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THINK FOR JAPAN A Question Campaign for Japan 1 東京大学学生支援事業・第4回学生企画コンテスト 学生による「タフな学生養成企画」 優秀賞受賞企画

Think for Japanフリーペーパー

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2011年11月東京大学駒場祭にて配布。 ・工学部中井教授インタビュー「まちってなんだろう?」 ・経済学部松井教授インタビュー「復興を後押しする制度設計とは?」 ・岩手県大槌日記 ・過去のQuestion Ad など

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THINK FOR JAPANA Question Campaign for Japan

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東京大学学生支援事業・第4回学生企画コンテスト学生による「タフな学生養成企画」 優秀賞受賞企画

THINK FOR JAPAN 第 62回駒場祭出展企画 震災を問う ~3.11 後のまち~2011年 11月 25日(金)~27日(日)9:00~18:00(最終日は~17:00)東京大学駒場キャンパスコミュニケーションプラザ多目的室1

「まち」って なんだろう?「まち」って なんだろう?

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THINK FOR JAPAN 第 62回駒場祭出展企画 震災を問う ~3.11 後のまち~2011年 11月 25日(金)~27日(日)9:00~18:00(最終日は~17:00)東京大学駒場キャンパスコミュニケーションプラザ多目的室1

「まち」って なんだろう?「まち」って なんだろう?

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       やってきた方法論で共有価値を見いだす    のはまだ試行錯誤、模索の段階かな。 ここまでは理念的な話で、じゃあそれを具体的にしていこうってときに、じゃあ学校をどこにおきましょうとなる。当たり前だけども、そのグランドは、今回規模の津波が来ても持っていかれないところに作らないといけない。かつ、これからできて行くであろうそれぞれの住宅地、高台移転するにしても、あるいはもとの場所に作るにしても、人々が住んでるところからあんまりかけ離れちゃまずいわけでしょ。しかもまちが昔から歴史的に持ってきた、維持してきたまちの中心市街地ともあんまり離れたくない。 小さなまちだから、あんまり分散させたくないわけです。限界集落の種をまきちらさないために。できるだけ集落をコンパクトに集約していきたいと考えると、学校をどこに持っていけるかっていう…これはプランニングの話だけど、かなり限定されてくる。そうやって、どんどんフィジカルプランニングに落ちて行く。スムーズな復興計画につながっていくんじゃないかな。

Question 2. この震災は今後どのような教訓となるか?

 こういう非常に深刻な被害が起きるときというのはだいたい、自然の力が、その社会が抱えている矛盾点を的確に突いてくるっていうイメージがありますね。 例えば、関東大震災、あのときはどうだったかなと考えてみると、復興計画の中核にいた太田圓三さんは、内務省の土木部長だったんだけど、これだけたくさんの人が死んで、これだけ被害が大きくなったのは、自然の力だけじゃない、人間社会が招いた部分が大きい、とはっきり言っている。 関東大震災が起こったときの東京は、基本的な都市形態・社会基盤・インフラは江戸時代のまま、どんどん西洋から近代的な文物が入ってきて、生活のスタイルだけはどんどん近代化していく。でもその生活を根本から支えるインフラストラクチャーは、相変わらず江戸時代に毛が生えたようなもの。こういう矛盾点を一気につかれた、というのが太田圓三さんの説。  つまり、江戸っていうのは、あくまでも封建体制における一大名の城下町であったわけで、特に日本は農業国。それに対して、その基盤そのままに、帝国主義・資本主義時代における中央集権国家の首都っていう機能を盛り

Question 1.誰のための「まちづくり」なのか?

 今まで実際のまちづくりの仕事に関わってきて、住民とワークショップをしたりて、議論したりして、デザインの案とか、公共空間の案とかに関して、いろんな人がいますよね。 僕がいつも思っているのは、そこに参加している人、あるいは住んでいる人の「こんなのが欲しいわ」っていうののね、目先の希望を等しくかなえようとするのは絶対にしないようにしています。それは出口がないし、必ずしもそれが皆にとって等しい幸せが帰っていくわけではないので。 でも例えば、子どもたちのため。特に、親が子どもを想う気持ちっていうのは、まああなた方も親になれば分かると思うけど(笑)、普遍ですよね。全世界古今東西普遍な、人間の共有できる気持ちだと思う。それは今もう全世界まで広げたけど、それをぐぐっと縮めてきて、例えば、日本でとか、この土地の中でのこのまちとかエリアとか、その一つ一つの中で少しでも皆が共有できる価値というものを、住民と議論しながら住民の間から、そうやって引き出していく。それを実際の空間のデザインに落とし込んで提示する。当然それは最初かみ合わないから、また意見をもらって、直していく。 住民がいろいろいる、その人たちの希望が平等に満たされるように作り上げていくのではなくて、それはちょっと置いとこうと。まずは皆が共有できるものが何かって考えませんか、ということだと思う。 ただ、僕は同じやり方で今回の復興にしてもやるべきだと思っているんだけど、いつも日常的にやってきた公共空間のデザインのまちづくりと、今回が決定的に違うのは、まちが全部なくなっているからね。 これから少子高齢化・人口減少がすすむエリアだから、かなり広いエリアに、割と密度薄く、バラバラに高齢者が住むっていう非常に危険極まりない状況のまちが 20年後にできかねない。それを防ぐために、僕がこれまで

