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フランス語教育と文法 Grammaire et enseignement du frangais Keisuke Nakamura 1) 前稿,「フランス語視聴覚方式の問題点-《C’est le Printemps》を中心にー」では。視聴覚 方式,《C'est le Printemps》(以下《C.L.P.》と略す)の独自性と問題点を指摘し,翻って日 本の,ことに大学におけるフランス語教育の現状を批判しようと試みた。しかしながら,(1), 《C.L.P.》の評価に九点を置き過ぎたこと,(2),最終章で筆者の考えが十分煮詰っていながっ たこと,等の理由から,主張を存分に展開することなく論を閉じる結果となった。 更に,言語研究の基礎的訓練を欠いているところから,用語と概念に不明確さが生じている ことも否定出来ない。用語と概念の不明確さをいうならば,そのもっとも大きなものは(文 2) 法」であろう。例えば《C.L.P.》の批判点として文法の欠如を論ずる際の文法と,大学におけ 3) る極端な文法重視を言う際の文法では,今にして考えれば内容的にかなり隔たったものであっ た。こうした異なる概念を終始同一の用語で表現したところにも結論部を弱める一因があった と思われる。 将来,言語教育理論と本格的に取り組むためには,便利であるだけに多義多様に用いられる 「文法」の慨念を整理しておくことは不可欠の作業であるし,またそうすることによって語学教 師間の議論における食い違いを避けることも出来るだろう。本論では,この基礎作業(第一章) の上に立って言語学習における文法の役割を考え(第二章),最終章でフランス語教育における 文法のあり方を論じ,前稿で意を尽くせなかった大学のフランス語教育批判を徹底させたい。 たyし,大学の語学教育の目的を論じることは別の機会に譲って,ここでは大学の第二外国語 教育は, langue orale にも, langue ecriteにも進めるような基礎教育に徹するべきだという筆 者の立場を明らがにしておく。 従って,本論は一言語の文法的特質を記述する言語学の研究ではなく,あくまで言語教育理 論の形成を射程に入れた,カリキュラム,教材,教授法の具体的改善を目ざす実践的試論であ る。研究対象の性質上,論を開くにあたって次の三点を原則として確認しておきたい。 -283

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フランス語教育と文法

中  村  啓  佑

Grammaire et enseignement du frangais

Keisuke Nakamura

                  は じ め に

                                    1) 前稿,「フランス語視聴覚方式の問題点-《C’est le Printemps》を中心にー」では。視聴覚

方式,《C'est le Printemps》(以下《C.L.P.》と略す)の独自性と問題点を指摘し,翻って日

本の,ことに大学におけるフランス語教育の現状を批判しようと試みた。しかしながら,(1),

《C.L.P.》の評価に九点を置き過ぎたこと,(2),最終章で筆者の考えが十分煮詰っていながっ

たこと,等の理由から,主張を存分に展開することなく論を閉じる結果となった。

 更に,言語研究の基礎的訓練を欠いているところから,用語と概念に不明確さが生じている

ことも否定出来ない。用語と概念の不明確さをいうならば,そのもっとも大きなものは(文

                            2)法」であろう。例えば《C.L.P.》の批判点として文法の欠如を論ずる際の文法と,大学におけ

               3)る極端な文法重視を言う際の文法では,今にして考えれば内容的にかなり隔たったものであっ

た。こうした異なる概念を終始同一の用語で表現したところにも結論部を弱める一因があった

と思われる。

 将来,言語教育理論と本格的に取り組むためには,便利であるだけに多義多様に用いられる

「文法」の慨念を整理しておくことは不可欠の作業であるし,またそうすることによって語学教

師間の議論における食い違いを避けることも出来るだろう。本論では,この基礎作業(第一章)

