロリP嘗
O
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悼H\蔭口∴
U霧
oげ一P
㊤.O
●(岡目
窃)}QQb刈⑦.
(59)
い①gao戸
鱒
P
O
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㎝y
QQ』
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(60
)
レ
ッ
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ュ
は
、
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う
な
誤
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は
、
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に
、
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ゲ
ル学
派
の
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的
な
帰
責
理
論
に
あ
っ
た
と
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る
、
り⑦。・。互
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ρ
(開戸
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QD.雪
刈.
(61
)
ピ霧
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(62
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P
O
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(63
)
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α)}◎自画◎QH-P
(64
)
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ρ
(ぎ
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(65
)
い①。・o戸
P
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・(局戸
山Q。γ
oQ面
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即
…畠田
。。こ
P
㊤.ρ
(岡目.㎝)"Qob
o。ド
(66)
U①ωo戸
P
p■ρ
(岡目ぴ
y
QQbQ。①.
(67
)
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P
費
O
.(閃P
窃γ
GQb
Q。悼■
(68
)
『①。噂6巨
費
空
O
.(閃昌.α)"oQ面
Q。悼-ω.
(69
)
『①G。oF
P
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「(門戸
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Q。甲
山.
(70
)
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P
P
ρ
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㎝y
QQb
Q。艀曾
(71
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』自評oげ。。層P
PO
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)"卜⊃H\膳Q。■
て
(72
)
い①ωo戸
p・讐
O
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α)〕ωb
Q。や
α・
伽
(㊧
。Φ・。・。・一
ρ
(。昌・。)・・,・悼・。α・
な
お
、
遡
及
の
禁
止
。
つ
い
て
は
、
。①・D・冨
・
ρ
(寄
鼻・。)・。・目。ロ
P
・。。・.
卑
L
僧。。。ω・罫
。.
に
(剛P邑
ど
Q自μ
中
鮒
(47)
・・…言
ら
(蜜
)珍
・・轟
さら
・、・三
ユは、・の吉
な見解・反対す・考え方・、そ
の根拠を自筆
義的な刑法
立
解
釈
学
の
「蔓延
し
た遺
物
」
(<①同一)円Φ一け①け①口n国①一一閃け)、
つま
り
、規
範違
反
と
し
て
の所
為
の刑
法
上特
別
な
コミ
ュ
ニケー
シ
ョ
ン的
意
味
鍼
内容をあ
・さり
と消し去り・刑事不法を因果的な外界事象
とし・擬
する
・とに求
め・
・るとする.
搬の疎
三
デ
ルクゼンおよび
レッシ
ュの所説の批判的検討
姻一
ヤー
コプ
ス・
デ
ルク
ゼ
ンお
よ
び
・
・シ
ュの考
に所
為
概
念
を
あ
ら
た
に捉
え
な
お
す
・と
によ
・て・
行
為
の
・客
観
的
な
帰
属
」
と
いう
観
点
か
ら
共
同
正
犯を
説
明
す
る
見解
に対
し
て
は
、
キ
ュッパー
が、
と
く
に
レ
ッシ
ュの所
説
を
対象
に
し
て詳
細
(75)
に
検討
し
、
批判
を
加
え
て
いる。
キ
ュッパ!
は
、ま
ず
、主
観
的
正
犯
説も
客
観
的
正
犯説
も
、
と
も
に
「共
同
正
犯
の
ミ
ニ
マム」
(76)
と
し
て
共同
の行
為
決意
を
み
と
め
て
いる
とす
る。
し
た
が
って、
レ
ッシ
ュの見
解
の誤
り
は
、心
理的
な
状
態
と
し
て
の行
為
意
97
思
(自誓目色¢口礪oQ≦一=①)
を
「刑
法上
意
味
のな
いも
の」
とす
る
点
に
あ
る
と批
判
す
る。
つま
り、
こ
のよ
う
な
主
張
は、
内
面
的
98
な態度だけでは可罰性に関して十分ではな
いとするものであるが、しかし、行為意思が、外面的な態度に現れる場合
には、刑法上意味のないものと主張できな
いことになる。というのは、そのような場合には、なにが故意または特別
な目的に該当するのか、ということに関する刑法的な判断にとって、内的な諸要素が決定的であることは疑いのない
(77)
こ
と
であ
る
か
ら
であ
る
とさ
れ
る。
次
に、キ
ュッパー
は、客
観
的
帰属
の理
論
は
、今
日、刑
法
解
釈学
に関
す
る議
論
のな
か
で広
い範囲
にわ
た
って受
け
入
れら
れ
て
いる
が、し
かし
、そ
の帰
属
論
が氾
濫
し、
膨
張す
る
こと
は、「疑
わ
し
い超
カテ
ゴ
リi
」
(守諾
≦母岳鴨
qQ`℃㊦時無
①的〇二Φ)
・
一
とい 点において問題であり・その、?&
多種多様な華
を超える統
穫
姦
得することができなか・たこと・およ
叢
(78)
び適
用
範
囲
が
明確
で
な
いこと
も
問
題
であ
る
とす
る。
さ
ら
に、「キ
ュッパー
は、
帰属
論
者
は、
し
ば
し
ば
次
の
こと
を見
落
と
諭
し
て
いる
と
批
判
し
て
いる
。す
な
わ
ち、
帰
属
論
は
、出
発
点
にお
いて
行為
論
と関
係
が
あ
り
、
そ
の点
で、
意
思
と作
用
の関
係
律
を
記
述
し
て
いる
こと
を見
落
とし
て
いる
とす
る。
た
と
え
ば、
ベ
ルナー
の帰
責
の理論
(一日℃暮㊤自8
ω冨訂
㊦)
にし
た
が
え
ば、
(79)
行為は、「所為に関する意思を媒介するもの」を意味することになる。さらに、客観的な諸要素は、主観的な結合を
法一
確定するための判断の基礎を形成することになるのであ
って、客観的な諸要素が、内的な側面に代わるということを
(80)
意
味
す
る
こと
に
は
な
らな
い。
こ
のこ
と
は、
今
日、
原則
的
に
み
と
めら
れ
て
い
ると
さ
れ
る。
たと
え
ば
、
ヴ
ェル
ツ
ェルは、
(81)
あ
ら
ゆ
る
犯
罪
の現
実
的
な
基盤
は外
的
な
所
為
に
おけ
る意
思
の客
観化
であ
る
とし
た。
ロク
シ
ンも
、
構成
要
件
的
行
為
は
外
的
な
要
因
と内
的
な
要
因
と
の統
一を
形
成
す
る
ので、
それ
を
分
離
す
る
こ
と
は許
さ
れ
な
いが、
た
だし
、
個
々
の要
素
を
そ
の特
殊
(82)
.性
に
お
いて考
察
す
る
こと
は
可能
であ
る
とす
る。
キ
ュッパー
は、
刑
法
的
評価
を
加
え
るた
めに
行為
の主
観
的
な
側
面
と
客
観
的
な側
面
を考
慮
す
る考
え
方
に対
し
て、
客
観
的
帰
属
論
の
一面的
な考
察
方
法
は、
意
味
付
与
的
な
態度
の傾
向
(。。ぎ霧
島津①ロα①
<σ}鋒
Φ窃
8巳
Φ自
)を
排
除
す
る
こと
に赴
く
こ
と
にな
るとす
る。
さ
ら
に、
か
れ
に
よ
る
と、主
観
的-
目
的
的
要素
は、
いく
つも
の構成
要件
的
メ
ルク
マ:
ルに
つい
て見
いだ
さ
れ
る
の
であ
り
、
そ
の
メ
ルク
マー
ルの意
味内
容
は
、外
面的
に現
れ
る
行
(83)
為
者
の志向
から
生
じ
る
とさ
れ
る
。
た
とえ
ば、
横
領
は、
「領
得意
思
の実
行
」
であ
る
こと
が客
観
的
に
み
とめ
ら
れ
る
わけ
であ
り
、
いわゆ
る
「不
真
正
な挙
行
犯
」
は
、
一定
の傾
向
に基
づ
く実
行
が
処罰
され
る
も
のとし
て分
類
さ
れる
こと
にな
る。
ま
た、
中
止
未
遂
の場
A口には
、所
為
の完
遂
を
挫
折
さ
せ
る
こと
を目
的
と
し
た行
為
を
と
おし
て、
「所
為
を断
念
す
る意
思
」
を
明
らか
に
し
な
く
ては
な
ら
な
いの
で、
犯
罪
計
画
を意
欲
し
な
いと
いう
中
断
では
足
りな
いこと
に
な
る。
さら
に、
か
れ
は、
以上
の観
点
↑
から
す
ると
、関
与
の形
式
も
目
的
的
な
概念
によ
って
特徴
づけ
ら
れ
る
とす
る。
す
な
わ
ち
、教
唆
犯
にお
け
る
、他
人を
「決
定
へ働
さ
せ
た」
と
は、
目的
意
識
的
、
精
神的
な影
響
を
与
え
る
こ
と意
味
し
、帯
助犯
にお
け
る
「帯
勒
し
た」
と
は
、他
人
を援
助
す
る
に件
こ
とを
目
的
と
し
た実
行
を
意
味
す
る
ので、
た
とえ
ば
、単
に他
人
に行為
決意
を
生
じ
さ
せ
た
にす
ぎ
な
い場
合
に
は、
教
唆
と
は
要
(84)
彪
いえな
い
・と
にな
る.
ま
た
、
・
の・
とか
ら
、過
失
の教
唆
は事
物
論
理
的
(ω8
匡。値。・。げ)
に排
除
され
る.キ
ュ。↑
は、同
餉
様
の・
と
が共
同
正
犯
に
つ
いても
妥
当
す
る
とし
て
いる.
・
の点
に
ついて、
ヴ
・ル
ツ
・ルも
次
の吉
に指
摘
し
た.
