18
物性化学オンライン 2020 豊田太郎 1 第4回 物質の光学特性(2) 光電子分光法 4.1 炭素の同素体のうち,共有結合結晶ではダイアモンドとグラファイト (黒鉛)が知られている。炭素原子の配列の違いを,炭素原子間の化学 結合に基づいて説明せよ。標準状態ではグラファイトがダイヤモンドよ りも安定である。この理由を,ギブス自由エネルギーの観点から炭素原 子間の化学結合に基づいて説明せよ。 4.2 次の分子やイオンの形状を,分子軌道法に基づいて説明せよ。 H3 + : 正三角形構造 H2O : 二等辺三角形構造 XeF2 : 直線構造 共有結合結晶の原子配列や分子の形状の古典的な考え方 同じ原子の結晶でも,その結晶内の原子の配置が変わることがあり, (結晶)多型と呼ぶ。例えば,金属結合結晶である Fe 結晶は,常温で は体心立方構造(α 型またはフェライトと呼ぶ)であるが, 912℃を超え ると相転移して,立方最密充填構造(γ 型またはオーステナイトと呼ぶ) になることが知られている。高温でも固体で安定に存在するには,原子 の配列をより安定化するために全体のエネルギーを下げるべく,最近接 原子数が増大するものといえる。一方で,α 型を常温に保ちつつ高圧に すると,約 1.25 × 10 5 atm で六方最密充填構造(ε 型と呼ぶ)に相転移 する。このような 2 状態間の相転移では転移熱を伴う。転移温度での等 温および等圧条件のもとで,この相転移が可逆変化である場合に,ギブ ス自由エネルギー変化量で以下の議論ができる。 系内の相 I, II にある 1 mol あたりの原子(または分子)のギブス自 由エネルギーをそれぞれ GIGII とする。相 I と相 II とで相平衡が成り 立っている時,GI = GII すなわち dGI = dGII である。ここで,熱力学第一 法則と第二法則により, d = −d + d (4.1) が成り立つため,相 I, II のエントロピーおよびモル体積(1 モルあたり の物質の体積)をそれぞれ SI, SII, I , II とおくと, d I = − I d + I d (4.2) d II = − II d + II d (4.3) である。よって, ▶第 4 回は,分子の形状を理解するため の電子のふるまいを学ぶ。あくまでも, 先に実験結果があって,それをどう説 明するかに主眼がおかれている。 (i) ルイス構造と VSEPR (ii) 混成軌道(ポーリングのモデル) (iii) 分子軌道法とウォルシュダイアグ ラム 共有結合結晶は,特定の原子間に局 在した電子により原子が規則的に配列 した固体である。 炭素の同素体には,共有結合結晶で あるダイヤモンドとグラファイト以外 に,フラーレンやカーボンナノチュー ブ,無定形炭素がある。 H3 + 1989 年,木星からの発光線の観測によ り発見。H3 + の生成過程のモデルは, H 2 宇宙線 H 2 + +e H 2 + +H 2 → H 3 + +H XeF21962 年バレットらが Xe O2 のイオ ン化エネルギーの類似性から Xe の反 応性を検討し,はじめて合成した。 Xe(g)+F 2 (g) 400 XeF 2 相平衡: 成分が同一で,異なる相が系内に存在 するときの平衡状態(相内で示強性変 数が空間的に均一であり,時間的に一 定である状態)。 (4.1)の導出。熱力学第一法則と第 二法則から、可逆的な変化では ∆ = −∆ + ∆ 有限の変化量を無限小で扱うと d = −d + d ⋯ よって d = d − d() = d + d() − d() = d + d + d − (d + d) = −d + d (∵ )

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物性化学オンライン 2020 豊田太郎

1

第4回 物質の光学特性(2)

光電子分光法

問 4.1

炭素の同素体のうち,共有結合結晶ではダイアモンドとグラファイト

(黒鉛)が知られている。炭素原子の配列の違いを,炭素原子間の化学

結合に基づいて説明せよ。標準状態ではグラファイトがダイヤモンドよ

りも安定である。この理由を,ギブス自由エネルギーの観点から炭素原

子間の化学結合に基づいて説明せよ。

問 4.2

次の分子やイオンの形状を,分子軌道法に基づいて説明せよ。

H3+ : 正三角形構造

H2O : 二等辺三角形構造

XeF2 : 直線構造

共有結合結晶の原子配列や分子の形状の古典的な考え方

同じ原子の結晶でも,その結晶内の原子の配置が変わることがあり,

(結晶)多型と呼ぶ。例えば,金属結合結晶である Fe 結晶は,常温で

は体心立方構造(α型またはフェライトと呼ぶ)であるが,912℃を超え

ると相転移して,立方最密充填構造(γ型またはオーステナイトと呼ぶ)

になることが知られている。高温でも固体で安定に存在するには,原子

の配列をより安定化するために全体のエネルギーを下げるべく,最近接

原子数が増大するものといえる。一方で,α型を常温に保ちつつ高圧に

すると,約 1.25 × 105 atm で六方最密充填構造(ε型と呼ぶ)に相転移

する。このような 2 状態間の相転移では転移熱を伴う。転移温度での等

温および等圧条件のもとで,この相転移が可逆変化である場合に,ギブ

ス自由エネルギー変化量で以下の議論ができる。

系内の相 I, II にある 1 mol あたりの原子(または分子)のギブス自

由エネルギーをそれぞれ GI,GIIとする。相 I と相 II とで相平衡が成り

立っている時,GI = GII すなわち dGI = dGIIである。ここで,熱力学第一

法則と第二法則により,

d𝐺 = −𝑆d𝑇 + 𝑉d𝑃 (4.1)

が成り立つため,相 I, II のエントロピーおよびモル体積(1 モルあたり

の物質の体積)をそれぞれ SI, SII, 𝑉I̅, �̅�IIとおくと,

d𝐺I = −𝑆Id𝑇 + 𝑉I̅d𝑃 (4.2)

d𝐺II = −𝑆IId𝑇 + �̅�IId𝑃 (4.3)

である。よって,

▶第 4 回は,分子の形状を理解するため

の電子のふるまいを学ぶ。あくまでも,

先に実験結果があって,それをどう説

明するかに主眼がおかれている。

(i) ルイス構造と VSEPR

(ii) 混成軌道(ポーリングのモデル)

(iii) 分子軌道法とウォルシュダイアグ

ラム

▶ 共有結合結晶は,特定の原子間に局

在した電子により原子が規則的に配列

した固体である。

▶ 炭素の同素体には,共有結合結晶で

あるダイヤモンドとグラファイト以外

に,フラーレンやカーボンナノチュー

ブ,無定形炭素がある。

H3+ :

