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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/) 「ゼロ・トゥ・ワン」日本発売記念講演とトークイベント <コンテンツ> ピーター・ティール氏の講演 1. 起業が抱える本質的な課題 2. 「競争」よりも「独占」を 3. 社会で適応することで失うもの 4. その事業は差別化されているか 5. グローバリゼーションとテクノロジー ピーター・ティール氏と糸井重里氏の対談 6. なぜ『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたか 7. 失敗はモチベーションに繋がらない 8. テクノロジーの進化は未来のために必須 9. 使命感(Sense of mission10.日本は驚くほど世界と異なっている

「ゼロ・トゥ・ワン」日本発売記念講演とトークイベント

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

「ゼロ・トゥ・ワン」日本発売記念講演とトークイベント

<コンテンツ>

ピーター・ティール氏の講演

1. 起業が抱える本質的な課題

2. 「競争」よりも「独占」を

3. 社会で適応することで失うもの

4. その事業は差別化されているか

5. グローバリゼーションとテクノロジー

ピーター・ティール氏と糸井重里氏の対談

6. なぜ『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたか

7. 失敗はモチベーションに繋がらない

8. テクノロジーの進化は未来のために必須

9. 使命感(Sense of mission)

10. 日本は驚くほど世界と異なっている

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ピーター・ティール氏の講演

1. 起業が抱える本質的な課題

『ゼロ・トゥ・ワン』という本は、私がスタンフォード大学で 2012 年に行った講義をもとにしたものなのですが、

起業について教えたり本を書いたりするとき、ひとつ、大きな課題となることがあります。それは、「起業は科

学ではない」ということです。科学というのは、同じ事象が再現できて、はじめて成立するものです。ある条件

でくり返せるからこそ、実験によって検証、分析できる。それが、科学なのです。

一方、ビジネスやテクノロジーの歴史は、厳格な意味での科学ではありません。ビジネスにおいても、テクノ

ロジーにおいても、その歴史における一瞬一瞬というのはもう二度とは起こらない、ただ一度しか起こらない

ことだからです。

第2のマーク・ザッカバーグ(Facebookの創業者)がソーシャルネット・ワーキング・サイトをスタートさせること

はないでしょう。第 2 のラリー・ペイジ(Google の創業者)が検索エンジンを始めることもないでしょうし、第 2

のビル・ゲイツ(Microsoft の創業者)がオペレーティング・システムをつくることもないでしょう。

ですから、もしも皆さんが、こういった人たちのマネをしているのだとすれば、それはある意味で、皆さんが

彼らから何も学んでいないということです。

そういったことが、起業について本を書くときの大きな課題です。すべての事象が唯一無二のもので、再現

可能でないならば、いったい何が語れるのだろうか? ということです。

そこで、私は、ビジネスにおけるイノベーションやクリエイティビティ、オリジナリティというものに、間接的なア

プローチをとることにしました。間接的な質問をいくつか重ねることで、読者に、あるいは起業家に、自分で

考えてもらうことにしたのです。例えば、逆説的な質問になりますが、こういうものです。

「まだ誰もはじめていない素晴らしい起業とは 一体どういうものだろうか?」

もう少し概念的にするならば、こういう質問です。

「殆ど賛成する人がいないような大切な真実とは、何だろうか?」

これは、本当に難しい質問ですが、企業の採用の面接にとても適していると思います。たとえ事前にこういう

質問があるとわかっていても、なかなか答えられませんよね。これらの質問に答えるのが難しい理由はいく

つかあります。まず第1に、自分が相当優秀でないと、「他の人たちが知らないような真実を自分だけが知っ

ているとは言えない」と思ってしまうことです。

そしてもう一つの理由は、「自分だけが大切な真実を知っている」と答えるのは、心理的にも社会的にも、ど

こか居心地が悪いような気がする、ということです。ここで要求されているのは、例えば「今の教育制度に問

題がある」とか、「現在の政治が破綻している」とか、お決まりの、相手が賛成しそうな答えではないのです。

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ここで問われているのは、「人が反対するような真実」です。そういった、相手が反対するようなことをあえて

答えなくてはならないというのは、非常に居心地がよくないものです。そんなことを、はっきり表明したくはあ

りませんよね。しかし、これこそが、まさに、「新しいことを始める時の本質的な課題」なのです。

新しいアイデアを形にする時、新しいビジネスを始めようとする時、世界を新しい視点で見ようとする時、非

常に居心地の悪い思いをすることになります。そこでは、聡明さよりも、定説や常識を打ち破る勇気が必要

になります。そして、この世の中では、天才よりも勇気のある人のほうが不足しているのです。

「殆ど賛成する人がいないような大切な真実とは、何だろうか?」

それについて、私がどう答えるかということを今日は、お話ししていきたいと思います。

2. 「競争」よりも「独占」を

それでは、まず初めの答えです。『ゼロ・トゥ・ワン』の主なテーマにも関わってくることですが、多くの人たち

は、「資本主義」と「競争」を同義語だと考えます。けれども、私は「資本主義」と「競争」は反意語だと思って

います。資本主義者は資本を蓄積しますが、完全競争の世界では、「すべての利益が競争によって失われ

ていく」と私は思っています。

起業家は唯一無二な地位を築こうとします。つまり、「独占」を目指すわけです。社会にとって、独占がいい

ことなのか悪いことなのかは、いろいろと議論がありますけれども、企業側から見ると、やはり「独占する」とい

うのはとても魅力的なことです。企業に投資する側から見ても、やはり独占している企業に魅力を感じます。

競合がいないということは、ものすごく独創性の高いことを、非常に上手にやっているということですから。

私の本のなかでは、悪いビジネスの例を挙げています。それは、例えば、お寿司のレストランを東京で開く、

といったことです。私が住んでいるサンフランシスコでお寿司のレストランを開くというのも非常に難しいです

が、東京では、もっと大変だと思われます。東京のお寿司はとてもレベルが高くて、競合のお店も多い。消

費者にとってはすばらしい環境ですが、レストランを開いて成功するというのは非常に難しい。似通ったお

店ばかりが並んでしまい、自分のレストランを差別化していくのが非常に難しくなります。

逆に、大変上手くいっている独占の例として、わかりやすいのは Google です。Google は、いまや唯一無二

のテクノロジーを持つ企業となりました。2002 年以降、Yahoo!や Microsoft に大きな差をつけていて、十数

年間、大きな利益を上げ続けています。それは、競合が殆ど全くいないからです。

この「独占」対「競争」の考えこそ、ビジネスを理解する上で非常に大切であるにも関わらず、多くの人々が

なかなか理解できていない。それは、なぜか。理由が二つあると思っています。「知識としての問題」と、「心

理的な問題」です。

まず、知識の問題としては、「ある会社が独占していることは話題にのぼらない」ということがあります。なぜ

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なら、独占をしている人たちは、「独占している事実を伏せたがる」からです。もしも自分たちが独占してい

