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Title マールクスの認識論原理(フォイエルバッハに關するテーゼンに於ける)
Author(s) 米田, 庄太郎
Citation 經濟論叢 (1934), 38(1): 41-62
Issue Date 1934-01-01
URL https://doi.org/10.14989/130407
Right
Type Departmental Bulletin Paper
Textversion publisher
Kyoto University
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大班同年六月三十一回第三種開催物語可(毎月-町一日置行)
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一中間一一一一記念論文集
京都一帝岡大血中経済陽子曾
昭和九年一月一日護行
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第三十入巻第一-披
(通巻第二百二十三張。禁縛戟)
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筆
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向書の虞夏書に見はれたる経済忠細山
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中央銀行先換準備検討
貨常需要と貨幣の流通速度
植民地時代米園の土地保有制度
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免税駒以下の小額所得者
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前界科閣でにー此て
漁村夏生策に於ける問組
人口組密の原閃献
徳川時代における植民的思想
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北海道腕漁業に現存の漁揚賃貸併剛係
我闘に於ける植民政策阜の発注
クレルゥキアに就いて
山本美越乃博士年譜及著書論文目録
経済早博士
師川崎円皐博士
時時内事博士
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間
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JZ7ごに士王子主一:=己角一号〉王宮JL27rzznrSL2-mnrs句
EF
三LMZの附銭として、始めて公にせるフオイールパツハに閥ナるマ
1ルクスのテ
1ゼンは、
71ルクス主義者の立場
ιrb見れ
ばエンゲルスが同書の緒二一一口出ーに湛べて忌る知〈に、「上九れの中には新世界観の街倒的な芽が合まれて居"。最一一仰の文書4して甚
だ貴重なるものLであることは-Eふまでもないが、
71ルク之宅義者でた〈しご縄問千問的にマ
l
ルクス主義の諸理論を論究し、
其の奥義を究明し批州せんとナるものにありでも、同テーゼンはマ
lルクス主義の起源及び賛達を詳し
f探究する資料として
重要なる文書であるに止宜、bず、マ
1ルクス白身の民意を深〈了解ナる得めにも甚だ肝要なる文書である。骨ほ同テ
1ぜンは
其後千九百二十六年三宮口目玉によヲ亡宮ヨネRznia〉z-EJH・】百戸《-の中に、叉千九百三十二年旨}CEP74によりて冨P長岡山
当主聞の
22Z52FL山
zm〉一是正晃司『}伊豆田の附録中に、
71ルクλ
自身がノートブックの中に害曹附けて置いた主λ
に公
にされて足るから、今日では吾々は同テ
lぜツを一一唐十分に研究する慌宜を輿へられて居る。併し松は木論文に於では、同テ
ーゼン十一ケ傑全憶を考究せんとするのでな〈、同ハ第二テ
14Jh於て
71ルクスがふ一一日逃して居る彼白認識論の原理に就て、彼
の認識論の真義をタし
f論九九して見たいr
と思ふだけである。
HEれ同テーゼに於てマ
l
ルクスが向から吉漣して居る彼の認識袖
マIルクス白認識論原理
凶
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ルクスの認識論原理
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巧=EEZZP及び『bLJご閃
印ち
YTルクス主義唯物論哲阜の入門室町とも、受或意味、では経典の如誉ものとも見徹され
て居る廃の、哲撃上エンゲルーの最とも重要なる著書の中に論漣して認識論、井に其等の著書に従ふてレ
1一一ンが公にせる彼
自哲畢上白最大著書官号
E-EEUE品開
512目同EErE5に於て諸家の説を排撃し駕倒Lヨム論法
L亡法る
71ルクス主義
認識論とは、異なれる意味に解耀し得、bれるもの、叉解蒋さる可号ものと忠はれるので、なはかねて同テ
1ぜに就て大に興味
を感じ、叉之を大に軍一事、脱して一活るか、bであるむ予勺一して早くから同テ
lぜに就て一諭」〈を書いて見たいと思ひたが
b、回目時
折に私む講義中で一寸鮒れるくらひに』まづて尼たのであるが、本年春、米凶ニュ
1・ヨーク大身哲mp助教授三二
52zzfJ副
会にせる著書、F34-LZZ弓〔
ZJAFmEz--D問
LPニζ「
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の中に、主としで第一一一フ
1ゼによりで、ヲールクλ
自身め認識論J
-YM
んスMAびレ
1
一シの認識論」山道県二台論叶止と〔一応るのを見で、此の刑制Hh闘する取の興味ト九人如九円山川主UU
此践に山木教
授の還暦紀念披i
として本就が公にされるに常うて、此の一小論文を寄稿することとしたのである。
HHn司ロ
間口問符ヨ
ロロr=回一山ω
CErz一旦百時
}リ作宮作吋
rnunrzzLhrzmFUP3mLぬ円
の民義は、エンザルスが
}乙h5u-znZのロ品z-ZRHF2】HvF-750]》一】一向、
第二節
