39
33 ケインズからヒックスへの資本理論の発展 小畑 二郎 要旨この論文はケインズからヒックスへの資本理論の発展についてこれを史理論として再評価しようとするものである.「歴史理論とはとくに貨幣と 資本に関する経済理論は市場経済のそれぞれの発展段階の問題状況に答えるた めに変化しなければならないという後期ヒックスの考え方を採用した理論であ ケインズ経済学には資本理論がないとハイエクは批判したがケインズ独自 の資本理論がなかったわけではない.『一般理論に限定してみてもその中に 投資の決定理論 11 や資本の本質論 16 などに関連する叙述が 見出される一方ヒックスはとくにその研究の後半には貨幣理論とともに資本理論を 主要な研究テーマとしていた初期の頃にはケインズハロッド型のストックフローモデルを継承し発展させたが晩年には独自の新オーストリア理論へと 研究を進展させていったそして最終的には資源節約型の新技術の開発によっ 質の高い労働を雇用する新産業主義への経済発展を展望するに至ったこのようなヒックスの資本理論の発展そのものが彼自身の経済思想を表現すると ともにまた現代資本主義経済にかんする歴史理解をも示すものであったこの論文ではこのようなヒックスの展望に基づいて彼自身の資本理論とケ インズ理論とを比較検討することを通じて現代の資本理論もしくは成長理論 の歴史的発展を再検討するそして貨幣理論や金融政策によっては十分に取 り扱うことのできなかった長期の経済分析や経済史理解のためにケインズ理論

ケインズからヒックスへの資本理論の発展repository.ris.ac.jp/dspace/bitstream/11266/5428/1/[33-71...ケインズの資本理論に関する叙述は,『一般理論』の投資の理論(第11章)と,資本の本質に関する議論(第16章)の中に見られる1.他方で,後期ヒックスの研

  • Upload
    others

  • View
    2

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

  33

ケインズからヒックスへの資本理論の発展

小畑 二郎

【要旨】この論文は,ケインズからヒックスへの資本理論の発展について,これを「歴史理論」として再評価しようとするものである.「歴史理論」とは,とくに貨幣と資本に関する経済理論は,市場経済のそれぞれの発展段階の問題状況に答えるために変化しなければならない,という後期ヒックスの考え方を採用した理論である.ケインズ経済学には資本理論がない,とハイエクは批判したが,ケインズ独自の資本理論がなかったわけではない.『一般理論』に限定してみても,その中には,投資の決定理論(第 11章)や資本の本質論(第 16章)などに関連する叙述が見出される.一方,ヒックスは,とくにその研究の後半には,貨幣理論とともに資本理論を主要な研究テーマとしていた.初期の頃にはケインズ・ハロッド型のストック・フローモデルを継承し発展させたが,晩年には,独自の新オーストリア理論へと研究を進展させていった.そして最終的には,資源節約型の新技術の開発によって,質の高い労働を雇用する「新産業主義」への経済発展を展望するに至った.このようなヒックスの資本理論の発展そのものが彼自身の経済思想を表現するとともに,また現代資本主義経済にかんする歴史理解をも示すものであった.この論文では,このようなヒックスの展望に基づいて,彼自身の資本理論とケインズ理論とを比較・検討することを通じて,現代の資本理論もしくは成長理論の歴史的発展を再検討する.そして,貨幣理論や金融政策によっては,十分に取り扱うことのできなかった長期の経済分析や経済史理解のために,ケインズ理論

34  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

からヒックスの資本理論への発展が参考になること,また資本移動のグローバル化の進展した現代の経済分析にとっても,資本理論の発展が示唆を与えることについて論じる.

【キーワード】 資本,時間,技術革新,経済成長とその限界,歴史理論,新産業主義,ヒューマン・キャピタル,ヒックス経済学の集大成

1. 問題の所在

この論文の目的は,ケインズとヒックスの資本理論を比較し,その間にどのような学説史的な発展があったのかを明らかにし,そのような理論的な発展が現代の資本主義経済の発展に対して何を示唆するかを検討することである.ケインズの資本理論に関する叙述は,『一般理論』の投資の理論(第 11章)と,資本の本質に関する議論(第 16章)の中に見られる1.他方で,後期ヒックスの研究の中心は,貨幣理論とともに資本理論にもおかれていた.1939年の『価値と資本』の動学的部分には,リンダール,ミュルダールなどの北欧学派の資本理論が取り入れられていた2.また 1965年の『資本と成長』では,同時代までの新古典派のいくつかの資本と成長の理論が検討され,またケインズ・ハロッド流のストック・フロー分析が展開されていた3.そして,1973年の『資本と時間』においては,ヒックス独自の新オーストリア資本理論が提唱されていた4.本稿では,20世紀を代表したこの 2人の経済学者の資本理論を比較し検討する

1 Keynes (1936) Ch. 11 “Marginal Effi ciency of Capital” pp. 135–146. Ch. 16 “Sun-dry Observations on the Nature of Capital” pp. 210–221.

2 Hicks (1939) Pt. III “The Foundation of Dynamic Economics”, Pt. IV “The Work-ing of the Dynamic System”, pp. 115–302.

3 Hicks (1965) Pt. I “Method of Dynamic Economics” pp. 3–130, Pt. III “Optimum Growth” pp. 201–278.

4 Hicks (1973) Pt. I “Model” pp. 3–77.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  35

ことを通じて,現代資本主義経済について分析できる理論枠を作る準備をする.その場合に,ヒックスの資本理論の立場からケインズ理論を再評価することになる.この評価の仕方は,ケインズにとってはいくぶん不利であるかもしれない.しかし,資本に関する理論は,貨幣理論と同じく,歴史的に発展してきているので,これは,それほど不公平な評価の仕方ではないであろう.すなわち,貨幣と同じく資本についても,その理論的な発展は,それぞれの歴史的な問題状況の変化に対応して変化しなければならない.ケインズの『一般理論』が書かれた 1930年代の問題状況と,ヒックスの『資本と時間』が書かれた 1970年代の状況とを比べると,21世紀第 1四半期に生きる我々にとっては,ケインズの時代よりは,ヒックスの時代に近い問題意識をもったとしても,けっしておかしくないからである.ところで,私は拙著『ヒックスと時間』5 の中で,これまでの資本に関する学説

史について,① 物質主義から基本主義への発展,② 後ろ向きの(backward-looking)資本理論から前向きの(forward-looking)資本理論への発展,③ 時間要素抜きの(out of time)資本理論から時間に内在した(in time)資本理論への発展,という 3つの観点から検討した6.この 3つの観点は,つまるところ経済学における時間要素の扱い方の違いによって区別されるものと考える.すなわち,時間要素を無視して経済を静学的な因果律によって研究するか,あるいは,同時的因果律によって研究するか,あるいは,通時的因果律によって研究するかの違いによって,資本理論は区別されるものと考える.ケインズの資本理論は,このうちの同時的因果律による研究であったのに対して,ヒックスの研究は最終的には通時的因果律の研究へと大きく前進していった.この論文では,以上のような観点に加えて,技術革新の問題への取り組み方の違いについても大きく取り上げた.すなわちケインズの資本理論とヒックスの理論とを分けているものは,技術革新の果たす役割に関する両者の問題意識の違いによるものではないかという見解を述べていく.さらにまた,将来の経済発展に

5 小畑 (2011) 6 Ibid., pp. 155–206.

36  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

関する両者のヴィジョンの違いが資本理論に反映されていることについても明らかにしていく.この点については,ケインズ『一般理論』の最終章における「利子生活者の安楽死」の展望と,ヒックス『経済学の思考法』の「新産業主義」の展望との違いとして明らかにする.

2. ケインズの投資と資本に関する理論

ここでは『一般理論』に限定して,ケインズの資本に関する理論について検討する.ケインズは,同書の第 11章「資本の限界効率」において,投資誘因を明らかにする研究の一環として,資本の需要と供給について分析している.まず資本資産の需要価格について,次のように分析している.すなわち人々が投資物件(investment)もしくは資本資産(capital asset)を需要するのは,それらから期待される一連の収益Q1, Q2, …, Qnを獲得することを望むからである7.これに対して,資本の供給価格は,その原価ではなく,資本財を生産する製造業者にその資本財の付加的な 1単位を生産させるのにちょうど十分な価格,すなわちその取換え費用(replacement cost)である.この資本資産の期待収益と取換え費用との関係,いいかえれば一連の予想収益の流列を一定の利子率で割り引いた現在価値(資本の需要価格)と資本の供給価格とをちょうど等しくさせるときの一定の利子率のことを,資本の限界効率とケインズは定義した.それは,記号を使って表現すれば次のようになる.

I′t=It=Σ 1nQt/(1+ρ)t ……………………………(1)

ここで,I′tは t期の資本の供給価格,Itはその需要価格,Qtは予想収益,ρは資本の限界効率を,それぞれ表わしている.すなわち,ケインズの資本概念は,将来に期待される予想収益の流列を資本の限界効率によって割り引いて得られる資本の需要価格とその取換え費用(供給価格)との均衡において,まず捉えられた

7 Keynes (1936) p. 135.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  37

のであった.これは,後に明らかとされる Hayek-Hicksの前向きの(forward-looking)資本評価法を部分的に先取りしていたことになる.しかし,宇沢(1984)が指摘したように,(1)式は資本資産のストックについて定義したものではなく,あくまでも「新投資」について定義したものである.したがって,ρは,「資本の」限界効率ではなく,正確には「新投資の」限界効率である8.この点については,その限界効率が,資本規模の増大につれて逓減すると仮定されていることからも分かる.もし資本ストックについて限界効率が定義されていたならば,資本規模に対する限界効率は,規模の経済を仮定すれば,増大する場合もありうるから,限界効率の逓減が無条件に仮定されることはない.資本の規模が小さければ,追加投資の限界効率は,むしろ逓増する.追加的投資の限界効率が減少するのは,既存の資本規模が十分に大きくなってからである.このようなことを考えれば,ケインズの限界効率は,あくまでも投資のフロー概念について述べられたものであり,資本ストックについて定義されたものではなかったと解釈した方がよいように思われる.他方で,このフロー概念とは独立に,資本ストックの存在が前提されていたことになる.すなわち,ケインズの資本理論は,ストック・フロー分析に適合するように設定されていたのである.他方でケインズは,『一般理論』の第 16章「資本の性質に関する諸考察」において,既存の資本ストックの価値の大きさについて,これを資源の希少性と結びつけて説明していた9.すなわち,資本資産に対する需要は,あくまでもそこから将来にわたって期待される予想収益の流列に対する需要である.そして,資本の存続期間を通じて原価を上回る収益が期待できるのは,その資本が希少であるからである.したがって,その資本が希少でなくなれば,期待収益も減少せざるを得ない.ところで,資本の希少性を減じるものこそ,古典派以来の教義のいうように,労働によって再生産されるすべての物であった.つまり既存の資本は,ケインズによれば,再生産できる労働の生産物に対立する希少な財貨全般のことなのであった.以上のようなケインズの資本に関する説明を整理すれば,既存の資本ストック

8 宇沢(1984) p. 25. 9 Keynes (1936) pp. 213–214.

