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佛教 大 学 大 学 院紀 要 第30号(2002年3月) フリースクールの類型化と問題点 〔抄 録〕 平成13年度 の学校 基本調査 速報では、長期欠席 者(30日以上 の欠席 者)の うち 「不 :登校 」 を理 由とす る児童生徒 数は、小 学校26,000人(前 年 度 間 よ り300人 増加。対前年 度 比1.2%増),中 学 校108,00人(前 年 度 間 よ り4,000人 増加。対前年度比3.6%増)の合 計134,000人(前 年 度 間 よ り4,000人 増加)1)と報告 され てい る。 これ らの多 くが、「ブ リースクール」 とよばれている民間施設に通学 している。そのため、フリースクール は学校に行かない子どものための学校という認識が強いのである。しかし、外国のブ リー ス ク ー ル を模 範 し、 実 践 して い る もの に は 、 子 ど もの 自主性 、 自由 、 結 果 責 任 を 重視 した、学校教育とは異なるシステム、理念 をもっているのである。最近では、こ のようなフリースクールが増加の傾向にある。 本論文では、既存の学校 を拒否、逸脱 した子 どもたちから見た学校 とはどのように 見 え て い る の で あ ろ う か 。 また 、 これ らの子 ど も た ち が 、 学校 の代 わ りと して通 学 し て い る フ リー ス クー ル とは、 どの よ う な学 校 で あ る の か とい う視 点 か ら論 じてい く。 キーワード フ リー ス ク ー ル,不 登 校,居 場所 は じめ に 1970年 以降、学校教育の荒廃や教育病理現象として多 くの問題が認識されてきた。藤田英典 『教育 改革 』2>の中で論 じて い るように、60年代 で は、青年非 行や暴走 族 といっ た学 校の 「外」の問題で あったのが、70年代 には、校 内暴力 といった学校 の 「中」へ と問題が移行 して き た。80年代 後半 には、不登校 や登校拒 否 といった学校 の 「拒否 ・逸脱」 とな り、社 会問題化 し、 90年代には、学級崩壊や学校崩壊、犯罪の低年齢化、凶悪化などが社会全体を巻き込んだ問題 となったのである。近年の問題 としての学級崩壊は、新しい子 どもの出現に伴い、既存の学校 の価値観や機能の転換、解決として 「学校 の再構築」を中心課題 として対策が急がれている。 93

フリースクールの類型化と問題点 藤 田 智 之...フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之) 既存の学校の価値観や学校システムにあわない子どもの増加が問題とされるようになった。不

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Page 1: フリースクールの類型化と問題点 藤 田 智 之...フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之) 既存の学校の価値観や学校システムにあわない子どもの増加が問題とされるようになった。不

佛教 大学大学院紀 要 第30号(2002年3月)

フリース クールの類型化 と問題点

藤 田 智 之

〔抄 録〕

平成13年 度の学校基本調査速報では、長期欠席者(30日 以上の欠席者)の うち 「不

:登校」を理由とする児童生徒数は、小学校26,000人(前 年度間より300人増加。対前年

度比1.2%増),中 学校108,00人(前 年度間より4,000人増加。対前年度比3.6%増)の 合

計134,000人(前 年度間より4,000人増加)1)と 報告 されている。これらの多 くが、「ブ

リースクール」 とよばれている民間施設に通学 している。そのため、フリースクール

は学校に行かない子どものための学校という認識が強いのである。しかし、外国のブ

リースクールを模範 し、実践 しているものには、子 どもの自主性、自由、結果責任を

重視 した、学校教育とは異なるシステム、理念 をもっているのである。最近では、こ

のようなフリースクールが増加の傾向にある。

本論文では、既存の学校 を拒否、逸脱 した子 どもたちから見た学校 とはどのように

見えているのであろうか。また、これ らの子 どもたちが、学校の代わ りとして通学し

ているフリースクールとは、 どのような学校であるのかという視点か ら論 じてい く。

キ ー ワ ー ド フ リー ス ク ー ル,不 登 校,居 場 所

はじめに

1970年 以降、学校教育の荒廃や教育病理現象として多 くの問題が認識されてきた。藤田英典

が 『教育改革』2>の 中で論 じているように、60年 代では、青年非行や暴走族 といった学校の

「外」の問題であったのが、70年 代には、校内暴力 といった学校の 「中」へ と問題が移行 してき

た。80年代後半には、不登校や登校拒否といった学校の 「拒否 ・逸脱」となり、社会問題化 し、

90年 代には、学級崩壊や学校崩壊、犯罪の低年齢化、凶悪化などが社会全体を巻き込んだ問題

となったのである。近年の問題 としての学級崩壊は、新しい子 どもの出現に伴い、既存の学校

の価値観や機能の転換、解決として 「学校 の再構築」を中心課題 として対策が急がれている。

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Page 2: フリースクールの類型化と問題点 藤 田 智 之...フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之) 既存の学校の価値観や学校システムにあわない子どもの増加が問題とされるようになった。不

フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之)

