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/ `が 蘇紳 Й 冥王星 13 千分 の一 ミリ 後藤 明け方か ら、 絹糸 のような 雨力ヽ 窓を濡 らしていた。沈丁花 香 りが漂 っている。 きょうは彼岸を過 ぎての 休 日、 久 しぶ りに閑をえて 書斎 に入 った。 こんな ときは、 別 に考えることも な く本 背を眺めるのが私 くせ 、 とり出 した 1冊 に『明治を伝えた手』 (昭 44年 、朝 日新聞社)が あった。杉村恒氏 写真集 である。 お もに東京 とその 周辺か ら『江戸 文化』を伝えて きた手仕事、 その 伝統を継 ぐ 82人 を写 したも のだ。 街 片隅 に生 きる職人、 明治 風雪を刻 んだ顔力\魅力的である。 くりに一生を賭 けた今村権七 さん もその一人洩 「甲 仕上 げは、 焼銀で表皮を黒 く焼 き、 木昧 いばたろう等で 木 目が美 しく出るま 磨 く。 それに飾 り琴には蒔絵自武 飾 り職、牙彫などあ らゆる細 最高 腕前を必 要 とする。 」 そんな 名人芸を もった今村 さん も「 この 辺で しまいですわJと 笑う。 琴作 る桐 香や春 夏 目漱石 句が浮 ぶひととき。 杜甫 の「春夜喜雨」 中に「潤雨細無声」 (雨 潤 して 細かにて声無 し )の 詩がみえる。 雨は、音がない 『明治を伝えた手』 に惹 かれて この 本より2年 ばかり前に出された『職人衆昔ばな し』 正、続 (文 芸春秋刊)を 読みなお してみた。 登場する50人 はいづ れ も明治生れ。 その 職人 重い口を開かせる斉藤隆介氏。名人 気質 がに じみで る珠玉 語りロカヽ 著者 名筆 にあ って 、感動を誘 う。 著者 は、 名人上手 に仕事 のコツを聞 きなが ら、 こう感 じ入 っていた。 「そいつ ァロ じゃ言えねえよ。 カ ンだよ。 品物をよ く見て 味わ って くれ りゃ分かるよ」 と必ず言 います。 論理的 じゃない 、味わえなんて 観念的だ ――、我 はす ぐそ う考え やす いのです力ヽ 実 はこれ こそ高次元 方程式 「味わう Jと い う、 物に即 して 複雑 微妙 な過程を通過する用意 のない 粗忽な 初等数学 では到達 し得 ないあるも のと、 そこ 到 る方法を教えて くれてい るのではないで しょうか」 (続 編、 「あ とが き」) どの 職人も、「燻 し銀 のように渋 、 又 はきっば りと潔 」顔立ちの 写真 が紹介 され ている力\ 撮影を断 った職人が二 いた。 一人は大工の 木所仙太郎 さん 。「写真はいら ねえ。 も っと撮 られてえ奴 を撮 ってやんな 」 と、 きかない その 仙太郎 さんの ところ 建築研究所 のえ らい 先生がきて 、「外国 のカンナは台が鉄 で減 らないんで狂 いがな くて良 と言 う。 仙太郎 さんが咬呵を きった。 一一 日本 のカ ンナは木だか ら値打 ちがあるんだ。 朝 に晩に手塩 にかけて いを直 して 番良 い状態 にな って るか ら、 五間あろ うと、六間あろ うと一 気 にサ ー ッと柱 も削れ るん だ。木肌 に ビタッと吸 いついて 削 りおろすあ 手応えなんて も のは、 とて も鉄 台 じゃ ァ味わえない し、 第 、削 ったあとに独特 のツヤがで らァーー

京都大学 · 2016-09-22 · Created Date: 11/29/2013 1:25:59 PM

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Page 1: 京都大学 · 2016-09-22 · Created Date: 11/29/2013 1:25:59 PM

