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文献の出版年 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 不妊女性 非不妊女性 0 40 0 30 0 20 0 10 0 50 0 (%) 2%(1976年) 20%(1996年) 10%(1960年代) 45%(2000年) はじめに 日本人女性のライフスタイルの変化,腹腔鏡 の導入や画像診断の進歩も相俟って子宮内膜症 (内膜症)の増加が指摘されている. 『日経メディカル』の2008年1月号の特集で は,出版社で猛烈に働く29歳の女性を主人公と した人気漫画「働きマン」を例にとり,女性の 社会進出に伴う晩婚化・少子化に関連した内膜 症や子宮筋腫などの婦人科疾患の増加を採り上 げ,その多様な症状から,他科の医師に対して 本疾患の存在を喚起している.内膜症のこれま での疫学調査では,対象集団や確定診断が一定 しておらず系統だった解析や客観的な評価が十 分になされていないことから,その発症動向に ついては明確でない実情にある.しかし,過去 に出版された51の欧米の文献から類推した最近 の報告によると,非不妊女性では過去40年間に 発症率が2%から20%に,不妊女性では過去20 年間に10%から45%へと,いずれも急激かつ著 明な増加を具体的に示している(図1)〔1〕. 内膜症は骨盤内疼痛や月経時のさまざまなト ラブルを惹起し,また不妊の原因となるばかり ではなく,卵巣癌をはじめとする骨盤内腫瘍の 発生母組織のひとつと考えられている.月経困 難症に関連する経済損失の報告によると,米国 では,経時障害による損失は全労働者の賃金の 8%に相当することが示され〔2〕,日本におい ても,月経困難症による1年間の労働損失金額 が社会経済学的に3,800億円に相当すると算出 されている〔3〕.一方,オランダの Maastricht 大学で行われた原因不明の不妊患者に対する腹 腔鏡下手術において,内膜症が確認された頻度 が,1981年から1990年のわずか10年の間に25% から70%に増加している〔4〕.内膜症合併不妊 症に対する体外受精・胚移植に関する22の成績 をもとにしたメタアナリシス研究では,内膜症 の存在は,採卵数,受精率,着床率のすべてに 悪影響を与え,内膜症の進行に伴っていずれの 成績も低下することが示されている〔5〕.内膜 症と卵巣癌の関連性は最近のトピックスのひと つであり,日本産科婦人科学会婦人科腫瘍委員 会による「本邦における子宮内膜症の癌化の頻 度と予防に関する疫学研究」小委員会が設置さ れ,2007年9月よりむこう4年間,30歳以上の 女性で卵巣チョコレート嚢胞を有する患者を登 録し,10年間の前向きオープンコーホート研究 が開始されている.それに先駆けて,卵巣癌検 診が導入された静岡県のデータでは,1985年か ら最長17年間(平均12.8年間)の前方視的な調 〔特別講演〕 エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 Endometriosis as an Enigmatic Pelvic Disease 熊本大学医学部産科婦人科学教室 片渕 秀隆 エンドメトリオーシス研会誌 2008;29:22-31 図1 過去に出版された文献から類推した子宮内膜症 の発症動向 22

Japan Society of Endometriosis - エニグマティックな骨盤臓器疾 … · 2008. 10. 6. · Endometriosis as an Enigmatic Pelvic Disease 熊本大学医学部産科婦人科学教室

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  • 文献の出版年 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000

    不妊女性

    非不妊女性

    0

    400

    300

    200

    100

    500 (%)

    2%(1976年)

    20%(1996年) 10%(1960年代)

    45%(2000年)

    発症率

    はじめに

    日本人女性のライフスタイルの変化,腹腔鏡

    の導入や画像診断の進歩も相俟って子宮内膜症

    (内膜症)の増加が指摘されている.

    『日経メディカル』の2008年1月号の特集で

    は,出版社で猛烈に働く29歳の女性を主人公と

    した人気漫画「働きマン」を例にとり,女性の

    社会進出に伴う晩婚化・少子化に関連した内膜

    症や子宮筋腫などの婦人科疾患の増加を採り上

    げ,その多様な症状から,他科の医師に対して

    本疾患の存在を喚起している.内膜症のこれま

    での疫学調査では,対象集団や確定診断が一定

    しておらず系統だった解析や客観的な評価が十

    分になされていないことから,その発症動向に

    ついては明確でない実情にある.しかし,過去

    に出版された51の欧米の文献から類推した最近

    の報告によると,非不妊女性では過去40年間に

    発症率が2%から20%に,不妊女性では過去20

    年間に10%から45%へと,いずれも急激かつ著

    明な増加を具体的に示している(図1)〔1〕.