既存の学校の価値観や学校システムにあわない子 どもの増加が問題 とされるようになった。不

登校の増加は激しく、平成13年 度学校基本調査速報では、小中あわせて13万 人を突破 したので

ある。

学校を拒否 ・逸脱した多 くの子 どもは、フリースクールなどの民間施設や学校適応指導教室

に通学している。現在の学校は多 くの問題を抱えていることが理解できる。このような問題提

起は、大人からの視点であ り、子 どもからの視点で論 じられていることはほとんどない。そこ

で、子どもからの視点でみた学校 とはどのように映っているのかという疑問からフリースクー

ルに通 う子 どもを通 して学校 を考察してい く。

また、学校 とは異なる形態をもつ フリースクールとは、一体どのような場所であるのか。 ブ

リースクールといっても多種多様な形式で存在するが、 日本において 「フリースクール」 とい

う用語はどのような形態の学校 を示すのであろうか。とくに、ホームページの検索 を使用 し、

フリースクールには、どのような形態が存在するのかを類型化 し、その問題点 と今後の方向性

を考察 していく。

なお、この論文においての調査方法は、参与観察調査、インタビュー調査を中心に考察する。

1998年9月 か ら3ヶ 月間の参与観察調査、1999年4月 の 「サ ドベリーバ レー ・スクール」の主

催者であるダニエル ・グリーバーグの講演、2000年7月9日 から15日の 「世界フリースクール

大会」での分科会や話 し合い、同年11月5日 の 「サマーヒル ・スクール」の現主催者であるゾ

ーイ ・レドヘ ッドの講演、筆者 自身のフリースクール訪問などを中心に論 じていく。

1.日 本 のフ リースクールの成 立

日本の近代学校制度は、「学制」により創設された。学制の構想は、小 ・中 ・高等学校か らな

る複線型の学校制度であった。「第1の 教育改革」は、森有礼文相によって着手された学校制度

のシステム化である。「第2の 教育改革」は、1947年 から49年 にかけて行なわれ、効率化と平等

化に重点をおき、6年 制の初等教育と3年 制の前期中等教育を義務教育にした学校体系の確立

であった。文部省を中心とする中央集権化や教員養成制度、試験制度の整備があげられる。「第

3の 教育改革」は、1986年 からの臨時教育審議会での審議、答申である。これは、個性重視の

教育と生涯学習社会体系への移行を2大 原則として、学歴主義や学歴社会、偏差値入試体制の

是正 と、新 しい社会問題としての校内暴力やい じめ、不登校などに対する対応であった。

フリースクールの成立はその中で、どのように認識 されてきたのであろうか。フリースクー

ルの認識、成立には不登校の増加 と深く結びついているのである。ノ

不登校とは、身体的な病気や経済的問題、精神疾患のための適応困難などの理由がなく、登

校 しなければならないという意志をもちながら、登校できない子どもが出現 して以来、認識 さ

れるようになった社会現象である。アメリカでは1940年 代に、ジョンソン(Johnson,A.M)に

・,

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佛教大学大学院紀要 第30号(2002年3月)

よる症例報告がなされたのが初めてといわれている。 この報告によれば、一種の神経症で学校

恐怖症(schoolphobia)と 命名された。日本において、最初にこの見方に注 目したのは、精神

科や小児科の医師であった。発熱や腹痛 などを訴え、学校を繰 り返 し欠席する子どもに対して、

身体的異常をみつけることができず、明らかに心気症的訴えであり、学校に強い不安があると

いった特性 をもった患者が増加したのである。

日本では、1960年 になって症例報告が増加 し始め、学校恐怖 という語が当時使用されたので

ある。不登校 と同時に身体症状を訴える子どもが多 く存在したため、投薬や入院治療を含めた

精神科的な治療が行なわれた。 しかし、その状態や原因、発達課題 との関連か らひとつの疾病

単位とは考えにくく、文化や家族などとの関わりあいも考慮することから、1970年 代に 「登校

拒否(schoolrefusa1)」 という語が使用されるようになった。

70年 代は、第1次 ベ ビーブーム世代であ り、進学率が上昇 しは じめた時期でもあった。中

学 ・高校の序列化や受験教育が台頭 しは じめたのである。このように社会が著 しく変化 し、登

校拒否の子 どもがさらに増加 し、児童相談所や教育相談所が対応や援助活動を通 して、発症の

メカニズムや治療指導の関わり方、子どもの年齢 と親子関係の問題などによる 「登校拒否」の

類型化がなされた。登校拒否は学校に対する反応であるが、その原因は本人の生育歴を含めた

家庭及び環境問題とみなされることが主流であった。

他方、学校側からは、長期欠席や断続的な欠席 をする子 どもの中に、病気や経済的理由、非

行、怠学などの原因ではない子 どもがいることに気づき、文部省の学校基本調査の分類に 「学

校 ぎらい」 という項目をたて研究がなされた。臨床心理家や精神科医の研究による登校拒否に

ついての知識や指導が、教育現場にもち込まれてきたが、活用するための家庭での細かい資料

や子 どもの発達状況などに関する情報入手は、学校 としては難しく、子 どもの指導や対処が困

難をきわめたのである。

表1登 校拒否の様態区分

区 分 区分別説明

学校生活に起因する型 いじめや教師との関係等、明らかに学校生活上の原因から登校せず、

その原因を除去することが指導の中心となると考えられる型

遊び ・非行型 遊ぶためや非行グループに入った りして登校 しない型

無気力型 無気力で何 となく登校しない型

情緒的不安型 登校の意志はあるものの身体の不調を訴え登校できない型

意図的な拒否の型 学校に行 く意義を認めず、登校 しない型

複合型 上記の型が複合 していて、そのいずれが主であるか決めがたい型

その他 上記いずれも該当 しない型

出典:「 生徒 指導第22集 」文部省1998年 よ り作 成

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フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之)