す
な
わ
姓
ち、あらゆる行為は、「客観的な契機と主観的な契機との不可分的な統合」であり、主観的な意思の契機が、客観的な
犯正
行為事象を貫通し、整序し、形成し、それに生命を与えるのであるから、行為を客観的なものと主観的なものとに分
痴縛難
藷
瀧難
餌
取縫
臨
鎖縫
練
者意思娃任立、り王観的な能心皮の
ロクシンも同様に、行為支配の主観的な構成要素と客観的な構成要素とを別々に体系的に評価する
ことは、不可能
であると主張している。
つまり、主観的な諸要素は、後から行為支配に付加されるものではなくて、行為支配それ自
(86)
体
の分離できない構成要素であるとする。
9
キ
ュッパ:は、これらの見解にしたがうと、共同の行為決意が実行のなかに現れるという態様にお
いて、内面的な要
素
と外
面的
な
要
素
と
の統
合
が
必要
であ
る
とす
る。
こ
の
こと
は、全
体
行
為
の
「基
盤
」
(切口07四円僧θ)
とし
て
の集
団的
な
意
思
oo1
の客
観
化を
問
題
にす
る
こと
を意
味
す
る
の
であ
る
が、し
か
し、
レ
ッシ
ュが行
為寄
与
を
要
求す
る場合
、
そ
の寄
与
は、所
為
に(87)
ついての同意と表現しなくてはならないことを、レッシュ自身が避けては通れないのであるとキ
ュッパーは批判する。
ところで、キ
ュッパーは、比較的最近の正犯と共犯の理論の発展は、お互いに相容れな
い見解が接近すみという結
果をもたらしているとする。たとえば、主観説は、本質的に行為支配を意味する
「客観的な基準」に基づいて、「正犯
者意思」を決定しているのであり、逆に、実質的客観説の内部においては、主観的な側面を強調す
ることが多くなっ
て
いるのであ礪恥したがって、あらゆる犯罪行為が、客観的な構成要素と主観的な構成要素から成り立つ意味的統
一
叢
を形成するのと同様に、正犯と共犯に関しても、客観的な観点と主観的な観点とを統合することによ
ってのみ、事物
(89)
論
に
即
し
た
(。・8
ゲαqΦ円①。巨
)
区
別
をす
る
こと
が
でき
る
の
で、
レ
ッシ
ュら
の考
え
方
(キ
ュッパー
の
いう
「より
新
し
い客
観主
(90
)
律
義
・)は、正犯、共犯の理論が苦労して到達した発展段階に逆行す、ものであ、、批判,れ、..、にな、.すでに罐
よう
に、
レ
ッシ
ュは共
同
遂
行
の通
謀
を必
要
と
す
る
こ
とは
、「自然
主
義
的
な刑
法
解
釈学
の遺
物」
を意
味
す
る
とし
て
いる
が、
法
こ
の点
に
つ
いて、
キ
ュッ
パー
は.、
客
観
的
帰
属
論
は
ま
さ
に不
法
の自
然
主義
的
な
捉
え
方
の精
神
的
な背
景
よ
り
も
以
前
に
生
じ
て
いた
こ
とを
、
レ
ッシ
ュは見
落
とし
て
いる
とす
る。
す
な
わ
ち、
客
観
的
帰
属
と
いう
基
準
の必
要
性
は、
とり
わけ
、
因
果
的
行
為
概
念
と
そ
れ
と結
び付
いた等
価
的
な
因
果関
係
の果
てし
な
い拡
大を
制
限
す
る
と
いう
観
点
から
生
じ
た
も
の
であ
ると
す
る
(92)
の
であ
る。
結
局
、
キ
ュッパー
によ
れ
ば
、客
観主
義
的
な
一元
論
も主
観
主
義
的
な
一元
論
も納
得
の
いく
も
ので
は
な
い。
むし
ろ
、
刑
法
解
釈
学
に
お
け
る客
観
主
義
は
、
明
ら
か
に袋
小
路
に
至
る
とさ
れ
る
。
す
な
わち
、
客
観主
義
は、
統
一的
な
現
象
を分
裂
さ
せ、
諸
要
素
か
ら
構
成
さ
れ
たそ
の現象
を排
除
し
た
の
であ
る
が、
し
かし
、
解
釈学
は、
な
にが
客
観
的
で、
な
にが
主
観
的
か
と
いう
こ
と
に
つ
いて、簡
単
に処
理す
る
こと
は
で
きな
いと
さ
れ
る。
ま
た、客
観
的
帰
属
の考
え
方
に
よ
って行
為
概念
を
取
り
替
えたり
、
(93)
行
為
概
念
を完
全
に
克
服
し
よう
と
し
た
りす
る
こ
と
は、
無
益
な
企
てを
意
味
す
る
こと
にな
る
と
し
て
批
判す
る。
し
た
が
って、
キ
ュッパ
ー
は、
「客
観
的な
要
素
と主
観的
な
要
素
と
の釣
り
合
いを保
つこと
に
よ
って際
立
った解
釈
学的
な体
系
が
、優
位
を
し
(94)
め
る
のは
当
然
であ
る」
とし
て
いる。
(95V
と
ころ
で
、す
で
に述
べたよ
う
に、判
例
・学
説
は、共
同
正
犯を
「意
識的
か
つ意欲
的
な
共
働
」
とし
て
特
徴
づけ
て
いる
が、
て
キ
ュッパー
は、
こ
のよう
な意
識
的
か
つ意
欲的
な共
働
と
いう
観
点
に基
づく
ごと
に
よ
つで、
個
々
の行
為
寄
与を
意
味
のあ
る
へ脳
「共同の遂行」として理解することができるとし、さらに、実質的客観説にと
っても、共同の行為決意
は原則的に放棄
こ駕
し
えな
いも
ので
あ
る
とす
る
。な
ぜな
ら、
共
同
の行
為
決意
によ
って、
「行
為
支
配
が
な
され
る
こと
に関
与
す
る」
こと
が確
定
鹸
・れ・からであ撃
義
義
的な婁
素嫉
個々の行為を集団的な事象に結び付け・のであ・竃
共同正犯の
納
場
合
、個
々
の関
与
行
為
は、
「並
立的
なも
の・
(ワ『①げ①昌Φ一昌僧昌昌㊦円)
から
.相
互
的
なも
の・
(軽
量
畠g
にな
る
とさ
れ
て
い
姓
葡
ま
た・
キ
ュ・↑
は・
共
同
正
犯
にお
いて・
・行
為
決意
を
共
有
す
る
・と」
(凸①Ω§
①冨
鼻
①ま
Φ.・蜀
9
・。・喜
.・豊
犯
(98)
正
は本
質
的
な
こと
であ
る
とす
る。
つま
り、
成
立
し
た
「計画
共
同
体」
(勺冨謁
Φ日①巨。。跨
僧津)
は、各
関与
者
が
「行
為
計
画
の対
同地ハ
等
の共
同
担
当者
」
(讐
喜
鵬8
巳
器
け①言
好
餌鴨
乙
①。。島
琶
弓
。。)
であ
る
ことを
明
ら
か
にす
る。
このよ
う
に共
同
の行
為
決
意
を択えた場合、主観的には、みずからの関与部分が他
の者の関与部分を補
い、統
一的な所為にむけて完全なものにす
(99)
る
ことが各関与者に認識されていることになる。
BGHは、このような共同の所為遂行について次のような考え方を示している。すなわち、この種
の共同が成立し
たとするためには、複数の行為者が、同時に、同じような行為遂行の態様で、同
一の犯罪構成要件を充足することで
011
は足りないのであり、「むしろ、行為が共同の犯罪行為
への寄与として現れるという程度までに、ある者の行為が他
の
2
者
の行
為
と結
び付
い
て
いな
け
れ
ばな
ら
な
いL
のであ
る。
つま
り
、
B
G
H
は、
各
関
与者
が、
みず
から
の寄与
を他
の者
の
1
行
為
の部分
とし
て扱
い、
ま
た、
他
の者
の行
為
を彼
自
身
の行
為部
分
の補
完
とし
て
扱う
こ
と
が必
要
であ
る
とし
て
い麺
。
た
し
か
に
、
こ
のよ
う
な
観
点
から
す
れ
ば
、
ヤ
ー
コプ
ス、
デ
ルク
ゼ
ンおよ
び
レ
ッシ
ュが主
張
す
る
「合
一化
(は
め込
み)
の決
意
」
だけ
で
は、
共
同
正
犯
の主
観
的
な
成
立要
件
とし
ては
十
分
で
はな
い
こと
にな
る。
ま
た、
合
一化
の決意
によ
って共
同
正
犯
の成
立
を
みと
め
る
と、
さら
に別
の問
題
が生
じ
る
。す
な
わ
ち、
ド
イ
ツ刑
法
二
五条
二項
の文
言
解
釈
か
ら、
共
同
の行
為
決
意
な
いし
行
為
計
画
は必
要
でな
いとす
る
こ
と
が
でき
る
のか、
あ
る
いは
、
そ
れ
に代
え
て
「合
一化
(は
め込
み)
の決
意」
で
足
り
る
とす
る
こ
と
が
でき
る
の
か、
と
いう
問
題
であ
る。
これ
に
つ
いて、
た
と
え
ば、
マウ
ラ
ッ
ハ/
ゲ
ッセ
ル/
ツィプ
フは
、
叢
行為計画の必要性を放棄することは・刑罰拡張的な規定である二五条二項の許され三
類推適用であるとして暴
論
さらに、ロクシンは、複数の者の行為分担の共同に関して、共同の行為決意のような主観的要素を問題としな
い客観
律
的帰属を考えることには反対しなければならないとする。すなわち、「法規によ
って要求される
『共同の遂行』(二五
条二項)は、共同の行為支配とそれによる相互的に認識された分業とを前提にする」ので、ある共働者にだけ知られ
法一
て
いる
、片
面
的な
共
働
L
(㊦一口.Φ.酔一因①・,N`・,・日日・ロ≦一・罪①昌芝
そ
れを
知
ら
な
い他
の噛
者
に
も帰
属
さ
せ
る
のは、
法
規
の
文
言
に違
反
す
る
こ
と
であ
り
、
「類推
の禁
止
」
にも
違
反
す
るも
の
であ
る
と批
判
し
て
い嶺。
キ
ュッパー
も
、
同様
に、
合
一化
の決意
でも
って
共
同
の行
為
遂
行
を
考
え
る
の
は、
二
五条
二項
の類
推
適
用
であ
る
とす
る。
そ
のう
え、
他
人
の態
度
に
一方
的
に結
合
す
るA三
化
の決意
を
みと
め
る見
解
は
、
一般
に
承認
され
た
「役
割
分
担
の考
え
方」
(Ω円
き
冨
島田
閃o豪
旨く嘆け亀
目
碗)
に反
す
る
も
のであ
る。
な
ぜな
ら
ば
、
「役割
の分
配
」
(~δ同eΦ昌①昌昌①円守
口閃け一〇昌①昌)
は
、
一般
的
に、各
関
与
者
が
そ
れ
に合
意
(鵬)
す
る
こと
に
よ
って
の
み生
じ
る
か
ら
であ
る
と
す
る。
さ
ら
に
、
キ
ュッパー
によ
れ
ば、
意
識
的
か
つ意
欲
的
な
共働
を
前
提
とす
る
こと
に
よ
って、
主
観
的
成
立要
件
と
し
て共
同
の
行為決意ないし行為計画を共同正犯に不可欠な要素と捉えると、共同の行為決意ないし行為計画は、
まず、共同正犯
の責任の
「範囲と射程」を確定することとな
って、この点に関して制限機能を有することになるとされる。すなわち、
(姻v
行
為
計
画
を
と
おし
て、
共
同
正
犯
の帰
属
の限
界
が
示
され
る
こと
に
な
るわ
け
であ
る。
つま
り
、
帰
属
が
可能
な
「具
体
化
す
る
こと
の遂
行
」
(図8
ζ①酔巨
Φ冨
品
。・巨
。。ε
昌σq)
が重
要
な
も
のであ
る
か
どう
かは
、
行為
決意
に基
づ
いて決
定
さ
れ
る
のであ
る。
し
た
が
って、共同
の行為
決
意
を
超
え
る部
分
は、過
剰な
も
のとし
て、そ
のこ
とに関
係
のな
い他
の共
同
正犯
者
に
負
わ
せる
こ
↑
(鵬)
と
は
でき
な
い
のであ
る。
キ
ュッパ
ー
によ
ると
、
客
観的
帰
属
の理
論
で
は、
共同
正犯
の過
剰
の問
題
を克
服
す
る
こと
は
でき
いつ
な
いとされる。たとえば、二人の関与者が被害者に暴行を加え、そのうちの一人が被害者を死に至らしめた場合、単
に烈
な
、妻
的な因果慧
だけでは、関蘇の三
関与者にその死亡葉
を帰属させ、.芝
ができるか否か、ξ
つ問題に
館
回答を与える・とはできないとさ馨
.つまり、共同正犯の過剰の問題は、共同して意欲された・とを確定する・と
紬
によ
・て、はじめて解明される・とになるのである.