たら、「自分たちが独占している」とはアナウンスしません。「独占している」と言うと人々は警戒しますから、

できるだけ独占していることを明かさないようにします。

といっても、ウソを言うわけではありません。どうするかというと、例えば、独占していることを隠すために、「自

分たちがビジネスをしている市場はとても大きい」というふうに表現します。Google の場合だったら、自分た

ちの業務を、「検索エンジンビジネス」と狭義に定義することはしません。逆に、もっと定義を広げ、曖昧にし

て、Googleは自分たちのことを「テクノロジー企業だ」というふうに言うわけです。つまり、「Appleとも競争して

いるし、Facebook とも、Amazon とも競争している。自動運転の自動車の分野では、世界の自動車メーカー

とも競合している」ということを言って、自分たちの企業をテクノロジー企業だと定義しようとするわけです。そ

うすることで、自分たちは厳しい競争にさらされているのだと主張することができ、当局から独禁法違反に問

われることもないわけです。

今の話と対になることをお話ししましょう。皆さんの中には、今日の話を聞いて「ピーターが言っていることに

は、まったく賛成できない。自分は東京でレストランを開く」と思って会場を出る人がいるかもしれません。し

かし、実際にレストランを開業しようとすると色々と困難に直面することになるでしょう。例えば、資本を調達

するのが難しい。そんな事業をスタートさせるのは大変だよ、と言われて、投資を受けることもできない。

そうすると、ある種のフィクションをつくりたくなってしまうんですね。

どうするかというと、これから自分が立ち上げようとする事業を、非現実的なほどに狭く定義しようとするので

す。例えば、お店をアピールするために、その人はこんなふうに言うでしょう。「うちの店は、イギリス料理とネ

パール料理が融合したユニークなレストランで、 東京では、うち以外にこんなお店はないんだ」と。確かに、

それだとオリジナリティが感じられて、唯一無二の事業だといえるかもしれませんが、それは、現実を歪曲し

て、市場を狭く定義してごまかしているにすぎません。

このような形で、事業の競争環境はいつも歪曲されて理解されていると思います。実際、Google の人と話を

すると、トップの 5 人か 10 人くらいしか、私がいまお話ししたことを理解していません。残りの大勢の社員に

「Google がなぜ成功しているのか?」と聞くと、それぞれが独自の解釈を展開します。

例えば、「素晴らしい福利厚生があるから」「優秀な人材がこの企業を伸ばしているから」「オフィスでマッサ

ージを無料で受けられたり、床に大きなクッションが置いてあったりするから」そんなふうに語ったりします。

事業モデルの観点とは、全くかけ離れた解釈しか出てこないのです。つまり「独占」について十分に理解さ

れていないということです。

今お話ししている「独占」の概念は、様々なところに応用できる考え方です。例えば、事業戦略の考え方に

応用すると、一般論とは真逆のセオリーが得られたりします。一般的に、事業を始める時にはできるだけ大

きな市場から、と言われています。しかし、「独占」を重視する考え方に基づくと、何よりもまず、大きなシェア

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を取れる市場を狙うべきである、ということになります。ですから、新しい事業を始める時には、むしろ比較的

小さな市場で始めるべきです。それが大きな市場シェアを獲得する最速の方法だからです。

PayPal をスタートさせたときの話をしましょう。私たちは、PayPal のようなネット上の決済システムがいずれ世

界的に拡大するはずだと確信してはいました。しかし、まず私たちは、その始まりに、オークションサイトの大

手である「eBay」を日常的に利用している約 2 万人のコアなユーザーをターゲットにしました。彼らは、市場

全体から見れば小さなセグメントに過ぎませんが、決済に関してはっきりと課題を抱えていました。ですから、

彼ら 2 万人に対してよいソリューションを提供できさえすれば、ゼロからはじめて半年も経たないうちに 35~

40 パーセントのシェアを獲得できたのです。

また、Facebook が 2004 年にハーバード大学でスタートしたときには、対象となる市場は、ハーバード大学

の学生1万2千人しかいなかったんです。あまりにも小さな市場ですから、もしこれを事業計画として提案し

ても、誰も投資はしなかったでしょう。でも、市場が小さかったからこそ、ゼロからはじめて、10 日間で 60 パ

ーセントのシェアを獲得することができたんです。Facebook はそのようにして非常に幸先のよいスタートをき

り、その後、数年をかけて、その成功をさらに拡大しました。

つまり、事業を戦略的に考えるなら、小さな市場でスタートし、その市場を制圧したあと、同心円状に拡大す

べきだと私は考えます。

逆に、ありがちな間違いとしては、あまりにも大きな市場を狙ってスタートする、ということが挙げられます。例

えば、過去10年のシリコンバレーにおける再生可能エネルギーの分野によくあった間違いをお話しすると、

彼らはプレゼンの最初のスライドを見せながら、こんなふうに言うわけです。

「我々はこのエネルギー市場に参入する。 何十億ドル、何兆ドル規模の市場だ。 その中で獲得できるシ

ェアがごくごく一部だとしても、 事業規模としては十分大きくなる」

しかし、私は、「大海の中の小魚」には決してなるべきではないと考えています。様々な方面での競争にさら

されますし、その後どのような課題に直面するかも予想できません。

例えば、薄膜シリコン太陽光発電事業を経営しようということであれば、まず同業9社と競合しなければなり

ません。更に、その他の 90 社の太陽光発電企業、さらに風力発電企業と競合しなければなりません。それ

を乗り切ったとしても、急に中国の安い企業が現れて競争をしかけてくるかもしれません。つまり、巨大な市

場の中で様々な競争にさらされることになります。そこで何かを得るのはたいへん困難だと私は思います。

「独占」の大切さが十分に理解されないふたつ目の理由として、心理的な側面があると思います。

『アンナ・カレーニナ』(トルストイ)の冒頭に、「幸せな家族はどれも同じように見えるが、不幸な家族にはそ

れぞれの不幸の形がある」と書かれています。ビジネスにおいては、その反対が真実だと考えています。幸

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せな企業は、それぞれの形があるのです。それぞれ、独自のことを行っているからです。

一方、不幸せな企業はどれも似通っています。つまり、他社との類似性から逃れられていないのです。だか

らこそ、不幸せなのです。類似性は、競争の本質です。

私の本の中に、「幸福な企業はみなそれぞれに違う」という章があります。この章の内容と同じものがウォー

ルストリート・ジャーナルに掲載されたとき、私はその記事のタイトルを「幸福な企業はみなそれぞれに違う」

から、もっとインパクトのあるタイトルに書き換えました。それは、「競争は敗者のもの」というタイトルです。感

情を逆なでするようなタイトルですよね。ふつう、敗者とは、競争できない人を指します。運動部でいえば、

走るのがとても遅い人。大学受験では、点数が足りない人。決して、競争に異常なほどに執着して、競争に

つぐ競争を重ね、その結果、大切なものを見失う人を「敗者」とは思わないでしょう。

「競争」が、その分野における成長や進歩をもたらすことは、まったく否定しません。でも、一方で「競争」は、

視野が狭まり、全体感を見失うという犠牲を伴うものでもあるのです。

3. 社会で適応することで失うもの

「競争」よりも「独占」を。私の、この考え方は、生い立ちと経験からきているところがあります。

私は、カリフォルニアの北部で育ちました。非常に教育熱心で、競争の激しい環境です。中学の 2 年の時

の文集に、友人が「君は絶対スタンフォード大学に4年以内に入学するよ」と書いたことがありました。実際、

4 年後、私はスタンフォード大学に入学しました。しかし、目標としていた有名な大学に入ったあともそこで

の競争が待っていました。

その数年後、ニューヨークの著名な法律事務所に就職しました。トーナメントの段階を勝ち抜くごとに、競争

がさらに厳しく、さらにクレイジーになっていきます。就職したら、またつぎのトーナメントがはじまるんです。

その法律事務所は、奇妙な場所でした。外にいるときは、みんなが入りたがるんですが、実際に法律事務

所にいる社員は、そこから脱出したいと考えているんです。私は7ヵ月と3日で辞めましたが、そのとき廊下

で会った人に、「このアルカトラズから脱出できるなんて、思いもしなかった」と言われました。アルカトラズと

は、カリフォルニアにあった脱獄することが難しいことで有名な監獄です。このクレイジーな刑務所のような

法律事務所を抜け出すなんて、という意味ですね。

でも、職場は、もちろんアルカトラズ刑務所とは違います。職場から抜けるには、正面玄関から出て、戻って

こなければいいだけなんですから。しかし、誰もそれができなかったのです。というのは、アイデンティティ、

そして自尊心が、長年の競争を通じて達成したものとあまりにも不可分になっていて、そこを実際に辞める

ことを思いつくことすらできなくなっていたのです。

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こうした力学がはたらいている分野は、他にも色々あると思います。ヘンリー・キッシンジャー(大統領補佐