70年代か ら90年代までは、不登校の原因を個人に起因するという認識が強かったため、病院

や矯正施設、カウンセリングといった治療が行なわれたのである。70年 か ら80年後半において、

甘えやひ弱 などと認識された子どもは、矯正や更正を目的とした施設にいれ られたのである。

このような施設は、労働や共同生活の中で、社会性や基礎体力、やる気、人間性を育てるとい

うことを目的に、暴力や体罰が行われたのである。「戸塚ヨットスクール事件」(1979~ ユ983)、

「不動塾事件」(1986)は 、子 どもに暴力、体罰などのエスカレー トにより、死者までだした施

設である。学校に目を向けると、校内暴力や暴走族など、学校の外での問題が大きな割合 を占

めていた。 このような子どもは、一部の特殊な子 どもという認識が強く、登校拒否においても

同じように扱われたのである。

1980年代 にはいると、「登校拒否」の子 どもが急激に増加 し始めた。登校拒否以外に校内暴力

やい じめなど学校での問題が、社会問題 として認識 されるようになったのである。学校の画一

化や強制的な学校制度の基盤が確立 した時期でもある。この頃か ら、「登校拒否」に対する学校

の対処についての研究や試みがなされ始めた。 これ らの研究により 「登校拒否」において も、

さまざまな様態があることが認識されるようになった。「登校拒否」 という用語は、学校教育で

の子どもの状態からきた言葉であ り、本人による拒否という意味あいが強いことか ら、広 く現

象 をとらえた 「不登校」 という言葉が一般化 した。また、不登校への社会認識は、子 どもの個

人的性格や家庭環境に起因するという考え方が一般的であった。

80年代中頃か ら、不登校の増加が激 しく、その子 どもたちの居場所をつ くる動きがみられた。

子どもを施設にいれずに家で過 ごさせるケースもあった。子 どもは1日 のうち、ほとんどの時

間を家庭で過 ごすこととなり、学校 に行けないことや家庭でのマ ンネリ化した生活にス トレス

を感 じるようになっていたのである。そのため、不登校の親たちが、子どものス トレス解消や

社会性なども考慮し、安心 して過ごせる居場所 としてフリースクールを創設したのである。こ

のようなフリースクールは、子 どもに勉強や強制、押 しつけを行なわず、子どもに自由な空間

と時間を提供 した。不登校の親が創設 したフリースクールは、奥地圭子が中心 となって創設 し

た 「東京シューレ」3)が その先駆けといえる。

他方、学校教育のシステムや方法を批判 し、外国のフリースクールの教育理念や方法 を取 り

入れたフリースクールも登場 した。、最も知られているのは、「きの くに子ども村学園」4)で あ

る(以 下 厂きのくに」)。このフリースクールは、元大阪市立大学の堀真一郎が、イギ リスの

厂サマーヒル」 をモデルとして創設した学校である。外国のフリースクールやオルタナティブス

クールに感化 され、その方法や概念、思想 といったものを実践 しているところも存在する。子

どもの主体性や自主性に重点をおき、自由な活動や体験学習を中心に進めていったのである。

厂野並子 ども村」5)(1986)や 「なわて遊学舎」6)(1988)、 「わく星学校」7)(1990)な どもそれ

にあたる。

そして、90年 代にはいると、「自由化」 ・ 「個性化」 ・ 「多様化」が時代の主要なキーターム

ー96一

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佛教大学大学院紀要 第30号(2002年3月)

となり、画一化された教育や子 どもへの認識 も大きく変化 したのである。増加 し続ける不登校

に対 し、文部省は 「学校不適応対策調査会議」発足させ調査、研究を行なった。1992年 同会議

の報告では、不登校を従来の固定概念で捉えるのではなく、さまざまな要因が作用すれば、「ど

の子どもにも起こり得るものである」という認識の転換が起 こったのである。これにより、不

登校においても個人的な問題ではな く、社会的な問題 として認識されるようになった。この認

識の転換から、不登校の原因も学校に起因するのではないかという見識があらわれたのである。

不登校の増加だけではなく、受験競争や管理教育などの問題 とも関連づけ、学校教育に疑問を

もつ人が増加 した。不登校に対する認識の変化と学校に対する不満や猜疑心からフリースクー

ルの認識 も高まったのである。 フリースクールは、不登校の子 どもが多 く、不登校問題とは切

り離 して考えることはできないのである。 日本のように学校信仰が強い国では、自由な学校を

つ くることは、理念や概念だけでは難 しく、現実的に学校にいけない子どもが多 く出現 して、

はじめて基盤がで きたのである。そのため、フリースクールは、不登校生の受け皿という見方

が強くなるのである。 しかしながら、戦後 このように親や市民が、 自分たちで学び、創設 した

学校は初めてのことである。学校 に代わる、もうひとつの学びの場 として、全国的に拡大増加

していることには、現在の学校教育の不信が大きいといえる。

2.フ リー スクールでの参与観察

不登校の子どもか らみた学校 とはどのように映っているのだろうか。現在13万 人といわれて

いる不登校の多 くは、 フリースクールという民間の施設に登校 している。今なお、学歴や学校

歴 といったものが重視 されている社会において、学校を 「拒否 ・逸脱」することは、自分の人

生にとっても有意義とはいえないであろう。

しかしながら、そのようなことが背景にあるにも関わらず、学校に行かない子どもにとって、

学校はどのように見えているのだろうかという疑問か ら、フリースクールでの参与観察によっ

て、学校の現状を考察した。学校 に通学 している子 どもより学校に行かない子どもの方が、学

校に対 して客観的に見 ることができるのではないかと考え、フリースクールに通う子どもに焦

点をあてた。京都にあるフリースクール、わ く星学校で参与観察を行なった。わ く星学校の概

要は以下の通 りである。

わく星学校は、フリースクールとして1990年4月10日 に開設した。

わく星学校では、大人の固定的な概念によって子どもの潜在的な可能性を摘みとってしまうことのないよ

うに配慮し、一人ひとりの自発性と創造性を引き出し、真実を知る力を高め、自己の幸福を追求できるよ

うになることを目標にしている。そのために、日常生活の中や社会との関わりの場において、自分で計画

し判断し実行していく機会と、自然とのふれあいや、芸術や音楽と親しむための、十分な時間と環境とを

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フ リースクー ルの類型化 と問題点(藤 田 智之)