/ の`が

今蘇紳グ耐くイЙ冥王星13

千分の一 ミリ

後藤 茂

明け方から、絹糸のような雨力ヽ 窓を濡らしていた。沈丁花の甘い香りが漂っている。

きょうは彼岸を過ぎての休日、久しぶりに閑をえて書斎に入った。こんなときは、別

に考えることもなく本の背を眺めるのが私のくせ、とり出した 1冊に『明治を伝えた手』

(昭和44年、朝日新聞社)があった。杉村恒氏の写真集である。

おもに東京とその周辺から『江戸の文化』を伝えてきた手仕事、その伝統を継ぐ82人

を写したものだ。街の片隅に生きる職人、明治の風雪を刻んだ顔力\ 魅力的である。

琴づくりに一生を賭けた今村権七さんもその一人洩

「甲の仕上げは、焼銀で表皮を黒く焼き、木昧 いばたろう等で木目が美しく出るま

で磨く。それに飾り琴には蒔絵自武 飾り職、牙彫などあらゆる細工師の最高の腕前を必

要とする。」 そんな名人芸をもった今村さんも「この辺でしまいですわJと笑う。

琴作る桐の香や春の雨

夏目漱石の句が浮ぶひととき。

杜甫の「春夜喜雨」の中に「潤雨細無声」 (雨潤して細かにて声無し)の詩がみえる。

春の雨は、音がない。

『明治を伝えた手』に惹かれて、この本より2年ばかり前に出された『職人衆昔ばな

し』

正、続三編 (文芸春秋刊)を読みなおしてみた。

登場する50人はいづれも明治生れ。その職人の重い口を開かせる斉藤隆介氏。名人の

気質がにじみでる珠玉の語りロカヽ 著者の名筆にあって、感動を誘う。

著者は、名人上手に仕事のコツを聞きながら、こう感じ入っていた。

「そいつァロじゃ言えねえよ。カンだよ。品物をよく見て味わってくれりゃ分かるよ」

と必ず言います。論理的じゃない、味わえなんて観念的だ ――、我々はすぐそう考え

やすいのです力ヽ 実はこれこそ高次元の方程式で、 。「味わうJと いう、物に即して複雑

微妙な過程を通過する用意のない粗忽な初等数学では到達し得ないあるものと、そこへ

到る方法を教えてくれているのではないでしょうか」 (続編、「あとがき」)