官も勤めたアメリカの国際政治学者)が、ハーバード大学の同僚教授たちについて語った有名なことばが

あります。「学会での競争は非常に激しい。なぜなら、競争の結果、得るものが非常に少ないからだ」これは

非常に逆説的ですね。厳しい競争と聞くと、とても大きな、大切なものを巡る競争だと思ってしまいます。と

ころが、実は全くどうでもよいことを巡って激しく競い合っている。ハーバード大学の教授たちはおかしいん

じゃないか、という皮肉です。

この話は、ハーバードの揶揄に留まらず、ある状況についての論理的な説明でもあります。つまり、人々が、

周囲の人たちと似た者どうしで、差別化できない状況では、競争というのは激化するのです。一方、その競

争でなにを得るかという重要性はどんどん小さくなってしまうのです。

シェークスピアの時代から、英語の「ape(エイプ)」、つまりサルという言葉の意味は、「霊長類のサル」と「モ

ノマネ」という 2 つの意味を持っていました。つまり、人の本質の中には常にマネるということがあったわけで

す。両親をマネして言葉を覚え、周りをマネして文化が広まる。

しかし、この「マネる」という行為は多くの問題も生み出します。周囲からの強い同調圧力、群集心理が高じ

て生み出す狂気。サルのような、ヒツジのような行動は、群衆の心理を生み出し、バブルのような実体のな

い熱狂につながります。ですから、私たちは、こうした圧力を押しのけるよう、つねに気をつけていなくては

なりません。

これは、シリコンバレーでの少々奇妙な現象なのですが、シリコンバレーで成功している起業家の多くは、

社会に適合しているとは言い難い、ちょっと変わった人が多いそうです。

この事実を裏返すと、私たちの今の社会全体を批判的にとらえることができます。つまり、私たちの社会は、

多くの常識的な人が社会にうまく適応しているために、誰かが独創的なおもしろい考えを持ったとしても、そ

れが形を成す前に「やめよう」と暗黙のうちに説得されてしまうような性質があるのではないか。「そんな考え

は奇抜すぎる」「ちょっとおかしい」と思われてるようだから言わないでおこう、このアイデアはやめておいて

普通にレストランを開業しよう、というふうに、社会からちょっとした「無言の圧力」を感じ取ってしまう。

今は、そういう人たちが中心になっている社会なんです。とくに、アメリカでビジネススクールに行くような人

たちは、シリコンバレーで成功しているちょっと変わった経営者たちとは対極にある人たちです。

彼らは、非常に社交的ですが、あまり深い信念がなく、2 年間を温室のような環境で同じような仲間といっし

ょに過ごし、お互いにお互いのマネをしながら、自分が何をしたいのか探し求めますが、なかなかそれがつ

かめない。そういう、自分たちの考えを持たない者どうしがビジネススクールで学んでいる。

ハーバード・ビジネススクールで行われた調査によると、どの卒業学年においても、一番人数の多かった進

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路は、一番「間違っている」進路だったそうです。彼らは、どういうわけか、世の中の流れが終わりかけたタイ

ミングで、最後の波に乗ろうとするのです。

例えば、1989 年に多くの学生が「ジャンクボンドの王」と言われたマイケル・ミルケン(アメリカの投資銀行家)

のもとで働こうとしました。その直後にミルケンは逮捕され、全てが崩壊してしまうわけですけれども。

また、ハーバードの人たちはテクノロジーにはあまり関心をもっていませんでしたが、1999 年と 2000 年だけ

は例外でした。その時期、多くの卒業生がシリコンバレーでインターネット関連企業に就職を希望したので

すが、それはインターネットバブルの終わりのタイミングにぴったり一致していました。彼らがシリコンバレー

に殺到したのは、まさに終焉の象徴でした。そして、その後の 10年では、不動産業界の人気が高まる、とい

った具合です。

私たちは、こういった力学に、くれぐれも気をつけなければなりません。今、ビジネススクールの学生を揶揄

するような言い方をしましたけれども、このワナには誰もが陥る危険があります。テレビのコマーシャルを見

て信じてしまう人なんているのか、などと馬鹿にするのは簡単ですけれども、でも、私たちはみんな、驚くほ

ど簡単に騙されてしまうわけです。他の人ではなく、自分たちこそ、こういったワナに陥る危険があるわけで

す。

4. その事業は差別化されているか

私がよく聞かれる質問に、こういうものがあります。「どういうテクノジーがこれから流行りますか?これからの

技術発展の展望は?」こういった質問は、私は好きではありません。私は予言者ではありませんから。仮に、

その質問に答えるとしたら、「今後、もっと、携帯電話の使用が増えるでしょう」というような、非常に凡庸な答

えしかできないわけです。

私は思うのですが、「将来のテクノロジーのトレンド」というテーマは、過大評価され過ぎているのではないで

しょうか。人がトレンドを語れば語るほど、更にそれは評価されていきます。今、シリコンバレーで話題になっ

ている教育のソフトウェアであるとか、ヘルスケアのソフトウェアは、過大評価されすぎていると私は思います。

SaaS(Software as a Service :利用者が必要なソフトを必要な分だけインターネット経由で呼び出して使うよう

なサービス)や企業向けの業務システム、これも過大評価されすぎています。ビッグデータ、クラウドコンピュ

ーティングといった言葉をあなたに語る人がいたら、「だまそうとしているぞ」と察知して急いで逃げ出したほ

うがいいと思います。

今挙げたような流行語のようなものがどうして危険を知らせるサインなのかというと、それはポーカーをすると

きのブラフ(はったり)のようなものだからです。その人は、「自分はすばらしい」、「他にはない事業をやって

いる」とブラフをかましたいのかもしれませんが、流行語を使い過ぎていることは、実は全く差別化できてい

ないことの表れなのです。

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「企業向け業務アプリケーション用のモバイル・プラットホームをつくり、クラウドにのせ、ビッグデータを活用

しています」などというようなセールストークをする人がいたら、その事業はほかと差別化されてないのです。

いくつも似た事業があるような分野で事業をやってはいけません。

流行りの言葉をつかってしゃべると、みんなも耳にしたことがありますからコンセプトをわかってもらいやすい

し、説明がしやすくなる、という一面はあります。でも、わかってもらいやすい場所にいてはいけないんです。

私は、オンラインペットフード企業の 4 番手にはなりたくありません。薄膜シリコンソーラーパネルメーカーの

10 番手にはなりたくないですし、東京での1万軒目のレストランにもなりたくないのです。本当に成功してい

る企業というのは、既存のカテゴリーにはまらない、事業内容を説明しにくい企業なのです。

ときには、創立者自身も流行の言葉を使って自分たちのビジネスを説明しますが、投資家としては、そうい

った流行語に惑わされず、「実は新しいことをやっている」企業なのかどうかを、注意深く見極めなくてはい

けません。

1990 代の終わりに Google がスタートしたとき、「また検索エンジンか」「いまさらもう1つ検索エンジンが必要

なのか?」とみんな思いました。でも、そのとき、Google の本質は、単に検索エンジンであるということではな

く、ページランクの優れたアルゴリズムを持つことや人ではなくコンピューターが検索にまつわる様々な作業

を自動的に行うようになったことに、鍵となるイノベーション、大きな転換点があったのです。もし「検索エン

ジン」という言葉にとらわれていたら、Google が持つ本質的な差別化要因をきっと見逃していたでしょう。

Facebook に関しても同様のことがいえます。2004 年に Facebook は立ち上がったとき、それはソーシャル・

ネットワーキングのさきがけとなるサイトだと言われていて、2015 年のいまでも、そのように思われています。

しかし、まず言いたいことは、Facebook が初めての SNS ではないのです。LinkedIn というビジネスに特化し

た SNS を起ち上げたリード・ホフマンという私の友人は、1997 年に「SocialNet」という会社をつくりました。

Facebook が立ち上がる 7 年も前に、「ソーシャルネット」を社名に掲げていたのです。

Facebook が実現した本質的なイノベーションは、SNS であるということではなく、「本人が実名を登録して行

う」というところでした。本人が実名で SNS を利用したくなるような工夫に、本当のブレークスルーがあったの

です。どうしたら実名を登録し、架空のキャラではなく現実の自分を表現したくなるか、非常に難しい課題で

したが、いったん実現できると、とても価値あるものになりました。都合のいいカテゴリーに分けて考えること

は、時として大きな誤解を生むものです。それよりも、特異なもの、唯一無二のものを見つけることが重要だ

と思います。

5. グローバリゼーションとテクノロジー

最後になりますが、さらに大きな「逆説的な話」をお話しします。ひょっとしたら、共感してくれる人はほんの

一部で、多くの人は同意してくださらないかもしれません。

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もしも、21 世紀において大成功をおさめたいなら、「グローバリゼーション」と「テクノロジー」が必須だといわ