用意 している。

1教 育 目標

・自己実現 をめ ざす:一 人ひ とりの可能性 をのば し、 自己決定 しようとす る意志 と力 を身につける

・よい人 間関係 をつ くる:人 間同士の信 頼 を大切 にし、和やか な愛 に満 ちた集 団の中で育つ

・肯定的 な 自己概念 を育てる:価 値 観は多様であ り、押 しつけ られた価値観 による否定観に縛 られ ない

・豊か に学 ぶ:学 ぶ ことは楽 しい ことであ り、「将来の保証」のため に学ぶので はない

21週 間の予定

月 予定 ミーティ ング 基礎学習 コ ンピュー ター

火 自然 とふれ あう(岩 倉 山の家)、 畑、 つ り、川遊 び

水 コンピュー ター 基礎学習 陶芸(月1回)

木 基礎学習 お話会 スポー ツ(社 会見学)

金 自然 とふれ あう(岩 倉 山の家)、 料理 、音 楽、 ゲーム

ほ とん ど予定 ミー ティ ングに よって1週 間の予定 が組 まれ る。社会見 学は週1回 行 われた。 わ く星学校

2日 、岩倉 山の家に2日 、社 会見学1日 のペースで行われ てい る。

わく星学校を選んだ理由は2点 ある。ひとつは、学校に戻すことを目的としたフリースクー

ルではないこと。もうひとつは、居場所やたまり場だけの役割だけではなく、フリースクール

としての教育活動を行なっている点 を重視 したからである。学校に戻すことを目的 としていれ

ば、子 どもは学校的価値観をもち、学校に行けない自分を自己否定的に認識 して しまい、学校

とフリースクールの違いや子 どもからの学校の問題点を理解、認識できない と考えたからであ

る。 フリースクールでの独 自の教育活動も同様である。上記の2点 を考えたうえで、わ く星学

校に依頼 したのである。

2.子 どもか らみた学校

①学校的価値観の拒否

わく星学校では、1日 として同じ事をする日はない。体験学習が多 く子 どもが飽 きることの

ないように工夫されている。社会見学やスポーツ、陶芸などを通 して、創造性や感性 といった

ものを伸 ばそうとしているのである。工作や畑仕事、料理などが主に行なわれている。子 ども

はその中で、参加 ・不参加は自由であり、 自分の意志によって決めるのである。スタッフがよ

いと思って提案 したことも、子 ども全員にやる気がなければ却下されるのである。そして子 ど

もは、自分がしたいことに取 り組み、興味を示 した子どもだけが、スタッフと一緒に取 り組む

.・

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佛教大学大学院紀要 第30号(2002年3月)

のである。子 どものほとんどが、体験学習に参加する。社会見学や運動会には子 ども全員が参

加するのである。運動会においては、競技 に参加するかは子 どもの自由である。まった く競技

に出場 しない子 どもやまった く違うことをやっている子 どももいる。このように体験学習だけ

が子 どもの意志で決定 されているのではな く、学校でい う主要科 目(以 下勉強 と記す)に おい

ても、子 どもの意志に任されている。フリースクールは、学校的価値観 を否定しているので、

授業はしていないと思われていることが多い。 しか し、わく星学校だけでなくほとんどのブリ

ースクールでは、勉強をする時間は盛 り込まれているのである。学校を拒否 しているのではな

く、学校の教育体制に疑問をもっているのである。わ く星学校では、基礎学習という時間があ

り、子 どもに勉強する時間を提供 している。体験学習同様、子 どもの自主性に任せているので

ある。 しかし、子 どもが、机の前に座って勉強している姿をみかけることはほとんどなかった。

わく星学校の山下 さんは 「子どもに強制的にやらしても意味がない。子どもが自分でやる気に

なればいつで もできる。わ く星のこのような状況をみてやめさせ る親もいる」とあまり心配し

ていない感 じであった。子 どもに強制 しても、30分 ももたないというのが現実らしい。このよ

うに、子 どもが体験学習や遊ぶ ことには参加するが、勉強に対 しては拒否的な感じを受ける。

わく星学校にいる子 どもの多 くは、勉強嫌いで不登校になったのではない。子どもが勉強に取

り組まないのは、嫌いや邪魔 くさいという理由だけでな く、別にあると考えられる。子 どもが

学校で内在化 してきた、学校概念や矛盾が、子どもの勉強拒否行動の大 きな要因になっている

と感 じるのである。勉強できる環境を提供 しているにも関わらず、子 ども自身が行なわないこ

とは、子 どもにとって詰め込みの勉強というものは、大人が子 どもに押 しつけた価値であると

解釈できる。子 ども自身が、学校知や学校的価値観、大人の もつ概念 までも、価値のない もの

として捉えているのではないか。

・「大人が子どもの将来を考えて、必要であると思うことを子どもに押しつけているだけや」(15歳女)

・「学校で教えてもらうことや親が大切というものは、大人が勝手に決めたことであって、子どもが大切

やからやろうとしているのではない。子どものときに英会話に行ってたけど、それも親が将来役立つ

であろうと考えたことやろ」(16歳男)

・「学校の知識が将来役立つかどうかはわからない。数学や理科というものが大人になっていつ使うのか、

親が使っているのみたことないで」(15歳男)

このように子 どもの多 くが、学校や大人社会に対 して不満や矛盾をもっていることがわかる。

子どもにとって勉強や学校の価値観は、大人が 「子 どものため」 という、善意の押 しつけであ

るといえる。学校 と社会のニーズが合致 していた頃は、学校の価値観や学校 自体は肯定的に捉

えられていた。一昔前は、学校に行 くことは 「特権」であったのが 「権利」になり、「義務」へ

とかわり 「強制」 と変化するのである。その背景には、学校の大衆化があり、 これにより、学

・・

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フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之)

