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Моя жизнь во Владивостоке 情報文化学科 2 田部美加子 私たちは 2014 8 27 日から 12 23 日までの約 4 か月間、ウラジオストク国立経済 サービス大学(ВГУЭС)でロシア語を学んできました。今年度は例年よりもかなり多い 18 人で留学してきました。留学する前は、長期間親元を離れ、言葉の通じない異国へ行くこ とにとても不安を感じていました。しかし、留学中はホームシックになることもなく、充 実した留学生活を送ることができました。初めは迷っていましたが、本当に行ってよかっ たと思っています。 ≪寮での生活≫ 私たちの寮の部屋は、みな 2 人部屋で、部屋にはベッドと机 2 人分、トイレとシャワーも各部屋にありました。しかし当 初、シャワーは水しか出なかったため、学校内のスポーツセン ターのシャワー室まで、坂道を歩いて通っていました。 また、はじめは寮で Wi-Fi が使えませんでした。後に学生証 を作ってもらい、大学の Wi-Fi が寮でも使えるようになりまし たが、それまでの約 1 か月間は大学のフリーWi-Fi が使えるス ペースでみんな日本と連絡を取ったり、インターネットを使っ たりしていました。その Wi-Fi も途中で使えなくなったりして 大変でした。 キッチンは共同でしたが、ほとんど私たち日本人しか使っていませんでした。しかし、 18 人という大人数だったのに加え、使えるコンロに限りがあったため、当初は調理にとて も時間がかかってしまいました。それでも夕飯はほぼ毎日自炊をしていたため、だんだん 手際もよくなり、時間の使い方も上手くなっていったと思います。 食料は、ほとんどルームメイトと折半して購入していました。歩いて行ける距離にスー パーが 2 軒ほどあったので、週 23 回ほど買い物に出ていました。冬になると買い物も大 変になるので、買い溜めをしたり、寮の売店で飲み物や軽食を買ったりしました。 寮での生活で一番困惑したのは、ゴキブリが出たことです。私たちの部屋は他の部屋に 比べて特にたくさんゴキブリが出ました。毎日姿を見るので慣れましたが、初めはどこに いるのかハラハラしていました。日本から殺虫剤を持っていけばよかったかなと思いまし た。 ≪学校生活≫ 今年度は人数が多かったため、1 限目の音楽、美術、地理、歴史以外は 3 つのクラスに分 かれて授業を受けました。私たちのクラスは中国人が 5 人、韓国人が1人、ベトナム人が 1 人、それに私たち日本人 6 人の合計 13 人編成でした。時間割は 1 コマ 90 分の授業がたい てい 3 限までありました。1限は 8 時半から始まるため、朝起きるのが大変でしたが、た いてい授業は 1 20 分に終わるのでその後は自由に過ごすことができました。授業の合間

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Моя жизнь во Владивостоке 情報文化学科 2年 田部美加子

私たちは 2014年 8月 27日から 12月 23日までの約 4か月間、ウラジオストク国立経済サービス大学(ВГУЭС)でロシア語を学んできました。今年度は例年よりもかなり多い 18人で留学してきました。留学する前は、長期間親元を離れ、言葉の通じない異国へ行くこ

とにとても不安を感じていました。しかし、留学中はホームシックになることもなく、充

実した留学生活を送ることができました。初めは迷っていましたが、本当に行ってよかっ

たと思っています。

≪寮での生活≫ 私たちの寮の部屋は、みな 2人部屋で、部屋にはベッドと机が 2人分、トイレとシャワーも各部屋にありました。しかし当初、シャワーは水しか出なかったため、学校内のスポーツセン

ターのシャワー室まで、坂道を歩いて通っていました。 また、はじめは寮でWi-Fiが使えませんでした。後に学生証を作ってもらい、大学のWi-Fiが寮でも使えるようになりましたが、それまでの約 1か月間は大学のフリーWi-Fiが使えるスペースでみんな日本と連絡を取ったり、インターネットを使っ

たりしていました。そのWi-Fiも途中で使えなくなったりして大変でした。 キッチンは共同でしたが、ほとんど私たち日本人しか使っていませんでした。しかし、

18 人という大人数だったのに加え、使えるコンロに限りがあったため、当初は調理にとても時間がかかってしまいました。それでも夕飯はほぼ毎日自炊をしていたため、だんだん

