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経営研究所論集 第23 号(2000 年2月) 109 検証:アジアの政治体制の変化と経済成長 Ⅰ.アジアの政治体制と発展 (1) 政治体制のタイプ (2) 民主化進展の実態 (3) 政治制度と経済発展の関連に関する諸説 Ⅱ.成長決定の制度的要因分析 (1) 成長グループ別の特徴 (2) 国/地域経済群別のパターン (3) 計量分析 Ⅲ.結論 東アジアの経済発展は権威主義体制のもとで達成されたとする説が依然として有力 である。この見解については未だに十分に検証されているわけではなく、政治体制と 経済発展の関連に関する論争は依然として決着をみるに至っていない。それぞれの政 治体制のもとで開発政策を実施してきた途上国の相互間に生じた開発実績のギャップ のうち、いかなる部分が政治体制の違いによってもたらされたか、あるいは政治体制 や政治制度によって経済発展がいかに影響を受けるかについては議論の多いところで ある。 独立直後のアジア諸国にとって政府の担わなければならない国家統合、経済開発の 課題はあまりに大きく、この課題に権威主義的体制でもって対応した国、比較的民主 的な体制で臨んだ国、全体主義的な体制で国家再建をはかった国などさまざまであっ た。独立当時にはさほど相違がみられなかったアジア各国間の工業化水準が、この40 年余の間に少なからず各国間の発展の格差が生じた要因は少なからずその後の政治制 度の展開とも絡んでいることは否定できない。政府の開発の基本目標や政策決定など 政策の基本的枠組みは政治体制によって規定され、政策が発展のパフォーマンスを左 右するからである。政策を推進する行政機構、体制の支持者や開発の主たる受益者も 体制によって必ずしも同一でなく、また開発の効率や成果の配分も制度の態様によっ て自ずから異なってくる。政治制度と経済発展との間には、ceteris paribus (他の条件

検証:アジアの政治体制の変化と経済成長 - Toyo …110 検証:アジアの政治体制の変化と経済成長 が同じであれば)、なんらかの関連があることは疑う余地はないであろう。パイを拡

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 109

検証:アジアの政治体制の変化と経済成長

太 田 辰 幸

 序

Ⅰ. アジアの政治体制と発展

 (1) 政治体制のタイプ

 (2) 民主化進展の実態

 (3) 政治制度と経済発展の関連に関する諸説

Ⅱ. 成長決定の制度的要因分析

 (1) 成長グループ別の特徴

 (2) 国/地域経済群別のパターン

 (3) 計量分析

Ⅲ. 結論

 東アジアの経済発展は権威主義体制のもとで達成されたとする説が依然として有力

である。この見解については未だに十分に検証されているわけではなく、政治体制と

経済発展の関連に関する論争は依然として決着をみるに至っていない。それぞれの政

治体制のもとで開発政策を実施してきた途上国の相互間に生じた開発実績のギャップ

のうち、いかなる部分が政治体制の違いによってもたらされたか、あるいは政治体制

や政治制度によって経済発展がいかに影響を受けるかについては議論の多いところで

ある。

 独立直後のアジア諸国にとって政府の担わなければならない国家統合、経済開発の

課題はあまりに大きく、この課題に権威主義的体制でもって対応した国、比較的民主

的な体制で臨んだ国、全体主義的な体制で国家再建をはかった国などさまざまであっ

た。独立当時にはさほど相違がみられなかったアジア各国間の工業化水準が、この40

年余の間に少なからず各国間の発展の格差が生じた要因は少なからずその後の政治制

度の展開とも絡んでいることは否定できない。政府の開発の基本目標や政策決定など

政策の基本的枠組みは政治体制によって規定され、政策が発展のパフォーマンスを左

右するからである。政策を推進する行政機構、体制の支持者や開発の主たる受益者も

体制によって必ずしも同一でなく、また開発の効率や成果の配分も制度の態様によっ

て自ずから異なってくる。政治制度と経済発展との間には、ceteris paribus(他の条件

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長110

が同じであれば)、なんらかの関連があることは疑う余地はないであろう。パイを拡

大することが経済の主たる目的とすれば、配分の問題を扱うのが政治の機能である。

低次の発展段階においてはパイも小さく、配分よりはパイの拡大がむしろ重視される

が、発展によってパイが大きくなるにつれて配分の問題が重要になってくる。配分の

メカニズムとその効率は政治体制いかんによって異なり、制度的枠組が各国間の成長

率や所得水準の差異をもたらすことになる。経済パフォーマンスの最も重要な決定要

因は制度である(注1)と言っても過言ではない。制度的フレームワークこそが経済発展

の成功の鍵であるともいえよう(注2)。

 政治体制のパターンと発展との間の関係に関しては多くの研究があるが、体制の変

化を考慮にいれて成長との関連を扱ったものはきわめて少ない。本稿の主眼は、成長

著しいアジアの途上国を取り上げ、1960年代から80年代後半までの30年間を前期、中

期、後期の各10年間の三期に分けて政治制度の変化とそれぞれの体制下の経済成長と

の相互関連について検討を加えてみることである。

Ⅰ.アジアの政治体制と発展

 (1) 政治体制のタイプ

 第二次大戦後から40年間アジア各国は多様な形態の政治体制を体験してきた。それ

ぞれの政治体制のもとで高成長を遂げた国、中程度の成長率の国、低成長の国などさ

まざまである。一般に 代表的な政治制度(Political Regime)として、通常、民主制、

権威主義体制、全体主義体制の三つが挙げられる(注3)。民主制、権威主義体制、全体

主義体制の三つの政治体制は、各々が理念型であって、各国の現実の政治体制がこの

いずれかのモデルに完全にフィットする国はなく(注4)、多くはそれぞれの亜種ないし

は変形である。また、かりに同じ体制であっても国によってその実態は必ずしも同じ

とはかぎらない。

 民主主義体制を基準に分類した Diamond に従えば、政治体制は民主制と非民主制

に区分される(注5)といってよく、民主制からかけ離れるほど権威主義体制に近づき、

それが明確な統一的なイデオロギーによって支えられている場合は全体主義体制とな

る。したがってここでは主として民主制と権威主義体制について取り上げることにす

るが、民主制と言っても一様ではなく、成熟した民主制の国もあれば、未熟な民主制

もあり、その民主化の度合はさまざまである。民主化の成熟度の低い国は権威主義体

制かあるいは全体主義体制の国とみなしても差しつかえないであろう。アジアではこ

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 111

の三つの基本型の政治体制のいずれも存在するが、長期にわたり同一の政治システム

を維持してきた国はむしろ例外的でさえある。世界の途上国の政治体制はトレンドと

しては民主化へと傾斜しつつあるとはいえ、このプロセスは一様ではなく、地域に

よっても異なり、個別の国をみても実に多様である(注6)。民主化へのシフト傾向が指

摘されるアジアにおいても戦後の独立以来、民主制から権威主義体制へとシフトした

国、権威主義体制から民主化傾向を強めた国、当初の社会主義下の全体主義体制の本

質的な性格を変容させてきた国、さらには同一国内においてもひとたびならず体制転

換をした例さえあるなど、政治システムを変化させた国が大部分である。アジアにお

いて戦後独立当時の体制をそのまま80年代末まで維持してきた例は民主制国家ではイ

ンド、スリランカ、パプア・ニューギニア、権威主義体制の国家ではビルマ(現ミャ

ンマー)と全体主義体制の社会主義国の北朝鮮などきわめて限られている(第1図参

照)。

第1図 戦後のアジアの政治制度の動向

出所:Ichimura=Morley (1993), p.27および Gasiorowski (1990), p.120に基づいて作成

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長112

 体制の測定と分類

 一国の政治制度の態様を知るひとつの方法は 民主制成熟度によって判断すること

ができる。民主制の対極は権威主義体制ないしは全体主義体制とみなせる(注7)から、

民主化成熟度指数の高い場合を民主制、低い場合を権威主義体制というように成熟度

によって一国の政治体制のタイプを指し示すことができるであろう。 各国の民主制

の成熟度をいかに評価するかについては議論の多いところであるが、ここでは、便宜

的にガスティル(Gastil)とボーレン(Bollen)の民主化指数を用いて民主制と権威

主義体制のふたつの体制に分け、民主化指数の大きいほど民主化の成熟を、小さいほ

ど権威主義化の進展を表わす。政治体制を民主化の成熟度指数の大きさによって、民

主制と権威主義体制をそれぞれ二つに分ける。すなわち、前者を、成熟した民主制

(Gastil の指数では2から5まで、Bollen の指数では75以上)と半民主制(同じく

Gastil は6~8まで、Bollen は50~74)に、後者の権威主義体制を半権威主義体制

(9~11、25~49)とより権威主義的な権威主義体制(12~14、0~24)、の合計四

つのカテゴリーに分けることにする(注8)(第1表)。アジアの全体主義国家である社会

主義体制は非市場経済の権威主義体制として市場経済の権威主義体制と区別して扱わ

れる。60年代から80年代までの30年間の政治体制の推移を追跡するために、ここでは

60年代は1965年、70年代は1978年、80年代は1988年、のそれぞれの時点における各国

の民主化指数をその大小に応じて前記の四つの体制のいずれかとして代理させ、体制

の変化をみることにする(第2図参照)(注9)。

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 113

第1表 アジアの民主制と民主的権利の推移

政治的権利 市民的自由権 自由度の評価 民主制の成熟度1978 1988 1978 1988 1978 1988 1960 1965

NIES諸国 韓 国 5 2 5 3 10 5 51.7 53.0 台 湾 5 5 4 3 9 8 - 22.8 香 港 - - - シンガポール 5 4 5 5 10 9 81.2 76.9アセアン タ イ 6 3 4 3 10 6 33.1 17.3 マレーシア 3 4 3 5 6 9 83.5 80.3 インドネシア 5 5 5 5 10 10 20.3 9.8 フィリピン 5 2 5 3 10 5 93.0 92.6 ブルネイ 6 6 5 6 11 12 - -南アジア諸国 インド 2 2 2 3 4 5 93.6 91.2 パキスタン 6 3 5 3 11 6 40.0 62.5 バングラデシュ 4 4 4 5 8 9 - - スリランカ 2 3 3 4 5 7 94.0 85.9 ブータン 4 5 4 5 8 10 - - ミャンマー 7 7 6 6 13 13 63.4 - ネパール 6 3 5 4 11 7 39.7 29.2 モルディブ 5 5 5 6 10 11 - -

