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三重県的矢湾における渦鞭毛藻Alexandrium catenellaとA. tamarenseの出現量の長期変化
誌名誌名 日本プランクトン学会報
ISSNISSN 03878961
著者著者 結城, 勝久
巻/号巻/号 55巻1号
掲載ページ掲載ページ p. 33-40
発行年月発行年月 2008年2月
農林水産省 農林水産技術会議事務局筑波産学連携支援センターTsukuba Business-Academia Cooperation Support Center, Agriculture, Forestry and Fisheries Research CouncilSecretariat
ンンポジウム「プランクトンの長)lJl側11111-長期11{]の側1111で見えてきたこと,Ilili体群動態への|リ「充発展」 33
三重県的矢湾における渦鞭毛藻Aルjuα"d河"mcqte"eZZaとAtzJwzcz”"Sc
の出現量の長期変化
結城勝久
合資会社ブルーム〒769-2702東かがわ市松原1043-4
Long-termchangesintheabumdanceofAJcJcα〃‘rmmcate"e〃αandAotama7e〃Sc
(Dinophyceae)inMatoyaBay,centralJapan
KATsuHIsAYuKI
BZoomJ>zc.,ZO43-4Mzjs"bQm,Hrgas/zj/bagazua,Kagaz(ノα769-2702,ノヒzPa刀
AbstractlnMatoyaBay,locatedonthePacificcoasto[centralJapan,routinemlcroplanktonsampling,
establishedbythelateMr,TadaoSato,hasbeenmaintainedatasinglestation(34.21.8'N,136.51.9'E)since
1948.Samplmginvolvedcollectinga51iterwatersampleatadepthof2mapproximatelyevery3days
Althoughnumeroussampleshavealreadybeenlost,microscoplcexammationofapproximately30-year-old
preservedsamplesobtainedafterl956ispossible,Ofthe2,100samplesexaminedinthisstudy,long-term
changesinthenumericalabundanceofAle〃α?zdブイ""zazZc?1c"qandA.』a?"a泥"Sc,whichhavebeenknownas
theparalyticshellfishtoxin-producingdinoflagellates,weredescribed,Intheyearspreceding1975,A.
cate"cZZaappearedalmostexclusivelyinMayandJuneinlowconcentrationsHowever,after1976,thoA.
cαに?zcjJapopulationincreasedpronouncedlyandoccul-rGdthroughouttheyearexceptmid-summerandearly
fall;however,nonoticeablepopulationgrowthwasobservedinl979,1987,1991,andl995Peakcellcounts
occurredinMayorJuneandexceededlO,O00cellsL ̄linmostoftheyeal-s.A化、"αγj"?〃』α7"αγc7zscwasalso
observedalmosteveryyearslncel956;however,anoutstandingincreaseinthepopulationofthisspecles
(exceeding6,400cellsL~')wasdetectedonlyinAprill976,April-Mayl984,May1991,andMarchl9931n
theseyears,itispossiblethatthedensepopulationofA,Jamαγe?zscthatdevelopedinlseBayandMikawaBay,
approximately20-30kmnortheastwardofMatoyaBay,wastransportedintoMatoyaBaybycoastalcurrents
Apartfrolnthesedistinctiveblooms,A、Za77zαγe"seappearedsporadicallyinlowConcentrationsfromearly
wintertoearlysummer,InMatoyaBay,theoccurrenceperiodsofA、care"cJJaandA、ra77za7e7zsecharacteris-
ticallyoverlap.