の上に立って言語学習における文法の役割を考え(第二章),最終章でフランス語教育における

文法のあり方を論じ,前稿で意を尽くせなかった大学のフランス語教育批判を徹底させたい。

たyし,大学の語学教育の目的を論じることは別の機会に譲って,ここでは大学の第二外国語

教育は, langue oraleにも, langue ecriteにも進めるような基礎教育に徹するべきだという筆

者の立場を明らがにしておく。

 従って,本論は一言語の文法的特質を記述する言語学の研究ではなく,あくまで言語教育理

論の形成を射程に入れた,カリキュラム,教材,教授法の具体的改善を目ざす実践的試論であ

る。研究対象の性質上,論を開くにあたって次の三点を原則として確認しておきたい。

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中  村  啓  佑

 まず,言語教育の基盤は理論にではなく,具体的教育活動の場に,すなわち教室にあるこ

と,従って,問題を教壇の「上」から論ずるのではなく,教室の「中」で考えねばならない。

学習者の立場に立って考えるためには学習者とのたえざる討論が必要であり,教師自身が常に

学習者でなければならない。

 第二に,実践から出発しながらも,個大的経験の述懐にとどまってはならない。教授経験と

学習者との討論が言語理論とあいまって客観化され,理論化されねばならない。

 第三に,言語教育は,言語理論を必要とするが,その安易な移入と応用に終ってはならな

い。学習集団の個別的条件を考慮し,その集団にふさわしい理論と方法を求めるべきである。

 以上,今後一連の作業にあたって一貫した姿勢でありたい。

I文法の概念

  「文法のような細かいことに拘泥していたのでは語学は上達しない。」とAが言う。 それに

対して「文法こそ言葉の醍醐味だよ。なぜこの作家がここに意外な接続法を使ったのか,そう

したことがわかって言葉の面白さがわかるのさ」と文法の好きなBは反駁する。

  「文法など勉強するから日本人は話せないのだ」と言う外国大は少くない。 一方,「我々は

幼児が母語を学ぶように外国語を学ぶのではない。文法は言語構造の理解を確実にし,早め

る」と大学で文法を教える日本大教師は文法を擁護する。

 四者それぞれに真実をついているのだが,文法に対して各大各様のイメージを抱いているの

でとうてい議論は噛み合いそうにない。

 一般に,文法批難派は「文法は煩わしいもの」という個大的体験がら出発している。とくに

フランス大の場合,テキストのすべての語を分析して品詞を述べ,更に細かく分類するという

面倒な作業を,小学佼以来長年にわたって経験してきたのであればなおのこと,文法嫌いを生

み出す下地は十分である。

 規範文法

 こうした学校文法の基盤となっている学としての文法は伝統文法と呼ばれる。伝統文法は,

その役割と目的から規範文法grammaire normative とも言われる。 従って,フランスにおけ

る学校文法は規範文法の教育面における応用であり実践である。規範文法は「正しい慣用を制

定し,これを維持する」ことを目的とし,書き言葉,それも専ら文学作品をあつかう。この文

法は,起原を遠くギリシアに遡り,17世紀古典主義の時代に理論的基礎を確立するがフランス

                                     4)の初等教育において力をふるうようになったのは19世紀に入ってからのことである。

 子供は母親の胎内から文法表をもって表れるわけではない。自由に,のびのびとしゃべっ

ていた子供が小学校の門をくぐり,読み,書くという行為に入る時,彼を待っているのは「そ

う言ってはいけない」という禁止であり「こう言わなくてはいけない」という命令である。い

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フランス語教育と文法

けないずくめの中で子供は言葉に対する興味を失ってゆく。言葉とおもいの間にあった透明な

流れは消え,以後文法が彼を呪縛する。文法嫌いのフランス人の中にあるのは,多分こうした

思い出であろう。

 文法を嫌う日本人の場合,事情は少々異なるだろうが,中学校で,ナイ,マス,マル,トキ……

を呪文のように暗記させられた思い出,高等学校の英語の時間に重箱の隅をつついた思い出,

大学のフランス語教科書の断片的,羅列的内容に加えて,権威ぶった教師の瓊末主義等々文法

に対する反感は根強い。

 記述文法

 正用と誤用を峻別することを目的とする規範文法に対立し,そこから隔絶することで現代言

語学が発達したといっても過言ではない。と言って乱 言語学は文法を捨て去ったのではな

い。新しい意味を与えたのだ。言語に普遍性と規範性を求めた伝統文法の主観的傾向を徹底的

に排除し,一切の言語事実を客観的に観察,記述することによって言語の性質と働きを知ろう

とする記述文法grammaire descriptiveが生まれた。

 当然,文法の意味とその対象範囲は大幅に広がる。例えば,ソシュールF. SAUSSURE

のいう文法は,言語研究と同義であり,音と意味の問題を含めて,共時態としての言語一切を

あつかう。

  (文法は表現手段の体系としての言語を研究する。文法的というのは,共時態にかゝわり。

              5)意味にかゝ,わることの意である。」

 しかしながら,文法という語が,言語学において常にこのような包括的な意味で用いられる

とは限らない。研究者によって,また研究の性質によって,時には語彙論lexiqueと対立して

意味の問題を排除し,時には音韻論phonetiqueと対立して音の問題を排除する。一般に言語

学の研究は,音の分析,意味の分析,形式と構成の分析に大別されるが,第三の,形式と構成

の研究のみをさして文法ということが多い。たら文法という多義な語を避けて,構成の研究

には統辞論syntaxeを,語形の研究には形態論morphologieの語を用い,場合によっては両

者を結合して形態・統辞論morphosyntaxeの語を用いることが多くなってきていj)。

      7) 生成文法

 ところで生成変換文法理論が出現すると,文法という語はこれまでとはまったく違った,し

かも大胆な意味と役割を担うことになった。構造言語学が個別言語を対象として,言語事実を

                             8)もっぱら形式の面から観察,記述することにとどまるのに対して,チョムスキーN. CHOM-

SKYは次のように考えた。ことばが人類に特有なものである以上,生得的,普遍的構造があ

るはずであり(例えば主,述の観念),どの言語にもあてはまる総合的で,普遍的なプログラ

ムを作れるはずであると。

 構造言語学は,形態素から語へ,語から旬へ,句から文へと進みながらも,各々のエレメン

トの組み合わせに対しては無力であった。これに対して,生成文法は,逆に文から出発して,

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中  村  啓  佑

話し手が,たとえこれまでに聞いたことのない文であっても,これを発信,理解出来るような

理論を仮説しようとする。

 従って,チョムスキーに言わせると,個々の言語にとって文法とは,その言語のあらゆる文

を生み出すことの出来るような,ということは,あらゆる文を記述出来るようなメカニズムで

なければならない。言い換えれば,母語を話す大間の言語能力competenceの中で働いてい

る,目に見えぬ,文構成の基本的諸規則をモデルとして仮設しようというのだ。いさゝか単純

に言ってしまうと,頭脳というコンピューターのプログラムを人工的に作成しようというの

だ。従って,文法は個々の文をあつかうのではなく,文のモデルをあつかう。ここでは,文法

はもはや慣用の問題でも,言語事実の記述でもなく,文を形成出来ると同時に,それを可能に

する基本構造の記述をも与え得るような法則のことである。

 日常的,慣用的には「文をつくるきまり」に還元されてしまう文法も,時代により,人によ

り,また研究の性質によって様々な意味を持つことが確認された。これ以降,我々は伝統文法

=規範文法,記述文法,生成文法を厳密に区別する。と同時に,我々にかゝわる学習,教育上

の文法と,言語研究としての,複数の,多様な文法をはっきりと区別しておこう。本論では言

語学の特定の傾向,特定の学説を紹介し,応用するのではなく,言語学の成果をふまえつつ,

「主として語形と文構成に関する規則の有効な学習と教育法」としての文法を考える。

 最後に,伝統文法とその応用としての従来の学校文法を全面的に否定するものではないこと

を付け加える。学校文法は一定の役割を果してきたし,また今後も一定の有効性を持つであろ

う。我々が伝統文法を否定することがあるとすれば,それは伝統文法が言語のすがたを正しく

伝えていない場合であり,文法に必要以上の地位を要求する場合である。ともすれば,文法は

学習対象の言語そのものを忘れて知の遊戯や衛学となる傾向をもつ。「文法に拘泥するな」と

いう冒頭のAの言葉は,こうした傾向に対する警告である。

 当然のことだが,文法が先にあってこれをもとに言語を学ぶのではない。何よりもまず言語

があるのだ。我々の場合でいえば,いくっかの集団が母語としているフランス語があるのだ。

しがし,また逆に,「ある大々にとって母語であり,我々にとって外国語である」という単純

な事実がしばしばあいまいにされている。

                II 言語学習と文法

 視聴覚教育の発達以来,「聞き慣れること」「無心に反復すること」「反射的に応答すること」