カンボジア 7 7 7 7 14 14 38.6 36.3ラオス 7 6 7 6 14 12 56.6 42.8ベトナム 7 6 7 7 14 13 *31.2 33.1モンゴル 7 7 7 7 14 14 22.1 16.2中 国 6 6 6 6 12 12 22.6 16.4

北朝鮮 7 7 7 7 14 14 21.0 21.0

太平洋諸島国 パプア・ニューギニア 2 2 2 3 4 5 - - フィージー 2 5 2 4 4 9 - - キリバス 2 1 2 2 4 3 - - ナウル 2 2 2 2 4 4 - - トンガ 5 5 3 3 8 8 - - バヌアツ 3 2 3 4 6 6 - - 西サモア 4 4 2 3 6 7 - -参 考 - -日 本 2 1 1 1 3 2 99.3 99.8USA 1 1 1 1 2 2 94.6 92.4ニュージーランド 1 1 1 1 2 2 100.0 100.0オーストラリア 1 1 1 1 2 2 100.0 99.9注(1) 政治的権利(Political Rights)とは公平な選挙による政権のシフトの有無を重視する。市民的自由権(Civil Liberties)とは政

府によるマスコミの検閲のないこと、公開討論、集会・デモの自由、政党・結社の自由、法の公平な適用、不法な政治的テロや投獄のないこと、労働組合結成の自由、信教の自由などの市民の自由な権利を示すもの。政治的権利と市民的自由権の指標は1から7までの数字によって表わされ、1が最も大きな権利の存在を表わし、7が最も権利のない、つまり政治的権利も市民的自由権もない状態を表わす。これらの権利が認められているほど民主制国家であると言える。この二つの指標の合計が自由度であり、民主制の成熟度を表わす。国民の自由度を評価する指標(Freedom Rating)は政治的権利と市民的自由権の指標の合計によって表わされ、2が最大の自由、14が最も抑圧された状態を示す。通常、自由度の(1~5)が自由度の高い国、(6~10)が中間の、(11~14)が自由度の低い国とされる。上表は Gastil の各国の自由度(民主制)の評価からアジアについて抽出したもの。詳しくは下記の原典を参照のこと。*北ベトナムのみ。なお Freedom House 社から毎年出版されている“Freedom in the World”は Gastil によって編纂されている。

出所:Gastil, Raymond Duncan.,“The Comparative Survey of Freedom : Experiences and Suggestions.”Studies in ComparativeInternational Development , Spring 1990, vol.25, no.1からアジアの部分のみを抽出したもの。

注(2) 世界の113ヵ国(1960年)と123ヵ国(1965年)に関する民主制の成熟度については Bollen(1990)が(1960年と1965年の)政治的民主制の指標を(6つの尺度の総合的評価に基いて)算出したものをアジアの分について抽出して掲げたものである。指標は0から100までのレンジをとり、100に近いほど民主制が成熟している。ここで Bollen の6つの尺度とは、政治的自由(市民権に近い)と政治的権利のそれぞれにつき各三つの尺度が含まれるもので、まず前者の(1)政治的自由権(Political Liberties)についての三つ、即ち、表現の自由、結社して政府に異議を唱える自由、政府の個人や集団に対する制裁の範囲、を主観的に評価したものであり、後者の政治的権利(Political Rights)とは、公平な選挙、立法機関の効率性、および立法機関の代表の選挙による効率性ないし非効力制、の三つの要素によって判定される。上の政治的民主制の指標はこれら6つの変数が組み入れられてひとつの指標によって示されたものである。詳しくは Bollen(1980)を参照のこと。なお、1960年の指標の信頼性は0.89、1965年については0.88としている。

出所 Bollen, Kenneth A.,“ Political Democracy : Conceptual and Measurement Traps”., Studies in Comparative InternationalDevelopment , Spring 1990 Vol.25, no.1, pp.7-24

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長114

 (2) 民主化進展の実態

 1990年までの30年間のアジアの政治制度の展開をみれば、大きな潮流として民主制

へと移行したが、その過程は円滑なものではなかった。アジア諸国の民主化はしだい

に進展してきたが、先進国のように直線的に進展したわけではなく、一時的な頓挫、

ないし後退と前進を繰り返しながら発展してきた。このプロセスはまさに Huntington

がいうところの途上国の民主化の特徴であった(Huntington, 1984)(注10)。

第2図 アジアの地域別民主化水準の推移

出所:第1、第3表から作成

 民主制の成熟度指数の推移によってアジアの政治制度の展開をみると以下のように

要約される。対象国全体(16ヵ国)(第1表、第2図)の民主化の水準は60年代初期

をピークにしてそれ以降70年代半ば頃まで次第に低下し、全体的に権威主義的傾向を

強めていったが、70年代後半から再び民主化へ向かう動きが明らかになり、民主化水

準は80年代後半まで上昇し続けた。上昇したとはいえ、80年代末のアジアの平均民主

化指数は半権威主義体制の水準であり、60年代の水準には達していない。

60年代と70年代後半からのふたつの民主化志向の動きを、ここでは前者を第一次の民

主化の波、後者を第二次の民主化の波と呼んで区別することにする(注11)。前者と後者

の根本的な相違は、前者には民主制にとって必要な諸条件や環境が欠如しており、後

者では発展に伴ってそれらの要因が次第に整いつつあったことである。

 前者の60年代初期の民主化指数が最も高かった理由は主に戦後、各国が独立を達成

した際の民主制度の導入によるものである。この第一次の民主化は、制度的な民主化

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 115

措置にすぎず、社会的、経済的開発は取り残されたままの、実質の伴わない、いわば

形だけの民主化であった。Lipset の言うごとく、民主制には経済発展が伴わなければ

ならない(注12)、とすれば低次の発展段階における民主制の定着は困難であった。60年

代当時のアジアの多くの国ではきわめて低次の発展段階にあり、教育水準も低く、国

民の大多数は貧困で政治参加意識もきわめて希薄であり、民主制とは名ばかりで民主

制が根付く社会環境は整っていなかった。

 この民主化改革は独立直後の短期間各国において試みられた実験であり、経験の乏

しい未熟な政権の統治能力からいっても失敗は不可避であった(注13)。

 この後、民主化の揺り戻しが生じ、成長達成のための条件を提供できるような、安

定した政治体制が求められ、国家による支配が強化され(注14)、権威主義的体制が樹立

されるに至った。この体制のもとで一定の発展が達成されたが、所得の上昇に伴って

高まる国民の民主化要求に答えることができない権威主義政権に対する圧力がしだい

に高まり、これらの政権の多くは崩壊ないしは消滅せざるをえなかった。80年代に

入って多くの国で民主化改革が実施され、より安定した民主制へと移行する国が現わ

れつつあった。これが第二次の民主化の波である。このアジアの第二次の民主化の波

は世界的には第三次の民主化の波の一環であるともいえる(注15)。

 アジアの体制推移

 アジアの第一次の民主化の波から第二次の民主化の波に至るまでの体制の推移の実

態は以下のとうりである。

 60年代にはアジアの途上国16ヵ国(第2表参照)のうち、民主制(半民主制を含

む)国家の割合は全体の過半の9ヵ国(56%)を数えたが、非民主制国家の数はそれ

をやや下廻る7ヵ国であった。この7ヵ国の権威主義体制国家(半権威主義体制を含

む)のうち、全体主義国家の3ヵ国(北朝鮮、中国、モンゴル)が含まれており、こ

れを除けば、市場経済圏の権威主義体制(非民主制)の国は4ヵ国(台湾、タイ、イ

ンドネシア、ネパール)である。それが70年代に入ると、国内外の政治的、経済的要

因によって民主制国家の多くが権威主義体制化し、8割を越える国(13ヵ国)が権威

主義体制(半権威主義体制を含む)国家となった。民主的国家は全体の2割、わずか

3ヵ国(マレーシア、インド、スリランカの3ヵ国)に減少した。この結果、アジア

の全般的な民主化成熟度指数は70年代半ばに最も低い水準に低下した。

 80年代になると、経済の発展につれて、所得の増加、中等教育在籍率の上昇、工業

化、都市化の進展など民主制の前提条件とされる社会的、経済的開発が進み、民主化

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長116

第2表 アジア各国の政治制度と経済成長

1960年代(前期) 1970年代(中期) 1980年代(後期)

高 成 長 中 成 長 低 成 長

合計

国数 高 成 長 中 成 長 低 成 長

合計

国数 高成長 中 成 長 低 成 長

合計

国数

民 主 制 シンガポール

マレーシア

フィリピン

スリランカ

インド

5

インド

スリランカ 2

韓 国 インド フィリピン

3

半 民 主 制 韓 国

パキスタン

バングラデシュ

ミャンマー 4

マレーシア

1

タ イ

台 湾

ネパール

パキスタン

スリランカ

5

半権威主義

体   制

ネパール

1

韓 国

台 湾

シンガポール

タ イ

インドネシア

フィリピン

バングラデシュ

7

シンガポール

マレーシア

インドネシア

バングラデシュ

4

権 威 主 義

体   制

台 湾

タ イ

北朝鮮

中   国 インドネシア

モンゴル

6

パキスタン

ミャンマー

モンゴル

中 国

北朝鮮

ネバール

6

中 国 モンゴル ミャンマー

(北朝鮮)

3

+(1)

合 計 国 数 7 3 6 16 6 7 3 16 4 7 4 15

+(1)