Keywords:AJB、"`γizl?〃caitc"e〃α,AIC"α?Z。γj"??zifa?"αγe"Sc,MatoyaBay,long-termchanges
の毒化機会の増加,船舶バラスト水の運搬や貝類移殖に伴う有
毒藻類の伝播といった人為的要素によってひき起こされている
という側面もある(Smaydal990,Hallegraeffl993,福代ほ
か2001).したがって,原因プランクトンの発生量の増大化や
広域化を検証する上で,生物量の変化を長期的に調べることが
重要である.これまでに,二枚貝の毒'性値はファンディ湾
(Whitel982,Martin&Richardl996),ブリティッシュコロ
ンビア(Games&Taylorl985),イギリス沿岸域(Wyatt&
Saborido-Reyl993)などで数十年スケールのモニタリング例
があり,有毒プランクトンの発生量の指標となっている.ファ
ンディ湾では,天体の周期的な運動に起因して起潮力(潮汐力)
の強まる年代に毒性値が高まるという注目すべき現象が報告さ
れている(Whitel987).しかしながら,貝毒原因プランクトン
はじめに
麻癖性毒を産生することが知られている渦鞭毛藻のうち日本
沿岸域ではAJC、"αγi"ml爵の3種(AJCjU(z"d/血?〃cQJc"eZjQ
(WhedonetKofoid)Balech,AJejcQ"αγj""zjq71za?℃"Sc(Le‐
bour)Balech,AJejcQ"αγjzJ川Za7?zdjノqUa7zic/ziiBalech)とG)'7〃
"o虚7zjzJ?〉zcate7zQfzzmGrahamがこれまで実際に麻痒|生貝毒の
原因プランクトンとなっている(松岡。吉田2001).麻原性貝
毒の発生は国内では1960年台までは局地的であったものの,
1970年代後半以降は北日本から西日本にわたる広範な地域で
しばしば認められるようになり(野口ほか1984),1990年代
以降とくに西日本で顕在化している(今井ほか2000).このよ
うな貝類の毒化現象の頻発化と広域化は,しかしながら,モニ
タリングの強化分析技術の向上,養殖海域の拡大に伴う貝類
''水プランクトン学会報第55巻第1が(2008)34
の個体群変動を同様に長い時間スケールで捉えた研究は乏し
く,10~20年スケールの経年変化として三陸沿岸の山田湾と
大船渡湾(Sekiguchietall996),香川県沿岸域(吉松1992),
三河湾(石田。尊田2003)などから報告例があるにすぎない.
しかもこれらの研究は1980年前後に開始されたものであり,
貝毒現象が顕在化した1970年代以前からの記録は見当たらな
い.
三重県的矢湾は,1950年の貝毒検査ではアサリ,マガキに
毒性がなかったものの(TeradaetaLl951),1970年代後半以
降の自主検査で養殖二枚貝類の毒化が認められるようになった
海域である(未公表資料).的矢湾では,採水法による数日間隔
での微細プランクトン採集が長年にわたって実施されてきた.
残念ながらすでに多くのサンプルが欠落してしまったが,
1996年時点で約30年分の試料が残存しており,筆者はその-
部から渦鞭毛藻類を検鏡する機会を得た.その結果A比“〃
dγjZZ77Z属では11種が|司定されたが,本属の現存量のほとんど
すべてが有毒種のA、caZC"g化とA・Zα?7zαソ℃汎Scで占められる
ことがわかった.本稿の主題はこれら2種の出現量の経年変化
を記述することである.
ちに50~lOOmLのフォルマリン原液(40%フォルムアルデ
ヒド溶液)の添加により固定された.試料は固定後数段階の
静置沈殿を経て10mL程度に濃縮され,ガラス容器中に保存
された.これまでに採集されたサンプルの総数は約5,300点
(1996年12月現在)に達している.しかしながら,試料の保管
状態は万全ではなく,約2,000点の試料(おもに1948~1955,
1958~1960,1964~1966,1985)が紛失,または検鏡不可能
な状態となっている.紛失の主な原因は台風やチリ地震津波
(1960年5月)など自然災害による研究所建屋の損壊,人為的
な管理ミス(試料の廃棄)である.試料は残存していても検鏡
対象にならない原因としては,サンプル瓶内容物の乾燥や腐
敗,ラベルの溶解または記載事項の不備といったことである.
本研究では残存した試料のうちの1,976点および1991年3
月~1993年2月の間に北原式円筒採水器で得られた124点を
検鏡対象とした.これらの試料は採集間隔が大体6日ごととな
るような基準で選択されたが,対象生物の増殖状態に応じてさ
らに短い間隔で試料を抽出,観察した場合もある.
種の同定はおもにFukuyo(1985)およびFukuyoetaL
(1985)の記載に基づき,細胞外形に加えて頂孔板,第1頂板,
腹孔,前縦溝板,後縦溝板,後部接続孔といった形質の特徴に
より行われた.AJC、?zdγi"7〃caZC"gJZaと』.』α7"αγC"Scは諸形
質において類似しているが,両極の識別には腹孔の有無(A
rQ77Za7e7ZSeは有し,A,Care7ZeJZaは欠く)を確認することがもっ
とも有用な方法である.試料中にこれらの2種と見られる細胞
が多数存在する場合は,できるだけ多くの細胞(1試料あたり
最大50細胞程度)の腹孔の有無を観察し,両種の出現比率か
ら試料中の細胞密度を求めた.定量にあたっては,試水量や採
取量を調整して最低細胞密度が20cellsL-iとなるようにし
た.