38  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

については,既存の資源の物的な希少性に依存して,その価値が決まるのに対して,新投資に関しては,もっぱらその新投資から将来にわたって期待される収益の流列を「投資の限界効率」によって割り引くことによって,その価値が決められるという,二重の説明になっていたと解釈することができる.すなわち,t+1期の資本ストックの価値 Kt+1は,t期中の投資の需要価格を Itとし,t期初の既存の資本ストックの価値をKtとすれば,次のように表すことができる.

Kt+1=Kt+It …………………………………(2)

これが後にハロッドによって引き継がれたケインズの資本理論,すなわち前期までに蓄積されてきた既存の資本ストックと,今期の新投資による資本ストックの純増分との合計が,来期の資本ストックとなる,というストック・フロー分析の要点であった.ここでは,新投資の需要価格は,将来にわたる予想収益に依存する.しかし,所与の資本ストックが前提され,それに当該期間中の投資価値が加算されて来期の資本ストックの価値が決定されるから,ケインズの資本理論は,ヒックスの分類した「同時的因果律」,すなわち原因と結果とがともに同じ期間に属する変数によって説明される因果関係に従っていたことになる.

3. ヒックスの資本理論の発展過程:概観

ヒックスは,資本理論に関連して 3つの本を書いた.すなわち ①『価値と資本』10 (1939),② 『資本と成長』11 (1965),③ 『資本と時間』12 (1973)の 3つの本において資本に関する理論を展開した.彼自身は,このように資本理論に関していくつかの本を書いたのは,資本が多くの側面を持つ巨大な対象だったからだと説明していた.そして,彼自身は,その研究対象の周りをぐるぐる回って様々な

10 Hicks (1939) 11 Hicks (1965) 12 Hicks (1973)

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  39

角度から観察してきたにすぎない,と謙遜していた13.しかし,ヒックスの資本理論がそれぞれの段階ごとに着実な前進を遂げていたことは確かなことであった.まず『価値と資本』の動学的部分では,リンダールやミュルダールなどの北欧の経済学者たちの資本理論を積極的に取り入れていた14.しかし,その中心的な考え方は,1930年代のケインズ理論の影響を受けたものであった,と彼自身は述懐していた15.それは,ケインズが経済システムの均衡について,それを単なる消費者の嗜好と諸資源との間の均衡ではなく,将来の計画や期待と実現される価値との間の動学的な均衡を問題としていたことから影響を受けたためであった.この点が,ケインズの資本理論の最も先進的な側面であった,とヒックスは評価していた16.続いて『資本と成長』では,資本理論に関して,ヒックスに先行していた経済

学者たちによる種々の学説が解説されていた17.その意味では,この本は諸学説の解説書という性格をもち,ヒックス独自の理論はそこでは展開されていなかったように見える.しかし,次のいくつかの点で,前進があったものと評価することができる.その一つは,ハロッドによって進められた前述のストック・フロー分析がさらに詳細に研究され,トラクターと小麦の 2部門成長モデルに発展されていたことであった18.また動学的な均衡の概念が恒常均衡(steady state)の理論として具体的に展開されていた.最後に,一つの恒常均衡経路から別の恒常均衡経路への移行(traverse)について初めて本格的に問題とされていたことであった19.最後に『資本と時間』では,ヒックス独自の「新オーストリア資本理論」が展

13 Hicks (1977) Preface (i). 14 Hicks (1939) pp. 178–179. 15 Hicks (1973) Preface(i) 16 この点は,前述した,投資の需要価格が将来の期待収益の割引現在価値によってきまる

という,資本の限界効率に関するケインズの理論を評価したものであろう.Hicks (1973) Preface(i).

17 Hicks (1965) pp. 3–130, 208–278. 18 Hicks (1965) pp. 114–147. 19 Ibid.(1965) pp. 183–197.

40  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

開された.ヒックス自身は,この本を書いた目的について,これを『資本と成長』の中で見落としていた重要な学派の資本理論を紹介することにおいていた.しかし,この理論は,『価値と資本』以来,ヒックスが長年取り組んできたライフ・ワークの到達点であったと私は考える.『価値と資本』の資本理論は,北欧のリンダール,ミュルダールを通じてイギリスの経済学の中に導入されたオーストリア学派の資本理論であった.したがって,この理論が初めて『資本と時間』において紹介されたわけではなかった.ヒックスが,オーストリア理論と取り組みながら,長年発展させることができなかった理由は,この理論が重要でない特殊な場合についてしか適用できなかったからであった.ヒックスは,『資本と時間』において,フォン・ノイマンースラッファの考え方を取り入れることによって,多時点―多品種投入,多時点―多品種産出のもっとも一般的な生産過程に対して適応できるようなモデルにオーストリア理論を作り変えた.これによって,1930年代にハイエクによって一大旋風を巻き起こしたが,その後すたれていたオーストリア資本理論を復活させることができた.だがヒックスは,単にオーストリア資本理論を復活させただけではなかった.むしろオーストリア学派は,ヒックスの理論がオーストリア理論と共通点のあることについてさえ疑問を抱いていた20.後期ヒックスの経済学研究の中心的な動機は,時間の中で経済学全般を再建しようと試みたことであった.その点で,生産過程や市場過程や資本に関して前向きの(forward-looking)時間構造を明らかにしたオーストリア理論を見直したのであった.後に見るように,ミルを中心とする古典的な資本理論もヒックスの重要な先行者であった.いずれにしても,『資本と時間』は,ヒックスの資本理論を理解するための重要な著作であることは,間違えない.さらに私は,ヒックスの資本理論の理解にとって,『賃金の理論』21 (1932)や

『経済史の理論』22 (1969),『経済学の思考法』23 (1977)が不可欠の文献であると

20 Lachmann (1977)pp. 235–266. 21 Hicks (1932) 22 Hicks (1969) 23 Hicks (1977)

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  41

考える.ヒックスの資本理論を資本と労働との間の動学的な代替過程として理解する「歴史理論」へと応用し,それを通じて将来の歴史展望を与えることを目指すならば,これらの文献の理解は不可欠であろう.ここでは,『資本と成長』から『資本と時間』および『経済史の理論』,『経済学の思考法』への発展について理解することに集中する.そして以下では,ヒックス資本理論の特徴について,その ① 時間構造,② 技術革新と資本蓄積パターンの分析,③ 新産業主義への展望の順序で検討していこう.

4. ヒックスの新オーストリア資本理論と時間

4‒1. 資本理論の歴史に関する評価ヒックスの資本理論ばかりでなく,彼の後期の経済理論をケインズの理論から

大きく隔てているものは,ほとんどすべて時間要素の扱い方に関連していた24.ここでは,この特徴の要点ついて述べよう.ヒックスは,『経済学における因果関係』25 (1979)において,これまでの経済学

における時間の取り扱い方についてつぎの 3つに分類していた.すなわち,① 静学的因果律(statistic causality),② 同時的因果律(contemporaneous causal-ity),③ 通時的因果律(sequential causality)の 3つに分類していた.そしてケインズ経済学は,主として ② の同時的因果律に従っていたのに対して,ヒックス自身は,③ の通時的因果律に従った26.他方で,ヒックスは,『経済学の思考法』の第Ⅶ章「資本論争―古代と現代」の中で,これまでの諸々の資本理論について,これらを物質主義(materialism)と基金主義(fundism)とに分類した27.スミスをはじめとする古典派経済学者たちの資本理論は,マルクスの資本論を含めて,基金主義に分類されたのに対して,

24 後期ヒックスの経済学における時間の扱い方に関しては,小畑,2011,第 1 章(pp. 3–22)と第 6章(pp. 219–238)において詳しく論じたので参照されたい.