校に 「行 くこと」に意味があるのではなく、学校 に 「行かないこと」に問題があるという見方

に認識が変化 したのである。学校に 「行 くこと」が前提にあるので、学校に 「行かないこと」

は、「落第者」や 「異質者」というレッテルを貼られるのである。学校への強制は、価値観や学

校の意味においても、子 どもに内在化 してい6た のである。そして、学校は、社会システムの

一部 として認識されるだけではとどまらず、社会の変化の中で学校のもつ意味を強化 していっ

たのである。家庭や地域社会がもつ教育機能を独 占し、学校が与えるものだけが、教育的価値

観のあるもの として認識させた。学校知が正統化 ・規範化され、その知が学校制度序列 に対応

し、知の序列化が進行 したのである。これにより、学校に強く依存 し、教育の価値が集中 した

のである。家庭でも学校的概念が存在するようになった、フリースクールスタッフ交流で、親

の一人が家庭の 「学校化」について以下のように述べた。

「子どもが学校に通っていた頃 『きょうの宿題なに』、『テストはどうやった』というような会話しかし

てなかったと思う。子どもが大きくなればなるほど、その傾向にあったと思う。私自身が、子どもを

学校というフィルターを透してしかみることができなかった。」

点数や成績の向上などが、家庭での学校 に対する価値 となったのである。人間的な成長 とい

うことより、 目に見 える成績が親の中で一義的な価値になったのである。学校 という場所 は、

親にとって子 どもの勉強だけの場所 という認識が強くある。このため、子 どもは、家庭におい

ても学校の呪縛から解き放たれないのである。そして、親か ら伝達されてきた文化の価値は衰

退 し、学校信仰や家庭の学校化が浸透してきたのである。家庭が子 どものコントロールを緩め

る一方、学校に対する依存は高くな り、家庭内での学校的価値観は強 く残ったのである。子 ど

もが、教師だけでなく親か らも、学校的価値観を植え付け られるのである。学校 と家庭そして

社会が調和 していれば、学校の機能については紛糾されずに絶対化は強固なものになっていた

に違いない。

しかし、学校が社会のニーズに対応で きなくなってきている状況の中では、学校の価値観は

低下するのである。学校がもつ機能が多いがゆえに、社会変化に対応できなくなっているので

ある。このため学校は、社会にでて役立つ知識を教えることはできなくなっているのである。

このように学校の機能 を、塾や予備校、カルチャーセ ンターなどの機関に委託する状況になっ

ているにも関わらず、学校 に意味をもたそうとする大人に、子 どもは疑問や矛盾 を感じている

と考える。高度経済成長の中では、学校 と社会は連結 していたのである。 どのような学校を卒

業すれば、 どのような人生が保証されているのかという図式が明確に示 されていたのである。

しかし、バブル崩壊 と伴に、その図式 も崩壊 したのである。そのために、学校歴や学歴の価

値が低下し、価値のない学校に固執する大人の姿が異質に見えているのである。現代の子 ども

が将来よりも、今のことを大切にしているという現象は、子ども自身が、将来どのようになる

一100一

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佛教大学大学院紀要 第30号(2002年3月)

かは予測できない時代であることを感 じとっているのではないだろうか。モデルなき時代の到

来である。大人の中に長い間生き続けてきた学校的価値観が、今なお存在する以上、本当の子

どもの姿をみることはできないのである。子 どもが、学校 というものに拒否を示 していること

が、学校だけでなく、大人の価値観への拒否 と捉えることができるのではないだろうか。

②管理 と統制の学校

わ く星学校において、子 どもは自由というものを獲得するのである。自由は、「自分の好 き勝

手なことをする」のではなく、「他人に迷惑にならないこと」を前提 としている。そして子 ども

が、自由を実践するにあたって、責任 も付加 して くるのである。子 どもの一人が 「自由って難

しいで」 といっているように、 自由を実践することは容易なことではない。常に、何をするの

か、何をしなければならないのかを考えなければならない。行動ひとつひとつに責任が伴って

くるのである。責任 を考えて行動する子どもはいないのであるが、結果的にそのような状況に

なる。そ して、子 どもの話や態度、行動などを見ていると、子 どもが気軽にうち解けている感

じを受けたのである。わく星学校は、子どもの 「たまり場」や 「癒 しの場」という役割を果た

し、その中でフリースクールを実践 している。わく星学校に通 うことは、子 どもの自由であり、

子どもがほぼ毎 日来るということは、わ く星学校は子どもにとって楽しく、おもしろい場所で

あると考えられるのである。学校 を拒否 し、わく星学校を受け入れる背景に、学校が子 どもに

とってどのように映っているのであろうか。厳 しい現実社会であった頃は、学校 というものが

楽 しい場所であった。社会が豊かになるにつれ、学校 と社会の関係は逆転したのである。社会

や家庭が、子 どものコントロールを緩める一方、学校に対 しては、管理と統制を強化するよう

に期待 したのである。その期待 に応えようとすればするほど、子どもには管理 と統制の場所 と

して学校が映るのである。

・「小学校に入学して、周りの人にあわせるのがつらいし、違うことをする事は、みんなや友人関係に亀

裂が入りやすく非常に疲れたわ」(13歳女)

・「わく星は、好きなとき(自 分が何かしたいとき)に 好きなことが自由にできる。学校は、一日中机の

前に座ってなあかんし退屈や」(15歳男)

・「学校は、何をするにも疲れるわ」(15歳女)

このような会話から、子 どもにとって学校は、管理されている場であると感じているようで

ある。そして、教師が子どもを管理すればするほど、子どもは学校に対 して違和感をおぼえる

のである。教師が、多 くの子 どもを一人で監視、統率するために、子 どもをひとつの枠にはめ

ることで、効率よく物事を運ばせ るのである。このため、子 ども一人ひとりの個性は尊重 され

ることが少なく、「みんなと同じ」 という同調意識が強 く働 くのである。教師は、集団から逸脱

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フリースクールの類型化と問題点(藤 田 智之)