どの職人も、「燻し銀のように渋い、又はきっばりと潔い」顔立ちの写真が紹介され

ている力\ 撮影を断った職人が二人いた。一人は大工の木所仙太郎さん。「写真はいら

ねえ。 もっと撮られてえ奴を撮ってやんな」と、きかない。

その仙太郎さんのところへ建築研究所のえらい先生がきて、「外国のカンナは台が鉄

で減らないんで狂いがなくて良い」と言う。仙太郎さんが咬呵をきった。

一一日本のカンナは木だから値打ちがあるんだ。朝に晩に手塩にかけて狂いを直して

一 番良い状態になってるから、五間あろうと、六間あろうと一気にサーッと柱も削れ

るん だ。木肌にビタッと吸いついて削りおろすあの手応えなんてものは、とても鉄の

台じゃ ァ味わえないし、第一、削ったあとに独特のツヤがでらァーー

Page 2: 京都大学 · 2016-09-22 · Created Date: 11/29/2013 1:25:59 PM

もう一人は、さしもの大工の滞呂木義郎さん。「写真を」と頼んだら、「そんなら話

をのせるのも断る」で、写真なし。

よくないと思うと、作らない。棚の木厚と柱の太さを聞かれても、「そいつは目見で

きめる。何寸何分なんて物差しはかえって不正確だ」、なんていうもんだから、たいて

いの客は呆れはてて帰っちまう。

現代は機械文明の時代だ、科学技術の発展は驚異的ですらある。機械はたしかに道具

を凌駕したかに見える。 しかし、「機械の発明とその実施と力ヽ 人類にとって無上の恩

澤であったといい切れるだろうか」と問いかけるのは民芸運動の先駆者柳宗悦氏である。

柳氏は数多く工芸文化を論じている力ヽ そこを流れるのは「機械製品が手工品に優る場

合はいたく少ない」、「製品の質と美とに於いては甚しく劣る」という思想規

私は興に乗って『柳宗悦選集』 (春秋社)を開いてみた。一字一句丹念に読んだ。

「手は活きてlr hる 力ヽ 機械は活きていない」。この言葉が私の頭から離れなかった。

「人間は手である。手によってつくり出される存在である」というのは書家の石川九楊

丸 「『語り手』という言葉もあるように、人間は手の存在である。」 (エ ッセイ『見

失った手』日経新聞)と語り、機械化時代、技の荒廃を招く、と憂えていた。

染色家の堀尾真紀子さんも『職人さんの手仕事』というエッセイのなかに、「宇宙ロ

ケットの先端部は、飛′尋、奈良時代の金銅仏を造るのと同じ鋳物の蟷型鋳造という技法

によるものというし、新幹線の最前部車両のあのカーブもいわゆる手づくりで決めてゆ

くのだ」と書いている。

堀尾さんは「職人さんの心意気とカンによる手仕事が時代がどんなに進もうと、やっ

ぱり私たちの原点にあるようだ」と感慨をこめる。

同じ思いを抱きながら、私は、 3月 も終わる日、大田区の蒲田を訪ねた。

海苔粗柔の中を走るや帆掛船

途中、品り|1沖や大森海岸の入り江が見えかくれする力ヽ 正岡子規が目にした海苔粗柔

の海辺は、ヽヽまはない。

キネマ通りという懐かしい名の商店街がきれるところに、三津海製作所があった。得

意とする真空ポンプは紙幣計算器として信頼が高い。「特許はとっていませんよ、技術

に自信があるから」と渡辺陽治社長はくったくがなかった。

町工場で5年間小僧同様の旋盤工、蒲田に来て半世紀になるという渡辺さんは、機械

のことならなんでもわかると目を細める。社長というより親方だし この地域を歩くと、

「物をつくるのが好きだから」という声がかえってくる。職人気質が迎えてくれる街で

あった。

私力ヽ 大田区の中小企業集積に興味をもったのは、『フルセット型産業構造を超えて』

(関満博著、中公新書)を読んでからである。

大田区は、戦前、軍需工場を支えた機械工業基盤を形成していた力ヽ それまでは「浅

草海苔」を養殖する地場産業として栄えていた。戦後東京湾の改造で、海苔業者は陸に

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上がる。広大な海苔の干場は、簡易な貸工場となり、独立を願う職人や海苔業者自身力ヽ

機械工業の加工業者に転 じていった。

「大田区工業は、 日本産業の『支持基盤』、あるいは『公共財』ともいうべき高度か

つ高密度な工業集積を形成することに成功 したのであった。 さらに仲間仕事をベースに

する濃密なネットワークのなかでの競争意識と成功への願望は強く、 自らの技術をいか

に高度イk特 殊化させるかが求められていた」 (前掲書)

もう一つ私が興味をもったのは唐津一氏の論文であった。

「東京都の大田区は、技術という点ですごいところである。試作品を作りたいと思っ

て連絡すると、多少いい加減な図面を渡 しても、あっという間に試作品を届けてくれる。

それも1000分の 1ミ リ以上の精度で、 どのような順序で加工したらよいか設計者自身が

首をひねるような形のものを、 ちゃんとその通りのものを作ってくれるのである。」

(『世界に誇る技術 技術職人の町を守れ』、 日経 ビジネス)

そんなところへ、渡辺社長も登場するビデオ『金属が夢みる岸辺、東京大田区ハイテ

クと町工場』 (NHK教育テレビ)を見たのである。『誰かが夢を見ている』―一ファ

ンタジックで詩情ゆたかな映像、私は思わず吸いよせられた。ナレーションがこころよ

ヽヽ。

ラップ星という星がある

有名な三兄弟が住んでいた

三兄弟がやってくると すべてのものがピッカピッカにみがかれてしまう

ある日のこと宇宙船がやって来て 太陽系の星をみがいた

冥王星も 木星も 海王星も 金星も

つぎつぎにみがいて 軌道をめぐりはじめた

――三兄弟の一人が語る。

地球上には完璧に平らなものは存在 しない。それはイデアの世界のものだ。人間の体

には感知能がある。指先でなぞるだけで千分の一 ミリのキズがわかる。深さがわかる。

この三兄弟が大田区の町工場で働いているのである。

(|:~iii:::::i:[見冤員9ζ:9言 i:『1こ1:サ :'il;〕 1!よ:llili:χ∫::0[貫全橘乳冬賽甦『::(レ/′

大田区糀谷地区D設計図 1枚届けれ|よ 翌日には試作品ができる。仲間まわしといわれ

る零細業者のネットワークぶりが紹介されていく。質の高い職人技を誇り、町全体でハ

イテク日本を支えている姿を浮彫りにしていた。

「コンピューター制御の旋盤もつくる力ヽ 仕上げは手仕事だ。千分の一ミリの精慮

目で見てもわからないけれどヽ 手で見ればわかる。この指先がつくってくれる。」と語

る大友冠さん。その大友さん力ヽ 高速増殖炉原型炉『もんじゅ』のナトリウム漏洩事故

を伝えたテレビ画面に釘付けになる。

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/ 折れた温度センサーのさや管を作っていたのである。注文主からはどの場所で、 どん

な状態で使われるのか知らさていない。千分の一 ミリ単位のきびしい指示がなされてい

たという。

「金属は使われる条件によってゆがみや膨張をおこすことがある。 この金属の特性を

考慮して、設計図にはない微妙な遊びをつくることが必要だと考えているんですが。。。。J。

大友さんのつぶやきカム ヽヽつまでも消えなかった。

「手で見るJ。 千分の一 ミリの精度をたしかめる手。それは2にR30年の修業、鍛練

と経験から生まれる。外国でもHand madeと いう言葉は優れた品物としての信頼性が高い

という。

私たちは、 この「手Jに学ぶ謙虚さ力ヽ 欲しいように思えてならない。

柳宗悦氏は「凡ての工 (た くみ)は手に嫁る」といっていた。「手」力ヽ 「たくみ」

の技 (わ ざ)力ヽ 問いかけている言葉に、耳を傾けたいものだ。

寝つつ読む本の重さにつかれたる

手を休めては物を思へり 石川啄木

(衆議院議員)