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京都教育大学紀要 No.113, 2008 101 学校組織構造のメタファー 榊原 禎宏 Metaphor on Organisation Structure of School Yoshihiro SAKAKIBARA Accepted July 2, 2008 抄録 : 本稿は,学校組織構造をめぐる従来の議論が,上と下,縦と横という隠喩のモデルに依拠し「上意下達」 「同僚性の阻害」等の素朴なイメージから抜け出せないために,職務,職位,スタッフの関係を双方向から問うよ うに進まなかったことを明らかにした。そして,学校において職務対象の分割が困難であり,また職務遂行を取 り巻く環境の不確実性が高いことから,経営過程においては業務ではなくスタッフこそが動くべき変数であるこ とを論じた。さいごに,こうした学校組織構造をより喩えうるモデルとして「中心-周辺型」モデルを挙げ,上 下ではなく円環のネットワークとして学校における仕事の分割と集約,個業と協働を捉えることができるのでは ないかと仮提示を行った。 索引語 : 学校,組織構造,「中心-周辺型」モデル,ネットワーク,メタファー Abstract : The purpose of this paper is to rediscuss the characteristics of the organisational structure of schools, from the point of view of the metaphor which we have used of a “flat organisation”, that is so to say a “lid of a pan” or “pyramid organisation” for a long time. Through an examination of difficulty for division of school work and uncertainty of circumstances around school, we could comprehend that not school work, but school staff should move in school performance. As a tentative conclusion it is proposed that school organisations should be described by a “centre-fringe” model in one metaphor. Key Words : school, organisation structure, “center-fringe” model, network, metaphor 1.問題の所在 (1)教育研究とメタファー 教育を対象にする研究は,二つの特性を抱えている。その一つは,教育の営みが総じて可視的でな く曖昧なために捉えにくく,また捉え方によって見え方にかなりの幅があるために,観察する対象よ りもむしろ観察する主体のありようが注目されがちだという点である。よって,教育現象それ自体よ

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京都教育大学紀要  No.113, 2008 101

学校組織構造のメタファー

榊原 禎宏

Metaphor on Organisation Structure of School

Yoshihiro SAKAKIBARA

Accepted July 2, 2008

抄録 : 本稿は,学校組織構造をめぐる従来の議論が,上と下,縦と横という隠喩のモデルに依拠し「上意下達」

「同僚性の阻害」等の素朴なイメージから抜け出せないために,職務,職位,スタッフの関係を双方向から問うよ

うに進まなかったことを明らかにした。そして,学校において職務対象の分割が困難であり,また職務遂行を取

り巻く環境の不確実性が高いことから,経営過程においては業務ではなくスタッフこそが動くべき変数であるこ

とを論じた。さいごに,こうした学校組織構造をより喩えうるモデルとして「中心-周辺型」モデルを挙げ,上

下ではなく円環のネットワークとして学校における仕事の分割と集約,個業と協働を捉えることができるのでは

ないかと仮提示を行った。

索引語 : 学校,組織構造,「中心-周辺型」モデル,ネットワーク,メタファー

Abstract : The purpose of this paper is to rediscuss the characteristics of the organisational structure of schools, from the point of

view of the metaphor which we have used of a “flat organisation”, that is so to say a “lid of a pan” or “pyramid organisation” for

a long time. Through an examination of difficulty for division of school work and uncertainty of circumstances around school,

we could comprehend that not school work, but school staff should move in school performance. As a tentative conclusion it is

proposed that school organisations should be described by a “centre-fringe” model in one metaphor.

Key Words : school, organisation structure, “center-fringe” model, network, metaphor

1.問題の所在

(1)教育研究とメタファー

教育を対象にする研究は,二つの特性を抱えている。その一つは,教育の営みが総じて可視的でな

く曖昧なために捉えにくく,また捉え方によって見え方にかなりの幅があるために,観察する対象よ

りもむしろ観察する主体のありようが注目されがちだという点である。よって,教育現象それ自体よ

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りも教育を論じる人物やその議論を対象とする,メタ認知的な性格が強い。