    (注1)民主制は75≦DI          (注2)高成長とはGDPの年平均成長率が6.5%以上    (注3)香港のデータは含まれていない。

      半民主制は50<DI<75           中成長とはGDPの年平均成長率が4.5%から6.5%まで

      半権威主義体制は25<DI<50        低成長とは、GDPの年平均成長率が4.5%以下。

      権威主義体制はDI≦25。ただし、DIは民主化指数。

出所:Gastil (1990), Bollen (1990)に基づいて筆者が作成

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 117

水準が上昇した。70年代権威主義体制国家であった国の半数近くが民主制ないしは半

民主制へとシフトした。この期に民主化した国は韓国、台湾、タイ、フィリピン、パ

キスタン、ネパールの6ヵ国である。この結果、以前からの民主制国家(2ヵ国、マ

レーシアは半権威主義化した)を加え、80年代においては、アジアの約半数(8ヵ

国)が民主制国家となった。この期の権威主義体制国家は社会主義体制の3ヵ国(中

国、モンゴル、北朝鮮)を除外すれば、フィリピンを除くアセアン3カ国と南アジア

の2ヵ国(バングラデシュとミャンマー)の5ヵ国である。

 このような民主化への傾斜はアジアだけではなく、ラテン・アメリカにおいても起

こった(注16)。Barro によれば、アフリカを除く途上国世界(72ヵ国)の民主化指数は

1960年の0.69がピークであったが、それ以後民主化指数は下がり始め、70年代半ば

(1975)に底(0.54)を打ち、その後途上国の開発の進展につれて民主化水準は上昇

しはじめ、90年代初頭(1990~92)に0.68まで回復し、ほぼ1960年の水準に並んだ

(Barro, 1994)。アジアの民主化の波は世界の民主化の潮流と軌を一にしているとも

言えるのである。最も民主化の遅れていたアフリカにおいても、90年代に入って多く

の国で民主化の動きが顕在化しつつある(注17)。いまや途上国世界では権威主義体制の

国家が消滅しつつあるとさえ言われている(注18)。

 (3) 政治制度と経済発展との関連に関する諸説

 政治制度と経済発展との間にどのような関係が存在するか、いままで多くの仮説が

唱えられてきたが、いまだ一般に受容された説はないように思われる。権威主義体制

を民主制の対極にある(Sorensen, 1991)とみなし、最も民主化水準の低い体制が権威

主義体制であり、権威主義体制の低下を民主化の進展と同一視すれば、政治体制と経

済発展の関係に関する議論は民主化水準と経済発展との間になんらかの関係を認める

か否かの問題に帰着することになる。民主制と発展に関する多くの従来の研究を展望

してみると、民主制と経済発展との間の関係について、両者の間には関係がないとす

る両立不可能説、経済発展は民主制のもとで可能であるとする両立可能説、最後に両

者の間の関係は不明であるとする懐疑説、の三つに大別される。

 以下において、それぞれの説の基本的立場を明らかにしてみよう。

 (i) 両立不可能説

 この立場は、大略つぎのような主旨によって民主制と経済発展とは両立せず、ト

レードオフの関係にあると主張する。換言すれば、権威主義体制こそ成長にとって有

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長118

利な体制であるというもの。第一に、途上国の未熟な民主制は、一般に低開発国であ

るほど国内不統一、貧困など多くの政治的、経済的問題を抱えているために十分に機

能せず、安定した政府を維持することが困難であり、成長を高める政策を推進するこ

とが困難となる。第二に、国民全体が政治参加する民主制のもとでは、さまざまな利

益団体の支持をとりつけるために、国民各層の分配の平等化や福祉向上の要求に応え

ることが優先され、しばしば成長や効率が犠牲にされる。第三に、途上国に存在する

発展に好ましくない諸条件を除去するために政府は投資のために消費を制限するなど

国民の多大な犠牲を求めざるを得ないが、これは民主制のもとでは達成困難である。

たとえば、Harrod=Domar モデル タイプの発展計画を遂行するにも国民の節約を求

め、貯蓄を強制し、成長のために貯蓄を動員するには権威主義体制のほうが有利であ

る。なお、この両立不可能説には発展のためには権威主義体制が必要であると主張す

るものばかりでなく、発展のプロセスがより強固な権威主義支配を要請するするも

の(注19)、政治的自由の拡大のコストは発展の疎外となり、急速な成長は自由の喪失に

なると主張するものも含まれる。このような両立不可能説にはつぎのような実証的な

研究がある。

 なお、N = サンプル数、t = 調査対象期間 をさす。以下おなじ。

Adelman = Morris (1967):(N = 74, t = 1950~64)(注20),Huntington = Dominguez

(1975):(N = 35,t = 1950-60),Marsh (1979):(N = 98,t = 1955~70),Weede

(1983):(N = 124,t = 1960-74),Kohli (1986):(N = 10,t = 1960~82)(注21),Landau

(1986):(N = 65,t = 1960-80),

 このほか必ずしも計量分析を含まないものとしては(注22)、

Bhagwati (1966),O'Donnell (1973),Huntington = Nelson (1976),Weede (1983),

Munck (1994),

 (ii)両立可能説

 この説は民主制と成長との間になんらかの正の関連を認めるものであるが、この説

の論拠として、主につぎの二つがあげられる。

 第一に、民主的プロセスや市民的自由と政治的権利の存在が経済発展に最も有利な

社会的条件を整えることになり、持続的で公平な経済発展を可能にする。

 第二に、民主制の根幹をなす政治的多元性(おもに複数政党制)は自由競争の存続

と活力の要件であり、この政治的多元性のもとで国民のエネルギーが解放され、企業

家精神が生まれ、経済発展に有利な条件を育むことになる(注23)。

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 119

 民主制が成長に貢献したと主張する実証的研究として以下が挙げられる。

Dick (1974):(N = 59,t = 1959-68) ,Kormendi = Meguire (1985):(N = 47,t = 1950-

77),Pourgerami (1988):(N = 92, t = 1965-84),Scully (1988,92):(N = 115,t =

1960-80), Grier = Tullock (1989):(N = 59,t = 1961-80)(注24),Remmer (1990):(N =

11,t = 1982-88),Pourgerami (1991):(N = 106,t = 1986)。このほか計量分析を含ま

ないものとして Lipset (1959,1992),Rustow (1970),Huntignton (1984),Lipset

(1992) などがある。

 (iii) 懐疑説

 上述の二つの説の中間にあるこの説は民主制を含めた政治体制と経済発展との間の

機能的な関係の存在を疑問視する。この説によれば、経済発展における政治体制の役

割はきわめて小さいとみなし、発展には他のより重要な要因が介在していると考える。

民主制が成長を助長するのか、阻止的要因として働くのか、開発と民主制との関係は

ブラック・ボックスであるとして断定を避ける(注25)。

この立場をとる説として次のような研究があげられる。

Barro (1994),Rueschemeyer = Stephens = Stephens (1992),Alesina = Rodrik (1994)、

 上述のように民主制と経済発展との間の関係について異なる結論が導かれるのはど

うしてであろうか。その理由として、これらの実証研究の調査対象国の内容やサンプ

ル数がさまざまであり、民主制の計測方法や成長に影響を与える変数、要因のコント

ロールの仕方や定式化の方法も多様であること、サンプルのなかには先進国を含むも

のさえあり、対象期間についても同じではない、などが考えられる。

 政治体制と経済発展との間の関係は、政治体制、たとえば民主制の成熟度と経済発

展段階の高度化によって変化することも考えられる(Pourgerami,1988)。発展の初

期段階においてはとりわけ政治の安定が不可欠であり、この条件が確保されて成長政

策が実施できる環境が整えられる。政治の安定は民主制に比べて権威主義体制下で実

現され易い。しかしどんな権威主義体制下でも可能であるわけではない。開発の推進

にはハード ステート的な権威主義体制でなければならない(注26)。同じ権威主義体制

といってもその体制の性格、指導者の政治姿勢、政策の内容、発展段階等は国によっ

て大きな差異があり、これらの要因が少なからず各国の成長率の決定に関わっている。

ここでは政治体制として便宜上、前述の四つに分類したが、現実の各国の政治体制は

きわめて多くの固有な要因、条件を内包しており、ひとつとして同じ体制はほかに見

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長120

出し難いといってよいほどである。

 戦後40年間の途上国における政治制度の展開はきわめて変化が激しく、また経済的

にも地域や国においても成長パフォーマンスや成長実績は時期によって変動幅が大き

い。どの時点、期間の政治制度や発展段階をとるかによっておのずから結論が異なら

ざるをえない。開発の進展と政治制度の変化との相互関係の分析においても、一国の

社会的要因や、時代的な背景、国際環境を考慮に入れて検討されなければならないだ

ろう。

Ⅱ.成長決定の制度的要因分析

 (1) 成長グループ別の特徴

ここで高成長の国、低成長の国とはいかなる政治体制の国であったか、第2表に基づ

いて個別に検討してみよう。ここではまず第3表に基ずいてアジアの途上国を成長率

によって高成長、中成長、低成長の三つのグループに分ける。

 6.5%以上の成長率の国を高成長グループ、4.5%から6.5%までの成長率の国を中

成長グループ、4.5%以下の成長率の国を低成長グループとして扱う。

 そのうえでこれらの成長率と各期間の平均民主化水準との関係をみると以下のよう

な結果が得られる。なお、各成長グループの平均民主化成熟度指数は第5表に示され

る。

 前期(60年代)においては、高成長国グループは民主制と権威主義体制の双方の体

制においてみられた。すなわち民主制(半民主制を含む)は4ヵ国、権威主義体制国

は3ヵ国の合計7ヵ国が高成長であった。これが中期(70年代)になると、高成長国

はほとんど権威主義体制の国家(5ヵ国)であった。民主制下で高成長を遂げた国は

マレーシアのみであった。しかし後期(80年代)においては、高成長は民主制の国

(3ヵ国)と中国において達成された。社会主義国家中国を除けば民主制のみが高成

長を遂げたことになる。中国は権威主義体制であるが、79年に開放/改革政策に移行

し、資本主義的要因を導入して高成長を達成したもので、他のアジアの社会主義体制

とは区別して扱う必要がある。

 ここで民主化の水準がどれほど成長率と関連しているか検討してみよう。

前期、中期、後期における高成長、中成長、低成長の各グループ別の民主化指数をみ

れば、成長率と民主化水準の関係は一様ではない。予想されるように高成長グループ

が最も低い平均民主化指数を示しているわけでなく、また反対に最も高い平均民主化

指数が低成長グループにみられるわけでもない。民主制、半民主制、半権威主義体制、

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 121

第3表 アジアの民主制と成長

アジアの民主制の成熟度指数 アジア諸国の成長率(%) アジア諸国の一人当たりGNP(USドル)