最近,韓国産AIC、'Z。γi"??z属の形態を研究したKimetal.
(2002)によれば,A、cqte"e"αの形態特徴を持ちながらも腹孔
を有する細I包がクロン培養株で観察されており,腹孔の有無が
両種の識別点として必ずしも安定的でないことが示唆されてい
る.本研究でAm77Zaブゼ?ZScとして同定された細胞中にこのよ
うな』.cajc"c"αが混在していたかどうかは未確認である.
材料と方法
的矢湾は志摩半島東端に位置し,総面積12.7km2,湾口1幅約
1kmの東西に細長い形状をしている.湾内では真珠(アコヤ
ガイ)とマガキの養殖が戦前より,ノリ(ヒロハノヒトエグサ)
養殖が1950年代以降に行われてきた.プランクトン採集は湾
中央部の狭水路内の1定点(34.2L8'N,136.51.9'E水深約9
m)(Figl)で故佐藤忠勇氏(元田1984)により,1948年1月
に開始されて以来,的矢湾養蛎研究所においてほぼ3日ごとに
実施されてきた.手製のポンプを使用して2mの深度から5L
の海水とともに採取されたプランクトンは,実験室に搬送後直
漣蕊 A比ra7zdJ-Zzz"lcateJzeZZα出現密度の経年変化
AZcxα"αγjz"〃care?ze"αの出現密度の経年変化をFig.2に示
す.本種の出現は1975年以前ではほぼ5~6月に限られてお
り,出現密度も非常に低く,最高値でも1971年6月のL700
cellsL-]にすぎなかった.ところが』.caJe"g"α個体群は
1976年6月に突然増大して最大l34000cellsL~’に達した.
翌1977年には,6月の試料が紛失していたために直接確認で
きなかったが,6月中旬にA,cα/c7zeJJaに類似した種による赤
潮が発生し,細'1包密度が600~LOOOcellsmL-’に達したこと
02Km
Fig.1.MapofMatoyaBayshowingthesampling
station(closedcircle)whereroutinomlcroplankton
samplinghasbeencarriedout(modiHedfromKoba‐
vashi&Yukil991)
シンポジウム「プランクトンの長期槻i11']-長期間の観測で見えてきたこと,個体群動態への研究発展」 35
1956 1970
54321
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1957 1971
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1961 -1972
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1962 1973
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1963 1974
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Fig、2.InterannualandseasonalchangesintheabundanceofA陀兀α"。γ池加caije"e"a(closeddiamond)andAJejca汁
d7jzJ加Jamα形"Sc(opensquare)inMatoyaBayfortheperiodl956tol996,Datafortheperiodsl958-1960andl964-
1966andforl985areabsentAsterisksdenotetheabsenceofdata.
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1978 1988
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シンポジウム「プランクトンの長!!]観111'1-長期'''1の観illIで見えてきたこと,個体群動態への研究発展」 37
が的矢湾養栃研究所の観測で示されている.この赤潮の原因種
は5月下旬の個体群の対数的増加から見て,AcaJc?zc"αで
あったことは明らかであろう.1978年以降もほぼ毎年,個体
群の成長過程は一定ではないものの,5月中旬~6月下旬に
10,000cellsL-lを超える明瞭な増殖のピークが見られるよう
になった.とくに,1986年と1996年の個体群は最大100,OOO
cellsL~'を超えて1976年と同程度の高い出現密度となった.
出現時期も1976年以降では,高水温期(7月後半~10月上
旬)を除くほとんどすべての期間に拡大した.しかし,水温下
降期を含む低水温期(おおむね10~3月)の出現は散在的で出
現密度も非常に低く,500cellsL-lを超えることはまれで
あった.他方,1979,1987,1991年には個体群の顕著な増殖は
認めれらず,1995年には11~12月だけの出現にとどまり,
1957,1974年には年間を通じてAcaZe'zeZJaの出現が記録さ
れなかった.