1989 年,木星からの発光線の観測によ

り発見。H3+の生成過程のモデルは,

H2

宇宙線 H2

+ + e−

H2++H2 → H3

++H

XeF2:

1962 年バレットらが Xe と O2 のイオ

ン化エネルギーの類似性から Xe の反

応性を検討し,はじめて合成した。

Xe(g)+F2(g)400℃ XeF2

相平衡:

成分が同一で,異なる相が系内に存在

するときの平衡状態(相内で示強性変

数が空間的に均一であり,時間的に一

定である状態)。

▶ 式(4.1)の導出。熱力学第一法則と第

二法則から、可逆的な変化では

∆𝑈 = −𝑃∆𝑉 + 𝑇∆𝑆

有限の変化量を無限小で扱うと

d𝑈 = −𝑃d𝑉 + 𝑇d𝑆 ⋯①

よって

d𝐺 = d𝐻 − d(𝑇𝑆)

= d𝑈 + d(𝑃𝑉) − d(𝑇𝑆)

= d𝑈 + 𝑉d𝑃 + 𝑃d𝑉 − (𝑆d𝑇 + 𝑇d𝑆)

= −𝑆d𝑇 + 𝑉d𝑃 (∵①)

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2

𝑑𝑃

𝑑𝑇=𝑆II − 𝑆I�̅�II − 𝑉I̅

(4.4)

となる。転移熱 ΔHが温度によって変化しない場合,相 I から相 II への

相転移における系のエントロピー変化量は

∆𝑆 = 𝑆II − 𝑆I =∆𝐻

𝑇 (4.5)

であるので,式(4.5)を式(4.4)に代入すれば

𝑑𝑃

𝑑𝑇=

∆𝐻

𝑇(�̅�II − 𝑉I̅) (4.6)

が得られる(クライペイロン-クラウジウスの式と呼ぶ)。T–P 相図に

おける平衡曲線は,転移熱とモル体積変化に依存することがわかる。つ

まり,原子(または分子)の結合のエネルギーと空間充填率の変化量が

ポイントとなる。

共有結合結晶の多くは,外殻となる ns 軌道と np 軌道の電子が原子の

結合に関与する。結晶構造がよくわかっている天然の共有結合結晶の中

で原子番号がもっとも小さいのが炭素(C)の結晶である。炭素の状態図

を図 4-1 に示す。

図 4-1 炭素の状態図およびダイヤモンドとグラファイトの結晶構造

(グラファイトの単位胞は淡赤色の部位)。

ダイヤモンドは,1 つの炭素原子の周囲に 4 個の炭素原子が正四面体頂

点方向で最近接しており,グラファイトは 1 個の炭素原子の周囲に 3 個

の炭素原子が正三角形頂点方向で最近接している。一方で,ダイヤモン

ドとグラファイト(黒鉛)の空間充填率はそれぞれ 0.34 と約 0.5 であ

る。標準状態ではグラファイトの方がダイヤモンドより安定である。し

かし,1955 年にバイデイらにより,およそ 2000℃,1.0 × 105 atm(図

4-1 の状態図の斜線領域)で,触媒存在下でグラファイトから人工的に

ダイヤモンドを合成した結果が報告された。活性化エネルギーが大きい

ため,ダイヤモンドが生成すると,グラファイトへ変化するまでの時間

は著しく長い。このように原子配列や形状に基づく安定性の違いを共有

結合の観点からどのように説明するか,3 つの考え方をここで説明する。

空間充填率:

(単位胞中の原子数)×(1原子当たりの

体積)/(単位胞自身の体積)と定義。同

一原子からなる最密充填構造の結晶の

空間充填率は 0.7405 である。

▶実験的にはホウ素の共有結合結晶も

合成されており,2000 年代から,多く

の多型が見つかってきた。これらはフ

ラストレーション系物質という新しい

物理学に貢献している。

▶ グラファイトの空間充填率は,単位

胞の底面の一片の長さ a と層間の距離

b を用いれば(単位胞の中の原子数は

4 個,炭素原子の共有結合半径は

3/6 𝑎,単位胞の体積は 3/2 𝑎2𝑏)

2𝜋𝑎

9𝑏 である。a = 0.246 nm, b = 0.335 nm

のとき,空間充填率は 0.512 と求まる。

▶ C(graphite)→C(diamond)の標準モ

ル生成エンタルピーは 1.9 kJ mol−1,

C(graphite),C(diamond)の標準エン

トロピーはそれぞれ,5.69, 2.44 J K−1

mol−1である。標準状態でのグラファイ

トからダイヤモンドへの変化のギブス

自由エネルギー変化量は,

1.9×103 – (273.15+25)(2.44 – 5.69)