主の
また、キ
ュッパーは、同様のことは承継的共同正犯の根拠付けについても妥当するとしている。すなわち、すでに
犯肛
開始された実行行為に途中から関与する者の帰属の範囲が問題となる承継的共同正犯の場A口、これを全面的に肯定す
弍へ・
る
ので
あ
れ
ば、
明示
的
にせ
よ、
黙
示
的
に
せよ
、合
意
によ
って共
同
関係
(Ω①目①ぎ。・。星
置
8算
Φ詳)
が
形成
され
て
いな
く
て
はな
ち
な
い。
も
しそ
う
でなけ
れ
ば、
な
ぜ後
行者
に先
行
者
の行為
を
帰
属
さ
せ
る
こと
が
でき
る
のか、
と
いう
こ
とを
説
明す
@
@
る
こと
は
で
きな
いと
さ
れ
る。
たし
か
に、
す
で
に実
現
し
た構
成
要
件
的
結
果
に対
す
る答
資
性
に
関
し
て
は議
論
があ
る
。
し
か
@
し
、
キ
ュッ
パー
によ
る
と
、
こ
の点
に関
し
ても
、
共
同
の行
為
決意
は決
定
的
な
役
割
を
果
たす
と
さ
れ
る。
す
な
わ
ち
、
肯定
説
(……)
3
は、
後
か
ら
生
じ
た合
意
が
犯
罪
の全
体
計
画
に関
係
があ
った
か否
か、
と
いう
点
を考
慮
に入
れ
て
いる
のであ
り
、
他
方
、否
定
10
説
は、
す
で
に開
始
さ
れ
た
部分
行
為
に
ついて
は、
先
行
者
と後
行
者
と
の問
に
「意
思
連
関
」
を
欠
いて
いる、
と
いう
点
を
そ
の
バリ
04
論拠としているのである。したがって、承継的共同正犯をめぐる問題を処理する場合にも、行為計画に関する帰属が
1
問題となるのであ
って、客観的な胤属が問題となるわけではないことになる。
さらに、キュッパーは、客観的帰属の理論は共同正犯の未遂の問題に対しても役に立たないとする。すなわち、共同
正犯者
のうちの
一人が、共同の行為計画の遂行のなかで構成要件の実現に着手した場合に全関与者は未遂になると捉
㊤
える全体的解決説は、役割分担を重視することになる。というのは、共同正犯においては、各共同正犯者が時間的に間
隔をもって関与することが稀ではないので、各共同正犯者が未遂の段階に至ったと評価されるためには、全体行為に
ト
(m)
対する個々の関与者の
「役割分担」という視点が重要な基準を提供するからである。しかし、共同正犯の未遂の場合、
最初に実行に着手した者以外の関与者には、帰属の対象になるような
「客観的なもの」は、なんら存在していないので
論
ある・したが・て・かれによると・共同正犯の未遂の問題も客
関与者
の
・主観的な合意」という観点から答えられ
(掴)
揮
う
る
こ
と
にな
る。
さら
に、
キ
ュッパー
は
、
共
同
正犯
の未
遂
で
問題
とな
る
こと
は、
共
同
正
犯
の
「前
段
階
」
(<σ冨ε
審)
と
法
し
て
のド
イ
ツ刑
法
三
〇条
二項
の
「重
罪
の協
定
」
にも
妥
当す
る
と
いう
。す
な
わ
ち、
重
罪
を
お
こなう
こ
と
に
ついて
他
人
と
一
協
定
す
る
・と
は
、各
関
与
者
の意
思
の
一致
が共
同
正
犯
の遂行
に向
か
・て
いる
・
とを
前
提
とす
る・
つま
り
・
こ
の場
A。・
協
(……v
定
は共同の行為決意にほかならないのである。したがって、この点に関して、共同の行為決意は、各関与者にその所
為を帰属させるための唯
一の根拠を形成し、後に続く共同正犯の実行の時点で、跡形もなく消え失
せるということは
(16V
ありえないのである。いいかえると、客観的な帰属をも
って埋め合わせることはできないとされ勧。
このように、キュッパーは、客観的な帰属の考え方を用いて共同正犯を説明することに反対し、共同の行為決意は
共同遂行に不可欠な構成要素であり、「各共同正犯者間の意思連関は、共同正犯にとって絶対に本質的なものである」
①
と結論づけている。
た
し
か
に、
ヴ
ェル
ツ
ェ
ル、
ロク
シ
ン、
キ
ュッパー
が
いう
よう
に、
行
為
は客
観
的
な要
素
と主
観
的
な
要
素
と
か
ら構
成
さ
れ
て
いる
と理
解
す
べき
であ
り
、
単
に客観
的
に
の
み捉
え
る
こ
と
は
でき
な
い
ので、
レ
ッシ
ュや
デ
ルク
ゼ
ン
のよう
に、
行
為
意思
を刑
法
上
意
味
のな
いも
の
とす
る
こと
は
でき
な
いと
考
えら
れ
る。
こ
の意
味
で、
行
為
にお
いて、
主
観
的
な
構
成要
素
と
客
観
的
な構
成
要
素
と
は
不
即不
離
の関
係
に
あ
る
と
いえ
る
。
ま
た、
外
面
的
な
行
為
のな
か
に主
観
的
なも
の
が客
観
化
・外
部化
さ
れ
る
よう
な
犯
罪
類
型
に
つ
いて
は、
や
は
り、
行
為
者
の主
観的
な意
図
を
考慮
す
る
こ
と
によ
って
、
は
じ
め
て刑
法
的
な
評価
↑
が可能となる妻
ら紮
とくに共同正犯の場倉
犠
々の行嚢
同時犯
(同時的正犯)としてでは芝
・共
へ引
回」の
「正犯」として評価される以上、個々の関与者は、単なる並立的な存在というわけではなく、相互的な存在とし
に件
て把握されることになる。この場合、共同の行為決意ないし行為計画は、共同正犯と同時犯とを区別するメルク
マー
要厳
ルとして理蟹
れている・とになる.ただし、他
の関与形態と異なり、共同正犯の讐
は、みずからは部分的な行為
納
しか実行していない者であ
っても、他の関与者の実行部分の結果をも帰属され、全体の正犯として評価されるという
姓
点
にあると考えられるので
(一部実行の全部責任の原則)、この特質と共同の行為決意との実質的な関係がさらに検討
犯正
される必要がある。いいかえると、狭義
の共犯
(加担犯
・従属共犯)と異なる共同正犯には、独自の処罰根拠が必要
同4 ハ
とされ、この独自の処罰根拠は共同正犯に固有の構造から帰結されると考えた場合、共同正犯の主観的な成立要件も、
㊤
共同正犯の構造という観点から検討されなければならないことになる。そこで、次項において、共同正犯の構造と主
観的な成立要件としての共同の行為決意ないし行為計画
・意思の連絡との関係を検討することにする。
注
5
(75)
区9
℃Φ♪
∪①円αq①ヨ①訂
節日
Φ朗
盆
暮。。。三島
鯨
目
く①巳
6算
σ胃Φ。。ζ
。目8
註
霞
≦
暮暮。§
3
9
Nωけ≦
Ho㎝(目o㊤ω)"器
㊤α第
む一
(76)
この点に
ついて、プ
ッペも、共同正犯
のミ
ニマムとしての共同
の行為決意を承認す
る点
については、主
観説も客観説も同
様
であ
る
とす
る、
℃二刀℃ρ
≦
δ
三
門二
目騨ロ
ζぎ
餌e臼
山霞
魯
ざ
疑
団α①冨8ω<σ}
巴冨ロゴ
ZωeN
Hりり♂
ω。α謬
.