れています。グローバリゼーションの拡大、そしてさらなるテクノロジーの進化。どちらも成功のために欠か

せない要素です。そこでは、グローバリゼーションとテクノロジーは、ほぼ同意語として使われています。し

かし私は、それぞれ大きく違うと考えています。

「グローバリゼーション」というのは、「1からnへの拡大」です。つまり、実際に機能しているものをコピーし、

それを水平に展開することです。タイプでいうと、グローバリゼーションというのは、「広げていく進化」だと考

えることができます。

一方、「テクノロジー」というのは、「0から1を生むこと」です。つまり、新しいことをスタートさせること。テクノロ

ジーというのは、タイプでいうと、集中的に「深く掘っていく進化」だと考えています。

19 世紀は、グローバリゼーションが非常に進みました。それに加えて、テクノロジーもたいへん進化しました。

西側諸国では間違いなくそうでしたし、また、日本を見てもそうです。日本は 1850 年から 1914 年にかけて

世界とのつながりを深め、技術的にも大いに発展しました。つまり、19 世紀にはグローバリゼーションと、テ

クノロジー進展の両方があったんです。

しかし、1914 年に第一次大戦がはじまると、グローバリゼーションは逆行します。貿易量は落ち、各国のつ

ながりは弱くなり、一部の国は共産主義となって世界に対し距離をおくようになりました。しかし、テクノロジ

ーはその後も数十年に渡って急速に進歩しました。

そして、私の見解では、1970年代の初頭から、グローバリゼーションが再びスタートします。1971年にキッシ

ンジャーが訪中したことが契機だと私は思っていますが、グローバリゼーションはこの 40 年間、凄まじい速

度で進化してきたのです。

しかしながら、この40年間、テクノロジーはあまり進化していません。確かに、コンピューター、インターネット、

モバイル、情報技術といった分野は進化したと思います。しかし、1950 年代、1960 年代に比べると、そのテ

クノロジーの進化は物足りないというふうに私は感じています。1950 年代や 1960 年代において、テクノロジ

ーの進化と言えば、多分野にまたがる大規模なものでした。例えば宇宙旅行、音速で飛ぶ飛行機、海中都

市、グリーンレボリューション、新しい医療技術、医薬品、農業、食品、そして、新しいエネルギー。確かにコ

ンピューターやITの分野は進化しましたが、それ以外の分野での進化は限られていたというのが、この 40

年間だったと私は思います。

まとめると、19 世紀というのは、グローバリゼーション、テクノロジーが進んだ時代です。そして、この 100 年

間について言うと、1914 年から 1971 年にかけては、テクノロジーは進みましたが、グローバリゼーションは

進んでいません。逆に、1971 年以降は、グローバリゼーションは進みましたが、技術というのはそれほど進

化していない。

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これを、文化的な側面から見ると、「今の私たちの社会は、 科学や技術の進化に対して 非常に敵対的で

ある」ということがいえると思います。これは、とくにアメリカ、そして西側社会においてその傾向が強い。

例えば、人気のSF映画にはそれが端的に表れています。それら映画の世界において、「技術」というのはう

まく機能しないもの、世界を破壊し、人間を殺害するようなものとして描かれています。将来、ディストピアを

導くもの。それが科学や技術の進化です。『アバター』や『エリジウム』、『マトリックス』、そして『ターミネータ

ー』といった作品では、ロボットが人間を殺戮する社会が描かれています。『ゼロ・グラビティ』は、宇宙ステ

ーションですべてがうまくいかなくなってしまう映画でした。あれを観たら、宇宙には絶対行きたくない、どこ

かで泥んこになっていた方がましだ、そんなふうにみんな思ってしまいます。

しかし、ハリウッドを責めるのは筋違いです。なぜならハリウッドは、私たちの広範な文化というものをいつも

映画に反映させるからです。つまり、私たちの社会は、本質的に、「変化に対する恐怖」「未来に対する懸

念」に満ち溢れているのです。

社会のごく一部に、科学や技術の進化を進めようとする動きがあったとしても、それは、今の社会において

はカウンターカルチャーに過ぎません。様々な形で科学や技術の革新が語られていますが、実は、今の社

会においては、科学や技術の進歩は「敵」である。そんなふうに私は考えています。

このテーマを地政学的な観点から考えてみましょう。1950 年代から 1960 年代にかけては、世界を、いわゆ

る「第一世界」、そして「第三世界」というふうに分けていました。第一世界というのは、技術的に進んでいて

さらに進化を続けているところです。第三世界というのは、混乱から抜け出せなかったところです。つまり、

「テクノロジーの進化」ということを軸にした二分法だったのです。「グローバリゼーション」を軸にした考え方

ではありませんでした。

ところが、2015 年の現在においては、世界は、「先進国」、「発展途上国」というふうに分けられます。途上国

というのは先進国を追って発展し、先進国に近づこうとしている国です。その意味で、グローバリゼーション

を是とする前提での二分法であり、両者がどのように近づいていくのか、ということがテーマになっています。

いずれ、世界のどの国も似通っていき、うまくいっているものをどこの国もマネしていく。

その流れのなかで、先進国(Developed country)というのは、「発展済みの国」ですから、テクノロジーの進

化は過去に終わっている、ということを意味しています。もう新しいことが起こらず、イノベーションが過去に

あった国、そういったニュアンスを持っています。たとえるならば、それは、若い世代の人たち(発展済みの

国に住む人たち)は、祖父母や両親の世代(発展中の国に住む人たち)に比べて大きな発展が期待できな

いぶん、将来に対しての期待が低い、というニュアンスです。そういったムードは、アメリカ、西欧、そして日

本においても広く感じられているのではないかと思います。

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

けれども、そういった考え方には、意識して反対していかなければならないと私は思っています。「先進国」

はほんとうに、発展途上国に対して「発展済み」なのか?私たちは、もっともっと、この大きな「逆説的な質問」

を投げかけていかなくてはならない。考え続けていかなくてはならない。それを申し上げて、講義を終わりに

したいと思います。ありがとうございました。

ピーター・ティール氏と糸井重里氏の対談

6. なぜ『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたか

糸井 まず、ぼくがここにいる理由について、簡単にご説明いたします。

ぼくはこの『ゼロ・トゥ・ワン』という本を去年読んだんですけど、そのころ、状況にちょっと退屈し

てたんですね。色んな物事の進化にびっくりするようなことがなくなって、ちょっとずつ、ちょっ

とずつ、あらゆることがぜんたいに親切になってる。「全部、やっておいてあげますよ」っていう

ものばかりが進歩してるんだけど、でも、それ、ほんとうは進歩っていわないんじゃないかなぁ、

って思ってたんです。

インターネットの世界なんて、とくに親切のかたまりなんですけど、それがもの凄く嬉しいことか

っていうと、ぼくにとっては、そうではない。

今、ティールさんが講義のなかで Google がスタートした時の話をされてましたけど、ぼくらの前

に Google という検索エンジンが登場した時は、みんな「速いっ!」ってびっくりしたんです。

そういう驚きがどこにもなくなって、ちょっとずつよくしたものばかりがある時代が長く続くと、退

屈してくるわけです。

そんな中でティールさんが書いた『ゼロ・トゥ・ワン』という本を読んだら、本のいちばん最初のと

ころに「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」というあの問いかけが書い

てあった。それで、ショックを受けたんですね。「ぼくはそんなテーマを持ってるだろうか?」っ

て自分に問いかけましたし、「この本の著者はそれを持ってるだろうか?」ということにも興味を

覚えた。で、読んでいって、「確かに、この人は、ほんとうに現実を変えようとするような 大きな

つかみ方をしているな」と思って、その日から、「俺、仕事、もっと一生懸命やろう」と思ったん

です。で、ご本人を前にして、なにから聞こうかなと思ったんですけど、起業家であり事業家で

あるピーター・ティールさんが、なぜ、こういう、自分の知っていることを人に教えるための本を

出したんでしょうか?

