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有明海総合開発調査報告書 (農林省等編 1969)から40年:国営諫早湾干拓 排水門開門命令の佐賀地裁判決で省みる 桂木健次 1.地裁判決と控訴 国営諫早湾干拓事業(長崎県)をめぐる佐賀地裁判決の控訴に際し、国は潮受け堤防排 水門の開門調査に向けた環境影響評価(環境アセスメント)に乗り出 すとした含みを持た せた控訴に踏み切った。だが、実際の調査には、開門に反対する地元関係者の同意などが 必要で、その実現性には疑問が残り、農水省は、地元にげたを預ける形で開門調査実施の 責任転嫁を図り省のメンツを守ろうとしたという毎日新聞のコメントが当たっていると思 われる。 というのも、漁業者らが求めている開門調査には、大きく3つのハードルがある。1つ は、開門すれば調整池の中に海水が流入、干拓地への塩害が予想される農業に与える影響 が大きい。2つは、調査実施についての地元同意を得ることの難しさ。 3つは、時間的な 制約で、排水門補強工事などで少なくとも6年が必要で、その間に諫早湾をめぐる環境が 変化する可能性がある。 農水省が打ち出したものにより地域間対立があおられる恐れすらある。 2.有明海の荒廃と諫早干拓事業 有明海の荒廃の原因については、諫早干拓の所為という議論のほかに、干拓の本格工事 が始まる10年以上前から現象したということからその元凶を海苔養殖による有機酸使用 の普及にかかわることとした意見が見られる。 有明海の地形は外海への開口部が湾内と比して狭く深いうえに内海が閉鎖的で遠浅の面 積が広大であるため、海水量はそれ程大きくなく、流速も早いとは言いがたい。従って、 満ち潮に際し湾口から供給される酸素量はさほどに達せず、増加しがちな堆積有機物量を 酸化的に分解するに重要な酸素を外洋から供給する酸素量も限られている。さらに、有明 海は潮差の振幅が大きい。こうした水圏環境指標のCOD(化学的酸素要求量)を物差し にすると、江刺洋司 (『有明海は何故荒廃したのか』藤原書房 2003にように、ノリ養殖にお ける有機酸使用の普及の指摘を否定できない。確かに、40年前に「3.有明海総合開発 調査報告書」を取り纏めた時点でのアサクサノリを主とした養殖から、多収性・高塩分性高旨味性の市場性のある黒色調のスサビノリ系の養殖にシフトしてきており、それは市場 に出す前処理として有機酸処理を施している。