国   名 1960 1965 1978 1988 1960-70 1971-80 1981-90 1965 1978 1988

韓 国 52 53 33 75 8.6 9 9.9 120 1160 3530

台 湾 n.a 23 42 50 9.8 9.3 8.5 200 1400 6167

シンガポール 81 77 33 42 8.8 7.9 6.3 450 3260 9100

タ イ 33 17 33 67 8.2 7.9 7.8 120 490 1000

マレーシア 84 80 66 42 6.5 7.8 5.2 260 1090 1870

インドネシア 20 10 33 33 3.9 7.7 5.5 85 360 430

フィリピン 93 93 33 75 5.1 6 1 150 510 630

インド 94 91 83 75 3.4 3.7 5.8 90 180 330

パキスタン 40 63 25 67 6.7 5.2 6.2 85 230 350

バングラデシュ n.a 70 50 42 3.6 5.8 4.1 60 90 170

スリランカ 94 86 75 58 4.6 4.3 3.9 140 190 420

ミャンマー 63 65 8 8 2.6 4.7 0.1 65 150 200

ネパール 40 29 25 58 2.5 3.2 4.9 65 120 170

カンボジア 39 36 0 0 120 n.a n.a

ラオス 57 43 0 17 65 90 180

ベトナム 31 33 0 8 n.a 170 n.a

モンゴル 22 16 0 0 2.8 6 5.6 n.a n.a n.a

中 国 23 16 17 17 5.2 5.8 9.5 n.a n.a n.a

北朝鮮 21 21 0 0 7.8 6.2 - n.a n.a n.a

平均(19ヵ国) 52.2 48.5 30.9 38.6 5.6 6.28 - 138.3 632.7 1753.4

平均(北朝鮮を除く) 54.1 50.1 32.7 40.8 5.4 6.3 5.6 138.3 632.7 1753.4

出所:民主制の指数は第1表に基ずく。成長率、一人当たりGNPはAsian Development Bank, Key Indicators of Developing Asian and Pacific Countries, 各年版。World

Bank, World Development Report, 各年版

台湾のデータは Taiwan Statistical Data Book, 各年版。なお、一人当りGNPドル(US)は名目価格表示。

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長122

第4表 成長グループ別の平均民主化水準

1960年代 1970年代 1980年代

高成長

6.5% 以上

48

(7か国)

40

(6か国)

52

(4か国)中成長

4.5%~6.5%

65

(3か国)

19

(3か国)

56

(7か国)

低成長

4.5% 以下

47

(6か国)

61

(7か国)

37

(4か国)

出所:第3表。Gastil, Bollen の指数にもとづいて作成。

権威主義体制の四つ政治体制の成長率の動きをみると、民主制国グループを除いて他

の三っつの体制は前期から中期になるにつれて成長率は上昇し、後期にはやや低下し

た。民主制の成長率は中期には低下し、後期には再び上昇し、半権威主義体制につぐ

高い成長を遂げた(第3図)。

 高成長国グループは、それぞれの各期間において平均民主化指数が最も低いわけで

もなく、また最も高いわけでもなく、中間の水準にあった(第4表参照)(注27)。換言

すれば、高成長国グループは平均的にみてそれぞれの期間の最も民主化指数の高い国

家グループでもなく、また最も権威主義的な国グループでもなかった。それぞれの各

第3図  体制別の経済成長率

第3図  挿入

出所:第3表から作成

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 123

期における高成長国グループは中間レベルの民主化水準を示していた。これらの高成

長国の平均民主化指数は期間によって変化し、前期(60年代)には48、中期(70年

代)は40、後期(80年代)が52、と半権威主義体制かそれに近い半民主制体制である。

 一方、低成長グループが最も民主化水準が高いわけではなかった。前期においては、

低成長グループの平均民主化水準が最も低く、中期になると中成長国グループの民主

化指数が最も低かった。後期には再び低成長グループの平均民主化指数が最低水準で

あった。低成長国グループについては成長と民主化水準との間に明瞭な関係を見い出

せない。低成長は全般的に権威主義化した中期を除いてどんな体制下においてもみら

れる。低成長の前期(60年代)の6ヵ国、後期(80年代)の5ヵ国は、ほぼ均等に四

つの体制に分布しており、その平均民主化指数は初期に47、後期に37を示し、半権威

主義体制の水準にある。初期の低成長グループの平均民主化水準は高成長国のそれと

大差はないが、中期、後期は同じ低成長国でもその民主化水準はまったく異なる。す

なわち、中期では低成長国の平均民主化指数(61)は最も高い(半民主制水準)が、

後期では逆に最も低い。権威主義体制の国は全般的に民主化の進んだ後期では低成長

に留まることを示しているように思われる。

 体制変化と成長実績

 ここで前期から後期までの30年間にわたる体制の変化とそれに伴っていかなる成長

パフォーマンスが達成されたか、その特徴的な傾向を追ってみよう(第2表参照)。

アジアにおいては権威主義体制の国が高成長を達成したと言われるのであれば、体制

が権威主義化すれば、高成長が可能になることを推測させるが、三期にわたる各国の

動向をみるとこのような例は現実には存在しないことがわかる。中期以降も高成長を

維持していた国はほとんど初期に権威主義的体制であった国であり、中期以降権威主

義化することによって高成長を遂げたのではない。例外は権威主義体制の社会主義経

済圏を除けばインドネシアのみである。このインドネシアも初期の権威主義体制のも

とでの低成長から中期に半権威主義体制へとやや民主化へ傾斜して高成長を遂げたの

であって権威主義化したためではない。権威主義化すれば成長を加速するというより

も現実には減速させている国が目につく。

 すなわち、アジアの16ヵ国については権威主義化して成長を減速させた国はあって

も(低ないし中成長から高成長へと)加速させた国は見当たらない。権威主義化して

低成長から中成長へ加速した例はある。初期に低成長であった国が70年代に権威主義

化して中成長国となった例としてバングラデシュ、ミャンマーの二カ国が挙げられる。

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長124

 前期に民主制であった国は五カ国を数えるが、これらの国はいずれも前期から中期

へ、あるいは中期から後期にかけて成長を減速させており、成長率を(低から中成長

へ、ないしは中から高成長へ)高めた国はなかった。唯一の例外がインドで、同国だ

けが中期から後期に低成長から中成長へと成長率を上昇させた。なお、インドが16ヵ

国のサンプルなかでは後期に至るまで民主制を保持した唯一の国である。

 後期になって平均的民主化水準が上昇すると高成長国の数は減少した。民主化が進

んで中期を上回る成長を遂げた国はネパールのみである。後期に成長を加速させて高

成長を実現した国は権威主義体制の中国1ヵ国である。その他の国は中期と同じ成長

水準を維持しているか(3カ国)、あるいは低下させている(2ヵ国)。三期を通じて

高成長を続ける台湾、タイは中、後期にかけて、韓国は所得水準の上昇に伴って中期

から後期に民主化が一段と進んだ。

 体制間の所得水準の比較

 体制間の経済パフォーマンスを比較するには成長率だけではなく、この間の成長の

結果、達成された所得水準も考慮されなければならない。

周知のようにアジア諸国は60年代初期から30年間に目覚ましい発展を遂げたが、発展

の成果は体制の内容によって一様ではない。前述のごとく体制が異なれば各期間の成

長率が異なり、体制グループごとの一人当り所得も少なからず異なってくる。ここで

対象期間における四つの体制間の所得水準(GNP)の動きを比較してみよう。(第

4図参照)

 前期の一時点(1965年)においては、全般にアジア各国ともきわめて低次の発展段

階にあり、所得水準は低く(サンプルの一人当り平均133米ドル)、各体制間の格差は

わずかであった。ただ民主制グループにはシンガポール(450ドル)、マレーシア

(260ドル)の高所得国を含み、平均所得を押し上げていたことから他の体制に比べ

て所得水準はやや高かった(第3表参照)。

 民主制グループを除外すれば、当時の他の三つの政治体制間の所得格差はほとんど

なかった。しかし、中期(1978年)になると、高所得グループ(一人当り約1000US

ドル)の体制と低所得グループ(一人当り約200USドル)の体制の二つのグループ

間の所得格差は大幅に拡大した。前者の高所得グループとは、半民主制国と半権威主

義体制であり、後者の低所得グループとは、民主制と権威主義体制の二つである。と

ころが後期(1988年)になると、さらに格差が拡大し、四つの体制のうち、最も高い

所得水準(一人当たり約3000ドル)の体制は半権威主義体制となった。このグループ

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 125

第4図 アジアの体制別の所得水準(一人当り)