もう一つは,教育の結果や成果は被教育者や学習者のあり方によって捉えられるが,教育と学習の

両者の関係は必ずしも一元的対応になっていないという点である。つまり,上手に教えたからよく学

べるとは限らず,また教え方が下手だからまったく学べないということもない。いずれも主体的な営

みであるために一方だけの意図が貫徹することはなく,また必ず順接するという訳でもない。それゆ

えに一連の行為は再現性が乏しく,教育を計画・実施・評価する際の技術を客観的に取り出すことは

難しい。

これらから,教育の研究は観察した結果について議論するというよりも,観察する主体による語り

を対象とする傾向を帯びる。また,再現されにくい事象を扱うことから,事象をめぐる言説の生成,消

費そして消滅が繰り返されることになる。ここに,喩えが生まれるのである。

喩え,とりわけ隠喩(metaphor)は,言葉が現実から生まれたという経緯を忘れさせ,あたかもその

言葉が現実を体現しているかのような感覚に陥らせる効果を持っている。「学校評価と教職員評価は

『車の両輪』と考えるべき」(注 1),あるいは「校長は,その要諦となるべき堅固な主エンジンとして存

在しなければならない。そして,強力な補助エンジンとしてのシステム作りが,改革の成果を得るた

めの絶対条件」(注 2)といった表現は,実態として捉えにくい概念と概念との間を関係づけると同時に,

ひとたび確定されるとそれ以上の思考を停止させ,言葉を一人歩きさせる可能性を持っている。

(2)学校経営研究における実態-モデル関係

学校経営論においても,学校の実態と相対的に区別して実態認識が問われるのは,以上の理由から

である。そして,実態認識はあるモデルとして命名されることで,たとえそれが実際と離れていたと

しても,頻繁に引用されることによって普遍性を持ちうる。

学校は,校種,規模,児童・生徒の特性,教職員構成,学区地域や住民あるいは同窓会ほか関係者

の意向など,極めて多種の変数から構成され,影響を受けているので,一様に捉えることが容易では

ない(注 3)。学校についての議論が論者の経験値をなかなか出られず,また実践的方略を他の学校に転

用することが困難なのは,似通った学校を見つけるのが難しいためでもある。それゆえに,おそらく

は教育学研究全般と同じように,学校研究も実態より理念についての語りが先行し,「あるべき」論が

常に台頭する分野にもなっている。

その一方,連綿と続く「教育改革」論は学校を大きな焦点にしており,教育政策の方向や具体的な

教育行財政の諸方策が,ある学校把握にもとづいて打ち出されている。その予算規模をはじめ社会的

影響は膨大であり,看過できない。施策は実態を踏まえて立論されるべきだが,まず実態把握の方法

が定立されておらず,また実態把握にあたって観察主体のありようが大きく影響する(注 4)ので,議

論はどうしてもある理念的モデルに拠って進められざるを得ない。だからこそ,その言説における喩

えを問い直し,その説明の有効性を検討することが重要になる。

本稿はこうした問題設定から,学校経営研究の基本テーマである学校の組織構造に関する議論を対

象に,喩えとして今なお用いられているモデルをまず確かめ,次に学校組織構造の特性を改めて検討

し,そして異なる観点からこれを捉えるための新たなモデルを提起しようとするものである。

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2.従来の議論の到達点

(1)重層-単層構造論争

学校組織構造をどのように捉えるか,この議論の端緒はおよそ 40 年前に遡る。半世紀近くも前から,

はたして学校は逆 T 字型とも言われる「なべぶた型」組織かそれとも「ピラミッド型」あるいは「ツ

リー(樹形)型」とも呼ばれる官僚的な階層性の強い組織かという,「上」「下」の存在とその差に注

目した喩えに拠った議論が行われてきたのである。

それは,1960 年代半ばから後半に展開された伊藤和衛と宗像誠也の間での重層-単層構造論争に見

出すことができるが,この議論はすでに整理されており(1),この論争の意味についておおよその評価

が確定している。

ここではさらにメタファーの観点から,この議論での語りに注目し,それが認識上どのように影響

しているのかについて確かめたい。

まず,論争の火付け役となってしまった伊藤は次のように述べる。

「われわれの学校経営は現代を云々する前に一回テイラーの科学的管理の精神にさかのぼるべきで

ある。アメリカにおける経営管理の創始者といわれるテイラーの合理的方法を学校経営のなかに摂取

すべきである。テイラリズムこそ経営近代化の精神となっている。」「この近代化は経営の現代化に通

ずるものであり,逆に経営の現代化とはテイラー的精神を基盤として開花しているのである。したがっ

て,学校経営の近代化とはその現代化へと発展し結実するところのモダニゼーションなのであり,学

校経営をいっそうモダナイズしていくことを念願する。」(2)

これに対して,激しく論難を加えたのが宗像であった。

「学校重層構造論は,アメリカの企業経営学の所論の一部を, も機械的かつ拙劣に日本の学校に適

用しようとするものである。そのいうところによれば,およそ企業ないし組織体の場合,そこには必

ず経営層・管理層・作業層の別があるが,これを学校に当てはめれば,校長(教頭も?)が経営層で

あり,各種主任が管理層であり,何の主任でもない平教員が作業層である,ということになる。作業

層はまず管理層から,ついで経営層から,重層的に監督されなければならない,というのである。こ

れはいろいろの組織体のなかにおける学校という組織体の独特な性格に全く盲目な,理論的には取る

に足らない主張であるが,権力がその利用価値を認めているので,本来ならば生まれも育ちも全然違

う特別権力関係論と癒着して,学校に上命下服の官僚制の金串を刺し通すのに小さくない役割を果た

している。」(3)

この語りは,学校経営の近代化とそれに続く現代化が課題とされるなかで,学校組織の合理化や民

主化を図るべきと述べる伊藤説に対して,宗像説は組織が階層化されることで権限上の強弱関係がも

たらされ,それは非民主的という点で問題だとする批判になっている。このことは,「選挙による役付

の決定こそ,単層構造の組織原理にほかならない」(4)という指摘を合わせ考えれば,より明らかである。

学校を単層構造と捉える立場においては,職員が対等平等なこと,お互いが選び選ばれること,そ

れぞれが自由に主張できること,というイメージが持たれている。このため学校が重層構造と見なさ

れ,あるいはそのように変容させられたときには,平等な同僚関係が破壊され,監督・管理された不

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平等な関係へ,さらには「物言わぬ教師」に至るという危機感が抱かれたのだろう。東西冷戦あるい

