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-41書評 今回治禰編 「東北地方金融の構造 と展開』 (時潮社, 1978 年刊, A5 版, 318 頁〉 ιL 左王 本書は噌地方金融史研究会に結集する諸氏が‘その 機関誌『地方金融史研究』での研究成果の発表とあわ せて、取り組まれた共同研究の成果を公刊されたもの であり‘『地方金融史論』(大原新生社‘ 1974 年〕に続 く論文集である。本書に収録されている個々の論稿の 研究テーマは多様であるが.いずれも 司東北地方の金 融構造の史的展開を、各種の金融機関の分析を通じて 明らかに している点で統ーが図られている 。 種々の金融機関の史的分析で‘優れた研究成果を上 梓されてきた著者たちの論稿は.金高1 !史研究自体の成 果としても注目されるものであるが.特に東北地方に 着目して,対象地域の限定がなされていることから噌 この地の経済史分析の書と しても注目されるものであ る。とりわけ.諸論稿が「「東北型」 (「近畿型」との 対比における)に賛否いずれかは別と して.少くとも これを出発点とするか、あるいは逆にこれを批判の対 象としているか噌のどちらかに属するものといえ」 (iii 頁)るのであり‘研究史上の重要な論点である地 帯構造論にも.資重な一石を投じたものである 。東北 地方の経済問題に関心があるものと して,ここに紹介 を試みたい。 2 本書の構成は次のようになっている。 はしがき 今回治湘 第 一 章 地 主 ・高利貸金融の展開構造 渋谷隆一 第二章東北農村質屋金融の具体像一一宮城県仙南 地方における事例一一 斎藤博 第三章 農業金融と秩田銀行の展開過程 加藤幸三郎 第四章掛川銀行の東北地方出張店ーーとくに製茶 金融との関連において一一 第五掌信託業の展開とその性格 岡田和喜 麻島昭一 第六主主 昭和恐慌期における地方貯蓄銀行の破綻と 復活 進藤寛 本書諸章の内容については‘ 「はしがき」に要を得 た素描があるが‘ここでは.評者の把握 しえた限りに おいて、その内容の一端を紹介 したい。 第一章は司 「半封建的土地所有と高利貸との共臨 一体的な成長」( 2 頁〕とし、う理解を伴なう「東北型」 概念の設定に疑義を呈 し 「東北地帯経済が、 日本資 本主義の発展過程でし、かに後進性を規定づけられた か」 (5 頁)を考察しつつ.地主 ・高利貸金融がどの ように展開してゆくのかを.宮城県仙北地帯の地主 ・ 高利貸であった斎藤家‘佐々木家.桜井家の事例ゃー 山形県下の本立、風間両銀行、先の斎藤家が設立を推 進した仙台信託の事例を分析しつつ,解明 したもので ある。その中で明らかにされている地主 ・高利貸の分 離過程の進展や.階層性の分析、又階層移動噌とりわ け巨大高利貸の近代的金融機関への転身の実証は説得 力を持っている。 ところで\この章で東北経済の後進性を検証する際 に依拠するのは‘総生産物価額に占める農業生産物及 び鉱工業生産物の比率の時代別推移である。東北は、 全国府県別の比率において,時代と共に最も良産物 価額比率が高い県に推移 してゆくのである。他かにこ のことは東北の工業化の遅れを示すものであろうが、 決業自体の質的な側面司その変化あるいは停滞i の内容 については問われなくてよいのであろうか。 「東北型」 れたことを想起するとき , 1) 疑問なしとしないのであ る。 第二章は、水田耕作の低迷と、養蚕等の展開に特色 を持つ宮城県仙南地方の地主質屋層の事例分析であり . が‘如何に日本資本主義の支柱となってきたかを明ら かにすることに主眼が置かれている。質貸帳ほかの詳 1 )そのような試みとしては,近世の分析ではあるものの, 戸谷敏之『近世農業経営史論』,日本評論社, 1949 年, 第一章が典型的である。

《書評》 - 弘前大学human.cc.hirosaki-u.ac.jp/economics/pdf/treatise/2/...第三章i立、産業資本確立期の秋田県下の諸銀行、と りわけ秋田銀行の動向と、牧田銀行を主要な取引先と