出所:第3表から作成

には最も高い所得水準のシンガポール(9100ドル)が含まれている。ついで半民主制

と民主制が続くが、その所得水準は半権威主義体制の5割ほどにすぎなかった。権威

主義体制の所得水準は最も低く、300ドルほどである。

 なお、ここでは所得データの入手困難により権威主義体制には中国、モンゴル、北

朝鮮など一部の国は含まれていない。この分析結果は各期間の各体制における平均所

得水準の比較であって、同一の体制が初期から後期に至るまでに成長、達成した所得

水準ではない。

 (2) 国/地域経済群別のパターン

 多様性はアジアの特徴といわれるが、民主化水準と成長の実態も地域によって大幅

に異なる。地域/経済群をみれば、民主化水準と成長率の関係は顕著な差異が指摘さ

れるように思われる(第2図参照)。

 以下において、アジアを便宜上、NIES(ここでは香港を除く3ヵ国)、アセア

ン(シンガポールを除外した四ヵ国)、南アジア(6ヵ国)、非市場経済圏(旧および

移行期を含む社会主義経済圏ないし中央計画経済圏(CPEs)のことで、ここでは

中国、モンゴル、北朝鮮、カンボジア、ラオス、ベトナムの6ヵ国が対象)の四つの

地域/経済群に分けて各群の特徴を挙げてみよう。

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長126

 まず、民主化の度合についてみると、アジアの四つの地域/経済群グループのなか

で平均民主化水準の最も高いのは南アジアであり、最も低いのは社会主義圏である。

ここでの民主制の定義によって社会主義圏の民主化水準が最も低くなるのは体制の性

格から言って明らかであり、この経済圏については他のグループと同列に論じること

はできない。したがって社会主義圏を除外して考えると、平均的に民主化水準の最も

低いグループはNIESとなる。成長率のランクについては、NIESが最も高く、

ついでアセアン、非市場経済圏、南アジア諸国と続く。民主化水準と成長率との関係

をみると、全般的に民主化水準が高い地域は成長率が低く、逆に民主化水準が低い権

威主義的な国/地域ほど高成長を遂げている。(第5図)。

第5図 地域/経済群の成長率の推移

出所:ADB, Key indicators, World Bank, World Development Report各年版

 上記の地域グループのなかでは80年代半ばすぎまで民主化水準の最も低いNIES

が成長率については60年代は(9.1%)、70年代は(8.7%)、80年代には(8.2%)と

最も高かった。その結果、NIESは中期(約2000ドル)、後期(約6300ドル)に最

も高い所得水準を達成し、前期にあまりみられなかった地域グループ間の所得格差が

しだいに拡大した。これに対して81年まで最も民主化水準の高かった南アジアは成長

率は最も低く((60年代は低成長(3.9%)、70年代は中成長(5.3%)、80年代は低成

長(4.1%))、一人当たり所得も社会主義経済圏と並んで最低水準にある。この地域

の所得水準は70年代以降さほどの伸びもみせず、社会主義グループの所得水準と大差

はない。

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 127

第6図 アジア地域/経済群の一人当り所得の動き

★第6図 挿入

出所:ADB, Key indicators 各年版から作成

 アセアンは成長率についてはNIESについで高く、81年までは民主化水準は南ア

ジアについで高い。この地域の民主化水準は82年に南アジアを上回り、その後しだい

に上昇し、アジアでは最高水準にあったが、成長率については60年代の中成長

(5.9%)から70年代の高成長(7.4%)を遂げたのち、80年代に4.9%へと大幅に下

げている。民主化水準の上昇につれて成長率を低下させているごとき動きをみせてい

る。アセアンは民主化指数、成長率ともにNIESと南アジアの間にあって推移して

いる。このグループ四カ国の平均所得水準はNIESについで第二位にあるが、中期

には約600ドル、後期には約1000ドルと それぞれNIESの三分の一、六分の一の規

模にすぎない。

 アジアの非市場経済圏についてみれば、各期において民主化指数、成長率ともにア

ジアのなかで最も低い水準にある(注28)。体制の性格上、民主化水準は低くなっている

が、70年代にかけてさらに低下した。80年代には上昇傾向に転じたとはいえ、民主化

水準はきわめて低く、全体主義国家の権威主義的性格が顕著である。NIES、アセ

アン、南アジアは成長率を低下させているのに対して、社会主義経済圏グループは成

長率を上昇させている。北東アジアの北朝鮮、中国、モンゴルの三国の成長率につい

ては60年代(5.2%)、70年代は中成長(6.0%)、80年代については高成長(80年代に

ついては北朝鮮のデータが利用できないために2ヵ国についてのデータ)であり、こ

の三カ国の平均成長率は南アジアより高い。この成長率の上昇は全体主義の権威主義

体制の一部の国が80年代に入って開放政策に転じ、市場経済要因を導入したことによ

ると思われる。だが、戦乱を経て復興途次のベトナム、カンボジア、ラオスのインド

シナ3国、及び経済的困難を抱える北朝鮮を考慮に入れると、80年代のこれら非市場

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長128

経済圏六カ国の平均成長率は大幅に低下しよう。

 (3) 計量分析

 上述の議論の示すように政治制度と経済発展との間にいかなる関係が存在しうるも

のか、必ずしも明らかではないが、ここでは1960年代から80年代までの約30年間のアジ

アの政治制度と経済発展との関係について線形的な関数を想定して計量分析を試みる。

 以下において民主化水準と成長の関係を、60年代、70年代、80年代の10年間単位の

三期に分け、各期における成長率の説明変数が (1)民主化成熟度指数のみである場合、

(2)民主化に必要な条件とされる経済発展、教育、国際要因の三つの説明変数を加え

た場合、(3)民主化要因にくわえて成長に影響を及ぼす政治的、経済的自由度、市場

経済体制、政府の開発志向性の変数などを加えた場合、の三つのケースについて各期

におけるクロスセクション分析を行う。

 (i) 経済成長と民主制

 60年代、70年代、80年代の各期間の平均成長率と各期の一時点における民主化成熟

度指数との間の関係を推定してみよう。

 まず、民主化水準によって表わされる政治制度のタイプが成長率をどの程度説明し

うるか検討する。民主化成熟度指数を説明変数とし、成長率を従属変数として回帰分

析を行なってみると、アジア16ヵ国に関してのクロス・セクションによる推定結果は、

60年代から80年代の各10年間について、両者の間の関係は統計的には有意でなく、い

ずれも政治体制の経済成長率に対する説明力はほとんどないことを示している(第6

表)。成長率の代わりに所得水準を従属変数にとり、回帰分析を行なってみても同じ

ように有意な結果は得られなかった(この結果についてはここでは表出していない)。

第5表 政治制度と成長の回帰分析結果

1960年代 1970年代 1980年代

定数項4.77

(3.56)

4.18

(4.44)

4.33

(3.73)

民主化水準0.0026

(0.11)

0.039

(1.62)

0.025

(1.04)