10
(77)
区⇔勺℃①♪
PPO■(閃P誤
γ
ω』㊤⑦■こ
の点
に
つ
いて、
かれ
は
、
た
とえ
ば
、
過
失
によ
る書
き間
違
いは
可
罰的
な
文
書
偽
造
で
はな
いとす
る。
(78)
凶音
℃㊦♪
鉾餌.O■(開戸
謡
)"QQb㊤刈.キ
ュッパー
は
、客観
的
な帰
属
が、本来
、因
果関
係
を制
限
す
る
こと
に役
立
つ場合
、
いく
つか
の
カテ
ゴリー
が拡
が
る
こととな
り
、そ
の
ひと
つが、た
とえ
ば、甜
助
の領
域
におけ
る
「危
険増
加原
理」(匹田
国
。。出6Φ島
α『口口四。励℃門ぎ国ぢ)
であ
る。
ま,た、帯
助
以外
の関
与形
式
にカ
テゴ
リ
ー
が拡
大す
る
こと
は、
これ
ま
で生
じ
な
か
った
が、
し
かし
、論
理
を徹
底
し
た場
A口
には
、他
の関
与
形式
に展
開す
る
こと
にな
る。
そ
の場
合、
さ
しあ
た
り
次
の点
に注
意
を
払
わな
け
れ
ばな
ら
な
い。す
な
わ
ち、単
に述
語
的
な同
化
(e㊤きぎ20σq『。げ。諺ロαq一〇ざげ貫目σq)
が問題
とな
る
のか否
か
と
いう
点
であ
る。
つま
り、共
同
正犯
の場
A口に、各
行為
寄
与
の帰属
に関
し
て語
ら
れ
るか
ぎり
で、まず
、関
与者
の態
度
が他
人
の態
度
に関
係
付け
ら
れ
る
こと
が意
味
さ
れ
る
こと
にな
る
とし
て
い
叢
る
。な
お
、常
助
の因
果関
係
に
つ
いては
、山
中
敬
一
『刑
法
に
おけ
る
因果
関
係
と帰
属
』
(昭
五九
年
・
一九
八
四年
)九
三
頁以
下
参
照。
(79)
Uコ雪目o♪
『Φ『肖σβoげ匹㊦ooU①自訴oげ①ロoQ貯㊤守①oげ8
層目o◎.〉ロ山ご
HQo㊤oo}oQ』Oコ
(N罫.ロpo『囚¢℃℃05
P㊤.○.(団P
刈α)りQQbりQ。)。
論
(80)
区⇔℃℃①♪
PPO.(門戸誤
)冒ω』㊤Q。'
(81
)
謬
言①ポ
PP
O
■(岡目
αω)りoQ.①Qo.
律
(82
)
ヵ
。×旦
。。訂
昏
①。算
≧
ρ
しUpコ日
b
.》
島
こ
H㊤㊤♪
留
o\αω「
(83
)
区
¢℃℃①♪
即
P
O
.(悶戸
刈α)一〇Qb㊤Qo■
↓
範
組翠
褻
駄斐
鑓
箋
.。ω呼p守①.葺
N..景
.。(垂
象㎝;
。̀げ豊
乞
ー
ユ一冨
ぎ
巴..
N口円①Oげロ犀昌σqロoけ気層ロ匂o一目
Q自け目9守①Oゴ計
目㊤Qo9
ω■ω刈ピ
(86
)
国o×ぎ
一p.P
O■(剛戸
Qoy
堕
ωHρ
ωωピ
(87
)
区
¢℃層①♪
騨b
「○
「(閃戸
刈α)層QQb
りり-ωOO.
(88
)
〈oqド
囚
O℃℃①♪
〉冨
℃毎
6げ
口口匹
≦
貯匹
ざ『①
じ」①匹①露ε
昌σq
ユ①ω
目『8
ユΦ昌の霞
o騨の
郎げ霞
島
Φ
〉げσq屋
コ国口口oq
<oロ
日
暮
㊤
。。6ず餌津
口口α
臣
臨ロ9ケ日
P
Ω〉
目Oo。ρ
GQ」ω川
中.…自省
。・こ
塑.p.O
「(団戸
刈㎝)
一〇Q.⊆。OO.か
れ
に
よ
る
と
、
と
く
に目
的
的
行
為
支
配
説
に
と
っ
て
、
主
観
説
と
客
観
説
の
接
近
、
つま
り
、
主
観
的
な
側
面
と
客
観
的
な
側
面
の
統
合
と
い
う
こ
と
は
本
質
的
に
必
要
な
こ
と
で
あ
る
と
さ
れ
る
。
.
(89
)
<σqr
壽
。。の9
0。}P
即○
.(岡目
らo)}カP
α国訓
Q自■区
画∴
bdδ
♂
ω霞
㊤マ㊦o拝
}b弓】Hco.》
口笛ご
HりQoω一ωbQoO.
(90
)
区
畝娼℃①♪
費
9
0
'(司戸
刈α)りQQ■ωOO.
(91
)
い①。。Or
P鱒
O
.(局部U)一Qo.悼O悼.
(92
)
区
¢鳴づ①♪
勲
僅.○
曾(閃昌.刈α)噌QD■ωOP
(93
)
霞
石
①♪
器
φ
(蜜
.誤
)〕QQ.ωO幽.
(94
)
区
言
℃①♪
勲
勲
O
.(寄
.誤
)〕ω.QQOOーピ
(95
)
国Ω
望
Q。"心N
軽軽∴
bd
Ω国
oQe
ρ
口癖oo一口鼻㊤∴
悼♪
悼o。ρ
悼Q◎o◎∴
国o×冒
噌P嘗
O
.(目鼻
ωy
oQ'諮
㊤∴
』㊦ωoげ①oぎ
P
9■O'(悶鼻
ω)噂oD.①置
∴
↑
≦
δo。ロ。①『
嘗
pO
.
(国p
ω)}
穿
.α悼ら冒QQ「目蔭㎝∴
uu㊤二日
暫口口\壽
げΦ円\】≦詳ωo貫
p
穿
O■
(門戸
ω)噌
留
㊤
開戸
ooρ
oQ6目鼻∴
O詳
P
些
p
O.
(団戸
ωy
ω.b⊃①Qo∴
ωΦ9
8
費目P
p些
O
■(司戸
ω)uoQU
川口.…ω2βωo♪
些
pO
.(団野
OQ)一音
∬
菊月
旨
凶
弾
(96
)
<・・ド
し。ξ
・・pp
ρ
(司謬・。。αy
。,・。。川目・
に
(97
)
区
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勲
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O◆(「戸
謡
y
QQ■ωO目.
難
(98)
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看
ρ
ppρ
(寄
網。)一。。・諺
・
立
(99
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区
麟喝℃05
P
P
O
.(国戸
刈α)uω.ωOド
成
0
的
(10
)
bOΩ
国oQけく
日り㊤N
μ09
掘
(m)
ζ
き
§
ミ
Ωα…
くN君田〕・「・■○「(国忌
①)"。・・悼㊤。・
肋
(10
)
勾。×一口・ρ・9・○
・(閃昌・。。y
ω・O笄
筋
(鵬
)
区
言
霊
♪
費
嘗
ρ
(守
.謡
)〕。。■ωop
期
(…)
肇
、
.あ
占{・
強
調す
る見
解
と
し
て、
<・・.・ω①①・ー
口口・穿中。・(「戸・。)・・。・朝州悼・
一
価
聾
郵
鴇
輔
)擁
悼鋸
盤
㌔騨日.,。pPPρ
(門戸ω).㈲悼曇
悼Nる..pPPρ
(開戸ωγρ、①鉾
(10)
区Oで℃o♪PPO.(国P謡
)"ω.ωOP
(801)
ドイ
ツにおいては、先
行者
が発生させそれが独立
の構成要件を充たし、す
でに生じ終わ
った結果
について、後行者はそ
の
責任を負う
ことはな
いと
いう
ことで、学説は
一致し
ている。争
いがあるのは、強盗の場合
の暴行
のように、後行者
の関与前
におこなわれ後行者によ
って利用された加重事由
が後行者
に帰属できるのか、
いいかえると、後行者に全体
とし
ての共同正
10
犯
の成立をみとめ
ることができるのか、
という
点である。し
たがって、学説
の状況とし
ては、わが国における承継的共同正
犯
の全
面的
否
定
説
と部
分
的否
定
(な
いし
肯定
)
説
と
の対
立と
同
様
の状
況
であ
ると
理解
す
る
こと
が
でき
る、
<αqr勾o邑♪
嘗穿O.
10
(門戸ωy
ωひ悼伊
(㎜)
内的づ冨
♪
ppρ
(国p刈αy
QQ・ωOω.
(011)
<αqドU門Φ雷
門\日a
昌らρ
QQけΩbu田島
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お
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留
9
国富b■
(m)
<。・r
Ωα。・。・旦
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N①・。・ぎ
護
器
8§
げ蝉
茸
鎚
誤
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弾
・・爵
9
8
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穿
け。・。腎
津
穿
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・巨
弾
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。言
§
刈ρ
Ω①げ昌目け口口け㊤σq}】Wら♂
目㊤ooGnりQQ●㎝α悼●
(211)
な
お
、共
同
正犯
の未
遂
に
つ
いて
は、園
田
寿
「共
同正
犯
の正犯
性
序説
(一)」
『関
西
大学
法
学
論集
』
二九
巻
一号
(昭五
四
年
・
一
九
七
九年
)
九
三頁
以
下、
と
く
に九
八
頁以
下
、鈴
木彰
雄
「共同
正
犯
の未
遂
」
『法学
新
報
』九
六巻
一
・二号
(平
元
年
・
一九
八九
年
)
一
3
三
五
頁
以下
な
どを参
照.
叢
(11)
}ε
℃で①♪
P穿ρ
(男戸閉
)〕QD・ら。Oq。・
(411)
凶¢勺℃①♪
ppρ
(「昌■誤
γ
QD.Q。Oω.
論
(511)
<σqr』窃
昏
①。F
ppO■(岡目"ω)"oQ.OQ。o。.
(611)
穴山℃唱①♪
p些ρ
(門戸誤
ソ
ω.ω09。.