    内膜症は骨盤内疼痛や月経時のさまざまなト

    ラブルを惹起し,また不妊の原因となるばかり

    ではなく,卵巣癌をはじめとする骨盤内腫瘍の

    発生母組織のひとつと考えられている.月経困

    難症に関連する経済損失の報告によると,米国

    では,経時障害による損失は全労働者の賃金の

    8%に相当することが示され〔2〕,日本におい

    ても,月経困難症による1年間の労働損失金額

    が社会経済学的に3,800億円に相当すると算出

    されている〔3〕.一方,オランダのMaastricht

    大学で行われた原因不明の不妊患者に対する腹

    腔鏡下手術において,内膜症が確認された頻度

    が,1981年から1990年のわずか10年の間に25%

    から70%に増加している〔4〕.内膜症合併不妊

    症に対する体外受精・胚移植に関する22の成績

    をもとにしたメタアナリシス研究では,内膜症

    の存在は,採卵数,受精率,着床率のすべてに

    悪影響を与え,内膜症の進行に伴っていずれの

    成績も低下することが示されている〔5〕.内膜

    症と卵巣癌の関連性は最近のトピックスのひと

    つであり,日本産科婦人科学会婦人科腫瘍委員

    会による「本邦における子宮内膜症の癌化の頻

    度と予防に関する疫学研究」小委員会が設置さ

    れ,2007年9月よりむこう4年間,30歳以上の

    女性で卵巣チョコレート嚢胞を有する患者を登

    録し,10年間の前向きオープンコーホート研究

    が開始されている.それに先駆けて,卵巣癌検

    診が導入された静岡県のデータでは,1985年か

    ら最長17年間(平均12.8年間)の前方視的な調

    〔特別講演〕

    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症Endometriosis as an Enigmatic Pelvic Disease

    熊本大学医学部産科婦人科学教室

    片渕 秀隆

    エンドメトリオーシス研会誌2008;29:22-31

    図1 過去に出版された文献から類推した子宮内膜症の発症動向

    22

  • a

    c

    b

    d

    査によって,卵巣子宮内膜症患者6,398例から

    46例(0.72%)の卵巣癌の発症が認められてい

    る〔6〕.

    本稿では,内膜症の抱えるこれらの臨床上の

    問題を念頭に置き,内膜症の発生臓器と組織特

    性,組織発生とその機序,そして癌化とその分

    子生物学について,これまで集積された研究内

    容と最新の知見に加え,当教室において過去25

    年間にわたり行ってきた臨床ならびに基礎研究

    を交え解説する.

    蠢.子宮内膜症の発生臓器と組織特性

    内膜症は,子宮内膜類似の組織が本来の正常

    な位置,すなわち子宮腔内面以外の組織や臓器

    などに異所性に存在し増生するために生じる病

    態と定義されている.内膜症の発生部位は卵巣,

    ダグラス窩,仙骨子宮靭帯の順に多く,卵管,

    子宮頸部,腟,結腸・直腸,虫垂,膀胱,尿管

    などが続き,そのほとんどが骨盤腔の腹膜とそ

    れらの深部組織である〔7〕.さらに,稀ながら

    リンパ節,外陰部,臍や肺といった遠隔臓器に

    も発生がみられる〔7〕.骨盤外に発生する内膜

    症では,それぞれの発生部位に応じた症状が出

    現するが,これらは基本的に月経周期に関連し

    た疼痛,出血あるいは臓器障害である.