修正 R-square  F

- 0.06

0.012

0.08

2.62

0.004

1.07

 信頼係数  95% 被説明変数:成長率,サンプル数:17ヵ国なお、括弧内の数字はt値。

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 129

 上記の推定結果をみれば、成長率の説明変数として民主化指数のみを取り上げた場

合、成長率の決定要因として民主化水準がほとんど関与していないことを示している。

だが、この結果が単純にアジア諸国の民主化水準が成長率の決定にまったく説明力が

ないと結論づけるのは早急すぎるかも知れない。この推定結果の背後には次のような

理由や背景が考えられる。第一に、既述したように民主成熟度指数の最も高かった60

年代の第一次の民主化は民主制とは名ばかりで実態の伴ったものではなかったことで

ある。Gastil、Bollen の民主化指数は制度面を重視した指標であって、本来の民主制

に必要とされる経済的、社会的な必要条件を反映しているとはいえないからである。

Lipset の言うように、発展こそが民主制の最も重要な要因である(注29)とすれば、低次

な発展段階にある国家の大衆の大多数が貧困で教育水準も低い状態では本来の民主制

は機能しえない。

 第二に、この30年間のアジア各国の政治制度の展開はきわめてドラマティックであ

り、各国の政治体制は同じ民主制、権威主義体制といってもその性格、政権の態様は

少なからず異なっており、その差異は必ずしも民主化指数に反映されていないこと。

たとえば、権威主義体制といってもきわめて多様であり、この体制のもとでの各国の

成長は低成長から高成長まで幅広く分布していることがあげられる(注30)。

 第三に、成長率を決定する要因はここでの政治体制を表わす民主化成熟度指数だけ

ではなく、他の単独ないし、複数の要因がより強く関与していることが考えられる。

成長過程には経済的、社会的要因が重要な役割を果たしており、成長率を政治制度の

相違を表わす民主化成熟度指数のみによって説明を試みるというような、政治的要因

のみで説明するには限界があるかも知れないからである。第四に、この回帰分析の対

象となるサンプルは数が少ない(17ヵ国)ことに加えて、多様性を特徴とするアジア

の経済構造、政治体制の実態は国により、地域・経済群により、かなりの相違があり、

計量分析によって一般的な傾向を見出だすにはやや無理があるかも知れないこと、第

五に、政治体制を表わす民主化成熟度指数と成長の関係は単純で一義的な線形的な関

数関係によって表わされるものではなく、非線形的な関係、あるいは両者の間には全

く別の、発展段階によって相互の関係が変質するような、たとえば、可逆的な関係の

存在も考えられることである。

 (ii) 民主化の条件

 前節で民主化成熟度指数が成長の説明変数としては、ほとんど有意な値をもってい

ないことが示された。ここで民主化の本質的な条件について検討してみる必要がある。

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長130

一般に民主制は一定の社会的、経済的な発展水準に依存するといわれてきた(Lipset,

1959)。西欧の歴史をみても、民主的制度、社会的不平等の縮小、豊かな市民社会、

市民的権利・人権の制度化が工業化、都市化に基礎をおいた経済発展に先行して実現

されたことはほとんどなかった。 現在の多くの先進国においても非民主的ないしき

わめて制限された民主的条件のもとで民主制の基礎が築かれたのである(注31)。

ウエーバーによれば、資本主義的工業化が都市の中産階級(ドイツ語の Burger,英

語では burgher)を生み、この burgher が民主化を促すカタリスト(触媒)となり、民

主制に必要な要因となった(注32)という。すなわち、資本主義的工業化が民主制に必要

な条件を創出した(注33)。Lipset によれば近代世界においては、この工業化に加えて都

市化、高い教育水準、および社会全体の富を増加させる経済発展が民主制を支える基

本的条件であった(注34)。工業化が所得を増加させ、政府の教育投資が教育水準を向上

させ、これが発展に寄与することになり、全般的な生活水準が上昇すると、国民の民

主化への欲求(政治的自由、基本的人権、政治的権利など)がしだいに顕在化する。

これに対処するためには政治制度は民主的性格を強めていかざるを得ない(注35)。工業

化に伴って発達した交通/通信が伝統社会の偏狭な地域主義を克服し、人口の移動、

都市への集中、都市化を促した。これらの民主化の要因に加えて Liu や Gasiorowski

は国際要因を挙げている(注36)。これは交通・通信・マスコミの発達や貿易の自由化な

どを通じて先進国から民主主義が波及するうえで重要な役割を果たした。民主主義の

土壌の欠如した途上国、とりわけアジアの場合には軽視できない要因である。国際要

因は政治的、経済的な自由化へのインパクトとなる要因であり、経済効率を高めるこ

とが期待される途上国の開放政策に結びつく。これらの諸要因が民主化の実現に必要

とされる階級社会の構造変化を惹起させる条件である(注37)。Crouch=Moreley によれ

ば、これらの諸要因が社会的変化のバネになり、社会的変化が政治的変化を誘起させ、

この政治的変化が政治体制の変革を引き起こすという(注38)。

 (iii) 制度的要因の検証

 前節で述べたように、民主化指数と成長率との間に存在する回帰式の分析結果は有

意な統計量を示さなかったことから、経済成長を説明する独立変数として制度面のみ

を重視した民主化成熟度指数だけでなく、前述の民主制を構成する条件である社会的、

経済的要因を検討する必要があろう。ここで民主化の基本的な要件として、上述の要

因のなかから経済発展ないし工業化、教育水準、国際要因を成長率の説明変数とし、

ついで途上国の成長決定に少なからず関与している政治体制の態様と密接に関わって

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 131

いる経済体制、政治的自由度、市民的権利、経済開放度を説明変数に加えて推定式を

検討する。

 経済体制、政治的自由度、市民的権利などの変数についてはダミー変数を用い

る(注39)。経済開放度は代理変数として輸出依存度(輸出/GNP)を取り上げる。こ

れに識字率を説明変数に加えた回帰式の分析結果は下記の表(第6表)に示される。

第6表 成長要因の推定結果

1960年代 1970年代 1980年代

 定数項 - 12.52(1.02)

- 8.02(1.97)

- 15.36(1.26)

 民主化水準 0.03(0.8)

0.13(2.29)

0.011(0.11)

 中等教育在籍率 0.05(0.96)

- 0.03(1.19)

- 0.05(0.61)

 一人当り所得 2.87(1.02)

1.76(1.65)

4.39(1.59)

 経済開放度(貿易依存度)

- 0.02(0.42)

- 0.03(1.28)

- 0.07(1.26)

 識字率 0.008(0.37)

0.02(0.94)

-0.02(0.48)

 政治的自由度 1.54(0.77)

- 3.07(1.42)

1.86(0.48)

 市民的権利 - 3.93(1.41)

- 4.12(1.75)

- 2.46(0.65)

 市場経済 2.82(2.61)

0.29(0.13)

- 0.88(0.3)

 修正 R-square   F値

0.644.36

0.829.32

- 0.160.71

16 16 17 サンプル数 被説明変数:

 これによると、決定係数からみて80年代を除いて比較的良好な結果を示していると

いえるが、各期間によって変数の説明力に違いがみられる。60年代においては、市場

経済の国が成長の最も有力な説明変数となっており、ついで市民的権利がわずかに有

意である。この市民的権利は成長にはマイナスに作用している。70年代においては、

最も説明力のある変数は市民的権利であり、この変数が成長に対して最も強く影響し

ている。予期されるように市民的権利に加えて政治的自由度は成長にマイナスに作用

しており、市民権、自由度の水準が低いほど成長率が高くなっている。70年代は60年

代と同じように市民的権利が抑圧された権威主義体制が成長に有利であったことを示

している。このほかの有力な変数として一人当たり所得が挙げられる。民主化水準の

成長率。(なお、括弧内の数字はt値。)

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長132

成長への関与はきわめて低い結果となっている。

 80年代においては、決定係数からみて推定式のパフォーマンスは不良であり、推定

結果の信頼性はきわめて低い。

 Stepwise による推定結果

 上記の結果は民主化に必要な要因である政治的、経済的自由などの成長に関連した

民主化変数を説明変数とした単純な重回帰分析による推定である。ここでは上記の説

明変数にダミー変数として政権の開発志向性を付加して検討する(注40)。権威主義体制

の場合は、政権の開発志向性や政権の性格いかんによって生ずる成長率の変動幅はと

りわけ大きいからである。したがってここでの説明変数は民主化水準、中等教育在籍

率、一人当たり所得、経済開放度、識字率、政治的自由度、市民的自由/権利、開発

志向性、市場経済の九つとなる。ここでこれらの変数の相関関係を算出した結果が第

8~10表に示される(注41)。これらの変数のうち、stepwise 推定によって八つの説明変

数を選択して推定した。

 各期間の推定結果に基ずいて比較的t値の高い変数を説明変数に選び、成長率に回

帰させると、結果は第7表に示される。

 この推定結果によれば、三期間を通じて成長に対して有意な説明力を有する変数は

政権の開発志向性であった。このほかの有力な変数は期間ごとに異なる。以下に期間

ごとに検討してみよう。

 まず、60年代においては、市場経済の国が高成長を達成したことを示している。成

長率には中等教育在籍率がわずかに関与している。この期間の特徴として、70年代、

80年代にみられる市場経済と民主化水準との高い相関関係(70年代が0.74、80年代が

0.65)が60年代にはほとんど存在しない(-0.02)ことがあげられる(注41)。

 70年代においては、負の市民的権利の説明力がきわめて高い結果を示している。す

なわち市民的権利の乏しい国、換言すれば権威主義的体制が成長に有利であることを

示している。

 80年代においては、決定係数が低く、推定結果は十分な信頼性に欠けるとはいえ、

開発志向性についで負の市場経済が有意な変数となっていることを示している。70年

代に比べて民主化水準が上昇したとはいえ、改革/開放後に高成長を遂げた中国の権

威主義体制をはじめ中成長の東南アジアの多くの国は半権威主義体制であることがこ

の結果を導いたと考えられる。

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 133

第7表 成長決定の制度的要因の推定結果

1960年代 1970年代 1980年代

定数項 -0.46(0.33)

-2.07(0.79)

3.49(2.94)

民主化水準 0.04(1.33)

0.11(2.17)

0.06(1.04)

中等教育在籍率 0.05(1.69)

―― ――

経済開放度――

0.68(1.28)

――

体制の開発志向性 2.78(1.96)

2.01(1.66)

3.70(2.93)

政治的自由――

-2.03(1.10)

0.03(0.01)

市民的権利 -1.79(1.23)

-4.11(1.97)

0.29(0.19)

市場経済 2.25(2.37)

-0.17(0.09)

-3.31(1.67)

修正 R SquareF値

Significant F

0.7610.300.0011

0.8414.240.0004

0.483.770.04

16 16 17 サンプル数 被説明変数:

 三つの期間を通じて変数間の相関をみれば、所得水準と中等教育在籍との間、経済

開放度と所得水準との間の相関係数が高いことが指摘され、中等教育水準が普及すれ

ば、所得水準が上昇し、経済開放度ないし貿易依存度が高まれば所得が高まることを

示唆している(注41)。

Ⅲ 結論

 1990年代半ばまでの目覚ましい成長で知られるアジアについて、1960年代から1980

年代(前期(60年代)、中期(70年代)、後期(80年代)の三期間に区分)までの政治

体制と経済成長との関係を分析した結果、以下の暫定的な結論が得られた。

 政治体制を民主化指数によって民主制、半民主制、半権威主義体制、権威主義体制

の四つに分類し、各体制の成長率の動きをみると、三期間を通じて高成長国グループ

は最も権威主義的でもなく、また最も民主的な体制でもなかった。中間レベルの民主

化水準にある半権威主義体制かそれに近い半民主制体制が高成長を遂げていた。一方、

低成長グループが最も民主化水準が高いとはいえないが、民主化の進んだ後期には低

成長は権威主義体制の国家間に観察された。

成長率。(なお、括弧内の数字はt値。)