ということを訊いてみたいと思います。自分の知ってることをしゃべって、それを本にして、その

本を届けるために、いまこうして世界を回ってるのはなぜでしょう。投資家、起業家としては、そ

ういうことをしなくてもいいわけですからね。

ティール まず、知っていることをすべて書いたわけではない、ということを最初にお断りしておいたほう

がいいと思います。そのうえで、お答えすると、私は、多くの人たちに成功するビジネスをはじ

めてもらいたいと思っています。

最初に糸井さんがおっしゃったとおり、イノベーションが足りない、たいした進歩がないという感

じがいまの時代にはありますよね。イノベーションはもっとたくさん、いろいろなところから起こ

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

せるはずです。政府の新しい計画ができるような大きなイノベーションもあるし、小規模なビジ

ネスが生まれるような小さなイノベーションもある。

私は、おもに新規事業の立ち上げに注力していますが、そこでもイノベーションは起こせま

す。多くの企業に対して、もっといろいろな技術的ブレイクスルーを実現するよう、試みてもら

いたいと思っています。ですから、私がビジネスについて学んできたことを、こうしたかたちで

皆さんに伝えるのは非常にお役に立つのではないかと考えています。

世の中には、いろんな秘密があります。そのなかに、目の前にあるのに誰も気づかないような

タイプの秘密、というのがあるんじゃないかと思うんです。大勢に秘密をはっきりお伝えしてい

るのに、なかなか信じてもらえない。はっきり話しているのに、ほとんどの人が信じない、気づ

かない。ごく一部のひとしか、気づいて行動を起こすところまでいかない、そういうケースがある

と思います。

先ほどの講演のなかで「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」という質

問を最初に提示し、それに対する私の答えをいくつかお話ししました。

私の答えをひとことで言うならば、「これは一見簡単な質問なようだが、実は非常に難しい質問

だと思うよ」ということです。そういうことをお伝えしていると思います。

糸井 もう少し、詳しくお訊きしたいのですが、起業家という人と、作家という人、そして研究者という

人は、本来はそれぞれ違うと思うのです。で、『ゼロ・トゥ・ワン』にしろ、今日の講義にしろ、ぼく

は、ティールさんが研究者であり、作家であるように思えたのです。

起業家でありながらも、研究者であり、作家でもあるような要素がティールさんのなかには、た

っぷりある。単に起業家であるだけなら、自分の企業を成長させることに注力していればいい

んですけれども、ティールさんは、いわば、文明史的に「私は何をするべきか?」ということと

向き合ったから、『ゼロ・トゥ・ワン』を書いたんじゃないかと思ったのです。

ティール そうですね。確かに本を出したのは、幾つもの動機が重なっていると思います。まず、狭義

の、直接的な動機としては、スタンフォード大学で教えることになり、学生に向けてビジネスに

ついて私がこれまで学んできたことを説明する機会があったということ。これが大事な動機の一

つです。何か、自分がよく知っていることから始めなければ、おもしろい本を書くには至らなか

ったでしょうから、それが始まりになったというのは大きなことです。

実際に本を出版しよう、自分の考えを書こうと思った動機は、人々と対話したかったから、人々

を自分の関心事に巻き込みたかったからです。トム・ウルフというアメリカの作家が私に話してく

れたことがあります。

「世の中にはこれまで、色々な新しい考えが出てきているが、 どれも、まず書くことからはじめ

たから、十分に掘り下げられたんだと思う」と彼は言っていました。

つまり、頭の中で考えているだけでは、考えは十分にふくらまない。紙に落とすことが必要な

んです。自分だけにとどめておくような考えでも、書くことで、ずっと深めることができます。そ

れに加えて、他の人たちと対話することによって、反応をもらえます。

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

例えば、「あなたの独占に関する考えは変だ」とか、「独占は悪いことだ」というような。そうする

ことによって考えが掘り下げられると思います。

つまり、考えを書くこと、明確に表現することが、考えを掘り下げるのに不可欠だと思います。こ

の数年間、簡単な講演や質疑応答をいろいろな場で行ってきました。それを煮詰めて本にま

とめたのですが、考えを掘り下げるために非常に強力な方法だと思いました。

インターネットの時代においても、本にはなにか特別の価値があると思います。考える、という

ことに関して非常に力を持ったメディアなんです。本は、読者にも「一緒に考えよう」と誘いま

す。その意味で、読者は、本を読んでも決してその本に 100 パーセント同意すべきではありま

せん。読者として、本が提示する考えに対し、挑むような姿勢で臨むべきです。

この部分は賛成、この部分は意見を異にする、と本としっかり対話することで、考えを深めるこ

とができると思います。

7. 失敗はモチベーションに繋がらない

糸井 今、ティールさんは、ご自身の経験を重ねて、わかったことをみんなに話したり、本に書いたり

しているわけですが、「賛成する人がほとんどいない、大切な真実はなんだろう?」という問い

かけに至るまえの自分、そこでいう「大切な真実」に賛成しなかった自分、という時代があった

んじゃないかと思うんですが、そのころの自分について、なにか語っていただけますか。

ティール まず、重要なことだと思うので先にお断りしておきたいのですが、大勢のひとが共通に理解し

ていることが、いつも間違っているとは思っていません。大勢が理解していることに

反することを考えるのが成功の方程式だ、というような単純なことではありません。

例えば、多くの人が1+1=2だと考えるとき、単にそれに反対するだけ、というのはよくないと

思います。さらに、1+1=2をどんなふうに扱っても、何もおもしろくない。そのようなことに異

を唱えても、何も得るものはないと思います。

「大勢の考えに背を向けろ」と言ってるわけではないんです。背を向けるのは、大勢の人たち

が間違っていると思ったときです。みんながよくわかってないことを発見した。みんなが信じて

いることが間違っているとわかった。

あと、よくあるのが、みんながあまりちゃんと考えていなかったことを、ちゃんと考えてみた。そ

のようにして自分の考えが確立したら、結果的に、大勢の人たちの考えとは異なる、新しい考

え方に至った。そういうことだと思います。

大勢の考えに背を向けること自体が大事なのではない。

また、成功するために重要なことは、「自分がとても得意で、他にやっている人がいないものに

集中する」ということです。自分がすごく上手であること。真実であるもの。あと、あまり競合相手

がいない分野であること。こうしたものを組み合わせないと、「賛成する人はほとんどいないが、

自分だけはつかんでいる真実」だけでは成功しません。

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

以上のようなことをお断りしておいて、糸井さんが質問された、自分がいろんなことを経験する

前のことをお話ししますけれども‥‥。

誰しも似たようなことを感じるかもしれませんが、年齢を重ねてから振り返ると、競争にとらわれ

ていたな、対立に悩んでいたな、いま振り返るとたいしたことがないのに、と思うことがありま

す。さまざまなことを経験したうえで振り返って初めて得られる視点というものがある。

本のなかにも書いていることなのですが、10代や 20代のときに、なにか大失敗をしたり競争に

負けたりすると、その経験が、心に深い傷をもたらすことがあります。私は、アメリカの大学の法

学部を出たんですが、「最高裁の法務事務官になる」というのが非常に名誉なことで、学生に

とっては超一流の就職先なんですね。最高裁判事は9名いて、それぞれ4名ずつ法務事務官

を選びます。法務事務官の任期は1年。判事は8人の候補者と面接します。私は2人の最高

裁判事と面接するところまで行って、きっと受かるだろうと思っていたんですが、両方とも最後

の面接で落ちてしまいました。そのとき 25 歳でしたが、もう私にとってはたいへんな悲劇で、

この世の終わりかと思うくらい打ちのめされました。

まぁ、見方によっては、そんなことで打ちのめされるなんておかしいんじゃないか、とも言える

のですが、実際、私の心の中では、そこでの競争に負けてしまったことが大きなトラウマになっ

てしまったわけです。

私の古い友人で、そういった過程を全て知っている人がいるんですが、その面接に落ちてか

ら 10年が経って、私が PayPalである程度成功を収めているころに会ったとき、その友人は「久

しぶり!」という挨拶も抜きに、「ピーター、あの最高裁の法務事務官の面接に落ちて、よかっ

たと思わない?」と言ったんです。

というのは、もしも最高裁の道に進んでいたら、それはそれで大成功のキャリアだけれども、常

識的な範囲を出なかっただろうな、と。ですから、そういったすべての経験を経て、いま自分自

身のことを振り返ってみると、やはり、若いころは、競争の力学にとらわれすぎていたし、さして

大切でないものにとらわれすぎていたな、というふうに思います。とりわけ私は、そういった競争

にとらわれすぎるタイプだったようです。

英語にミッドライフ・クライシス(mid-life crisis)という表現があります。人生半ばにおける危機、

いわば「中年の危機」を 40 代で迎える、というような意味なのですが、私の場合はクォーターラ

イフ・クライシス(quarter-life crisis)、つまり人生のはじめの4分の1、20 代で大きな危機を迎え

たわけです。

糸井 どのようにしてそれを乗り越えたのですか?