= 2.87 kJ mol−1 > 0

つまり,25℃ 1atm では自発的にこの

変化は進まず,逆方向の C(diamond)→

C(graphite)が自発的に進む。

▶ 状態図上では相転移を引き起こすこ

とができても,高温高圧を保てる実験

時間内に大量のダイヤモンドを得るに

は活性化エネルギーを下げ,状態変化

の速度を高める必要があるため,バイ

デイらは触媒を用いた。この研究グル

ープは,より一層高圧にすることで,

炭素原子が六方最密充填構造の結晶に

なることも明らかにした。

渡辺啓「化学熱力学」(サイエンス社)p.79

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3

最も古典的な考え方が,ルイス構造と Valence Shell Electron Pair

Repulsion(VSEPR)則である。以下の手順に沿って考える。

手順 1: 価電子の総数を原子ごとに求める。

手順 2: 結合する原子の間を,電子を対にして直線で結ぶ。

手順 3: 残りの電子を分配する。安定な化合物として,水素原子は 2 個

の価電子をもち(デュエット則と呼ぶ),第 2 周期の原子は 8 個の

価電子をもつようにする(オクテット則と呼ぶ)。

手順4: ある原子の周りの立体構造は,電子対の間の反発を最小にする

ように決まる(VSEPR則)。反発の大きさの順序は,(非共有電子

対どうし)>(非共有電子対と結合電子対)>(結合電子対どう

し)とする。ただし,電子対どうしが120°以上離れる場合には、

反発を無視できる。

炭素原子の価電子数は 4 であるので,以上の手順により,ダイヤモンド

とグラファイトの化学結合は図 4-2 のように描くことができる。

図 4-2 ダイヤモンドとグラファイトにおける原子間の結合

ダイヤモンドではすべての炭素原子が単結合で結合することになり正

四面体頂点方向(∠CCC=109°)に配置される。グラファイトでは,1 つ

の炭素原子は周囲 3 個の炭素原子のうちの 2 個とは単結合を,残り 1 個

とは 2 重結合をつくり,正三角形の重心に位置する(∠CCC=120°)。

そして,層それぞれで炭素原子の六角形の網目構造ができており,層間

では炭素原子どうしを結ぶ共有結合はない。よって,グラファイトは,

炭素原子 1 個ずつみたときの結合エネルギー(エンタルピー項にあた

る)として単結合よりも安定な 2 重結合を含むこと,炭素原子の配置の

ばらつきでみたときに層間に共有結合がないために層に鉛直方向に炭

素原子はばらつきやすいこと(標準エントロピーが大きい),という二

つの寄与で,グラファイトの方がダイヤモンドより安定といえる。さら

に,ダイヤモンドは 3 次元のネットワーク状に張りめぐらされた単結合

により強固な共有結合結晶である一方で,グラファイトは一層ごとに分

離(劈開と呼ぶ)されうるという,あまり強固でない共有結合結晶であ

ることも理解される。

この古典的な共有結合のとらえ方は,常温・大気圧下で安定な様々な

分子の形状の理解にも役に立つ。例えば,H2O 分子は,直線型ではなく

屈曲型の構造(二等辺三角形型)である。これは,2 組の非共有電子対

と 2 組の O-H 結合について,電子対の間の反発を最小にするような

形状と理解できる。また CO2分子は直線型である。2つの C=O 結合が

電子対の反発を最小にするように 180°逆方向に向いていると理解でき

価電子:

原子内における最外殻の軌道を占める

電子。

▶ 破線の円内でオクテット則が満たさ

れている。

▶ 劈開された一層ずつに分離された炭

素原子のシートをグラフェンと呼ぶ。

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4

る。しかし,気相の BeH2が直線型の分子であることや,BH3が平面正

三角形の構造の分子であることは,オクテット則が満たされないため

に,構造の説明を与えることができない。

共有結合結晶の原子配列や分子の形状のポーリングの考え方

ポーリングは,古典的な共有結合のとらえ方では説明のできない共有

結合結晶の原子配列や分子の形状にも説明を与えるために,電子の波と

してのふるまいを取り入れた新しい共有結合の考え方を提唱した。例え

ば,炭素原子の価電子は,2s 軌道に 2 個,2p 軌道に 2 個占めている。

炭素原子どうしを近づけると,炭素原子間を結ぶ直線上の 2p 軌道の片

側の腹は強め合って,原子核どうしを引きあわせておくことに寄与する

が,そうでない側の腹は寄与しない。そこでポーリングは,物質はより

エネルギーが低い(安定な)状態になるのであれば,「原子どうしが接近

するに伴って,原子核どうしをより一層安定化させる電子の定常波を再

度原子軌道から補正し,その後に分子軌道を組み立てる」ことを提案し

た。その分子軌道に対して,構成原理,パウリの排他律,フントの規則

で電子を配置した場合に,共有結合結晶や分子全体での全電子のエネル

ギーが安定化するならば,それが安定な共有結合を与えるとみなす。

ダイヤモンドでは,1 個の炭素原子の周囲に 4 個の炭素原子が配列し

ている。これは,各炭素原子内で4個の電子が,2s 軌道と 2p 軌道を重

ね合わせた新しい軌道(混成軌道と呼ぶ)の状態で運動していることに

相当すると考える。混成軌道のエネルギー準位は,2s 軌道と 2p 軌道の

エネルギー準位の間にあるため,2s 軌道の電子は不安定化することにな

るが,2p 軌道の電子は安定化することになる(図 4-3)。そして,この

混成軌道が正四面体頂点方向に大きな腹をもつ(その逆方向には小さな

腹になる)ことが,ダイヤモンドの全原子を安定に結合させることにな

る。

図 4-3 混成軌道のエネルギー準位

この混成軌道の定常波が,動径方向に大きな腹と小さな腹ができる理

由は,図 4-4 のように,定常波として s 軌道と p 軌道の波動関数を重ね

合わせると理解できる。2s 軌道は球対称であるが,2p 軌道は節を原点

(原子核)にもつため,重ね合わせると,同位相の場合も逆位相の場合

も,大きな腹と小さな腹ができる。また,2s 軌道の寄与の分,原子核で

の電子の存在確率がゼロでなくなり(節の位置が原点からずれる),2p

軌道より遮蔽を受けにくいため,2p 軌道のエネルギー準位より混成軌

道のそれは低くなる。

▶ BeH2(水素化ベリリウム)結晶では,

Be 原子がダイヤモンド構造となり,Be

原子の間にH原子が位置するという原

子配列(氷の結晶構造と同じ)になる

ことが報告されている。

▶ BH3(ボラン)常温常圧では不安定

で,二量化して B2H6(ジボラン)なっ

て安定に存在する。このとき,各 B 原

子の周りの 4個のH原子は四面体頂点

方向に位置する。

▶ そもそも ns 軌道と np 軌道は直交し

ているので,同一原子内の軌道では本

来,重なり合わない。しかし,周囲にあ

る原子の軌道とは強め合ったり弱め合

ったりする定常波を新たに作る。ポー

リングは,周囲にも原子核が存在する

時のみ,個々の原子内で ns 軌道と np

軌道を重ね合わせて考えてもよい(2個

以上の原子核から電子は引力を受けて

いるから)と着想した。

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図 4-4 混成軌道の波動関数の形

混成軌道の腹のできる方位が正四面体頂点方向である理由は,s 軌道

と重ね合わせるp軌道の個数に基づいて一次結合をつくった波動関数で

理解できる。3 個の 2p 軌道を 2s 軌道に重ね合わせる場合,規格化条件

と直交条件を満たす混成軌道は次の4つとなり,sp3混成軌道と呼ぶ。

1

2𝛹2s +

1

2𝛹2p𝑥 +

1

2𝛹2p𝑦 +

1

2𝛹2p𝑧 ≡ 𝛹1,sp3 (4.7)

1

2𝛹2s +

1

2𝛹2p𝑥 −

1

2𝛹2p𝑦 −

1

2𝛹2p𝑧 ≡ 𝛹2,sp3 (4.8)

1

2𝛹2s −

1

2𝛹2p𝑥 +

1

2𝛹2p𝑦 −

1

2𝛹2p𝑧 ≡ 𝛹3,sp3 (4.9)