AJejcα〃αγiizz加care'zeJZaの出現は7.9~28.3℃の広い温度範
囲にわたっていたが,1,OOOcellsL-l以上の比鮫的高密度な個
体群は大体10~23℃で記録された
的矢湾では上述のように,A,cα/C7zeJJaの発生量が1976年
以降,急激に増大したことが明らかになった.AJejcQ"〔ZγizJ?〃
cazc7zcJJq個体群の著しい増大は,しかしながら的矢湾に限ら
ず,熊野灘~紀伊水道沿岸域および東部瀬戸内海で1970年代
中期~1980年代前期に相次いで起った現象と見ることができ
るまず1975年12月に紀伊半島東岸の尾鷲湾(Hashimoto
etaLl976L1976年6月には紀伊水道西岸の小松島湾
(Noguchietall978,佐々木1979)で」.cα/e)zeJZQの赤潮が
発生した.紀伊水道のAcailc"eZJq個体群は,同時期に瀬戸内
海東部の播磨灘に移入されて二枚貝の毒化を引き起したと推定
されている(Okaichi&Nishiol977).さらに1979年には紀
伊水道西岸域(佐々木ほか1981),1980年には播磨灘南部(小
野1981)と和歌浦湾(野口ほか’984),1981年には紀伊半島
南西部の田辺湾(野口ほか1984)でもA、care"GZlqによる赤潮
の発生が報告されている.これらの海域では1970年代中期以
前のAJcjUα"。〃"沈属の出現記録が非常に乏しいため,A・caJe-
"CIIαの唐突な発生が,以前から生息していた個体群の増大に
よるものか,他海域からの導入によるものか,結論づけること
は困難である.しかし,的矢湾で観察された事実からみて,上
述の海域でも在来のA・cade"eZJα個体群が,原因は不明なが
ら,目立たない存在の時代を経てある特定の時期を境に増大し
た可能性が高いと考えるのが妥当であろう.この点に関連し
て,佐々木ほか(1981)は保存試料の検鏡から,徳島県橘湾で
1970年6月(同海域での赤潮発生の9年前)にAcatC"C"α
の出現を認めており,本種が在来種であったことを裏づけてい
る
Aルjca"(j7Zzzl〃tqmα】.e"Sc出現密度の経年変化
AJejuq"〔Zγ/"?〃tα?7zα7℃7zseの出現密度の経年変化をFig2に
示す.本種もまた,的矢湾ではほとんど毎年出現が認められ,
その出現時期はA・cQtC"eJJaと同様,高水温期(8~10月)を
除くほぼすべての季節にわたっていた.おもな出現時期は
1970年代前半までは5~6月に見られていたが,1970年代中
期頃より4~5月が中心となり,6~7月の出現はまれとなっ
た.さらに,1990年代以降では3月に高密度な個体群が維持
される年が現れるようになり,主要な出現時期は長期的に見れ
ば徐々に早まる傾向にあることが示された.1961,1962,1971,
1972年では6月でもl00cellsL~1以上の密度に達したが,
1973年以降では6月にそのような増殖は記録されなかった.
一方,秋~冬季(11~2月)での出現は1971年以降,散発的に
観察されているが,細胞密度は低いレベル(l00cellsL-1以
下)にとどまっていた.出現密度が顕著に高い個体群は1976
年4月(最大6,500cellsL~'),1984年4~5月(同6,400cells
L-I),1991年5月(同12POOcellsL~'),1992年3月(同
2,900cellsL-I),1993年3月(同7,OOOcellsL~])に観察さ
れた.このうち1992年と1993年のブルームは」.。α"za7wzse
の単独組成であったが,1976,1984,1991年ではA、cqZe"e"α
と共存してブルームが形成されていた.とくに1984年5月
中~下旬には,両種が同程度に混合して高密度なAZejUQ〃αγj"腕
群集を形成していた.
A彫jca?zd7izJ77zrα"zαγcソzseは87~25.7℃の広い温度範|刑で出
現が認められたが,1,OOOcellsL-1を超える高密度な個体群の
出現は約10~19°Cの範囲に限られていた.