は「政治の季節」といった当時の時代状況が大きな影響を及ぼしていたとはいえ,かくも「べき論」が

全面に出るほどに,メタファーによるイメージの生成とこれに基づく激しい議論が交わされていたの

である。

組織が単層的で上下関係があまりない,よってほとんど皆が平等である,これは「民主教育」を担

う組織として望ましい,といったイメージが先行し,それが学校における教育としてどのように効果

的なのか,といった点は議論の視野に入ることがなかった。複数の人間が関わって働くことによって,

一人では困難な事業をいかに実現できるか,そのために組織をいかに構成するのがよいかといった経

営学的な吟味にはまったく至っていない。

また,重層構造論の立場を取る側においては,学校内部の構造を重層化することによってどのよう

な業務の分業-協業を導くことになるのか,そして,これが教育-学習行為を核とする学校組織とし

ていかに望ましいことなのか,といった問題を考察していたか疑問である。たとえば,職務に応じて

異なる職位・職階を設けるべきとしても,それがなぜ経営層-管理層-作業層となるのか,経営層と

管理層は一つに束ねられるのか否か(注 5),この見方においても,上位と下位そして中位に分けて考え

るというメタファーが先行した感は否めない。

さて,以上のようなナイーブなモデルはかつてのことで,すでに語り尽くされ潰えてしまったのだ

ろうか。答は否である。現在もなお,上と下,そしてその落差の大小をイメージさせる喩えにもとづ

く議論が続けられている。当時の議論の構図が現在もなお基本的に維持されていることを,次の例に

おいて確めたい。

(2)学校教育法をめぐる国会での議論

2007 年,学校教育法が大幅に改正され,新たに第 37 条となった条文は,次のように示されることに

なった。「小学校には,校長,教頭,教諭,養護教諭及び事務職員を置かなければならない。2 小学

校には,前項に規定するもののほか,副校長,主幹教諭,指導教諭,栄養教諭その他必要な職員を置

くことができる」。

主幹教諭や指導教諭等といった新たな職の設置が規定された法改正の背景には,学校の組織構造を

いかに把握するかという問題があった。教育改革を先導する政策レベルにおいて,新しい職の設置の

是非がいかに議論されたのか,そこに見える学校組織の捉え方はどのようなものだったか,国会での

発言を見てみよう。

「学校の組織運営体制及び指導体制の充実を図るため,小学校,中学校等に置くことができる職とし

て,新たに副校長,主幹教諭,指導教諭を設け,これらの職務内容をそれぞれ定めるものであります」

(注 6)(伊吹文部科学大臣,2007.4.17)と法律案の説明がなされたのち,次のような議論が行われた(下

線は筆者)。

「今回の改正で,学校における組織運営体制や指導体制の確立を図るため,幼稚園,小中学校等に副

校長,主幹教諭,指導教諭,新たにこういった職を置くことができることとする,こう明示をされて

おります。学校現場の取り組みとして,魅力ある組織運営や指導体制をつくる好機となるのではない

かと私も期待をしております」(教育再生に関する特別委員会,伊藤(渉)委員,2007.4.23)。

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学校組織構造のメタファー 105

各党が招いた参考人の意見は次のようである。

「現在,児童が抱える問題が複雑多岐になっており,不登校,いじめ,無気力,無目的な生徒の指導,

LD,ADHD などの特別支援教育の必要などで,個々の教諭も一人一人の子供に十分に向き合える

時間がございません。教諭として専門職を生かせるような制度設計が必要だと考えます。主幹教諭,指

導教諭などの指導を仰ぎながら,また助力を得ながら自分の学級経営に邁進できれば,すばらしいこ

とと存じます。ぜひとも,この新たな職を設置していただけるようお願いいたします」(同上,植木参

考人,2007.5.8)。

「新しい職種を学校の世界に持ち込んだという点が新しい視点でございます。従来の経営学的な考え

方でいえば, も進んだマネジメントのシステムというのはなべぶた形であるというのはこれは常識

でございますが,これは,IT その他の機器の発達によって,なべぶた形が一番いいんだ,こういう

ような考え方が実行されております。実は,学校はなべぶた形の組織をそのままとっておったわけで

ございますが,時代がそれを許さなくなってきたということを私ども考えて,この変更を歓迎するわ

けでございます。(中略)なべぶた形の組織では対応できないという意味は,先生方は社会の変化に

よって子供と接する時間が極端に少なくなってきている,そういう変化がございます。この極端に少

なくなってきているという意味は,親と話し合いをしなきゃならなくなってきている,そういう事態

が起きているということでございます。

親と話すよりは,実は,先生方には子供としっかりと対応していただきたいわけですね。子供としっ

かりと対応するという時間を給食費の取り立てに使われてしまうというようなことになると,何のた

めの学校かわからなくなるということが現実問題として全国的に広がっているわけです。

それらの問題を解決するには,やはり,職種を幾つかつくって,それぞれ経験と自分たちの仕事の

量を考えながら,例えば親との対応は,ある程度年齢がいって,親よりも年下でない人が経験のもと

に対応した方が結果はうまくいくはずでございます。現実に現場からもそういう意見が出ております。

そういう趣旨を踏まえて,副校長,主幹教諭,あるいは指導教諭といった仕組みを学校に持ち込むこ

とを提案しているわけでございます」(同上,田村参考人,2007.5.8)。

「二点目の大きな特徴といたしまして,教職員の職制,学校組織の再編とその問題点であります。副

校長,主幹教諭,指導教諭等の中間管理職的な職位を新設したということでありますが,それは,ラ

イン組織というものを,学校教育において,特に運営管理上のライン組織と教育指導上のライン組織

を拡充し,そして明確化するということであります。具体的な規定として,例えば,「副校長は,校長

を助け,命を受けて校務をつかさどる。」主幹教諭は,同様に「命を受けて」というふうになっていま

す。これは明らかにライン組織でありますが,もちろん,そういう指示等があってこれは当然ではあ

りますけれども,このように法律に規定することで,非常に官僚制的な制度というものを学校教育の

中に持ち込む危険性があるということであります。

これは法的な根拠でありますから,個々の校長がどのように学校を運営するかということはその校

長の判断によりますけれども,さまざまな形で制約が加わる,あるいはまた,そういう強制やあるい

は官僚制的なあり方というものの根拠になりかねないということであります。そういった意味で問題

のあるところであろうと思います。

それから,ライン組織の拡大によってどのような問題が生じるかということでありますが,学校は,

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ライン組織よりもスタッフ組織の充実によって歴史的に発展してきましたし,世界的にも,基本構造

