23
Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Author(s) 山脇, 雅夫 Citation 近世哲学研究 = Studies in modern philosophy (1995), 1: 69- 89 Issue Date 1995-03-25 URL https://doi.org/10.14989/189776 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

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Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために

Author(s) 山脇, 雅夫

Citation 近世哲学研究 = Studies in modern philosophy (1995), 1: 69-89

Issue Date 1995-03-25

URL https://doi.org/10.14989/189776

Right

Type Departmental Bulletin Paper

Textversion publisher

Kyoto University

Page 2: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

へー

の矛

の理

のた

へーゲ

ルの論理思想

をそ

の根本

にお

いて特徴

づけ

るも

矛盾

の概

念であ

ろう。彼

は、矛盾を

ての運

の原理と

て捉え、

矛盾をう

に含む

かぎり

にお

いても

のは動

き、

活動

ると

言う。

へーゲ

ル哲

の面

目は事柄

を固定

的な状

にお

いて

でなく動

的連

関にお

いて捉え

る点

にあ

るから、

矛盾

の概念

が方法

論的

に格

に重

要であ

ることは明

らか

る。

しかしな

がら、

へーゲ

ルが言う

矛盾

とは

いかなるも

のかと

いう点

ついて定ま

った見

解があ

るわけ

ではな

い。

一例

挙げ

なら

『へー

ルの体系

の大

著を

って

へーゲ

ル哲学

の体系構

に関

る問

題を提起

たV

・へー

スレは矛盾

の概念を

分類し、

へーゲルは存在

論的

な意

の矛盾

律を否

定し

いるが、

アリスト

テレス以来

の伝

統的

(1

)

盾律

は否

いな

い、

と主張

いる。

他方

K

・デ

ユージ

ング

へ!ゲ

ルが伝統

的矛盾律

を否定

しようと

ハ2

)

いたと

主張し

いる。ま

H

・シ

ュミ

ッツはデ

ユージ

ング

の見解

をテ

キスト上明

らか

であるとし

て支持

ているが、

同時

に、

へーゲ

ル自身

が自分

で言

って

いる

こと

と、彼

の論

理学

のなか

で実

に起

って

いる

こと

のあ

いだ

に区

別を

(3)

設け

る必要を指

摘し

いる。

のよう

に、

矛盾

の実在

を主

張す

る際に

へーゲ

ルが伝

統的

矛盾律

に反す

ることを意

味し

ているのかどう

かに

ついても見解

は分か

れて

いる。

69/仮 象 と反省

Page 3: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

の問題

を詳細

に論

じるに

は、

へーゲ

のテキ

スト

に登

場す

る様

々な矛盾

概念を

一検討

し、そ

の意味す

ると

を確定

して

いかねばな

らな

いだ

ろう

。な

により

まず、

へー

ル自身

が矛盾

概念を主

題的

に取り扱

って

いる

テキ

スト

『論理

の学

「本質

論」

のなか

の矛盾

のカ

テゴ

リー

分析

が求め

られ

るであ

ろう。

だが、

わたし

には、

そう

した

本格

的な考察

に先立

ってな

される

べき

こと

があ

るよう

に思

われる。す

なわち、

本質論

の矛盾

のカ

テゴ

リー

『論理

学」

の体系

構成

のなか

でしめ

る意味

を確定

し、

矛盾

のカテ

ゴリ

ーの位

置価を

明ら

かにし

ておく

べき

である

と考

るの

である。

矛盾

テゴ

ーは

「本質

論」

「同

性」

「区別」

「矛盾」と

った

反省

規定

一つとし

論じ

られ

ているが、

そもそも

反省

規定と

は何を

意味す

ろう

か。

反省

規定

はしばし

『論

の学』全

の方

法原

(4

理を扱

うも

のだ

される。

しかしわ

たしは、

反省規

定は実

の構造を

記述す

るも

のであ

り、本質

の行

なう実

の構

造分析

のなか

で特

の位置

を占め

るも

のであ

ると考

る。

いう

のは

へーゲ

ルは

反省規

「規

定さ

た仮

」(二五

一頁

)と呼

んでおり

、仮象と

いう

テゴ

リーは本

の実

在分析

のな

かでは

っき

り限定

され

た位置を

占め

いるから

であ

る。

このこと

から、

反省

規定と

はな

にかを問

にす

るため

には、仮

象と

はな

にかと

いう

ことがま

ずも

て問

われなけ

ればな

らな

いことが

わか

る。

また、

「規定

た仮

象」と

いう概念

規定

のう

「規定

され

た」と

いう

要素

は、反省

規定

のカ

テゴリー

に直接先行す

「規

定的

省」

から生

てき

たも

のである

から、

反省

規定と

はな

にか

を確

定す

るため

には、仮象

ととも

に規定的

反省も

また解

されねば

ならな

い。

これ

らを考察

ること

は、

結局、

反省

定と

いう

テゴリ

ーの生成過程

を跡付

ること

に外

なら

い。

以下本

稿

では、仮象、

反省

の順

に、

の意味

ると

を明ら

かにし

いこうと

思う

。あら

かじめ本

稿

の主張

の要

点を述

べておく

なら、仮

の分

にお

いて、

の段

での

本質

と存在

とが自

立化

ていな

いことが示

され

(一)。反

の分析を通

て、

反省

の運動

の自

己同等性

から導

出さ

る独

な存

概念

の持

つ具

的意

が考察

(ニー

一)。次

に、存

在と本質

に即し

た規定

の問

の関係

が考察

仮象と反省/70

Page 4: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

れる。

そし

て、

ここで

の実在

が直接

的なも

のと媒介

的なも

のと

た構

って

こと

が示

(ニー

二)。最後

に、本

質に即

した規

定がど

のよう

に客観

的妥当性

を得

るかが考察

れる

(ニー

)。

これら

の考察

を通

て、

反省規

定が

どのよう

な実在

の在り方

を表現す

るも

のかを明

らかとす

ることが、本稿

の私

の目標

であ

る。

一ー

一、仮

の存在

性格

存在

の真

理態

は本

であ

る、と

へーゲ

ルは言う。

の場

合、存

在と

は直

的な

データを表す

テゴ

リー

の総

のこ

であ

り、

本質

はそ

の直接

カテゴリ

ーに媒介さ

れた

カテ

リー

のことであ

る。

『論

の学』

では、

一巻存

在論

直接

的存在

のカ

テゴリ

ーが扱われ

、第

二巻

本質論

で被媒介

的本

のカ

テゴ

リーが扱

われ

る。

『論理

の学』

の叙

述が

一巻

から第

二巻

へと進

んで

いく

ことは、存

在と

はな

にかを

追求

る問

いが直

接的

なデ

ータに留ま

リ得

ず、直

接的

デー

タを

越え

た本質

へと進

んで

いかざ

るを得

い、

へーゲル

が考

ていること

を示し

ている。

ここ

でまず

題と

のは、

が媒介

たカ

リー

であ

ると

いう場

の、そ

「媒介

された」と

いう事

の意

であ

る。

一般

に媒介

とは他

者と

の関係を通

じた規

を受

ていると

いう

こと

であ

るが、本質を

特徴づ

る媒

はどう

いう

のな

のだ

ろうか

。こ

の問題

を考え

るうえ

示唆

であ

のが、

へーゲル

の次

の発言

である。

「知

は、

存在

のう

しろに存在

以外

の何か

がま

だ存在

し、

そし

てこ

景が存在

の真理

であると前

提し

て、存在

を越え

いく

(二四

一頁

)。

われわ

れと

ては、

ここで

へーゲ

ルが使

って

いる

「う

ろ臣2①『」と

いう言葉

に注

目し

い。先

にわ

たし

は、媒介と

は他者と

の関係

を通し

て規定を

受け

ることだ

った

が、

本質は存

にと

って

「後

側」

にある他

者な

ので

り、本質

は自分

「前

」にあ

る存

在と

いう他者

の媒

関係

のう

ちにあ

る。

換言す

れば、

本質と存

在は

「横

並び

の関係

にはな

い。

のことをは

っき

り思

い浮

べるため

に、

に映

る影絵

の幕

の後

にあ

る実

の関

係を

考え

てみ

よう

たと

、幕

テーブ

とそ

の上

の林

の影

が映

って

いると

る。

テーブ

ルと林檎

は上

の位

置関係

にあ

り、

いに対

71/仮 象 と反省

Page 5: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

て他者

であ

る。そし

て同時

に、

つと

も同

じ幕

のうえ

に映

る影

であ

。これら

の影が幕

の後

にあ

る実物

に対し

て持

関係は、

に映

るも

の同士

の関係と

はま

ったく

異な

って

る。な

ぜな

ら、

に映

る像

は同じ幕と

いう地

のう

ちにあ

るが、後

にあ

るも

のはこ

の地

平そ

のも

のにと

って他

者であ

から

であ

る。本

を存

「後

にあ

るも

のと

は、本質

が存在

の地

平そ

のも

のを越え

、存在

の地平

のも

のと他

なるも

であ

ると

いう

事態を示

いると考え

る。本質

は存在

いう

地平

のも

のを

越え

ると

いう仕

(5)