25 Hicks (1979) 26 Ibid.,pp. 73–102. 27 Hicks (1977) pp. 152–153.

42  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

ワルラスやマーシャルをはじめとする新古典派経済学者たちの資本理論は,物質主義に分類された.ケインズの資本理論については,これもまた物質主義の分類に入るとされた.そしてヒックス自身は,ワルラス,マーシャル,ケインズの物質主義の資本理論よりも,むしろスミス以来の古典的な資本理論のほうに親近感を持つと述べていた28.ただし,この基金主義の系譜は,またカール・メンガーに始まるオーストリア学派の伝統でもあった.これまでの資本理論に関するヒックスの分類を別の角度から見ると,時間の扱い方に関するもう一つ別の角度からの分類によって整理されるように考える.すなわち,等しく通時的な因果関係を重視する立場についても,さらに 2つの立場に分けられる.その一つは,現在の資本の状態を過去の投資の蓄積された結果であると見る立場であり,もう一つは,現在の資本の状態は将来の利益を先取りするものであるとする立場である.前者の立場からは,後ろ向きの(backward-looking)資本評価がなされ,後者の立場からは,前向きの(forward-looking)資本評価がなされる.後ろ向きの資本評価によれば,過去の蓄積はすでに決定され変更できない事実とされるが,前向きの資本評価によれば,過去の蓄積よりも将来の未知の利益に関する予測がすべてのことを決定する.したがって,後ろ向きの資本評価からは,過去に蓄積された資本財の物質的存在が重視されるのに対して,前向きの資本評価においては,まだ物質化されない将来の利益が大切にされる.私は,以上のようなヒックスの分類の背後には資本主義経済の歴史が反映されていると考えている.ヒックスも指摘しているように29,スミスをはじめとする古典派経済学者たちが基金主義の立場に立ったのは,商人の会計的な慣習に従ったからであった.このような商慣習は産業革命によって商品として流通する流動資本の比重が大きくなった一時代を反映するものであった.これに対して,ワルラスなどの新古典派の経済学者のほとんどが物質主義の立場に立ったのは,工業化がさらに進展し,工業における機械・装置などの固定資本が資本主義経済の運営にとって大きな存在になったことを反映していた.そし 28 Hicks (1977) p. 153. 29 Hicks (1977) pp. 154–155.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  43

てそのような大規模な固定資本財を作るのに要した投資の費用が資本評価において重要な部分を占めるようになった.要するに,過去に費やされ,固定資本に体化された投資の蓄積の成果として資本価値を評価するというこの立場は,固定資本の巨大化した重化学工業時代の到来に適合した資本理論だったのである.ケインズの資本理論は,一方で過去に蓄積された資本(固定資本)を所与のものとし,その上で当該期間に付け加えられた純投資額が加算されて次の期間のはじめの資本として引き継がれる,という考え方に立っていた.これは,工業化が定着し,貸借対照表と損益計算書による事業の会計処理が定着した 20世紀の資本主義経済にふさわしい資本理論であった.

4‒2. ヒックスの資本理論と時間ヒックスは,これらに対して,後ろ向きの資本評価よりも前向きの資本評価の

ほうを重視した.そのうえで,通時的因果律に従って,2つの異なる資本評価の合致する資本蓄積の動学的均衡を明らかにしようとした.その結果,『資本と時間』におけるヒックスの資本理論は,反物質主義的,基本主義的な特徴を強く打ち出すものになった30.ところで,このようなヒックスの資本理論の特徴は,オーストリア理論,とくにハイエクの資本理論の中にすでに表れていたものであった31.ヒックスは,1920年代のハイエクのセミナーをつうじて,オーストリア資本理論を知り,この理論の発展を生涯の課題の一つにしていた.この理論は,もともとメンガーの経済学の中にあった考え方をベーム・バヴェルクが発展させたものであった32.ただし,ベーム・バヴェルクの理論は,多時点・継起的投入―1時点産出という特殊な迂回生産の産業構造にしか適用できない理論であった.このような理論がつくられた歴史的な背景としては,より長期の時間構造を持つ機械工業や造船業などの生産構造が参考にされるべきであろう.ベーム・バヴェルクは,実際にも 5年間か

30 Hicks (1973) pp. 3–12. 31 Hayek (1941), またハイエクの資本理論については,小畑(2011)pp. 200–206を参照. 32 ベーム・バヴェルクの資本理論については,Boehm-Bawerk (1884/1890) および(1888/1899)を参照.

44  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

かる機械の製造工程を具体的事例に使って資本の生産過程について論じていた33.ハイエクは,このようなベーム・バヴェルクの資本と生産の時間構造を参考にして,彼の資本理論を展開した34.したがって,ハイエクの資本理論も,特殊な迂回生産の構造にしか適用できないという欠陥をもつものであった.これに対して,ヒックスは,多時点・多品種投入―多時点・多品種産出という最も一般的な生産の時間構造に適合するモデルを対置した.これによって,それまでのオーストリア理論では扱えなかった固定資本の問題を結合生産のモデルの中で扱うことができるようになった.ヒックスが資本理論において用いた生産過程の単純な時間的プロフィルを示せば,下の図 1のようになる.この図の縦軸には各 t期に予想される投入額 atと産出額 btが示され,横軸には時間Tが測られている.そして予想される各期の投入額(input) atと産出額(output) btの軌跡が別々に描かれている.

at, bt

output bt

input at

図1

資本の生産過程の典型的な時間的プロフィルを描けば,次のようになる.まず生産過程は,工場や機械・装置などの建設期間と,それらの利用期間との 2つの期間に大きく分けられる.ヒックス自身は,生産と金融の問題を切り離して論じ

33 Boehm-Bawerk (1959) pp. 74–77. 34 ハイエクの資本理論については,Hayek (1941)を参照.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  45

たが,ここではこれらの問題を一緒に考える35.建設期間には,機械・装置などへの投入額は産出額を大きく上回るため,純産出額はマイナスとなり,外部からの資金調達が必要となる.これに対して利用期間には,産出額が投入額を上回り,純産出額がプラスになることが期待される.この期間に,もし純産出額が十分に大きくなるならば,そこから借入金の返済ができるようになるであろう.利用期間の金融問題は,実際に純産出額が期待通りに大きくならない時に,不足する資金を調達しなければならないという問題と,何らかの事情で生産過程が中断され,損失が発生し,投下した資本が償却されなければならなくなるときにどのような保証が必要かという 2種類の問題となる.前者は,建設期間の金融問題と同じく,「資本(設備)信用」の問題であるのに対して,後者は,資本の喪失に対する「保険」の問題である.このように,ヒックス資本理論を貨幣理論と結合して考えるとき,彼自身の「流動性の積極理論」によっては十分には明らかにされなかった工業化時代の「資本信用」と「保険」の問題が明らかにされる.今,任意の t期の純産出額を qtで表わすと,それは各期の産出額と投入額の差,

すなわち qt=bt-atとなる.生産過程は,生産の計画が立てられる 0期に始まり,n期までの n+1期間続けられると仮定する.この期間中の各期の初めに諸々の種類の投入が行われると同時に,多くの種類の産出が行われるとする.固定資本は,他の多くの生産物とともに毎期に産出され,次の期の初めに一期分の償却分を減じて生産過程に再び投入される.すなわち,固定資本財は,生産過程において使われると同時に,その過程を通じて再生産されると想定された.このような工夫を凝らすことによって,ハイエクなどの旧オーストリア理論では扱えなかった固定資本財についても,モデルの中で検討されるようになった.そのような通時的な生産過程を想定すると,この生産期間の任意の t期の前向きの資本価値は,次

35 ヒックスが『資本と時間』において,生産を貨幣的問題から切り離して考えたのは,ハイエクが経済変動の原因をもっぱら貨幣的要因に求めたのに対して,ヒックスは生産の時間構造に加えられる貨幣的要因以外の変動要因について明らかにするという目的があったからである.この点については,Hicks (1973) pp. 133–134を見よ.しかし,本稿の主題に関しては,生産の問題を貨幣的要因と一緒に考える方が問題の本質を明らかにすることができると考えた.

46  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

のように計算される.

Kt=qt+qt+1R-1+qt+2R-2+……………+qnR-(n-t) (3)

ここでKtは t期の資本価値,Rは利子因子(R=1+r,rは利子率)をそれぞれ表わす.すなわち,この生産期間中の任意の t期の前向きの資本価値は,純産出額をそれぞれの期間における利子因子で割引いた資本価値になる.この資本価値が正であり続ける限り,この資本の生産過程は存続可能である.そしてこの前向きの資本価値と後ろ向きの資本価値が等しいとき,ヒックスの動学的均衡が成立する.その均衡条件は,0期の資本価値をゼロとする次の式で表わされる.

K0=Σ 1nqtR-t=0 (4)

この均衡条件が成立するとき,同じ t期の後ろ向きの資本価値は,(3)式の前向きの資本価値と等しくなる36.すなわち,t期の後ろ向きの資本価値を Ctとすると,それは,

Ct=(-q0)Rt+(-q1)Rt-1+………+(-qt-1)R (5)

となるが,これは(4)式において 0期の資本価値 K0をゼロとするときの t期の資本価値に等しい.すなわち,初期資本の価値をゼロとするとき,1期から t-1期までの純投入額を複利合計した t期の後ろ向きの資本価値 Ctと,t期から n期までの純産出額を利子因子で割り引いて得られる t期の前向きの資本価値Ktとは等しくなるのである.これは,生産過程中の任意の時期に将来の純産出額を予想した期待価値と,その時期以前の純産出額の実現価値とが等しくなることであり,このモデルが完全予測を想定していることを意味している.そしてこの時に用いた割引因子のことを,ヒックスは「内部利子率」もしくは「生産過程に固有の利

36 以上のことの数学的証明に関してより詳しくは,Hicks (1973)pp. 20–24, 185を参照.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  47

子率」と呼んだ.これは,ケインズの資本の限界効率に相当する概念であった.ケインズの限界効率が「新投資」に関する利子率であったのに対して,ヒックスの内部利子率は,生産期間のすべての期間にわたって適用される資本利子率であった.このように,ヒックスの資本理論は,ある生産プロジェクトが設定されてからそれが終了するまでの期間全体にわたる資本評価を扱ったという意味で,ケインズの一期間だけの同時的な資本理論と比べて,時間的に長い期間にわたる通時的な資本理論であった.それは,資本理論を時間の中で設定し直すという当初の目的にとっては,重要な前進を遂げていたものと評価することができる.ただし,ヒックスが期待と実現との一致する動学的均衡の分析に集中した結果,期待の裏切られる「サプライズ」によって,経済成長が別の経路をたどるようになることについてほとんど分析をしなかったことは,彼の資本理論の欠陥であった.このような点については,技術革新と資本蓄積との関係を問題とするときに改めて検討しなければならない.