ティール 私は、自分のことをよく考え直しました。こうした力学があることを自覚するだけでは、競争にと

らわれる自分を克服することはできないと思います。でも、よくよく考えれば、客観的な視座を

得ることはできる。「自分は何かに過剰にとらわれていないか」「これは、本当に戦って 勝ち取

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る価値のあるものなのか」「本当に、人が言うほど大切なものなのか」私は苛烈な競争にすっか

りとらわれていたために、競争に負けた経験は、ある種のカタルシスをもたらしました。

糸井 そのとき、競争に負けたという経験が、その後のあなたの原動力になった、ということはありま

すか?

ティール 私は、失敗というのは決していいことだとは考えません。私は、しばしば、「あなたの失敗談を

きかせてください。そこから何を学びましたか?失敗後、どうしましたか?」という質問を受けま

す。しかし、私はこんなふうに思います。なにかで失敗したときに、実際に失敗から学ぶことは

できません。もしも、自分の事業が破産したとき、どれだけ反省したとしても、そこで思っている

失敗の理由はただの決めつけでしかないんです。破産した要因は6つあるのかもしれないの

に、把握できるのは1つあるかどうか。たとえば、実際には、共同事業者がよくなかった、技術

が実現しなかった、営業が下手だった、ビジネスアイデアが悪かった、誰も投資したがらなか

った、というふうに5つの要因があるかもしれないのに、失敗を経験した人は、「一緒に仕事を

始めた人がクレイジーだったんだ」で終わらせてしまう。そうすると、2回目の起業では、その要

因は回避できるかもしれないけれど、残った4つの要因でまた失敗するんです。つまり、多くの

場合、私たちは失敗からはあまり学ぶことはできないんです。

この点で、私はシリコンバレーの人たちと意見が異なります。シリコンバレーには、失敗を礼賛

し、「すばらしい学びの機会だ」とする「うそ」が横行しているんです。失敗したときに大事なこと

は、「いつまでも引きずらないこと」です。失敗から何か学ぼうとすることではありません。さっさ

と次に行くことです。

──Just move on.

