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(寄稿文) 10 農林水産業×環境・技術×SDGs ― 持続可能な開発目標の達成に向けたチャレンジ ― 農林水産省大臣官房環境政策室長 久 保 牧衣子 1.農山漁村からはじまる SDGs (1)SDGsとは 写真-1のバッジを胸につけている人 を見かけたことはないだろうか? これが SDGs(エス・ディー・ジーズ) のロゴマークである。 このバッジを付けている人は、SDGs に コミットしているまたはコミットする意 志を持っていると言える。 Sustainable Development Goals - 持 続可能な開発目標-(SDGs)は、2015 年9月の国連サミットで採択された 「我々の世界を変革する:持続可能な開 発のための 2 0 3 0 アジェンダ」にて記載 された 2016 年から 2030 年までの国際 目標である。(2001 年に策定されたミレ ニアム開発目標(MDGs)の後継である。) SDGs は世界が抱える問題を解決し、持 続可能な社会をつくるために、世界各国 が合意した 17 のゴール・169 のターゲッ トから構成され、持続可能な開発の3つ の側面である経済、社会、環境を調和さ せるものとなっている(図-1)。 政府では総理を本部長とする「持続可 能な開発目標(SDGs)推進本部」を設置し、 「SDGs アクションプラン 2019」を策定 するなど、SDGs の達成はわが国の国家戦 略の主軸に据えられているところである。 (2)農林水産業とSDGs SDGs の 17 のゴールを階層化してみる と、「環境」は他のゴールの土台となる と考えられる。 「環境」から生み出される様々なもの を活かすことで、私たちの社会は成り 立っており、「環境」を持続可能なもの としなければ他のゴールの達成は望めな いと考えられる。 また、経済的に持続可能な形で「環境」 を維持し、循環させていくために、様々 な「技術」が活用されている(図-2)。 農山漁村には、再生可能エネルギーや バイオマス、豊かな景観、健全な生態系 図-1 持続可能な開発目標 17のゴール 写真-1 SDGsのロゴマーク

農林水産業×環境・技術×SDGs農林水産業×環境・技術×SDGs ― 持続可能な開発目標の達成に向けたチャレンジ ― 農林水産省大臣官房環境政策室長

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(寄稿文)10

農林水産業×環境・技術×SDGs― 持続可能な開発目標の達成に向けたチャレンジ ―

農林水産省大臣官房環境政策室長 久 保 牧衣子

1.農山漁村からはじまる SDGs

(1)SDGsとは写真-1のバッジを胸につけている人

を見かけたことはないだろうか?これが SDGs(エス・ディー・ジーズ)

のロゴマークである。このバッジを付けている人は、SDGs に

コミットしているまたはコミットする意志を持っていると言える。Sustainable Development Goals -持

続可能な開発目標-(SDGs)は、2015年9月の国連サミットで採択された「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための 2030 アジェンダ」にて記載された 2016 年から 2030 年までの国際目標である。(2001 年に策定されたミレニアム開発目標(MDGs)の後継である。)SDGs は世界が抱える問題を解決し、持

続可能な社会をつくるために、世界各国が合意した 17のゴール・169 のターゲットから構成され、持続可能な開発の3つの側面である経済、社会、環境を調和させるものとなっている(図-1)。政府では総理を本部長とする「持続可

能な開発目標(SDGs)推進本部」を設置し、「SDGs アクションプラン 2019」を策定するなど、SDGs の達成はわが国の国家戦

略の主軸に据えられているところである。

(2)農林水産業とSDGsSDGs の 17 のゴールを階層化してみる

と、「環境」は他のゴールの土台となると考えられる。「環境」から生み出される様々なものを活かすことで、私たちの社会は成り

立っており、「環境」を持続可能なものとしなければ他のゴールの達成は望めないと考えられる。また、経済的に持続可能な形で「環境」

を維持し、循環させていくために、様々な「技術」が活用されている(図-2)。農山漁村には、再生可能エネルギーや

バイオマス、豊かな景観、健全な生態系

図-1 持続可能な開発目標 17のゴール写真-1 SDGsのロゴマーク

(寄稿文)11

といった様々な資源が存在する。加えて、農林漁業者の中には低炭素化や脱炭素化を通じた気候変動の緩和や生物多様性の保全等の取組を日々の活動に組み込み、すでに長年実践している方もおられる。そしてこれらの恩恵は都市住民を含め国民全体が享受している。本稿では、それらの「環境」や「技術」

の観点から、農山漁村で行われているSDGs の取組を紹介したい。

2.農業・森林・水産業の多面的機能および資源としての新たな可能性

自然資本※とは、“自然の恵み”を資本としてとらえたものであり、食料や木材の生産に加え、医薬品の原料をも供給するほか、災害時には洪水防止機能を果たすなど、暮らしや経済など全ての原点である。将来にわたって自然資本を持続的に利用していくためには、その恩恵を受ける全ての人々が自然資本やそこから生み出されるさまざまな生態系サービスの社会・経済的な価値を認め、その恩恵の対価として支払いを行うことを受け入れる社会を実現することが必要であると考えられる。特に、農林水産業は、自然資本を利用