第です
lゼの考察
在は前節緒言中に述べし如〈、
本論文に於ては只第二一ア
1ゼに於げるマ
1Yグスの認識論の根
本原理の異義を、
少しく考究して見たいと恩ふだけであるが、
併し実の異義を究明する潟めには
先づ第一
-71ぜを考察することが肝要であると忠ふ。
是れ私は第二
-71ゼの畳一義は第一-ア
lゼの
異義と照らし合せること仁よりて、始めて十分に究明し得られるものと考へるからである。
今第一ア
lゼに於てはマ
lyグスは、従来の一切の唯物論は只直観するだけの、
或は只観照す
るだけの受働的な唯物論であるに止まるものとして之な非難し、
そうして新たに寅践的な唯物論
を建設せんとする主志を簡軍に言越して居るのであるが、
其の全文は左の如くである。
「一切の是れまでの唯物論(フオイエルパツハのも一緒に含めて)の主要なろ検知は、封象、現賢一態、
成性が只客観の或は直視の形式の下で把捉される以〕げに止まり、戚性的に人間的である活動、
賞践としては、主観的には把捉されて居ないと一五ふことである。きれば活動的方面は唯物論と
は反割に、抽象的に.観念論ーー一エふまでもな〈現質的、成性的活動そあるがま〉のものとし
ては知識して居ない薩の||によりて後展ぎれたのである。
ア示イエ
YバヅA
は戚性的な||4
思想客観(思想事物)から現賓に阪別されたる客観(事物)を欲求して居る。併し彼は人間的活動実
物
ar封象的活動としては把挺して居ない。ざれば彼は基品目散の本質に於では、只理論的態度の
一昨df純一川一じ人間的な鵡肢とし
τ考蝶する
rりに止、り、えれに反して賢肢は只犬れの械ない猶
太的現象形式に於て把捉され、固定されて居るだけである。かくて彼は革命的活動、賞践的批
判的活動を理解して居ない」。
富山『日
1問=ね巾一切の町田町戸同百円山口出川町山
σPH出『羽門司〉
E275m門司国同三一山・
ω山一川凶
右のマ
IYクλ
のよ一豆地は甚だ簡撃でめるが、哲率史上から考察すると、業の真理憤値如何ば別
としても、甚だ興味める公園を表示するものにして、大なる哲皐史的意義を有するものと思はれ
る。併し此慮でほ実意義全躍に亙つで考察する暇はないから、只第ニ-ア
1ゼの奥義を了解する魚
めに、特に必要と恩はれる箱圏内に於て考察するだけに止める。
今右の一一品遁によりて考ふれば、
7lyクスが、千八百四十五年項、目疋れまで大に影響されて居
だアオイエ
yjソ
A
を乗り越へて、
彼濁特の哲接的立場ぞ始めて確立せんと金だてた際に、
j皮が
マl屯クスの認識論原理
l'I.J
71ルクスの認識前原型
四四
従来の
一切の唯物論に封して最とも不痛を戚じたのは、
或は夫れの主要なる快賠と認めたのは、
後にエング戸λ
が強調して居た如く、夫れの器械論的、器械主義的方面ではなくして、夫れの庇
観的、観照的な方面でめったこと、かくて彼が新たに建設せ八とする彼濁特の新唯物論の根本的
特徴として、彼自身が先づ特に強調せんとしたのは、彼の新唯物論は枇州諸法論的であると一五ふこ
とではな〈して、賢肢主義的でめぷlif山PAPLJ
でめっ仁↑」とが、推察3れるのでめる。ぞうし
τ
此日慌に彼が従来の一切の唯物論、桜町唯物論は直観的、制叫間川崎であ
J?として非難し
t屑らのは、
まり夫れは人聞かげ}本来受働的な存在でめるーと認め、人間の本来の能働性或は能働的活動性を認め一
ない、或は洞見して居ないが潟め一であり、又彼の新唯物論が賓践的でめることそ大に強調して居
るのは、
つまり夫れは人間の本来の能働性或は能働的活動性を根本的に重要叫すること合意味し
て居ると思はれる。此の事は彼が第三-ア
1ゼの中に、
「園墳の麗化及び数育に関する唯物論的皐
設は、国境が人間によりて盤化されねばならぬこと、及び敷育者自身が散育されねばならぬこ左
を忘れて居る」と遮ぺて居るのを見ても明白でめる主思ばれるυ
要するにマ
1Yグスは従来の一
切の唯物論は、本来受働主義であると認めて之を排斥し、そうして唯物論を能働主義、活動主義
〉
E525
或は活動主義的に解稗し、以て一の活動主義的唯物論代田口弘hZEZRF
に結び附け、
昌弘mコ山一一日
-E出或は一の唯物論的活動主義口一
==Er--z一E一三百〉
E525と耕せらる可き一の新
しき哲皐を、建設せんとしたのである。向ほ彼は哲墜に於て、如何に能働主義、活動主義を重要
視したかはコ第十一一ア
lゼに於て、「哲皐者は世界を只種々に解梓しただけであるが、肝要なるは
世界を麗化することである」と、述べて居ることによりて察知される。そうして在は哲亭史上に
於けるマ
1Yクス特有の意義は、即ち主(の唯物論と能働主義或は活動主義とを結合し融合せんと
しだ貼に於て、認めらる可きちのと考へて居る。是れ哲皐史上に於て、古来唯物論哲準は一般に
本来受働主義的なものとして、印ち人間を本来受働的なちのと見るものとして建設きれ、費達し
て居り、之れに反して能働主義、活動主義郎4
り人間営本来能働的活動的なものと見る見地は、常
に概念諭哲準に附着して、成は夫れの中に含まれて後達して居だのであるが、然るに今棺働主義、
一時勤主義な概念総哲師向上から切hJ離して、よJγ
唯物論折口ゆ一い結ぴ附け、
始めてん位識的計責的に、
の活動主義唯物論或は唯物論的活動主義哲皐ぞ建設せんL」した人は、買にマ
IMFクヌであると思
はれるからである。そうして
?1Yクスが千八百四十五年頃から新たに建設せんと金だて始めた
彼濁特の哲由学の根本的主回悶は、活動主義を概念論から間半び、しかも之を観念論から初旬離して、
唯物論に結び附けるこ主であったと云ふとと法、上に遜ペし第一
-71ぜの中にも明かに指示され
て居ると思はれるので、彼は其の中に「きれば活動的方面は唯物論と反封に、抽象的に概念論に
上りて愛展されたのである」と一五ふて居るのである。
なは右に述べし如
tに、
一、lyクス、は彼の新唯物論の創設の始めに、第一次的一人最と一色重要蝿
して屑たのは、賓践的であると一五ふこと、能働主義的、活動主義的であるL1二ぷふことであつだと
71レケ九円認識論原理
PLl 3i
ず
lルクスの引都議論原理
考へるのであるが、其の後の彼の曲学設の後展に於ても、彼の最中心的思想はヤAP貰践の思想、活
動主義の思想であつにと思はれる。そうしてマ