Q:誰のための

  「まちづくり」なのか?

Q:この震災は今後

  どのような教訓となるか?

中井 祐 教授東京大学大学院工学系研究科

Interview:

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ある意味ここまで便利になっているわけだけど、そろそろそれは終わりなんじゃないの?っていう風に、言われてる感じはしますね。 それは日本が少子高齢化、人口減少で限界に入ったからっていうのが大きい。日本だけじゃなく、世界的に先進国はそうなるんでしょう。 都市計画の手法で、土地を例えば自然に戻すとか、そういう方向に向けられる哲学・手法が全くないってことに気がついたんですよ。全ては拡張していくための制度であり方法論であり、そういう風にできているんだね。これはなかなかしんどいなって。 関東大震災のときは、あれは地震がくる前から後藤新平っていう人が東京市長で、もともと都市の再生計画みたいなものを練っていたんですよ。それがベースにあったので、復興計画が非常にスムーズに行った。 だけど今回は誰もそんなことを全くやってないんですよ。三陸のまちがもしつぶれたらどういうふうに救おう、なんて何もないところに震災が来ちゃったんで、まあ右往左往しているという状況じゃないかな。 もしその少子高齢化、20 年後の 9000 人という人口縮小に向けて、例えばそういう具体計画の検討を 3 年前から本気で着手していれば全然違ったと思う。そういう準備が欠けたまま、やられたってのが一番の教訓かな。

中井 祐(なかい ゆう)工学系研究科社会基盤学専攻教授。景観研究室所属。専門は景観デザイン、公共空間の設計、近代土木デザイン思想史。震災後、岩手県大槌町の復興支援プロジェクトに携わる。 (聞き手:教育学部 3年 高木由貴)

込もうとしたわけですよね。その矛盾がいろんなところで出たのだろうと思う。 人はわーっとこうきれいに着飾って、オペラとか見に行って、帰ってくるとなんかボロボロの石で押さえてるようなバラックに住んどると、おかしいんじゃないのっていうのが太田圓三さんの書いていることで、その矛盾が、東京の下町がほとんど丸焼けになるっていう状況を生んだんだと思いますね。 今回の特に津波に関しては、そこをまた突かれたという感じはある。つまり、大槌の場合でいうと、昭和 50年代の高度経済成長のときに(人口が)2 万になった、でもいま実体は、外見は2万のまま、まちの広さもあるいは道のめぐり方もどんどん海に向かって埋め立てている。そこにじゃあ実体はあるかっていうと、中心市街地の、もう完全にシャッター街となっているところに、若い人はほとんど住んでいない。ほとんど空虚になったっていうところにどーんと津波が来て、その分だけ、被害が大きくなっているという風に読めなくもないと思う。 常に災害みたいなものは、その社会がもっている矛盾とか、文明がもっているアンバランスさを、突いてくるという意識は必要ではないかと思います。 また大槌の話になるけど、要するに津波の通り道を埋め立ててるんですよ。昔そんなところは土地利用されてなかったわけ。で、そこにどんどん埋めたしていって、そこに働いている波力たるや、一見してすさまじいことが分かる。コンクリートの建物はボロボロ倒れているし、横転しているし、あるいは形をとどめないようにぐちゃぐちゃにつぶれているし、鉄道の高架橋はポキポキ根元から折れているし、あるいは鉄道のケタなんていうのは何百メートルも流されている。あるいは、新地とか、なんとかっていう、「新」っていう名前がつく地名は、三陸に限らずだいたいいろんなところでも注意して見たけど、だいたい壊滅ですよね。 おそらく、とにかく近代っていうのはあらゆるものをどんどん拡張するっていうのかな、拡張して生産性を高めて—言ってみれば経済的刺激を与え続けることによって、また膨張の力を促して、また膨張してっていう、こういう力学だったんですね、近代は。それで、世界は

Q:誰のための

  「まちづくり」なのか?