して、食料や木材、その他の多面的機能などのさまざまな恵みを生み出す産業である(近年はこれらの“自然の恵み”を生み出す土地や海域の総体を総称して、生態系サービスと呼んでいる。)。このため、持続的な農林水産業の実現

には、生物多様性を含めた自然資本の保全が欠かせない(図-3)。※自然資本(ナチュラルキャピタル):自然環境を国民の生活や企業の経営基盤を支える重要な資本の一つとして捉える考え方。森林、土壌、水、大気、生物資源など、自然によって形成される資本のこと。詳しくはこちら→

http://www.maff.go.jp/j/kanbo/kankyo/seisaku/s_keizai_renkei.html

(1)生物多様性保全活動と経済活動とのシナジーとトレードオフ

農林水産業は、適切に行われれば生物多様性を含めた自然資本の保全に貢献するが、その劣化を引き起こす原因にもなりうる。食料生産と多面的機能の間には常に相乗効果(シナジー)があるわけではなく、一方が増加すれば他方が減少するというトレードオフの関係があるもの

もあると考えられる。生物多様性に配慮しない生産・流通・

消費は、自然資本やそこから生み出される生態系サービスの収奪とも考えられる。このような生産・流通・消費は自然資本を劣化させ、社会・経済・環境の将来にわたる持続可能性を脅かすおそれがある。自然資本はひとたび劣化すると回復は非常に困難なため、近年では、さまざまな経済活動と自然資本、生態系サービスの間にひそむトレードオフを減少させ、シナジーを高めるための研究(NEXUS アプローチ)が進められている。持続可能性が危ぶまれている資本の代表例

・石油・石炭およびこれらから生産される製品、紙、パーム油、カカオ、大豆

(2)在来作物の保全×林業経営山形県鶴岡市の温

あつみまち

海町森林組合では、杉を伐採した直後から再造林までの収入が得にくい期間、江戸時代から行われてきた焼き畑による温海カブの栽培を行っている。温海カブの販売益を再造林の経費の一部に充て、新たなスギ苗を植樹することで、森林経営を回しつつ、地域の在来作物の保全にも役立つ取組となっている(図-4)。

(3)日本固有種×コア技術秋田県立大学では、大学発のベン

チャー企業「森林資源バイオエコノミー推進機構㈱」を設立し、日本固有種のスギと秋田の伝統木工技術を活用した新市場の創造を目指して、木材を木質 LVP や、土木用 CLT として活かす取組が始まって

図-3 農業・森林・水産業の多面的機能

図-2 SDGs達成を目指す社会における自然資本の位置づけ

    (SDGs wedding-cake models)

出典:Stockholm Resilience Centre (illustrated by Johan Rockstorm and Pavan Sukhdev, 2016)に加筆 (https://www.stockholmresilience.org/research/research-news/2016-06-14-how-food-connects-all-the-sdgs.html)

(寄稿文)12

いる。木質 LVP(Laminated Veneer Panel)は、

可撓性に特化した木材とプラスチックの特長を併せ持つ工業材料として期待されており、極薄の単板積層を微量の接着剤を塗布することで、軽量化や石油由来資源の低減による CO2 排出削減にも貢献すると考えられる。土木用 CLT(Cross Laminated Timber)

(写真-2)は、挽き板を木材の繊維方向を直交させて積層接着し、ラッピングにより防腐対策を行った直交集成板であり、コンクリート床版に代わる建築資材として使用する技術が開発されている。橋梁の補修工事に使用することで、輸送インフラの老朽化や橋梁の劣化に対する国土の強靭化に貢献しつつ、地球温暖化防止のまちづくりにも資すると考えられる。

(4)生物資源(バイオマス)×新技術の開発

国土の約7割が森林である日本の森林資源を活かすため、 森林研究・整備機構森林総合研究所を中心として、複数の大学および民間企業が参画するコンソーシアムが設立され、これまで品質のコントロールが難しく工業原材料化が困難とされてきたリグニンを改質する技術により、中山間地等で世界初の産業を創出する取組が始まっている。また改質リグニン(写真-3)は、複

合材料の素材として優れた機能を有しており、自動車等工業製品の部品に使われ、社会実装化が進められている一方、カーボンニュートラルな材料であり、生分解性を持ち、環境中に蓄積されないことから、環境にやさしい素材として、環境保

全にも貢献する素材となっている。

3.農山漁村×再生可能エネルギー

再生可能エネルギーは、「絶えず補充される自然のプロセス由来のエネルギーであり、太陽光・風力・バイオマス・地熱・水力・太陽熱・大気中の熱その他の自然界に存する熱・バイオマスを指す。海洋資源から生成されるエネルギー・再生可能起源の水素が含まれる」(国際エネルギー機関)。有限でいずれ枯渇する化石燃料などと

違い、これらは自然の活動などによって絶えず再生・供給されていることから、地球環境に対して負荷の少ないエネルギーであり、2050 年における温室効果ガス排出 80%削減を目標とする「パリ