l戸クス主義唯物論の最根本的特質を耕一読法論的
で
Jめると一五ふことに於て認めんとする見解は、
マ1Yクス自身の見解であるよしりは、虫干ろエング
Y
スの見解であるのではあるまいかと岡山はれるο
と一百ふも放は決してアlyグスは排読仲間か
l-
重要
刺して舟なかっにと考へ品のでない。只
71Yク只自身め唯物論に於
τは、耕謂訟は如何に重要
円肥
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〈、其の最根本的或は中心的原理としての賓践或は活動主義の原理に従属するものとして、重要
脱されて居たのでめると考へるだけである。怖は私の見る所では(夫れは訣ヲて居るかも知れなνと、守
1Yクスが意識的計董的に、質陵或は活動主義と耕護法とを結び附け、賓肢とは卸ち燐読法的活動
を意味するものであると一式ふ様にA
ヅキリ解するに至ったのは、早くとも千八百五十年代の中頃
以後のことではあるまいかと思はれるc
かく云ふは少し大騰すぎる推察であるかも知れないが、
とにかく在は
?1Yクスは新唯物論を建設し始めた頃には、まだ賞践と解読誌との聞に必然的連
結が存立して居るとはA
ヅキ
y見定めては居なかっにので、後に至って某の蓮結を川ヅキ
P見定
めるに至ったのであらう左推察して居るのである。
ら、只極簡単に業の一般を述べるだけに止める。
此慮に其の理由を詳し〈述べる暇はないか
マ
1ルグスは千八百七十二一年に出版された資本誌第一巻第二版め緒ι
一日中にご私は殆んと=一十年前、へ
1ゲ凡の耕訴訟が主だ
時の流行であづた頃に、夫れの紳秘化する方面を批判門した」と遊べで居るc
そうして千八百七十一一一年から殆んE一ニ十年前と云
へば、千八百四十二一、四年頃に常るのであるが、彼は千八百山十一一一年三月からへ月主でに主ZC下して置いたと云はれる穴コ
zf
LZロぷ喜子222tznrt白中に、明かにへ
lゲルの排治法の紳秘化する方町即ち概念論を批列し、且つ賞際上観ATJ
排詩法
を現質排設法令合な唯物地叶法法に怖開化して遅川川ナる跡を一示して治る。叉千凡百四十四年白濁例年誌中の論文Ng『】
内
EPPM-P民一
1
2zg-unzr司一ロ75」LEに於ても同様であるc
品川ほ千九百三十一年にと=-2FEZ戸ヨ2ιFUZE255に於て、叉千九百三
十二年、ZE戸戸何J
ヨ目鳴何乙-『ω【
CU2己E戸
《rH円内必町内己}rα品包n巳Jr戸百己内日同口Mニ』t}』5正p乙戸
ιι「戸一-rハロE同ロM己《L戸ニ同7》
Y一固=圃口-TR=叫抗2m2つ♀}dL主}r王戸=2圃1伶ご-=三『=一寸zvお何守三司-r叫=ωEE口三一τ三)込-にでは、彼はA今j日主でに公にされた彼の著作中で、直接にへ'ゲル隣説
法の紳秘化する方面、印ち概念論叶方百士円前と
4詳しく批判門Lて成る(未完戒では恥るが)。更に千三自四十丘年に一出版された
が、併し祝にFへ白凶十問ん干の弘、に書き上げら札ては杭たと一五は
ιるウETZ-問。H-2回目己目に於てd旬、へ1ゲルの観念論は深刻
に批州ぎれて計る。裂す?のにずんクスは資本論第一容第二版の渚百巾に湛tて服る知〈、千ヘ百川十一口、四年頃にはへ1ゲ
ル併設伝の神秘化ナ
-OJh刷、即ち帆叫念論的方-川
h
ゲ宇佐んに批山内しぞ
JAた一円tbhbo向王丸貧際上ではへ
JVル隣諸法的「合瑚川
出品髄」を洞見し、概念弊護法を唯物由開設法に捕略化して運用して民たことも認められる。併し耕詮法的方法として概念耕説法を
唯物排詮法に改泣する方法論的或は論哩撃的理論に枕では、意識的計芸的にはまだ全く論漣して局たいと思はれる。
へーヂル緋詮法に封ずる71bグ入の同僚な態度は、更に彼の千八百四十五年及び凶十六年間の著作に於て屯見出され一由の
であるが、周年間白著作に於て先つ法目す可曹は.フオイエルバッハに闘するテ1ぜ
y及びCEι2tnZTZ己認目中のフ才
イ孟ルバッハ論に於ては、彼は排詮法と一五ふ請を一度も用ひて居たいことである。そうしてり=PERZEE{C町四仰の他の諸
部分に於ても彼は排設法に就ては別に論じて局な
ν、叉時に折り夫れに論及する場合には、ャハリロ(廿去の概念論的方面を排斥
するだけに止まうて居る。倫ほ此の問題に闘して、早い時代の彼の著作中最とも注意す可きものと思はれるのは、千八百四十
七年の著作
-b】訂正目音吉辛子宮ち百第二字、第一節、「刀法Lであるが、(但し其慮でマ
lルクスはへ
Iゲルの排詮法を経
済撃に謄用して、新し曹経滞率、或はマ
lルクスの一一ムふ「経済撃の形而上早を建設せんとナるプル1ドンの方法を、詳し〈又
深刻に批列して居るのである)夫れによりて耳目人は71ルクスはプル1rンとは異なって、へ1ザル排詮法皇刀法的論理的民
髄を深く了解して居たこと、叉プル11ンは其の真髄を誤解或は曲解して目的る左云ふ彼の批剣の正営であることを皐ぶのであ
るが、併しへゲル排詮法其物に彼の加へて居る批列は・ヤハリ其の概念論的方面に関するものであるだけである。即ち彼は
71ルクスの認識論原理
四七
マ
1ルクスの認識論原理
同i¥.
左の知〈に論じで居るだけである。「か〈てへ
1バケルにありでは、生起せる叉宵ほ生起する総てのものは、主さしく彼向阜の
岡山惟の中に起る世胞のものである。か〈で同胞史の哲撃は只哲血干の廃史、づまりぽ只彼向身の哲皐の隔地史に外なら向。時間の順序
に従ふての廃市民たるものは全〈存在せず、口(車に理性に於ける観念の継起が存在す乙だけで之乙
v
へlv凡は問仙沼円運動を手
段として世界を構成し得ると信んじで早川る。併し彼ほロハ各人目頭の中に£る思想を組織的に組み換へ、問問刑判的方法に従ふて分
類して居るだけに過U
守ないのである。」
扶川、b
ば「、
1ルクス山下、
へ1ゲル排諸法む論理的方法的民怖を守概念論的基礎から切り離[、唯物論の基礎の上に唯物排説法
とLて、意識的自意的に円ツキリ裂きょげんと
7るに至ヲたのは何時開であ、七、ヮかc
それは宅戸分彼百千八百
κ十九年にふ九にせ
る著作子一一h=-PA目立
tEEL-2二
v
一こさEEを惟備LつL
あった頃であ
b7kmuはれるOLf
云ト釣は、役は悶舎の椛備山地妙
1ツ泊めることれ一エツ
μ
山スに、寸山知v
一一仁川ψ
千八一山一千寸ハ年一月JL