媒介さ

れて

いるも

のな

のである。

らに、

先の引用

部分後半

は存在と

本質

の関係

ついて

基本的

ことを

確認

ている。

つまり

、存在

「後

」にあ

ると

る本

ほう

が存

の真

理態

であ

とさ

る。

の主張

は常識

でわ

かり

やす

い。

ただ

、本質

が存

の真

理態

であるなら

ば、存在

それ自体

は非真

であ

ると

こと

を見

逃し

てはならな

い。先

の影

の例

で言え

ば、幕

の後

のも

のを実物と

て捉え

や否や、幕

に映

って

いるも

のはそ

の実

のただ

「影

」に成

り下

がる。本当

に存在

ている

のは実物

の方

だと

いう

こと

にな

る。同様

に、

本質

理であると

は、本

当に存在

いる

のは本質

であ

って、

直接的

な存在

それ自

体は本質

ならざ

るも

であり非存

ることを主張

いる。存在

は本質

へ、

否定さ

つ乗

り越え

られる。

このよう

に、存在

いう地

平を否

定的

に乗り越え

ると

う形

で本質

が獲得さ

れるも

のであ

ることを

確認

でき

る。幕

に映

った像

が、そ

れの背

の実物と

の関係

に立

たされ

ると

き、

ただ

の影

に成り

下が

るよう

に、

本質と

の関係

に即し

存在

は捉え直

され、存

の持

つ存在

論的

テイ

タスは変更

れる。

この本質

へと乗り越え

れてあ

る存

こそが、

われわれ

が問題と

いる

「仮象

」と呼

ばれ

るも

のに外

らな

い。

へーゲ

ルは仮象を

のよう

に定義

る。

「存在

は仮象

であ

る。仮象

の存

は、ただ存

が止揚

され

ている

いう

こと

のう

に、存

が空無な

のである

こと

のう

に存す

る」(二四六頁

)。

さて、以

上にお

いて本質と存

在と

の関係

を論

じ、そ

れに

つづ

いて仮象

の存在

性格を問

題と

した。

一言

で言え

ば、仮

とは本質

へと乗り

越え

られ

てしま

った直

接的存在

のこと

である。し

かし、本

へと

乗り越え

れてしま

った存在

仮象と反省/72

Page 6: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

いう

定義

は、仮

の定義

ては十

はな

い。

「本

論」

では、本質

の関係

にお

いて捉え

なお

された存

の別

の形態

(たとえ

ば、

現象

や現

実存

在)