はスタッフ組織になっていると言っていいと思います。同時に,学校の成功は,ミッションの共有,教

職員の専門性,献身性,協働性が重要だとされてきました。さまざまな理論やあるいは実証研究がこ

れを示してきております。また,日本の学校の卓越性は,教職員のすぐれた協働性と創意工夫にある

というのも国際的な評価であります。こういったことすべてが,このようなライン組織,しかも,ハ

イエラーキカルな,官僚制的なライン組織を学校教育の中に持ち込むことによって阻害されることが

ないだろうか,その危険性はないだろうかということであります。もちろん,もう既に東京都におき

ましては主幹という職位を設けておりますし,そういったことについて必要性があることは,私もそ

ういうマネジメントの仕事が必要なことは認めております。

しかし,各学校において校長の裁量でどのような形でそれを運営するかということが自由にできる

ような,そういうシステムを制度設計しておくことが私は法律においては重要なことであろうという

ふうに考えております」(同上,藤田参考人,2007.5.8)。

「第一に,この中では,教育をつかさどる教師という規定がございますが,文科省の調査でも,今,

教師はもう本当に長時間の労働を強いられています。必要なことは,校務をつかさどるではなしに,教

育をつかさどる教員の数を圧倒的にふやし,教師の条件を改善することであります。ところが,主幹

や副校長等,非常に多くの管理職,そして校務に携わるラインを強めるということは,そういう教師

の全体の数をふやすことなしには,ますます教育をつかさどる教員の数が減るわけでございます。そ

んなことは今の改革に全く逆行する。

二つ目は,この中では,校務ラインと教育ラインというのは分けられております。しかし,学校と

いうのは,すべての教師が,子供をどのように育てるかをめぐって学校の運営のあり方も検討すると

いうのが必要であります。とりわけて,教育をつかさどる教員が校務についても発言権を持つという

形で学校は本当の協働が成り立つような組織であります。その点からすれば,これは校務と教育をつ

かさどることを分けて,しかもラインを分ける,スタッフを分けるという,これは間違いであるとい

うふうに思います」(同上,佐貫参考人,2007.5.8)。

さらに,公述人からは次のような発言が見られる。

「今回の法案のように,校長,副校長,主幹教諭,指導教諭,教諭などという細分化した職階を導入

するということは,こうした,教師が求めている教師同士の自発的で対等な,支え合う関係の形成に

プラスになるとは到底思えません。また,私は,次のような声も多くの教師たちから聞くようになっ

ています。

近年,一人一人の子供が感じ,考えていることを丁寧に聞き取って日々の教育活動を組み立て直し

ていかなければ,教師としての仕事は続けられないと感じるようになっている,一人一人の子供の声

に耳を傾け,子供についての全体的な理解を深めることを改めて私の教育活動の重点に置きたい,そ

こから一人一人の子供の成長を支える教育実践と学習指導のあり方を考えたい,そして,同僚教職員

や地域の人々や他分野の専門家たちと協力して子供を支えていく道を探っていきたい。

実際,今,こういうふうに努力を始めている教師たちがいると思いますが,こうした声は,今,日

本の教師たちの間に,子供理解の専門家,学習指導の計画的組織者,子供が必要とする人間関係のコー

ディネーターといった諸側面を備えた,新しい人間発達援助専門職の一員としての教師像の模索が始

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学校組織構造のメタファー 107

まっているということを示していると思います」(同上,田中公述人,2007.5.16)。

「第二点目は,副校長などの新しい職の設置についてであります。現行の制度では,学校組織は,校

長,教頭以外は,いわば横に一線に並んでおります,いわゆるなべぶた型となっておりまして,これ

に対し,従来から中教審においては,このなべぶた型から脱し,現在学校が抱えておりますさまざま

な課題に機動的に対応できる体制の整備について審議をしてきたところでございます。本年三月の答

申では,学校における組織運営体制や指導体制の確立を図るために,副校長,主幹等の新しい職の設

置について提言をいたしました。

本法律案は,この答申を踏まえた適切なものであると評価をいたしております。私が委員長を務め

ております東京都教育委員会におきましても,平成十五年度から主幹制度を導入しますとともに,平

成十六年度には都立学校に,また平成十七年度には区市町村立学校にそれぞれ副校長制を導入するな

ど,独自の取り組みを進めてきました。今回の法律案においては,既に取り組みが進んでおられる教

育委員会も含め,おのおのが実情に応じた配置ができるような制度設計になっている点がすぐれてい

ると考えております。

なお,これらの新たな職が配置される場合に,その職務と責任に見合った適切な処遇とするという

ことが望ましいと考えております。また,その設置状況に応じて,教職員定数の改善等の条件整備を

図ることも望まれる次第でございます。」(同上,木村公述人,2007.5.16)。

そして,本会議では次のような議論が行われた。

「法案は,教員組織を大きく変え,これまでの校長,教頭,教諭という組織から,校長,副校長,主

幹教諭,指導教諭,それに教諭という,まさに職階による上意下達の体制としています。これは,上

からの統制を強化するものです。既に実施されているところでは,教員の自主性,同僚性が奪われ,教

員のチームワークややる気を奪っていることも明らかとなっています」(本会議,石井委員,2007.5.18)。

「(賛成の)第三の理由は,副校長や主幹教諭,指導教諭といった新たな職が設けられることです。副

校長や主幹教諭の設置により,効率的な学校運営,現場教員の事務作業の負担軽減等を期待するとと

もに,現場のすぐれた教員を指導教諭として処遇することで,さまざまな課題を抱える教員を支援す

るなど,よりよい学校づくりに大きく貢献するものと期待をしております。」(同上,大口委員,

2007.5.18)。

ちなみに,政府参考人の発言は次のようである。

「学校の組織については,よく校長,教頭以外は同じ教諭というなべぶた型の組織ということが言わ

れるわけでございますけれども,こういった在り方が組織的な学校運営にとってこれでいいのかとい

う指摘がかねてあったところでございます。今回の学校教育法の改正案第三十七条による副校長や主

幹教諭の職の設置が実現できますれば,こういう職に就かれた方が権限と責任を持って校務を組織的

に取りまとめ,効率的に処理することが可能となりますので,一般教員の事務負担の軽減につながる

ものではないかと考えております。」(文教科学委員会,銭谷政府参考人,2007.5.29)。

以上のやりとりから,次の確認ができるだろう。

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新しい職位は「魅力ある組織運営や指導体制」や「効率的な学校運営」として望ましいと見る立場