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《書評》

今回治禰編 「東北地方金融の構造と展開』

(時潮社, 1978年刊, A5版, 318頁〉

ιL』左王

本書は噌地方金融史研究会に結集する諸氏が‘その

機関誌『地方金融史研究』での研究成果の発表とあわ

せて、取り組まれた共同研究の成果を公刊されたもの

であり‘『地方金融史論』(大原新生社‘ 1974年〕に続

く論文集である。本書に収録されている個々の論稿の

研究テーマは多様であるが.いずれも司東北地方の金

融構造の史的展開を、各種の金融機関の分析を通じて

明らかにしている点で統ーが図られている。

種々の金融機関の史的分析で‘優れた研究成果を上

梓されてきた著者たちの論稿は.金高1!史研究自体の成

果としても注目されるものであるが.特に東北地方に

着目して,対象地域の限定がなされていることから噌

この地の経済史分析の書と しても注目されるものであ

る。とりわけ.諸論稿が「「東北型」 (「近畿型」との

対比における)に賛否いずれかは別と して.少くとも

これを出発点とするか、あるいは逆にこれを批判の対

象と しているか噌のどちらかに属するものといえ」

(iii頁)るのであり‘研究史上の重要な論点である地

帯構造論にも.資重な一石を投じたものである。東北

地方の経済問題に関心があるものと して,ここに紹介

を試みたい。

2

本書の構成は次のようになっている。

はしがき 今回治湘

第一章地主 ・高利貸金融の展開構造 渋谷隆一

第二章東北農村質屋金融の具体像一一宮城県仙南

地方における事例一一 斎 藤 博

第三章 農業金融と秩田銀行の展開過程

加藤幸三郎

第四章掛川銀行の東北地方出張店ーーとくに製茶

金融との関連において一一

第五掌信託業の展開とその性格

岡田和喜

麻島昭一

第六主主 昭和恐慌期における地方貯蓄銀行の破綻と

信 竹

復活 進藤寛

本書諸章の内容については‘ 「はしがき」に要を得

た素描があるが‘ここでは.評者の把握しえた限りに

おいて、その内容の一端を紹介したい。

第一章は司 「半封建的土地所有と高利貸との共臨

一体的な成長」( 2頁〕とし、う理解を伴なう「東北型」

概念の設定に疑義を呈し 「東北地帯経済が、 日本資

本主義の発展過程でし、かに後進性を規定づけられた

か」 (5頁)を考察しつつ.地主 ・高利貸金融がどの

ように展開してゆくのかを.宮城県仙北地帯の地主 ・

高利貸であった斎藤家‘佐々木家.桜井家の事例ゃー

山形県下の本立、風間両銀行、先の斎藤家が設立を推

進した仙台信託の事例を分析しつつ,解明したもので

ある。その中で明らかにされている地主 ・高利貸の分

離過程の進展や.階層性の分析、又階層移動噌とりわ

け巨大高利貸の近代的金融機関への転身の実証は説得

力を持っている。

ところで\この章で東北経済の後進性を検証する際

に依拠するのは‘総生産物価額に占める農業生産物及

び鉱工業生産物の比率の時代別推移である。東北は、

全国府県別の比率において,時代と共に最も良産物

価額比率が高い県に推移してゆくのである。他かにこ

のことは東北の工業化の遅れを示すものであろうが、

決業自体の質的な側面司その変化あるいは停滞iの内容

については問われなくてよいのであろうか。 「東北型」

の設定が. ~業経営の質的側面と関わらしめて設定さ

れたことを想起するとき,1) 疑問なしとしないのであ

る。

第二章は、水田耕作の低迷と、養蚕等の展開に特色

を持つ宮城県仙南地方の地主質屋層の事例分析であり.

窮乏~村の諸階層を支える地主質屋層の金融の網の目

が‘如何に日本資本主義の支柱となってきたかを明ら

かにすることに主眼が置かれている。質貸帳ほかの詳

1)そのような試みとしては,近世の分析ではあるものの,戸谷敏之 『近世農業経営史論』, 日本評論社, 1949年,第一章が典型的である。

Page 2: 《書評》 - 弘前大学human.cc.hirosaki-u.ac.jp/economics/pdf/treatise/2/...第三章i立、産業資本確立期の秋田県下の諸銀行、と りわけ秋田銀行の動向と、牧田銀行を主要な取引先と