例日附付
czr倒ゅに定め如〈匙ベマがるめら町、正
ZV「本
書の仕上白方法に就ては、僕が偶然なことで令
~E55Fがもと
-rfEEが所蔵して活たへ
1ザルの著作数冊を見附けて、僕
に贈物として一送づてくれた可へ
1ザルの論理撃に再び目を遁したことが僕に大場役にす一った。若L何時伽か
LZ仕事に一再びカ
を法円、時が〈るならば、僕はへ
1ザルが授見したが、併し同時に紳秘化
Lて什舞ふた方法に於ける今理的真髄を一一三印刷会祇
に書き上げて、一般の人々が理解し得る様にして見たいと大に喜んで居るo」
右の
71ルクス空百葉によりで、五日々は是れまでへ
lヂルの排詮法を批列すると一五へは、率、b夫れの嗣制念論的方面即ち彼が
紳秘化ナる方面k解して居たものを批判列するに止まワで居た彼が、「経済畢批州」の著作に従事Lて居た際に、偶然なこ
kで(
1FLFの論理墜を再讃し、方法としての緋詮法の論理的真髄を改めて深〈洞見しで、之を唯物論的に改造し、唯物排詮法を築
奇上げんと計室内に努力して来たこと、又夫れが矯めに一の著書を八位にせんとする念願をも起して来たととを・撃び得るので
ある。そうして若し其の後彼がかふる著害を書き上げる時を得たなbば、恐b〈は其の中には彼は唯物排詮法の論理由市平或は方
法論を、大穂上に於てなりとも論遁
Lたりであらうと思はれるが、まだ彼の遺稿中にかふる著作の遺稿が稜見されたことを聞
かない
Dは遺憾である。
なは大髄上右に述べしが知号事情によりて、
7
1ルクスは寅践と誹詮法との必然的連絡をハヅキリ九定めるに至一ツたのであ
らうかと考へで居るのであるが、角ほなは此廃に随手に注意して置きたいのは「経済宰批列吊版後に於ける、へ!日ゲルに封ナ
る71ルクスの態度の端型化しで来たこと
F
叉彼に従ふてへ
1ゲルに封するエンドルスの態度も麹化して来た己正である。
司、
W
'̂
bpbJ
ールクスは千八百川十三年頃からフオイヰルバッハ的影響によりて断然唯物論に鱒向しで以来、へ
1ザルに謝して常にと一ツ亡
居た態度は、街逸概念論の機化と
ιでへ
lゲル哲撃を非難し、排斥ナる反へ
1ゲル的態度であづ七が、「経済事批列」の準備の
際、上に漣べしが知奇偶然な事情で、ヘーゲル論理由時半を碍讃して、彼の排説法の所調合理的員髄を深〈球ふて以来、へ!日ゲル
に鵬到する右の態度が段々に同由化しで来たと忠はす90
そうして其の建化は遂に資本論第一巻第一一版の緒詰巾に見出される如〈
彼向か
b一件ぴ向分はへ
lゲルの門人或は問中徒であると公一言ナる主?にも主らしめたのである。「然るに忍が資本論第一巻を仕
七げたまざし〈共円一頃では、
A1zγ
教養ある何回泡の牛平をとって居る、気J
ハかし害、不遜な、横柄な、凡荷な亜流墜者逮は、大師帽
な
る
モ
ゼ
ス
-Jhγ
ヂル「
lγ
がレ
yシングの時代にスピノけアを取扱へる知〈に、即ち死んた犬と
Lで〈}ゲルを取扱ふてLん
に得意になすで居た。きれば弘は其のに忠思案士一ケル)内門人或は串徒であると白から会討し、そうして償値論の掌に於て
はリザと彼特有の表現白仕方を其慮比慮でまねたくむひである。但
L資本論第一巻円償値論は同容認一版の緒
L
一一一日の始めに、,
F
ルクスが辿吋て居1u
庭によりても知、口
μφ
知〈.「径府川』市平批舛」に於て大偶上闘に論述されて法るものである。かくて
同市
Npg・-の一五ふ、マ
lルグーの-凶ぴ、
lゲルヘ川口541つづ品目】去は、「刷出泊四千批州」的準備中に起土るものであとことオ察知さ
れ町一のであ
40リ
LPM内I
何回同市HV
〉
ZZFごと
}gロL-
印・ロUN
私は大韓上右に遁べしが如くに考へて、
「経持率批判」の準備の際に、
マ
l
yクスの再びへ
1グ
yJ¥
の
コ一
-2品ロ与に口市川
は、彼が
義を探〈了解し、
人間的賓践とは耕謹法的人間活動を意味する志のと考へるに至ったのであらうと、推察する
偶然へ
1グ
Yの論理皐を再議したことによりて.
ぞうして意識的計査的に唯物排読仲間を作り上げ、
改めて解説法の異
叉之を寅践と必然的に結び附
けのである。
却設忍ば以上越べし如くに、
一、1Yクスが千八百四十五年に彼濁特の新唯物論の土憂を据へ就
げた際には、
夫れの根本的特質を賓践的であると一五ふこと、能働的活動的であると一五ふことに於
て求めたのであると考へ、
又其の賓践の思想、
能働的活動・主義〉互〈225の思想を彼自身明か
マl
レクスの認識論原哩
1"1 九
71ルクス白認識論原埋
五:
正〉
に遁べて居る如
tに、観念論から皐んだのであると考へ.そうして観念論の活動主義の思想を、
精神的なるものから戚性的なるものに轄化することによりて、之を樽来の唯物論に結び附け、
力、
くて貰践的成は活動主義的唯物論とか、又は唯物論的貿臨主義戒は活動主義とか稿せらる可草、
全く新しき哲準的一方針を立てたと一百ふここが、即ち彼の官年史上の特有の志義であると認める
のであ
J
る。併し夫れと同時に、
マlwクスのか〉る哲事的新方針に謝して哲啓上甚忙重大な名根
本的問題が旭って九ろと応はれる。夫れは印Jhタト
r概念論の活動主義の思恐台、精神的な'のも
のから、
戚性的なるをのに蹴開化して唯物論に結び附けるとしても、
ぞれで果して全然観念論的要
素を合まない純粋な唯物論が建設し得られるであらうかと一五ふ問題である。併し此蕗で特に此の
問題念論究する暇はないから、只第一
-71ぜに於げる賓践的唯物論の最根本原理の言述に閲して
は哲拳上直ちにか¥一る問題が呈出きれると一五ふことを指示するだけに止め、是れよh先づ第一-ア
ーゼの異義に従ふて第二
-71ゼの異義ぞ解揮し、突に之を批判するに営って、認識論上かム自か
ら呈出されて来る同様な問題を論究する際に、右一
ω問題を其の中に合めて一緒に考察することし」
A1是れより、第一
-71ゼに於てマ
1Yクスが新にに建設せんとせる唯物論の最根本的特質は、
質践的主義、能働的活動主義であると云ふことであると認め、そうして夫れに従ふて第二
4
プ
1ゼに
於て彼が論述して居る認識論の原理金解稗ぜんとするに営って、向ほ先づ考察して置きたい一間
題がある。ぞれは哲拳史上に於ける、又現代哲畢上に於ける〉
Eis呂田と〉
rFE一EHEとさ円