律
(711)
開口で唱①♪
PPρ
(「F謡
y
ω.ωO窃.こ
の点
に
つ
いて
、マウラ
ッハも
同様
のことを
述
べて
いる
、ζ
窪
雷o戸
O①口証oげ窃
oQ膏ρ守①o匿
闇
〉目曽ら'〉βゆ.一日⑩刈却
oQ'①ら刈ゆ
↓
(旧)
こ
の点
に
つ
いて
、プ
ライ
は
、構
成要
件実
現
の意
思を
同調
させ
る
こと
の必要
性
は、「共同
正犯
の本
質」(<8。。㊦昌ユ9
家臣露鋒
㊦誘。げ自費)
か
ら明
ら
か
にな
ると
す
る、
じd葱
〕穿Pρ
(団PQ。㊤y
ω.O刈O.
四
共同正犯の構造
まず、ドイツにおいて、意識的かつ意欲的な共働を前提とする通説的な見解が、共同正犯の構造をどのように説明
し
ているかを見ておくことにする。たとえば、
マウラッハは、行為支配を
「故意によ
って包括され
た構成要件該当的
な事象経過を手中に収めるLこと、いいかえると、行為者が意識して目的的に構成要件を具体化する
こと
へ向けた操
、縦
の可能性と規定する。
つまり、共同正犯においては、各共同正犯者が他の者の単なる道具になることなく行為支配
を保持し続けるという態様で、結果を達成するために分業的に努力することを本質とする点において、故意によって
包
括された構成要件該当的な事象経過を
「手中に収める」という
ことが理解されている。そして、
「全体結果の実現
(……v
を、その意思によって阻止したり進行させたりできる共同正犯者は行為支配を有する」とされるのである。したがっ
↑
て
この婁
観点から呈
ハ同の行為決意が共同正犯の毒
的成立要件・して必要・され…
に竃
すな鶏
へ仙・共同正犯は、複数の者の意識的な共働によ
ってのみ基礎づけられるのであり、共働は、行為の共同実行が
「決意の分
こ
②
侮
業的な現実化」として現れるような共同の行為決意に基づいておこなわれなければならな
いとされる。
要厳
ゲ
ッセ
ルは
、
個
々人
によ
。ては
行
為支
配
はな
さ
れ
な
いが、
参
加
し
た護
員
全
体
(℃①円。・8
8
σq①。。四目爵
①詳)
によ
って共
融
同的
に行
為
支
配
がな
さ
れ
る場
合
を
、
集
団
的
行
為
支
配
(犀O一一①】h酔博く①日倒けげ㊦同門ooO】ρ僧津)
と呼
ぶ。
か
れ
肛
よ
れ
ば、
集
団
的
行
為
姓
支配に関与することによ・てのみ・集団の個々の畿
員は同じ行為支配
の保持者になるとされ純・そして、集団的な
犯正
行為支配に関与するといえるためには、「集団的目的的行為支配への客観的な関与のほかに、主観的
には、各共同正犯
同
(@
』ハ
者間の意思
の連絡が、参加した構成員全体の目的的行為支配
への関与のための故意として必要であ
る」とされる。
イ
ェシェック/ヴァイゲントも同様に、意識的かつ意欲的な共働を前提にしたうえで、次のように共同正犯および共
同
の行為決意を説明する。すなわち、共同正犯の正犯性は行為支配によって基礎づけられるので、そ
の行為支配に複数
の者が関与したことが必要であり、行為支配は共同それ自体のなかに存在しなければならない。また、各共同正犯者
は、他
の共同正犯者との共働において全体事象を支配するのであるから、共同正犯の本質は、「所為をそもそも可能
に
091
す
るか、または容易にするか、または所為のリスク
(]けe円一の一一《O)を本質的に軽減するような
『分業』」のなかに存する
㊤
0
ことになる。そして、このような観点から、共同の行為決意は共同正犯に必要な主観的な構成要素であるとされ、その
11
理由は、各行為寄与の相互的な帰属可能性が行為決意によ
ってのみ正当化されることに求められている。したがって、
この見地においては、共同正犯の要件としては片面的な了解では十分でないことになる。次に、行為支配の本質をな
す役割分担は、意思の
一致において確定されていなければならず、役割分担をとおして、共働して達成しようと欲す
③
る結果を
一体化された合同力によ
って実現するのである。さらに、イ
ェシェック/ヴァイゲントは、各関与者が共同
の行為決意によって相互的に結び付くことが必要であるとする。共同正犯の場合、各関与者は、そ
の行為決意の枠内
}
において・みずから茎
体行為の実行に対する答責
の共同担当者とする吉
な本質的な関与部分を引き受けなくては
叢
鵬̂v
な
ら
な
い
ので、
共同
の行
為決
意
は個
々の部
分
を全
体
に結
び付
け
る、
いわ
ば
、かす
が
い
(区『日日⑦同)
にな
る
と
し
て
いる
。
論
ヴ
ェッ
セ
ルス
は、
共同
正犯
を
、「意
識的
か
つ意
欲的
な
共
働
に
よ
る犯
罪
的行
為
の共
同
遂
行」
とし
て捉
え
る
こと
を出
発
点
@
律
とす
る。
し
た
が
って、
も
し
複
数
の者
が相
互
に関
係
な
く、
い
いかえ
る
と、
意
識
的
か
つ意
欲的
に共
働
し
な
い
で構
成要
件
的
結
果
を
招
来
し
た
場合
は、
単
な
る
同
時
犯
にす
ぎ
な
いとす
る。
そ
こ
で、
か
れ
によ
ると
、
共
同
正
犯
は
「分
業
行
為
の原則
と機
法一
能的な役割盆
の原則」に基ぞ
とされる.つまり、「各関与者は、こ・では、対等の↑
トナ⊥
σ・彗
げ・§
暮測α…
℃舘ヨ曾)として、共同の行為決意と共同の構成要件実現の共同担当者であるから、個々の行為寄与は統
一的な全体を
③
完全なものにする。それゆえ、全体の結果は各関与者に完全に帰属することができる」とされるのである。
ザムゾンもまた、共同正犯を、複数
の者が共同の行為決意に基づいて犯罪実現に対して分業的に共働することと捉
えている。すなわち、条文上規定されている共同正犯の法律効果として、各共同正犯者は、みずからが実現した行為
の部分だけではなく、共同の行為決意によ
って担われた他の共同正犯者が実現した行為部分の結果
の責任も帰属させ
られる。さらに、行為支配の観点からは、共同正犯は複数の者が対等に共働するものであるから、他の共同正犯者の
行為支配を凌駕する行為支配は問題とならない。むしろ、すべての関与者は、共同の行為決意に基づいて分業的に行
(轡
為することによ
って、はじめて共同して
一つの所為を支配することになるとされる。したがって、かれによると、共
同
の行為決意は
「機能的行為支配の本質的な前提」であり、各共同正犯者は、役割分担とそれの相互的な依存性
(ぎお
(㎜)
σq①σq8
。。①匠
σq①}げ匡
謎
お訂
一け)
に
つ
いて
一致
し
て
いな
け
れ
ば
な
らな
いとさ
れ
て
いる。
ロク
シ
ンは、複
数
の者
が犯
罪行
為
を
共
同し
て遂
行し
た場
合
に、
ドイ
ツ刑
法
二
五条
二
項
に
よ
って共
同
正
犯と
な
る
ので、
↑
す
べ
て
の共
同
正
犯者
は、
意
識
的
か
つ意
欲
的
に共
働
し
て行
為
を
遂
行
し
て
いな
け
れ
ば
な
ら
な
いとす
る
。
こ
の
こと
は、
共
同
ヘ
ハ
飢
正犯には共同の行為計画と共同の行為実行とが必要であることを意味する。また、行為支配の観点から、共同正犯の
こ側
特徴は、各共同正犯者が他人との共働において全体事象を支配する点にあるとする。
つまり、共同正犯は、
一人で全
要磁
体の行為支配を有するというものでもないし、また、各人が部分的な行為支配を行使するにすぎな
いというものでも
鋤
な
い.むしろ、共同正犯は、各人が譲
行為の命運をその手のなかに収める・」とによ
って、完全な支配が各人の手の
駐
なかに存在することを意味するのであ解
いいかえると・各共同正犯者は共同することによ・てのみ募
たちの計画
犯正
を実現することができるのであり、また、所為を手中に収めているかぎりにおいて、その行為寄与を撤回することに
同4ハ
よ
って全
体計
画
を
失
敗さ
せる
ことも
でき
る
の
であ
る。た
とえ
ば
、あ
る者
が銀
行員
にピ
スト
ルを突
き付
け、他
の者
が金
員
を
奪
取
す
る場
合
、
各
関
与者
は
一人
で
は何
も達
成
でき
な
いが、
皆
が協
力
し
た
と
き
に
の
み計
画
が
そ
の機
能
を
果
た
す
こと
に
な
麺
。し
たが
って、
ロク
シ
ンによ
る
と、
共同
正犯
の本
質
は、
「個
々の共
同
支
配
が全
体
計
画
の枠
内
にお
け
る機
能
か
ら
必
然
的
に生
じ
る
かぎ
り
で、
『機
能
的
』行
為
支
配
、す
な
わ
ち、各
人
の活
動
に条
件
づけ
ら
れ
た行
為
支
配」
と
いう
点
にあ
ると
さ
れ
て
い
願。
こ
の
ロク
シ
ン
の見
解
に
よ
る
と、
形
成
支
配を
重
視
す
る
こと
によ
って予
備
の段階
にお
いて
も共
同
正犯
を
みと
め
る
11ー
ヤー
コプ
スの見
解
と
異
なり
、機
能
的
行
為
支配
説
は
、客
観
的要
件
とし
て
、「実
行
段
階
に
おけ
る、結
果
に対
し
て本
質
的
であ
(Ψ
2
る各共同正犯者の分業的な共働Lを必要とし、主観的要件として、共同の行為決意ないし行為計画を必要とする。す
11
なわち、各共同正犯者は相互的に依存しあうので、共同して行為を遂行することができるためには、必然的に団結し
て
いなければならない。いいかえると、他の者と
一致しないような各関与者の結果
へ向けた行為寄与が共働した場合
