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6 2011年(平成23年)3月1。。(木)亀3版 「70~80年代に融資」 ′ヾルルスコ-二 伊首相 リーメーソン フリーメーソンとベルルスコ⊥畜相の関係 を語る、イタリアのフリーメーソン団体「グ ランデ・オリ工ンテ・デモクラティコ」のジ ヨ工レ・マガルディ代表=ローマで藤原撮影 現地代表証言 【ローマ藤原章生】中世の英国 を起源とする「友愛団体」、フリ ーメーソンがイタリアで組織す る「グランデ・オリエンテ・デ モクラティコ」のジョエレ・マ ガルディ代表(39)がこのほど取 材に応じ、ベルルスコーニ・イ タリア首相が地方の建設業者か らメディア王にのしあがった70 う80年代にかけ、「(フリーメー ソンの秘密結社会員である)ミ ラノの銀行頭取や幹部が200 0億㌔(約12ノ0億円)をベルル スコーニ氏に有利な条件で融資 した」と証言。首相が当時、フリ ーメーソン関係者から支援を受 けたとの情報を明らかにした。 首相がメディア王になった経 緯は謎も多く、その一端を示す 証言として注目される。 マガルディ代表は「ベルルス コーニ氏は68年、スイスの複数 の銀行から融資を受け傘下の建 設会社を率い、ミラノ郊外の住 宅開発『ミラノ2』を手掛けた。 ベルルスコーニ氏がフリーメー ソンに接近したのはこのころ」 と話す。当時、フリーメーソン の秘密結社P(プロパガンダ) 2があった。「P2のジェッリ代 表(当時)は『ベルルスコーニ氏 は74年には会員だった』と証言 している」という。 「ミラノ2」の住宅販売はう まくいかずベルルスコーニ氏は 一時、破産寸前に陥った。代表 は「アンドレオッティ元首相の 側近でP2会員のデ・ロレンツ オ医療協会会長と、他の会員が 率いる政府系や民間の財団が 『ミラノ2』を買い享見た」と 述べたうえで、ミラノの銀行幹 部による巨額融資の情報を明ら かにした。 なぜベルルスコーニ氏を支援 したのか。代表は「ジェッリ代 表らP2幹部が78〜80年にかけ 『民主的復興計画』と称し、自 らの利益のため(当時イタリア になかった)複数の民放局を築 こうとしたためだ。中堅紙ジョ ルナレ紙の株取得などでメディ アに参入していたベルルスコー ニ氏を『トロイの木馬』 (敵陣 に入り込む秘密兵器)にする企 てだった」と話す。ところが81 年にP2の存在が発覚し、ジェ ッリ代表はスイスに逃亡し組織 は解散。当時の首相ら閣僚が辞 任するスキャンダル「P2事件」 に発展すると、「(ベルルスコー ニ氏は)身辺整理し、自分に司法 (の手)が及ばないよう防御に回 り、以後はフリーメーソンの主 力団体グランデ・オリエンテ・ ディタリアに属する穏健な会員 に近づき、80年代、民放局の独占 体制を築いた」と代表は話す。 81年3月、司法当局が北部で 押収したP2の会員名簿に「会 員番号18「16」としてベルル スコーニ氏の名があった。だが ベルルスコーニ氏は結社との関 係を明らかにせず、P2に関す る議会調査委員会の文書も非公 開のため、その活動の詳細は明 かされていない。

2011年(平成23年)3月1。。(木)亀3版 田 6 リーメーソン …pweb.cc.sophia.ac.jp/s-yuga/file/Italy_asahi110310.pdf2011年(平成23年)3月1。。(木)亀3版

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62011年(平成23年)3月1。。(木)亀3版 田

「70~80年代に融資」

′ヾルルスコ-二

伊首相

リーメーソンが支援

フリーメーソンとベルルスコ⊥畜相の関係

を語る、イタリアのフリーメーソン団体「グ

ランデ・オリ工ンテ・デモクラティコ」のジ

ヨ工レ・マガルディ代表=ローマで藤原撮影

現地代表証言

【ローマ藤原章生】中世の英国

を起源とする「友愛団体」、フリ

ーメーソンがイタリアで組織す

る「グランデ・オリエンテ・デ

モクラティコ」のジョエレ・マ

ガルディ代表(39)がこのほど取

材に応じ、ベルルスコーニ・イ

タリア首相が地方の建設業者か

らメディア王にのしあがった70

う80年代にかけ、「(フリーメー

ソンの秘密結社会員である)ミ

ラノの銀行頭取や幹部が200

0億㌔(約12ノ0億円)をベルル

スコーニ氏に有利な条件で融資

した」と証言。首相が当時、フリ

ーメーソン関係者から支援を受

けたとの情報を明らかにした。

首相がメディア王になった経

緯は謎も多く、その一端を示す

証言として注目される。

マガルディ代表は「ベルルス

コーニ氏は68年、スイスの複数

の銀行から融資を受け傘下の建

設会社を率い、ミラノ郊外の住

宅開発『ミラノ2』を手掛けた。

ベルルスコーニ氏がフリーメー

ソンに接近したのはこのころ」

と話す。当時、フリーメーソン

の秘密結社P(プロパガンダ)

2があった。「P2のジェッリ代

表(当時)は『ベルルスコーニ氏

は74年には会員だった』と証言

している」という。

「ミラノ2」の住宅販売はう

まくいかずベルルスコーニ氏は

一時、破産寸前に陥った。代表

は「アンドレオッティ元首相の

側近でP2会員のデ・ロレンツ

オ医療協会会長と、他の会員が

率いる政府系や民間の財団が

『ミラノ2』を買い享見た」と

述べたうえで、ミラノの銀行幹

部による巨額融資の情報を明ら

かにした。

なぜベルルスコーニ氏を支援

したのか。代表は「ジェッリ代

表らP2幹部が78~80年にかけ

『民主的復興計画』と称し、自

らの利益のため(当時イタリア

になかった)複数の民放局を築

こうとしたためだ。中堅紙ジョ

ルナレ紙の株取得などでメディ

アに参入していたベルルスコー

ニ氏を『トロイの木馬』 (敵陣

に入り込む秘密兵器)にする企

てだった」と話す。ところが81

年にP2の存在が発覚し、ジェ

ッリ代表はスイスに逃亡し組織

は解散。当時の首相ら閣僚が辞

任するスキャンダル「P2事件」

に発展すると、「(ベルルスコー

ニ氏は)身辺整理し、自分に司法

(の手)が及ばないよう防御に回

り、以後はフリーメーソンの主

力団体グランデ・オリエンテ・

ディタリアに属する穏健な会員

に近づき、80年代、民放局の独占

体制を築いた」と代表は話す。

81年3月、司法当局が北部で

押収したP2の会員名簿に「会

員番号18「16」としてベルル

スコーニ氏の名があった。だが

ベルルスコーニ氏は結社との関

係を明らかにせず、P2に関す

る議会調査委員会の文書も非公

開のため、その活動の詳細は明

かされていない。