1

2𝛹2s −

1

2𝛹2p𝑥 −

1

2𝛹2p𝑦 +

1

2𝛹2p𝑧 ≡ 𝛹4,sp3 (4.10)

これら波動関数を直交座標系で描いたものが図 4-5(a)である。2つ sp3

混成軌道のなす角は 109.4°である。2 個の 2p 軌道を 2s 軌道に重ね合わ

せる場合は,同様にして,混成軌道は次の 3 つとなり,sp2 混成軌道と

呼び,図 4-5(b)のように描かれる。2つ sp2混成軌道のなす角は 120°で

ある。

1

3𝛹2s +√

2

3𝛹2p𝑥 ≡ 𝛹1,sp2 (4.11)

1

3𝛹2s −

1

6𝛹2p𝑥 +

1

2𝛹2p𝑦 ≡ 𝛹2,sp2 (4.12)

1

3𝛹2s −

1

6𝛹2p𝑥 −

1

2𝛹2p𝑦 ≡ 𝛹3,sp2 (4.13)

▶ 混成軌道𝛹𝑖,sp3が𝛹2s, 𝛹2p𝑥 , 𝛹2p𝑦 ,

𝛹2p𝑧の一次結合であるとして,

𝛹𝑖,sp3 = 𝑐𝑖1𝛹2s + 𝑐𝑖2𝛹2p𝑥 + 𝑐𝑖3𝛹2p𝑦 + 𝑐𝑖4𝛹2p𝑧

とおく(ci1 ~ ci4は定数)。規格化条件か

ら(∫dτは全空間で積分を意味する)

𝛹𝑖,sp3 2dτ = 𝑐𝑖1

2 + 𝑐𝑖22 + 𝑐𝑖3

2 + 𝑐𝑖42 = 1

である。直交条件は,i ≠ j として

𝛹𝑗,sp3∗ ∙ 𝛹𝑖,sp3 dτ

= 𝑐𝑖1𝑐𝑗1 + 𝑐𝑖2𝑐𝑗2 + 𝑐𝑖2𝑐𝑗2 + 𝑐𝑖3𝑐𝑗3 + 𝑐𝑖4𝑐𝑗4

= 0

となる。また,3 つの p 軌道の寄与は

等しい( 𝑐𝑖2 = 𝑐𝑖3 = 𝑐𝑖4 )を考慮し

て連立方程式を解くと,一例として左

に挙げた 4 組が定まる(直交座標系で

描きやすい組)。詳細は Appendix4.A

▶ 混成軌道𝛹𝑖,sp2 が𝛹2s, 𝛹2p𝑥 , 𝛹2p𝑦

の一次結合であるとして,

𝛹𝑖,sp2 = 𝑐𝑖1𝛹2s + 𝑐𝑖2𝛹2p𝑥 + 𝑐𝑖3𝛹2p𝑦

とおく(ci1 ~ ci3は定数)。上と同様にし

て連立方程式を解くと,一例として左

に挙げた 3 組が定まる(直交座標系で

描きやすい組)。詳細は Appendix4.A

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1 個の 2p 軌道を 2s 軌道に重ね合わせる場合は,同様にして,混成軌道

は次の 2 つとなり,sp 混成軌道と呼び,図 4-5(c)のように描かれる。こ

れらの sp 混成軌道は逆平行の向きとなる。

1

2𝛹2s +

1

2𝛹2p𝑥 ≡ 𝛹1,sp (4.14)

1

2𝛹2s −

1

2𝛹2p𝑥 ≡ 𝛹2,sp (4.15)

図 4-5 混成軌道の形

((a) sp3 混成軌道,(b) sp2 混成軌道,(c) sp 混成軌道)