に対し,「スタッフ組織ではなくライン組織の拡充による官僚制的な組織」ゆえに批判的な立場をとる

構図からなっている。

つまり,上と下,あるいはタテとヨコという喩えが組み込まれており,上は下に対して,タテはヨ

コに対して,より強い権限を持つと理解されている。それは「上意下達の体制」という表現に一つ認

めることができるだろう。

このため,反対する立場からは対等で自発的あるいは協同的なスタッフ関係を阻害するものとして

上下や縦横の言葉が用いられる。これに対して,法案に賛成する立場からは職種によって業務を区別

すべきであり,新しい職が必要と見なされる。

「上司と部下」という言い方を引くまでもなく,「上」は天,「下」は地として言葉自体がすでに価値

づけられている。「人の上に立つ」が具体を伴わずとも優位な立場になることを指すように,言葉その

ものに価値観が含まれているのである。

このメタファーによる効果を知ってか知らずかはともかく,反対論は上下あるいはタテ系列を強調

し,これが協働的な職務遂行を阻害すると主張する。これに対して賛成論は,職務の違いから職位の

違いが生まれることを述べるに留まり,上下やタテヨコといった方向と落差から生じる力の大きさに

ついては言及しない傾向にあると言える。

以上のように,かつての重層-単層構造論争から長い時間が経過したにもかかわらず,学校組織構

造を捉える際のメタファーは基本的に変わっていない。とりわけ,新たな職の設置に反対する立場に

おいて,上下という方向,そして上と下の落差が大きくなるほどに強まる力という,逆流を想定しに

くい水の流れをイメージさせるような喩えが用いられる。しかし,こうした捉え方ははたして妥当だ

ろうか。

この点で以下の発言は注目に値する。なぜなら,法案に賛成の立場からする実態認識について,そ

うではない旨を述べており,学校の組織構造をそもそも捉え直すべきという点で示唆を与えるからで

ある。

「政府関連法案である学校教育法の一部を改正する法案についてであります。

それによると,現在の学校は,管理職である校長,教頭と職位に差がない教諭が大多数を占めてお

りまして,いわゆるなべぶた型組織だと言われていますが,学校をめぐる環境の複雑化によって,学

校運営に係る各種調整のための業務の増大をしております。そういうことから,管理職を補佐して担

当する副校長や主幹教諭あるいは他の教諭の指導を担当する指導教諭の新設がうたわれております。

私は,なべぶた構造は学校運営上,実際的ではなく,平等ではあるけれども横並びであるとか,あ

るいは横のつながりが必ずしもないとか,逆に,そういうおそれがあると思っております。さりとて,

教職員間の指揮命令関係を明確にして管理上の円滑さをねらうということには反対するものでありま

す。

私の知る限り,多くの学校の先生方は,まじめに時間を惜しまず学校の一員として相互の連絡や協

力をしながら教育実践に励んでおられます。何が言いたいかと言いますと,管理されずとも組織体と

して動いているということです。うまくいっている場合には,いわゆる協働も成立しているように思

われます。もちろん,なべぶた型組織としてではなく,そこには校長,教頭がいて,その下で教務担

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学校組織構造のメタファー 109

当や生徒指導担当の各種主任がいて各学年主任がいて,中学校や高等学校ではさらに進路指導などの

主任もおります。それぞれそれらが,彼らがミドルリーダーとして分掌校務を進めております。つま

り,なべぶたではないということでございます。

にもかかわらず,新しい職として設置しようとするのは,主に従来の校長,教頭,各種主任,各教

員という組織が機能していない学校があるのではないかと。そういう学校はいわゆるライン組織にし

ないと教員が動かないからではないかというふうに思われます。それは,それぞれのリーダーの力量

のなさを示すものでもあるのではないかというふうに思います。そのような学校では,管理権を持た

せた職を設けても十分なリーダーシップのない指揮命令になり,それでは効果がなく,意思決定はで

きないだろうし教師のモラールが低下するということも明らかであります。

そもそも,学校の組織は官僚制組織ではなく専門性組織だというふうに言われます。後者は,なべ

ぶた型組織とイコールではなく,つまり専門性組織ですね。学校も必要に応じて組織的に動くことが

あるけれども,そこには専門的な判断や行動が伴っているということであります。先生方をライン組

織において管理することは,そうなりますと不適当だと思っております。ライン組織のような組織に

することによって個々の教師の判断や行動を制限しようとするねらいであれば,話は別です。

学校は一般にそれほど大きい規模ではありませんし,中間管理職が多く必要になるような組織では

ないと思います。私は,むしろ現行の校長,教頭が優れた人格を持ち優れたリーダーシップを発揮す

れば,学校運営が,ひいては教育実践が効果的に行われると思っております。」(文教科学委員会公聴

会,佐竹公述人,2007.6.15)。

ここで,学校組織構造のメタファーは仕切直しを余儀なくされる。法改正が議論された時点におい