5. 技術革新と資本理論

5‒1. 技術革新問題の主題化ヒックスは,『資本と時間』の第 2部,第Ⅶ章以降において,いくつかのタイ

プの資本蓄積の過程に関連して,一つの恒常成長均衡(steady state equilibrium)から他の恒常成長経路への移行(traverse)がいかに行われるかについて分析した.この移行問題の解決がこの本の主要な課題であった.しかし他方で彼は,資本理論の主要テーマは恒常成長均衡にはなく,その分析は本来の分析の準備段階にすぎないと位置付けていた37.このような恒常成長均衡に対する彼の矛盾した態度について,これをいかに理解するかということがヒックスの資本理論の理解にとって最大の難問となっていた.私は,この問題に関して,拙著『ヒックスと時間』を書いた段階では,次のよ

37 Hicks (1977) Preface and Survey(xv–xviii).

48  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

うに考え,移行問題にあえて言及することはしなかった38.すなわち,ヒックスの移行問題は,前向きの資本評価と後ろ向きの資本評価とが合致する異なった恒常成長均衡経路の間の移行について,これを理想的経過に即して反事実的に分析したものである.しかし,現実の資本蓄積過程の分析に対しては応用力の乏しいものである.一つの恒常成長均衡経路から別の恒常成長均衡経路への移行について,建設期間と利用期間の投入費用の変化が均衡への収束とその移行時間の長さと関係するというこの理論は,数学的問題としては興味深い問題ではあるが,実際の経済に対しては応用力の乏しい研究である.このように,私は以前には考えていた.この点に関しては,依然として私の見解は変わらないのだが,しかしその後,ヒックス資本理論のもう一つの主題を見落としていたことに気がついた.それは恒常成長均衡経路の間の移行問題そのものよりも,彼自身がじじつ上重視していた問題であった.それは,ある資本蓄積のパターンが与えられたとき,自発的発明による衝撃があった場合に,それぞれの型の資本蓄積が資本と労働とに対して如何なる影響を与えるのかという問題であった.ケインズよりも長い期間にわたる資本蓄積の過程を分析するというヒックス資本理論の第 1の特徴の次に重要な第 2の特徴は,ヒックス資本理論においては技術革新の問題がその中心的な主題とされていたことであった.これに対してケインズの資本理論においては,技術革新の問題は,少なくとも明示的には,主要な問題として検討されていなかった.ヒックス資本理論の最大の利点は,恒常成長均衡への収束理論にではなく,技術革新による衝撃がそれぞれの資本蓄積過程に対してどのような影響を与え,さらに連続する技術革新をいかに誘発するかについて分析したことである.そして,このような分析は,古典派以来の資本理論の歴史を理解するためにも重要なヒントになる.すなわち,ヒックスが設定した固定賃金経路や完全雇用経路などの資本蓄積パターンは,古典派の資本理論やケインズの資本理論などを評価するときの一つの基準とされる.そして,そのような資本蓄積に関する動学的な比較研究が,現代の資本主義経済の今後を展望するた

38 小畑(2011)p. 216

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  49

めにも重要な参考となる.そこで以下では,ヒックスの『資本と時間』の中の該当する分析が,どのような歴史的文脈の中で理解されるかについて検討していこう.このような検討は,いわば「比較動学的な分析」となるであろう.すなわち比較「静学的」分析ではなく,技術革新の衝撃がそれぞれ異なった資本蓄積パターンをもつ経済に対して,それぞれ異なった動学的な帰結をもたらすことを明らかにする研究へとわれわれを導く.私は,一つの恒常成長均衡からもう一つの恒常成長均衡への移行過程を分析することよりも,異なった資本蓄積パターンに対する技術革新の効果に関する比較動学的分析のほうが,現代の経済にとって,はるかに重要な分析ではないかと考える.

5‒2. 資本主義的生産の時間構造まず初めに明記しておかなければならないことは,ヒックスの想定した生産構

造または産業構造がケインズ以降に想定されてきた生産または産業構造とはかなり異なっていたことである.ケインズ以降の経済学で扱われる産業構造は,資本財もしくは投資財と消費財とへの二部門分割を基本としていた.この二部門分割は,家計によって購入される財を消費財に分類し,企業によって購入される財を,資本財もしくは投資財に分類するという現代統計の分類法に従っていた.これまでの資本または成長の理論のほとんどもまた,資本財と消費財のこの二部門分割に従ってきた.このような二部門分割は,現代の大衆消費社会の実情に徐々に合わなくなってきた.というのも,現代の経済では,自動車や住宅などのように,消費財と資本財のいずれにも分類され,現在と将来にわたって特定の時間を超えて消費される財・サービスの金額が国民所得の大部分を占めるようになっているからである.これらの財は,ヒックスによって,「消費的資本財」と分類された.このように資本財と消費財の両方が,現代では再分類されなければならなくなっているのである.このような事情を考慮して,資本財とは,「ひきつづき将来にわたる諸期間において欲望を満足させるために何らかの方法で使用されうる」財である,とヒック

50  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

スは定義しなおした39.そして,消費者が享受する財は,次の 3つの種類に分けられた.すなわち,① 単一の期間において完全に消費され,それ以上の加工を必要とせず,それ自身で効用をもつ「単用」の消費財,② 直接の労働用役,③ それだけで単独に,または,現在の労働と協働することによって,現在の用役を供給する資本財の用役,の 3つに分類された.これらの 3分類の財またはサービスは,形式的には同じ部門の中で扱うことができる.それらを区別するのは,消費または使用される時間の長さだけである.ただし,現在では,ほとんどの財貨は,① ないし ③ に分類され,② に分類されるのは,家事手伝いを除いてますます少なくなっている.いわゆる「サービス産業」でさえ,この分類の中の ② ではなく,③ に分類される.たとえば,鉄道サービスは,鉄道施設の利用と,運転手などのサービスの両方が結合されて,③ に分類される.これは,後に述べる「新しい産業主義」という現代経済に関するヒックスの展望と合致する.また生産者の立場から見ると,すべての資本財は生産者財であり,反対に,すべての生産者財は資本財である.しかし,このことは,これまでのように消費財生産と資本財生産とに社会の生産を二分することを意味しない.『資本と成長』までのヒックスは,たとえば小麦とトラクターの生産への二部門分割を仮定してきたが,『資本と時間』では,そのような部門分割を一切採らなかった.すべての財の生産は,異なった時点で多品種の財が投入され,また異なった時点で多品種の財が産出される時間を通じて統合された一連の生産プロセスとして扱われた.それぞれの財は,その物質的な属性や用途によってではなく,消費または使用される時間の長さによって区別されるにすぎない.消費財と資本財の2部門分割によっては,とくに資本財の生産や消費に要する時間の長さの違いを扱うことはできなかった.またこれによっては,消費財を生産する企業と資本財を生産する企業とが同一の期間に生産されたすべての財を交換し合うという非現実的な想定をせざるをえない.これに対して,『資本と時間』でヒックスは,ひとまとまりの垂直的に統合され

39 Hicks (1973) p. 3.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  51

た時間的なプロセスとして生産過程を捉えていた.これは,ベーム・バヴェルク,ウィクセル,そしてハイエクへと引き継がれてきたオーストリアの資本理論を,先に述べた点で修正したモデルであった.このような設定によって,時間的に統合された生産プロセスが一つの成長経路から他の成長経路へといかにして移行を遂げるかという問題を検討することができるようになった.ここで「移行(tra-verse)」とは,技術的側面から見れば,ある一つの技術体系からもう一つ別の技術体系へと,生産のプロセスを適合させていくことである.そのようなモデルを設定することによって,技術革新の誘因とその結果に関する分析が以前よりはるかに有効に行われるようになった.これまでの 2部門分割では,このような技術転換の問題に対しては非現実的な特殊の場合以外は分析することができなかった.このように技術革新の問題を理論的に分析できるようになったこと,このことが,ケインズ理論に対するヒックス資本理論の第 2の革新であったということができる40.

5‒3. 資本蓄積パターンの分類ヒックスは,これまでの経済学が扱ってきた資本蓄積または成長に関する理論を大きく2つのパターンに分類した.すなわち,① 固定賃金経路(Fix-wage path)と,② 完全雇用経路(Full-employment path)の 2つである.前者は,実質賃金が固定されたまま経済が成長を遂げるパターンであり,後者は,実質賃金が経済成長につれて変動する中で労働能力が完全に雇用されるパターンであった.他方でヒックスは,リカードやミルの古典的な資本蓄積論を検討するために,第 3の蓄積パターンを考えていた.それは,① と ② とは区別されるパターンで,人口の増加によって,または農業などの非資本主義部門からの労働移動によって,過剰になった労働人口が工業へと流入する結果,実質賃金が生存水準に低く固定されたまま経済成長が進められるという初期の資本蓄積のパターンであっ

40 技術革新の問題は,シュンペーターよりも,ヒックスによって,以下に述べる点で,より具体的に分析できるようになった,と私は考える.シュンペーターの見解については,Schumpeter (1926/1934) Ch. 2 “The Fundamental Phenomenon of Economic Development” pp. 57–94を参照.

52  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

た41.この蓄積パターンを前提として,機械が導入されると,一時期,失業者が排出されて過剰人口が形成されるが,やがて大部分の労働力は新しい生産過程に雇用されるようになる.これは,19世紀中ごろまでのイギリス経済で経験され,今また後進国の経済が「離陸」の時期に経験しつつある成長パターンである.またマルクス『資本論』の資本蓄積論が扱ったパターンでもあった42.ヒックスは,これを ③ 「完全操業経路(Full-performance path)」と呼んだ.このような経済成長においては,賃金が生存水準に低く固定されるとともに,資本家はその利潤のすべてを資本蓄積のために貯蓄(再投資)すると仮定された.この第 3の蓄積パターンは,歴史的には他の 2つの蓄積パターンに先行していたから,「歴史理論」としては,最初に検討されるべきであろう.これ以外にもいくつかの蓄積パターンが考えられるが,ここではそのうちの 3

つのパターンついてだけ検討しよう43.これらの資本蓄積パターンのそれぞれについて,もしこれに技術革新の衝撃が加えられたならば,どのような変化が予測できるのかについて検討することが,ヒックス資本理論から導かれる重要な課題であった.