する子 どもを 「悪い子」 とい うレッテルを貼ることで、子 ども同志で も監視 させるのである。

現在の学校は、子 ども同志の監視が強いため、子 どもが安心できる場所を失っているのである。

子 どもは、「同じであること」を求めるあまり、本当の自分を表現できなくなっているのである。

自分ができることも、できないふ りをして周囲にあわせたり、権力のある人の意見に従い、少

数派にならないようにしているのである。『学校に行かない僕か ら学校に行かない君へ』8)の 中

で、同じように述べ られている。

「私は、学校で自分を表現できなくなってしまった。いじめって、人と違うところがあると集中攻撃さ

れたりするから、本当に怖 くて、いつもびくびくしてしまう。(中略)目 立たないように、おとなしく

するようになった。あれは、無意識のうちにやった自己防衛だったのかもしれない」

このように、子どもが疲れを感じたりス トレスがたまっていくという状況に陥っている。子

ども同志の監視が強 くなればなるほど、子 どもは、自分と違 う他人を演 じなければならないの

である。そして、この演 じることは、子どもの自己防衛にもなっている。学校が、子 どもの反

発 を力で押 さえた80年 代から、子どもの攻撃性は内部に向けられるようになったのである。表

面上は、従順で扱いやすい子 どもになったのであるが、常に子 どもの中には、内部に向けられ

た攻撃の矛先が、自分に向けられるのではないか という不安を抱えながら生活しているのであ

る。このため、他人と違う自分や目立つ自分はその標的になるのである。い じめや暴力の陰湿

化は、教師の監視や管理の強化 よりは、子ども同志の監視が強化されたことにあるのではない

か。つまり、子 どもが自由に行動しようとすれば、子 どもの問で締め付けや管理強制、排斥が

行われるのである。このような状況の申で、子どもが学校に登校することは、学校の価値 とい

うものが社会や親の中で存在 しているためである。学校に行かないことは、病気や異常者 とし

て片づけ られるからである。「学校があり、そして自分がいる」 という概念か ら 「自分がいて、

学校がある」 という転換が必要 となってくる。そ して、学校以外に多 くの子 どもが集合する場

所がないがゆえに、子 どもは学校に行かなければ、友達をつ くれないと思 うのである。学校が

監視統制の場所 として子どもに映るのは、子ども自身がその役割を担っているからである。そ

のために、子 どもにとって学校 という場所は楽しく、おもしろい場所ではなくなっているので

ある。

3.フ リース クールの類型化

フリースクールへの認識の高まりと不登校の増加は、連携 しあっていることが伺える。その

ため、不登校の多 くがフリースクールに通学していることから、「不登校の居場所 二フリースク

ール」 という認識が成立 しているといえるのではないだろうか。フリースクールに通学 してい

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佛教大学大学 院紀要 第30号(2002年3月)

る子 ど も全 てが 、 不 登 校 の 子 ど も とい う視 線 で 見 られ て い る こ と も事 実 で あ る。

しか しな が ら、 フ リ ー ス ク ー ル とい って も さ ま ざ ま な形 態 が存 在 す るの で あ るが 、 フ リー ス

クー ル とは どの よ う に定 義 され て い るの で あ ろ うか 。 『新 教 育 学 大 辞 典 』sに は 、① ア メ リ カの

公 立 無 償 の小 学校 ② ア メ リカ の フ リー ・ス ク ー ル 協 会 傘 下 の 人 道主 義 に基 づ く貧 困 の た め の

無 償 学 校 ③ 児 童 の 自 由 を尊 重 す る イ ギ リス の サ マ ー ヒ ル学 園 の よ うな 自由 学校 ④ オ ー プ ン

エ デ ュ ケ ー シ ョ ンの 行 われ て い る イ ギ リス 、 ア メ リ カの 学 校 ⑤ オ ル タナ テ ィ ブ ・ス ク ー ル と

明 記 され て い る。 また 、 『新 教 育 学 辞 典 』 や 『イ ミ ダス 』 にお い て も、 同様 の 意 味 が 示 され て い

る。

そ れ で は、 日本 にお け る フ リー ス クー ル と は、 一 体 ど の よ うな学 校 な の で あ ろ うか 。 イ ン タ

ー ネ ッ トの ホ ー ム ペ ー ジで、 「フ リー ス ク ー ル」 とい う用 語 を使 用 して い る ペ ー ジ の検 索 を行 な

い 、 日本 の フ リー ス クー ル の 実 態 を把 握 し、 類 型化 を行 な う。

こ こで は ・ ホ ー ム ペ ー ジ検 索 で 最 も利 用 され て い る 「YahooJapan」(以 下Yahoo)、 「goo」、

「InfoseekJapan」(以 下Infoseek)で 検 索 して い く。 カテ ゴ リー に 「フ リー ス クー ル 」 と入 力 し

て 検 索 を行 な っ た 。 結 果 、Yahooで は8790件 、gooで は3503件 、Infoseekで は2718件 が検 索 で き

た 。 そ の 中 で 、 ラ ン ダム に50件 を取 り出 した 。 索 結 果 は次 の通 りで あ る。

表2フ リースクールの検索結果

形 態

検索エンジン

情報関係外 国 の フ リー

ス ク ー ル 実践

不登校の居

場所

塾 ・予備校 ・

専門学校その他

Yahoo 15 6 17 6 6

900 22 4 14 6 4

Infoseek 16 6 8 12 8

このように、検索エンジンによってどのようなフリースクールが検索で きるかは異なって く

る。この結果か ら日本のフリースクールは、大きく3つ の型に分類することができるのではな

いであろうか。

まず、1点 目は学校に行けない不登校の子どもの居場所である。学校に行かない子 どもの交

流や学習としての場所である。ここでは、「癒し」や 「休憩」 といった役割が大きな要素を占め

ている。2点 目は外国のフリースクールを参考にし、独 自の教育活動を行なう学校である。サ

マーヒルやサ ドベ リーバ レー1°)などの学校 システムや教育の方法、理念を理解 し、それを日本

に導入する形式で行なわれている。学校教育とは異なる教育を提供 し、学校教育の批判 とも捉

えられるのである。3点 目は、塾や予備校といった ものである。近年、コンピュータの普及に伴

いパソコンの塾、専門学校がフリースクールという用語を使用していることが目立つ。

表3は 、 この3つ の関係をモデル化 したものである。「不登校の居場所」として創設したブリ

ースクールは、居場所 としての役割 と外国のフリースクールやオルタナティブな教育を実践 し

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フリースクールの類型化 と問題点(藤 田 智 之)