て,協働が成立している学校は「なべぶた型」ではないという指摘は,「なべぶた型」だから協働でき

るのだという主張,そして現在「なべぶた型」だからこそ協働できず問題だという主張のいずれをも

退けるのである。

ここから,学校はそもそもどんな点で「なべぶた型」あるいは「ピラミッド型」なのか,また,こ

うした喩えは学校組織構造上の特性にいかに迫りうるのか,再検討されるべきとなる。以下,学校に

おける業務,ポジション,人の対応関係に即して改めて吟味しよう。

3.再議論と提案

(1)人と仕事を入れ替える

組織としての学校を捉える際に留意すべきは,教育の営みが曖昧で明定しにくく,このため,とり

わけ教育活動において職務と職位そしてスタッフの間の対応を固定的に示すことが難しい点である。

このことを次の二点から検討する。

第一に,一人の教員が教室で授業をしている場面ならば,授業という職務,教諭という職位,そし

て授業担当者という三者の関係は一対一対応となっている。ところが,授業が終わり,休み時間に遊

んでいた子どもが他の子どもとけんかを始めたとする。そこに仲裁に入り指導するのは必ずしもその

子どもの学級担任ではない。また,直前に音楽の授業をしていた専科の教員とも限らず,教諭以外の

職員が対応するかもしれない。事例研究では,困難な状況が多く見られるからこそ教員のやりがいが

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110 榊原 禎宏

大きい小学校において,教頭が子どもを迎えに出かけることも日常的と記述されている(5)が,校務

分掌表には必ずしも対応しない柔軟なスタッフの動き方が実際的でもあるのだ。

あるいは,「学級王国」的な学級経営は,児童・生徒との教育関係を学級担任が一手に引き受け,他

のスタッフに委ねようとしない閉鎖的な態度ゆえに批判される。ここで学校を,スタッフに職務と権

限-責任が平等に分けられるという「なべぶた型」で喩えるならば,「学級王国」は他からの批判に耳

を傾けない姿勢こそ批判されても,自分の職域を守り一所懸命そこに傾注するさまはむしろ望ましい

ことではないだろうか。

ところが,興味深いことにそれは教職員間で連携しない姿勢を示す否定的なものと捉えられる。つ

まり,「なべぶた型」は「学級王国」的でもあるということである。こうした上下というメタファーは,

個業的な職務遂行を全体の分割としては説明できても,スタッフ間の調整あるいは集約や統合のあり

方についてはイメージを喚起しない(注 7)。

第二に,学校での教育は短い時間での意思決定を繰り返し行わなければならない。計画を立て,方

略を練り,取り組みを継続的に行うというよりも,状況に応じて計画は常に変更されうるし,事後に

至って当初の計画が何だったのかよくわからなくなることすら稀ではない。オープンシステムである

学校を取り巻く環境は変化に富んでいるため,長期的な計画を策定する意義は乏しく,また効率的と

も考えられない。このことを踏まえず,計画通りに目標に至ったと述べるものがあれば,それは外見

は華やかだが見せかけに過ぎない「ポチョムキン村」に留まるだろう。

「もし授業が授業案どおりに進んだとすれば,それは望ましい授業と言えるか」という問いに答をす

ぐ出すことができないのは,この点に関わって示唆的である。つまり,教育活動は修正することを折

り込み済みで進めようとするものであり,実際の職務を予定することが難しいのだ。計画通りに進む

だけでは授業は魅力的と言えず,かといって「脱線」ばかりでも問題になる。学校はこのような流動

的な職務に対応する組織でもあることを踏まえる必要がある。

以上から,学校での職務は固定的に捉えやすい業務とこれが難しい業務の二種類に分けるべきこと

がわかる。前者にあたる学校事務,学校施設・設備,給食管理・調理といった,主として教職員に関

わる業務あるいは学校の環境整備に関しては,業務対象がモノであるためにある程度は予定に従って

職務遂行ができる。

これに対して後者に該当する児童・生徒に直接に関わる業務は,かれらが学校経営上のメンバーで

なく必ずしも組織目標と実践に支持的ではないので,職務を予定することが難しい。学級経営や個々

の授業は,場が限定的であるから職務,職位,職員の対応関係が比較的明瞭だが,それでも教室を抜

け出す子どもに対応する職員が求められたり,ティームティーチング授業で教員間の分担関係が流動

的なのは,環境の不確実性が高く,予定を修正する意思決定が常に求められる有り様を示している。児

童・生徒は教員一人だけと関わりを持つ訳ではない。教科担任制の中学校・高校ならばいっそう多く

の教職員と接点を持つため,子どもに関わる業務の多くについて,スタッフや職位を予め特定するの

は非合理的なのである。

近代社会の進展,産業革命以降の大量生産に伴う分業-協業制の展開をここで振り返れば,それは

モノを対象とした労働から始まっているがゆえに,業務は固定的であり,業務に対応するスタッフや

その肩書き,かれらが働く場所を特定の部屋として決めることができた。また職位は,水平的業務の

分化か管理業務と作業業務の分化のいかんによって決定されてきた。こうして一つの過程を経たモノ