(35V
に
は、
共同
正
犯
の前
提
であ
る相
互
的
な
関係
性
の認
識
に欠
け
る
か
ら、各
関
与
者
は
共同
正
犯
では
な
い
こと
に
な
る
の
であ
勘。
ま
た、
バウ
マン/
ヴ
ェー
バー/
ミ
ッチ
ュは、
共
同
正犯
を
、
「複
数
の行
為
者
によ
る純
粋
な
分
業
」
とし
て特
徴
づけ
て
い
る。
た
と
え
ば、
A
と
Bと
が共
同
し
て
Xを
殴
った
場A口、
各
人
は
他
の者
と
とも
に、
そ
し
て、
他
の者
を
と
お
し
て共
同
的
に行
業
為
し
た
ので
あ
る
から
、
A
は
B
の行
為
を
補
い、
B
は
A
の行
為
を
補
って
いる
こと
にな
る。
それ
ゆ
え
、
共
同
正
犯を
相
互
的
な
間
接
正
犯
とす
る考
え
方
は
、各
人
が他
の者
を
と
お
し
て行
為
し
て
、
そ
の結
果
、各
人
が他
の者
の行
為
寄与
を
みず
から
のも
の
論
と
し
て
帰属
さ
せ
たと
いう
点
に
お
いて・
正
し
いも
のがあ
る
と
す
る・
た
だし
・
共
同
正
犯者
は・
従
属
的
な
役割
を
果
たす
者
で
律
は
な
く
て、
あ
く
ま
でも
対
等
の行
為
者
であ
る
か
ら、
他
の共
同
正
犯者
を
みず
から
の
「道
具
」
と
し
て
評価
す
る
こ
と
は
でき
な
(鵬)
法
いとす
る。
そ
こ
で、
バウ
マン/
ヴ
ェー
バi/
ミ
ッチ
ュは、
共
同
の行
為
決意
が行
為
結果
へ向
け
た
共働
を支
え
る
場
合
に
は、
「意
識
的
か
つ意
欲
的
な
共働
」
が存
在
す
る
と
す
る。
ま
た、
この
メ
ルク
マー
ルによ
って共
同
正
犯
と同
時
犯
と
が区
別
さ
れう
る
③
と
す
る。
し
た
が
って、
共
同
の決意
が存
在
し
な
い単
な
る共
働
は、
因
果
性
のな
い共
通
の計
画
(囎目皿冨
㊤日羽
勺ずロ。口oげ富①
(38V
×㊤話巴罫馨)と同様に、構成要件実現にとって十分ではな
いとされることにな樹。
このように、意識的かつ意欲的な共働を前提にすると、各関与者が他の者
の行為をみずからの行為の補完のために
利
用し、また、みずからの行為を他の者の行為のために利用させるという観点から、関与者各自が相互的に行為を認
識するという側面が考慮されなければならないことになる。したがって、共同正犯においては、実行前に
(承継的共
同
正犯を部分的にせよみとめる場合には、実行行為の開始後、終了前までの実行途中に)共同に行為を決意している
こと、ないし行為を計画していることが必然的に必要とされるのである。この点について、行為支配説は、意識的か
つ意欲的な共働を前提にして、共同正犯には
「共同の行為決意ないし行為計画」が必要であるとし
ており、共同の行
為決意は、行為の全体に対して各共同正犯者.の支配がおよぶことを主観的に基礎づけるために、または、相互的な帰
属
を主観的に基礎づけるために必要であるとしている。そして、この共同の行為決意に基づくことによ
って、また共
同
の行為決意の範囲内においてのみ、客観的な共同実行がその実効性を獲得できるのである。さら
に、機能的行為支
て
配説は、各関与者がそれぞれ全体の行為を補完するという意味で、すなわち、各関与者が手を引いた場合には全体計
エ飢
画が破綻するという意味で、各自がそれぞれ全体の行為に対して果たす役割を
「機能的な役割分担」として捉えてい
に件
るが、
このような役割分担も相互的な行為決意ないし行為計画の認識、
いいかえると、各共同正犯者間の相互的な関
要融
係性の認識を前提にしていることになる.
舳
と・ろで、わが国における共同正犯学説は、.共同正犯は、い・たい何を共同するものなのかLと
い・・共同正犯の本
主
③
の
質をめぐ
って対立しているが、この対立は、主として次の点を問題にしていると考えられる。すなわち、共犯
(共働)
犯正
現象の捉え方として、これを
「集団犯罪」として把握するのか、それとも
「個人が個別的に結びついた犯罪」として
謬羅霧勲転
魏難
醐郷n鞠
軽羅
洞詳
細篇紺綬
鰻
饗
説明しようとする。いいかえると、これは
「集団主義的原理」に依拠した考え方であるといえる。
これに対して、後
者
の立場は、共同正犯を
「個人主義的」に構成しようとする。これは、共同正犯を、あくまでも個人が共同して犯罪
をおこなう犯罪現象として捉える考え方であるといえる。そこで、このような観点から各共同正犯学説を見てみると、
鵬
共同意思主体説が前者の考え方をとり、犯罪共同説と行為共同説が後者の考え方を前提としていると考えられる。
個人主義的に共同正犯を構成する犯罪共同説と行為共同説は、さらに、個人主義的原理をどこまで徹底させるかに
141
よ
って、これを、各共同正犯者の
「集団的な合同行為」と見るのかhそれとも、各共同正犯者の
「個別的な利用関係」
と見るのか、という対立を生じさせる。つまり、共同正犯論の出発点を各共同正犯者の個々の行為に求めるとしても、
共同正犯という複数の者による共同現象をどの程度まで個々人の行為に還元して説明するかによ
って、理論的な差異
が生じるのである。この点について、犯罪共同説は、共同正犯を、個々人が
「特定の犯罪」を実現するために合同し
たものと捉え、行為共同説は、共同正犯を、個々人がそれぞれ
「自己の犯罪」を実現するために結合し、お互
いを利
}
用し合
つ関係にあると捉えている・とにな駕
ただし、・罪名従属性Lに関する限度で、両説の対立は、教唆犯
籍
叢
助犯にもおよぶことにな樋・・罪名従葎
」とは・共犯は・つなに正犯ないし他の共犯と同じ罪名である必要があるか
論
否
か、という問題であり、犯晃共同説は共犯
・共同正犯は特定
・同
一の犯罪を共同するものであると考えるので、共
律
犯の罪名は正犯のそれと同じでなければならな
いとする。また、共同意思主体説も犯罪の遂行
のために共同の目的を
も
った集団
・団体
(共同意思主体)が形成されるという観点から、共犯は特定
・同
一の犯罪を共同するものと考、託る
法
ことになるが、この説による場合には、共同の目的をも
った集団を特定の犯罪についてのみみとめるので、犯罪共同
説以上に罪名従属性を厳格に要求することになる。これに対して、行為共同説は、犯罪そのものでなく
「犯罪的行為」
の共同で足りると解するので、異な
った罪名
の間にも共犯
・共同正犯関係をみとめることになる。
したがって、行為
共同説は
「罪名従属性」を要求しないのである。
.このように、犯罪共同説と行為共同説との対立は、共同正犯の本質論をめぐる原理論的な対立であると同時に、共
同正犯の成立範囲をどのように確定すべきか、という問題でもあるのである。
それでは、犯罪共同説と行為共同説のどちらが妥当とされるべきであろうか。共同正犯を実体に即して考察した場
合
、
そ
れ
は、
か
な
らず
し
も
つね
に
「犯
罪
団体
的
な
一心
同
体
」
とし
て結
合
し
て
い
るも
ので
はな
く
、
むし
ろ
、
「個
人
の集
合
体
」
とし
て
把握
す
る
こと
が
でき
る。
いい
かえ
る
と、者
共
同者
がそ
れ
ぞれ
に目的
を
有
し
、そ
の目
的
を
実
現す
るた
め
に、
そ
の場
合
に形
成
さ
れ
る
「集
合
力
」
を
利
用
し合
う
集
団
現象
とし
て把
握す
る
こ
と
が
でき
る
の
であ
る
から
、
基
本
的
に、
行
為
共
④
同説
が妥
当
と
さ
れ
る
べき
であ
る。
行為
共
同
説
は、共
同
正犯
の構造
を
ど
のよう
に理解
し
て
いる
の
であ
ろう
か。最近
、
こ
の立場
にお
いて、
「共
犯
の因
果
性」
て
と
いう
観
点
か
ら
共同
正
犯
を把
握
す
る
考
え方
が有
力
に主
張
さ
れ
て
いる
。
これ
は
、
(狭
義
の)共
犯
の処
罰根
拠
論
に
お
け
る因
ミ伽
果的共犯論
(広い意味での惹起説)の立場にほかならない。因果的共犯論とは、責任共犯論が共犯者は正犯者を堕落
に件
させ罪責と刑罰に陥れたことによ
って処罰されると考えるのに対して、共犯者は正犯者を介して違法な結果を惹起し
要離
たから処罰されるとする考え方を
い、、
因果的共犯論の見地からは、正犯者は
.直接的に・、共犯者
は
「間接的に・法
紬
益を侵害している・とになるので、共犯が成立するためには、共犯行為と正犯による結果惹起との間に因果関係が必
暁
要
であるとされる・したが・て・共犯の因果性は・土ハ犯処罰の基礎としてその出発点となると理蟹
れることにな砂
犯正
そして、共犯の因果性には
「物理的因果性」と
「心理的因果性」とがあるとされる。正犯に
一定の犯罪を実行する決意
同共
を生じさせる教唆犯においては、この犯罪決意に基づいて正犯が犯罪を実行する点に心理的因果性
がみとめられ、幕
助犯においては、帯助行為が、助言
・激励などのように正犯者の犯罪決意を強化する意味しかもちえない場合には、心
理的因果性が存在するにとどまるが、凶器
・合鍵の供与、見張り行為などの場合には、物理的因果性をあわせもっこ
(瑠)
とになるとされる。そして、
このように理解された因果的共犯論は共同正犯についても同様に妥当するとされる。す