有明海総合開発調査報告書 39 b

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Page 1: 有明海総合開発調査報告書 39 b

有明海総合開発調査報告書 (農林省等編 1969)から40年:国営諫早湾干拓

排水門開門命令の佐賀地裁判決で省みる

桂木健次

1.地裁判決と控訴

国営諫早湾干拓事業(長崎県)をめぐる佐賀地裁判決の控訴に際し、国は潮受け堤防排

水門の開門調査に向けた環境影響評価(環境アセスメント)に乗り出すとした含みを持た

せた控訴に踏み切った。だが、実際の調査には、開門に反対する地元関係者の同意などが

必要で、その実現性には疑問が残り、農水省は、地元にげたを預ける形で開門調査実施の

責任転嫁を図り省のメンツを守ろうとしたという毎日新聞のコメントが当たっていると思

われる。

というのも、漁業者らが求めている開門調査には、大きく3つのハードルがある。1つ

は、開門すれば調整池の中に海水が流入、干拓地への塩害が予想される農業に与える影響

が大きい。2つは、調査実施についての地元同意を得ることの難しさ。3つは、時間的な

制約で、排水門補強工事などで少なくとも6年が必要で、その間に諫早湾をめぐる環境が

変化する可能性がある。

農水省が打ち出したものにより地域間対立があおられる恐れすらある。

2.有明海の荒廃と諫早干拓事業

有明海の荒廃の原因については、諫早干拓の所為という議論のほかに、干拓の本格工事

が始まる10年以上前から現象したということからその元凶を海苔養殖による有機酸使用

の普及にかかわることとした意見が見られる。

有明海の地形は外海への開口部が湾内と比して狭く深いうえに内海が閉鎖的で遠浅の面

積が広大であるため、海水量はそれ程大きくなく、流速も早いとは言いがたい。従って、

満ち潮に際し湾口から供給される酸素量はさほどに達せず、増加しがちな堆積有機物量を

酸化的に分解するに重要な酸素を外洋から供給する酸素量も限られている。さらに、有明

海は潮差の振幅が大きい。こうした水圏環境指標のCOD(化学的酸素要求量)を物差し

にすると、江刺洋司(『有明海は何故荒廃したのか』藤原書房 2003)にように、ノリ養殖にお

ける有機酸使用の普及の指摘を否定できない。確かに、40年前に「3.有明海総合開発

調査報告書」を取り纏めた時点でのアサクサノリを主とした養殖から、多収性・高塩分性・

高旨味性の市場性のある黒色調のスサビノリ系の養殖にシフトしてきており、それは市場

に出す前処理として有機酸処理を施している。

Page 2: 有明海総合開発調査報告書 39 b

だからと言って、江刺氏の主張するように「諫早干拓は有明海荒廃の主犯でない」とし

た断言もまた問題を残す。水圏での酸素補給が循環的になされていない条件を構成するの

は、複合的に調べなくてはならないのであろう。

3.「有明海総合開発調査報告書」(1969.4)から

有明海は、琵琶湖の2倍以上の約 1,400km2、平均水深 20mの内海で、底土質は粘土

性でアンモニアの吸収力に富み植物の養分を形成する塩基を多量包含する。干拓の歴史

は長く江戸時代以前に始まり海面干拓へと進展して、佐賀平野・筑後平野・玉名平野・

飽託平野の大半は干拓で開けた。この有明海の湾口を大規模に締切る有明海総合開発構

想は 1953年(昭和 28)の風水害を契機に持ち上がり、1957年(昭和 32)に調査計画

が有明海地域総合開発協議会の調整の許、スタートした。その時に確認された各省の分

担は、

1. 第 1線締切りに関する問題と河川の処理に係わる調査(建設省)

2. 第 2線堤防と農業計画に係わる問題の調査(農林省):諫早干拓はこの線。

3. 港湾・閘門・運河に係わる問題の調査(運輸省)

4. 産業(工業)配置に係わる問題の調査(通産省及び関係各県)

である。

1962年(昭和 37)には経済企画庁が国民経済研究協会に委託した「有明海地域総合

開発の基本方向に関する調査」が出された。それは、中央工業地帯への大規模な産業基

盤投資が集中的に行われていた時代背景を受けて、上記計画へ批判的であった。1964年(昭和 39)秋、これを受けた見直しが始まり 1966年(昭和 41)「有明海地域総合開

発調査結果の概要」がまとめられ、本計画調査となったが、時代は大きく変わり、報告

書の提出を待って打ち切りとされた。

4.国営諫早湾干拓事業(長崎県)

同干拓事業の概要

• 工事開始 - 1989 年

• 計画面積

o 造成面積: 約 942ha(農用地等面積:約816ha)

o 調整池面積:約2,600ha

• 営農計画 - 露地野菜、施設野菜、施設花き、酪農、肉用牛

• 事業費 - 2,533 億円

1989 年(平成1)より「国営諫早湾干拓事業」の工事が行われ、1997 年(平成 9)

4月 14 日に潮受け堤防が閉じられた。

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参照:

失敗知識データベース「国営諫早湾干拓事業による漁業被害」

http://shippai.jst.go.jp/fkd/Detail?id=CD0000139

諫早市:国営諫早湾干拓事業

http://www.city.isahaya.nagasaki.jp/of/06_nourin/03_kantaku/kantaku/kan

taku.htm

永尾俊彦『ルポ諫早の叫び:よみがえれ干潟ともやいの心』岩波書店,2005

江刺洋司『有明海はなぜ荒廃したのか:諫早干拓かノリ養殖か』藤原書店,2003

広松伝『よみがえれ!”宝の海”有明海:問題の解決策の核心と提言』藤原書店,

2001

農林省等『有明海総合開発調査報告書』,1969