も論

じられ

いる

であり

、上

に挙

げた定義

だけ

では仮象

のカテゴ

リーがこれ

の形態

に対し

て持

つ種

が判明

でなく、

「本質論

の最

の部

で論

じられ

いると

いう

その位置価

も明確

でな

から

である。結

論を先

取りす

るな

ら、

仮象

は本質と

の直接

一体性

の内

にあ

ると

いう

こと

によ

つて特

徴づけ

られる、

とわ

たしは考え

る。

そし

てこ

のこと

が、仮象

が後続

のカ

リーに対し

て持

つ位

置価を

決定す

ると思

われ

る。そこ

に、仮象と本

一体性を

説く

ヘーゲ

の論述

を再構成

てみよう

一ー

二、

と本質

一体

これま

での議

論を

じて、仮象

は本質

へと乗り

越えら

てしま

った直

接的存

在と

して定義

され

た。そ

のかぎり

で、

仮象

は空無

なも

のであ

る。こ

の空

無さ

は、本質

の関わ

にお

いて存在

が受

けた規

であり

、仮象

を空無

なも

のと

て見

のは

、実

は、

仮象

の本質

に対す

る関

係を見

いるこ

に外

なら

い。仮

の空無

それ自体

が本質

の現れ

であ

ると言

っても

いい。

のこと

を、直

接的

に与え

られた世界

が幻

のよう

なも

のであり、と

りと

のな

いよう

なも

のと感

る場合

に即し

て考え

てみよう。

この世界を

定まり

なく自足

しな

い世界と

感じ

るとき、

り高

の自足

的な世

界が

われわ

れに与え

られ

いるわけ

はな

い。む

ろ、自

足し

た世界

の不在をわ

れわ

れは感

じて

おり、

のこと

でこ

の世

界を

定ま

りなき世

界と感

じる

ので

る。しか

し、ま

た同時

に、ま

さしく

この不在

にお

いて、

そこに無

い、より高

の世

界が

現れ

ているとも言え

る。

キスト

に還

るなら、

仮象

が仮

象と

いう性格

を持

つのは、

こに本質が

不在

であ

るか

らであり

、また、

本質

はそ

の不在

いう

こと

を通

じて自分を

示し

いる。仮

象も本

質も、

いう同

一の否定

的事態

によ

って規定

される

のであ

る。

(存

の)空無

さそれ自体

は本質

自身

の否定

的な本性

る」(二四

七頁

)と

いう

ヘー

ルの主

張は

こう

こと

味し

ている

のだ

とわ

たしは考え

る。

そし

て、

実は、仮

の段階

では存

が本質

へと乗り

越えら

れて

いると

いう

否定

73/仮 象 と反省

Page 7: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

的関係

しか与え

られ

ておらず、

の関

係から自

立し

た本質

や存在

はまだ与

えら

れて

いな

い。仮象

も本質も

、本質

の不

在と

いう

一の事態

の二

つの側面

であ

り、自立

化し

いな

いのであ

る。

上述

のよう

に存在

と本質

が自

立化し

ておらず

、直

接的な

一体性

の内

にあ

ることが仮象

の特徴

であり、

仮象を

後続す

るカ

テゴ

リーと区別

るメルク

マール

であ

る。対照

をは

りさせ

るため、後

続す

「根拠」

カテゴリ

ーを

瞥見

てみよう。

根拠と

は本質

一形態

であり、

の根拠

いう

本質

の関係

で捉え

れた存

在は根

拠付

けられ

たも

のと

う規

定を受

ける

。こ

の根拠

いう

カテゴ

リーを叙

述す

るに

って、

へーゲルは先行す

カテゴ

リー

の運動

をまと

いるが、そ

こで彼

は、根

拠と根

拠付け

られ

たも

のと

の間

の媒介

「実在

的媒介

」であ

るのに対

し、先行す

る運動

「純粋

な媒介」

であ

ったと語

るσ

根拠

が実在的媒

であ

とさ

れる

のは、

根拠と根

拠付け

られたも

のが

いに対

自立化

ていること

による。

それ

に対

して根拠

に先行す

運動

では関係項

が自

立化し

いな

いがゆえ

に、

それ

は純

な関

であ

ると主張

され

ている。

「純

粋な媒介

は関

係づけ

れたも

の無き純

粋な

関係

である」(二九

二頁

)。

これは、

根拠

に先立

つカ

テゴ

リー

では本質と存

在と

がまだ自

立化

ず、根

拠に至

って初

めて本質

と存在

とが自

立性を得

ると

「本

質論」全

の叙述

の構

造を示

すも

のであ

る。仮象

本質論

全体

のなか

で占め

る位

置価

は、し

たが

って、本質と

存在

が直接的

な統

一の内

にあ

こと

であ

ると言

って

いいの

(6V

であ

る。

以上、反省

規定を

「規定

され

た仮

象」

であ

るとす

へー

ゲル

の発言

に注目

し、仮象

の存在性

格と本

質論全

のな

での位置価

の確定

に努め

てきた

。そ

の結果

、仮象

が本質

乗り越え

られ

た存

であると

っても、

はここ

ではこ

の乗り越え

の運動

のみが存

在し、

乗り越え

れる存在も

り越え

る先

であ

る本質も

自立化

ていな

いこと

が明ら

かに

った

「仮

は存在

いう

の内

にあ

る本質

であ

る」(二四

八頁

)と

いう

へーゲル

の主

張も、

この意味

で理解

こと

でき

る。本質

は存在

からまだ

独立

ていな

い。

反省規定

が本質

であ

ると

言わ

れる

にしても、

それは

の仮

象と同

じよう

に存

在と

一体的

なも

のである

ことが予想

され

る。

仮象と反省/74

Page 8: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

に、

「規

された」と

いう

モメ

ント

の内

実を考

察す

ため

「反省」

のカテゴリー

の分析

に移

ること

にし

よう

て論

ている。以下

、そ

の順

に考察

して

いこう

と思

が、

の前

に反省論全般

に関わ

る問

題を考

察し

ておく。

二、反

の展

ニー

一、本質

ら生

み出

存在

の構

造を

分析

した

われわ

れにと

って、反省

のカテゴ

リー

の輪郭

つかむ

こと

は困難

ではな

い。

なぜ

なら、

へー

ルに

よると仮象

と反省

は同じも

のだ

から

であ

る。

「反省

は仮象と

同じも

のであ

る。ただ

し、仮象

は直接

的なも

のと

ての反省

であ

る。自己

に還帰

し、直接

から疎遠

にな

った仮象

を表す

ため

には、われ

われは反省

ヵ巴。×δ口と

いう

来語

を持

っている」(二四九

)。仮

象は

本質

へと乗

り越

られ

てしま

つた存在

であ

る。より正確

には、

の乗

り越

の運動

こそが存在

して

いる。しかし仮象

の場合

では、あ

くま

で存

在し

いると

いう側

に重点

が置

かれ

ている。

に対

し、

の運動

いう面

に重点を

置くと

き、わ

れわ

は反省

いう

テゴ

リーを獲

得す

る。した

って、

反省

仮象と

基本

的に同

じも

のである。

へーゲ

ルはこ

の反省

のカ

テゴリ

ーを措

定的

反省、外

的反省、規

定的

反省

の三段階

ついての考

にお

いて、存

が本質

へと乗り

越え

られ

る運動

のみ

が、こ

の本質

への関係

のみが存

在す

るとわ

たしは

主張

た。しかし

、関係

が存在す

ると

はどう

いう

であ

ろう

か。

の場合

の存在と

いう概

念を

われわ

れはど

のよう

に理解す

れば

いい

のだ

ろう

か。

ここ

では

この問

題を

正面か

ら考察

した

いと思う。

二ー

一-

一、

ら導

る存

ついて

の形

的考察

「反省は

さしあたり

、無

から無

への運動

であ

る。

した

つて自

分自身

一致す

る否定

であ

る。

この自

分自身

一般

に単

純な自

己自身と

の相

等性

であ

り、直接

であ

る」

(二五〇頁

)。

ここ

へー

ゲルは

反省

いう運動

から

75/仮 象 と反 省

Page 9: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

接性

を導

する。

の直接性

は存在

の別名

であり、

こう

て存在

が反

の運動

から導出

れて

いるわけだ

が、

しか

がら、無

から無

への運動

が自分自

身と

一致

る否

であ

ると

いう主

張は、即

には了解

しがた

い。まず、

こで言

われ

ている

「無」

が何を意

味す

のかを考

てみなけ

れば

ならな

い。

の仮象

の場合

に即

して考え

てみよう

。仮象

は本質

にと

って他な

るも

のであり、

また他

るも

のとし

てのみ存在

いる。

の他

なるも

のと

いう規

定を

離れ

て仮象

の存在

いのであ

るから、本質

の関係が仮象

の存在

に先行

いると言え

る。

また本質

のほう

に目を

転じ

ても、

本質

は本

来的

に媒

介さ

れたも

のであり、存

在を

越え

る運動

して

み存在

ている。し

たが

って、

ここで

の運動

では、徹

頭徹

尾まず

運動な

いし関

係が関係

項に対

て先行

しており

の関係

に先立

つな

んらか

の存在

は前

提さ

れな

い。

関係項

は徹頭

徹尾関

係づけ

られたも

のと

して、そう

したも

のとし

てのみ存

在す

る。

へーゲ

ルでは多く

の場合、

関係づ

けられ

(7

)

いる

こと

は否定

されると

いう

ことを意味

ており

、そ

ゆえ

関係項

は徹頭徹

尾否定

され

たも

のとし

てあ

ること

にな

る。

の意

で関係

「無

」と

れる

であ

る。

「無

から無

への運動

」と

は、

一次

に存

在し

いる

であ

る本質-存

在関

のな

かで

の関

係項同

の間

の運

動を

示すも

のであ

ると

いえ

る。

また、

の本質-

存在

関係と

は、存在

が本質

の関

係に

て規定

れ、同時

にこ

の規

定を通

じて本質

が捉え

られ

いると

いう事態

であ

る。し

たが

って、

「無

から無

への運

」が自

己と

一致

る否

であ

ると

いう

主張

は、本質

関係を通

て存在

に対

て与え

られ

た規

がそ

の本質

ると

いう

ことを、換

言す

れば、本質

「自

分」

の現れ

に、現

れが

「自

分」

の本

一致す

ると

いう

ことを言

って

いる

こと

にな

る。

つぎ

に、

この

一致な

いし相等

性が直

接性

であ

ると

いう主

の意

味を考え

てみ

よう

。言う

でも

なく、直

接性

のドイ

ツ語原語

は⊂昌巨匿

σ母蚕

一であ

り、直訳す

れば、非媒

介性

る。

媒介と

は本質的

に他と

の関係を

意味す

るも

のであ

から、

非媒介性

は他

の関

係が捨象

され

た状態を

示し

いると

言え

るだ

ろう

。と

ころ

で、自

己と

の相等性、自

己同

一性

は他者

の関係

を捨象

し自ら

に関係す

こと

にお

いて

仮象と反省/76

Page 10: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

成り立

つ。し

たが

って、

自己

同等性

は他者と

の関係

いし

媒介を廃

したも

であり

、媒介

されざ

るも

の、

非媒介

的な

の、直接的

なも

のであ

ること

になる。

のよう

に考え

てく

ると、本

の運動

ら存

在を導出す

へーゲル

の手続

には、単

なる概念

の連鎖と

ては、さ

した

る困難

はな

いと言

ってい

い。しか

し、問題

はそう

して

出さ

れた存

の意

である

。本質

の運動

から導

出さ

れた

在と

は、

った

いな

にを意味す

のだ

ろう

か。こ

の点

ついて具体

的なイ

メージ

を持

っておく

こと

が、

以下

の考察

にと

って必

であ

ると思

われ

る。そ

こで

へーゲ

ル自身

が与

いる具体

に即し

て、こ

の存

の意

ついて考察

てみよう。

ニー

一-

二、自

己同

の存

的意

へー

ゲルは、

ント

の反省

判断力

が外

的反省

に留ま

のであ

るとし

て批

判し

いる。だが、

ント

の反省的判

断力

のなか

にも、

へー

ゲルが考察

ている反省と

同じ構造

が含ま

いる

こと

を指摘

ても

いる。そ

の際

へーゲ

がも

いて

いる例は

、彼

がどう

いう事

に立

ち向

って

のかを窺わ

て興味

い。

(カント

の反省

的判

断力

個別的

なも

のから普遍

的なも

のを求め

る能力

であ

るが、)