    内膜症の病巣は,内膜腺類似の腺上皮,内膜

    固有間質類似の間質,内膜類似構造を取り囲む

    線維化間質の3層構造からなっている.内膜症

    における慢性炎症の中心となる場所は線維化間

    質と考えられ,この部位にマクロファージ

    (Mφ),肥満細胞,単球,好塩基球,好酸球な

    どのさまざまな炎症細胞の浸潤と線維芽細胞の

    増生,平滑筋化生,血管新生,神経新生が認め

    られる.また,内膜症の病巣では腺上皮細胞,

    間質細胞共にエストロゲンとプロゲステロンの

    受容体を通常発現しており,月経周期によって

    組織変化をもたらし,その結果として多彩な所

    見を呈する.この性ステロイド受容体の発現を

    反映して,妊娠期の内膜症組織の間質細胞は脱

    落膜化を示し,閉経期以降に認められる内膜症

    では,構成する腺細胞ならびに間質細胞は萎縮

    して観察される.さらに,内膜症の腺上皮細胞

    は卵管上皮(図2―a)や子宮頸管腺上皮(図

    図2 子宮内膜症構成上皮細胞の化生a:卵管上皮化生,b:子宮頸管腺上皮化生,c:アポクリン細胞化生,d:腸上皮化生ヘマトキシリン・エオジン染色,a−d:×200

    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 23

  • a b

    子宮筋層

    子宮漿膜面

    dc

    2―b)などのMüller管臓器の上皮へ形態を変

    え,アポクリン細胞(図2―c)や腸上皮(図2

    ―d)への化生も観察される.

    蠡.子宮内膜症の組織発生とその機序

    内膜症の組織発生には「学説の疾患」の側面

    があり,Sampsonが提唱した子宮内膜組織移

    植説〔8〕, Meyerが唱えた体腔上皮化生説〔9〕,

    さらに胎生組織遺残説,複合説の間で,これま

    で約1世紀にわたり論じられてきた.

    移植説には,経卵管性移植,経リンパ管/脈

    管性移植,直接進展,機械的移植の4つの過程

    が挙げられる.図3―aは,卵管腔内に子宮内

    膜症組織が観察される組織所見であり,図3―

    bでは子宮筋層の血管内に子宮内膜症組織が認

    められ,図3―cでは子宮内膜症組織が,子宮

    漿膜面を穿破し子宮後面に進展する様子が捉え

    られており,それぞれ,経卵管性移植,経脈管

    性移植,直接進展を示唆する.さらに,図3―

    dでは,腹膜に付着した子宮内膜症組織が観察

    され,これは著者が年間6~7,000枚のプレパ

    ラートを鏡検する過程で見い出した唯一のスラ

    イドであり,移植説が主流とされる中,実際に

    顕微鏡レベルでその事例を捉えることは奇蹟に

    近い感がある.

    一方,子宮の原基であるMüller管は胎生期

    において体腔上皮の陥入により発生することか

    ら,腹膜中皮や卵巣を被覆する表層上皮と,

    Müller管由来の臓器の発生起源は同一である

    という概念(secondary Müllerian system)〔10〕

    が提唱されている.これに従えば,腹膜中皮や

    卵 巣 表 層 上 皮(ovarian surface epithelium :

    OSE)がMüller管由来の子宮内膜の上皮や間

    質へと化生を起こし,内膜症が発生すると解釈

    され,われわれは卵巣においてその移行の過程

    を世界で初めて組織学的に示した(図4)〔11〕.

    この in vivo の所見を in vitro で証明するため

    図3 子宮内膜症の組織発生a:剥離した子宮内膜組織(←)が卵管腔内に浮遊している.b:子宮体部筋層の血管内に子宮内膜症組織(←)が認められる.c:子宮内膜症組織が子宮漿膜面を穿破し(←),連続性に子宮後面に進展している.d:子宮内膜組織(←)が,腹膜へ付着する様子が捉えられている.ヘマトキシリン・エオジン染色,a:×10,b:×25,c:×10,d:×25

    片渕24

  • 封入嚢胞を構成する一層の上皮細胞

    子宮内膜症

    ba

    c

    に,われわれは,1994年に樹立したヒト OSE

    の採取・培養法を用い〔12〕,OSEのコラーゲ

    ンゲル包埋培養を4つの条件で検討した.すな

    わち,OSE単独の培養,OSEと子宮内膜間質

    細胞(ES)の共培養,OSEと卵巣間質細胞(OS)

    の共培養,そして ES単独培養で,さらにこれ

    らをエストラジオール(E2)添加群と vehicle

    群に分けて観察を行った.その結果,OSE単

    独培養系の E2添加群(図5―a),OSE/ES共

    培養系の E2添加群(図5―b, c)に管腔構造

    が認められ,後者において,核の基底側への偏

    倚と線毛の出現がみられ,さらに前者の上皮に

    は陰性であった epithelial membrane antigen

    (EMA)が cytokeratinと共に陽性を示し,腺

    細胞への分化が確認された.なお,その他の条

    件では管腔構造は形成されなかった(表1).