AJejcq"。γi"、如加q7c"Scの高密度発生年における個体群の
出現状況を周辺海域での情報とともに示せば次のようであっ
た.まず1991年5月のブルーム期間中に栄養細胞の湾内分布
2
弓】
45 目
([廷)ニーロのロ
025℃旧
。⑤
、』⑨
百一。、
雫鱸鐵
Ji。〔F鬮麹ii織辮蝋1000-句0t⑨
=z:;診易:Fig.3.VerticaldistributionofAJexa7zαγj"?〃ZamQγe?zse
inMatoyaBay・WatersamplGswerecollectedonl4Mavl99L
l-l水プランクトン学会報第55巻第1号(2008)38
を調べたところ,湾□表層部にもっとも濃密な個体群(表面で
176,OOOcellsL-1l5m層で83,800cellsL-l)が存在し,湾奥
中層部に向けて拡散している状態が認められた(Fig.3).ほぼ
同時期に伊勢湾西岸域(津。鳥羽地先)(水口ほか1992)や三
河湾(石田。尊田2003)でもAm77zαγe7zSeの濃密な発生が記
録されている.さらに,1993年3月のブルーム発生時に伊勢
湾西岸域~熊野灘沿岸域で表面海水の採取による分布調査を
行ったところ,A、加川αγc"Scは伊勢湾南西部から的矢湾の間で
類似した高い出現密度(1,200~5,820cellsL-1)となるが,英
虞湾以南の熊野灘IHllでは非常に少ないか(l20cellsL-1以
下),または見られないという結果が得られた(Fig.4,Table
l).また1984年5月のブルーム発生時には三河湾でA、
ra7"α花"Scが赤潮を形成するほど大増殖していたことが分かっ
ている(石田。尊田2003).これらの出現状況から,的矢湾に
出現するAta?7zqre"Scの濃密な個体群が海水流動に伴って約
20~30km離れた伊勢湾。三河湾から移入されている可能性
が考えられる
他方,伊勢湾西岸域では1976年4月にもAJcjUα"αγ伽?〃属
の濃密な個体群の発生が記録されているが(NoguchietaL
l978),その原因種はA・cQife"e"α類似種とされ同定が未了で
あった.隣接する的矢湾では同時期にA、rα池α7℃"Scの顕著な
発生が観察されていることから(Fig.2),筆者はこの時伊勢湾
で増殖したAJC、"αγj"7〃属の主成分はA、/α机α?℃"Scであった
と考えている.
A"xα"α7m"Ucatc"cJZaとA・オα、α]℃"Scの共存
的矢湾ではAcaZe?zcZJaとA、/α川αγe"Scの出現時期が高水
温期を除いて長期間重複することが示された(Fig5).おもな
出現時期がAcate7zcjJqでは5~6月,Arα7?zα7℃"Scでは3~5
月にあたるため,5月には両極が比較的高密度で混合した群集
が形成される可能性が高く,実際に1984年にはこのような群
集が認められた(Fig.2).A化jca?2.γjzJ7〃cqije〃e"αとA,/a77za-
花"Scの共存はベネズエラのカリアコ湾(Ferraz-Reyesetal
l985)で報告例があるものの,日本国内ではまれな現象であ
る.これまでの観察例ではこれら2種の地理的分布が一致する
地域でも,各々の出現時期は明瞭に異なることが大船渡湾
(OgataetaL1982)や瀬戸内海播磨灘(吉松。小野1983)で知
られている.一方,紀伊半島南西部の田辺湾ではAcatc?zeZJa
が高水温期を除いて周年見られ,5月頃に個体群が高密度に成
長することが知られているが(竹内ほか’990),A、jQmαγc"Sc
の出現は伴っていない.逆に,広島湾では近年,春季を中心に
A/α?7zαγe7zScの顕著な発生が報告されているが(Itakuraetal
Fig.4.Stationsforcollectionofvegetativecellsol
AルjuQ?zαγi"'〃Ikzmα7℃"scinMiePrefectureinMarch
l993.
Table1.OccurrenceofAZem"αγj"?〃/α7"α7℃"seon
thecoastofMiePrefectureinMarchl993.ND:not
detected.
St.
(inFig.4)
Sampling
date
Abundance
(cellsL-l)Locality
lShiroko
55474848485885339
12112121212112111
rrrrrrrrrrrrrrrrr
aaaaaaaaaaaaaaaaa
MMMMMMMMMMMMMMMMM
00000000000DD00DD
別記印、沁型理加阿2⑫NN42NN
4314511
23
MatsusakaH・
TobaH.
IOOOO
1000
ダ
壱…
夕
|へ竺一①。
MatoyaBay
(mouthpart)
MatoyaBay
(innerpart)
AgoBay
(Kashikojima)
Hamajima
GokashoBay
(Nakatsuhama)
NieBay(Nieura)
NieBay(Asoura)
KataBay(Sone)
400
10
孟宗
11
露
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P ̄o(b MliL-ljiLli二二
1便
i・再吟、
ダダ
JFMAMJJASOND
Month
圏A・cate几eZZa□A・tamaTeァzse
Fig,5.Meanseasonalpatternoftheabundanceof
AJclca?zd7i"?〃cαオe"e〃qandA.jα'"α花?zseinMatoya
Bayfortheperiodl956tol996basedonansamples
examined(excludingl958-1960,1964-1966,andl985).