Q:この震災は今後

  どのような教訓となるか?

中井 祐 教授東京大学大学院工学系研究科

Interview:

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主義なので、現場がもっと力を発揮できるような制度にするべきだと思います。政府がやるべきなのは、現場がスムーズに動きやすいようにそれをサポートすること。面白かったのが、相馬市長なんですが、普段なら(こう言ってはなんですが)とてもアクの強いひとで、でもこういう非常時にはリーダーシップを発揮して非常にいい仕事をされていると思う。結果、やっぱり市町村の間で対応に差が出てきている。ただ、それをどの市町村も同じように、としていると、全体が地盤沈下してしまう。個人的には、その公平性を担保しようとするあまり、過疎地域などの地盤沈下などが進んでしまったと思っています。もっと現場に任せて、失敗するところは仕方ないけど、成功したところには支援をしていく、といったシステムに切り替えていかないと、結局だんだんみんな落ちていくということになりかねない。それを防ぐにはやはり現場中心主義が大事になる。

―それではあえて制度などは設計しない方がよいと? もちろん基本的なインフラは大事ですよ。ただ、それを押し付けないで現場が必要としているのは何か、そういう声を聞きながら、それぞれにあったサポートをするようなグランドデザインが必要だと思います。これは割と色んなところで感じていて、報道されていた例では、体育館にみんな避難していて、物資が届けられました、避難者が 100 人いて物資は 90 個でした、それじゃあ配れませんね、と隅に山積みにすると。これはやっぱりおかしい。本当はそれを配るメカニズムを考えるべきで、経済学的な発想で言えばバウチャー(引換券)を発行して、それぞれの物資に点をつけて自分のほしい物をその中で取っていく、といった仕組みがありうる。 義援金もそうで、いつまで経ってもなかなか配られていない。だから私は、赤十字はやめてツイッターで相馬高校への寄付募ったんです。もちろん赤十字は公平性を考えるべきなのでいいんですが、私がやるのであれば公平性より迅速性を重視しようと。自分が個人的にお付き合いのあったところへ重点的に支援していくという動きがもっとあってよかった。なんで相馬高校だけ?という   声はあるかもしれませんが、本当は色んな高校が      色んな大学、企業とつながる中で支援して         いたら効率性は高いはずだと思いま            す。

―「若者が戻ってきたくなる東北を作る」ためにはどうすればいいと思いますか? 過疎の話とも重なると思いますが、基本は自分を活かせる仕事ができるかどうか、ということ。東京になんで人が集まるかといったら、やはり自分を活かせる仕事があるからでしょう。それがあって初めて次の話に行ける。産業を興すにあたって、今回私は、教育をどうしていくかを重要視しています。 東北の高校に行って大学はどこに行くにせよ、地元にあれば戻りたいはず。だけど、震災に限らず過疎を抱えるまちに共通なのは、自分たちが力を発揮できる場がないこと。箱モノをつくるのは必要ではあるけれど、それだけでは人は戻ってこない。 浜通りでいま深刻な問題はやはり原発。今の段階では福島から抜け出そうとする人がいるのも事実で、重要なインフラである医者もどんどん出て行っている。ゲーム論とつなげると、制度的な意味で補完性という言葉があって、人が住むためには医者が必要だし、住むところ、患者も必要、いっせーのせで全て揃わないとそこには住めない。その 1 つの要素が産業を支える人材。それを考えると、教育を通じて支援をしていくことが大事になってくる。 じゃあ教育をどうすればいいか、って話ですが、例えば進学実績が上がって、進学校になれば、優秀な人が地元に戻ってきてそこで仕事をしよう、という人がでてくる、という好循環を作る必要がある。あと、インターネットの時代になって遠隔地で仕事が可能なので、去年から東大で始めた在宅就労制度を、被災地に広げれば何かできるかもという気はしています。

     ―福島に残りたいが、原発の影響で出ていか         ざるを得ないという流れを食い止め             るための制度作りについて                どうお考えですか。                    私はわりと                       自由

松井 彰彦 教授東京大学大学院経済学研究科

Interview:

  Q:若者が 戻ってきたくなる

東北を作るには?