が次の業務過程へと廻されていったのである。

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学校組織構造のメタファー 111

これに対してヒトを対象に働きかける業務は,対象を分割することが困難なために常に全体的,人

格的な性格を帯びざるをえない。理科の授業と国語の授業で児童・生徒への働きかけが大きく異なる

ことはなく,生徒指導の領域に至っては対象を細分化することがほとんど不可能である。

また業務の結果,その効果は 終的には相手の何らかの変容において問われ,働きかける側だけで

は業務が完結しない。働きかけを受ける側の状況は不確定的なので,常に相手の様子を観察して,様

子をうかがいながら業務を進めなければならない。このため業務は流動的であり,これを追いかける

ようにスタッフが動かなければならない。これまで仕事が人の間を動いてきたことに替わって,これ

からは人が仕事に向かって動くことになる。

こうして第三次産業中心の,なかでも対人関係としての業務遂行が労働の中心となる社会では,固

定的な業務から固定化された職位とそれにふさわしい職員が決まるという論理ではなく,おおよその

職員と職位をもって柔軟に職務に対応するという論理がより整合的となる(注 8)。「組織は戦略にした

がう」という A. チャンドラーの命題に従えば,生涯学習社会における近未来の学校は,供給サイドを

基本条件にするというよりも,需要サイドへの対応が重要な戦略となる(教授論から学び論への展開)。

この戦略に応じた組織構造は,職務が無前提に存在すると考えるべきではない。またそこでは,個人

よりもチームによる業務遂行が強まる可能性を見ることができるだろう(6)。

この点において「なべぶた型」と「ピラミッド型」という喩えに大きな違いは見出せない。なぜな

ら,いずれも業務を固定的に捉えそれに対応する職位やスタッフを配する発想の点では同じであり,違

うのはタテが長い「ピラミッド型」になるか,タテが短く背の低い「なべぶた型」になるか,つまり,

中間的職務と職位をいかに置くかという点に限られるからである。重要なことは,複雑で流動的な職

務が存在する学校において,上下やタテヨコの軸で固定された組織を設けることの妥当性である。

ちなみに,中間的組織のあり方は,組織の規模と職務の固定化の度合によると言えるだろう。単級

学年に学年主任を置くことが無意味なのと同じように,特別支援学校における「部」や高校における

「科」の単位で長を設けるべきでないというのも空論である。この点で,重層-単層構造論争において,

「今日の学校経営は,国・都道府県・市町村そして学校という四重の重層構造をもつ。そのそれぞれが

学校に対する経営の主体である」(7)と伊藤が述べたことは慧眼であった。この観点は,重層構造その

ものを強権的で統制的と見なしていた単層構造論と噛み合わされることはなかったが,「学校の自主

性・自律性」論が打ち出される現在,教育行政機関と学校における重層的構造および学校内部組織の

あり方のいずれも視野に入れたものとして,なお示唆的だろう。

(2)「中心-周辺型」モデル

以上から,「なべぶた型」や「ピラミッド型」に替わる新しいメタファーに拠って学校組織構造を捉

える必要性を導き出せる。そして以下,「中心-周辺型」モデルを仮に提示したい。

図 1 「なべぶた型」

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112 榊原 禎宏

図 2 「ピラミッド型」

図 3 「中心-周辺型」

「中心-周辺型」は,上下ではなく,中心と周辺という位置関係をつくる(注 9)。中心には校長や教

頭等の学校管理職がくるが,かれらは円周上で展開される個々の活動を遠くに見ることはできても,詳

細がわからないため具体的な指示は出せない。しかし,360 度にわたって学校の全体像をおおよそ把握

することができる。

すなわち,中心にくるスタッフは経験と学習にもとづく広い視野を持つものの,個別の事例に逐一

対応すること,そしていかに対応するかを指示することは難しい。教育実践や学校運営をめぐる環境

は不安定で,予め厳密に計画しておくことも,また変化とそれに伴う修正を予定することも適わない

ため,意思決定は周辺,つまり「 前線」に委ねられるのが合理的である。他方,周辺にいるスタッ

フは「現場」に近いゆえに個々の詳細な把握には優れても,事態の相対化については苦手なため,よ

りよい意思決定のためには中心スタッフとのコミュニケーションによって複眼的な思考を促す必要が

ある。このように中心と周辺のスタッフはいずれも得手不得手があり,互いの良さを活かすべく「風

通しの良い」コミュニケーションを実現する条件と各々の力量が問われるだろう。

また,教育組織,学校事務組織,学校運営組織といった各領域にも中心が置かれる。主任や主事・

部長がここに相当する。かれらは円の中心に位置する学校管理職と連絡を取り合う一方,各領域にお

ける具体的な出来事を全体に知らせ,まとめ役も担う。

さらに,個々の職員は教科や学級ほかの分掌を担うことになるが,どちらかといえば学級担任や授

業あるいはルーチン的な業務を除いて,業務の外周に位置することなる。この円は変化に富む外部環