5‒4. 技術革新の資本蓄積に与える影響(1) 完全操業経路(Full-performance path)の検討ここで「完全操業(Full-performance)」とは,① 労働供給が実質賃金に対し

て無限に弾力的であること,したがって,他の条件が満たされるならば,実質賃金率が生存水準に固定されたまま,雇用はどこまでも増大しうること,② 資本家がその利潤のすべてを消費せずに貯蓄(資本に再投下)すること,の 2つの条件を仮定して遂行される資本蓄積または成長のパターンのことである.これは,リカードやミル,そしてマルクスの想定した資本蓄積パターンであった.このような資本蓄積パターンが仮定される中で,実際に起こったことであるが,

41 Hicks (1973) pp. 47–62. 42 Marx (1867/1887) vol. I, Ch. VII “The Accumulation of Capital” pp. 531–666. 43 資本蓄積または経済成長に関するこのようなパターン分析は,ヒックス『資本と時間』にヒントを得ているが,ヒックスのモデルそのものではないことを断わっておこう.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  53

蒸気機関などの自発的発明が起こって技術革新が諸産業に普及した影響について考えてみよう.生存水準の固定賃金を仮定すれば労働者一人当たりの生産力は飛躍的に増大し,利潤率は上昇する.これまで雇用されていた熟練工はしだいに不要となり,その代わりに安い賃金で働く単純な労働力に置き換えられる.その結果,一時的には失業問題やラダイト運動のような労働者たちの反乱が起こる.だが,長期的には,より単純な労働力の雇用は増大し,全体としての労働者階級の所得は増大する.諸産業では労働時間が延長され,婦人や子供を含めた雇用労働者たちに対する搾取が問題とされるが,しばらくは,「完全操業」による経済成長は続けられたであろう.このような経済成長の限界について,かつてリカードやミルは,土地の限界生産力の逓減と,穀物需要の増大とによる地代の高騰が障害になると,指摘した.マルクスは,工場法などによる制度的・道徳的な干渉,もしくは恐慌や革命がこの蓄積方式を終わらせることを暗示した.また宇野弘蔵は,景気循環において労賃の高騰が好況の障害となると論じていた44.しかし,これらのいずれの説も,労働生産力の増大の道筋を正しく推論していなかったように思われる.私は,このような「完全操業」の成長は,労働の限界生産力の逓減によって,固定的な生存賃金のもとでさえ,利潤率が低落する結果,経済成長が限界づけられたと推論する.資本主義初期の機械の導入は,労働の限界生産力を飛躍的に増大させ,実質賃金が生存水準に固定化されていた中では,利潤率を著しく上昇させたであろう.しかし,やがて長時間操業や原料調達などに問題が生じ,しだいに労働の限界生産力は低下して成長は限界に突き当たる.このような障害は,やがて鉄道や蒸気船の運行などによる技術革新によって乗り越えられるが,そのような発明や改良の成果は直ぐには現われなかった.そのような中で,在庫金融がしばしばひっ迫し,商業信用の拡大が循環的に限界に突き当たり,信用恐慌が引き起こされた.利子率は上昇し,利潤率の低落する中で,多くの企業の倒産が相次ぐ.このようにして,初期の「完全操業」は趨

(トレンド)

勢的な限界に突き当たり,その

44 宇野(1950)第 2章「恐慌」2「資本の過剰と人口の過剰」A「労働賃金騰貴の限界」pp. 116–119.

54  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

限界を克服するために,交通網の整備や,さらなる技術革新が誘発され,収穫逓増を含む新たな資本蓄積パターンへと移行していったのではないかと考える.

(2) 固定賃金経路(Fix-wage path)の検討次に検討するのは,固定賃金を前提とする経済成長の経路についてである.これはいうまでもなくケインズによって論じられた経済成長のパターンである.完全操業経路についても,固定賃金を前提として,完全雇用下の経済成長が考えられていたが,ケインズのこの経済成長では不完全雇用を前提とした固定賃金が想定された.すなわち,労働能力とその他の生産能力の不完全雇用状態を前提として,下方硬直的な賃金が不完全雇用のもとで成立すると想定されたのである.ヒックスは,この点に関連して,賃金の引き上げに対しては資本家団体による抑制が加えられ,また賃金の引き下げには労働組合の抵抗があるため,上方にも下方にも硬直的な賃金が仮定される,と考えた.このような固定賃金が貨幣賃金のレベルで成立するのか,それとも実質レベルで仮定されるのかについては議論があるが,ここでは簡単化のために実質賃金の固定化を仮定する.このような固定的な実質賃金を前提として,自発的発明の産業利用が起こった場合に,経済システムに対してどのような効果が加えられるであろうか.ここで,ケインズが暗黙の前提としていた産業の状態について指摘しておく必要がある.それは,ケインズの時代にはすでに重化学工業へと経済成長の中心が移動していたことである.先の完全操業経路の後には鉄道や汽船による交通革命が続き,さらに 20世紀初頭までには,19世紀の繊維工業から鉄鋼や造船業などの重化学工業へと技術革新の中心が移っていた.重化学工業における技術革新の特徴の一つは,そのために要する固定資本投資の規模が巨大化することである.鉄鋼一貫生産や造船を始めるためには,巨大な工場施設や機械装置が建設されなければならず,その結果,固定資本額は大きくなる.また,そのような固定資本に対する信用供与額も増大する.このような産業における技術革新は,巨大な産業施設の建設の時期と,追加投資の時期とに分かれるが,いずれの時期にも投資額と信用供与額との規模はともに増大する.このような固定賃金と固定資本の巨大化とを前提とした経済成長は,どのよう

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  55

な経過をたどるのであろうか.不完全雇用下での固定賃金を前提に経済成長が進むが,雇用の規模はすぐにはそれほど大きくならない.なぜならば,重化学工業における新投資は主として資本集約的な投資であり,雇用の増加よりも固定資本投資の増大が先行するからである.このような固定資本投資は規模の経済を前提にして,しばらくは続けられる.利潤率そのものよりも生産量と利潤量とが累進的に大きくなり,少なくともしばらくは収穫の逓減はないものと考えてもよいであろう.しかし,このような重化学工業を中心とする経済成長も,やがて限界に突き当たる.20世紀初頭には,過剰生産を予防するためにカルテル等の独占体が形成され,また大銀行との結びつきが強まることによって,大銀行と産業企業との結合が促進された.重化学工業における技術革新は,当初は資本集約的な投資の拡大によって促されるが,それに連続する 2次的な発明や技術革新は固定的な賃金のために誘発されず,やがて収穫の逓減に出会ったことがその停滞の一つの原因となっていたであろう.しかし,それよりも,重化学工業における巨大な設備投資を賄う銀行の融資や投資に関連する危険が大きくなり,また将来の有効需要の拡大に対する悲観的な見通しが出てきたことが限界となっていたであろう.また規模の経済または大量生産方式に見合う有効需要の拡大が制限を受けていたことが,ケインズ流の経済成長に対する障害となっていたであろう.この点では,セイの法則に従って,需要サイドよりも供給サイドに主な原因を求めたリカード・モデルの想定とは明らかな違いがあった.ケインズ流の成長は,有効需要の停滞と資本信用の危険の高まりとによって,主に限界づけられたのではなかろうか.ヒックスは,ケインズの『一般理論』が書かれた 1930年代には技術革新が停滞していたことをもって,この経路の経済成長の停滞の主な原因の一つに数えていた.だが,これは,2つの世界大戦を挟んで技術革新の中心が軍需産業に移動していったこの時代の特殊な条件に影響されたものであった.それよりも,一般的には,不完全雇用下の固定賃金によって誘発的な発明の刺激がなくなり,また科学技術の応用のチャンスは,巨大な設備投資に対する金融的な危険と有効需要の停滞とによって,その実現が阻まれたことが,この経済成長の限界となっていたのではなかろうか.なお両大戦間期のイギリスの産業金融の問題点については,

56  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

ケインズもその中心になって関与したマクミラン委員会の証言録や報告書の中で詳しく述べられている45.さらに,ケインズの時代には,金本位制のもとで,新投資のための資金が政策的に抑制されていたことが停滞の大きな原因となっていた.また利子生活階級は,かつての土地所有階級と重複し,土地の希少性に代わる貨幣の希少性から生じる利害関係にとらわれていた.金本位制のもとでは,信用供与額は金準備額によって制限され,重化学工業のような巨大な設備投資を賄うには,資金が不足していた.ケインズ政策のほとんどは,不完全雇用下の固定賃金と重工業の停滞的な技術水準とを仮定して考案されていた.財政政策と金融政策によって有効需要を拡大し,産出量と雇用量とを拡大すること,および,その際に投資の乗数効果が期待できること,これらはすべて,不完全雇用と固定賃金による資本蓄積パターンを前提に考えられていた.そして,新投資の停滞は,そのまま物価の下落または失業率の増大に帰結した.つまりこのような資本蓄積のパターンを前提にすると,有効需要を拡大させるインフレ的経済成長か,それとも有効需要が縮小するデフレ的経済停滞かの,いずれかの両極端に経済は大きく振動する.