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長134

 高成長の国は体制が権威主義化することによって成長を加速させて高成長を遂げた

のではない。現実はむしろ逆であって権威主義化すれば成長を減速させていた。前期

に高成長の権威主義的体制の国が中期以降も高成長を維持していたにすぎない。前期

に民主制であった五カ国はいずれも初期から中期へ、あるいは中期から後期にかけて

成長を減速させており、成長率を高めた国はなかった。後期になって平均的民主化水

準が上昇すると高成長国の数は減少している。後期に成長を加速させて高成長を実現

した国は権威主義体制の中国1ヵ国である。三期いずれも高成長の台湾、タイ、韓国

は所得水準の上昇につれ後期に民主化が一段と進んだ。しかし後期の最も所得水準の

高い体制は半権威主義体制であった。

 アジアを四つの地域/経済群(NIES(香港を除く)、アセアン(シンガポール

を除く四ヵ国)、南アジア、中央計画経済圏)に分けてみた場合、計画経済圏を除け

ば平均的に民主化水準の最も低い(権威主義的体制)のNIESの成長率が最も高く、

民主化水準の最も高い南アジア諸国が最も成長率が低かった。高成長のNIESの韓

国、台湾は他地域群よりもはるかに所得水準が上昇した結果、後期に民主化が進んだ。

 民主化に必要な経済的、社会的要因や制度的要因を加えて成長率の決定要因を推定

したところ、前期から後期までの三期間を通じて成長を左右する最も重要な要因は政

権の開発志向性であった。このほかの期間別の有力な変数をみると60年代には市場経

済、70年代には権威主義体制があげられる。

 アジア途上諸国が対象とはいえ、今回の分析には西アジア、中央アジア、太平洋島

嶼国などは含んでいない。データの入手可能な北東アジア、東南アジア、南アジアに

ついて検討した結果である。サンプルは限られており、対象とする国についても香港

などが含まれず、結論にいささかのバイアスが生じた懸念は残されている。サンプル

に比較的所得が高く、民主化水準の高いといわれる太平洋島嶼国などが含まれると結

論は異なったものになるであろう。いずれにしろアジアの例が他の地域にどれほど妥

当性をもつものか明らかにされたわけではない。結果の解釈において、リー・クヮ

ン・ユーなどが主張するアジアの特殊性も考慮に入れる必要があるかもしれない(注42)。

今回の調査によっても途上国一般の政治制度と経済発展の関係が解明されたとはいえ

ない。両者の関係については今後の研究に俟つところが少なくない。

 注

1. Cheng = Krause (1991)

2. North (1990)

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 135

3. この三つのそれぞれの体制は一般につぎのように定義されている。

 民主制:国民が自由に意思を表現でき、国家が社会の意向をただちに反映できるような制度

のこと。政府の公的地位は個人間、政党間の競争によって決められる。自由意思に基ずく一般

投票権と公職への参加権、結社権など包括的な、自由意思による参加の権利が保障されている

こと。

 全体主義:国家が統一的な思想、イデオロギーによって導かれ、抑圧的な機関に支えられ

た一党による支配、国民の選択権の欠如、マス・コミの統制、党の決定に基ずく社会の動員

などを特徴とする。全体主義には左翼(例:旧ソ連)、右翼(例:ナチ)、人民全体主義

(例:ホメイニ、カストロなど)の三つがある。

 権威主義体制:国家が一人、あるいは少数のリーダーによって支配され、政党数は限られ、

中心的なイデオロギーはとくに存在しないとは言え、明確な精神性を備えている。政治的な

動員をとくに求めず、権力は大衆に意図が十分に明らかにされないまま遂行されるが、その

政策はある程度予断は可能。

 権威主義体制には、伝統的体制(例:ネパール)、軍部体制(例:韓国)、官僚体制(例:

アルゼンチン)などが含まれる。

 上記の三つの体制の特徴は次表によって比較可能となろう。

政治体制の比較

民主制 全体主義体制 権威主義体制

1.結社・表現の自由 O X X

2.選挙による国民代表の選出 O X X

3.国民の意思を反映する国家 O X ?

  機関(議会)の存在

4.政党の数 二つ以上 一つ ?

5.統一的イデオロギーの存在 X O X

6.国家ないしは党による社会 X O ?

  組織の支配

7.政治的抑圧 X O O

 出所:Gasiorowski,Mark J. (1990)

 上表の1~3は民主制の、4~6は全体主義体制の特徴とされる。民主制の対極に位置する

のが全体主義であり、権威主義体制はその中間的な存在である。表をみても分かるように権威

主義体制は前二者の体制に比べて明瞭な形を取らない場合が多い。それぞれの特徴が形式的、

名目的には存在しても実態は機能していないか、有名無実であるケースが多いためである。こ

れらのカテゴリーは一つの理念型であって、各国の現実の政治体制がこの三つのモデルのいず

れかに完全にフィットする国はなく(注5)、多くはそれぞれの亜種ないしは変形であるとみてよい。

 政治体制のカテゴリーには以下のような分類の試みがある。

 Dick (1974)による(1)権威主義体制、(2)(政党の数は限定的なため)半競争的政党体制、(3)

多党間対立競争体制、の三つの体制の分類化、Kohli (1986)、Landau (1986)などによる民主体

制と非民主体制(権威主義体制)に分ける二分法、Huntington = Dominguez (1975)、Berg-

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長136

Sclosser (1984)による民主制(多党制)、権威主義体制(一党体制)、共産(社会主義)体制、

過渡期の(不安定)体制など社会主義体制を含めた分類、Gasiorowski (1990)や Ichimura =

Morley (1993)による民主制、全体主義体制(レーニン主義)、権威主義体制の三分類などがあ

るが、ここでは Gasiorowski (1990)の分類に依拠した。Gasiorowski (1990), pp.109-25。

 なお、Ichimura = Morley は、アジアの三つの政治体制、制度として民主制、レーニン主義、

権威主義体制をあげている。Ichimura,Shinichi & James W. Morley (1993)。

 政治体制とは、一般に国家と社会との関係を支配する一連の規定、プロセスから成り立って

いるとされる。Gasiorowski (1990), op.cit.

4. Ichimura = Morley (1993), op.cit. p.26

5. 大きく分けて民主制(Democracy)と非民主制(Non-democratic Regime)の二分法がある。

Diamond = Linz (1989)。後者には通常、権威主義体制(Authoritarian Regime)と全体主義体制

(Totalitarian Regime)の二つの体制が存在する。

6. 地域的にみると、民主化への傾斜傾向が目立つのはアジアやラテン・アメリカであるのに対し

てアフリカでは依然として権威主義体制の国が圧倒的に多いことが指摘される。Lindenberg =

Devarajan の分類による世界の93ヵ国の途上国の民主制の進展状況は下の表によって示される。

途上国の地域別の政治制度のタイプとその変化(国家の数)

1973 1980 1989

地域 民主制 非民主制 民主制 非民主制 民主制 非民主制

Latin America 6 15 9 14 16 7

Africa 3 35 7 31 5 33

Middle East 3 9 4 8 5 7

Asia 5 9 8 8 10 6

Europe 0 4 2 2 2 2

Total(国数) 17 71 30 63 38 55

(%) 19% 81% 33% 67% 41% 59%

 出所:Lindenberg = Devarajan (1993)

7. Sørensen (1991), p.25

8. この四つのカテゴリーは Liu の以下の分類を参考にした。

 Liu は Diamond (1990)の分類にもとづいて、政治体制を以下の四つに分けている。

国家主導型体制(State Hegemonic):独立した政治、市民、利益団体の存在は許容しない。選

挙は行なわれない。

権威主義体制(Authoritarian):ある程度の抗議、異議は認められる。選挙制度はあるが、支配

政党によってなんらかの影響を受けている。

半競争的体制(Semi-competitive):選挙制度は存在する。複数の政党が存在するが、支配政党

がメデイアの所有、操作によって優勢である。

民主制(Democracy):選挙は公正で有効。代議制度、政党、議会、司法、メデイアが十分に強

力である。Liu (1993), p.26

9. Gastil (1980, 1986, 1990)、Bollen (1990) の算出した民主化の指標を用いる。70年代と80年代に

ついては(70年代は1978年時点の、80年代については1988年時点の)Gastil のデータを利用し、

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 137

彼のデータの存在しない60年代については Bollen の1965年時点の民主制の成熟度指数を用いる。

 Gastil の民主化水準の基準は選挙権や表現の自由の有無など各国の政治的権利(Political

right)と市民的自由権(Civil liberty)のふたつの権利の実体に基ずいてそれぞれ1から7まで

ランキングをつけ、その二つの和が大きいほど抑圧度が強く、ないしは自由度が少なく、民主

制からかけ離れた状態を表わす。

 Gastil の政治的権利の概念は基本的につぎのように定義されている。

 「政治的権利は政治のプロセスに意味のある参加をする権利であり、これはすべての成人が

投票し、公職を争い、投票で選ばれた代表が公共政策の決定に決議権を有することである」。

Gastil (1989), p.7

 Bollen の評価基準も Gastil の方法にきわめて類似しており、彼の民主化指数は0から100ま

での指数によって表示され、100に近いほど当該国の民主制の成熟を示している。両者の指標

を同一基準で比較するため、ここでは Gastil の指標を0から100までの指数に換算した。

 Gastil と Bollen の民主化指数の内包する問題点として、この指標は民主化の成熟度を示す制

度的、形式的側面に着目したものであり、民主制度にとって必要とされる要件を必ずしも十分

に考慮したものではない。民主制に必要な条件のひとつとされる一定の教育水準ないし識字率

がかりに低くても、選挙制度が形式的にも備わっていれば、民主化指数は高くなる。しかし、

現在のところ、この指標に代わる信頼に足る指標が見当たらず、この種の研究においては両者

の指数が広く用いられていることから、Bollen と Gastil の指標を用いた。このほかに Hadenius

の民主化指標が算出されているが、Gastil の指数との相違はきわめて少ないといえる。

Hadenius (1992)