等が強調されるようになった。そうした方法の一つ一つが外国語を学習する上で一定の有効性

をもっていることを否定するつもりはない。 たら「そうした自然な方法によって,幼児が母

語を覚えるように外国語を身につければいい」という考えにまで進んでゆけば,これはもう母

語学習と外国語学習の相違が無視されているばかりか,言語そのものの認識に誤りがあるとい

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フランス語教育と文法

       9)わざるを得ない。

 本章では,母語学習とはどんな学習であるのか,子供が獲得する言語とはどんなものである

のかを見ることによって,母語学習と外国語学習の相違を確認する。この相違の確認は,「学

習者にとって必要な文法」とは何であり,それが学習の中でどのような役割を果たすのかを明

らかにしてくれるだろう。

      10) 母語学習

 幼児は,家族あるいは家の外で接触する子供達や成人から言語を学習する。周りで話される

すべての言葉が学習素材であり,接触するすべての人々が教師である。ただ,母語学習にあっ

ては,学習者も教師も自分の役割を意識していない。母語学習こそは,まさしくトータルな,

そして無意識の学習であり,生涯の内でも最も幸せな言語学習である。

 第一年目,わけのわからぬ音を発音し始めると,その後幼児の発する音の種類は急速に豊富

になる。がいつまでも好き勝手に発音しているわけではなく,聞き覚えることによって,また

周りの者から訂正されて,2才から3才の開に母語の音韻体系が有する弁別的特徴を学んでゆ

く。こうして言語の音声素材が準備される。

 これと平行して音の多様な組み合わせが可能になり語を形成する。語彙は加速度的に増大す

るが,これとともに語形が精密さを加えてゆく。

 統辞の面から言えば,最初にくるのは孤立語の使用期で,その後2年目の終りには二つまた

はいくつかの用語を組み合わせ, 3年目にはより長い,すでに構造化された言表へ進むと言わ

れている。

 このようにして,子供は4, 5才にもなれば,自分の考えを伝えるために語を選び出し,か

なり正確に配列出来るようになる。すなわち言語を獲得する。もちろん,語の選択は語彙の領

域,配列は統辞の領域と単純に分割することは出来ない。そうした区分は表出されたパロール

を分析した上で作りあげたカテゴリーであって,実際には,すなわち発話の際には,すべて

が,同時に,密接な相互連関のもとに作動する。《J'aime bien ga.》を選ぶか,《Ca me plait

bien.≫を選ぶかという問題は,音,語彙,統辞のすべてにかゝわると同時に,意味と形式の両

方にまたがっているのだ。

 誤解を生じないために,子供が獲得した言語とは何であるかを明確にしておこう。というの

は,一つには,日頃我々は,ことば,語,言語等をあいまいに使っているし,いま一つには,

文法無用論者によく見られることだが学習の対象が個々の語やことばであって,それに接する

ことが多ければ,そしてその数を増やしてゆけば一つの言語が手に入ると考える人々がいるか

らである。

 まず,聞き,発話する際の生理的,心理的メカニズム,このごく短時間内に作動するメカニズ

ムの回路と専ら心理の領域に潜在する記号の体系を区別しなければならない。前者は言語活動

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                  中  村  啓  佑

に属し,後者が言語である。もちろん,我々は言語を備えているから聴覚器官と発声器官を

      ランガージュ       U)作動させて言語活動が出来るのだ。更に,我々が日常周りで耳にすることば,また我々自身が

発することば(言)と言語を区別しておかねばならない。たとえ我々が何も聞かず,黙っていて

   ランク                                    ランクも,言語は我々の中に,そして共同体の他の成員の間に潜在する。ただ,言語を獲得するため

には,すなわち,それが子供の内に形成されるためには,たえず,言を聞乱表出することが

必要であるし,また逆に,子供が他人の言をよく理解し,自分の言を他大に効果的に伝えるた

めには言語が必要である。従って言が具体的な,外に表れた個人的行為であるのに対して,

 ランク                       12)言語とは,集団の内に存在する社会的産物である。いわば,共同体の成員の中で暗黙の内にと

り決められた約束であって,個人はこれを勝手に変えるわけにはゆかない。言語は,そうした

意味で,言語lit貢の平均的総和であり 共同体の成員間で暗黙の内に承認された恣意的な記号

      13)の体系である,と言えよう。

 言語が恣意的な記号の体系であることに加えて,言語にあっては,すべてが相互に関連し,

対立し合って体系を構成していることを忘れてはならない。このことは,音の分野でも,語と

意味の分野でも,また語形,構成の分野でも言えることであって,言語はむしろ,様々の体系

                              14)の連関的,対立的,複合的総体といった方がいいかもしれない。

 以上,ソシュールに沿って言語の特質を述べたが,細部は別としても,一応言語学上の基本

概念と言えるだろう。

 言語は複雑な記号の体系である。幼児がこの複雑な記号体系をあれ程簡単に習得することが

出来だのは,言語学習の過程が同時に生理的,心理的発達の過程でもあったからだ。聴覚器官,

発声器官は,聞き,話すという行為によって発達する。更に聞き,話しつつ,すなわち言葉を

                                        15)学ぶことによって幼児は知覚と行動を調整し,認識を発達させていったからである。いってみ

れば,言語の習得は人間という生物が成長するための内的必然なのだ。かてて加えて,自分の

欲求,感情,思考を伝え,また周りの者の意図を理解したいという切迫した要求,それがうま

く果された時の大きな喜びがある。幼児にとっては,彼の生そのものがmotivationなのだ。

 外国語学習

 これに対して,外目語をはじめる人間には,(1)生理と心理の発達に結びついた内的必然性は

ない。(2)学習対象の言語,例えば日本大にとって英語やフランス語でコミュニケーションをす

る心要性は小さい。(3)学習の素材,場,時間,すべてが限られている。こう考えてゆくと条件

は絶望的に悪い。しかしながら,外国語学習者は,幼児が母語学習の過程にあって備えていな

かった能力を身につけていることを忘れてはならない。すなわち上述(2)を裏返して考えれば,

それはコミュニケーションに不自由していない,ということであり,一つの言語一母語-を駆

使出来る能力を備えているということなのである。(1)の「発達に結びつかない」ということ

は,すでに発達した認識と思考の力を備えていることなのである。確かに, {1),(2),(3)の条件の

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フランス語教育と文法

中で,学習対象外国語の運用能力を母語と同程度にまで高めることは非常に難しい。しかしま

た,母語による認識と思考の力を支えとし,音と文字に出来る限り多く接することによって,

すなわち慣れることによってもう一つの言語を獲得することは決して不可能ではない。

 それでは,第二言語を獲得することがどのような意味で難しいのか,そして母語による認識

と思考の力はどの程度まで学習を助けてくれるのか,聴古,話すという二つのヶ-スに則して

見てゆこう。

 今ここで,《Quand tu m'as telephone hier soir,j'etais chez le voisin: je jouais auχ cartes.》

                  16)という言表が口頭で表出されるとしょう。聞く者の耳には,音が連鎖を成して流れてゆく。こ

の音の連鎖が全休として何を意味するかを理解するためには,①フランス語の音素を弁別出来

るように耳が慣れていなければならない。が,それは個々の音をたどれるということではなく

 (フランス語を知らなくても《hier soir》の音をくり返すことは出来る), ②語と語のつながり

→語群のつながり→文と文のつながりとして聞き,たどることである。が,個々の語や語群は

聞こえたが何を意味しているが全然わからないというのはよく経験するところである。文意を

理解するためには,③語と語の関係(文構成),④語の機能(《chez le voisin》の《chez》は,《le》

はどういう働きをしているのか,《as telephone》はどういう時の中に設定されているのか),

③語,語群の意味理解,以上が必要である。当然, ③, ④,⑤は同時に進行し,②を助ける。

整理すれば図1のようになるだろう。

 今度は逆に,先のような概念「夕べ君が電話をくれた時,僕は隣でトランプをしていた……」

というような意味のことをフランス語で口頭表現することが求められているとしよう。操作は

先の場合の逆になる。剛まず,漠とした概念に従っていくつかの話が浮かぶ。が…telephoner

…hier…voisin…jouer…carteだけではどうにもならない。(ii)同時に,格関係から構成を考え,

側各々の語にどういう機能を負わせるか,例えばjouerをどのような時の中に,どのようなア

スペクトで設定するか,どのような心的態度で表すかを考えて屈折させる。剛適切な順序で,

(V)音として表出する。(図1参照)