(3) 伸縮賃金経路(Flex-wage path)金本位制による制約から解放された第 2次大戦後,IMF体制の下で先進国経済

が成長を遂げる中で,固定賃金による経済成長は,実質賃金,生産力,一般的な物価水準がともに上昇する伸縮賃金の成長経路へと移行していったものと想定される.ヒックスは,完全雇用経路と伸縮賃金経路とを同じものとして扱ったが,この 2つは厳密には同じものではない.完全雇用経路は,典型的には,弾力的な労働供給をすべて雇用するように実質賃金が賃金基金と雇用労働者数とに応じて変動するミルの賃金基金説の想定したモデルであった.これは完全操業下の伸縮賃金モデルでもあった.これに対して,伸縮賃金経路は,第 2次大戦後の先進資本主義国において近似的に経験されたものであった.この時の先進国経済は完全 45 マクミラン委員会報告については,Committee on Finance and Industry (1931)

Report, London: HMSO. を参照.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  57

雇用に近づいていたが,失業率は決してゼロにはならなかった.しかし,労働組合の圧力などの社会的要因によって,実質賃金は,貨幣賃金とともに変動するようになった.以下では,第 2次世界大戦後,特に 1970年代以降に,先進国経済で近似的に経験された「伸縮賃金経路(Flex-wage path)」について検討しよう.ヒックスの「伸縮賃金」モデルは,次のことを仮定する.① 生産に投じられる

すべての財は,ただ一つの本源的生産要素である労働の生産物とみなされるが,その労働の実質賃金率wは,労働の限界生産力の変化に応じて,伸縮的に変動する.② 利潤率(生産過程に固有の利子率)rは,所与の資本構成による生産技法と実質賃金率を前提として,恒常的成長率 gを実現する水準に決まる.③ 同じ賃金率ならば最も利潤率を高くする効率的な生産技法が選択されるが,その生産技法は生産の外部で行われた自発的発明の成果を利用したものである.またこの経済の成長過程で,希少となった資源の費用を節約するために,2次的な発明が誘発され,より効率的な生産技法への再転換が遂行される.このように自発的発明と誘発的発明とを区別した上で,2つの種類の発明を連続的に利用した技術革新の過程とその効果とについてを分析したところにヒックス資本理論の利点があった.このような「伸縮賃金」モデルは,労働組合の圧力が強まり,賃金が生産性の増大に歩調を合わせて引き上げられるようになった第 2次大戦後の先進国経済の成長過程を反映するものであった.また技術革新が競争力を強化するために,または利潤率を引き上げるために,絶え間なく利用されるようになった現在の資本主義経済の成長過程をも描写している.さて「伸縮賃金モデル」は,次のような基本的関係から出発する.まず恒常成長均衡を実現する先の条件は,次のように書きかえられる.

K0=Σ 0n(bt-wat)R-t=0 …………………………(6)

ここで btは,以前と同じく t期の産出額,wは賃金率を表すが,新たに設けられた変数 atは t期の雇用者数を表わす.Rは以前と同じく利子因子(R=1+r)である.すなわち,ここでは(4)式の qtが同じ時期の産出額と賃金支払額との差と

58  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

されている.この式からも分かるように,雇用者数を同じとして,もし賃金率 wが引き上げられるならば,初期資本額 k0はマイナスとなり,この生産過程は開始されないであろう.初期資本額をもとどおりゼロにするためには,利子率 rは引き下げられなければならない.したがって,ある経済が所与の賃金率 wの下で利潤率 rを最大とすることのできる生産技法の「効率曲線」は,図 2の E1のような右下がりの曲線になるであろう.他方で,恒常成長における賃金率を wとし,すべての生産過程の労働者一人当たりの t期の集計的生産力を Bt/Atとすれば,これらの間には次に示すような双対関係が成立する.

w=Σ 0nbtR-t/Σ 0

natR-t ……………………………(7) Bt/At=Σ 0

nbtG-t/Σ 0natG-t …………………………(8)

なおここで,Btは t期の個々の生産過程の産出額を集計した総産出額を,またAtは t期の総雇用者数,Gは gを斉一的な成長率としたときの成長乗数(1+g)を表わす.上の 2つの式から,この経済の集計的生産力と成長乗数との関数関係および,賃金率と利子因子との関数関係は,同型となることが分かる.すなわち,賃金率は労働生産力と同方向に比例的な動きをする.このような関係があるとき,経済の成長につれて効率的な生産技法(technology)と技術(technique)とが次々に選ばれていく技術革新の過程は図 2のように描かれる.この図の縦軸には利子(利潤)率 rが,また横軸には,実質賃金率 wもしくは

集計的労働生産力 Bt/Atが測られている.まずこの経済は実質賃金率 w*と利子率 r*(と成長率 g)の P*点から出発する.自発的発明が起こり,その成果を利用すると,賃金率 w*を一定として,以前よりも高い利潤率 r1の得られる新しい技法E1が採用される.この効率曲線にそって,点P1から点P2へ生産が進むと,利子率は低下するが賃金率は上昇する.なぜならば,資本の限界生産力は低下するのに対して,実質賃金は,生産性の増大に応じて引き上げられるからである.そして実質賃金の上昇に誘発されて,2次的な発明が起こり,その成果を利用する生産技法 E2が採用される.ここでは,同じ賃金率ならば以前よりも高い利子率

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  59

が得られるようになるが,再び利子率は減少し,実質賃金率は上昇する.点P3まで生産が進められると,今度は利潤率のより高い生産技法 E3へと再転換が進む.最終的には,この経済は,新しい生産技法 E3の下で,最初の利潤率と成長率とを実現する恒常的成長経路を再びたどることになる.こうして,当初,同一の賃金のもとでより高い利潤率を求めた技術革新は,次々に 2次的な改良をとげ,最終的には最初と同じ利子率と以前よりも高い賃金率とを実現して,再び斉一的な成長を続けることになる.このような技術革新の過程は,ほぼ完全雇用に近い状態のもとでの伸縮賃金の動きに誘発されて実現されたものである46.ヒックスは,実物的経済成長の過程を貨幣政策と切り離して分析していたが,このような伸縮賃金経路の結果として実現された賃金率の上昇を前提として,拡張的貨幣政策が遂行された場合には,やがてコスト・プッシュ・インフレーションが進み,賃金率の上昇と物価の上昇との悪循環によって,経済成長はその趨勢

W0

rE1

E2

E3

r1

r2

r3

r

P1

P2

P3

P0

O WW

P e1

図2

46 このような伸縮賃金と完全雇用とを前提とする資本と労働の代替の過程については,すでにHicks (1932) において論じられていたが,その議論が動学的な観点のもとにここで再論されたのであった.詳しくは,Hicks (1973) Ch. X. pp. 110–124.を見よ.なお図 2は,同書の Fig. 14(p. 112)による.

60  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

的な限界に達するであろう.これとは反対に,何らかの事情によって実質賃金の引き下げが起こるとしたならば,以上の過程は逆行し,利潤率は高いが生産力の低い技術がより低い賃金率のもとで利用されるかもしれない.技術革新は誘発されず,経済はデフレ的悪循環に陥る可能性が出てくる.そのような限界や悪循環から脱出するためには,自発的発明とその産業利用とが,その助けとなるかもしれない.しかし,そのような可能性について議論するためには,技術革新と資本蓄積に関する将来のヴィジョンが示されなければならない.

6. 新産業主義(New Industrialism)のヴィジョン

ヒックスの資本理論は,『資本と時間』における以上のような資本蓄積と技術革新の効果に関する分析をもって終了したのではなかった.ヒックス自身も,以上のような分析は資本蓄積に関する単なる形式的な分析以上のものではなかった,と述べていた47.このような形式的分析は,より有望な展望を導くための単なる準備にすぎず,そのような準備が整えられたならば,その先は形式的な分析を超えた展望が開かれるはずであった.1977年の『経済学の思考法』の中の 3つの論文において,そのような展望が打ち出された48.これらの 3つの論文は,いくつかの目的で書かれていた.一つには,『資本と時間』までに達成された資本と成長に関する彼自身の理論を非数学的に再論するという目的があった.またもう一つには,『経済史の理論』49 において,産業革命までにとどまっていた「歴史理論」を現代まで拡張させるという目的をもっていた.このように,この 3つの論文は,総じて後期ヒックスの研究の集大成という性格をもつものであった.またこれらは,貨幣と資本に関する「歴史理論」を考えるという本論文の当初の目的に沿うものでもあった.

47 Hicks(1977)Preface(xvi) 48 この 3 つの論文は,Hicks(1977) Ch. I “The Mainspring of Economic Growth”

pp. 1–19, Ch. II “Industrialism” pp. 20–44, Ch. III “Monetary Experience and the Theory of Money” pp. 45–107.の 3つの章に収録されている.

49 Hicks(1969) Ch. IX “The Industrial Revolution,” pp. 141–159.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  61

以下では,『経済学の思考法』のこれらの 3つの論文に依拠しながら,資本主義経済の将来に関する歴史的展望を与えることに挑戦してみよう.それは,ケインズ『一般理論』の最終章の中の「新しい体制(New System)」に代わりうるヒックスによる「新しい産業主義(New Industrialism)」に関するヴィジョンを検討するという課題である.

6‒1. 科学技術の進歩と経済成長ヒックスは,『経済学の思考法』の第Ⅱ章「産業主義」の中で,近代の経済成長

が科学技術の進歩によって基礎づけられきたことを強調していた50.すなわち,近代の市場経済のこれまでの発展は,「資本主義」というよりも,むしろ社会主義を含めた「産業主義(industrialism)」の発展と呼ぶほうがふさわしいと述べていた51.ケインズが『貨幣論』や『一般理論』を書いた 1930年代のヨーロッパでは,科学技術の経済に対する重要性に関しては,後の時代ほどには確信をもって論じられていなかった.ケインズを含めて,この時代の経済学者たちは,「資本蓄積」という言葉によって,物質的な財貨もしくは工場や機械装置を具体的には想定していた.伝統的な経済学者たちは,依然として,資本は貯蓄または節約によって大きくなると信じていた.これに対して,ケインズは,投資の貯蓄に対する主導性を強調して,新投資こそが資本価値の増加につながるとした.ただし,その新投資は,革新的な投資,すなわち「自発的発明」による新技術体系の採用に関連する投資というよりも,むしろ既存の技術体系を前提した追加的な投資に関連するものであった.また科学技術の進歩に関する考え方も,この間に大きく変わってきた.ケインズの時代までの科学的な発明は,あたかも「天から降ってきた」かのように考えられ,経済的な観点から重要だと思われるような新技術の発明は,不規則にしか現れなかった.科学は,長いこと贅沢品であり,高尚な娯楽であり,産業とは相

50 Hicks(1977) pp. 21. 51 この「(新)産業主義」は,たぶん,ベルの「脱工業化社会」という歴史展望に対抗す

る意図を含むものであったろう.「脱工業化社会」に関しては,Bell (1973)を参照.