図-4 温海の森と森林組合の50年物語

写真-2 土木用CLT(直交集成板) 写真-3 改質リグニンパウダー

出典:森林総合研究所

地域リグニン資源システム共同研究機関(SIPリグニン)

:http://lignin.ffpri.affrc.go.jp/index.html

出典:山形県温海町森林組合

出典:秋田県立大学木材高度加工研究所

(寄稿文)13

協定」の実現に向けて重要な役割を担っていると考えられる。再生可能エネルギー関連事業者の中に

SDGs への関心の高まりが見られる一方、RE100(事業運営を実質的に 100%再生可能エネルギーで賄うことを目指す取組)への参画企業も増加している。再生可能エネルギーを安く安定的に提供できる地域は企業にとっても魅力的であることから、これらの事業者と地方自治体や地域住民が連携し、地域と共生していくことが重要である。地球環境に負荷の少ない再生可能エネ

ルギーを持続的に活用していくには、その重要な生産・供給地である農山漁村地域の中で、環境も経済も回る仕組みを目指して、供給側たる農林漁業関係者と、ユーザー・消費者が一体的となって取り組んでいくことが必要である。〇農業×太陽光発電営農型太陽光発電は、農地に支柱を立

て、営農を適切に継続しながら上部空間に太陽光発電パネルを設置することにより農業と発電を両立する方法である。営農を行う農業者は、作物の販売収入に加え売電による継続的な収入や発電電力の自家利用等による農業経営の更なる改善が期待できる。一つの農地で食料もエネルギーも生産することで、自然資本にも地域経済にも役立つ取組と考えられる。一例として、千葉県匝

そ う さ し

瑳市では拡大した荒廃農地の解消が課題となっており、その解決のため、新規就農者や地元発電事業者等が一体となって営農型太陽光発電に取り組んでいる。太陽光パネルの下

で有機農業により在来大豆等を栽培し、有機慣行と同等の収量を確保し、また、県内事業者と連携して収穫した大豆を代替コーヒーや菓子等の製品にする等、付加価値の高い農業に取り組んでいる。農業者は売電収入の下支えで安定経営を実現している。荒廃農地での営農型太陽光発電の取組

により、耕作面積も拡大し、荒廃農地が解消するなど、地域農業の継続性も高まり、豊かさを追求しながら、地球環境を守る SDGs に寄与する取組となっている。農山漁村において、これら再生可能エ

ネルギーを積極的に有効活用することで、地域コミュニティの醸成や地域の所得の向上等を通じ、農山漁村の活性化につなげることが可能となる。農林水産省は、再生可能エネルギーの

導入を通じて、農山漁村の活性化と農林漁業の振興を一体的に進めていくこととしている。

4.おわりに

SDGs のゴールである 2030 年以降をも見据え、生命を支える「食」と安心して暮らせる「環境」を未来の子ども達に継承していくためにできることはたくさんある。一方で、これらの取組を進めるためには多くの関係者の協力が必要となる。その際に参考となる考え方を以下のように整理したので、参考にしていただければ幸いである。①自律・分散・協調型でSDGsに取り組む。ゴールからの逆算(バックキャスト)でチャレンジを促す。SDGs は従来の国際条約とは異なり、

ルール作りではなく目標作りから始まるガバナンスである。過去に実施したことの延長線上に解決策がない課題へ対応す

るには、現在「できること」を積み上げてルールを作るのではなく、「やるべきこと」にゴールを絞り、色々な手法を組み合わせてゴールを目指す必要がある。これにより、自律・分散・協調型でゴールへ向けた取組が促進される。②持続的に発展するため多様な連携を促進する。課題の複雑化に伴い関係者が多様化す

る中、SDGs を共通言語に多くの関係者と協調することが求められている。これまでの施策や取組を SDGs の文脈で再整理することで多様な連携を構築することが可能になりつつある。行政の関わり方も、ハードローからソフトローへ、補助的手法だけでなくプラットフォームの形成等連携促進の役割が求められている。③環境も経済も。トレードオフを解消し、ORからANDへ。環境を保全しつつ経済も発展させるた

めには、SDGs を活用して気候変動対策につながる取組や生態系サービスから生み出される価値を再発見していくことが必要である。何かを選択するために何かを犠牲にするのではなく、win-win の解決策を模索し、リスク管理による「守り」の対策と日本の農林水産業の強みを活かす「攻め」の対策を併せて進めることで、好循環を起こし、都市も農山漁村も持続的に発展可能な仕組を作り出していくことが求められている。農山漁村には SDGs への取組の「タネ」

が豊富に存在している。本稿をご覧の皆様の SDGs への関心が

深まり、是非、その「タネ」を探しに農山漁村にも目を向けて頂けると幸いである。この他にも、農山漁村における取組を

紹介している。是非一度ご覧いただきたい。http://www.maff.go.jp/j/kanbo/

kankyo/seisaku/index.html

図-5 農山漁村からはじまるSDGsロゴマーク

写真-4 営農型太陽光発電に取り組む農業者

(上)パネル下の落花生栽培(下)

出典:千葉エコ・エネルギー㈱