こにもま

た、絶対的

反省

の概念

が存

ている

のである。

いう

のは、規

の運動

にお

いて目指

され

るも

のである普

的なも

・原理

・規

・法則

ったも

のが、規定

の運

がそ

から始

られ

た直

的な

の本質

て妥

し、

こと

の直

的な

のは空

なも

のと看

れ、

この直接性

から

の還帰な

いし反省

によ

る規

定が直

接的

のを初

てそ

の真

の存

に即

て措

定す

ること

であ

と看

倣さ

れるか

らであ

る。した

って、

反省が直

接的

なも

のにお

いて行なうも

の、

反省

に由

来す

る規

定は、

の直

なも

のにと

って外

的なも

のではなく、

の直接

的なも

の本来的

な存在

のであ

る」(二五四頁

)。

こでは、存

が本

への関係

の内

で規定

され

ること

の例とし

て、直接

デー

タが規則

や法

に即

て規

定さ

れること

が挙

られ

いる。

のことを

がかり

に、

へー

ゲルが考え

いる事

それ自体

に接近し

てみた

いと思う

77/仮 象 と反省

Page 11: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

たとえば

、石

が落

ちると

いう個

別的事象

があ

る。

この事

が落体

の法則

に即

て捉え

れると、

の普遍

的法則

現象とし

て捉えら

れる

こと

にな

る。具体的

には、

の落

ると

いう事

象が時

・空間

の量

の関数的

関係と

して記述

れると

いう

こと

である。

現象

自身

のうち

に見

いだ

され

るこ

の関数的

関係

こそが落体

の法

のであり

、現象

の外

に別

に存在す

る本体と

て、本質

であ

ると

ころ

の法

則があ

るわ

では

い。し

って、

法則

に即

て事象

捉え

ると

は、本質を

捉え

ること

に外

なら

い。

このよう

に、直接

な事

が落

の法

の現象

て把

握さ

ると

いう

こと

は、

の事

にお

いて本質

が捉え

られ

ると

いう

に等し

い。

引用文

では、

の本質と

の関係

のな

かで現象と

て規定

こと

がそ

の真

の存

に即し

て規

定す

ること

であると

主張

され、

そし

て、法

に即

て規

定さ

れて

いることが事象

の存在

であ

ると

主張され

いる。

この例に

さらに立ち

って考

察を加え

てみよう。落体

法則

の現象と

いう在り方

が事象

の本来

の規定を

示すも

のと

れた

のだ

が、

このよう

に規定

れた存

在様態

、す

なわち

現象

いう在

り方

は石が落ち

ると

いう

個別

的な事象

とは差

り独立

である

。それ

はあ

くま

で落体

の法則と

の関係

にお

る規定

であり、

の法

則と

の関係な

しには存立

しな

い。

それは落体

の法則と

一致

にお

いて初

めて存在性

を得

る。

それ

では、本質

であ

る法

則が真

の存

と見倣さ

れて

いる

かと言え

ば、事態

はそ

れほど単純

では

い。本質

は存在

の関係を

離れ

ては成

り立

たな

いと

いう

のが

へーゲ

ルの主張

であり、落

の法

則は個

々の事例

に適

用可能

である

ことを

て妥

当性を得

るも

のだから

であ

る。まとめ

れば、

の現象

は落

の法

則と

一致

ること

で、落体

の法

は個

の現象と

一致す

ること

で存

在性を

る。本質

が自

の現象

一致し

、現象

が自

の本質と

一致し

ていると

いう

関係、

の本質-

現象

関係

におけ

る自

己同等

性こ

そ、存

在性

の基

であり

この関係を離

ては現象

はもち

ろん本質も

の存在性

を失

う。

ここで

へーゲ

ルは、現象と

本質と

の問

の関係

こそが存在

の基礎

であ

こと

を示

そう

とし

いる

(8)

のであ

る。

たしは、本

の運動

自体

が持

つ自

己同等性

から存

在を

出し

ようとす

る際

へーゲル

の意

図は、

こう

した

本質-

現象関

係自身

に存在性

の根拠を

こう

とす

るも

のだ

った

仮象と反省/78

Page 12: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

だと思

う。存在

が導出

され

ると聞く

とき、

われわ

れは感覚

が教え

る外的

な事物

の存

在を

連想し

がち

であ

る。

そう

感覚主

義的

な存

在概念

を前提

ているかぎり

、本質

運動

自己同

等性

から存

在を導

出す

へーゲ

ルの主張

は、

本質

ら感覚

的外的事

が導

かれ

るか

のごと

き印象を

与え

ること

になり

、そ

してそ

こには論

の魔術以

のも

のは認

めが

いこと

にも

なろう。

しかし、

へー

ゲルは

ここでそう

した存

在概念

を問題と

いる

のではな

い。こ

こで問

題と

って

いるのは、本質ー

現象

関係

のう

で存在

ると

いう存

ある。

こでは感覚的

ータが与え

られ

ていると

いう

こと

が存在

の基準

ではなく、本

質-

現象連

こそが存在

(9)