mロ】丘町EFZ'どの闘係である。併し此の論文の頁敷は限定されて居るので、此昆に此の問題を詳し
〈論遁ずることは出来ないから、只営面に必要なる限りに於て、
ほんの一般的に論避するだけに
止・める。
第三節
hvw広三国自己固と
hvwEPHE55と
MV旨田岡田恒江田自国国
アハソヂワイ
F、J
ァ、
rfぬよ
bzqZL古川
hah-53劫
K定、
干
l止日HTtlIJ官日目司
tf古車↑二当事
7hリ
J
7リズJ
7
グラフマ
Fてムに
現質主義及び質際主義の
一般的概念
2、三者の相互聞係の
山肌114
・rL4JTT川、
a酎ドJ
d
v
k
p
ス〆
yォff一y
fッA
に制すりO
プ|ザンに於げる、7
V
グ
ー
η胃俊拘粍防命
η騒役作
(aill-J7{
・7
;
的特質と、認識論原理との閥係を、哲拳史的に了解する一指針止したいと思ふのであるが、先づ
活動主義の一般的・概念を謹べて置く。
活動主義は哲準史上又現代哲準上、現買には種々様々な形態に於て発達して居る。そうして大
瞳上から見るも、少なくも形而上準的活動主義、心理撃的活動宅義及び一定の文義運動を意味す
るものとしての文義的活動主義等が、匝別し得られるE
ど思はれるが、此慮では主として形而上曲学
的活動主義に就て少しく述べるだけに止める。
形而上準的活動主義も賓際に於てはヤ
AY種々様々な形態に於て竣達して居るが、んま(の最と
も一般的な特質を抽き出して、其の一般的概念を規定すれば、要するに夫れはつまり、精神に於
マl
ルクスの認識論原理
五ー
71ルクス町一沼議論原哩
五:
ける活動要素或は能働的なるもの営特に強制して、
一明の形而上率的問題を解決せんとする哲皐
的立場或は哲率的方針を、意味するものであると一五ひ得られる。向ほ此の哲率的立場或は方針に
於て後述して居る一の著しき特徴と認め一られるものは、知識及び科撃は如何に重大なる夫れ自身
慣値を具有するにせよ、決して絶劃的な終極な目的ではなく、つまりは文化理念及び人調理念を目
概'として、倒人的及び一枇曾的生活ぞ合目的に形成する一
ω子段に外ならないもの
E見る見解市?の
ぐっして五日々日哲郎史上じ於「l
以此の活動ト・主義mw比較酌に最とも徹底せる代表的
iJML日仏山争
41u
てJ
。
Idl町、
dM円ι4
哲出午者をアイヒテに於て見出し、
又現代哲事に於ては之をオィケンに於て見出すことが出来る。
フイヒテは倫理的行魚はまさし〈外界の存在引基礎にして、外界は只五日人の義務勺感受化されたる材料に外な、b
尚もの、精紳
的世界は能働的に巳れ自か、b築骨上げるものである主論じ、又オイケンは精州生活は常に己乱向身からん弛々よ仰'高号、現)貨を按
嶋一口…仙一勺論併し汎く活動主義的と稿し得られる哲皐者ば、殊に現代の哲撃者の聞には甚だ多いと
思はれる。
;火
〉
r門戸冨』岡山55
の一般的概念を遁べで置〈ο
〉
EE白]255は一般に現質設と課されて居る
を意味するものの様に解されて居るから、
が、併し我闘では普通に現貫主義と云へば
mg-55目
〉
-15]255s乞現貰説と課する場合には、業の真意が誤解され易い恐れがある。それで私は言葉に
囚はれ?に直ちに其の異意を表示する矯めに、
之ど生成主義とか杭翫主義とか課して置く方がよ
、かと思ふ0
(
但し〉fg-EEZを現賓命と詳する人々は、目白555を潟責主義)
ヵ
e
F
とか、貰九五論とか、賞在論とか諜L
で雨者を区別せんとして焼る」
と云ふのは
〉「門戸-P
一32=出と
は一般的には、
現賓態の一一極或は現一貫態一般は一の賓煙的、
静在的存在に於て存立するのでなく
活動に於て、生成に於て、流動に於て、遇税に於て成立するものと見る哲率的立場、方針或は畢
説を意味するものであるからであ号。そうして生成主義或は流動主義〉一己主255色亦賓際には
種々様々な形態に於て後述して居るので、少なくも先づ形而上率的生成主義と心理率的生成主義
とが匝別されるが、
此定では小卜しとして前者に就て考察するだけに止める。
要するに形而上準上に
於ては、生成主義は一切の現賢態は何慮でも亦何時でも静止しない生成であるとして把捉する見
j~平
一切の現貫態は思叫には物政は質酷『として現はれJL居るが、併し結局は絶封的に同定して居
る荷負者に結び附けられないで、犬れ自身術立である此の活動の流出であるとして把説する見解
'f沿いゆ品川ー「;〕/7Dl〉C
-A川?Jrυ4JOZ
事
-7;l、
カく日L岬ゅは
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R~品仇~、
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7mh人d
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千了七)私品川叶吉郎街、
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、
梶山断7
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存在はロハ生成の一の特殊な場合、只相針的に安定せる生成に過ぎないものと考へられて居
3
0
古代哲間中にありでは、ロ2口三日戸は生成主義的代表的哲撃者引あり、一辺肝一哲撃にあリではフ
fヒテ、へ
1uゲル、
hy
ヨヰン
ぇハウエル等も止へれ夫れの意味にて生成主義者三あると云ひ件、U
札、現代音問円十日~於てはヂイルダイ、ベルゲソン、ウント
其他多数の著名なる哲筆者が、夫れたれの意
味にで生成主義者主解し件、Uれる的ポある
A
AbAV
、終りに賓際主義司「白色
ECE=加の一般的概念に就て少しく述べて置くが、z
官、際主義も生物接的.
心理準的、主意主義的、目的論的、活動主義的等の諸形態に於て後遣して居るので、
そうして其
等の諸形態に於て夫れ夫れ特殊な意味をも併有して居るが、
一般的に一五へば、貫際主義とは要す
るに知識及び事問一一般を生活或は生命、行品m.貫践と直接に結び附け、
一切の思惟及び認識を何
れかの目的に向けられ、即ち貫践や行震の目的に叉思惟某物の目的にも向けられ、開心、慾同君、
マ!ルクス内認識論原理
11.