以上のポーリングの考え方により,古典的な考え方では説明できなか

った BeH2分子の直線構造(図 4-6)も BH3分子の正三角形構造(図 4-

7)も説明を与えることができる。

図 4-6 BeH2の分子軌道

図 4-7 BH3の分子軌道

▶ 混成軌道𝛹𝑖,spが𝛹2s, 𝛹2p𝑥の一次結

合であるとして,

𝛹𝑖,sp2 = 𝑐𝑖1𝛹2s + 𝑐𝑖2𝛹2p𝑥

とおく(ci1 , ci2は定数)。前頁と同様に

して連立方程式を解くと,一例として

左に挙げた 2 組が定まる(直交座標系

で描きやすい組)。詳細は Appendix4.A

▶ 分子軌道の電子配置の作図の手順。

①原子軌道のエネルギー準位と電子配

置を書く。

②(電子のことは考えずに)分子軌道

のエネルギー準位を書く。

③分子軌道にあらためて電子を配置す

る(構成原理・パウリの排他律・フント

の規則)。

④結合をつくらせる前後で、全電子の

エネルギーの合計の増減を見定める。

全電子のエネルギーが小さくなる(安

定化)ならば共有結合の形成。

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7

いずれの分子軌道でも,Be や B の 1s 軌道の電子は,そのエネルギー

が H の 1s 軌道の電子に比べて著しく小さく安定であるので,共有結合

には寄与しないで残る。また,BeH2の Be の 2py,2pz軌道や BH3の B

の 2pz軌道も,H の 1s 軌道とは結合をつくらずに原子軌道としてその

まま残る。その理由は,図 4-8 のように,これら 2py,2pz軌道と H の 1s

軌道は定常波として重ね合うことがない直交条件にあたるためである。

図 4-8 直交する原子軌道の組み合わせの概念図

さらに,混成軌道の考え方の利点は,周囲にどの原子が何個配置され

るかによって,共有結合を担う電子の波動関数(定常波)を特徴づけら

れることである。例えば,ダイヤモンドでは,どの C 原子も周囲に 4 個

の C 原子があるため,原子ごとに sp3混成軌道をつくりそれらが重ね合

うことで,電子は正四面体頂点方向に 4 つの等価な単結合となる(図 4-

5(a))。一方,グラファイトの 2 重結合に関与する 4 個の電子は等価で

はなく,原子配列の面内に sp2混成軌道の重ね合わせで腹ができる定常

波(σ軌道と呼ぶ。それを占める電子を σ電子と呼ぶ)と面上下に 2pz

軌道の重ね合わせで腹ができる定常波(π軌道と呼ぶ。それを占める電

子を π電子と呼ぶ)があり,4 個の電子はそれぞれの軌道を占めている

(図 4-9)。そして,面上下に形成されている定常波は,(古典的な考え

方では共有結合を形成しないと導かれていた)層間を安定化させる効果

があることがわかる。

▶ 同一原子内で量子数が異なる2つの

軌道は,いずれの組み合わせでも直交

する。例えば,1s 軌道と 2px 軌道は直

交する。

𝛹𝑖,2p𝑥∗ ∙ 𝛹𝑖,1s dτ = 0

これは,1s 軌道が yz 平面で対称で偶

関数だが,2px軌道は奇関数なので,そ

の積は奇関数となり,全空間で積分し

たらゼロになるためである。

異なる原子にある軌道どうしでは,直

交しない場合と直交する場合がある。

例えば(i ≠ j),

𝛹𝑗,2p𝑥∗ ∙ 𝛹𝑖,1s dτ ≠ 0

𝛹𝑗,2p𝑦∗ ∙ 𝛹𝑖,1s dτ = 0

𝛹𝑗,2p𝑧∗ ∙ 𝛹𝑖,1s dτ = 0

▶ グラファイトが比較的高い導電性を

示すのはこの π電子に起因する。

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8

図 4-9 炭素-炭素原子間における σ軌道と π軌道

ポーリングの考え方は,この他にも多数の有機分子の形状や反応性に

合理的な説明を与えることができ,化学者全般に受け入れられている。

ところが,20 世紀後半から発見・合成された化合物の構造については,

明確な説明を与えることが難しいこともわかってきた。例えば,H3+は

正三角形構造であることが分光計測で見出されたが,H の 1s 軌道の電

子を 2p 軌道まで不安定化させて混成させても(最近接する原子は 2 個

なので)sp 混成軌道は直線構造型のみを与えるので,正三角形構造を説

明できない。また,XeF2は直線構造であるが,5p 軌道は全て電子で占

められているので 5s軌道や 4f軌道の電子で混成を考えることができな

い。これらの形状は,もちろん,上記の古典的な考え方でも説明できな

い。

共有結合結晶の原子配列や分子の形状の量子論的描像による考え方

共有結合に関する古典的な考え方もポーリングの考え方も,比較的単

純な規則で多数の化合物の構造について説明を与えることができたが,

それらの考え方を適用できない化合物の実験例が報告されるとその都

度,議論が激しく交わされる。そこで共有結合に関する 3 つ目の考え方

として,適用可能な範囲が最も広いと受け入れられている量子論的描像

によるもの(分子軌道法とウォルシュダイヤグラム)を説明する。これ

は,「共有結合結晶内や分子内の各原子のもつ電子の軌道どうしで重な

り領域をより増大させるように共有結合を形成すれば、全原子が安定に

結合する(エネルギーが極小化する)」という考え方である。

木星の観測データから見出された H3+は正三角形構造であることが

わかっている。これを説明するには,図 4-10 のように,H2分子の分子

軌道に H の原子軌道を重ね合わせて,最後に電子 2 個を配置すればよ

い。ポイントは,H-H の中点へ向けて,その間に H を割り込ませて分

子軌道を組み立てることである。こうすると,H-H の分子軌道の波動

関数の対称性をあまり崩さずに,新たな分子軌道の波動関数を単純化し

て考えることが可能だからである。

▶ 原子間の結合軸で180°回転させて波

動関数が対称である場合は σ と呼ぶ。

反対称である場合は πと呼ぶ。

▶ 第 3 回で,金属結合結晶は,構成原

子の最近接原子数が大きいほど,フェ

ルミ準位と最低エネルギー準位の差が

大きくなりその間の準位も電子が占め

ることになって一層安定化することを

述べた。

▶ 例えば,規格化条件や直交条件を計

算する全空間での積分において,波動

関数の対称性(偶関数か奇関数か等)

を利用すると,単純化される。

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図 4-10 H3+の分子軌道の組み立て。(a)直線構造,(b)二等辺三角形構

造,(c)正三角形構造。1 価の陽イオンなので電子数は 2 個である。

組み立てた分子軌道のエネルギー準位において、H の 1s 軌道のエネル

ギー準位との差をみてみよう。直線構造から∠HHH を小さくしてゆく

と,最低のエネルギー準位がより低くなって安定化する。これは,

∠HHH = 60°に近づくほど両末端の H 原子核の距離が縮まることで,

あらたに腹のある定常波があらわれるためである。よって,電子を配置

した時,全電子エネルギーは正三角形構造のときにもっとも小さくなる

ことがわかる。これが H3+は正三角形構造である理由である。

XeF2は実験的に合成できた希ガスに由来する化合物である。XeF2が

直線構造であることの理由も,図 4-11 のように,F2分子の分子軌道に

Xe の原子軌道を重ね合わせてみればよい。この場合も,F-F の中点へ

向けて,その間に Xe を割り込ませて分子軌道を組み立てる。

図 4-11 XeF2 の分子軌道の組み立て。F の 2px 軌道と Xe の 5px 軌道

のみを表している。枠内の黒点は Xe の原子核を示している。

▶ H-Hの節のある分子軌道とHの 1s

軌道とは直交する。よって,H3+の分子

軌道でも残る。このとき,原子核は存

在しても,そこでは電子の存在確率が

ゼロ(節)になる H 原子が生じた軌道

となる。

これは,H の 1s 軌道が yz 平面で対称

で偶関数だが,H-H の節のある分子

軌道は奇関数なので,その積は奇関数

となり,全空間で積分したらゼロにな

るためである。

▶ F-F の中点に節のある分子軌道

(2px-2px)と Xe の 5px軌道とは直交

する。よって,XeF2の分子軌道でも残

る。この軌道にも 2 つの電子が占める

ことになるため,Xe 原子核は存在して

も,このエネルギー準位では Xe 原子核

上は電子の存在確率がゼロ(節)とな

る。

▶ F と Xe の他の原子軌道は全て閉殻

なので,分子軌道を組み立てても(He2

の分子軌道(第 3 回)を参照),全電子

のエネルギーの安定化には寄与しな

い。

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まずF2の分子軌道を考える。Fの結合軸方向をx軸とすると,2px軌道と