基準な

のである。

以上

の考察

の結果得

られ

た存在

概念

をもと

に、今

一度仮

の存

在性格を

解明

てみ

よう

「(仮

象と

いう

)空無

なも

のあ

いは本質

なきも

のは、

しかし、

そこ

にお

いてそれが

映現す

る他

のも

ののう

に存

在を有す

のではな

い。そう

ではな

て、

それ

の存

在は

それ自

の自

己同等

性な

のであ

る」(二五〇頁

)。

このよう

に主張

され

るのも、

既述

の意味

にお

いて

であ

ると思う

。わ

れわれ

はしばしば、

本質と

の関

に入

る前

の直

接的

な存

があ

るよ

に考え

がち

であ

る。そ

の場合

の直接的

なも

のを

本質

の関係

のな

かに

いた結果得

られ

た規

が仮

象と

いう

規定

であり

、仮象

その前

された直接

的な存在

にお

いて存

在を有

ている

と考え

れる。し

かしな

がら、

このような

理解を

へ:ゲ

は退け

る。

それは、

のよう

な本質と

の関

係に入

る前

の直

接性な

いし存在

は、

そも

そも

仮象と

いう規

定と

は無

関係

るからだ

。先

の落体

の法則

の現象と

いう規

定が

の落

いう

事象と

は差当り独

であり、法

則と

の関係

こそが

象とし

て存在す

こと

の内実

であ

ったよう

に、仮象

は本質

の関

にお

いては

じめ仮象

のであ

り、

の関係

こそ

仮象

の存在性

の根拠な

のであ

ニー

二、絶

突き

しと

の措

反省

以上

、わ

れわれは、本

の運動

の同

一性

から導

され

存在が何

を意味

する

のかを考察

てき

た。

この考察

によ

て、反省

の運動

いて

の具体

的なイ

メー

ジを獲得す

79/仮 象 と反省

Page 13: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

でき

たと

思う

で次

に、措

反省

自身

の運動

を、

これま

での成果

をもと

に辿

って

いく

ことにし

よう

の結果

、反省

の対象

とす

る実在

いか

なる構

造を持

つも

のであ

るかを、わ

れわれは知

るだ

ろう

仮象

の空

とは

本質

関係

に即

た規定

であ

った

が、

のよう

に本質

の関係

のなか

で規

定さ

た存

在を

へー

ルは

「措

れた存

Qo。。。貫。・虫コ」

と名

る。

「こ

の否

定的なも

のの自

への関係

は、

この否定

的な

の自

への還帰

であ

る。こ

の関係

は否定

的なも

のの止揚

して、直

接性

であ

る。

しかし、

それ

は、単

にこ

の関係と

ての、

ある

いは

一な

るも

のから

の還帰

とし

ての直接性

であ

り、自

分自身を

止揚す

る直接性

であ

る。

これが措定

された

存在

であ

る」(二五

一頁

)。

の引

用文

には、

反省

いう

のの根

本構造

が凝縮

され

た形

で述

べられ

ている。そ

こで、

この引

に解釈

を与え

ると

いう仕方

で、

これま

での解

釈を

まとめ

、さらに詳細

に展開し

てみよう

用部冒

頭に登場

「否定的

なも

の」と

は、本

質-存

関係

のな

での規

である。

の否定

的なも

のが持

つ自

分自

への関係と

は、本質

が自分

自身

の現れ

に、

現象が自

分自

の本質

に関

って

いること

に外

らな

い。こ

こで注

目す

べきな

のは、

こうし

た自

己同

等性

「否定的

なも

の」

の止揚

いる点

であ

。繰

り返

を恐

れず

に言

「否

的」

は本

質-

存在

のう

の規定

であ

る。前節

で確認

したよう

に、

この関係

が持

つ自

己同等性

存在

の内

であり、

の関係と存

在と

は切り

離し

がた

即性

のもと

にある。

それが、

ここ

では、

この関係

の止揚

て存在

が語

られ

いる。

これはどう

いう

ことな

のであ

ろうか

。こ

の問

題に答え

るため

には、

本質-存

在関係

のな

で規定

を受け

ると

いう

こと

がどう

いう

こと

のか、

さら

に立ち入

つて考察

てみな

ければ

ならな

い。

本質

にお

いては、

いに固有な

パート

ナー

であ

るよう

な対規

の間

の対立

区別を通

て、規

定が

成立す

る。たと

えば、

根拠

のカ

テゴ

リーを取

り上げ

るなら

、な

にかが根

いう

規定を受

のは、根

拠付け

られ

たも

のと

の関係

じて

のこと

であ

る。根拠

と根拠付

けら

れたも

のとは対

す規

であ

り、

に対

る対

立区

を通

て成

る。

一般

に、様

々な本質

の形態

は、

れに相関す

る存在

態と

の対

立区別

を通

じて規定

される

のであ

る。

このよう

仮象と反省/80

Page 14: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

に、本質-存

関係

にお

いて、規

は本質-存

の間

の対

区別

の関係を通

て成

立す

るの

であ

る。次

に、自

己同等

こう

た規

の止揚

であ

ると

いう

の吟

に移

。ニー

一で考察

した

よう

に、

本質と

現象と

の問

には自

己同

等性

の関係

があ

る。

本質

は自

の現象

と関

わり、

現象

は自

の本

質に関わ

るも

のだ

から

であ

る。こ

の本質

現象

関係

におけ

る自己同等性

に存

在性

は支え

られ

ている

ことを

へー

ルは示

した。今

問題と

なる

のは、

この存

在性

がど

のよう

な仕方

で本

質-

現象

関係

に関わ

るか、

であ

る。す

でに示さ

れたよう

に、

現象

は、本質

の関

わりを通

て現象

して

存在す

る。

ここ

で注

意し

なく

てはならな

のは、

現象

の存

が同

に本質

の存在

でも

ある

こと

であ

る。本質

は個

々の

事例

に適用さ

れる

こと

にお

いて妥当性

を持

ち、存在す

る。

換言す

れば、個

の事例

に現象

ることに

いて本質

は存

いる。現象

が存在

ると

は、媒

介的な仕

で本

在す

ることな

のであ

る。し

たが

って、現象

の存

在と

本質

の存

在と

べつなも

のではな

い。本質ー

現象関

係に

おける

己同等性

が、本質

にと

っても現

にと

っても、

同じ

よう

に存在性

の基礎

を成し

いる

のであ

る。

本質-

現象

関係を通

て構成

れる存在

一つであり、

こにお

いて存

在し

いる

のは、厳密

には本質

-現象

関係態

それ自体

であ

る。ただ

し、

の関係態

の内

的構

に呼

応し

て、

ここで

の存在

は複雑

な構造

を持

って

いる。

こで直接的

に存

在す

るも

のは現象

であ

る。しか

し、現象

は本質

の現

れな

のであ

って、本質

はこ

の現れ

に媒介

され

存在

して

いる。現象と

は直接

的なも

のであり

、か

つ、自

以外

のも

(本

質)

の現れ

でもあ

るようなも

のであ

る。

のよう

に、本質

-現象

関係

にお

いて構

成さ

れる存在

とは、

接性と媒

介性

とを総合

した、構

造化

された存

在な

のであ

る。現象

は直接

的に存在す

るも

のとし

て、本質

はこ

の現象

いう現

れを介

して媒介的

に存在す

るも

のとし

て、

この共

の存

在性

に与

って

いる。だ

が、存

在性と

いう

一点

に関し

て言え

ば、

こには本質と

現象

の区別

はなく、

つの存

であ

る。し

たが

って、もし

この存在

性な

いし自

己同等性

の面だ

に焦点

を合

わせ

るなら、本質

と現象

対立的

区別は度

外視さ

れる

こと

にな

る。

これが、自

己同等

が否定的

なも

のの止揚

であ

ると

れたこと

の具体的

内容

省反と象仮/81

Page 15: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

であ

ると考えられ

るのであ

る。

己同等性

に注目

すれば区

別は視

野か

ら外

れ、

区別

に注

目す

れば共通

の存在性

が分断

され

る。

このふた

つの要素

いに他を排

除す

る。先

の引

用部

で自

己同等

性が

「否定

なも

のの止揚

であ

ると言

われた

のは、

のふた

つの要

の相

互排除

的関係を

指摘し

たも

のと

て理解

ること

がで

る。し

かし、本質

ー現象

関係は自

己同等性

を含

んだ関

であ

り、ま

た自

己同

等性は本質-

現象

の関係

を離

れては存

在し

いから、

この

ふた

つの要素

は相

互に前

提しあ

っても

いる。先

の引用

に言

「自

分自

身を

止揚す

る直接性

」と

う表

現は、直

接性な

いし存在

が、区

別対立

の関係を

離れ

はあ

り得な

いことを

意味し

いる。区

別と同

一性と

いう

いに並立し

い要素

が同時

に存

立す

ると

いう

矛盾を

本質

が持

って

いる

こと

を、

へー

ゲル

は主張

の意

で、

本質

「自分自

であ

り、ま

た自分自身

でな

い。

それ

一な

る統

一の内

で、自分自身

であり

つ自

分自身

でな

のである」(二五〇頁

)。

定的反

省と

は、

規定

の側

面に重

点を置

いてこの事態

述す

るも

のであ

る。

「反省

が還帰

とし

の直接性

であ

かぎり

にお

いて、

反省

は措

であ

る」(二五

一頁

)。

「還帰

とし

て」と

いう表

現は、

直接性

(存

在)