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細な分析を通じて,東北の畑作養蚕地帯の質屋金融の

実態が司関東農村ほかの他の全国の事例と同質的であ

ることが強調されており、そこでは「後進性」を認め

ることはできないとされる。 「資本主義国家の法制 ・

政策の側面j (80頁)の評価への偏重を批判しつつ展

開される本章の観点l之 現実の決村の実態把握のため

に有益であると評価できるものである。なお,より望

ましいのは、種々の分析視角を持った研究が 他の視

角との相互補完のための手がかりを、夫々に呈示して

ゆくことではなし、かと思われるが、これは困難な課題

なのであろうか。

第三章i立、産業資本確立期の秋田県下の諸銀行、と

りわけ秋田銀行の動向と、牧田銀行を主要な取引先と

する大地主, T家の投資行動の分析を行ったものであ

る。産業資本確立期に視点を置きつつ, 銀行の預金‘

貸出金の動向噌 T家の収支構成等を分析しつつ.著者

は, 「東北型」地主制論に依拠して、銀行の活動と喝

大地主の土地所有拡大との関連性の大きさを推定して

いるのである。又,この章では地主iii~の地帯構造論の

研究史が詳細に追跡されているのであるが、著者自身

の見解の対置はさし控えられているように思われる。

この点の積極的な展開が期待される。

第四章は,明治13年に静岡県掛川市に設立された掛

川銀行が14年の三春をはじめ‘二本松、平、一ノ関の

東北地方出張店を設け,製茶金融と製糸金融を結合さ

せつつ‘31年に東北地方出張店を閉店するに至る経過

を分析したものである。これらの出張店は.夏以後の

資金需要期にのみ開設され、自行店舗i内での資金移動

のみを取り扱うという「信用制度の未発展段階におけ

る例外的」(212頁〕 なものであったが噌その分析を通

じて‘当時の信用制度の発展段階のあり方が明らかに

されており,又、東北製糸地帯の発展傾向もうかがう

ことができる。都市大銀行の支店政策との差異等、研

究の進展が期待される。

第五章は,東北地方信託業史の分析であり、殆んど

未開妬に近いこの分野の実証研究を行いつつ、従来言

われてきた,福島県下の信託業に対する「おくれた決

民に吸着する高利貸業者であり.本来の信託業といい

がたいもの」(260頁〕との評価に基くイメージの払拭

を行っている。即ち,明治則における信託会社(特に

福島県下〉には階層性が存在し大正期以後では上位

信託会社は地方銀行なみの規模を持っており、信託業

法施行以後になると、東北には、一県一社主義に基く

四社が存在するだけ(福島県は皆無〕で\優良会社も

存在することに着目しつつ、その分析を行っているの

である。東北信託業の「特殊性」の考察も付されてい

るが、概して、他地方との差異は大きいものではない

とされる。

第六掌は宅金融恐慌から昭和恐慌の時期にかけて

(本主主では昭和恐慌期と呼ばれている〉全国で休業に

陥った貯蓄銀行のうち、一県一行型の貯蓄銀行であっ

た福島長豊岡、青森の三貯蓄銀行がすべて東北に所在

することに着目しつつ,三貯蓄銀行の営業の内容と休

業に至る経過及びその後の回復過程を見て,東北の}貯

蓄銀行の 「特殊性」を探ろうと したものである。特に

貸出先の分析から.その対象が地主 ・地方問屋のほか,

地元有力企業に|浪られ、企業についても,全国規模で

は中小企業にすぎず,不況下で貸金がこげつき,次第

に破綻に追いこまれてゆく過程が分析されている。又,

銀行の救済についても,県僚による救済という,他県

とは異った形態をとることが特色であるとされる。

3

以上に略記した点は,本書の豊富な内容のごく一端

にすぎないがー諸論稿の内容は,種々の金融機関の分

析を通しつつも,東北経済,とりわけ,換業 ・地主制

の動向に関心を向けていると言ってよいと思われる。

特に、第一章司第三章は「東北型」地主制の問題を直

接取り上げているのであり‘又他の諸章においても、

金融機関の動向、営業の内容が、 如何に東北経済の特

質によ って規定されていたかを論じているのである。

しかしながら,既に見たように.諸章での分析の視角、

導き出された結論は一様で、はない。例えば、第一章で

は戦前以来の「東北型」概念自体に疑念を呈している

一方‘第三章はその充実の必要性を説いている。又,

第一章は「東北型」に代えて「後進性Jの理解によっ

て東北経済を分析しようとしているのに対して第二章

の実証では、商品生産地帯の事例であるとはいえ、分

析した地成での「後進性Jの存在を否定して、全国共

通の「窮乏決村」の実態を析出しており.封建制の残

存とし、う理解に親近感を示しているのである。この意

味で\本書の分析は、今後の研究の指針を示している

のであって、その完成を示しているのではないと言え

るものと思われる。又噌金融史的考察を含めた東北経

済史研究の手薄さ.研究の充実の必要性の指摘!:I:.第

三掌,第五主主等にしばしば現われ. とりわけこの地の

研究者に対する叱立となっているものと考えられる。

これらの点を考え合わせれば噌本書によって提起され.