マーハクスの認識論原理
五
凶
意志傾向等に源を殺するもの・として考察し、生活及び行活に役立ふり、之を助成する殺カに従ふて
一切の岡山惟及び認識を評債する哲準的立場或は方針を意味するものである。かくて質際主義は常
に思惟、概念、判断、暇説、理論等の作業債値、理論的質践的効果性を問題とし、思惟及び認識
つまり拳問は白己目的ではな〈、生活或は生命、夫れの維持及び後遠の危めの手段であると見る
プラグマチズムス崎其の減を港〈古代印度留軍宇古代希胤官町内干に静岡L、,「ケフしご中旨己管事及び近世哲凧+を且
Uでみのる。じて、種々仕る形態千種々なる度今に於て現はれて居たが、樹立なる一の哲山中的立場或は方針として昨恨んに宇一
医されて慌たのは、呪世紀に入りてかふ-勺める。殊に米凶に於
tkに後迭し、一川町は米関氏特府内凶氏自問中古あるとま♂~栴せ
ら札て居た。体L種々なる度A口叉種々なる形態に於て、欧洲諸国の現代官製に於ても焚達して泊るので、確かに現代哲撃に於
ける世界的た一立場或は方針と
見倣し得、bれるものである。
却設活動主義、
生成主義或は洗動主義、
及び貫際主義
ω一般的概念は、
大悟上右に辿ベしが如
くに規定さる可きものと恩はれるが.今此等の三主義或は三つの哲率的方針(立場)の同には、詳
しく吟味して行〈と.論理的に親密なる種々の関係が存立するとどが見出されるのみなら十、克
に哲曲学史を通じて、又現代哲皐に於ても、此等三主義の総て叉は其の中の何れかの二者が、賓際
上同一の哲皐者或は哲準に於て、相互に親密に結合し連結して現はれて居ることが、屡々後見さ
れるのである。そうして在は此の事は哲皐史的研究に於て、重要なる一現象として控目きる可き
ものL」考へて居る。併し此慮で此の問題を詳しく論述する暇はないから、ロハ主として現代哲準
ι
就て若干の寅例合あげて二一宇一義の閥係の一班を指示するだけに止めるが、在は右の三主義が何れ
かの度合に於て三つ?とも相結合し相蓮結して現はれて居る哲聞学者の賓例として、少なくもヲユ
F
Z-口支出円一回目・
出口「m-D-fω円一己一-。F
〈-一一=ニ間口
三宮一r
()印[戸、与一ュ等が来げ得られると忠ふ。又特に活動
主義と賓際主義との二者が、親密に相結合して現はれて居る哲聞学者の例としては、。D2rpγ53
ロ一司コ門}ゆ
-w』巾『
zzrE等
ω人々が濯げ得られると思ム。そうして
?iyクスは前者の部類に属する
哲嵐千者の一人であるので、要するに彼は前節に於て堪べし如〈に、従来の一切の唯物論が直視的、
観照的、受働的でみるのど非難し、観念論から活動主義、能働主義、賞践主義の思想念削学び.之
れに賀大なる改援を加へて、略物論に結び附け、以て寅践的活動主義的唯物論争}創話したのであ
ョ,小、克に伎が世界の本糟と見る物質台、活動トじ義の
ku日に従ふて本来連動する物質であると見
3ミf
とにトナqて、生成主義或は流動主義なヤパリ概念論からとり入れ、之れド章一大なる改的慨を加
へて唯物論的流動主義或は生成主義合主張したので、かくて彼は認識論に於て色、白から宵際主
義
4e主張するに重ったのである。
なは甚だ筒向車ながら以上越ぺし如〈に、汎〈哲事史上から考察して、形而上与に於て活動主義
及び流動主義或は生成主義を唱へて居に7
1
Yクスが、認識論に於て賓際主義ぞ主張して居たの
中、営然であることを先づ指示して怪いて、是れより第二-プ
1ゼに於ける彼の認識論の原理の異
品唱を究明したいと忠ふ。
第四節
第二子
lゼの認識論原理の異義
71ルクス句認識論原理
五五
マールグスの認識論原理
一Fh
A
、
3
J
Jノ
今一、
1Yクスが第二-ア
lゼに於て遮べて居る彼の認識論の根本原理と一ぶふは左の如きものでめ
。る
「封象的真理は人間的思惟に到達するや否やと一式ふ問題は.理論の問題ではなくして一の賓践
的問題でめる。賢践に於て人聞は異理,却も彼の思惟の現貫性及び力、此岸牲を謹明せねばな
らぬ。買睦から切り離されて居る思惟の現貫性又は非現質性に闘する論争は、
乃-屯スゴブ苛
〈
j4
一
旧日的問問一じめ
'QKEEM』
Mhロぬれゲ
(5EMVP24FFF5〉σ門叩
HEAFEVω-J‘
'JL
S
丸、'"
五日々は右の言辿によりてマ
1Yクスの認識論は、先づ賓際主義的
HEmERZnuなものであるこ
と、又其事は前説ド於て述べし慮の、活動主義及び流動主義或は生成主義と賓際主義との聞係か
ら考へて、常然であることが畳られるのである。併し
71Yクスは活動主義も亦流動主義或は生
成主義も.共に概念論から皐びながら、之を唯物論的なものに改造しにのであ
v
るから、彼の賓際
主義も亦ヤA
リ唯物論的に改造きれたもの、印ち唯物論的責際主義であらねばならぬ。然らぱ唯
物論的責際主義としての彼の認識論原理の異義は如何なるものであるか。
A寸前節に於て述べし慮によりて事ばれる如〈、活動主義は哲事史上本来概念論に於ける一の方
針或は立場として、又は少なくも観念論を全然排斥して純梓なる唯物論全主張するのではない虞
の哲皐に於げる一の方針或は立場として後遺し、且つ現代哲皐に於ても本来同様な一の方針或は
立場・として驚達して居るものでJ
のる。きれば之れと連結して、或は之れの一踊結として認識論上
後達して居る賓際主義は、認識論上の一方針として、本来認識主観の、或は認識主韓としての人
聞の能働性‘活動性を前定して居るものであらねばならぬ。要するに形耐上皐上の活動主義が‘
精神に於げる活動契機、能働的なるものを強調する形而上事上の一方針であるに相臆して、之れ
と結び附いて居る認識論上の貫際主義色亦認識主観としての精神の能働性、活動性を前定して居
るちのである可きである。さればマ
IYクスの賞践的唯物論は、唯物論である以上、一五ふまでも
なく人間を本来精神的存在とは認めや、随ふて恨本的にば精神の能働性、活動性を認めや、ぞう
して人聞を本来戚性的存在と認める'ものであるが、併し活動主義、賞陵主義である以上、戚性的
有在としての人聞の沼動性、能働性、人間の戚性の能働性、活動性を強調するものであるかち、
之れに結ぴ附けて認識論上彼が主張する賞際主義も亦之れに相脂して、認識の作用に於ける主睦
としての戚性的人間の能働性、活動性、
つまり人間の域性の能働性、活動性を前定するもの、或
は肯定して居るものである可きで
J
のる。そうして賀際上認識の作用に於ける戚性的人問、或は戚
性の能働性、活動性を肯定するのが、即ちマ
lyクスの認識論の根本的思想であると思はれるので
マlyクスが彼の貫践的唯物論の最枝本原理として立てで居
ある。備は深〈推し究めて行けば、
る思想、卸ち域性的人聞は本来能働的、活動的なものであると認める思想は、認識作用に於ける
戚性的人聞の能働性、活動性の思相引を、本質的に合戒して居る色のと考へなければならない左思
はれる。是れ71Yクスの云ふ戚性的人聞の能働性、活動性なるものは、決して雌性的人間は只
マ
11Hク之の認識論原則吋
~rr:
ヒ
7
1
1
v
クスの認識論原理
:九ノ、
外界の刺激に封して無意識的、盲目的に反動するこ'とや、衝動的に又は域情的に反動するこ?とを
意味するだけのものでなく、成性的人同の能働的な認識作用に基いで反動すること、邸主令理的
に活動することをも、意味して屑るものであるからであ忍。か
tてf1Yグスの認識論に於ては
彼の解するが如き意味での戚畳は、間十に外界の事物の其の俸の摸潟、反映、映像伝意味するでけ
の、純手~働的な志のではなく、少なくも何れか勺度合に於イし能働位、活動性を具有するものと柳川
什
-Aばならぬ。そうしてか
t解」る乃uyw
叉伎一川一民意でみったこ問山、はれる一川いである。
然るに今第二-ア
lゼに於て述べられて居る
?lyクスの認識論の原理の異義を、右に述べしが
如くに解蒋し、彼は認識の作用に於ける認識主韓しししての成性的人聞の能働性、活動性そ肯定し
居たと認め、かくて彼は成畳全車なる号働作用とは考へや、一定の能働性を具有するものと解てし
て居たと認めると、第一節中に述べし如くにエングY
スが寸Yトグイヒ・ブオイエ
Yバソ
AE古典的
濁逸哲串の終末己即ち
?