ているところが多 く存在する。このような学校は、学校中心ではなく、子ども中心 という理念

を掲げているところが多 く、外国のフリースクールの理念 と類似、一致する点が多い。そのた

め、はじめは 「不登校の居場所」であっても、外国のフリースクール理論や方法を取 り入れ、

自分たちの手で子 どもの教育を行なっているのである。学校 としては、無認可の民間施設であ

り、不登校の子どもをもつ、もっていた親が中心 となっているのである。

同様に、「外国のフリースクール教育の実践]も 不登校になった子 どもが多 く在籍することか

ら、不登校の居場所 とフリースクールの実践が両立しているところが多い。他方、「塾 ・予備

校 ・専門学校」は、学力重視の考え方が中心となり、「外国のフリースクールの実践」 とは、根

本的に内容やシステムが異なり相反するのである。

このように、大きく3つ に分類 したそれ らの関係は、個々バラバラではあ り、3つ の分類に

おける役割すべてが、重なることはないのである。異なった認識や対応、目的意識がなされる

か らである。このように役割が異なるにも関わらず、日本においては大 まかにこれ らすべてが

フリースクールとして認識されているのである。

表3日 本のフリースクールの類型化 と関係

不登校の居場所

外 国 の フ リー ス クー ル 塾 ・予備校 ・専門学校

4.概 念の混乱

上述したように、フリースクールの形態は多様化 しており、概念においては確立されていな

い。フリースクールは、子ども主体や教育内容の自由、結果責任 という特徴をもっている。子

どもの興味や関心、意欲に依拠 しているのである。現在、フリースクールとして認識されてい

る 「フリースクール」や 「フリースペース」、「居場所」の違いはとは何か。

日本において、さまざまな言葉が使用されてお り、欧米のフリースクールの実践を模倣 して

いるフリースクールから子 どもの居場所 まで幅が広 く、まとめることはできない。この点につ

いて、奥地圭子は以下のように論 じている。

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佛教大 学大学院紀 要 第30号(2002年3月)