Q:復興を後押しする制度を

  どう設計するか?6

ちぐるみ、教育であれば学校同士でのつながりというものを幾重にもつくっていくこと必要だと思う。基本は市場のつながりかもしれませんが、他にも自治体とか個人のつながりも重要でしょう。学校と学校のつながりと言っても、実際には個人のつながりですよね。そういうのを普段から作るのを心がけていく。私は今後、地方の高校の重要な役割の一つは、若者が戻ってくる魅力的な町にするためには、世界にも出ていくけれども、世界からも入ってくるという双方向のつながりを見出すことだと思います。

―ちなみに、現場が主導するという意思が相馬市からは出ていると思いますが、まだ全国では十分育っていないと? それはこれから育てていかないといけない。だから教育が重要。経済学の重要な 1 つのメッセージは「自分で選択できる人間」を考えるということで、逆にこういう人間を育てていくには教育の持つ意味は非常に大きい。まちづくりもそうだし、自分のキャリアを考えるにしても自分の頭で考えること。それを怠って、お上に頼ってしまう、お上もそれを統制しやすいからよしとしてきたならば、それは変えていかないといけない。

松井 彰彦(まつい あきひこ)経済学研究科教授。専門はゲーム理論。現在「障害と経済」プロジェクトのリーダーを務め、障害者の就労といった問題と経済学をつなげる研究に熱意を注いでいる。文中に登場する相馬高校とは以前からの個人的な縁もあって、高校生を東大に招いたり、逆に訪問したりと交流を続けている。

(聞き手:経済学部3年 佐藤友里)

―事前に私たちで、どのくらい被災地の復興に税金を投じるべきか、という議論をしたのですが。 これは難しいですね。ただ 1 つ言えるのは、バラマキはやめた方がいい。ここでこういうものが必要だ、と現場から声が上がってきたとき、サポートする姿勢は必要だと思う。要らぬものをまわすのではなくて、要ると手を挙げたところにまわす、というシステムが重要。そうすれば、どうやってどこに配分すればいいかということが見えてくる。ただ総額としていくらか、という話は完全に政治の判断にならざるを得ない。

―現場からの声を通すかどうかの判断はどう行うのでしょうか。 そこは透明性が大事になる。自治体ベースでは、議論のプロセスも含めて公開にして、それを市民がチェックすることが必要。あまりいい提案が出てこなかった市区町村では、市民が行政の責任を問い、場合によっては、じゃあいい市長を選ぼうとなって…という動きになって、市民たちも真剣に自分たちのまちをどうしようと知恵を出し合う。そうなると、いわゆる民主主義が根付いてくる可能性がある。だから今回、そういうメカニズムをうまく機能させることができれば、逆にいい制度にもっていけるチャンスはあるかもしれない。 

―活動する中でコネクションの大事さを痛感していますが、東大生でも大学から出るとつながりを維持するのが難しい。普段からちゃんとした体系立てて作っているといいと感じます。 そう。そこで大事なのが、そのコネクションづくりを政府が計画するのではなく、それぞれの現場の努力ですること。これは私の持論ですけど、市場っていうのはある意味、つながりを作っている。だれが買うか、作ったのかわからないものを取引する、っていう見知らぬ者同士をつなげる場が市場。今回震災では、この市場の機能がストップしてしまった。市場がなければ私たちは食事もできないわけで、それが途切れてしまったときに、他のつながりを確保しておかないと中々立ち行かなくなる。例えば、自分はいわきで働いているんだけど、妻子は川崎の方の親戚のもとへ送った、といった個別の動きはできるけど、一方で、つながりのない、ある意味「弱い」人は残されてしまう。だからそれを防ぐためにもま

松井 彰彦 教授東京大学大学院経済学研究科

Interview:

  Q:若者が 戻ってきたくなる

東北を作るには?

Q:復興を後押しする制度を

  どう設計するか? 7

被災地からの声 2011.10.22. 岩手県釜石市

生活の状況 「年金を満額受け取れているひとは半分くらいで、残りは昔払っていなかったりで現在の手取りは月三万だったりする。そうすると、生活はかなりぎりぎりで、夏とかエアコンをつけると月1万かかってしまうので、使えなかった。だからこうして炊き出しとかを今もしてる。」

今後のまちづくりについて

 「地区ごとに復興案を考えてるけど、みんな違うことを言うからなかなかまとまらない。宮城県知事が漁師をサラリーマンにしようと提案しても、古くからの漁師は断固反対する。なんも知らないくせにと言われる。」