1
Yクス主義哲皐の入門書ーと色亦、夫れの一一砲の麗典と色見倣されて居
る著書に於て論遁して居る認識論の根本思想、又之れに従ふてレ
1ニンが彼の哲曲学上の最大の著
書、「唯物論と経験批判論」に於て諸家の説を排撃し罵倒しつう論述して居る認識論の根本思想は、
?
1ルクス自身の認識論の根本思想とは合致しないものとなって〈る。つまり且ング
yーも
vl
ニン色マ
lyクスの認識論の根本思想を正営に了解せで、随ふて彼等の、殊に
vlユシの政治的活
動主義の校本精神と認識論の根本思想とは相調和せ守、矛盾して居ることになるのでめる。此事
に目減ては在は此虚に先づ米凶
ユ
1・ョ
lク大準哲皐助放授
羽〉ベ一=のて
{-dor 炉、・本午森公にせる著
宝日
HFミと己目己戸内
dE巾22-HLEnc『
Hhhzー一
P22中に論述して居ることを遁べて置く。
伺しフ
lク
ば今日米凶に於げる
7lyグス主義聞学者の一入、
殊にマ
1Yクス主義唯物論哲閉山干の精究者として
知られ、之れに閲する若干の論文を同凶の有力なる哲皐雑誌上に色公にし、又
吋宮内開=円山、口]G-uhH角川(}戸田
(
『
門
戸
内
切。門戸山
∞2巾=門市立
ぞ...<, 》
-つ
(最幸四日刊
2官)中の「唯物論」も彼の筆になれるちのである。
そうし
てア
lク岐川書に於て、
tコず
lvケ
』J
J
・
-
/
ぇ,戸「アオ
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守、ソ、--日間』i}
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寸戸ド一ソイピ。ゾ刈イル一
/伊ソ、
-rh川出、九けJ
圃
nMV
パノ
jjFld/'空白引
逸哲皐の絡ぃ本」
に於て遁ぺて居る認識論との差具に枕て、
左の如く逃ぺて居る。
「ブポイエルパソハに関ナるナlぜン!一及び「猫也イデすロギ
l
一等の者作に於では、
7
1ルクスは彼のへ
T
夕立川健統を忠
貨に守りて、人間の感覚北び岡山怨昔、動物的有機憶に於げる閏境の衝撃の受働的自働的結岡市と見る一切白器械主義的唯物論
に粉砕的宣告を下して一泊た。彼は一切の以前市唯物論市川つ主要なる怯魁は、意識的活動一般及び待に文化的選探作用の判明に賀
・するえれの無能力であツた14主必した。フオイエルパソハ宏文の政治思?の政治的受働主義は、感覚は客観的世界内直接形像、
知識を産む炭素複潟的報告であるとえふ彼の信仰に、其の一根誌を有ずるのであワた。ず
1ルクスにあっでは、械受は寅践
的感性的活動の諸形式であ7
た。感覚ほ知識ではたいが、併し活動に於てえれ向身で完成する知識への刺激であワ方。感覚
は夫れ以外白何物でもあり得なかワた。然、bざ札ば枇曾的相互作用、夫札花〈ぱ肝一界は国型形され得ない虎の社合同的相互作用
は不可能となる。若し人周が人間を制約すゐ閤境の上に反動し、之を国型化、Fるととが山来ないたらば、杭舎内革命は最早人
間的、活動白一形式として認め、bれることが山根ず、今理的力皐或はエれや
F1壌の或匂回剛式に於げる偶然事に蹄せ、h一札る。
併し一切の社合的活動及び漫化は人間四心中にある観念によりでは介さ引いて泊る。さ札ば観念は受働的心像ではあり得ない
観念ほ詑働的活動的道具であらねばな、
bqJエシザーへは徒の「ルト肘イヒ・フオイL
ルパソハと古典的街漁村撃の一終末」に
7
1レケスの忍識論寮理
:fL
7
1ルクス
m認識論原理
o
於て、地問詮法的唯物論の唯物論的基礎を保護せんと企にてるに常ツて、,
I
孔クスの認識論に於ける此の貰践的要素の地
位及び重要性を十分に強調して居たい。彼はフオイ五ルハヴハの粗雑な公式を受け容れた。そうして其の公式に従へば感
提は外界内一捷お及ひ映像であるのである。併し若L感覚は口ハ反映に過ぃ予たい
4町一?あるた、Uば、観念が事物を趨形L或は芋
命するを助けると一百J
ことが、如何にして可能であるかは到底説明きれ得ない。且ンザルスは、かふる説明を敢て企だてず
にフオイ品ルハヅハの粗雑な公式を其の憶に受け容札て
mmたのである。
L
ンザ
:Aは感斑や一知識への賀質的手がかりとは見
ずLで、知識を感覚と同一化し、そうして真理を叱等内感覚と外界と門間的令孜として定義して治
ω。併しかh
る仮設に於
ては、人間は加何にして彼等の感覚円鐙術的闘を枕却し得乙ト、如何に
LI也被竹すのは一党一応外界と桁臆するかを決定し得るか、
・官h
際に於て刈川にして外界L
二百ふ品川な}むのが存在一ナ心---らど州り待』むかは、一の川部止たζ
のてあと。
なるほどエンゲルスは賓験及び貰践に訴へることによりて此の紳秘を解消しようと企だてた。併し抑土貰験なるものは、
彼が理解して居た知〈、再び直接知識の場令であると認めらる可骨感受に院着するのであるから、彼は「貫験からの議論しを用
ひて攻撃したと
A
1
ふの近代的随従者よりもJ呉哩及び存右の非感覚論的畑町、準に、一歩もより多〈近づいて活たかワた。
7
1
ルクスにありでは寅験及び賀践に訴へるととは正首であったc
札芯れ彼はへ
lザルの一精紳の現象阿イ」の級密な一研究者として
既K知識的直接性の信仰を放棄して舟たからであるU
7
1
ルク
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は形而よ早的唯物一諭に反封するものとしで、街逸古典哲事
の主要なる貢献は、夫れが心の能働或はが動を強調する黙にあると考へ、そろ
Lで夫れ円概念論的州解を矯百したのである
ンの政治的活動主義と彼の認識論と
ω不調和に就て、左の如〈論じて居
女に
Y1クは、
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る。
甚だ奇妙にもレ
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ンは、彼の政治的活動主義及び夫れの根抵に存寸る庭の、一何が匁さる可寺か」に於て論述されて目的る、
相互作用の動的哲撃と、彼白「唯物論と経験批剣論」に於てきほと熱心に彼によりで排諾されで一川る知識の器械的封臆説とは、
到底調和され難きものであることを看過して居る。此の認識論に於亡は、侭は「感覚は事物内被潟、目的由民、模像及び鏡面反