    以上のことから,OSEには腺細胞への分化能

    があり,その過程には E2や子宮内膜間質細胞

    が関与していることが示唆され,経卵管性に逆

    流する月経血に含まれる子宮内膜間質細胞は化

    生説を複合説へ展開する上で重要な因子と考え

    られる〔13〕.

    そこで,E2をはじめとした性ステロイドの

    内膜症における細胞内環境についてみてみる

    と,内膜症組織では,特異的に発現しているア

    ロマターゼがアンドロステンジオンをエストロ

    表1 OSEの管腔形成の有無と細胞性格の変化

    E210ng/ml 添加群 vehicle群

    OSE単独培養系CytokeratinEMA

    OSE/ES共培養系CytokeratinEMA

    OSE/OS共培養系ES単独培養系

    管腔構造あり

    管腔構造あり

    管腔構造なし

    管腔構造なし

    管腔構造なし

    管腔構造なし

    管腔構造なし

    管腔構造なし

    OSE : ovarian surface epitheliumES : endometrial stromal cellsOS : ovarian stromal cellsEMA : epithelial membrane antigen

    図4 卵巣封入嚢胞から子宮内膜症への移行卵巣皮質の表層に認められる封入嚢胞を構成す

    る1層の表層上皮が子宮内膜症の腺上皮へ移行

    している(→).

    ヘマトキシリン・エオジン染色,×33

    図5 卵巣表層上皮のコラーゲンゲル包埋3次元培養卵巣表層上皮の3次元培養では,エストラジオール17β(10ng/ml)の添加によって管腔を形成する(a).子宮内膜間質との共培養では,上皮-間質の構築を形成し,管腔を形成する表層上皮は立方化し,核が基底側へ偏倚し,線毛の出現がみられる(b,c).ヘマトキシリン・エオジン染色,a:×400,b:×400;酢酸ウラニル・クエン酸鉛染色,c:×17,000,N:核

    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 25

  • 2μm

    N

    2μm

    N

    2μm

    N

    2μm

    N

    a b

    c d

    ン(E1)に転換し,E1は17β−hydroxysteroid

    dehydrogenase(17β―HSD)type1により E2

    に転換される.正所の子宮内膜では17β―HSD

    type2とその活性が認められ,E2を E1へ転

    換し活性調節を行う機構が働くとされている

    が,内膜症組織ではその発現が欠如し,E2の

    局所濃度が高まると報告されている〔14〕.わ

    れわれが行った初代培養 OSEへの E1と E2

    のそれぞれの添加実験では,E1から E2,E

    2から E1への両方向の転換が認められ,さら

    に,OSEにおける RT―PCRの検討では,E2

    と E1の転換に関わる17β―HSDの type1,type

    4,type8の発現が確認される一方,type2の

    発現は認められなかった〔15〕.OSE細胞内に

    おけるエストロゲン活性調節機構の破綻は,内

    膜症およびに OSE由来の腫瘍の発生に関与す

    る可能性があり,さらなる研究の展開が期待さ

    れる.

    著者が行ってきた研究テーマのひとつに「ヒ

    ト女性生殖臓器とMφ」〔16〕があるが,この

    研究の端緒に就いた1980年代前半の頃では,Mφ

    は免疫担当細胞として認識されていた.その後,

    サイトカインの概念の登場により全身の臓器や

    組織の生理状態におけるMφの関与が急速に論

    じられるようになった.われわれはこれまで,

    卵巣,卵管,胎盤絨毛,脱落膜,子宮頸部の

    Mφと共に,内膜症における腹腔Mφの関与に

    ついてもいち早く着目して研究を行ってきた.