2px軌道どうしで強め合う分子軌道と弱め合う分子軌道(節が1つ)がで

きる。この分子軌道それぞれにXeの5px軌道をF-Fの中点に割り込ませ

ると,Xeの5px軌道も強め合う分子軌道(図4-11のΨ1)と,Xeの5px軌道

があらたに2つの節をつくる分子軌道(図4-11のΨ3)ができる。一方で,

Xeの5px軌道が直交する軌道もあり,それはXeF2の分子軌道に残る(図

4-11のΨ2)。これらの分子軌道を占める電子の数は合計で4個なので,電

子を配置すると,Ψ1とΨ2が電子で占められ,全電子のエネルギーの総和

として安定化することになる。仮に,XeF2が二等辺三角形型になる場合,

Ψ1とΨ2ともに両末端のFの2px軌道があらたな節を生じて不安定になる

効果と,また,Ψ1におけるFの2px軌道とXeの5px軌道との重なり領域が

縮む結果Ψ1が不安定になる効果がはたらいて,全電子のエネルギーは,

二等辺三角形構造よりも直線構造の方が安定である。これが,XeF2が直

線構造である理由である。∠FXeFに依存したΨ1のエネルギー準位の変

化は図4-12のようにかける。このように,分子軌道を組み立てた後(分

子軌道法)に,結合角に依存して各エネルギー準位が変化する傾向を調

べ,その分子の最も安定な構造を導くための図をウォルシュダイアグラ

ム(またはウォルシュの相関図)と呼ぶ。

図4-12 XeF2のウォルシュダイアグラムの一部

水(H2O)分子は二等辺三角形構造である。分子軌道法とウォルシュ

ダイアグラムを用いて,この構造が安定となる理由を説明する。あらた

めて,手順は以下の通りである。

手順1: 分子の対称性を崩さないように原子レベルに分解する(各電子

の波動関数は対称であり,波動関数の相互作用を単純化できる)。

手順2: 分解後の原子や原子団を相互作用させて,もとの分子の分子軌

道を組み立てる。N個の原子軌道の線形結合からは,N個の分子軌道しか

できない。原子軌道のエネルギー準位が近しいほど,また,原子軌道の

重なり領域が大きいほど,強め合う定常波の分子軌道はより安定化し,

節ができる定常波の分子軌道はより不安定化する。

手順3: 分子軌道に,構成原理・パウリの排他律・フントの規則で電子を

占有させ,全電子のエネルギーが低くなるかどうかを確認する。

▶ N 個の原子軌道の線形結合からは,

N 個の分子軌道しかできない理由は,

Appendix 4.A

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手順4: 結合角を変えて,各分子軌道のエネルギー準位を再度組み立て,

電子を配置し,全電子のエネルギーが最も低くなる結合角を見出す。

まず,H2O 分子が直線構造であることを仮定して,分子軌道を組み立て

る(図 4-13)。

図 4-13 H2O 分子が直線構造と仮定したときの分子軌道の組み立て

次に,H2O 分子が二等辺三角形構造(屈曲構造とも呼ぶ)であることを

仮定して,分子軌道を組み立てる(図 4-14)。

図 4-14 H2O 分子が二等辺三角形構造と仮定したときの

分子軌道の組み立て

▶ ここでの説明は,H2O分子に限らず,

ns 軌道と np 軌道(n = 2 ~ 6)が最外殻

となる原子 A において AH2 分子の構

造に理由を与えることができる。

▶ 合計で 7 個の分子軌道を考える。

O 原子軌道のうち,2py,2pz 軌道は

H-H の軌道と直交するので,H2O の

分子軌道に残る。また,O 原子軌道の

1s 軌道は著しく安定であるため,他の

分子軌道と相互作用せず,H2O の分子

軌道に残る。

▶ 上と同じく 7 個の分子軌道を考え

る。O 原子軌道のうち,2py軌道のみが

H-H の軌道と直交するので,H2O の

分子軌道に残る。O 原子軌道の 1s 軌道

は著しく安定であるため,他の分子軌

道と相互作用せず,H2O の分子軌道に

残る。

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二等辺三角形構造では,yz 平面で対称で偶関数である H-H の軌道,O

の 2s 軌道,2pz軌道という 3 つの定常波として重なり合う。その分子軌

道は,これらの 3 つの軌道の線形結合から得られるので,3 つある。ま

ず,直線構造のときと同じく,H-H の軌道と O の 2s 軌道とで,強め

合う定常波の分子軌道と弱め合うことで節のできた分子軌道が生じる。

すると,この節のできた分子軌道のエネルギー準位は,O の 2pz軌道の

それと近しくなる。折れ曲がることで(O の 2pz軌道とは直交でなくな

るために)これらが重ね合うことで,2 つの分子軌道があらたに組み立

てられる。一方,H-H の軌道と O の 2s 軌道とが強め合ってできた定

常波の分子軌道は,エネルギー準位が離れた 2pz軌道とはほとんど重な

り合わずに(2pz軌道による安定化の寄与が小さい),H2O の分子軌道に

与する。これにより,合計で 3 つの分子軌道が組み立てられたことにな

る。

最後に,横軸に∠HOH を,縦軸に各分子軌道のエネルギーをとった

ウォルシュダイヤグラムの概形を図 4-15 に示す。

図 4-15 H2O 分子のウォルシュダイアグラムの概形

図 4-15 のように,電子が占めている分子軌道(1s 軌道から 2py軌道ま

で)のエネルギー準位に注目して全電子のエネルギーを見積もると,

∠HOH ~ 100°で二等辺三角形構造の方が安定である。これは,H-H

の軌道,O の 2s 軌道,2pz軌道の 3 つが重なり合ってできた分子軌道

の安定化の寄与が著しく大きいためである。さらに,この図が意味す

る重要なポイントは,H2O 分子がもつ非共有電子対は 2 組あるが,二

等辺三角形構造ではこの 2 組は等価でなく,異なるエネルギー準位に

なる点である。これまで紹介してきた共有結合の古典的な考え方で

も,ポーリングの考え方でも,非共有電子対の 2 組は互いに性質が異

なるということは説明できない。これを実験で検証する方法を次に説

明する。

▶ 直線構造だと,O の 2pz 軌道は,

H-H の軌道と O の 2s 軌道のつくる

分子軌道と直交する。

分子が折れ曲がった構造の場合,O の

2pz軌道は直交でなくなり,あらたな分

子軌道ができる。

強め合う定常波:

節があらたにできる定常波:

▶ ウォルシュダイアグラムを精確に表

すには,各エネルギーをシミュレーシ

ョンで算出することになる。図 4-15 は

概形である。

▶ 分子の構造が折れ曲がることで,エ

ネルギー準位が上がるのは,主に,重

なり領域が縮む効果,及び,両末端の

軌道が近づくことであらたに節ができ

る効果に依る。

▶ 折れ曲がった構造の安定化は,非共

有電子対の反発(VSEPR則)でもなく,

非対称な腹をもつ軌道(混成軌道)を

重ね合わせることでもないことに注目

しよう。

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光電子分光法

1887 年にハーツによって見出され,1905 年にアインシュタインに

よって現象解明された光電効果を利用する実験法を光電子分光法と呼

ぶ。一定の振動数𝜐をもつ電磁波(X線や紫外線)を分子 M に照射す

ると分子から電子が放出される。放出される電子の運動エネルギーを

Ekとすると,エネルギー保存によって,

ℎ𝜐 − 𝐸𝑘 = 𝐸(M𝑖+) − 𝐸(M)

が成り立つ(図 4-16)。ここで,E(M)は分子のエネルギー,E(Mi+)は

i 番目のエネルギー準位から電子が放出されたイオンのエネルギーを表

す。この式の右辺は分子のイオン化エネルギーEi(i)と定義できることか

ら,放出電子の運動エネルギーを測定することで,分子のイオン化エ

ネルギー(これは分子軌道のエネルギー準位に相当)を直接的に求め

ることができる。

図 4-16 光電子分光法の原理

H2O 分子の光電子スペクトルは図 4-17 の通りで,O 原子の 2 組の非

共有電子対は等価ではなく,エネルギー準位が異なるものだった。この

実験結果は,分子軌道法とウォルシュダイアグラムが,共有結合におい

て,古典的な考え方やポーリングの考え方よりも精緻な考え方であるこ

とを示している。

図 4-17 水分子の光電子スペクトルの一部

▶ 放出電子の運動エネルギーは,下図

のように,半円球型電極で電圧を印加

えておくと,通過できる分のエネルギ

ーをもった電子だけが通り抜けて検出

器に届くという仕組みで計測できる。

▶ 各分子軌道の記号付けは,以下のル

ールに基づく。

① z 軸での 180°回転操作で対称な波

動関数は a,反対称な波動関数は b。

② yz 平面で対称で偶関数の波動関数

は右下添え字で 1, 奇関数の場合は 2。

③ エネルギーが低いものから若い番

号をアルファベットの左に付する。

▶ 光電子スペクトルのピークが幅広で

微細構造があらわれるのは,原子核が

振動しているためである。

千原秀昭・江口太郎・齋藤一弥「マッカーリサイモン物理

化学(上)」東京化学同人,p.421.

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図 4-18 は,メタン(CH4)分子の光電子スペクトルのうち,最小のエ

ネルギーの領域を表したものである。この領域で 2 つのピークが観測さ

れている。これは,メタン分子の分子軌道のうち,価電子にあたるもの

が 1 種類ではなく,2 種類あることを意味する。メタン分子の共有結合

について,古典的な考え方,ポーリングの考え方いずれを適用しても,

C-H の共有結合は 1 種類なはずである。そこで,分子軌道法を用いて,

この実験結果を説明する。

図 4-18 CH4分子の光電子スペクトルの一部

正四面体構造の CH4 分子については,4 個の H 原子をまずは対称的に

配置して(第一段階),次に,その重心に C 原子を配置する(第二段階)

という方策で分子軌道を組み立てる。

図 4-19 4 個の H 原子でできる(仮想的な)分子軌道の組み立て

第一段階(図 4-19)では,ねじれの位置に,H-H の分子軌道を配置す

る。両者の定常波との重ね合わせの結果,重心位置で強め合う定常波と,

弱め合って節ができる定常波が生じる。その他に,H-H で節のある分

子軌道が,もう一方の H-H の強め合う分子軌道とも,節のある分子軌

道とも直交するために,そのまま残る。

▶ 最も小さいイオン化エネルギーは,

最も高いエネルギー準位の分子軌道に

由来する。

千原秀昭・江口太郎・齋藤一弥「マッカーリサイモン物理

化学(上)」東京化学同人,p.422.

▶ t2 という分子軌道の記号は,四面体

構造に特有のものである。

▶ ここでの説明は,CH4分子に限らず,

ns 軌道と np 軌道(n = 2 ~ 6)が最外殻

となる原子 A において AH4 分子の構

造に理由を与えることができる。

▶ 4 つの H の原子軌道の一次結合を考

えるので,分子軌道は 4 つある。

▶ この第一段階ではまだ電子を配置し

ていないことに注意。

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図 4-20 正四面体構造における CH4分子の分子軌道の組み立て

第二段階では,上記の H 原子が正四面体構造にあるときに,その重心位

置に C 原子の原子軌道を配置する。9 つの軌道の一次結合を用いるた

め,CH4 原子の分子軌道は 9 つである。定常波として重ね合わせた結

果,節が多くなる分子軌道は,それだけエネルギー準位は高くなる。電

子は合計で 10 個であるので,構成原理,パウリの排他律,フントの規

則に従って電子を分子軌道に配置すると,全電子のエネルギーは安定化

することがわかる。

正方形構造の CH4 分子の分子軌道も組み立てて,電子が占めている

分子軌道について,正四面体構造のものと並べたものが図 4-21 である。

図 4-21 CH4分子の正四面体構造と正方形構造の分子軌道の比較

▶ 分子軌道のエネルギー準位を精確に

表すには,各エネルギーをシミュレー

ションで算出することになる。図 4-21

は相対的なエネルギーの高低のみを示

したものである。

▶ 正方形構造で 4つのH原子がつくる

分子軌道は,以下の 4 つである。

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正方形構造である場合,C の 2pz軌道は,正方形の面(xy 平面)上の H

のつくる分子軌道と直交するため,そのまま分子軌道として残る。これ

のエネルギー準位は,(原子軌道をそのまま反映しており)電子が占め

る正四面体構造の分子軌道のそれよりも高い。その結果,CH4分子は正

方形構造よりも正四面体構造の方が全電子のエネルギーは低くなる。こ

れが,CH4分子が正四面体構造であることの説明,さらには,電子が占

めている高いエネルギー準位の分子軌道は 1 種類ではなく 2 種類ある

ことの説明にあたる。なお,CH4分子から 2 個の電子が放出して生成す

る CH42+イオンは,正四面体構造ではなく正方形構造であるという実験

結果も報告されている。これは,電子の総数が 8 個になったため,正方

形構造での全電子のエネルギーが正四面体構造のそれよりも小さく安

定であると説明できる。

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演習問題 ――――――――――――――――――――――――――