あまりそのことにとらわれず、つぎに行くことです。とても難しいことだとは思いますよ。でも、失

敗にとらわれてしまうと、心理的なダメージが大きく、モチベーションが損なわれてしまいます。

なんとかして、過去のこととしてかたをつけ、次に進まなくてはいけないのです。

糸井 失敗はモチベーションにつながらない、ということですね。

ティール モチベーションどころか、失敗直後は失意のどん底、モチベーションが損なわれている状態で

すから。例えば、若いころの私でいうと、自分が思っていたほどよい法律家になれそうにもな

い、というふうにね。失敗をモチベーションの源にするには、大きく文脈を変えなければなりま

せん。事業が失敗したケースを見ていて私が難しいなと思うのは、失敗を経験した人が次のこ

とに取り組むとき、「次は、もっと失敗しにくいことをやろう」、「もっと楽をしよう」というふうに思っ

てしまいがちなことです。失敗はモチベーションを損ない、成功はモチベーションの源になる、

と私は思います。成功すればやる気がさらに湧いて、もっと頑張る。成功はさらなる成功をもた

らし、失敗はさらなる失敗を呼ぶ。そういう面があります。ですから、失敗したら、悪循環を早く

断ち切ることがとても重要です。失敗が失敗を呼ぶ悪循環にとらわれないように。

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8. テクノロジーの進化は未来のために必須

糸井 「競争」が必ずしもいい結果を導かない、ということについて、もう少し聞かせてください。

ティール そうですね。私は、アメリカの大学制度について、ずっと批判的な意見を持っています。多くの

人が、一流大学、ランキング上位の大学に入学したがる。そういう大学に入れないとダメだと思

ってしまう。でも、入れた人だって、ダメになる可能性が大いにある。例えば、入学の倍率がも

っとも高いのは、カリフォルニア工科大学で、数学と物理にすばらしく秀でた高校生たち、高

校でトップ1パーセントの成績をおさめるくらいの優秀な学生たちが集まります。日本の大学と

違って、アメリカでは、大学でも高校のような勉強の競争が続きます。すると、学生の99パーセ

ントは、高校ではトップ1パーセントの成績だったのに、大学ではそうではなくなってしまうので

す。

そういうふうにしてカリフォルニア工科大学で4年間を過ごすと、いつのまにか人生の目標が、

「20 年後にロッキード・マーチン (アメリカの航空機をつくっている会社)の中間管理職になっ

ていること」という感じになってしまうのです。夢がものすごくしぼんでしまう。一度、成功したあ

とで、気をつけないといけないのは、また次の競争に放り込まれるというリスクです。そこで負け

たら、たいへんな心の傷を負います。このあたりのことは、よくよく考えるべきだと思います。

糸井 ティールさんは、その競争の社会を抜け出したかったわけですね。

ティール そうです。その競争に加わっている人たちが、今は、あまりにも多いと思います。とくに専門職

の分野の競争はすさまじい。非常に優秀な人たちが法律事務所に毎年 80 人くらい採用され

ますが、8年、9年経ったあとにパートナーに昇格するのは4、5人。でも、それ以外の人も、ほ

とんどみんな、パートナーになれるくらい優秀なんです。みんな才能豊かで努力家で、差がな

い。そこで私が得た大きな教訓は、「自分が周りと差別化できないところにいてはだめだ」とい

うことです。人と人の間の対立はどうして生まれるのか。カール・マルクスは、人がそれぞれ異

なるものを求めるとき、対立が起きると言っています。

ブルジョワが求めるものと、プロレタリアが求めるものが異なることが、対立を引き起こす、と。

逆に、シェイクスピアの中では、二人の人間が同じものを求めるとき、対立が起きます。『ロミオ

とジュリエット』の冒頭では格式も同じくらいのふたつの名家、モンタギュー家とキャピュレット家

が互いに深く憎み合っていますが、両家は、互いにそっくりです。私は、シェイクスピアが正し

くて、マルクスは間違っていると思います。対立は、似ている人どうし、そっくりな人どうしの間

で起きます。あり得ないことですが、もしも、頭のいかれた非常識な上司が、部下たちの対立を

願うとしたら、ふたりの部下を呼んで、全く同じ仕事を指示すればいいんです。例えば二人に

それぞれ「会社のウェブサイトをつくれ」と指示する。すると、もとは親友だったかもしれないふ

たりが、互いが嫌いになり、「あいつはダメだ」と言い合うようになるでしょう。とにかく、人と同じ

仕事をするのはくれぐれも避けるべきです。差別化しなくてはならない。事業経営でも、自分

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の生き方においても。

クローン人間について、生命倫理の問題はさておき、私たちは直感的に違和感を持ちますよ

ね。フィクションの領域ですけれど、あなたのクローン、考えまでそっくりなクローンが 100 人い

たら、どうでしょうか?気持ち悪いと感じる理由のひとつは、ものすごい競争になるからです。

みんな同じ面接を受け、同じ質問をする。競争の結果、賃金はゼロに限りなく近づく。違和感

を持って当たり前です。クローンをつくることに対して人々がごく自然に違和感を持つのは、合

理的だと思います。周りと自分がそっくりになってしまうことへの合理的な恐れです。自分とそ

っくりな人たちとの競争を避ける。このことは、よく考えるべきですね。

糸井 とても比喩的にいえば、違う人間の名前、違う顔をしているクローンだらけの社会にぼくらは生

きているとも言えますか。

ティール それはちょっと極端ですが、私たちがどんどん似てきているのは、たいへん近代的、現代的な

ことだといえます。というのも、古代においては、自分たちと違う人どうしは、殺し合っていまし

た。ひどい暴力の時代です。私たちが暮らす現代社会では、そうした暴力性はあまり出てこな

くなりました。人々が互いにどんどん似る力が働いてきたから、暴力に訴えずにすむやり方を

見つけた、とも言えます。

似ていくこと、差別化すること、とても微妙なバランスなんです。グローバリゼーションとテクノロ

ジーの進化も同じ意味で微妙なバランスを保っていて、両方を必要としています。

ただ、私個人としてはテクノロジーの進化のほうを重んじます。なぜかというと、技術革新がど

んどん起きれば、さまざまな人が、それぞれに、いろいろ異なったことをできるようになる。

技術革新が速く進む社会では、人どうしの差別化が自然に起きるはずです。もしも技術革新

がなくて、グローバリゼーションだけが進んでいくとすると、純粋に同質化していくだけの社会

になります。みんな、互いに同じようになっていく。グローバリゼーションが欧米で引き起こす現

象のひとつに、ロンドンやニューヨークといった大都市に若い人がどんどん流入してくる、とい

うものがあります。グローバリゼーションの物語は「世界を征服できる」と語りかけてきます。ニュ

ーヨークにいって、みんなを打ち負かすんだ、と。フランク・シナトラの歌にありますね。「If you

make it here, you can make it anywhere.(ここでうまくやれたら、どこででもやれる。 『New

York New York』)」私はそれはちょっとウソだと思います。ニューヨークのようなところにいくと、

同じ計画を持った人たちがひしめいてるんです。競争は、思ったよりはるかに厳しい。私は、

グローバリゼーションは引き続き進むと思いますし、止めるべきとも思いませんが、個人的には

それだけの方向はいやだな、と思っています。

糸井 ティールさんにとっての解決法というのは、やはり、テクノロジーの進化。

ティール そうですね。けれど、私はテクノロジーが万能薬であると言ったことはありません。私は理想主

義者でもありませんし、テクノロジーが社会にあるすべての問題を解決するとは思いません。

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でも、逆は真なりだと考えています。テクノロジーの進化なくして、いまのさまざまな問題を解決

することはできない。先ほど例に挙げたような、テクノロジーが悪をもたらすような SF 映画がす

べて完全に間違っているとも思いませんし、破滅をもたらすような技術が開発されてしまう可能

性がないとはいえません。しかし、テクノロジーの進化なしに明るい未来がつくれるとは考えら

れないのです。技術革新なきグローバリゼーションとは、すなわち、資源が限られているこの世

界で、70 億人がアメリカや日本の生活水準を目指す、ということです。それは、トマス・ロバー

ト・マルサス(イギリスの経済学者。1798 年の著作『人口論』のなかで、資源が一定な中で人口

が増えると戦争になる、と唱えた)が言うような対立、資源をめぐる紛争に直結するのではない

でしょうか。70 億人が対立なく先進国の水準で生活しようとするならば、新しい技術が必要で

す。コンピューターの分野だけではなく、エネルギー、農業、など多くの分野で必要です。私

がしばしば用いる「テクノロジー」のごくシンプルな定義はつぎのようなものです。

「doing more with less(より少ないもので、より多くを成し遂げる)」

シンプルな、経済学的な定義です。

コンピューターの分野では、技術の進歩がありました。「ムーアの法則(半導体の集積密度は

18ヵ月から 24ヵ月で倍増する)」が有名ですね。コンピューターの性能は、どんどんよくなり、

価格もどんどん安くなっていきます。ときを重ねるごとに、より少ない投入量で、同じことを、もし

くは、より多くのことができるようになりました。でも、ほかの分野では、コストは下がってません。

たとえば原油価格は、物価上昇を加味して調整した実質価格でいうと、いまも、1973 年のオイ

ルショック直後もさほど変わりません。これは、エネルギー分野での技術革新が起きてないこと

の表れだと思います。

「より少ないもので、より多くを成し遂げる」ことができれば、よりよい生活ができます。くり返しに

なりますが、技術革新がすべてを解決するわけではない。テクノロジーの進化は、よりよい未

来に向けての必要条件だと考えているのです。

9. 使命感(Sense of mission)

糸井 お話をうかがっていると、起業家、投資家というよりは、研究者が成果を話しているように聞こ

えます。たとえば、ティールさんが起業したり投資したりするときに自分の研究や仮説を証明し

ようとしている、みたいに感じることはないですか?

ティール 動機について話すのは、いつも難しいですね。自分自身で、自分の動機、なぜ自分がこういう

ことをしているのかということをあまり意識していませんから。

「Why?」で始まる質問は、たいてい答えにくいものです。ちょっと間接的な答えになってしま

いますが、私は、単にお金儲けだけを目指すビジネスには、心を突き動かされることがないん

です。もっとも成功したビジネスやベンチャーは、「なにか重要なものに懸けている」、「組織を

超越した意義を追求している」、という気がするんです。

PayPal の仲間、イーロン・マスクが、スペースX(宇宙輸送を業務とするベンチャー企業)という

会社をはじめました。なぜ彼がスペースXをはじめたかというと、火星に人を移住をさせるため

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なんですね。なぜ人を火星に移住させることが重要か。地球でなにかまずいことが起きたとき

に、惑星がもうひとつ必要になるからだと言うんです。それが一番大切なことなのか、議論の余

地はありますよ。でも、この考えに大いに意義を感じ、意欲をかき立てられた宇宙工学の科学

者たちが実際にいるんです。彼らは、ほかのどこで働くよりも、スペースXで働きたいと思って

いるんです。

偉大な企業、偉大な非営利団体、偉大な活動には、必ず「sense of mission」、つまり「使命感」

があります。自分たちがやらなければこの問題は解決しない、という信念です。ある問題を解

決しようとするとき、ほかにも大勢の人が取り組んでいるから、そのうち誰かが解決してくれるだ

ろう、と思うのでは、意義を感じませんし、モチベーションが湧きません。「自ら成し遂げなけれ

ば!」という使命感があるほうが、ずっとモチベーションが上がります。そういう「使命感」を持っ

ているビジネスの方が、より成功すると私は考えています。もちろん、バランスは大事で、使命

感だけでは間違えてしまいますが、向こう3ヵ月の利益だけを求めるのは短期的すぎますし、

わくわくしません。アメリカの企業、とくに上場企業は短期志向になり過ぎです。ウォール街の

期待に応え続けるうちに、大切なものを見失っています。使命感と、利益と、両方とも達成する

ようなバランスが必要だと考えています。

糸井 いまは、利益を追い求める企業のほうが圧倒的に多いわけですね。

ティール そうですね。利益を求めない企業は、いずれつぶれます。ですから、利益を追い求めることを

決して否定するわけではありません。しかし、どこかで、ビジネスにおける利益追求が企業にと

って「重要なこと」なのか、それとも企業にとって「すべて」なのか、それについて考えるべきだと

思います。

たとえば、利益を生むことは重要ではない、お金には関心がない、という企業に対して、私は

投資はしません。そういう企業はすぐにつぶれてしまうと思うからです。利益を生むことについ

て、企業はしっかりと考えるべきだと思います。利益が、「重要」なのか。それとも、「唯一の目

的」なのか。一流とされる企業では、利益を追い求めることをたしかに重視しているけれども、

そのほかにもいろいろな使命があると思います。

糸井 「利益は重要だがそれがすべてではない」というバランスが大切なんですね。

ティール そう思います。そして、「利益は重要だがそれがすべてではない」という企業に共通する特徴

は、実質的に独占企業であるということです。つまり、利益追求以外のことができるバッファ、余

力があるんです。Googleには「don't be evil(悪は行わない)」というスローガンがあります。宣伝

用の文句だという批判はありますし、そうした面があると私も思いますが、同時にこれは、

Google がすばらしい独占事業を行っていることの表現でもあるんです。ものすごく稼いでいる

から、お金ことばかり考えなくていい。もし、もっと競争の激しい事業だったら、お金のこと以

外、考えられないでしょう。利幅がどれくらいか、頭から離れない日はない、一日でも目を離し

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たら倒産です。

糸井 なるほど。違うテーマになりますが、いま、アメリカの若い人たちが、大きな企業に勤めるという

目標のほかに、非営利団体に自分の職場を求めるという傾向があるそうですけど、非営利団

体についてはどんな考えをお持ちですか?