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学校組織構造のメタファー 113

境に対応するべく回転運動をしており,業務は不確定的である。そのためこれを追いかける必要があ

り,他の業務を追ってきた職員と協力しあうことも頻繁に起こる。

くわえて,職員間の連携や小さな衝突を通じた創発とインフォーマルなネットワークも期待されて

いる。また,領域の境界も曖昧なので,「縄張り」や「越権」といった発想は弱められるべきとされる。

課題によっては,プロジェクトとして一時期編成される組織もあり,ミッションが完了すれば廃止さ

れる。

同モデルは,上下の関係から優位-劣位を強調するものではなく,また一方向からだけの権限や情

報の流れを暗示するものでもない。組織としての学習過程を想定した動態的な構造をなしているので

ある。さらに,同一業務の水平的分化と管理-作業の垂直的分化を区別し,かつスタッフを固定的に

捉えず,連携によりチームで業務を遂行するイメージを促すモデルとしても,このメタファーは有効

ではないだろうか。

物質的生産ではなく非物質的生産労働,しかも人間に直接的に働きかける組織化された労働として

公教育経営は位置づけられる。対象である人間は自分の認識と行動のフレームを形成,修正する学習

主体でもあり,「じっと」してくれる訳ではないから,動くべきは労働対象ではなく労働主体となる。

従来の労働は,モノを作業プロセスにしたがい動かすことができた。それゆえに対象の加工と制御

を技術として客観的に問うことができたのである。これに対してヒトそのものに働きかける非物質的

生産労働において,労働対象は可塑性に富むとともに,教育-学習活動という相互交渉を通じて新た

な意味を生成しており,働きかけの推移や展開を予測することは事実上不可能である。

そうした場の一つである学校に求められるのは,労働対象じたいが実は教育実践や学校経営を大き

く左右するエージェントだという基本的認識(教育実践は教員が教室に入った時点ですでに始まって

いる。騒ぐ子ども,忘れ物をした子どもたちにどう接したらよいか,教員が環境を制御するのではな

く,これに対応する教育実践が求められる。)と,そうした対象の様子を見ながら関わりを試しては修

正を繰り返すという,目標に対する非直線的な実践だろう。こうした新しい労働として,近未来にお

ける学校の仕事の形,そしてこれを支える学校教職員の資質・力量が問われるのである。

注釈

(注 1)教員の評価に関する調査研究会議『教職員の資質能力の向上に向けて~ 新しい教職員の評価制

度~ 終調査研究報告』(京都府教育委員会)2006.3,を参照。

(注 2)教育雑誌『悠』学校経営大賞,http://www.gyosei.co.jp/harukaplus/index.html(2008.5.12 閲覧),を参照。

(注 3)このうち学校規模について,平均的サイズを想定して論じる意味が乏しいことを明らかにした

研究として,榊原禎宏ほか「学校・学年・学級規模の推移から見た学校経営論の基盤の変化-小・

中学校の事例分析から-」『日本教育経営学会紀要』第 44 号,2002

(注 4)教育権論議における「教育条理論」などはその好例だろう。

(注 5)現在でもなお,校長という学校管理職が学校経営を担うという,管理と経営の二つの概念は未

整理なままである。

(注 6)国会議事録検索システム(http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU)による。以下,同じ。

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(注 7)「なべぶた型」と同様のメタファーとして,「タコツボ型」と言うこともできるだろう。

(注 8)革新的な経営者がまま社長室を廃止し,ときには社長という肩書きすら強調しないのは,人と

職位を固定しない仕事が合理的と考えていることの現れかもしれない。

(注 9)このアイディアのソースは,H. ミンツバーグ『H. ミンツバーグ経営論』ダイヤモンド社,2007,

p.156,による。

引用文献

(1)西睦夫「重層-単層構造論争」高野桂一・中留武昭・原俊之編『教育経営研究の軌跡と展望』(日

本教育経営学会編 講座日本の教育経営 9)ぎょうせい,1986,p.p.155-165

(2)伊藤和衛『学校経営の近代化入門』明治図書,1963,前掲の西論文より重引。

(3)宗像誠也「反権力教育行政学と教育裁判」『教育』国土社,1969 年 7 月号,西論文より重引。

(4)宗像誠也「学校部会への一提言-学校単層構造の組織原則-」『教育』1967 年 9月号,西論文より重引。

(5)榊原禎宏「元気な学校の特質を分析する(2)モデル事例:神奈川県の小学校」木岡一明編『ス

テップアップ・学校組織マネジメント』第一法規,2007

(6)「職能別組織においては,仕事の段階や技能の間を仕事が動く。人は動かず仕事が動く。これに対

し,チーム型組織では仕事が固定される」P.F. ドラッカー『マネジメント 基本と原則』ダイアモン

ド社,2001,p.204

(7)引用注(2)と同じ。