①音を聞く

 ②語と語のつながりとしてたどる

へ③語と語の関係をとらえる     ↑↓④語の機能を理解する

⑧語の意味

わかる

(i)語が浮かぶ

   ↑↓

皿構成を考える

   ↑↓

囮機能から語形を定める

(iv)ある順序で

(v溌音する

                図1 言語運用のメカニズム

 表われては消えてゆく音を,語,語群の総体として辿り,語と語の関係,語の意味と機能か

ら全体の意味を理解する一瞬の,同時的操作,これが聞くという行為に求められているもので

あり,逆に,潜在する記号体系の中から概念と連辞関係が要求するものを選び出し,統辞関

係のもとに配列し,音として表出することによってある概念を伝える瞬間的同時的操作,これ

一一289-

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中  村  啓  佑

が話すという行為に必要なすべてである。

 文法と文法意識

 ここに至るには,この操作に熟達するには何をすればよいのが。

 くり返すことになるが,言語は複雑な記号の体系である。そして今見てきたように,運用操

作もまた同様に複雑であり,短時間の内に行われる。しか払ある年令に達した外国語学習者

には,無意識の内にあらだな言語体系を形成する内的必然性,生理的,心理的条件は失われて

いる。とすれば,当然,「聞き慣れること」,「無心に反復すること」,「反射的に応答すること」

の限界は明かである。そうした練習は,聞く過程の①②,話す過程の(iv)(v)に必須であり,③④

⑤,及び田(ii)fiii)の操作を速やかにする上で必要であることは疑うべくもない一第一の条イ牛。

また, ⑤および出の語と意味に関して一定の語彙が荷積されていなければならないのは当然で

ある一第二の条件。がこの二つだけでは学習者の内に形成される能力と運用操作には限界があ

り,言語体系の複雑さに対応することは出来ない。

 言語体系の複雑さを理解する力,状況に対応して言語記号を適切に操作し配列する準備とな

る力,それは母語によって鍛えられた思考の力,たとえば比較,分析,総合,抽象の力であ

る。こうした力を最大限に活用して,③= (ii)の文構成,特に格関係, ④=剛の機能と語形,更

に②づiv)の連辞関係,以上を理解し運用すること,そのために言語休系を構成する各項目に精通

し,特に各項目間の関連と対立を十分に理解していることが必要である。 これが第三の条件で

あり,文法の対象である。すなわち,言語という広大な森の中には何かあるのか,各々の要

素,木々,泉,滝,川,道,広場は互いにどのようにつながりあっているのか。また例えば,

杉と檜,槍と樅はどのような対立樹群を形成しているのかを的確に示し,この森に足を踏み入

れた学習者を確実に導いてくれる地図,これこそ学習者にとっての文法である。

 形態と統辞に関して類別する仕事(例えば品詞分類,動詞であれば時制による分類等)は従

来の文法書や教科書において十分なされているので,ここでは,形態,統辞における機能上の

対立関係の理解が学習者にとって何よりも重要であることを強調したい。先の例に則して言え

ば, as telephone雌aisの対立である。 ここでは複合形と単純形という形式上の対立があり,

それに支えられたアスペクトの対立がある。 潜在的に, etaisは他の大称と対立し,時におい

てsuis, serai…と対立し,法に関してserais, sois...と対立する。活用を暗記することが問題

ではなく,個々の項目の関連と対立を理解しそれを運用出来ることが必要なのである。と同時

に,個々の語,語群をどう配列するか,どう構成するかという重要な問題がある。 特に英語

やフランス語のような近代語では語順が格関係を決定するからなおのことである(Paul bat

          17)Pierre./Pierrebat Paul.)。関連と対立に対する意識,そして,連辞と構成に対する意識を我々

はまとめて文法意識と呼ぶことにしたい。

 文法意識は文法表や活用表の中から生まれるのではない。曲用や屈折の記憶の中で育つもの

-290-

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フランス語教育と文法

ではない。具体的な学習素材の中で,形式と意味全般にわたって存在する関連と対立を発見,

理解し,逆に自分が構築,表現する中で確認する二面的,相補的作業の中で育ってゆくのであ

る。もちろん,対立・関連の意識と構築の意識だけで言語が獲得出来るわけではない。特に

oralの場合には,意識しないで反復し,スムーズな言葉の運びを訓練し,習慣化しようとする

努力が必要である(第一の条件)。 また,一定数の語彙の有効な蓄積も必要であり(第二の条

件),文法の意識はこうした訓練と密接につながっていなければならない。この三つの条件を満

たすための訓練が密接な関連のもとで同時的に行われなければならないのは言うまでもない。

 時には表現の前に考えることもあろう。考えつつ表現することもあろう。また無意識に反

復,表現して,その後で正確さや効果を反省することもあろう。意識と無意識の行為が何度も

くり返され,長い長い訓練の果てに,パターンがパターンでなくな呪おもいの中に溶解する

時がくる。自分自身の内奥から,ほほえみや,吐息や,涙につつまれたパロールとして表われ

る時がくる。この時,文法意識の役割は終る。文法意識は学習者の中で少しづつ,そして最後

にはすっかり消え去る定めにあり,また一日も早くこれを消すために文法意識をもつのだ。た

だ,終生学習者である我々外国語教師にとってこの意識の消え去る時はない。

            Ill 大学のフランス語教育と文法

 前章では,(1)音,形式,意味,三者の緊密な関係を考慮した学習が望ましいこと, (2)言語体

系を構成する各部分の関連と対立を理解しようとする態度,及び語や語群を構成,配列する上

での注意力-我々のいう文法意識-が外国語学習の困難な条件を緩和し,学習を促進すること

の二点を確認した。これは,どのような言語学習にもあてはまる,一般的原則と言うべきであ

ろう。これに対して,本章は,個別的,具体的問題,すなわち,「日本の大学教育におけるフ

ランス語と文法の役割」という,我々自身に直接かゝわる問題を扱う。「大学の第二外目語教

育はoralにもd削tにも進み得るような基礎的な力をつけることに専念すべきだ」とする筆

者の立場をここで再度強調しておきたい。               。

 日本の大学では,文法・講読という形式の授業が,相補的に,あるいは無関係に行われてき

た。授業の名称が「文法」でなくなり,教科書のタイトルから「文法」の名が消えても,文法

=翻訳形式,あるいは文法//翻訳形式という授業方法が基本となっていることには変りがない

ように思われる。前章で,言語体系を構成する各項目の関連と対立に対する文法意識の必要性

を論じた我々は,同じ視点がら,大学の,羅列的,個別項目的文法態度を批判する。

 断っておくが,大学の外に立って,自分だけは別のものとして批判するのではない。以下に

述べる事柄は,過去10年にわたって大学でフランス語を教えてきた経験と反省に基いたもので

あり,同時に,市販の教科書を用いて伝統的方法を踏襲してきた安易な姿勢に対する自己批判

を含んでいる。

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中 村 啓 佑

音 と 文 法

 音の軽視

  「文法」,「文法・講読」,あるいは「講読」の教科書どれをとってみても,音の問題は最初

の数ページで簡単にあつかわれている。 ことに,「講読」用教科書の場合,なぜ各課のテキス

トを利用した音の練習がないのか。逆に,どうして各課のテキストは音の問題を考えて作られ

ていないのだろうか。音と綴りの関係を最初に与えるだけで音を段階的に,体系的に学ばせよ

                                       18)うとする配慮がまったく欠けていると言っても言い過ぎではない。 イントネーション,リズ

      19)ム,アクセントはコンテクストの中でこそ具体的に理解出来るし,弁別的特徴をとらえるため

の対立的練習も,教科内容に則して行った方が耳に残りやすいはずである。

 文法の授業法が音に直接的な影響を与えているケースはいくつか考えられるが,代表的なも

のを一つだけ紹介する。

 すべての文法項目が均一に,等価的に呈示されていることが読み方に影響を与えている。

冠詞,名詞,代名詞が,各々,バラバラに,一項目として教えられる関係上,我々教える側は

学習項目をどうしても強調して読んでしまうから, (例えば, le livre, Je le connais, mon pere,                            --     一一     一一一一一

etc.),学習者は実際にテキストを読む場合にも,口頭表現の際にも,すべての文構成要素を同

様に発音する。

 《Patrick ne peut pas sortir: son pere le lui interdit a cause de ses mauvaises notes.》とい

う文では, Patrick ne peut pas sortir, また, son pere le lui interdit と下線部を同じ強さ,同     ~一一一一一一 ----一一-

じ長さで発音する。個々の音はがなり正確なのに,強弱,長短を考えずに読む学生はかなり多

い。ことにme, le, luiのような単音節語の場合,文法項目の一単位と発音上の一単位を等価

に考えることもそうした読み方の一因と思われる。

 oralの文法

 文法の授業の音に対する影響から,今度は文法そのものの問題に入る。と言っても,音から

離れるのではなく,音に対する強い関心を保持したまま文法を考えるのである。

 大学では読めるようになるために,綴りと音の諸規則,それに最小限必要な形態上,統辞上

の規則を一年目で学ぶのが普通である。すなわち,「文字で綴られた語と文」のための文法,視

覚に訴える文法である。学生にとってはまず文字が目に入り,その後で発音の仕方が教えられ

る。

 ところで,フランス語では音と綴りの隔りが非常に大きくなってしまっている。Us mangent

beaucoup.の18文字がわずか4音節から成ることを知らされて学生は驚く。そして,音と綴り

の関係を学び,文法事項に進んでゆくにつれて,ますますフランス語は難しいという印象を強

めてゆく。-つは,いまいった音と綴りの隔りであり,もう一つは,綴りによる文法的対立の

-292-

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フランス語教育と文法

複雑さである。

  (1)il danse/ilsdansent

  (2)je dansais/ildansait/ilsdansaient

 ところが,実際に話される際には, (1)は両方とも[das]に, (2)では三者とも[dase]になって

しまう。話されるフランス語では簡単なことが書かれたフランス語では複雑になるので,後者

を中心に学んでいるとフランス語の難しさだけが印象に残ってしまう。

 今度は逆に, ecritの文法がいかにも簡単にあつかっていることがoralの面でいかに難しい

かを示すことによってoralの文法の必要性を強調したい。

 フランス語では,話す時も,読む時払次にくる語が母音で始まるか,子音で始まるかが発

音上非常に大きな意味をもつ。ところが,教科書では,リェゾン,アンシェヌマン,エリジイ

ヨンの規則が最初に示されるだけで,文法学習でも,また講読のテキストでも,母音ではじま

る語とのつながりの重要性は強調されていない。というのも,読むことだけが目的である場合

には,こうした音の現象は比較的容易に実現される。cet arbre,l'arbreでは文字tとアボスト                         ー   -