62  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

対的に独立に推し進められてきた.これに対して現代では,科学は,計画的・規則的な研究・開発投資(R&D)に基づいて,産業界の内部で栽培され育成されるようになった.そして,自発的発明の衝撃は,次々と誘発的な発明を生みだしてきた.それは,約半世紀前に,シュンペーターによって指摘された「革新の群生化」の現象が現代において出現したものであった.

6‒2. 規模の経済の変化このような中で,近代の経済成長のもう一つの特徴としてあげられる「規模の

経済」に関して,何が起こったのであろうか.スミスの『国富論』の時代には,分業の利点,すなわち個々の労働が専門化することの生産性に与える目覚ましい効果が指摘された52.だが,現代ではそれよりも機械・装置の専門化による効果のほうが著しい.工業生産の大規模化は,人間的な要素以外の機械・装置に関連して進み,高度に専門化した機械装置の下に人間の労働は従属するに至った.その結果,工業における専門的な熟練労働の必要性は後退し,大部分は専門的な労働以外の非熟練労働によって占められるようになった.現代の工業における単純労働は,農業労働に比べてもしばしばその熟練度は低いといわれている.近代の産業主義のもとでの大規模生産は,労働が専門化し熟達する機会を奪い,工業化社会の不安と疎外の主要な原因を作り出してきた.この結果,われわれは人間の幸福という観点から見れば,非常に高い代償を支払わされてきたことになる.これに加えて,生産規模の拡大は,大企業による独占力を強め,消費者の効用

を犠牲にし,また産業間の衝突という多くの弊害を生み出してきた.このような事態に対して,大規模な産業を公共の所有物としたり,または公的に管理したりするような政策が推奨された時代もあったが,このような政策の効果は,単に表面的なものにすぎず,規制産業による別の種類の弊害を生み出してきた.たとえば,送電線網や通信・電話網,その他の機械設備を運用する経済権力の集中は,競争を歪曲化し,数々の弊害をもたらしてきた.

52 Smith (1776) Book I, Ch. 1, pp. 13–24.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  63

巨大産業の出現は,他方で巨大な労働組合を生み出し,労働機会の独占や競争制限を生み出してきた.まちがった方向での労働者の権利拡大や労働争議の拡大は,技術革新や技術進歩をゆがめ,ヒックスによれば,「イギリス病」の原因の一つになってきた.このような「病気」は,イギリスだけでなく,やがて多かれ少なかれ先進国経済に蔓延する共通の「病気」になっていった.

6‒3. 新産業主義の展望この先にヒックスは,一縷の希望を見出す.大規模工業の 2大欠陥,すなわち

大企業による独占と労働組合の権力の増大とは,互いに相殺し合って,良い方向に向かう可能性がある.

 「単一産業に雇用されている人々の利益のために考案された技術変化は,これらの産業に雇用される人々の熟練度を引き上げ,労働の質と労働条件を改善する方向に向けられるならば,生ずる利益は大きく,独占による損失は対価としては高くないであろう.」(Hicks, 1977, p. 38)

このような動きについて,ヒックスはこれを「新しい種類の産業主義(a new kind of industrialism)」と呼んで,これまでの「古い産業主義」に対置させた.そして,「多分我々がその方向に動いているといういくつかのかすかな徴候がある」と書いた53.このような「新しい産業主義」とは,何を意味するのであろうか.もう少し詳しく検討してみよう.

6‒4. 希少な自然資源ヒックスは,クズネッツに従って,産業主義の特徴は,これまで検討してきた

技術革新と規模の経済という要素に加えて,「土地」という名の自然的要素と,「労働」という名の人間的要素の 2つの要素からなると考えていた.そこで,これらの 2つの要素についてそれぞれ検討してみよう.

53 Hicks(1977)p. 38.

64  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

土地という名の自然的要素については,ミルに代表される古典派の時代には,経済成長の最終的な制約要因として位置づけられてきた.豊かな生産力をもつ土地は希少であるため,人口と資本の増加に伴って,より劣った土地が耕作されざるをえない.その結果,小麦価格と地代は上昇し,利潤率は低落する.こうして自然的要素が経済成長を最終的には制約する.このように古典派の経済学者たちは予測したのであった.その後,マーシャルによって,製造工業における収穫逓増の傾向が指摘されたが,これは土地の希少性による制約を緩和するものと考えられた54.また化学工業による肥料の供給が土地の生産力を引き上げた.こうして,ヨーロッパ世界は,マルサスの悪魔を最終的に追放したかに思われた.しかし,1970年代以降に再び自然資源の希少性が強く意識されるようになっ

た.そのような自然資源は,かつてのように広く分散する自然の恵みではなく,特定の地域にしか埋蔵されない種類の資源であった.エネルギー資源が,石炭から,地球上に偏在する石油に転換した結果,原油カルテルが形成され,エネルギー資源の希少性が増し,エネルギー価格は高騰した.そして,しばらくは石油輸出国の一部の人々が最終的な受益者となったのである.これは,古典派の経済学者たちが地代の高騰によって,土地所有者が最終的な受益者となると予想したのと類似した動きであった.ヒックスによれば,1970年代末からのいわゆる「スタグフレーション」も,労働が完全雇用に達する以前に,石油をはじめとする自然資源が足りなくなり,資源価格が値上がりしたことによる.また石油に代わるエネルギー資源として注目された原子力は,チェルノブイリ,スリーマイル島,福島へと連続する事故によって,もはや膨大な代償を人類と地球全体の生命に対して請求する資源であることが明らかになった.

6‒5. 希少な人間資源: Human Capital他方で,労働に目を転じると,労働は,古典派以来,最も重要な生産要素とし

て想定されてきた.スミス以来,リカード,ミル,マルクスなどは,労働者の状

54 Marshall (1870/1920) Book. IV, Ch. 13, pp. 262–268.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  65

態の改善に最大の関心を払った.しかし,限界効用革命以降の個人主義的傾向の協調にもかかわらず,経済学においては,依然として労働は一つの同質の生産要素として扱われ,それぞれの人間の個性や多様性は尊重されなかった55.しかし,科学的に基礎付けられた近代工業の技術発展によって,次第に問題状況は大きく変貌を遂げるようになった.以前のように科学的発明や発見が「天から降ってくる」時代は終わった.科学技術は,研究開発投資等によって長い時間をかけて育成され,または栽培される貴重な資源となってきた.大学や企業などの多くの研究所は,このために設けられた.またこのような科学技術を産業に利用するためには特殊な労働が育成されなければならなかった.スミスの時代には,単純な労働でさえ,専門化することの利点が強調されたが,

それ以降,機械装置の専門化のほうが先行するようになった.これに対して,高度な技術を産業に適用するための特殊な労働に関しては,どのような技術にも対応できるような転用性が求められる.さらに,実際の生産工程で細分化された労働やより単純化された労働も必要とされるであろう.これらの専門的な労働に関しては,大学などの特定の時期に集中的に育成されるよりも,むしろ実際の生産過程で,生涯にわたって,「働きながら学ぶ(learning by doing)」ことが求められる56.このような多様な「労働スペクトル」は,産業別,職業別,国別などの範囲で

展開される.発明の衝撃は,特定の国から他の国へ,ひいては世界全体に波及する.実質賃金の上昇は,先進国の場合には,技術的に高度な労働にとって有利に作用する.実質賃金の低い国ではそのような技術労働の普及は,かなり遅れるかもしれない.労働が同質的ではなく,多様な労働がスペクトルをなすと考えるならば,特定種類の労働(技術労働)のスペクトルは,自然資源と同じように偏在し,多くの国々で不足するだろう.その結果,このような種類の労働の賃金は,他の種類に比べて高騰するだろう.このような種類の実質賃金の上昇は,スミス

55 このように,私は資本の同質性だけでなく,労働の同質性の仮定のほうも問題とすべきであると考える.

56 この点が後ろ向きのBeckerの人的資本の解釈に対して,前向きのHicksの労働能力の評価を区別する特徴であろう.この点については,Becker (1975) を参照.

66  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

が「豊かな労働の報酬 ‘liberal reward of labour’」は勤勉を促進し,国富を増大させると書いたように57,新しい産業主義の発展に資するであろう.このような特定の種類の労働は,肥沃な土地がかつて演じたのと同じように,地代(rent)を生みだすが,社会的伝播を通じて,長い時間をかけて,特別な生産力に対する報酬であり続けることをやめて,労働全体の生産力を高めていく「準地代」として作用する.すなわち,自然資源に代わって,このような技術労働が最も希少な資源として,あたかも「資本」のように,いいかえれば「人間資本(Human Capital)」のスペクトルを構成するような時代がやがて到来するに違いない.今日の世界では,依然として地理的に偏在する再生困難な自然資源を希少な資源として,各国がこれを獲得しようと競争し合って,絶え間ない紛争を引き起こしている.しかし相つぐ石油危機や,大気・水質汚染や,2011年 3月以来の日本の原発事故などの経験を通して,このような物的資源に過度に依存することの危険性は,ようやく明らかになりつつある.そのような危険を回避するためには,物的資源の利用を節約し,またそれに関連する危険を軽減するための高度な科学技術の発展を担う Human Capitalへと,希少な資源の代替が進められなければならない.そのような転換は,人間の発明・発見能力や創造力,あるいは学習能力に対する高い信頼関係によって支えられるであろう.また資源の節約による利益を質の高い労働に対する報酬として還元することによって,このような要素代替は促進されるであろう.そのような経済成長パターンへの転換の兆しが,わずかではあるが,見えてきたことを,ヒックスは我々に伝えたかったのではなかろうか.これが「新産業主義」に向けたヒックスの「展望(vision)」であったものと,私は確信する58.