 「仕事は選ばなければあるじゃん、と前は思っていたけど、いざ自分がその立場に立ってみるとやっぱり選びたいってなる。がれきの撤去の仕事とかあるけど、それをやりたいとは思えない。自分は自動車に関わりたいとかあるし。漁業だって前からたいして儲かってないから、やりたいとは思わない。」

 「釜石がやっていくには加工産業がいいと思う。東京にはないけど、釜石では当たり前のものを加工して首都圏で売る。漁業では無理がある。」

 「流通をおさえることが大事。それがわかっていればどこで高くお金をとっているのかもわかるし、そうすれば隙間が見つかる。そこで商売のチャンスがみつかる。」

 「仮設も早く作ったものは高齢者や子どもを優先的にいれたので、地区がばらばらになってしまっている。」

 「若者は町にいるけど、親が出席していると出にくいなどの理由で話し合いの場にあまり出てこない。」

—若者が戻ってきたくなるような東北をつくるには?

 「大学生が学生向けにワークショップやるのがいい。大人だと箱をつくって押し付ける感じになってしまう。小さな話から将来どうしよう、といった大きな話まで相

 2011 年 10 月 21 日(金)〜 23 日(日)に、私たちThink for Japan のメンバーが被災地(岩手県北上市・釜石市・遠野市・大槌町)を訪れました。 ここでは、岩手県釜石市の仮設住宅地域のコミュニティセンターで行われた行事で、実際に被災者の方から伺った話を掲載しています。 

震災後の状況

 「『おたく、どうだった?』と地元の人は決して聞かない。必ず誰かを失っているので、そんな重いことを聞こうとはしない。それを聞く人はこの辺りの人ではないと分かる。私たちはとりあえず、会った本人は生きていることが確認できるのでそれでいい。」

 「携帯には亡くなった人の連絡先が何十と入っている。でも震災後、それを削除しようという気にはなれず、そのままになっている。電話して繋がらなければ死んでいるということなので、電話もしない。最近では安否については話題にのぼらないし、まだ生きているのか確認していない知り合いもいる。」

 「ニュースも人の名前を読み上げるばっかりだし、誤報もあったし。ニュースは結構適当だった。橋が壊れたと放送されて釜石に帰れないと思ったけど、あとから橋は壊れてないと直接橋を通ったひとに聞いた。テレビは2週間見れなかったから、早く津波の映像が見たかったくらい。」

釜石のお祭り

 「先週やったけど、それまでにかなり紆余曲折があった。やるべきだという人、やるべきでなきという人、様々だった。釜石のお祭りは神事という側面が強くて、だからたくさん犠牲者が出たときにやるべきなのか、という迷いも強かった。あと、祭りの中心になるひとも多く亡くなったし、運営する若いひとにも家族をなくした人も多いから大変だった。でも最終的にはみんなやったよかったと言っていたから、やってよかったと思ってる。」

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—子供が生き生きと学べる環境を作るには?

 「中高生は勉強する環境がないのが問題。仮設だと5人1部屋で勉強スペースがないし、塾も流されてしまっている。ぜひ東大生に家庭教師として来てもらって、10 日間冬休みとかでもいいから来て欲しい。そういう活動をしてくれるのはありがたいが、ぜひその活動の情報を統括してくれると助かる。どの団体が何をしているのか釜石でも把握出来てないくらいなので。」

 「中高生も、大学になると東京とかに行ってしまうのが問題だった。釜石には大学ないので。ただ、震災後は親の収入などの問題で進学すらできなくなる子がたくさんいることを同年代の学生に知ってほしい。」

—記憶を風化させないためには?

 「震災以前は防災訓練があっても 10% ちょっとくらいしか参加していなかった。まさか自分たちがそんな目にあうとは思っていたし、まあ早朝だったし。」

 「自分が大学生のときに阪神淡路大震災があったけど、支援に自分が行こうなんて思わなかったし、いまボランティアにいってる学生はすごいと思うくらい。だからいま自分が被災者支援をしていることに驚いている。まぁこの仕事をずっとするつもりはないから、先のことはわからないけどね。」

協力:NPO法人@リアスNPOサポートセンター(商店街活動の一環として 「まちづくり」 に関わる活動に取り組んでいた。震災を機に釜石と大槌を拠点に復興支援を行っている。地元の若者を職員として雇用し、被災地の主体的な地域再建を目指す。)

談にのってあげる。子どもが一人目の親御さんはすごく将来に不安を覚えている。」

—復興を後押しする制度をどう設計するか?