    性成熟期の女性の腹腔内には少量の腹水が常時

    認められ,中皮細胞とともにMφやリンパ球が

    その主な細胞成分として含まれ,腹膜中皮の化

    生を促す重要な因子と考えられている.ヒト腹

    腔Mφには亜型がみられ,細胞内酵素のひとつ

    であるペルオキシダーゼ(PO)の細胞内局在

    を指標にすると,在住,滲出,滲出在住,PO

    陰性の4種類のMφに分類される(図6―a, b,

    c, d).内膜症における腹腔Mφ数は,内膜症

    のない子宮筋腫の症例と比較して有意に増加し

    ていることが確認され,さらに,先の4亜型の

    中で活性型とされる滲出Mφの割合を検討した

    図6 内因性ペルオキシダーゼ(PO)活性の電子顕微鏡的局在による腹腔マクロファージ(Mφ)の分類

    a:在住Mφ, b:滲出Mφ, c:滲出在住Mφ, d : PO陰性Mφ クエン酸鉛染色,N:核

    片渕26

  • 0

    1

    2

    3

    4(×107)

    子宮内膜症 蠢 蠡 蠱 蠶

    (n=2) (n=14)

    子宮筋腫

    0

    10

    20

    (%)

    子宮内膜症

    (n=5)

    腹腔マクロファージ数

    滲出マクロファージの割合

    (n=5) 子宮筋腫 (n=1) (n=3) (n=8)

    蠢 蠡 蠱 蠶 (n=4) (n=1) (n=3) (n=6)

    *p < 0.01

    *p < 0.05

    0

    10

    20

    30

    40

    50

    子宮内膜症(n=47)

    (ng/ml) *p < 0.05

    腹水中のMCP―

    1濃度

    非子宮内膜症 蠡 蠱 蠶 蠢 (n = 30) (n= 6) (n= 10) (n= 6) (n= 25)

    結果,子宮筋腫の群に比べて内膜症では軽症の

    段階ですでに滲出Mφの割合が増加しているこ

    とが示された(図7).以上のことから,内膜

    症症例の腹腔内は,その発症と共に腹腔Mφを

    動員し増加させる被刺激的環境が形成され,か

    つMφの活性化が亢進している可能性が考えら

    れる〔17〕.

    Mφは種々のサイトカイン,凝固因子,線溶

    系因子,補体成分,血漿タンパク,脂質,酵素

    を含めて,種々の生理活性物質を産生・分泌し

    ている.そこでわれわれは,特発性間質性肺炎

    にみられる肺胞上皮の化生細胞にMφの特異的

    遊走活性化因子であるmonocyte chemo−at-

    tractant protein―1(MCP―1)の局在と発現

    が認められ,この化生細胞によるMCP-1の

    持続的な分泌が肺胞Mφを動員し,間質性肺炎

    の病態形成に関与するという報告〔18〕に着目

    し,内膜症の化生説の見地からMCP―1につい

    て検討を加えた.内膜症の腹水中のMCP―1濃

    度は非内膜症に比べて有意に上昇しており,臨

    床進行期別では蠢期のみが有意に増加を示し,

    蠡~蠶期では,非内膜症との間に有意な差は認

    められなかった(図8).この結果は,MCP―

    1が内膜症発生の初期の段階に関与している可

    能性を示唆する.次に,このMCP―1とMφの

    局在を免疫組織化学で検討を加えると,骨盤腹

    膜の内膜症病巣において,腺上皮細胞周囲の間

    質細胞に多数のMφが認められ(図9―a),MCP

    ―1の陽性がほとんどの上皮細胞と一部の間質

    図7 子宮内膜症における腹腔Mφ数と滲出Mφの割合子宮内膜症における腹腔Mφ数は,子宮筋腫症例と比較して有意な増加がみられる(上段).滲出Mφの割合は,子宮筋腫に較べて臨床進行期蠢期ですでに有意な増加が認められるが,各ステージ間における有意差はない(下段).

    図8 子宮内膜症における腹水中のMCP-1濃度臨床進行期別の子宮内膜症と非子宮内膜症の

    MCP-1濃度の比較では,蠢期のみで有意な上昇がみられる.

    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 27

  • a b

    c

    細胞に観察された(図9―b).さらに,両者の

    二重免疫組織化学による検討では,共に陽性を

    示す細胞が間質のMφに認められ(図9―c),

    MφによるMCP―1産生を示唆する所見が得ら

    れている〔19〕.

    移植説,化生説,そして複合説から内膜症の

    発生について解説したが,未だひとつの学説で

    内膜症の発生のすべてを説明するに足りるもの

    は存在しない.ベルギーの Donnezらは,骨盤

    腹膜,卵巣,直腸腟靭帯のそれぞれに出現する

    内膜症は発生機序が異なる個々の疾患であると

    いう考えを提唱した〔20〕.すなわち,腹膜の

    病巣こそが Sampsonの説によって発生し,卵

    巣はMeyerの説に基づき,そして,直腸腟靭

    帯の病巣は平滑筋の増生を含む adenomyosis

    と捉え,遺残Müller管の化生により発生する

    第3の内膜症であると考察している.繰り返し

    になるが,内膜症の発生に至る病態を一元的に

    説明することは不可能で,発生臓器別に異なる

    機序を経て発生する症候群としての捉え方が正

    鵠を得ている.