ロフィが各々リェゾンとエリジイヨンの必要性を呼びおこすからである。これに対して,その

                                   20)ような支えをもたないoralの場合には語と語をつなぐ困難は予想以上に大きい。

 文法の教科書には, le,laの後に(1')としてかっこに入れてあったり,所有形容詞の一覧表

の下に「女性形でも母音で始まる語にはmon, ton, sonを用いる」と小さく書かれてあった

りする。これではまるで,すべての語は子音で始まるべきで,母音ではじまる語はまったくの

例外とでも言わんばかりである。その結果,学生の頭には,まず次にくる名詞の性が何である

か,そればかりが先行して,母音で始まる名詞との結合をためらわせ,遅らせるのである。

 定冠詞,指示形容詞,所有形容詞の次にくる単数名詞が母音で始まっておれば性の区別は解

消する。更に複数名詞がくれば名詞の語頭音によって二種類に分かれることを考えれば,性の

区別と同時に,次にくる名詞が母音で始まるか子音で始まるかをもう一つの規準として明示す

べきである。次頁図2はoralの文法とecritの文法を対照的に示す一例である。

 (Oil雑な綴りと単純な音の関係, (2)母音ではじまる語とのつながりのかっかしさ,という二

つのケースからもわかるようにecritだけの文法はフランス語のやさしい面を隠し,むつか

しい面をぼかしてしまう。oralの文法, ecritの文法各々を比較対照することによってフラン

ス語のありのまゝを示すべきであろう。 また,こうした工夫によって,将来oralを中心に学

びたいと考えている学生の発音基礎を固めることも出来よう。

 以上,音全般に対する配慮とoralの文法の必要性を述べてきたが,前稿でも述べたとおり,

大学の語学教育をすべてoral中心の授業にせよとか,大学の語学の授業によって学生が話せ

るようになるべきだと言っているのではない。言語の素材が本来音であることをふまえて,音

の訓練はフランス語学習の基礎作業だと言いたいのである。大学の語学教育が言語の学習にか

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指示形容詞

 oral

中  村  啓  佑

図2 oralの文法とecritの文法の対照

かわる限り,音の訓練は不可欠であると言いたいのだ。「音の問題はイ固々の教師が授業の中で

工夫すべきことで,教科書はecritのきまりだけを示せばいい」という意見もあるだろう。教

育の多様性の立場がらこの意見を認めるとしよう。それでも,話をecritの文法に限っても,

なお問題は山積している。

             2.文法と進度

 langue ecriteの学習のみを目的とした大学文法教科書の難点をまとめれば,(1)一年間の使

用を考えている割には学習内容が多過ぎる, (2)学習項目が羅列的,個別的であり項目間の関連

性と総合性が欠如している, (3)既習項目の復習が考えられていないため進度がなだらかなスロ

ープを形成していない,の三点になる。ここでは, (2)と(3)の問題を中心に論を進める。

 羅列的,個別的傾向

 互章で確認したように,言語は複雑な記号の体系である。この複雑な体系の規則性を一年で

概観しようとする文法の教科書に様々の無理が生じるのは当然であろう。その内でも最も顕著

なものが学習項目の羅列的,個別的呈示である。ゼロから出発する学習者を相手にしているの

で,学習項目の一つ一つを強く視覚に印象づけたいという製作者の気持が,個別性,部分中心

主義となって表れるものと思われる。

 フランス語における動詞は重要であるだけにまた複雑でもある。形態上の複雑さもさること

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フランス語教育と文法

ながら,個々の時制,個々の法の相違が学習者にとっては非常に理解しにくい。しかも,各々

がバラバラに現れてくればなおのことであろう。動詞を形態と機能の両面から対比,総合して

理解させようとする試みは少ない。例えば半過去なら半過去だけが,単純未来なら単純未来だ

けが説明されるのである。

 半過去と複合過去の対立は瓦章で述べたから,ここでは現在形と半過去の対立をみよう。例

えば

 Qu'est-ce que tu fais(maintenant)?/Qu'est-ce que tu faisaisa ce moment-la?