演習 4.1

分子軌道法によって,BeH2分子の分子軌道を組み立てて,結合角

∠HBeH に依存して各分子軌道のエネルギー準位がどう変化するかを

ウォルシュダイヤグラムの概形として表し,BeH2分子は直線構造が

安定である理由を説明せよ。なお,各原子軌道のエネルギー(計算

値)は,Be(1s); –129 eV, Be(2s); –8.4 eV, H(1s); –13.6 eV とする。

演習 4.2

CO 分子の光電子スペクトルを下図に示す。CO 分子の分子軌道を組

み立てよ。なお,各原子軌道のエネルギー(計算値)は,C(1s); –308

eV, C(2s); –19.2 eV, C(2p); –11.8 eV, O(1s); –562 eV, O(2s); –33.9 eV,

O(2p); –17.2 eV とする。

図 CO 分子の光電子スペクトル

演習 4.3

分子軌道法によって,直線構造の CO2分子の分子軌道を組み立てて,

C 原子よりも O 原子でπ電子の存在確率が高くなることを説明せよ。

なお,各原子軌道のエネルギー(計算値)は,C(1s); –308 eV, C(2s);

–19.2 eV, C(2p); –11.8 eV, O(1s); –562 eV, O(2s); –33.9 eV, O(2p);

–17.2 eV とする。

演習 4.4

アセチレン(C2H2)分子について,CH 分子の分子軌道を組み立て,

2 つの CH 分子から,C2H2分子の分子軌道を組み立てよ。なお,各原

子軌道のエネルギー(計算値)は,C(1s); –308 eV, C(2s); –19.2 eV, C(2p);

–11.8 eV, H(1s); –13.6 eV とし,電子配置は

(1σ)2(2σ)2(3σ)2(4σ)2(5σ)2(1π)4

で与えられている。

▶ Be の 1s 軌道は,遮蔽を受けておら

ず著しく安定であるため,H の 1s 軌道

とは分子軌道をつくらず,そのまま残

る。Be と O とは同周期の原子なので,

H2O分子のウォルシュダイヤグラムを

参照するとよい。

▶ 分子軌道の数は 6 つで,そのうちの

5 つが σ軌道.1 つが π軌道である。

▶ CO2 分子の分子軌道には,演習 4.2

も参考になる。

▶ 分子の電子配置の表記法は,原子の

電子配置のそれと同じである。

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Appendix 4.A N 個の原子軌道の一次結合から分子軌道を

導出する方法

N 個の原子軌道の一次結合から分子軌道を求める。今,

𝛹 =∑𝑐𝑖𝜙𝑖

𝑁

𝑖=1

を考える(𝑐𝑖 (i = 1,2,3,…, N)は,原子軌道𝜙𝑖の係数とする)。この𝑐𝑖の値

を変数として動かし,以下のシュレーディンガー方程式を満たす分子

軌道𝛹のエネルギーE が最小となるものを求めたい。

𝛹∗�̂� 𝛹d𝜏 = 𝐸 𝛹∗𝛹d𝜏 ②

②式に①式を代入して,

𝐸 =∫(∑ 𝑐𝑖𝜙𝑖𝑖 )∗�̂�(∑ 𝑐𝑖𝜙𝑖𝑖 )d𝜏

∫(∑ 𝑐𝑖𝜙𝑖𝑖 )∗(∑ 𝑐𝑖𝜙𝑖𝑖 )d𝜏=∑ ∑ 𝑐𝑖

∗𝑐𝑗𝐻𝑖𝑗𝑗𝑖

∑ ∑ 𝑐𝑖∗𝑐𝑗𝑆𝑖𝑗𝑗𝑖

∑∑𝑐𝑖∗𝑐𝑗𝐻𝑖𝑗

𝑗𝑖

=∑∑𝑐𝑖∗𝑐𝑗𝐸𝑆𝑖𝑗

𝑗𝑖

∴ ∑∑𝑐𝑖∗𝑐𝑗(𝐻𝑖𝑗 − 𝐸𝑆𝑖𝑗) = 0

𝑗𝑖

とかける。ここで,𝐻𝑖𝑗 = ∫𝜙𝑖∗�̂�𝜙𝑗 d𝜏,𝑆𝑖𝑗 = ∫𝜙𝑖

∗𝜙𝑗 d𝜏 とおいた。

𝑐𝑖の値を変数として動かし,エネルギーE の最小値を求めるため,

𝜕𝐸

𝜕𝑐𝑖∗= 0 ④

である必要がある。③式を𝑐𝑖∗で偏微分すると

∑𝑐𝑗(𝐻𝑖𝑗 − 𝐸𝑆𝑖𝑗) +∑∑𝑐𝑖∗𝑐𝑗(−𝑆𝑖𝑗

𝜕𝐸

𝜕𝑐𝑖∗) = 0

𝑗𝑖𝑗

が得られる。これに④式を代入して

∑𝑐𝑗(𝐻𝑖𝑗 − 𝐸𝑆𝑖𝑗) = 0

𝑗

これを書き下すと,

(𝐻11 − 𝐸𝑆11)𝑐1 + (𝐻12 − 𝐸𝑆12)𝑐2 +⋯+ (𝐻1𝑁 − 𝐸𝑆1𝑁)𝑐𝑁 = 0

(𝐻21 − 𝐸𝑆21)𝑐1 + (𝐻22 − 𝐸𝑆22)𝑐2 +⋯+ (𝐻2𝑁 − 𝐸𝑆2𝑁)𝑐𝑁 = 0

(𝐻𝑛1 − 𝐸𝑆𝑛1)𝑐1 + (𝐻𝑛2 − 𝐸𝑆𝑛2)𝑐2 +⋯+ (𝐻𝑁𝑁 − 𝐸𝑆𝑁𝑁)𝑐𝑁 = 0

となる。この N 元連立方程式が,

𝑐1 = 𝑐2 = ⋯ = 𝑐𝑛 = 0

でない解をもてばよい。それは,

|𝐻11 − 𝐸𝑆11 𝐻12 − 𝐸𝑆12 ⋯ 𝐻1𝑁 − 𝐸𝑆1𝑁𝐻21 − 𝐸𝑆21 𝐻22 − 𝐸𝑆22 ⋯ 𝐻2𝑁 − 𝐸𝑆2𝑁

⋮ ⋮ ⋮| = 0

が成り立たねばならず,その結果, (𝑐1, 𝑐2,⋯ , 𝑐𝑁)は N 組の解(重解を

含む)をもつ。つまり,N 個の原子軌道の一次結合から N 個の分子軌道

が導かれる。

▶∫ dτは全空間で積分を意味する。

▶ 変分法という。

▶ この行列式が満たす式を永年方程式

と呼ぶ。