が本質

の関

なかにあ

ることを

示し

いる。

二ー

一の例

で、事象

が法

いう本質

に即し

て捉え

られ

ることが

「直

接的

なも

のから

の還帰」と呼

れて

いたことを思

い起

七ても

いい。措定

反省

は、

本質と

の区別

を通

じて規

定す

こと

であ

る。し

かし、

この本質ー

現象関

のうち

には自

己同等性

も含ま

ており、

この自己同

等性

こそが存在

の内

実を

なす.も

ので

こと

はす

に確

認し

おり

であ

「さ

らに

言え

ば、

この直

接性

は止揚さ

れた否定

であり

、止揚

され

た自

還帰

であ

る」(二五

一頁

)と言

われ

るのも

の意味

でのこ

であ

る。相

反す

るも

のであ

る区別

対立と

自己同等

が、

ここにはとも

に含ま

ている。

この自己同

等性

のほう

に重

いて先

の根

事態

を叙

たも

のを

へーゲ

ルは

「前提

く9窪霧9N¢ロ」と呼

ぶ。

定的反省

の段階

では、自

己同等

性と区

別対立と

が相即

である

こと

は示

されな

い。それ

らは潜在

に相即

であ

るにすぎず

、ふた

つの要素

の間

の相

即性

は、

}方

を立

てる

に他

移行

る運動

て現

る。

の運動

仮象と反省/82

Page 16: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

へー

ゲルは

「絶

対的突き返

oσω9三〇「Q①。qo蕊δゆ」と呼

いる。

この絶対

的突き返

こそ、

措定的

反省

が反省論全

のな

で占

る位

置価

を示

であ

るとわ

たし

は考

る。

ふた

つの要素

がそ

れ自

にお

いて

一なる

ことが示さ

いれば

一方

ら他方

への絶え

い転換

は起

こら

い。自己同

等性

がそれ自体

とし

て区別関係

であ

ること、

り存在

がそれ自

にお

いて反省

であ

ることを

示す

のは、

措定

的反省

に続く外

的反省

の役割と

なる。

ニー

三、存

と反省

の同

一性を

すも

であ

る外

反省

さて、以

上きわ

めて概略的

にではあるが、措

定的

反省

叙述

を辿

ってみ

た。まとめ

ておくな

ら、措定

的反省

では区

別対

立関係

を通じ

て生じた規

に重点

が置

かれ

ていた。し

かし、

前節

で見

たよう

本質

-存

関係

一般

的構

ら、

措定的

反省は

の形態

の反省

に移

っていかざ

るを得な

い。本

質ー存在

関係

には、規

定を可能

にす

ると

ころ

の区別

が必ず

含ま

れて

いる。区別さ

れるも

のは、

いに対

して他

であ

る。

「しかし

、同時

にこ

の直接

的な

のは否

定的な

のと

て、

つまり

なにか

に直

に対

立し

いるも

のとし

て規定

され

いる。

したが

って他者

に対立

して

いるも

のと

て規定

され

いる

。したが

つて

(反

省は直接

的なも

のに

つて他

であ

ると

いう

規定を受

ること

にな

り)