    蠱.子宮内膜症の癌化とその分子生物学

    日常の臨床の場において,内膜症に由来ある

    いは関連する骨盤内の悪性腫瘍が近年増加傾向

    にあり,かつ多様化している印象を受ける.表

    2は,1991年から2000年までの10年間に,当教

    室で開腹術を行った子宮頸癌,子宮体癌,卵巣

    癌について,組織学的に内膜症が確認された症

    例の割合を検討したものである.その結果,卵

    巣癌では,他の2つの腫瘍の約2倍の21%の頻

    表2 熊本大学で治療を行った婦人科癌における子宮内膜症,子宮腺筋症,子宮筋腫の合併(1991~2000年)

    子宮頸癌 子宮体癌 卵巣癌

    開腹症例数 320例 166例 146例

    平均年齢 49.6歳 57.2歳 53.3歳

    子宮内膜症 11.9% 8.2% 21.1%前5年間

    後5年間

    10.6%

    28.1%

    子宮腺筋症 11.3% 17.0% 10.0%前5年間

    後5年間

    12.0%

    11.0%

    子宮筋腫 21.3% 28.7% 23.3%前5年間

    後5年間

    12.2%

    27.6%

    図9 子宮内膜症におけるMφならびにMCP―1の局在腹膜子宮内膜症の病巣における AM―3K(抗ヒトMφモノクローナル抗体)ならびに F9(抗ヒトMCP―1モノクローナル抗体)免疫組織化学染色による検討では,腺管周囲の間質細胞に多数のMφがみられ(a),大部分の腺上皮細胞と一部の間質細胞にMCP―1の局在が認められる(b).二重免疫組織染色では間質に二重陽性細胞が観察される(c).ヘマトキシリン染色,a:×60,b:×60,c:×350

    片渕28

  • チョコレート嚢胞合併卵巣癌:18例/315例(5.7%)

    1986-1990

    1991-1995

    1996-2000

    2001-2005

    52 53 83 100

    1 3 14 0 20 40 60 80 100

    チョコレート嚢胞合併無し (n=297)

    チョコレート嚢胞合併有り (n=18)

    症例数

    0

    度で内膜症を合併し,さらに前半5年の10.6%

    から後半5年の28.1%へと著しく増加してお

    り,本邦において過去30年間に約3倍に増加し

    ている卵巣癌の発生と病因論的に共通の背景が

    想定される.また,1986年から2005年までの当

    教室における卵巣癌315例の後方視的検討で

    は,18例(5.7%)にチョコレート嚢胞の合併

    がみられたが,このうちの14例は,2001年から

    2005年までの最近5年間に集中して認められて

    いる(図10)〔21〕.組織型の内訳は明細胞腺癌

    9例,類内膜腺癌9例で,臨床進行期は,チョ

    コレート嚢胞合併卵巣癌では IV期の1例を除

    いた17例(94.4%)が I期であり,特に Ic期

    が11例を占めていた.これらの症例の中には,

    チョコレート嚢胞から明細胞腺癌およびに類内

    膜腺癌に至る natural historyを追跡し得た症例

    が存在し,組織学的にも内膜症の病巣から異型

    子宮内膜症,腺癌へと移行する過程が確認され

    た.異型子宮内膜症は,組織学的に中等度から

    高度の多型性を示す上皮細胞,そのクロマチン

    に富む,あるいは淡明な大型の核,核と細胞質

    比の増加,上皮細胞の重層化などを特徴とし,

    癌腫の発生を考えるうえで重要な precancer-

    ous lesionと考えられている.