なわち、共同正犯においてもその処罰根拠として、物理的因果性と心理的因果性とが考えられることになる。
この立
田
場
においては、共同正犯を特徴づけている
「一部実行の全部責任」の原則は、共犯の因果性という観点から理解され
るのである。たとえば、AとBが共同してXに向けて発砲し、Bの弾丸はXに当たらず、Aの発射した弾丸がXに当
161
た
ってXが死亡した事例の場合、Bの実行行為はXの死亡という結果に対して物理的因果性を有し
ていない。それに
も
かかわらず、Bが殺人既遂としての罪責を問われるのは、みずからが実行行為をおこなうと同時
に、その実行行為
がAの心理に影響を与え、その行為を強化
・促進したという観点から、Aの実行行為およびその結果との間に心理的
因果性を有することがみとめられることを理由とする。
右のことを、平野博士は、端的に、共同正犯はみずから実行行為をおこなうと同時に、他の共同正犯の実行を教唆
@
ま
たは精神的に幕助するものである、と説明される。さらに、中博士も、全部責任の根拠を、各関与者が実行的な因
叢
果関係を共同するという形式によって結果を実現した点に求められる。すなわち、前述の事例のような場合、なぜ理
論
丸
の命中しなかったBが共同正犯とされるのかというと、命中させたAの狙いが沈着正確でありえたのは他
の者Bの
律
無形的幣助があったからであり、このような無形的常助は、同
一の目標
へ狙いを定めることによ
って、命中しなかっ
た者Bによる命中させた者Aの実行行為に及ぼす心理的影響にほかならず、結論的に、全部責任の根拠は、「部分的実
法
行行為が具備する相互的補充機能と心理的促進機能」によ
って各共同正犯者が法益侵害結果を惹起した点に求められ
(囑)
ている。この立場は、共同正犯を共犯の
一類型として把握し、共犯は、自己の因果性を他人の行為をとおして拡張す
、ることによって結果を発生させたから処罰されるとする処罰根拠の観点から、共同正犯を教唆犯
・幣助犯と同様の構
造を有するものとして理解しているのである。この立場においては、主観的成立要件としての意思の連絡の捉え方は、
より緩和されたものになる。
つまり、共犯現象を、「因果性」を重視することによ
って説明するこの立場においては、
各共同正犯者の結果発生に向けられた個々の行為の物理的因果性が強い場合には、心理的因果性を基礎づける意思の
連絡が重要なものとはいえなくなるので、片面的共同正犯の成立が肯定されることになる。
し
か
し
、
こ
のよ
う
な
見解
に対
し
て
は、
次
のよう
な
批
判
が
可能
と
な
る。
す
な
わ
ち、
共同
正犯
は
、
共
犯
の
一つで
はな
く
て
「正
犯」
の
一つであ
り
、
この
こ
と
は、
共
犯
の処
罰
根
拠
を
論
じ
る場
合
、
共
同
正
犯
を
ふく
め
て論
じ
る
のは誤
り
であ
る
と
(》
いう
こと
を意
味す
る
こと
に
な
る。
ま
た、
行
為
共同
説
に依
拠
し
た場
合
、
はた
し
て
、
そ
の理
論
的
な帰
結
と
し
て、
主
観
的
な
成
立
要
件
を
必要
でな
いと
し
なけ
れ
ばな
ら
な
い
のであ
ろ
う
か。
そ
の結
果
とし
て、
片面
的
共
同
正
犯
を肯
定
す
べき
な
ので
あ
ろ
う
か
。
こ
の問題
は、
さ
ら
に、
別
の角
度
から
検討
され
な
け
れ
ば
な
らな
い。
↑
こ
の点
に
ついて、行
為
共
同説
に依拠
し
な
が
ら片
面
的
共同
正
犯を
否
定す
る見
解
があ
る。
この立
場
は
、次
のよう
な
観
点
か
へ仙
ら
このことを根拠づけている。すなわち、共同正犯において
コ
部実行の全部責任」の原則がみとめられるのは、「共
に件
同者各自が相互に他人の行為を利用
・補充し合
って構成要件的事実を実現するからにほかならない。し
たがって、共同
要戯
実行の意思が各共同者に建
められないかぎり、
一部実行の全部責任の原則を適用すべきではな5
、片面的共同正犯
舳
を否定すべきであ・・さ舞
わを
しは、行為共同説・共同正犯の難
から検討した場食
・の見解
がも
・とも妥当
主
@
の
であると思う。
つまり、わたくしも、共同正犯を、構造的に
「分業形態による犯罪の完成をめざす協力関係」と理解
犯正
す
べきであると考える。すなわち、このような関係を個々の共同者の心理的内容から見ると、それぞれ相手の行為を
薫製
雛
餐
馨
b蕪に蝶
欝
欝
"馨
無
銀笛
分担」と捉えることができる。したがって、共同正犯の特質である
「一部実行の全部責任」の原則の根拠は、このよ
うな犯罪の分業
・分担、すなわち、各共同者間の相互的利用関係に求めることができるのである。また、このような
7
利
用関係は、外形的な現象形態として見ると、間接正犯に類似した構造を有するといえるが、その実体は相互的利用
11
関係であるから、者共同者に正犯性を付与するのは、間接正犯類似の構造そのものではなくて、このような相互的利
用関係を有することなのである。このような関係を実行行為性の観点から見た場Aロ、各共同者は、みずからの実行行
181
為とともに、他の共同者
の実行行為をみずからの実行行為として積極的に利用することによって、各自の目的を実現
するのであるから、他の共同者の実行行為はまたみずからの実行行為と評価されることになるのであ
る。その意味に
@
お
いて、共同正犯は
「正犯」の一態様であると解される。また、このように共同正犯を
「正犯」であると理解しても、
これを単独正犯の単なる複合体と見ることはできないと考えられる。なぜならば、各共同者がそれぞれの目的におい
て、それを実現するために犯罪の実行に関与し、お互いがそれぞれの行為を利用し合うところに共同正犯の特徴があ
「
るからであり・・の・とは・個人が個人の目的のために単独で犯罪を実行する単独正犯とは大きく異なる点である・
叢
たしかに、共同正犯が複数の者による関与
の形態であるという観点からは、共同正犯もまた広い意
味での共犯であ
論
るということができる。しかし、このことは、狭義の共犯と同様の構造をもつ共犯であるという
ことまでをも意味す
律
るものではない。すなわち、共同正犯は複数の者が関与することによって、犯罪結果の実現が容易になる場合であり、
したがって、法は、このような違法な態様でおこなわれる場合を、とくに正犯として規定したものと考えられるので、
法一
共同正犯における複数の者の
.共同・は、単なる加担犯
(態
共犯)としての狭義の共犯とは、その本質を異にする
と解されるのである。つまり、教唆犯
・常助犯は、「加担犯」として他に正犯者の存在を論理必然的に予定するもので
あり、したがって、加担犯は
「間接的」にしか犯罪結果の実現に関与していないことになる。これに対して、共同正
犯は、者共同者がそれぞれ正犯としてお互いを利用し合う
ことによ
って、犯罪結果の実現に
「直接的
に」寄与してい
る点で、狭義の共犯とは
「共同」の性質を異にしているのである。
このような共同正犯の捉え方は、共同正犯の本質を各共同者の
「個別的な利用関係」として捉える行為共同説とよく
⑤
整合しうると解される。すなわち、共犯現象を各関与者の個別的な利用関係として捉える場合、そのような利用関係
の度
A口いがも
っとも
強
く
現
れ
る
の
が広義
の共
犯現
象
の
一つであ
惹共
同
正
犯
に
ほ
か
なら
な
い
ので
あ
り、
し
た
が
って、
共
同正犯は、
この点についても行為共同説に依拠して説明するの.が妥当であると考える。
注 (
11
)
H≦騨口『騨oF
P
P
O
・(勺P
H因州y
QD6卜oメ
Oq9
む(
12
)
H≦
p亘『oo戸
p.穿
○
.(団員μH刈y
QQ.①鼻刈
h●
一
(@
§
舞
。ミ
Ωα・・…くN一g
罫
o・(団・・㎝①y
竃
寄
切中
π
(221
)
Ω
α。。。。①r
p些
O
.(男ロμ二
)"Q。u置
'
飢
(321
)
臼Φ。。筈
ooミ
<δ
西自
負
些ρb
.(切口●ωy
oQ6
謹
.
徽
(悩
)
』・。。魯
8
ミ
壽
}σq・巳
・p・p
ρ
(字
・ωy
。。・①刈。。・
ら
堰
(216
)
臼Φ。。。プ①。ミ
壽
一αq①ロ倉
㊤.即.○
.(男口.ω)・。。.①刈軽.
成
(12
)
壽
ω。・Φ亘
鉾・PO
・(悶P
ωy
国ロひ悼♪
QQ・目鼻9
紬
(7218
)
壽
・・の①一・弓・p
勲○
・(同旨・・。)・"昌・u・⊃。・ψ
H斜u・
主
(12
)
ω餌日
o。o昌"ρ.P
O
。(司昌.ω)"ゆ悼cRり国昌。=
刈.
獅
(921)
。。磐
。・。p
自.pρ
(穿
●。。)"留
α菊
三
口メ
鰯
野
離罷
罪齢薫
言
.…
ρ(団pQoα)誓
}
(m
)
国o×旦
p
ρ.ρ
(喝口◆G。)り。・・悼刈。。・
ヨ(
13
)
カo邑
♪
P
鼻
O.(岡目■oo)〕ωbQ◎9
(
13
)
勾o邑
P
些
ρ.O
.(門戸
ωy
QD■α口口・
ら(
13
)
勾o×貯
り9函.O●(開戸
Q◎y
qQb◎o伊
・
(13
)
bゴ騨`ヨ
塑昌昌\壽
げ田
\H≦罫oooF
P
P
O
■(岡目
ωど
ゆ悼⑩
勾戸
刈メ
GQ・①日野
9
(13)
b」窪
言
弓
\≦
σげ旦
≦
け。・9
"PPρ
(寄
・ωy
㈲8
年
置・。o讐。,・曾
癖-9
11
(鵬)
bウ窪
ヨ窪
ミ
壽
げ田\ζ
諺
。F
PPρ
(閃Pω)一ゆ8
開戸。。N
QQ.o嵐
.