反省

定さ

いる」(二五

二頁

)。

このような

反省と存

問に他者

いう

関係が支

配的

になるとき

、存在

は反省

にと

って他な

るも

のと

る。

のこと

によ

つて、反省

は存在

つて外

なるも

のと

いう規

定を受

ける

こと

にな

る。他者

の存在

を前提

し、そ

こから出

発す

る反省、

それが

「外

反省

島o警守お

ヵoコo邑8

であ

る。

の外的

反省と呼

ばれ

るカ

テゴ

リー

が扱う

のは、外的

存在を

対象

とし

て持

ち、

これに思惟

を通

じた規定を

与え

よう

な反省

である。

の意

で、外

的反省

はわ

れわれが

常考え

る反省

作用

に近

いも

であ

ると

って

いい。デ

ータ

とな

るよう

な事

の存在

が前

提さ

れ、

思惟

はこ

の事

に外

に関わ

る。たとえ

ば、石

が落

ると

いう事

象が与え

たとき

この事

に対

て思

惟は落体

の法則

の現象

いう

規定を

与え

る。しか

し、

この規

定は単

に思惟

によ

る規

83/仮 象 と反省

Page 17: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

って、

最初

の石

の落

下と

いう事

にと

って外

なも

で、

の意

で客

観性を

持た

ぬ主観的

な規

にとどま

る。

これは、直

接的

な存

が反省

にと

つて他な

るも

のと

いう

を受

けると

いう

、外的

反省自

の内

的な構造

から

の帰結

であ

るが、も

しこ

の外

的反省

の立場

に立

つな

ら、

およそす

べての本質は思

惟が

設定し

たも

のにす

ぎな

いこと

になり、

客観的

な実在と

は関

のな

い主観的

なも

のとな

ってしまう

ろう

。本質

が客観性

を持

ち、実在

自身

にと

って内

的なも

のであ

こと

が示

されねば

ならな

い。

これが、外

的反省と

いう

カテゴリ

ーを叙

述す

る際

の、

へーゲル

の目標

であ

る。

この目的

をはたす

ため

に、

へーゲ

ルは外

的反省

の根本前

であ

る、

反省と存

在と

が相

互に外的

で他

であ

ると

いう

係に目を向

る。

この関係を

よく考え

てみ

ると

ここで

じら

れて

いる存

在は

反省にと

って他

なるも

のと

いう規

を受

いること

が気付

かれ

る。し

たが

って、外

的反省

提し

いる存在

は無垢

なも

のでは

なく

、反省

にと

って他

なるも

のであ

ると

いう、

反省

の関係

を通

じた規定をす

に受け

いる存

であ

る。

のこと

へーゲルは次

のよう

に表現

する

「し

かし、外的

反省

の動

きを

さら

に考察

ると、

的反省は直

接的な

のを措

しており

この直

接的

なも

のはそ

のか

ぎり

にお

いて否定

なも

のな

いし規

れたも

のとな

る」(二五

三頁

)。

反省

にと

って外的

であ

いう規

は反省と

の対立

によ

つて生

じた規定

であ

る。

にかが反省

にと

って外的なも

のと

して存在

るのは、反

の関係を

って初

て成

り立

つこと

である。

ニー

一の最

で論じ

たよう

に、

仮象

が本質

にと

って否定的

なも

のと

て存

在す

のは、外

らぬ本質と

の関係

を通

じて

であ

った

のと同様

に、反省

にと

って外的

であると

いう存在

反省

の関

係を

て構

成さ

たも

のな

のであ

一言

で言

、外的

反省

で問題と

され

ている根本事

は、

反省-他

る存

在と

いう、

それ自体

ひと

つの本質-存

関係な

のであ

る。外

反省

反省にと

って外的

な存在

を前提す

る反省

であ

った。

のよう

に前提

され

る存在

は、実

は、反省-

他な

るも

のと

いう

関係を通

て構成

れた存

のであ

る。

うし

た関係

にお

いて存

在が

「前

提」

される

ことは、

ニー

で見

たよう

に、規定

を成立さ

ている区別

対立

の止

揚と

て捉え

られ

る。そ

のかぎり

で、存在

と反省

の問

に存立

仮象と反省/84

Page 18: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

た、相

互に他な

るも

のと

いう区

別対立も

止揚

され

いると

いえ

る。

そこで、

の引

用部

に続

いて

へーゲ

ルは次

のよう

に言う。

「しかし

、外的

反省

はこ

の措定

を直接

に止揚し

いる。と

いう

のは、

外的

反省

は直

接的な

のを

前提し

るから

であ

る」(二五三頁

)。

のよう

な外的

反省

の構造

定的

反省

であ

こと

が気

かれ

る。

つまり

は、

区別対立

の設定

とそ

の止揚

いう

同じ運動

を行な

ている。

こう

した議論

を通

て、

へーゲ

ルは思惟

にと

って端的

外な

るも

のを前

提す

る哲学

の立場

が持

つ困難を指

摘し

いるように思わ

る。時

にわ

れわ

れは、対象

が思惟

の手

かな

い彼方

にあ

ることを思

う。

しかし本当

は、

こう思

たとき

すで

に、

われわ

れは

の対象

を思惟

してしま

つて

る。

つまり、わ

れわ

の思惟

の外な

るも

のと

て考

えてし

って

いる。本

にわ

れわ

の思惟

の届

かな

い先

は、われ

われ

ははそれを考

ることさえ

でき

い。

した

って、そ

はわ

れわ

の思

の外

いう

規定

を受

ける

こと

さえ

い。

その意

で、

思惟

にと

って外的

であ

ると

いう規

定も、

やはり

一つの規定

のであ

る。

まと

めて

おこう。外

的反省

にお

いては、存在

は反省

にと

って外

的なも

のとし

て前

提さ

れた。

しかし

、こ

の前

提そ

体が

反省

の生み出

したも

のであり、

反省

によ

って止揚さ

れるも

のであ

ること

が示

され

た。

このこと

で、

反省

が存

にと

って外

的な

のではなく、

むし

ろ内

的なも

のであ

が示さ

れた

のであ

る。

「直接

的なも

のは反省

を通

じて反

にと

って否定的

なも

のとし

て、あ

いは反省

にと

って他

るも

のと

て規定

され

た。し

かし、

反省

自身

この規

を否

定す

るも

のな

のであ

る」

(二五

三頁

)。

かくし

て、外

反省と

措定

的反省

が統

一され

る。こ

のふた

つの反省

の統

て導

「規

切口①。・島∋∋o巳①

カoコ①メδコ」

であ

る。

ニー

れま

の運

の総

規定

反省

のべたよう

に規

定的

反省は措定

的反省

と外

的反省

の統

]とし

て把握さ

れる。

ここ

にお

いて初

めて、

われわ

は措定

的反省

と外的

反省

反省論全体

のな

かで持

つ位置価

85/仮 象 と反省

Page 19: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

を見極

ること

でき

る。措定

反省

が立

てる

「措

定さ

た存

は本質

-

存在

に即

て立

てら

た規

であ

る。

しかし、

こではこ

の本質

-存在

関係と

この関係自

におけ

る自

己同等性

にお

いて成立す

る存在

とが相

即的

ることは顕在

化し

いな

った。も

ろん、反省

の構造

自身

から明ら

かなよう

に、本質ー

存在

関係と存

は相即的

なも

であり、

深層構造

に注

目す

れば

措定的

反省

の段階

も本質ー

存在

関係と存

在は相

即的

なも

のである。

のた

一方

が立

てられ

ると

即座

に他方

が立

てら

れると

いう運動

が生

じる。し

かし、

両者

の相即

が顕

在化

して

いず

、両者

の間

の対立

が前

に出

いるがゆえ

に、

一方

が立

てられ

と他方

が立

てられ

ると

いう運動

は、他

方を自

分から

突放す

いう

様相を呈

した

のであ

る。そ

の意

で、措

定的

反省

段階

にあ

っては、

「直

接的

なも

のは自

己内還

に対

る絶

対的

な関係を持

っており、自

己内

反省

のう

ちにあ

るも

ので

るが、

の反省

自身

ではな

い」(二

五五頁

)と主張

され

のであ

る。

この点

に、

の外

的反省

が登場

してく

る必然性

があ

った

と言え

る。措

定的反省

ではま

だ示

され

ていなか

つた両者

相即性

を示

すこと

が外

反省

の課

題だ

った。外

的反省

の運

は、存在

が反省

にと

って他な

るも

のであ

ると

いう前提

廃棄

し、反省

が存在

にと

って内的

なも

のであ

ることを示

た。

一言

で言えば、

反省

が存

在す

こと

が示さ

れた

のであ

(-o>

る。

「した

って、措

された存在

はそ

のも

のと

ては否

であ

るが、

前提

されたも

のとし

て自己内

還帰

した否定

る。かく

て措

定され

た存在

は反省規定

であ

る」(二五六

)。かく

て、

われわれは本稿

におけ

る論究課題

であ

った

「反省

の概念

を得

る。

れは

「自

己内

帰し

定」

であ

ると呼ば

れる。

ここ

での自

己内

還帰は、自

に戻

って自

己と

一致す

ることを示

し、

われわ

れが自

己同

等性と

いう概

のも

に論

てき

たと

ころ

のも

のであ

る。し

たが

って、

反省規

定と

はそれ自身

にお

いて自

己同等性を

具え

否定

であ

る。換言す

れば

、それ自身

にお

いて存在性

を備え

た本質規定

に外な

らな

い。

これま

でに論

じてきた構造

に即

て、

の事態を

まと

ておこう。

本質

は現象

の対

立区

別を通

じて、

現象

は本質

の対立区

別を通

じてそ

れぞれ規

定され

るも

のであ

った。

かし、本質

は自分

の現象と

関わ

り、現象

は自分

の本質と

86/省反と象仮

Page 20: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

関わ

るも

のである

から、

ここには自

己同等性

も含ま

る。

の自

己同等性

が存

在性

の内実を

成し

、本質-

現象

は、

分自

が持

って

いる自

同等

にお

いて存在

る。ま

た、

の関係

の存

は、関係自

の持

つ内的

構造

て複

雑な

構造

つも

のだ

つた。

なわ

ち、

データ

であ

る現象

の存

が、同時

に、

そこに現わ

ている

本質

の媒介され

た存在

でもあ

った

のであ

る。

いま

や、

こう

った自

己同等性

によ

る存

在性と

本質ー存

関係と

の相即性

が反省

論全体

の運動を通

て顕在

され

た。反省

諸規定と

は、存

在性を

それ自身

に具え

た本質ー

関係

の内

部構造

を、言

い換え

れば自体的

に存在

る否

の構

造を記述す

るも

のな

のであ

る。

しか

しながら、

本質-

現象

のよう

に、関係項

がは

っき

自立化

した形

の本質関

係が論

じら

れる

のは実

にはず

と後

のこと

であ

り、

ここ

では本

質論冒

頭部と

いう

位置

価を

顧慮し

ておか

なく

てはならな

い。仮象

を論

じた際、

わたし

は仮象

にお

いて存

在す

のは差

当り本

への関係だ

であ

って、

の関

係から自

立し

た存

在も

本質もまだ

与え

られ

いな

いと主張

した。今

反省

規定

の構

にお

いても

、同

こと

が指摘

でき

ると思う

。もとも

と反省

とは、

仮象

と同

本事態を

論じ

たも

のであ

った。

ただ、仮

は直接性な

し存

の面

に重点

を置き

、反省

は否定な

いし本

への関

に重

点を置

いて

いると

いう

いだ

であ

る。

反省論

の展

は、

の本質

への関係

、否

こそ

が存

ことを

た。そ

の成

果が

反省

規定

であ

る。そ

の意

で、

反省規定

それ自身

にお

いて関係

である

よう

な規定

であ

ると

いう

へー

ゲル

の主張を理解

でき

のであ

る。

結語

「これら

の諸規

定は、

本質

のなか

にあ

ると

ろの規定

れた仮象

、本質

的仮象

であ

る」と

いう命

題を手

がか

りとし

て、わ

れわ

れは

この論究

を始

めた

が、

これま

の考察

の命

の意

ろが

った。

「同

性」、

「区別」

「矛

盾」と

った反省規定

は、仮

象と同

に関係項

が自

立す

る以前

の本質-存

在関

にお

いて成り

つ規

である。し

かし、

それは仮象

は異なり、

規定

存在性

をそ

れ自

にお

いて具え

いる

こと

が示

された規

87/仮 象 と反省

Page 21: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

であり、

のことは

反省

論を

通じ

て示

され

た。そし

て、本

質論全体

の叙述

の秩序

のな

かでは、

反省規定

は関係項

が自

立す

「根拠」

のカテゴ

リーに先行

し、

のカ

テゴ

リーを

準備す

る箇所

に位置す

る。と

りわけ

「矛盾

」は、存在

と本

質と

が分離自立

化す

る分岐点

に位置

いる

のであ

る。

うし

た反省規

の叙

述自体

を追跡す

こと

が新

たな課題と

て生

てくる。

しかし、

こでは反省規

の生成

を再構

し、

のことを通

て、反省規定

理解

する

上で前提

れる独

な存

在概念

、独特

な規定

の構

造を解明

した

こと

って満足し

ようと

思う。

*

へーゲ

ルから

の引用

Oo。。§

日o冨

毛9冨

の十

一巻

の頁数

を示し

た。なお

、丸括

弧内

は筆者

による補

いであ

る。

(1)

<.=α鴇

回頃ooQo尻

o。誘8∋

耀一〇◎Qoo.gり」いひh『

(2)困

。・冨

。匿

鑓ε

匹。「ω琶

。7」『

9

。ヨ巴・島

ζ。塁

。・7

0勲ひ

一〇望

.ωしPひ'

「十

で様

。(3)

ω07巨

響=oo。①房

uq爵

」OりP▼ω.8

「ま

った

た説

得的

テキ

スト上

の証拠

を以

て、

K

・デ

ュージ

ング

(上

の注

のよ

に)

いる

(中

)

は正

が、

(へー

ゲル

の)

弁護

に対

する非難

して

は完全

はな

い。

へー

ルが言

って

いる

こと

は、

へーゲ

の論

理学

が行

って

いる

こと

から

区別

されねば

ならな

い」。

(4)