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-43ー

第 3表 1973年10a当り

水稲収量上位府県(kg)

5干

第2表 1973年i1!k業粗収

益に占める稲作の比率

く%〕

告「

(出典〉 『第50次e主林省

統計表』 88頁。

第4表 山田勝次郎氏作成

1933-37年段当玄米収穫高(石〉(抄〉

近畿段階 奈 良 2.572

// 日 佐 賀 2.599

東北段階 VI 111 形 2.079

II VII 宮 城 1. 841

// ¥t1ll 岩 手 1. 668

(出典〕山i王l勝次郎 『米と繭の経済構造』‘表1。

4表に一部主主粋)と対比してれば. 一目瞭然であろ

う。2〕 このような現実の東北農業の内実、その生産力

の発展度を考馬、に入れれば、伊jえ史的研究ではあって

ふ東北経済の研究が噌戦前に見られた「停滞」や

「後進性」の強調のみに依拠した分析で‘よい筈はなく .

又、戦後一時期に見られた視角である,i災地改革にも

拘らず残存する旧体制の析出及び解明と、その史的起

源の理解に終始してよい筈もあるまし、。3)種々の制約

の存在と.その中での次代への展開の側面との同時把

握が可能な分析の枠組みが必要なのではなし、かと思わ

れるのである。本書諸章の分析についても.第五章が

|日来のイメージの払拭につとめている点をはじめとす

且つ今後に残された課題は大きいと言わねばならな

し、。

ところで.東北経済の研究に限らず,全国一般を問

題にする際でも, 研究が史的分析であるとしても、現

代的な諸問題と無関係ではありえないことは自明のこ

とであろう。又、 史的分析の展望は決して.戦後改革

の時点までに時代を限られるものでもないであろう。

東北経済の分析についても、とりわけ戦前以来の「東

北型」の否定、肯定.あるいは是正のいす.れを取るに

しても.その前提と して、 現状の一端に触れておく必

要があるのではなし、かと思われる。そこで‘問題設定

の妥当性について考えるために現状に立ち戻ってみ

ることにしTこし、。

まず、今日の東北地方の県内所得を見れば、依然、と

して全国に比して農業所得の比率が高いことがわかる

(第 1表〉。次に農業所得の内訳について見れば司今日

でも東北諸県は北陸についで稲作に頼る比率が高い

(第2表〕。なお‘東北諸県内の差異は.果樹、畜畠

野菜工芸作物等による所得の差異の反映である。第

1~2表に見られるように東北地方は,農業に関し

て、今日でも地域内部の差異はありながらも噌地域と

してまとまった様相を見せていることが知られるので

ある。従って.その分析に当って噌史的分析が必要な

ことは言うまでもなく,現状の問題に照しても.戦前

以来の 「東北型」の理解を如何に発展させるか、 ある

いは克服するかが重要な問題であることは疑いない。

そのためには種々の試みがなされなければならないと

恩われるが、本書諸章での問題点の析出は、問題解明

の手がかりと して有益なものであると思われる。

しかしながら,東北地方の米作依存の内実は司今日

では戦前と比して. その様相を大きく変えていること

にもまた注目しなければならなし、。即ち、 10a当り水

稲収量の現在での数値 (第3表〉を、戦前の「東北型」

の代表的研究者の一人である山田勝次郎氏作成表(第

563

549

545

545

514

513

497

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一出

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5.4

19.9

15.9

11. 8

17. 1

16.3

13.5

1975年県内所得に占める第 1次産業所得

(%〕

第 1表

2)山岡勝次郎 『米と磁の経済構造』,岩波舎店, 1942年。3)研究史については,明治史料連絡会 『地主fljljの形成』,

お茶の水省房,1957年,解説(古島敏雄氏稿),9頁等参

照。(出典〉朝日新聞社『’78民力』 98頁より作成。

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る実証的部分を除けば、各研究が現代的な問題を照射

しうる観点の設定を配慮しているかどうかについて見

る限札 問題があるのではないかと恩わざるをえない

のである。

北奥羽、とりわけ青森に限ってみても,昭和恐慌下

の暗黒の中で,ヨjE:に比して有利となったりんごへの傾

斜が,栽培面積で「東津軽郡や西津軽郡、三戸郡など

が,五倍.十倍,十五倍という驚異的伸びを見せた」4)

という激動を見せているのであり, 「操業経営の低位

の停滞」 (82頁注2〕の理解では把握しきれない側面

があると思われるのである。

史的分析を主限と した本書の書評と しては噌現代の

問題に立ち入りすぎた感もあるが、本書諸章が夫々の

分析視角の設定に明白な見解の相違を見せており.課

題の設定自体が重要な論点となるものと考えたためで

ある。最後に.本書が金融史のみならず‘東北経済史

に関心を持つ人にとって不可欠の研究書であることを

記して稿を了えたい。

4)波多江久吉 ・斎藤康司『背森県りんご百年史』, 背主主県りんご百年記念事業会,1977年, 468頁。 米とりんごの反当粗生産額については,£!』;t;t;省農業総合研究所有i雪支

所, 『青森県農業の発展過程』,青森県,1955年,228頁参照。