ティール すべての問題が営利事業で解決できるとは思っていません。非営利目的の、行政、大学、そ

して NPO といった活動が解決していくべき課題もありますね。たとえばさまざまな分野の「基礎

研究」。収益化するまでには時間がかかりすぎて、ものになるかどうかもわからない。そういっ

た基礎研究は、規模の大小を問わず、営利事業には向かないかもしれません。たとえば、私

は、個人的に、老化を止められないか、人間の寿命を延ばせないか、というテーマに関心を持

っています。これは、見方によっては、まだ十分に探求されていないテーマで、一般的に思わ

れているよりはるかに研究が進むポテンシャルがあると、私は信じています。そういった分野で

の取り組みは非営利事業のような面もありますね。しっかりとした基礎研究が必要で、利益を

生むまで何十年もかかるかもしれない。そういった取り組みは、非営利的な文脈で運営するこ

とが大事です。また、非営利の文脈で私がよくする逆説的な質問は、「誰も支援していない大

義はなにか?」というものです。

糸井 ああ、そこも逆説的に考えることができるんですね。

ティール そうなんです。というのも、私は寄付の依頼を受けることがよくあるのですが、そのとき、すぐに

了承するのではなくて、「なぜこの活動は人気がないのですか?」と質問するようにしていま

す。もし人気のある活動なら、私に寄付を依頼するまでもなく、すでに十分資金を獲得できて

いるはずです。ですから、私は、「よい活動なのに人気がないもの」を支援したいのです。

気をつけなくてはいけないのは、人は重要な課題を解決するために非営利活動をやっている

のではなく、社会的な栄誉、周りに褒められるからやってる、というリスクが潜んでいるということ

です。ですから、やはり、「使命感(Sense of mission)」はどこでも、ほんとうに大事です。

営利事業でも、非営利活動でも、「いま取り組んでいる課題は、自分や、自分の会社や団体

が手がけなければ解決しないんだ」という感覚があると、非常にモチベーションが高まります。

10. 日本は驚くほど世界と異なっている

糸井 どのような組織にとっても「使命感(Sense of mission)」 というのはなくてはならないものなので

すね。

ティール 使命感は、とても有用だと思います。どのような企業にも「成功する前の時期」というのがありま

す。問題は、その成功していない時期に、「いったいなにが前へ進む原動力となるか?」という

ことです。そのときに、その企業が「使命感」を持っているかどうか。それはたいへん大きなこと

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

だと思います。

たとえば、こんなふうに考えてみましょう。多くの人が「起業はクールだ」と言いますね。やはり

創業者になるのはカッコいいです。では、10 人目、20 人目として、その会社に入ってくる人た

ちはどうなんでしょう?10 人目、20 人目が入社するころというのは、おそらく、その会社がまだ

十分には成功していない段階です。「お金が欲しい!」という人がその段階で入ってくるという

ことはあまりないでしょう。ですから、創業者から 10 人目、20 人目の仲間が入社する段階で

は、「ここで働きたい!」と強く思える動機となるような、非常に説得力のある物語、本気のスト

ーリーが組織に必要だと思います。その意味では、本気のストーリーや、「使命感」がなけれ

ば、その会社がつぎの段階に行くことはできないでしょう。

未来は、ただ自動的に、瞬間的に起こるものではありません。よりよい将来を築いていくために

は、さまざまな人々の協業、インスピレーション、そして動機が必要です。

スティーブ・ジョブズ氏を考えてみてください。ジョブズ氏の伝記が書かれていますが、それを

読むと、彼が上司として非常に意地悪だったりとか、けっこうひどい話もありますよね。シリコン

バレーでは、中間管理職が部下にこのジョブズの伝記を渡して、「私もジョブズみたいに、少し

意地悪な上司になるかもしれない」と示唆するというようなことが流行っていると聞いたことがあ

ります。でも、ジョブスから学ぶべき点は、そこではない。仮に部下を怒鳴りつけたとして、なぜ

部下がそれを我慢することができるのか?それは、厳しいことを言われても上司にやる気をか

きたてられるなにか新しいことが感じられるから。「この人にはほかの人とは違うなにかがある」

と思わせることがあるからです。ジョブズは iPhoneを生み出ましたけれども、瞬時に生まれたわ

けではありません。何年もかかって社内外の協業を実現し、サプライチェーンを少しずつ構築

するなかでやっと生まれてきたのです。

アメリカでは、そういうふうにじっくり時間をかけて取り組むことが減ってしまっているのですが、

それだけに、ジョブズのそういう一面は、私たちに大きな示唆を与えてくれると思います。

糸井 だんだん時間もなくなってきました。お話をうかがっていると、いま、ティールさんには世界のい

ろんなことが見えているという気がするんですが、いま、怖いものって、なにかありますか?

ティール たくさんありますよ。なにも怖いものがないなんてことはありません。私はもちろん失敗を恐れて

います。またここに立ち戻ってきますが、失敗というのは、非常に失望させられますし、自分の

やる気をくじいてしまいます。

私は、自分の本の中で、「新しいことを考えよう」と主張しているので、よく、聴衆から、「いま、新

しい考えをひとつ教えてください!」というふうに言われるんですが、新しい考えをみなさんに

披露するというのは、とても怖いことだと思っています。いま、こうしてみなさんに、つぎつぎに

自分の考えを話すということ自体、ちょっと怯えてしまうようなことでもあるのです。

糸井 しかも、本にしっかり書いた新しい考えを、また、かいつまんで話さなければならないわけです

し。

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引用元:ほぼ日刊イトイ新聞 『ゼロ・トゥ・ワン』対談 (http://www.1101.com/peter_thiel/)

ティール そうですね。もちろん講演すること自体は楽しいんですけど。

糸井 わかりました。せっかくこうして日本に来ても、きっとあちこち見て回る時間もとれないと思うんで

すけど、日本に来てから、特別に思ったこととか、感じたこととか、あったら最後に教えてくださ

い。ま、なくてもいいですけど。

ティール ひとつ、直感的に「あれ?」と違和感を感じたことがあります。

昨日、東京でこんな質問を受けたんです。「日本の文化はイミテーション、 モノマネの文化だ

と言われているが、それについてどう思うか?」と。日本の文化がイミテーションであるということ

をその人はごく一般的な考えであるように言ってましたが、私は、そうではないと思いました。

日本は、決してイミテーションやコピーではない。日本は驚くほど世界と異なっていると思いま

すし、挑発的な表現をするならば、むしろ、世界のほかの国々から、もっとも影響を受けてない

国だと私は思います。

日本の現在文化にはクリエイティビティがあり、多くのものが創造されています。たとえば明治

時代、あるいは 1950年代、1960年代、欧米のマネをして安価なものがつくられた時代があり、

アメリカでもそのようなイメージが一般的でした。しかし、2015 年の日本は、まったくそうではな

いと私は思います。日本の人たちは世界に対しての意識が高く、それでいてほかの国の文化

に決してとらわれることがない。ITの分野においては、多少の模倣があるかもしれませんが、

自国と他国の切り離しはできていると思います。つまり、日本は世界とまったく異なっている。

実際に、日本のような世界観を持つ国は、世界に少ないと思います。アメリカはいま、新しいこ

とを十分に行ってないと感じる私からすると、それはアメリカに対するある種の宣告のようにも

受け取れます。

かつて日本は欧米をマネしようとしてきたかもしれませんが、いま、そういった国々の進歩は滞

っています。ですから、これまでは常識のように言われてきたことに反論すべきだと私は思いま

す。「日本はモノマネ文化だ」と以前は言われたかもしれませんが、いまはもう違うセオリーで

語る必要がある。むしろ、「グローバリゼーションからもっとも影響を受けてない国」といった観

点からとらえていくべきだと思います。

糸井 いや、本当にありがとうございます。「日本は大いに世界と異なっている」っていう、勇気づけら

れる感想をいただきました。どうも時間みたいなんで、終わりますね。

今日は、どうもありがとうございました。(観客席に向かって)

今日は対談ですって言ってたけど、ちょっとウソだったね(笑)。

どうもありがとうございました。