 II travailledans un cafe。/11travaillaitdans un cafe。

等の対立例文を示すことによって,現在形と半過去の相違はもっぱら時の相違であってアスペ

クトのそれではないこと,現在形をそのまま過去に転移すれば半過去となることが説明出来る

  21)だろう。従来の教科書には単純過去と半過去,複合過去と半過去の比較はあっても現在形と半

過去の比較はない。

 過去時称に比べて,未来時称ははるかに簡単にあつかわれている。単純未来を示す場合,前

未来との対立は示されるが,現在形,近接未来形との対立は語られない。ところが,この両者

との対立をよくおさえておかないと,未来のことと言えば何でも単純未来で表現するという誤

解が生まれる。現実の時間と文法の時間が混同されるのだ。それを避けるためには,未来の出

来ごとを表すのに,現在形,近接未来形が頻繁に用いられること,単純未来の使用は普通,学

習者が考えているよりずっと少なく,そこには現実の,あるいは心理的な時間の隔り,実現の

ための条件,そうしたものからくる不確かさといった要素ががらんでくることを強調しておく

     22)必要がある。

               図3未来表現

 瓦章にも述べたとおり,こうした対立を明確にしてゆくことこそが,言語という体系を理解

してゆくことであり,ことばの働きと意味を理解してゆくことである。活用表や文法表は形態

上の相違しが教えてくれない。形態の相違と同時に機能の相違を示し,個々の学習項目と同時

に項目間のつながりを明らかにし,総合的視点をもってはじめて文法教科書といえるのだ。部

分と部分,部分から全体へ,全体からまた部分へ,すなわち,クローズアップから俯観へ,俯観

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中  村  啓  佑

からまたクローズアップへとカメラアングルの変化が要求される。

 進   度

 学習内容の過多,教科書の羅列的,個別的記述は両面から学習のリズムを乱している。

 学習内容はあまりに多いので,各課の学習事項を整理,確認,応用する十分なゆとりがな

い。音による確認練習のないことは言わずもがな,書き換え練習, ecritの表現練習はあまり

に貧しい。versionにしても,時間と紙数の関係から状況の明らかな文章は用意されない。

 新しい事項を次々と呈示することに追われると,既習事項の再出,繰り返し,復習にまで手

が回らない。いわゆる積み重ねがないのである。A→B→C→D→という進み方をして,A→

aB→abC→abcD→という進み方をしていない。望ましいのは,既出の語彙,表現を適宜再出

させ,また,同じタイプの練習問題を何課にもわたって,角度を変えて用いることである。例

えば,複合過去を学習する時,以前に行った現在形の練習問題を利用して,これとの対立的練

    23)習を作る。あるいは現在形の応用に使った練習問題を半過去で用い,現在形の復習を兼ねて,

現在形/半過去を対立的に理解させることも出来るだろう。

 各課には, tイ)その課の学習事項を応用,確認する練習が少ない。㈲既習事項の再確認,復習

が考えられていない。この二点に加えて新しい学習事項が次々と表れるのであるから,文法教

科書の進度は急勾配というよりはむしろ急階段というべきであろう。学生の多くは息をきらし

て途中で投げ出し,少数の者だけが,解読作業に必要な秘術を手に入れる。多数派は語学に関

心のないダメな学生と言われ,少数派は教師というエクリチュールの魔術師とともに幸せな二

年目を迎える。多数派は教師と少数派の手並みに驚嘆と畏怖を示しつつ,解読作業の結果をた

だただ筆写することに二年目を費やす。時が経ち,わずかに残っていた断片的知識も記憶の淵

に沈み,「かって秘儀に立会った」という年代記的事実だけが残る。 もちろん,これは誇張で

あり,カリカチュアである。だが,カリカチュアは空想の産物ではない。

 本章では,主として文法教科書を対象に,内容の呈示の仕方と進度を批判し,前者には関連

性と総合性を,後者には漸進性と一貫性を求めた。批判の対象は市販の教科書一般である。上

述の希望が部分的に,またある程度実現されている教科書もごく少数ながら存在することを付

け加えておく。また,個々の授業において,教科書の一般的不備を地道な努力で補っている方

方の少なくないことも事実である。更に,批判することは容易だがいざ教科書として実現しよ

うとすると困難は想像以上に大きいこともよくわかっている。が,我々がフランス語を学んだ

時代からみて,紙の質や印刷技術は大幅に進歩しているのに,内容的にも,基本姿勢の上でも,

あまり変わらない教科書が,年々歳々,春の訪れとともに鏡生することもまた事実なのである。

  お わ り に

基礎作業としての音の練習, oralの文法とecritの文法の比較対照,各項目間の関連と対立の

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フランス語教育と文法

明確化,体系的,総合的視点,十分な応用練習と既習事項の復習を加味した一貫性のあるゆる

やかな進度,等々,我々の要求は多過ぎるだろうか。一年という枠,「文法・講読」という分

割された授業形式を考えれば確かにそのとおりであろう。しかし,なぜ旧弊に固守する必要が

あるのか。上記の基本的諸条件を満足させるために,一年という枠をはずし,「文法」という

イ固別的,非有機的授業をやめること,これが本論のカリキュラム面での主張である。一一一一一一一一

 言語は複雑な記号体系である。この複雑な体系を外国語として学ぶためには,音・形式・意

味のいずれを無視してもならないし,また体系を構成する項目間の関連と対立を理解すると同

時に,対象言語独自の構成と配列に習熟しなければならない。いわゆる,我々の文法意識をも

たなければならない。解読作業のみを目的とした,極度に個別的で抽象的な大学式文法をや

め (1)音の訓読と結びついた具体的テキストの中で, (2)フランス語の意味体系の基礎を固め,

(3)形態・統辞上の規則性を理解し,三者を応用,表現出来るような,言語学習の基礎的作業

としての授業を目指すこと。その授業のために,総合性,関連性,一貫性,漸進性を備えた,

oralにも, ecritにも開かれた教科書を作りあげること,これが我々の極めて単純な結論であ        一--

る。

 「どんな文法を,どのように扱えばよいのか……」,「現在の文法教科書には満足出来ないが,

講読用教科書だけでは心もとない……」,「学生の程度と興味にあった,しかもフランスとフラ

ンス語のすがたを正しく伝えるような教科書を作るにはどうすればよいのか……」,不満,疑

問,仲吟がいたるところで聞かれる。何よりも我々フランス語教師の相互協力が必要であるこ

とは言うまでもない。と同時に,今ほど言語研究者の助力が必要とされている時代はない。現

代言語学はあまりに専門化し,急速に進歩してゆくので,我々素人がその成果を直接享受する

ことは極めて困難である。言語研究者がその成果をわかりやすく伝え,授業法や教材改善のた

めの手がかりを与,えてくれることを我々は強く待ち望んでいる。以上の意味から,本論は学術

論文というよりは,言語研究者に向けての,また,フランス語教育の改善を願うフランス語教

師達への切実なメッセージである。たとえ一大でも応答があれば本論の目的は十二分に達せら

れる。

 なお,同僚竹田英尚氏から本論のテーマに関して有意義な指摘を受けた。また原稿を見て下

さった大阪大学言語文化センターの岡野輝男氏がらは貴重な助言をいただいた。両氏に深く感

謝の意を表したい。

                      注

1)拙稿,「フランス語視聴覚方式の問題点-《C'est le Printemps》を中心にー」,「追手門学院大学文学部紀

 要」第13号, 1979.

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中  村  啓  佑

2)上掲論文,pp. 316-318・

3)上掲論文, p. 320.

4)A la tradition normative est liee-heritage du XVII<= siをcle,mais aussi de la bourgeoisie du xvni≫

 etdu prestige abusif qu'elle donnera a I'orthographe (discipline qui deviendra toute-puissante lors de la