    一方,分子生物学的研究が進歩の一途を辿る

    中,遺伝子改変マウスを用いて OSEに K−ras

    遺伝子の活性化を惹起することによって内膜症

    が出現し,さらに PTEN 遺伝子の欠失を加え

    ることで類内膜型の卵巣癌が発生するモデルマ

    ウスが発表され,内膜症研究における新たな潮

    流がみられる〔22〕.ミシガン大学の Choらと

    われわれの共同研究では,同じ PTEN 遺伝子

    の欠失と APC 遺伝子の欠失にて類内膜型の卵

    巣癌をきたすモデルマウスを作成することに成

    功した〔23〕.最近の基礎研究の蓄積により,

    卵巣癌は組織型によって前癌病変が異なり,さ

    らには癌化に至る責任遺伝子までもがそれぞれ

    で異なることが明らかになりつつあり(表3)

    〔24〕,数々の癌原因子を標的とした新たな診断

    法や治療ストラテジーの展開が期待されてい

    る.最近,われわれは,抗癌剤に抵抗性を示し

    予後不良となる明細胞腺癌と,比較的抗癌剤の

    感受性が高い漿液性腺癌におけるタンパク質の

    発現を,2-D liquid phase mass mapping method

    を用いて検討した結果,それぞれの組織型に特

    異的ないくつかのタンパク質が同定された.そ

    の中で,カルシウム依存性リン脂質結合タンパ

    ク質のアネキシンファミリーに属する Annexin

    A4が,検討した16例の明細胞腺癌すべてにお

    いて高い発現がみられる一方,漿液性腺癌では

    8例中1例に認められるのみであった.この

    Annexin A4は,免疫組織化学においても明細

    胞腺癌で漿液性腺癌に比べ明らかに高い染色性

    が確認され,今後の内膜症に関連する明細胞腺

    癌の診断と治療への応用が期待される〔25〕.

    おわりに

    Enigmatic diseaseと呼ぶにふさわしい内膜

    症では,多彩な症状と所見から個々の症例に即

    した臨床的対応が要求される.また,臨床上抱

    える問題のそれぞれの観点に立った内膜症の病

    態解明こそが,新規の薬物を含めた治療法の開

    発へ繋がると考えられる.

    本稿の要旨は,第29回エンドメトリオーシス研

    究会(2008年1月19日,高知市)の特別講演で発

    表した.なお,頁数の都合により,発表内容の一

    部については割愛した.

    図10 熊本大学におけるチョコレート嚢胞合併の有無別にみた卵巣癌症例数の推移(1986年~2005年)

    過去15年間における卵巣癌315例のうち,18例

    (5.7%)にチョコレート嚢胞の合併が認めら

    れ,2001年以降,急激な増加がみられている.

    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 29

  • [共同研究者]

    熊本大学大学院医学薬学研究部 産科学婦人科学

    分野

    福松之敦,中村正也,大竹秀幸,伊井小百合,

    田浦(永吉)裕三子,本原研一,前田知子,宮

    原 陽,角田みか,西村 弘,本田律生,田代

    浩徳,大場 隆,松浦講平(臨床教授),岡村

    均(名誉教授)

    慶応義塾大学医学部 先端医科学研究所遺伝子性

    制研究部

    佐谷秀行(教授)

    Department of Pathology, University of Michigan,

    U.S.A.

    Kathy R. Cho(教授)

    文 献〔1〕Guo SW et al. Sources of heterogeneities in esti-

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    表3 上皮性卵巣癌の組織型からみた前癌病変と遺伝子変化

    組織型 前癌病変 既知の遺伝子変化

    漿液性腺癌

    (低悪性度)

    (浸潤性 MPSC)

    Serous cystadenoma/adenofibromaAtypical proliferative serous tumorNoninvasive MPSC

    BRAF 変異,K−ras 変異(~67%)

    粘液性腺癌 Mucinous cystadenomaAtyical proliferative mucinous tumorIntraepitherial carcinoma

    K−ras 変異(~60%)

    類内膜腺癌 EndometriosisEndometrioid adenofibromaAtypical proliferative endometrioid tumorIntraepitherial carcinomma

    LOH/PTEN 変異(20%)β−catenin gene 変異(16~54%)K−ras 変異(4~5%)MI(13~50%)

    明細胞腺癌 EndometriosisClear cell adenofibromaAtypical proliferative clear cell tumorIntraepitherial carcinoma

    K−ras 変異(5~16%)MI(~13%)TGF−β RII 変異(66%)

    MPSC : micropapillary serous carcinoma, LOH : loss of heterozygosity,MI : microsatelite instability, TGF : transforming growth factor

    片渕30

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    エニグマティックな骨盤臓器疾患;子宮内膜症 31