手際もよくなり、時間の使い方も上手くなっていったと思います。 食料は、ほとんどルームメイトと折半して購入していました。歩いて行ける距離にスー

パーが 2軒ほどあったので、週 2~3回ほど買い物に出ていました。冬になると買い物も大変になるので、買い溜めをしたり、寮の売店で飲み物や軽食を買ったりしました。 寮での生活で一番困惑したのは、ゴキブリが出たことです。私たちの部屋は他の部屋に

比べて特にたくさんゴキブリが出ました。毎日姿を見るので慣れましたが、初めはどこに

いるのかハラハラしていました。日本から殺虫剤を持っていけばよかったかなと思いまし

た。 ≪学校生活≫ 今年度は人数が多かったため、1限目の音楽、美術、地理、歴史以外は 3つのクラスに分かれて授業を受けました。私たちのクラスは中国人が 5人、韓国人が1人、ベトナム人が 1人、それに私たち日本人 6人の合計 13人編成でした。時間割は 1コマ 90分の授業がたいてい 3 限までありました。1限は 8 時半から始まるため、朝起きるのが大変でしたが、たいてい授業は 1時 20分に終わるのでその後は自由に過ごすことができました。授業の合間

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は 10 分間の休憩があり、この間に間食をしたり、他の教室へ移動したりします。お昼休みと

いうものがないため、補講などで午後まで授業

があるときはお腹がすいて大変でした。そのた

め、クッキーや飲み物などは毎日授業に持って

行ったほうがいいと思います。 ロシア語の授業は、日常会話、文法、リスニ

ング、リーディングと科目が分かれていました。

初めの頃はわからない単語も多く、先生の話を

理解できず、とても苦労しました。知らない単語をひたすら辞書で引くだけで精一杯にな

っていましたが、だんだんと授業の理解度も増して、1か月半くらいで先生の話は大体理解できるようになり、成長を感じました。授業の内容は主に先生や生徒同士でコミュニケー

ションをとったりしながら進んでいくので、とても楽しかったです。科目ごとにほぼ毎日

宿題がでていましたが、毎日勉強する習慣が身に付いたし、それほど苦に感じませんでし

た。 お昼ご飯は、学校の食堂で食べたり、外にある屋台で買って寮で食べたり、学校の向か

いにあるカフェで食べたりしていました。その中でも屋台が一番安く済むので、屋台で買

うことが多かったです。屋台のメニューは結構豊富で、毎日通っても飽きませんでした。

私が特に好きだったのは、ハチャプーリ(ベーコンやチーズが入ったパイ)とプローフ(お

米の上にお肉や野菜がのった料理)です。 ≪交流≫ 9 月下旬にロシア人の学生たちとの交流会があり、そこで知り合ったロシア人の女の子たちと何度か遊びに出かけま

した。1 回目は、クラスのメンバー数人とロシア人で街を散歩したり、スケートをして遊んだりしました。その後は、

Facebook を通して連絡をとり、カフェでおしゃべりをしたり、ボーリングをしたりしました。ずっと年上かと思ってい

たのにみんな年下だと判明したときはとても驚きました。ロ

シア人は全体的に実年齢よりも大人っぽいと感じます。逆に、

私は 14 歳くらいに見えると言われてしまいました。私たちが知り合ったロシア人の女の子たちは、みんなとても優しくて面白くて、一緒に過ごす時

間はとても楽しかったです。 また、同じ寮に住む日本人の先生の生徒のロシア人の女の子とも交流する機会があり、

仲良くなりました。その子は日本語を勉強しているため、ほとんど日本語で会話ができま

した。その子とは、折り紙を教えたり、映画を観に行ったりしました。ロシア語版のベイ

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マックスは所々わかる程度でしたが、とても面白かったです。 ≪ウラジオストク≫ ウラジオストクの街はヨーロッパ調の建物が多く、とても