のよう

に考え

る解

釈者

ては

、9

」冨「曽ζΦ9「ξ。・欝

魯。。2三〇「

閃9自二8

巴一一彗

這8

"o。」ひP

¢暴

.もち

ろん

わたしも

、反

省論

における

矛盾

『論

の学』

全体

のな

でも

枢要

な位

置を

める

ことを否定

い。し

かし、

それ

は、

「論

の学

が描き出

実在

の構造

の全

のなか

で、矛

が占め

る位

置に

よる

こと

であ

る。(5

)こ

の関係

ついて、わたし

は判断論

の関係

から論じ

たこ

とがあ

る。

「反省

と判

断」

『哲

学論叢

一九

号、

一九九

二年

(6∀

ロー

スも

の指

摘を

って

いる

。即

ヵo房

扇o暮

毎畠

O旨ロρ

6。。P

。り.いい.「純

媒介

ら実

への発

つま

り、最

のも

のとし

の本

から根拠

とし

の本質

への発展

の内

は、

(本

と存

の)区

が出

て来

ると

いう

こと

のな

にあ

る」。

こで

ロー

スは本質

と存在

の自

立化

を、

区別

いう言葉

表し

いる。わ

たし

は、

かし

、本質

と存

とは仮象

の段階

でも

区別

はさ

れて

いると考

る。

そう

でなけ

れば、

両者

を別

々に論

こと

の意

味が

なく

なる

。両者

が自

立化す

には、

両者

それ

ぞれ

が自

己同等

性を

具え

こと

が要

であり、

仮象

ではそ

れが達

成さ

いな

いだ

である。

(7∀

ヘンリ

ヒも

、否

の基

本的

意味

関係

のう

に見

。P

=9ユOダ

=OαqO房

oQ貯

自O「カOコO×δ3」『

=品9あε島昌

uロOぎOP

一〇Q

一呂oo.

(8)こ

の存在

概念

は、

へーゲ

ル論理

のなか

で自

然学的

認識

基礎

を論

じる

に重

な役割

りを

はたす

。拙

「へーゲ

ル論

理学

にお

る科

学的

の成

『ア

ルケ

ー』

二号

一九九

四年

仮象と反省/88

Page 22: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

『論理

の学』

「概

念論」

の客

観性

の章

では、力

・化

・目的

った自然

学的

テゴ

ーが論

じら

いる

が、

の客

観性

いう存在

の在

り方

が個別

的存

在と

普遍

的本質

一致

を通

て獲

され

ことを、

わたし

は前

掲論

で示し

た。

これ

が、今

われ

れが論じ

いる構

造と

対応

るも

のであ

ること

は明白

であ

ろう

さら

へーゲ

ルは、

の存

在と

本質

一致

の完成

を理念

に見

て取

り、

のよう

にも語

って

いる

「理念

が概念

と実在

の統

一であ

ること

によ

って、

存在

は真

の意

味を

獲得

した」

(十

二巻

一七五頁

)。

理念

が、真

理と

いう

意味

を獲

得し

た存在

であ

ると

いう

この主張

の意味

も、

れわ

れが今問

とし

いる構造

ら解

されるも

のと思

われる。

なお、

このよう

に存在

概念

の多

様な

意味

を探究

へーゲ

ル論

理学と、

存在

の意

味を

テゴ

ー存在

、可能

現実

とし

ての存在、

理存在

に分類し

アリ

スト

レス

の存

在論

の関係

は興味

い問

であり

、稿を改

て論

てみた

い。

(9)以上

の具体例

では、本質

現象と

いった、

「本質

論」

のな

かでも

っと後

で論じ

られ

カテゴ

リーが考

された

。し

たが

て反省論

に関す

る例とし

は必ず

しも適

はな

い。

かし、事

を見

るた

めに

は好便な

であり

モデ

ルケ

スとし

ての機能

はたすも

のと思う

(-o)

バー

はこう

した

こと

を次

のよう

に言

い表

いる

「こ

の合

は、本

質的

な直接

性を

構成

する

。し

たが

って、

自分自

を否定

る反省

と直接

とは直

接性

の側

にお

いて同

一的

なも

とし

て措

され

いる

」。9

.ぎoこ

.。。」8「

の把握

は的確

であり

、外

的反省

ら規

定的

反省

への移行

は、

前提

がす

でにそ

体措定

である

ことを示

こと

にあ

るとす

る彼

の理解

は正

であ

る。し

かし

、そ

の過程

の分析

は説

得的

ではな

い。イ

バーによ

と、直

接性

一つの規定

であり、

の直接

性を

前提す

とは直接

的なも

のと

て規

するこ

と、

すな

わち措

定す

るこ

に外なら

い。

のこと

が示さ

れる

こと

で規定

的反省

に移

ると

いう

のだ

が、

これ

では、

の措定

が直接

が前提

され

ること

によ

って止揚

され

ると

いう

へーゲ

ルの主

張が

、意味

をな

さなくな

ると思わ

れる

89/仮 象 と反省

Page 23: Title 仮象と反省 : ヘーゲルの矛盾概念の理解のために Citation ......仮 象 と 反 省 へ ー ゲ ル の 矛 盾 概 念 の 理 解 の た め に 山 脇

den Handlungsfolgen abhangen. In Bezug auf die zweite Ahnlichkeit kommt es fur die Regelutilitaristen auf das allgemeine Gliick als Konsequenzen der allgemeinen Praxis nach

einem Grundsatz an. Fur Kant kommt es aber darauf an, ob die Maxime oder der Wille selbst

sich selber nicht widerspricht, and nicht darauf, ob das Gluck als Handlungsfolge hervorgebracht

wind. In diesem Artikel mochte ich durch die Betrachtungen aber diese Probleme die Einstellung

Kants als Deontologen aufklaren.

Schein and Reflexion - eine Interpretation eines Kapitels der Wissenschaft der Logik Hegels -

Masao YAMAWAKI

Der Hegelsche Gedanke fiber den Widerspruch wird auch noch heute vielfach diskutiert. Um diesen Gedanken rchtig aufzufassen, mug man die Widerspruchstheorie, die Hegel im

Abschnitt der Reflexionsbestimmungen in der Wesenslogik dargestellt hat, zuerst analysieren.

Da aber Hegel die Reflexionsbestimmungen als "bestimmter Schein" bezeichnet hat, mussen

die Bedeutungskonstituenten "bestimmt" and "Schein" vorerst erlautert werden.

Der Schein kann als wesenloses nichtiges Sein definiert werden. Nach Hegel kommt diese Nichtigkeit aus dem Wesen selbst, weil das Sein erst dadurch als nichtig bestimmt wird,

dab es sich auf das Wesen bezieht. Mit anderen Worten stellt auch die Wesenlosigkeit, die den

Schein charakterisiert, eine Beziehung auf das Wesen dar. In der Nichtigkeit des Scheins

erscheint also das Wesen selbst. Diese Nichtigkeit ist nun die einzige Bestimmung, die am Beginn der Wesenslogik gegeben ist. Das Sein wie auch das Wesen haben auf dieser Stufe

keine andere Inhaltsbestimmung daruber hinaus. Daraus ergibt sich, daB Sein and Wesen auf

der Stufe des Scheins noch nicht verselbstandigt sind, wenngleich sie allerdings unterschieden

werden konnen. Aus dieser Unselbstandigkeit erhellt sich der Stellenwert, den der Schein in

dem Darstellungsgang der Wesenslogik hat. Die andere Bedeutungskonstituente der Reflexionsbestimmung ist die der Wesenslogik

eigentumliche Bestimmtheit, deren Bedeutung durch die Relation von Sein and Wesen

determiniert wird. Die Wesensbestimmung steht immer in dem Korrelationsverhaltnis mit der

ihr korrespondierenden Seinsbestimmung and ihre Bedeutung wird durch dieses Verhaltnis

bestimmt, wie z.B. die Bedeutung der Wesensbestimmung'Grund' durch die Beziehung auf die Seinsbestimmung 'Begrundetes' als ihr Bedeutungskorrelat entschieden ist. Auch die

Reflexionsbestimmungen grunden auf der Relation von Sein and W esen. Aber unsere Uberlegung

fiber den Schein zeigt, daB das Sein and das Wesen am Beginn der Wesenslogik noch nicht verselbstandigt sind. Die Reflexionsbestimmungen rind Bestimmungen sowohl des Seins als

auch des Wesens, wie die Nichtigkeit des Scheins auch die Bestimmung des Wesens war. Dies

gilt auch fur den Widerspruch als eine der Reflexionsbestimmungen.

111