 mise en place des concours publics sous Napoleon)一-la confusion de la langue francaise avec la seule langue

 litteraireet ecrite. Le mythe de la《belle langue frangaise》demeure encore tres vivace一一etpartant de cette

 croyance genereuse mais fausse,qu'apprendre a bien parler ou a bien ecrire revient a imiter Bossuet ou La

 Bruyere. J. PEYTARD-E. GENOUVRIER, £inguistiqμどどt e^iseignenient du fr心ncais. Larousse,

 Paris,1970 p・ 85.

  「正しく書くことがフランス語にとって知的財産と見なされることになったのは19世紀前半のことにす

 ぎない.」茲貴重彦『反=日本語論』,筑摩書房, 1977年. p,211.

  かのフロベールは,青春時代旅先で灼熱的な恋をした相手の女性が単語の綴りを正しく書けなかったこ

 とを,後年軽蔑的口調で語っているが, 3代前にはフロベール家はFlaubertともFlobertとも綴られてい

 たのだ.このエピソードを紹介しながら,正書法が19世紀ブルジョワジーの選別意識と強く結びついてい

 たことを蓮貴氏は指摘している.

5)《La linguistique stat≒ue ou description d'un etat de Iangue peut etre appelee gra辨励aire,dans le sens

 tresprecis, et d'ailleursusuel, qu'on trouve dans les eχpressions《grammaire du jeu d'echec》,《grammaire

 dela Bourse》, etc.,o£ils'agit d'un objet compleχe et systematique, mettant en jeu des valeurs coexistantes.

  La grammaire etudie la langue en tant que systeme de moyens d'eχpression; qui dit grammatical dit

 synchronique et significatif,(…).》 F. SAUSSURE, Cθurs de linguistique gin巨raか. Z" edition. Payot,

 Paris, 1968. p. 185.

6)《Certains auteurs utilisentaussi le mot ぶrci?n7nαireen l'opposant, d'une part, au lexique et, d'autre part,

a la phonet≒ue. En effet,siVon se place dans l'etude Hngμistique, trois grandes directions sont possibles:

analyse des sons, analyse du sens, analyse des formes et des constructions. La grammaire recouvie alors

cette derniere partie; on prefere de plus en plus employer les termes de syntaxe pour I'etude de construction

dans la phrase et celui de morphologie pour Tetude du mot; s'ilest necessaire d'envisager a la fois ces deux           -

aspects, on utilisele terme morphosy ntaxe, ce qui permet de ne plus parler de grammaire.》 Le £angage.

Les encyclopedies du savoir moderne, sous la direction de Bernard Pottier. p. 175 《grammaire》. La

bibliotheque du CEPL. Retz,Paris, 1973.

7)生成変換文法については以下の著作を参照した.

 F. FRANCOIS, L'enseignement et la diversite des grammaires, pp. 73-86, Hachette, Paris, 1974.

 J. PEYTARD -E. GENOUVRIER, Lingμistique et enseignement ぬfrancais, Larousse, Paris, 1970.

pp. 122一135.

  R. H. ROBINS, Breve histoire de la li?igidstigttede Platan a Choms砂,traduit de l'anglais par Maurice

 Borel. Editions du Seuil,Paris, 1976. pp. 241-250.

 Bernard POTTIER (ed.),Le langage. Les encyclopedies du savoir moderne. Terme de la《grammaire

generative》par G. FAUCONNIER. Retz, Paris, 1973. pp. 134-171.

 A. MARTINET (ed・),La linguisiique,Gui・de αlphabetique. (1969):マルティネ編r言語学事典』三宅徳

嘉監訳,大修館書店, 1972. pp.242-255. 「生成文法と変換」. B.-N. GRUNIG,丸山圭三郎訳.

 奥津敬一郎:「生成文法と国語学」『岩波講座日本語6,文法1』岩波書店, 1976. pp. 357-417・

 J. DUBOIS (ed.), Dictionnaire de linguistique. (1973):デュボワ編『言語学辞典』伊藤晃代訳,大修館

書店, 1980. pp. 237, 238.「生成文法」

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フランス語教育と文法

8)この傾向を代表するものはブルームフィールドBLOOMFIELDである. 以下の引用中ilはブルームフ

  ィールドをさす.

   《Cequi importe plus-et ce qui faitque la discussion de sa doctrine est centrale pour la definition de

  l'objetgrammaire-c'est qu'il tente de ne definir les unites linguist≒ues que par leur aspect manifeste

  (forme)et que par les presences de tellesunites dans le conteχte(distribution)parce qu゛ilpense que seuls

  cesrapports manifestes permettent une demonstration objective.》 F. FRANCOIS, ノ'enseignement et la

  diversitedes grαmがαires. Hachette, Paris, 1974. p. 28.

 9)スキナー(B. F. SKINNER)に代表される言語教育における行動主義を批判することが本章の直接の目

  的ではない.むしろ,母語としての英語やフランス語一特にoral-を教える外国人だけでなく,外国語

  を教える日本人の中にも,また広く一般の大々の中にも潜在している,「幼児が言葉を覚えるよう外国語

  を……」という神話を批判し,母語学習と外目語学習の異同を明確にする.