 「町や市、県、国が同じような調査をしに来るから、何回も同じような質問に答えている。必ず名前を名乗るとこから、とかね。」

 「仮設を実際に運営するのは市、建物を作ったのは県、予算を出すのは国となっている。何か必要と市民が訴えると、市は県にお伺いをたてます、となって、県はそれは市がちゃんと把握することでしょうとなる。そういう仕組みを知らないととても困ってしまう。」

—被災者の心のケアをどうするか?

 「建物とかはだいぶ綺麗になって表面的な復興は進んでいるけど、精神的な復興はまだまだ。半宗教的な精神的なケアなどが行われている。特に内陸部に住む人々は自分の思いを声に出せる機会がとりわけ少なく、そこは大きな穴。」

 「ここでみんな笑顔で働いているけど、みんなある意味、異常。みんな裏の部分を隠しもっていて、普段はそれを表に出さないようにしている。本当に偉いと思う。うちの奥さんも親を亡くして、いきなりテレビ見ながら泣き出したりもする。でもそれでもこうやって元気にやっている、ということを知ってほしい。」

 「先生や保育士さん、看護師も責任を感じていまも精神的に苦しい状態にある。地元のひとは停電して患者さんがなくったのは仕方ないことだと思っているけど、マスコミとか外の人が病院の不手際を責めるから苦しんでいる。そこで、宮城では泣ける場所を作ったので、釜石でもやろうとしたら恥ずかしいから家で泣きますと言われてしまった。先生は、マニュアルにしたがって迎えにきた親御さんに生徒を引き渡したが、そこで帰った生徒がことごとく津波に流されていて、なんでそこで自分は引き留めなかったんだと責めている。」

 「沿岸部から盛岡とか内陸部に移ったひとが実は孤立している、というのは盲点になっている。知り合いもいないし、抱えている感情を震災後、人に全然話せていない。こういう人達の話を聞くことは必要。」

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復興の平等性とは?

被災地の産業を復興するには?

将来の震災にどう備えるのか?

被災者の心のケアは十分か? 風評被害にあった食品への安心感を取り戻すには?

復興に向けた持続的な助け合いの方法とは?

WHAT IS YOURQUESTION?

あなたの疑問をお寄せください。http://www.thinkforjapan.org

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復興の平等性とは?

震災の記憶を風化させないためには?

日本人の持つ強さは「我慢強さ」と表現していいのか?

原発に関わる人たちの安全を確保するためには?

若者が戻って来たくなる東北をつくるには?

安全のためには強制的な移住もやむを得ないのか?

復興を後押しするための制度設計とは?

被災地の子供たちが生き生き学べる環境をつくるには?

Think for Japan フリーペーパー平成 23 年 11 月 25 日発行

発行:竹本 福子編集:佐藤 寛也 佐藤 友里 高木 由貴 乳井 昌道    宮下 妙香 上甲 和輝 小島 梨恵子

協力:東京大学学生支援課 学生生活チーム   写真家 小原 一真 氏

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団体概要 私たち Think for Japan は、長期的な視野で日本の復興ビジョン、「未来」について「考える」ことを忘れてはいけない、という思いから、東京大学の学生が中心となって立ち上げた学生団体です。 私たちは Question Campaign という手法を使って、課題の明確化に取り組んでいます。これは、震災や復興について抱いている問題意識を「Question」「問い」という形で集めるものです。集まった「Question」に対する意見や解決に向けたアイデアを寄せてもらったり、それについて議論する場を設けることで、より多くの人に問題意識を共有してもらい、具体的な課題解決策を模索していきます。 ウェブ上での議論や学生ディスカッションなどに加え、夏からは東京大学の先生方に教授インタビューを定期的に行っています。

活動記録  4/9: 発足  4/22: 東大生 100人のQuestion Campaign @東京大学駒場キャンパス  5/28・29: 五月祭イベント「サイコロトーク」  6/25~7/3: 写真展「いま、私たちが問うこと」  7/7: 東京大学学生支援事業 第 4回学生企画コンテスト 優秀賞受賞  8/19~: 教授インタビュー(継続中)  8/22: ディスカッションイベント「3.11 から 5ヶ月・いま、わたしたちができること」  10/21~23: 被災地キャラバン(岩手県北上市・釡石市・遠野市・大槌町)  11/25~27: 駒場祭イベント「震災を問う ~3.11 後のまち~」

THINK FOR JAPANA Question Campaign for Japan

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