57 Smith (1776) Book 1, Ch. 8, 27–57, pp. 91–104. 58 ただし,このような新産業主義への移行については,ヒックスの死後,歴史に逆行する

動きが出てきた.それは,低賃金に依存する「完全操業」の経済成長を始める新興工業諸国の台頭であった.先進国経済がこのような新興国経済の成長パターンと競合する状態は,しばらくは続くであろう.

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  67

6‒6. 将来へのヴィジョン:ケインズ vs. ヒックスケインズは,『一般理論』の最終章で,将来の社会に向けた彼自身のヴィジョンについて,これを「利子生活者の安楽死」を伴う「新体制(New System)」という言葉で表現した.それは,「土地の希少性」に代わって「資本の希少性」の上に安住した利子生活者に対する明らかな告発であった.土地の希少性には根拠があるが,資本の希少性は,適切な貨幣政策によって緩和できるから,本来的な根拠をもたない,とケインズは指摘した.これは,資本の所有者に依存する経済成長から,企業者と労働者からなる「活動的階級」を主人公にする経済成長への転換を示唆したケインズの将来社会に向けたヴィジョンであった.しかし,このようなケインズのヴィジョンは,第 2次大戦後の経済成長の末期

のスタグフレーション(賃金上昇と物価上昇との悪循環)によって,また財政膨張による自生的経済発展の歪曲化に対する批判によって,往年の説得力を失ってしまった59.また第 2次大戦後には,貨幣資本の希少性に代わる新たな希少資源が生まれてきた.こうして,ケインズのヴィジョンは,マネタリストの退潮後のケインズ理論の再評価によっても,その往年の威力を取り戻すことはできない.これに対して,ヒックスは,科学技術の新しい種類の産業利用,すなわち偏在する自然資源への過度の依存に伴う危険を克服する科学技術の産業利用によって,特定種類の質の高い技術労働だけでなく労働一般の質の向上を伴う産業発展について,これを「新産業主義」という言葉で表現した.これこそ,ケインズからヒックスへの資本理論の発展に関連して特筆すべきもう一つの大きな転換であった.

7. 結語

以上のように,ケインズからヒックスへの資本理論の発展について,私はこれ

59 財政膨張とインフレーションが資源のミスアロケーションを導くことについては,多くの論者が指摘してきたが,その根拠について,私は,これを技術革新の方向を見失わせる点に求める.すなわち,財政資金(補助金)の散布と,資産インフレーション(バブル)とは,もしそれがなかったならば,見出されたであろう技術転換の方向を見えなくしてしまう.

68  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

を次の 3点に要約してきた.第 1に,ケインズの資本理論が既存の資本ストックの蓄積を前提として当該期間の新投資に関する前向きの資本評価を中心とするものであったのに対して,ヒックスの資本理論は資本の生産過程の全期間にわたる前向きの資本評価と後ろ向きの資本評価とが一致する動学的均衡理論であった.第 2に,ケインズの資本理論が同一の技術体系を前提とした不完全雇用下での経済成長を扱ったのに対して,ヒックスの資本理論は,完全操業,固定賃金,伸縮賃金(完全雇用)という異なった蓄積パターンのもとでの技術革新の衝撃の効果を分析する動学理論であった.この点に関連して,ひとつの恒常成長均衡経路から別の恒常成長均衡経路への移行ではなく,それぞれの資本蓄積パターンにおける技術革新の帰結を比較する「比較動学分析」がもう一つの重要な課題となる.第 3に,ケインズの将来社会への展望が利子生活者の安楽死によって象徴されるような活動的階級を主体とする「新体制」であったのに対して,ヒックスは物的機械装置や偏在する自然資源から人間的技術労働へと希少な資源が転換する「新産業主義」を展望した.このような展望は,伸縮賃金を前提とした経済成長の理論的帰結として,見出されたものであった.このようなケインズからヒックスへの資本理論の発展は,1930年代から 1970

年代にかけての先進国経済の成長パターンの変化を反映するものであった.そのような意味で,ヒックスの資本理論は,新しい時代に対応する「歴史理論」として,ケインズの資本理論に代替するものだといえる.しかし,ヒックスの理論には,ケインズ理論に比べて不十分な点があった.それは,ケインズが,資本蓄積を促進する「アニマル・スピリット」という主体的な誘因を発見し,そのような誘因による成長を引き出す財政・金融政策を提言したのに対して,ヒックスはそれに代わりうる主体的動機に関する分析や政策提案を示唆することができなかったことである.ただし,以上のような資本理論と貨幣理論または金融政策とを統合することによって,技術革新のための金融的負担を引き受ける投資銀行業務の発展を促進するという有力な長期的政策が示唆されてくると考える.「新産業主義」への転換が,単なるユートピア社会への予言に終わらないためには,そのような転換への主体的動機と経済政策への模索が今後試みられなければならないであろう.それは,旧ケインズ政策または新自由主義政

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  69

策を乗り越える経済成長政策の探求でもある.

【Reference】Becker, G. S. (1975) Human Capital: A Theoretical and Empirical Analysis, with

Special Reference to Education, Chicago: University of Chicago Press.[佐野陽子訳『人的資本―教育を中心とした理論的・経験的分析』,1976年.]

Bell, D (1973) The Coming of Post-Industrial Society, New York: Basic Book.Böhm-Bawerg, E. von (1884/1890) Capital and Interest, A Critical History of

Economic Theory, translated by Smart, W., New York: Augustus M. Kelley.― (1888/1923) The Positive Theory of Capital, translated by Smart, W.,

New York: Augustus M. Kelly.Harrod, R. (1973) Economic Dynamics, London: Macmillan.Committee on Finance and Industry (1931) Report, London: HMSO.Hayek, F. A. von (1941) The Pure Theory of Capital, London: Routledge.[一谷藤一郎訳『資本の純粋理論Ⅰ,Ⅱ』実業之日本社,1952年.]

Hicks, J. R. (1932/1963) Theory of Wages, second edition , London: Macmillan.[内田忠寿訳『賃金の理論』東洋経済新報社,1965年.]― (1939) Value and Capital: An Inquiry into Some Fundamental Principles

of Economic Theory, Oxford: Oxford University Press.[安井琢磨,熊谷尚夫訳『価値と資本Ⅰ,Ⅱ』岩波書店,1951年.]― (1965) Capital and Growth, Oxford: Clarendon Press.[安井琢磨,福岡正夫訳『資本と成長Ⅰ,Ⅱ』岩波書店,1970年.]― (1969) A Theory of Economic History, Oxford: Oxford University Press.[新保博,渡辺文夫訳『経済史の理論』講談社学術文庫 1207,1995年.]― (1973) Capital and Time: A Neo-Austrian Theory, Oxford: Clarendon

Press.[根岸隆訳『資本と時間―新オーストリア理論』東洋経済新報社,1974年.]― (1977) Economic Perspectives, Further Essays on Money and Growth,

Oxford: Clarendon Press.[貝塚啓明訳『経済学の思考法』岩波書店,1985年.]― (1979) Causality in Economics, Oxford: Basil Blackwell.Keynes, J. M. (1930) Treatise on Money, I, II (CW5, 6) [小泉明,長澤惟恭訳『貨

70  立正大学経済学季報第 63巻第 4号

幣論Ⅰ,Ⅱ』『ケインズ全集』第 5巻,第 6巻,東洋経済新報社,1980年]― (1936) The General Theory of Employment, Interest and Money, in The

Collected Writings of John Maynard Keynes, vol. 7. London: Macmillan. [塩野谷祐一訳,『雇用・利子および貨幣の一般理論』『ケインズ全集』第 7巻,東洋経済新報社,1983年]

Lachmann (1966) “Sir John Hicks on Capital and Growth,” South African Jour-nal of Economics, June 1966, reprinted in Lachmann, 1977.― (1973)“Sir John Hicks as a Neo-Austrian,” South African Journal of

Economics, vol. 41(3) pp. 251–256. Reprinted in Lackmann(1977).― (1977) Capital, Expectations, and the Market Process: Essays on the

Theory of the Market Economy, London: Basil Blackwell.Marshall, A. (1890/1961) Principles of Economics, 9th ed., London: Macmillan.[馬場啓之助訳『経済学原理Ⅰ~Ⅴ』東洋経済新報社 1965年.]

Marx, K. (1867) Das Kapital: Kritik der politischen oekonomie, I, II, III. Berlin: Dietz Verlag., (1867/1954) Capital: A Critique of Political Economy, vol. 1, 2, 3, translated by S. Moore, and E. Aveling, Moscow: Progress Publisher.

Mill, J. S. (1848/1968) Principles of Political Economy, with Some of Their Applications to Social Philosophy, Collected Works of Johne on Economic Stuart Mill, vol. 2, 3. London: Routledge.

Ricardo, D. (1819) On the Principles of Political Economy, and Taxation, Lon-don: John Murray.[羽鳥卓也,吉沢芳樹訳『経済学および課税の原理 上,下』岩波文庫,1987年.]

Schumpeter, J. (1911/1980) The Theory of Economic Development, An Inquiry into Profi ts, Capital, Credit, Interest, and the Business Cycle, London: Oxford University Press.[塩野谷祐一・中山伊知郎・東畑精一訳『経済発展の理論 上,下』岩波書店,1977年.]

Smith, A. (1776/1976) An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations, vol. I, II, Oxford: Clarendon.[大河内一男訳『国富論 ⅠⅡⅢ』中公文庫,1978年.]井上義朗(1991)『「後期」ヒックス研究―市場理論と経験主義』日本評論社宇沢弘文(1984)『ケインズ「一般理論」を読む』岩波書店.宇野弘蔵(1950)『恐慌論』岩波書店

ケインズからヒックスへの資本理論の発展  71

―(1969)『資本論の経済学』岩波新書小畑二郎(2011)『ヒックスと時間―貨幣・資本理論と歴史理論の総合』慶応義塾大学出版会.