   言語学習における行動主義と心理主義の対立についてはD. A. WILKINS, Linguistics みt language

 teaching (1972) D. A.ウィルキンズ『言語学と語学教育』,天満美智子訳,研究社, 1975.第三章「こと

 ばの心理学」,pp, 181-186. を参照せよ.この問題に関しては,言語学史と言語教育学史の視点から別の

 ー稿を必要とする.

10)母語教育については上掲書,『言語学と語学教育学』,及び次の二冊を参照した。

   M. A. HALLIDAY,A. MCINTOSH, P. STREVENS, The Linguistic ScieJicesand Language Teaching・

 (1964):ハリデー,マッキントシュ,ストレブンズ『言語理論と言語教育』増山節夫訳,大修館書店,

   1977. pp. 264-297.

    A. MARTINET, ヱ:alinguistique,Guide alphabetique.マルティネ編著『言語学辞典』25「ことばの

   習得I F. FRANCOIS,木下光一郎訳. pp,194-198.

11)《Mais qu'est-ce que la langue ? Pour nous elle ne se confond pas avec !e langage; elle n'en est qu'une

 partie determinee, essentielle,il est vrai. C'est a la fois un produit social de la faculte du langage et un

 ensemble de conventions necessaires, adoptees par le corps social pour permettre l'exercice de cette faculte

 chez les individus. Pris dans son tout,le langage est a la foisphysique, physiologique et psychique, ilappar-

 tient encore au domaine individuel et au domaine social; il ne se laisse classer dans aucune categorie des

 faitshumains, parce qu'on ne sait comment degager son unite.》 Op. cit.F. SAUSSURE, C∂μrsde linguis-

 tique g&n&rale. p. 25.

12』《Sans doute, ces deux objets (la langue et la parole)sont etroitement lies et se supposent l'un l'autre: la

 langue est necessaire pour que la parole soitintelligibleet produise tous ses e価ets; mais celle-ciest necessaire

 pour que la langue s'etablisse;histor≒uement, le faitde parole precede toujours. Comment s'aviserait-on

 d'associer une idee a une image verbale, sil'on ne surprenait pas d゛abord cette association dans un acte de

 parole ? D゛autre part, c'est en entendant les autres que nous apprenons notre langue maternelle; elle

 n'arrive a se deposer dans notre cerveau qu'a la suite d'innombrables eχperiences. En丘n, c'est la parole

 qui fait evoluer la langue: ce sont lesimpressions recues en entendant les autres qui modi丘ent nos habitudes

 Hnguistiques. II y a done interdependance de la langue et de la parole; celle-la est a la foisI'instrument

 et le produit de celle-ci. Mais tout cela ne les empeche pas d'etre deux choses absolument distinctes.

 Ibid. pp. 37 et 38.

  《C'(la langue) est un tresor depose par la pratique de la parole dans les sujets appartenant a une meme

 communaute, un systeme grammatical existant virtuellement dans chaque cerveau, ou dIus eχactement

-299 ―

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中  村  啓  佑

  dans les cerveaux d'un ensemble d'individus; car la langue n'est complete dans aucun, ellen'eχisteparfaite-

 ment que dans la masse.)) Ibid. p. 30.

13)《La langue est un systeme de signes exprimant des idees,(…)》 Ibid・p,33.

  《Le lien unissant le signi丘ant au signifieest arbitraire,ou encore, puisque nous entendons par signe le

 total resultant de l'association d'un signifiant a un signi丘e,nous pouvons dire plus simplement: le signe

 linguisiique est arbitraire.》 Ibid. p. 100.

  ある生物を[uma]と呼ぶか,[ho:s]と呼ぶか[Jval]と呼ぶかはまったく勝手であって,各々の共同体が

 承認しているだけのことである.

14)《Puisque la langue est un systさme dont tous les termes sont solidaires et oii la valeur de Fun ne resulte

 que de la presence simultanee des autres,(・‥)》Ibid・p. 159.

  《Tout ce qui precede revient a dire que dans la Ia7吸ue il μ'y a que des diff勿rences.》 Ibid.p. 166.

  《Tout le mecanisme du langage, dont il sera question plus bas, repose sur des oppositions de ce genre

 et sur les diiferences phoniques et conceptuelles qu'ellesimpUquent.》 Ibid。p. 167.

  また同書,p, 125, 及びp. 153 のチェスの比喩を参照せよ.

15)前掲書,『言語学と語学教育』,p, 190.

16)前掲言, C∂μrsde linguistique genirale p. 103. を参照.

17』前掲書,『ラルース言語学用語辞典』(格J p. 51.

18)イントネーションに関する問題点は二段階になっている,一つは,肯定・否定の文,疑問文,命令文の

 イントネーションがなかなかとらえられないという初級段階の問題,次に,一応基本を身につけた場合,

 今度はイントネーションがパターン化してしまうだけでなく,上げる箇所を大仰に上げてしまう.

19)フランス語のアクセントがaccent du groupe であること,内容から考えてaccent d'emotion, accent

 intellectuel(di辰rentiel)の必要があることをせめて中級の読みもので指示すべきではないか。 J. c.

 CHEVALIER, C. BLANCHE-BENVENISTE, Grαがμaire £ar∂usse d″francais conte″porain. La-

 rousse, Paris, 1964. pp. 21-22.

20)enfantの文字を与えても,定冠詞単・複数,不定冠詞単・複数をつけさせるとたいてい[1認印や[leafa]

 になってしまう.作文をやらせると, le ei血ntと書くものの何と多いことか6音として[lafa]が出てくれ

 ば決してむつかしくはない.しかし,単に慣れで片づくことではない.かなりの量の意識的練習が必要で

 ある.

21)現在形であらわされるすべての行為,状態がということではない.現在形は,瞬間的なアスペクトもも

 っているから,ここで言うのは現在形が非瞬間的な,持続的なアスペクトをもっている場合である

 ex. // est content. Paul fume beaucoup.

  p. IMBS, U£niploi des temps verbaux e?t戸■a7icjzismoderne. p. 22-23. を参照せよ.

22)これは,筆者のoralの経験を中心にまとめた考えであるが,一応上掲書pp. 34-35. pp. 44-45. を参照,

 確認した.

23)ex. Allo, qu'est-ce que tu fais maintenant?

     (diner)一Je dine.

    Allo, qu'est-ce que tu fais maintenant ? Tu dines ?

-Ah non, (i'aideja dine).

                        参 考 文 献

1. CHEVALIER, Jean-Claude,BLANCHE-BENVENISTE, Claire,ARRIVE, MicheletPEYTARD

 Jean: Gra琲riiaireLαroμssed″francaisconte″porain,Larousse,Paris,1964.

                          -300-

Page 19: InfoLib-DBR(Login) - フランス語教育と文法とする記述文法grammaire descriptiveが生まれた。 当然,文法の意味とその対象範囲は大幅に広がる。例えば,ソシュールF

フランス語教育と文法

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