おしゃれで美しいです。さらに、おしゃれなカフェがたくさ

んあってカフェを巡るのも楽しかったです。また、坂が多く

初めは歩くのに疲れて大変でした。歩きなれた靴や、スニー

カーを持っていくといいでしょう。 私は週末になるとバスを利用してよく中心部に遊びに行っ

ていました。ウラジオストクのバスはどこで降りても均一の

18 ルーブル(40 円程度)なのでわかり易いです。私は買い物が好きなので、様々なお店を回って、おしゃれな服や、雑

貨などを見るのもとても楽しかったです。また、中心部には市場が開かれるので、そこで

野菜や果物を買ったりしました。市場では店員さんに直接値段を聞いたり、会話をしたり

するので、ロシア語の練習になったと思います。 ウラジオストクのスーパーなどの店員さんはほとんどの人が無表情で、大きいお金を出

すと小銭は無いのかと聞いてきたり、急かされたりしたので初めは怖かったです。しかし、

段々慣れてきて、帰るころには素早くレジを通れるようになりました。 ウラジオストクは海に囲まれており、中心部から少し歩くと海岸に出ることができます。

海岸には屋台などが並んでいて、いつも多くの人で賑わっていました。また海岸の近くに、

屋外遊園地があり、観覧車や様々なアトラクションを楽しむことができました。 また、ウラジオストクには野良猫や野良犬がたくさんいました。大学の敷地内にもたく

さんの猫がいて、猫好きの私には天国でした。 私が街で一番戸惑ったのはトイレでした。ウラジオストクでは、トイレットペーパーを

流さず、横のゴミ箱に捨てなければなりません。(何度か間違えて流してしまいましたが、

大丈夫でした)さらに、日本のトイレのようにきれいで清潔なトイレはほとんど無いので、

初めは結構きつかったです。でも稀におしゃれなカフェのトイレがきれいだとテンション

が上がりました。 食べ物に関しては、どの料理もとても美味しかったです。特に私が好きだったのは、ボ

ルシチとブリヌイ(薄いパンケーキのようなもの)とピャンセ(大きい餃子のようなもの)

です。また、シナボンというカフェのシナモンロールが大きくてとても美味しかったので、

何度も通っていました。また、街に日本料理を扱ったカフェもあり、雰囲気がとても可愛

かったので、そこにもたまに行っていました。ほとんどが本物の日本料理とは程遠いもの

だったので、メニューを見ているだけで楽しかったです。

≪イベント≫

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イベントとしては、コンサート、遠足、水

族館、博物館、帆船の見学などに行きました。 一番初めに行ったコンサートは、参加型の

コンサートでロシアの民族衣装を着たロシア

人の人たちと屋外で、輪になって一緒に踊っ

たり、歌を歌ったりしました。とても気さく

な人ばかりで、すごく楽しかったです。終わ

ったあと、ボルシチとパンをごちそうになり

ました。その他にもコンサートをたくさん観

に行きました。ロシアの伝統的な音楽や民族

衣装にふれることができて、とても新鮮でし

た。子供たちの踊りはとても可愛くて癒されました。 私たちも音楽の授業で習った歌と ложки(スプーンを 2つ合わせて叩く楽器)を使ってコンサートに出ました。私は歌詞を覚えるのがとにかく大変でした。それでも、歌詞の意

味を調べ、工夫しながら覚えるのは結構楽しかったです。 それと私が唯一心残りなのは、本場のバレエを観に行けなかったことです。ロシアのバ

レエ劇場は 12月から開演するそうですが、日程が合わず結局行くことができませんでした。次にロシアを訪れることがあれば、絶対にバレエを観に行きたいと思います。 ≪留学準備≫ 私は今回の留学が初めての海外だったので、パスポートの取得手やビザの申請など、留

学準備が大変でした。また、荷造りにもかなり時間がかかりました。スーツケースの重量

制限が 20kgまでと聞いていたので、なるべく 20kgに収まるように努力しましたが、結局27kgになってしまい、超過料金を取られてしましました。シャンプー・リンス・ボディソープなどはロシアでも買えるので、こだわりがない限り、持っていかなくてもいいかもし

れません。また、ブーツやコートも比較的安く購入できるお店もあるので、ロシアで購入

するのもおすすめです。

≪最後に≫ 留学を決めてからは、4か月間やっていけるのかと不安ばかりでしたが、今は本当に行ってよかったという思いしかありません。初めこそ、慣れない生活環境に戸惑っていました

が、留学後半になるにつれてもっと居たい、帰りたくないという思いが強くなりました。

こんな風に感じられるほど充実した留学生活を送ることができたのは、ロシアで支えてく

ださった先生方やクラスメイト、一緒に留学した友人たち、他にもたくさんの人の支えが

あったからだと痛感しています。本当にありがとうございました。 この留学生活で得た貴重な経験を無駄にしないよう、これからも精進していきたいと思

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います。