78
9
10
11
爾闘
薑■F
JmX i[ 關 箙
シンポジウム「プランクトンの長期槻illlI-長期'1|]の観測で見えてきたこと,他|体群動態への研究発展ロ 39
2002),AcarC7zcZJaの出現は認められていない.この点に関連
して,YoshidaetaL(2003)は広島湾東部の呉湾の海底泥から
得られた多数のシストを発芽させ,遊泳細胞のほとんどがA、
jamαγc"Scであったことを記述しているが,A,Caオe"eJJaの発
芽は観察していない.このように,両種の出現特性は海域によ
る差異が明瞭である.的矢湾でAcaitg"c"αとA、/a?"α?℃7zsc
が共存する原因の一つとしては,前述したようにA、jamq7c〃Sc
の優勢な個体群が湾外から進入してA・carc1zcZzαとの混合が起
きる可能性が考えられる.しかし,これは3~5月頃に明瞭な
現象であり,より幅広い水温範Fnで低密度に出現するA
la?〃a7e?zse栄養細胞の由来(在来か,偶来か?)は不明である.
とくに,20℃以上の水温となる6~7月に出現する細胞は腹孔
を有するAcate7zeJJα(Kimetal2002)である可能性も残って
いるので,これらの点に関しては今後の検討・課題となろう.
る的矢湾では後年さらに,仙台湾産種苗の移殖を伴うマガキ
養殖,三陸沿岸産ムラサキイガイの移殖,噴火湾産ホタテガイ
稚貝の移殖などが行われてきた.しかしながら,これらの貝類
養殖に伴うAル、〃αγtzl加属の人為的な導入の有無については,
本研究資料からは判断できない.
謝辞
的矢湾養蛎研究所所長故佐藤忠勇氏には本研究への端緒を開
いていただいた.本研究で利用したプランクトン試料は,的矢
湾養蛎研究所に在籍した多くの研究員の手により長年にわたっ
て採集。保管されたものである.また,三重県伊勢湾水産試験
場の瀬古準之助氏(当U寺)には伊勢湾での試料採集にご協力い
ただいた.これらの方々に対して厚く御礼申し上げる
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関係
的矢湾で得られた底泥の柱状試料から渦鞭毛藻シストの鉛直
分布を分析した林(2001)によれば,Acaite7zcJZα/Za77zqブゼ"Scの
シストは本研究のプランクトン採集定点では1942年頃(最下
部約1890年),湾口に近い別の地点では1910年頃(最下部約
1830年)に初めて出現が記録されている.近隣の五ヶ所湾で
は1914年と1916年にAJcra7zdγi"加に類似した渦鞭毛藻の
出現が報告されており(平坂1922,1923),形態記述からそれ
らはいずれもAl“α"dγiZJ77Z属(おそらくA・Care"e"α)と考え
られている(吉田。福代2000,松岡。吉田2001).これらのこ
とから,Aazifc"eJJα/jq7"α?℃'2seの遊泳細11包は1910年代には
的矢湾を含む志摩半島の諸湾にすでに存在していたことが強く
示唆される.ところで1900年代初頭は日本における真珠養殖
の黎明期であり,的矢湾では1900年(明治33年)頃に見瀬辰
平氏により試験養殖が開始されている(木下1967).真珠養殖
では母貝搬入,仕上げ・避寒漁場の確保など頻繁な漁場の転換
が必要である.戦前の母貝生産地は英虞湾や五ヶ所湾などであ
り(三重県農林水産部1992),避寒漁場としては熊野灘に面し
た諸湾が利用されたため,的矢湾を含むこれらの海域では
1900年代初頭からアコヤガイの移殖が頻繁に行われてきたこ
とになる.二枚貝類の移殖に伴って有毒藻類が新たな海域へ導
入(伝播)される可能性がきわめて高いことは近年の研究で検
証されている(例えばScarrattetaL1993,HonjoetaL
1998).的矢湾では真珠養殖開始の方がシスト初出現よりも先
行しているので,的矢湾のA,cqje"eZZα/Zq?"α池"Sc個体群は
1900年代のごく初頭に,真珠養殖を通じて熊野灘海域より導
入されたという可能性は否定できない.ただし,シストの初出
現年代は,湾内の2地点間で約30年の差異が生じているので
(林2001),その推定に関してはさらに検討を重ねる必要があ
[1本プランクトン学会報第55巻第1号(2008)40
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