居場所 ・フリースペース、 フリースクー ルの線 引 きは難 しい。 どんな場 もそれぞれ の考え方、や り方

が ある ため一 括 りに説 明で きない。2つ の流れ とも、昼 間、学校 のあ る時 間 に、学校 とは別 の場 に、

自由通い、 オルタナテ ィブな教育 活動があ り、 子 どもに強制す るの ではな く、子 ども主体 に考 えてい

きなが ら、子 どもとつ き合 う、あ るいは学 び成長する こ とをサポー トす る ところ、 として共通で ある。

そ して、居 場所 ・フリースペース ・フ リースクールの どの要素 も入ってお り、あ とはどう自称す るか、

どう社会が みているか による11)。

この よ う に、 フ リー ス クー ル、 フ リー ス ペ ー ス 、 居 場 所 とい う類 似 した形 態 を もつ もの で さ

え概 念 が しっか り確 立 され て い な い の で あ る。 奥 地 圭 子 が 論 じる に は、 社 会 や個 人 の 見 方 に よ

っ て 判 断 され る もの で あ る。 基 本 的 な 内 容 が 同 じで あ れ ば 、 あ と は そ の実 践 をみ た 本 人 の 認 識

に よ る とい う考 え方 も個 人 的 な判 断 に任 せ る と い う フ リー ス ク ー ル 実践 者 ら しい 回 答 で あ る 。

どの よ う に 自称 し て い る か を個 人 に任 せ る こ と は 、 フ リー ス ク ー ル に 興 味 や 関 心 が な い 人 は 、

言 葉 の イ メ ー ジ を 中心 と した 認 識 しか で き ない た め に誤 った 認 識 が な され る可 能 性 が 高 い 。

また 、 近 年 「フ リー ス クー ル」 とい う名 称 を使 用 す る塾 や サ ポ ー ト校 の増 加 に よ っ て、 概 念

の 混 乱 が 起 こ っ て い る 。 これ は、 一 種 の ネ ー ムバ リュ ー で ない か と考 え られ る。 あ る塾 の経 営

者 の 話 に よる と、 「フ リー ス クー ル と称 す こ とで、 親 の 信 頼 や うけ が い い」 とい うの で あ る 。概

念 が 確 立 され て い な い こ とか ら、 名称 の 乱 用 に よ っ て 本 当 に必 要 と して い る子 ど もや 親 に混 乱

を生 じ させ る の で あ る 。

こ う した背 景 に は 、1980年 代 か らの 子 ど も数 の減 少 や 少 子 化 傾 向 に よ り、 塾 産 業 の生 き残 り

の 対 策 が 混 乱 を招 い て い る と い え る 。 学 校 補 完 を主 と した 、 こ う した民 間 企 業 の 出現 は、 ブ リ

ー ス クー ル の信 用 まで も低 下 させ て い る の で あ る。 また 、1998年 に創 設 され た 「フ リ ー ス ク ー

ル 協 会 」 につ い て奥 地 圭 子 は、 そ の 内 容 に疑 問 を感 じて い る。 そ の著 作 の 中 で 、 フ リー ス ク ー

ル 協 会 の事 務 員 が 「不 登 校 の子 ど もが 一 人 で も い れ ば フ リース ク ー ル で あ る」 と論 じた こ とに

対 して 、 フ リー ス クー ル と は何 か とい う こ とを再 度 問 い か け て い る の で あ る。 同様 に、 『フ リー

ス クー ル ガ イ ド』 と称 す る書 物 まで 出 版 さ れ て お り、 矯 正 施 設 や相 談所 、 予 備 校 、 サ ポ ー ト校

な ど、 不 登 校 に関 す るす べ て の 機 関 を フ リース ク ー ル と一握 りに して い る の で あ る。

こ の よ うに 、 フ リー ス ク ー ル に お け る概 念 の 問 題 は、 フ リー ス ク ー ル の社 会 的認 識 を混 乱 さ

せ 、 必 要 と して い る子 ど もや 親 に も困 惑 させ て い る 状 況 に あ る 。子 ど も主 体 と した フ リー ス ク

ー ル 関係 者 の 問 で も、 こ の 問 題 は 大 き な課 題 で あ る とい う認識 が 強 い 。 しか しな が ら、早 急 に

問題 を解 決 す る糸 口 は見 つ か っ て い ない の が現 状 で あ る。 フ リー ス クー ル の実 践 を 長 く継 続 し

て い くこ とが ひ とつ の解 決 方 法 で あ る の か も しれ な い 。

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フ リースクールの類型 化 と問題 点(藤 田 智 之)

ま と め

学 校 に行 か ない 子 ど もか ら は、 学 校 が 息 苦 しい 場 所 で あ る と感 じて い る。 そ の反 面 、 フ リー

ス ク ー ル に お い て は、 自由 と 自主 性 とい う面 で は 、 子 ど もの興 味 や 関 心 にそ っ た学 習 が で き る

とい う利 点 が 挙 げ られ て い る 。 しか しな が ら、 子 ど も の興 味 、 関 心 だ けの 学 習 につ い て は 疑 問

が 残 る。 結 果 責 任 と い う面 に お い て も、 諸 外 国 の フ リ ー ス ク ー ル と は異 な り、 子 ど もや 実 践 者

の 中で も認 識 が 低 い感 じが して な らな い 。

ま た 、概 念 の 問題 と して は 、 日本 の フ リー ス クー ル は 、不 登 校 との 関係 が 密 接 に結 び つ い て

お り、 特 別 な子 ども が行 く学 校 とい う認識 が い まだ に強 い 。 現 在 の フ リ ー ス ク ー ル は 、 不 登 校

の 居 場 所 、 外 国 の フ リー ス クー ル の 実践 、塾 や 予 備 校 とい っ た もの に大 き く分 類 す る こ とが で

き るが 、 内容 や実 態 は多 種 多 様 で あ り、 フ リー ス クー ル とい う概 念 が確 立 して い な い の で あ る。

こ の よ うに 、 多 種 多 様 な 形 態 の フ リー ス クー ルの 存 在 が 、概 念 や 認 識 の混 乱 を招 い て い る の で

あ る 。 フ リー ス ク ー ル の あ り方 や 実 践 の 経験 を積 み 、 フ リー ス クー ル の教 育 が 子 ど も に どの よ

う な影 響 を もた らす の か を社 会 に示 して い か なけ れ ば な ら ない の で は ない か 。

[注]

1)文 部科 学省 のホームページ よりhttp:〃www.mext.gojplb _menu/toukei/

2)藤 田英 典 『教育 改革』岩波書店,1997

3)1985年 に不登校 の親 が中心 となって創 設 され たフリース クール。現在 東京 と王子 に2つ の校舎 をも

っている。

4)1992年 、和歌 山の橋本市 に設立 された。 イギ リスのサマー ヒルに実践の影響 を受 けた堀 真一郎 を中

心 に創 設 された。学校 の認可 を取 っている フリース クールであ る。

5)名 古 屋市天 白区にあ り、1986年 に開校。 「名古屋 に自由な学校 をつ くる会」 を中心 に創設 された。ア

メ リカの フリース クールか ら学 んでい る。

6)1988年 、大阪に開校 。西山知洋がサマー ヒルの学習方法 を取 り入れ実践。2000年3月 閉校予定。

7)1990年 、山下敬子 が京都 市左京 区に創 設 したフ リース クー ル。 ア メリカの フ リース クー ルの実践 に

影響 を受け実践 してい る。

8)東 京 シ ュー レ編 「東 京 シ ュー レ」 の子 ど もた ち 『学校 に行 か ない僕 か ら学校 に行 か ない 君へ 』

教 育史料出版会,1991

9)『 新教 育学事典』第6巻 第一法規、1990年 、126頁

10)1986年 ア メリカのマサチ ューセ ッツ州 に開校。4歳 か ら19歳 までの子 ど もを受 け入れて いる。寄宿

制の学校ではな く通学制であ る。

ll)東 京 シュー レ編 『フリース クー ルとはなにか』教育史料 出版会,2000年 、25頁

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佛教大学大学院紀要 第30号(2002年3月)

[参考 文 献]

藤田英典 『教育改革』岩波書店,1997

東京シュー レ編 『フリース クール とはなにか』教育史料 出版会,2000年

東京 シュー レ編 「東京 シュー レ」の子 ど もたち 『学校 に行か ない僕 か ら学校 に行 かない君へ』教育 史

料出版会,1991

イヴ ァンイ リッチ/東洋,小 澤周三訳 『脱学校 の社会』東京創元社,1961

ダニエル ・グ リー ンバーグ/大 沼安史 訳 『[超]学 校』一光社,1996

堀真 一郎 『ニイル と自由の子 どもたち』黎 明選書,1984

(ふ じた と もゆ き 教 育 学 研 究 科 生 涯 教 育 専 攻 博 士 課 程)

(指導 教 授:田 中 圭 治 郎 教 授)

2001年10月17日 受 理

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