0
(931)
川
端
博
『集
中
講義
刑
法
総
論
』第
二版
(平九
年
・
一九
九七
年
)
三
六
六頁
以
下
参
照。
12
(041)
平
野龍
『刑法
総
論
H
』
(昭
五
〇年
・
一九
七五
年
)三
六
四一
五
頁、
大
塚
・前
掲
注
(1
)
二四
四
頁
、川
端
・前
掲
注
(1)
四
九
三
頁
な
ど。
これ
に対
し
て、
共
同
正
犯
に
お
いて
のみ問
題
と
な
る
とす
る見解
とし
て、
木
村亀
二
『犯
罪
論
の新
構
造
(下)』
(昭
四
三
年
・
一九
六
八年
)
二四
入
頁
、荘
子
・前
掲
注
(1
)四
五
〇頁
、福
田
・前
掲
注
(1)
二六
一頁
。な
お
、大
野
・前
掲
注
(1
)九
二
頁
な
ど
を
参
照。
(141)
川
端
・前
掲
注
(1)
四九
四一
五
頁、
同
『刑法
講義
総
論
(中
)』
(平
六
年
・
一九
九
四年
)
五
二五一
六
頁
、同
・前
掲
注
(38)
「判
例
と
共
犯論
」
一
一四一
七
頁、
同
・前
掲
注
(931)
三七
四-
五
頁、
同
『刑法
総
論
25講
』
(平
二年
・
一九
九
〇
年
)三
一四
頁参
照
。
川
端
教授
は、
犯
罪共
同
説
と行
為
共
同説
の概
念
をあ
ら
た
な観
点
か
ら捉
え
直
し、
と
く
に、
社会
心
理
学
的現
象
と
し
て共
犯
を
見
た場
合
、
一
・
・に集団力学
(グ
牛
プ
・ダイナ…
ク・)が存在す・・され、・・、蕎
正犯
・共犯論にお
・て個会
議化を徹底す・
・
叢
とによ
って、行為共同説
の妥当性を主張される。
(241)
内藤謙
「共犯論
の基
礎」
『法学教室』
一一四号
(平二年
・一九九〇年)七四頁以下。なお、因果的共犯論に
ついては、平野
論
龍
一
「責任共犯論と因果共犯諭し『犯罪論
の諸問題
(上)』
(昭五六年
・一九入
一年)
一六入貢以下、大越義久
『共犯の処罰根
拠』
(昭五六年
・}九八
一年)
一二入頁以下、同
「因果的共犯論と責任共犯論」藤
木英雄一板倉宏編
『刑法の争点
(新版)』
律
(昭六二年
.一九入七年)
一一四-
五頁・堀内捷三
「共犯
の処罰根拠
(1)」『法学教室』
一二四号
(平三年
・一九九
一年)五
四頁以下、山中敬
一
「因果的共犯論
と責任共犯論」阿部純ニー1板倉宏11内
田文昭一香川達夫11川端博11曽根威彦
編
『刑法基
法
本講座
4』
(平四年
・一九九二年)九九1
一〇〇頁などを参照。
一
(43)
内藤
・前掲注
(42)七四頁、
西田典之
「共謀共同正犯に
ついて」内藤
ほか編
『平
野龍
一先生古稀祝賀論文集
(上)』
(平ニ
ユ
ユ
年
・一九九〇年)三六六-
七頁。
(魍)
平野
・前掲注
(即)三八○一
一頁。同旨、内藤
・前掲注
(囎)七四頁、大越義久
「共犯
の処罰根拠
と限定
性」『刑法雑誌』二
七巻
一号
(昭六
一年
・一九八六年)
一二
一-二頁、西田
・前掲注
(螂)三六六一七頁、前
田
・前掲注
(1)四四五-
六頁など。
(541)
中義勝
『講述犯罪総論』
(昭五五年
・一九入○年)二三九-
二四〇頁、二五三頁。同旨、中山研
】
『刑法総論』
(昭五七年
・
一九八二年)四五五頁、山中敬
一
「共同正犯
の諸問題」芝原邦爾11堀内捷
三一町野朔11西
田典之編
『刑法理論
の現代的展開
〔総論H〕』(平二年
・一九九〇年)
一九七頁、斎藤豊治
「共同正犯」浅田和茂11斎藤豊治11佐久間修11松宮孝明11山中敬
一
『刑
法総論』
(平五年
・一九九三年)
二人九頁など。
(燭)
斉藤誠二
「承継的共同正犯に
ついて」
『筑波法政』八号
(昭六〇年
・一九入五年)三
一頁以下。なお、高橋則夫
『共犯体系
と共犯理論』
(昭六三年
・一九八入年)二九九頁参照。
(741)
川端
・前
掲注
(皿)
『刑法講義総論
(中)』五六六-七頁、同
・前掲注
(1)五三四頁。
(841)
川端
・前掲注
(班)
『刑法講義総論
(中)』五五六-
七頁、同
・前掲注
(1)五二五頁。
(941)
共同正犯を正犯
であると捉え
た場合、す
でに述べたように、狭義
の共犯の処罰根拠論が適用されな
いだけでなく、共犯
で
な
い以上、いわゆる
「共同正犯
の従属性」も問題とはならな
いことになる、斉藤教授と川端教授は、この点を明確
に指摘され
る、斉藤誠二
「共犯
の処罰の根拠
についての管見」
『下村古稀祝賀
・刑事法学
の新動向
(上ご
(平七年
・一九九五年)九頁、
て
川端博
「共同正犯と正当防衛
・過剰防衛
の成否」『研修』五七八号
(平八年
・一九九六年)八頁。なお、同
.前掲注
(1)五
へ脳
四九頁参照。
牝
(051)
川端
.前
掲
注
(・)
五
四
七頁
、
同
.前
程
(燭)
三
七
・頁
、
同
.前
掲
注
(M)
.刑
法
総論
25
講・
三
一・
頁.
颯鍼
五
結語
塑の犯
前項において述べた私見からは、従来、共同正犯の主観的成立要件とされてきた共同の行為決意
・行為計画
・意思
正期
の連絡は、共同正犯の特質である
「一部実行の全部責任」の原則の根拠である
「犯罪の分業
.分担」、すなわち、各共
一
同者の相互的利用関係を基礎づけるために、つねに必要である・とになる.
この点について、ドイツで主張されている
「意識的かつ意欲的な共働」の観点は、わが国の共同正犯論を考えるうえ
でも重要であると考える。犯罪結果の発生
へ向けた分業の前提として、各関与者にそれぞれの役割
が分配されなけれ
(◎
ばならないが、このような分配は、各関与者の合意がなければ生じないものである。役割分担をとおしてみとめられ
皿
る相互的利用関係は、各共同著聞
の心理的な内容としてお互いに利用し合うという認識を相互にもたないかぎり、成
2
立しえな
い。
つまり、相互的利用関係によって、各共同者がそれぞれの目的を実現することをとおして全体としての
12
犯罪が遂行されるという観点からは、このような相互的利用関係を実効的なものにするためには、主観的には、お互
いが利用し利用され合うという認識をもたなければならず、客観的には、各共同者が割り当てられた役割を十分に果
たさなければならないのである。この意味において、ある共働現象を共同正犯として評価する場合
に、主観的な構成
要素と客観的な構成要素とを分離して、どちらか
一方のみを偏重して評価の対象とすることは、行為
の本質を見失う
(響
危険性をはらんでいるといえる。また、「合
】化
(はめ込み)の決意」に基づく各関与者間の関係は、主観的に、かな
一
らずしも相互的に認識されている必要はないとされているが・相互的な認識に欠ける場倉
も共同正犯関係をみとめ
叢
(53)
る場合には、各関与者の利用の態様が
一方的にしかみとめられないので、共同正犯の構造として捉えられる
「相互的」
論
利用関係としては十分ではないと考える。
律
たしかに、相互に利用し合う関係は、狭義
の共犯
(加担犯
.従属共犯)においても想定しうるが、しかし、狭義の
共犯は、予定される正犯者に対しては、あくまでも従属的な地位のみしか有しない。ところが、共同正犯の場合には、
法
者
共同者は、ある程度対等の関与者として共同実行の共同担当者となり、対等の
「正犯」として相互に利用し合うこと
が
できるのである。したがって、このような観点からは、共同正犯の場合、各共同者はその
「不法
の内容」を他人の
行為から得るのではなくて、みずからがその不法の内容を担当するのであるから、教唆犯
・幣助犯においては決定的
な基準である
「従属性の原理」は、共同正犯には妥当しないが、意識的かつ意欲的な共働によ
っても
たらされた、す
(掴∀
べての行為寄与の
「直接的な相互的帰属
の原則」は妥当することになる。
このような意思の連絡を基礎として、そして、その範囲内において、客観的な共同実行がおこなわれるのであるか
ら、意思の連絡の内容は、最低限、「相互的に利用し合う意思」と理解されなければならない。ただし、行為共同説は、
「罪名従属性」を否定して異なった犯罪問にも共同正犯関係をみとめる考え方であるから、この観点
からは、特定の犯
罪
に対する相互的利用の意思は必要でなく、「構成要件に該当する
(一つの、もしくは複数の)犯罪的行為を共同する
意思」で足りることになる。したがって、異なる犯罪間に共同正犯関係をみとめる場合および共同正犯の過剰の場合
には、実行前に
(承継的共同正犯の場合には実行の途中に)交わされた意思の連絡をとおして構想された行為計画に
(鵬)
し
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同
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に
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合
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任
を
負
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る
こ
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る
こと
にな
る
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によ・て・共同正犯の本島
よび共同正犯の繋
(処罰根拠論)を私見の一
に捉える蒼
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・
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仙
為共同説に依拠しても、意思の連絡
・共同の行為決意ないし行為計画は、共同正犯の主観的要件として維持されるべ
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であることが確認しえたと考えられる。
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は、主観的要件と客観的要件
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犯
て
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いうことは、あらためて確認するま
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いとされる、橋本正博
「目的的行為論と行為支配論」『福田一大塚古稀祝
旺
賀
痛
事法学
の馨
的検討
(下)』
(平五年
二
九九三年)二四三頁.
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(鵬)
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(651)
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説
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か
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面
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同
正
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る見解
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て、
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村
・前
掲
注
(即
)二
五三
頁
、金
澤
文雄
「犯罪
共
同
説
か行
為
共同
説
か
」中
義
勝
編
『論
争
刑法
』
(昭
五
一年
・
一九
七
六年
)
一七三
頁
、大
野
・前掲
注
(1)
一一入-
九
頁
、
川端
・前
掲
23
注
(141)
『刑
法
講義
総
論
(中
)』
五
六
六-
七頁
、
同
・前
掲
注
(1)
五
三
四頁
、
前
田
・前
掲注
(1)
四
四七
頁
。
1