10. Huntington は民主化のモデルとしてつぎのようなタイプを挙げる。

 イギリス、スウエーデンなどの西欧先進民主主義国の民主化のプロセスのモデルは基本的に

線型的(linear)な発展であるが、途上国のモデルには、(1)専制体制と民主制が交替する循環

的(cyclical)なモデルか、(2)中産階級の成長によって権威主義体制が打倒され、民主制が樹

立されるが未熟な民主政府の統治能力のために反動が起こり、再び権威主義体制にとって代わ

られる。しかし、この体制も時間の経過とともに崩壊し、しだいに安定した持続的な民主制へ

と移行していくという、いわば弁証法的な発展モデル、の二つがある。Huntington (1984),

pp.209-211

11. Huntington によれば、民主化の歴史をみれば、民主化の進展と後退(ないし揺れ戻し)が交互

に現われてきたという。最初の国家レベルでの民主化の動き(第一次の民主化の波)はアメリ

カにおいて1828年頃始まり、その後、西欧中心に徐々に波及し、1920年にピークに達したのち

はやや鎮静化し、1926年に第一次民主化の波は終わった(なお、独立国で民主制国家の割合は

1902年に19%、1920年に34%、1929~30年には32%であった)。その後、民主化の揺れ戻しが

起こり、多くの国の政権の軍国主義的性格が次第に強まり、第二次大戦に突入した。第一次民

主化の波の揺れ戻しは1922~42年の期間である。第二次大戦後、植民地独立とともに民主国家

が各地につぎつぎに生まれ、その数は50年代から60年代初めまで増加し続けた。Huntington

(1984), Huntington (1991), pp.16-23

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長138

 この期の民主化の動きは第二次民主化の波と呼ばれ、この波は1962年まで続いた(この年の

民主制国家は36を数えた)。Diamond (1992), Huntington (1991), pp.18-19

 50年代後半からまずラテン・アメリカを中心に権威主義的政権が現われ始めていたが 、そ

の後、アジア、アフリカにおいても権威主義体制へ移行する国が増え、60年代初期までの民主

化の波は一転して後退しはじめた。60年代から70年代半ばまでの世界的な民主制の揺れ戻しは

「民主制の揺れ戻しの第二次の波」と言われる。Diamond (1992), p.453, Huntington (1991),

pp.19-20。

 しかし、70年代後半から再び民主化への傾斜の動きが現われ、80年代初頭から各地で民主化

改革が展開していき、1990年には世界の民主制国家は58ヵ国(人口百万人以上)に拡大した。

Huntington (1991), p.26。なお、比率で示せば、世界の公的な民主制国家のシェアは73年に25%、

90年に45%、92年に68%へと上昇した。Leftwich (1993)。

Huntington (1991)や Diamond (1992)は70年代後半からの民主化の動きを第三次の波と呼んでいる。

12. Lipset (1959), (1963), (1992)

13. すでに1950年代末に Lipset は、いまでは古典的となった論文において、アジアやアフリカの

新たに出現しつつあった民主制の存続はその体制が長期にわたり効果的に人民の欲求を充足で

きるかどうかに関わっていると喝破している。Lipset (1959), p.91

14. Crouch = Morley (1993), p.282

15. Huntington によれば、1974年に始まった第三の民主化の波は過去20年間の発展によるところが

大きいという。Huntington (1991), p.61

16. Lindenberg = Devarajan (1993)

17. 小田英郎(1992)

18. Lindenberg = Devarajan によれば、世界の途上国93ヵ国のうち、80年代に権威主義体制の18%が

崩壊した(第2表参照)。Lindenberg = Devarajan (1993)

19. O'Donnell (1973)

20. Adelman = Morris の研究によると、より後発の途上国や中進国にとっては民主制は むしろ成

長を疎外するように働き、専制制の方がプラスに作用したが、比較的豊かな途上国においては

必ずしもそうではない。Adelman = Morris (1967)

21. Kohli の10ヵ国対象の研究によれば、1960年代に於いては専制制と民主制との間には成長への

貢献に差異はみられなかったが、70年代においては専制制のもとにおける成長がより目立って

いた。Kohli (1986)

22. Pourgerami (1988), Weede (1983)

23. Sirowy = Inkeles (1990)

24. Grier = Tullock は、アフリカやラテン・アメリカでは民主制の方が成長に役立ったが、アジア

ではとくに差異はみられなかったという。Grier = Tullock (1989)

25. Przeworski = Limongi による政治制度と成長との関連を分析した過去の研究のサーベイがある。

それによると、政治制度と成長との間の関係については、

民主制がより高い成長を達成したとするもの―――8つの研究

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 139

専制体制が高い成長をもたらしたとするもの―――8つ

両者の間に差はなしとするもの―――5つの研究

としており、明確な結論を導きだしていない。Przeworski,Adam & Fernando Limongi (1993)。

しかし、これらの対象とした地域は世界各国、サンプル数はさまざまであり、取り上げた期間

も異なる。一律にすべての調査対象国、異なる期間を扱った研究から得られた結果から結論の

一般化は困難であろう。

26. 東アジアや一部の東南アジアの成功は権威主義体制のもとでテクノクラートが利益団体のレン

トシーキングの圧力から遮断されていたことによるところが大きいといわれる。

World Bank (1993), pp166-67, 邦訳(1994)156~59頁

27. Barro の1965年から90年までの途上国89ヵ国の実証分析においても中間的なレベルの民主制が

最も成長にとって有利であったことを結論ずけている。なお、彼の結論は上記のアプローチと

は異なる方法で導かれている。Barro (1994), p.7

28. 第4図の非市場経済圏、すなわち社会主義経済圏には六カ国が対象となっている。ただし、80

年代の数値には北朝鮮が除外されている。平均成長率が高くなっているのはそのためであり、

北朝鮮が含まれると、平均成長率はさらに下がり、アジアで最も低い水準になると推察される。

29. Lipset (1992)

30. Sørensen によれば、権威主義体制には権威主義開発体制(Authoritarian Developmentalist Regime

=ADR)、権威主義成長体制(Authoritarian Growth Regime=AGR),権威主義国家エリート

利益中心型体制(Authoritarian State Elite Enrichment Regime=ASEER)の三つのタイプがあ

り、このなかで経済開発を達成したのは権威主義開発体制である。権威主義国家エリート利益

中心型体制はむしろ開発にとってマイナスであるとして、各国の権威主義体制の性格の違いに

よる発展の格差を指摘する。Sørensen (1993)。

権威主義体制下の成長実績はリーダーシップ次第で左右されると言っても過言ではない。また、

たとえ同レベルの民主化成熟度指数の国の間においても発展段階に格差があれば、経済政策の

重点目標も自ずから異なり、成長実績の格差が生ずる。

31. Leftwich (1993), p.612

32. Weber, Max (1906), p.346 ff. 原文はドイツ語であることから、この部分は Lipset (1959)からの

引用。

33. 民主制にとって必要な条件はプロテスタントの間において最も発展した。Lipset (1959)

34. Lipset (1959), p.86

35. Barro (1994)

36. 民主化の決定要因として,Liu は経済発展、教育達成度、国際要因を挙げている(Liu, 1993)が、

Gasiorowski は民主制の前提条件としての一国の構造的特徴は、一定の経済発展段階、政治シ

ステム、政治的-社会的文化の局面、国際要因、であると述べている。Gasiorowski (1990)。

37. 民主化の要件については、基本的に論者によって大きな差違は見られないといえる。代表的な

Huntington,Lipset の主張をみると、Huntington は経済発展、工業化、中産階級の出現、労働

者階級の発達と組織化、所得格差の縮小が19世紀の北欧で民主化運動に果たした役割を認めて

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検証:アジアの政治体制の変化と経済成長140

いるが、Lipset は所得の増加、工業化、都市化、教育の普及、の四つの基準によって民主化

の程度を検証した。Huntington (1991) p.39, Lipset (1960)。これらの民主化条件に加えて Liu

(1993)や Gasiorowski (1990)は国際要因を挙げている。

38. Crouch=Morley (1993)

39. 経済発展の方向や経済効率を左右する要因としての経済体制が市場経済の場合は1、それ以外

は0とする。政治的自由度についてはガステイルの政治的権利の指標が欠如している60年代に

ついては Bollen の民主化指標で代用し、この成熟度指数が75以上の場合は1、それ以下は0

とし、70年代、80年代についてはガステイルの政治的権利の指標が2以下の場合(つまり最も

政治的自由に恵まれている)は1、それ以外は0とする。市民的権利については60年代におい

ては Bollen の民主成熟指数が75以上の場合は1、それ以外は0とし、70年代、80年代につい

てはガステイルの市民的権利/自由の指標が2以下(最も自由がある)の場合は1、それ以外

は0とする。

40. 体制に開発志向性が認められる場合を1、認められない場合は0とする。

41. 60年代から80年代までの各期における相関係数(制度的要因を含む説明変数間の)は下記の第

8表~第10表に示される。

第8表 1960年代の成長要因の相関係数

民主化水準中等教育在 籍 率

一人当り所  得

経済開放度 開発志向性政 治 的自 由 度

市民的権利 市場経済 識 字 率

列1 列2 列3 列4 列5 列6 列7 列8 列9

列1 1

列2 0.2027088 1

列3 0.2805625 0.83236 1

列4 0.3141657 0.6405761 0.8442423 1

列5 -0.3192576 0.6457316 0.6252017 0.45514 1

列6 0.5654322 -0.014436 0.245057 0.13103 -0.041345 1

列7 0.7868116 0.3903495 0.618333 0.56394 0.0348155 0.712525303 1

列8 0.0180331 0.4236665 0.4223465 0.29532 0.522233 -0.02159168 0.163636364 1

列9 0.0110079 0.6453307 0.566813 0.33735 0.559954 0.043724783 0.2772117450.287557737 1

第9表 1970年代の成長要因の相関係数

民主化水準 中等教育在 籍 率

一人当り所  得

経済開放度 開発志向性 政 治 的自 由 度

市民的権利 市場経済 識 字 率

列1 列2 列3 列4 列5 列6 列7 列8 列9

列1 1

列2 0.3055894 1

列3 0.2718667 0.7541613 1

列4 0.2343593 0.590196 0.8358093 1

列5 0.1982254 0.5099558 0.8332207 0.645987 1

列6 0.6943065 0.0078109 -0.1859676 -0.0777789 -0.29277 1

列7 0.7980578 0.0666559 0.0270728 0.0651152 -0.0413449 0.7867958 1

列8 0.7416681 0.4721404 0.5160381 0.3734818 0.4472136 0.2182179 0.2773501 1

列9 -0.0617298 0.6498049 0.5917361 0.3798733 0.5124086 -0.0716166 -0.0814417 -0.0230308 1

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経営研究所論集 第23号(2000年2月) 141

第10表 1980年代の成長要因の相関係数

民主化水準中等教育在 籍 率

一人当り所  得

経済開放度 開発志向性政 治 的自 由 度

市民的権利 市場経済 識 字 率

列1 列2 列3 列4 列5 列6 列7 列8 列9

列1 1

列2 0.3863272 1

列3 0.3891073 0.8092202 1

列4 0.1141834 0.5538057 0.8178199 1

列5 0.1144196 0.5048924 0.7552052 0.5889979 1

列6 0.8318078 0.1342799 0.0011158 -0.2150298 -0.2142857 1

列7 0.7434742 0.3097676 0.3787981 -0.0619692 0.1324102 0.6326266 1

列8 0.6497269 0.3051041 0.41076 0.2525341 0.3872983 0.3872983 0.3418817 1

列9 0.1235784 0.746208 0.6518599 0.4343333 0.5467644 -0.0084566 0.2237341 0.1317624 1

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