映であるよそうして心は認識作用に於て能働的でないと云ふ彼町三日辿に於て、一一一H
葉通りにL
ンゲルスに迫臨しで居るc彼は
若し何人でも、仰心は一脚経系統及び過去の田町良町一組てによりて制約さ
ιて、一応能働的回蒸L-Lて詔識の作用中に入り込む
と考へもならば、えれよりしで常然仰心はえれ内身内脳髄を主含めて、存中仕の一切を創謹すると信じなければた、bた〈たる
と信じて居る様である。若しそうであるた、bば夫れは紛れもない翻念論であり、ぞうして概念論は宗教及び紳を意味十るも
のである。併L命題刊か、b川へ進み行くことは、相川俊
L得りれるだけ最とも明白なるfp合理的推論である。レ
1
ユンば枇舎
内本命の理論及び寅践L
一しての彼ので凡ケ弐宇義内慨む咋傍めに、勿論的事L
一して、知識は一の能働的事柄であること、
吻賓と文化と心との楠互作用が一行は札る一司週刊住『あること、予?しで感覚ほ知識ではないが、併し知識が依て以て働〈材
料内部分であることを、ヲ取認tf
一ねばならない。是U
ばマ
11クスがフすイ」んバソハに関する彼のテーゼンに於て、叉彼の
『阿国逸イデオロギーLに於てとれるす一場である。何人でも若L感受は外界の其叩慌の複潟であり、叉成山一覧はえれ自身で知識を
市ハヘると倍んずるな、U
ば、其内人は宿命'主義及刊日鋒械主義から脱却することは出来なU
。
人1
以
t引用せるア|グの論遭いよりて、エングwy
スが少なくも晩年に去るまで、
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1
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主
義哲魁干の一最とも重要なる彼の著作に於て主張して屑仁認識論
叉
V1ニンが依の哲率上の最大若
作「唯物論と経験批判諭」に川氏て、
印ち認識に於てはば
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ンゲノ市川えに従ムで唱道して田川た認識論、
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lyクスいか断然排斥什一る醤碇観的観照的受働的認識論の遺物であって、
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ス自身の認識論の奥義と一致して居ないものであることは、明かに皐ばれると思はれ名。
長3ニトずlvhノミ戸、
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ノノノ一/戸
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yjツ』に開寸る一プ
1ザン中に論議して腐る彼の認識論の原
理
ω異義ぽ、
上に溢ベしが如きものであるとすると、印ち認識の主瞳『としての戚性的人聞は本来
会〈受働的なものでなく、何れかの意味にて本来能働的なものにして、そうして彼は戚質実物金
もプ
1グの解するが如きものと解して居たのであるとすると
吾人の哲準的思索は其の酷で満足
して完全に安息し、放て夫れ以
tに進んで推究しようとはしないであらうかつ
只今日のプロレタリアト、殊に現階段の勢働者の革命運動の陛界観としてのみ、利率の異義を認
7
1
Yグスの如〈
マ!斗クス内沼議論原理
~
P、
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4 fJ
そうして私はマールクス包認識論原理白民義i.t、:k穂上フークが解ナるが長日寺ものと認めるのが、比較的に最』も穏常であらうと考へる。併し右のフークの解穣は彼の創見ではな〈、1J'f太平 Bojog;na 大主要の教殴l'urlolf(J Mondolfo が191且年に公にせる著書 rl material出回o Sl.oT1CO 1t~ .Fcdcrico
Engels の中に、慨に詳し〈論越して五.~;るものに多少の修正を加へたに湿年'ないものであるので、なは此慮に先づ J¥1:ondυ1ft) の説を湛〈た後に、フーゲ
(1)
?ールクスの認識論原理
J_ p、
めるに止まらんとする以上は、人聞の認識論的活動性、能働性の究明宏も其の鮎で止め一てよいか
も知れない。併し世界観としての哲撃は、只人間の一部分、すトヒ比較的により大なる部分であるにせよ)
に封しての問題であるだけでなく、人閉会躍に劃する問題でめると考へるに於ては、五日々は到底
人間の認識論的能働性の究明をも?lyクスの止めた黙で止めることが出来宇、克に夫れ以上に
推し進めて行
hryる?得ないLι
思ばれるuq77して夫れ以上に推し誕めて行〈と、現質なる人間
は認識論的考察に於でも、本来只欧性的存在であるに止まると見るのは偏見であって、叫んの戚性
的存在の奥底に、或は君、mw戚性的存在と相件ふて、人間の精紳的存在をも認めなければならない
と思はれる。倫ほ夫れより遡ってマ
1Yグスが行動の主躍と見る戚性的人間に於ても、ヤ
A
Y
共の戚性的存在の奥底に、或は夫れと相件ふて人聞の精神的存在ぞ認めなければならぬと思はれ
名。要するに在は
71Yグスが一般に観念論に於て後ぼ比された人間の能働性、活動性、質践性の
思想念、根本的には人聞を行動に於ても認識に於ても、会く受働的なものと考へて居た唯物論と
結び附けて、貫践的唯物論と一五ふ新しき哲準的方針を立てようん]したことは、彼の官面の目的た
るプロレタ
yアト革命の理論及び賓践と一五ふことを離れて、純粋に官事史上から考察する色、甚
だ興味める又斬新な哲朗宇的企だてであると思ふ。併し夫れはタトヒ現代人の一部分の哲率的欲求
を満足させるものであるとしても.少なくも吾々の要求するだけ哲準的思索を徹底させたもので
なく、随ふて吾々の哲準的欲求を十分に満足$せるものでないのである。(純一山い制山首MJ災いしい引
本論文を書き始めたD
であるが、岐に規定白頁毅を超過して仕舞ふたから、己を得ず他目白機舎に譲り、此庭で欄筆する。
A同
ほ私は此白第四節に於て論漣したことを、もづと詳し〈、且つもうと組織的に論越せる一論文を、他日公にしたいと思ふで居
る。昭和八年〆
十一月二十目、
の解棒を主Jj:ーくたいうもりであったが、自主白がた」矯め Mondolflυ の説の叙述は全〈昔、いたのである。