8
新連載 いいづかよしのり1970年東京大学工学部計数工学科卒業。主たる研究分野は品質 マネジメント。主な関心領域は,TQM, ISO9000,構造化知識工学,医療社会システム 工学,ソフトウェア品質,原子力安全。日本品質管理学会元会長,デミング賞審査委員会 元委員長,日本経営品質賞委員,TC176前日本代表,医療の質・安全学会理事。デミン グ賞本賞(2006年)。日経品質管理文献賞(1996,1998,1999,2002,2003,2006,2009,2012, 2015年)。ASQ/Freund-Marquardt Medal (2010年)。工業標準化内閣総理大臣表彰(2012年)。 東京大学 名誉教授 公益財団法人日本適合性認定協会 理事長 飯塚悦功 今回から4回にわたって,「医療安全を組織的に保証するための知識を 学ぶ」と題する連載を始める。この連載に先立って,本誌2018年8・9月 号(Vol.6,No.1)で「医療安全の組織的な推進  “モグラ叩き”的な活動 から仕組みの改善へ!」という特集を組み,仕組みの改善で医療安全を組 織的に保証する医療現場での取り組みを紹介した。そして,本誌2018年10・ 11月号(Vol.6,No.2)から「医療安全を組織的に保証するツールを使い こなす」という5回シリーズの連載を続け,PFC(プロセス・フロー・チャー ト),標準化,教育,内部監査,事故分析手法について解説した。 本連載は,これまでの特集,連載の総まとめとして,医療安全を組織的 に保証するための基本知識,特にQMS(Quality Management System; 品質マネジメントシステム)について,「QMSの基本概念と意義」「QMS の構成要素」「日常管理・方針管理」「まとめ・今後の展望」について解 説する。これまでの記事も参考にしながら読んでいただければ,1年に わたる記事の企画の意図や位置づけを再確認することができ,それらの知 識を自らの組織に適用するに当たっての有益な視点が得られるものと期待 する。 QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で 使われるが,その意味するところは決して分かりやすいものではない。医 療システム,社会システム,情報システム,業務システムなどと表現され る時,ただ単に,医療,社会,情報,業務などと表現する時に比べ,どの ような意味合いの違いがあるのだろうか。 私たちが「システム」という用語を使う時には,考察しようとしている 対象が多くの要素から構成され,したがって複雑であり,全体として何ら かの目的を持っている時である。そして,要素間の関係や目的と要素間の QMSの基本概念と その意義 病院安全教育 Vol.7 No.1 32

QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

医療安全を組織的に

保証するための知識を学ぶ

医療安全を組織的に

保証するための知識を学ぶ

新連載

いいづかよしのり●1970年東京大学工学部計数工学科卒業。主たる研究分野は品質マネジメント。主な関心領域は,TQM,ISO9000,構造化知識工学,医療社会システム工学,ソフトウェア品質,原子力安全。日本品質管理学会元会長,デミング賞審査委員会元委員長,日本経営品質賞委員,TC176前日本代表,医療の質・安全学会理事。デミング賞本賞(2006年)。日経品質管理文献賞(1996,1998,1999,2002,2003,2006,2009,2012,2015年)。ASQ/Freund-Marquardt Medal(2010年)。工業標準化内閣総理大臣表彰(2012年)。

東京大学 名誉教授公益財団法人日本適合性認定協会 理事長飯塚悦功

 今回から4回にわたって,「医療安全を組織的に保証するための知識を

学ぶ」と題する連載を始める。この連載に先立って,本誌2018年8・9月

号(Vol.6,No.1)で「医療安全の組織的な推進 “モグラ叩き”的な活動

から仕組みの改善へ!」という特集を組み,仕組みの改善で医療安全を組

織的に保証する医療現場での取り組みを紹介した。そして,本誌2018年10・

11月号(Vol.6,No.2)から「医療安全を組織的に保証するツールを使い

こなす」という5回シリーズの連載を続け,PFC(プロセス・フロー・チャー

ト),標準化,教育,内部監査,事故分析手法について解説した。

 本連載は,これまでの特集,連載の総まとめとして,医療安全を組織的

に保証するための基本知識,特にQMS(Quality Management System;

品質マネジメントシステム)について,「QMSの基本概念と意義」「QMS

の構成要素」「日常管理・方針管理」「まとめ・今後の展望」について解

説する。これまでの記事も参考にしながら読んでいただければ,1年に

わたる記事の企画の意図や位置づけを再確認することができ,それらの知

識を自らの組織に適用するに当たっての有益な視点が得られるものと期待

する。

QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ

メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

使われるが,その意味するところは決して分かりやすいものではない。医

療システム,社会システム,情報システム,業務システムなどと表現され

る時,ただ単に,医療,社会,情報,業務などと表現する時に比べ,どの

ような意味合いの違いがあるのだろうか。

 私たちが「システム」という用語を使う時には,考察しようとしている

対象が多くの要素から構成され,したがって複雑であり,全体として何ら

かの目的を持っている時である。そして,要素間の関係や目的と要素間の

QMSの基本概念と その意義

病院安全教育 Vol.7 No.132

Page 2: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

関係を知って,目的の達成や何らかの最適化

を図ることに焦点を当てる時によく使われる。

 QMSについても同様で,品質マネジメント

のためのシステムとして,どのような要素が

あり,それらの要素を最適化し,QMS全体

の目的を効果的・効率的に達成しようという

意図があるものと考えたい。

 その意味で,「医療安全を組織的に保証す

るための一つの有力な方法論は,QMSの構

築とその健全な運用である」と言える。だが,

こんなことを言われても,にわかには理解で

きないし,信じられない。そのため,この4

回の連載において,QMSの構築と運用とい

う組織運営アプローチの基本的考え方と方法

論を紹介する。今回はその第1回として,

「QMS」という聞き慣れない用語の基本概念

と意義を解説する。

 QMSという用語の3つの頭文字Q,M,

Sには,次に示すような深遠なる概念が含ま

れている。

Q:Quality(品質)・品質中心経営:(利益ではなく)品質を中核に置く経営・顧客志向:(価値提供者ではなく)その受け取り手である顧客のためを考えた活動・目的志向:(手段ではなく)目的(何のため)に焦点を当てた活動M:Management(マネジメント)・目的達成:(監視・締め付けではなく)目的達成のための活動・技術の活用:固有技術を活かし目的を達成する方法論・優れたマネジメントの原則:PDCA,事実に基づく管理,プロセス管理,標準化,改善,原因分析,人間尊重などS:System(システム)・体系化:目的達成のための構成要素の最適化,有機的つながり,部門・機能・人の役

割の明確化,日常化 以降では,これらQ,M,Sのそれぞれに

ついて,上述した意味を解説する。

Q:Quality(品質)品質中心経営 組織は,その製品・サービスを通して顧客

に価値を提供し,それによって得られた利益

を使って価値の提供を続ける。品質マネジメ

ントは,こうした活動において,売上や利益

などの財務中心ではなく,製品・サービスの

品質を中心に置く経営アプローチである。こ

れがどのような経営であるべきかを考察する

ためには,何を(製品・サービス),誰に(顧

客)提供しているのかを明らかにしておかな

ければならない。

 医療において「製品・サービス」,すなわ

ち品質マネジメントの対象となるもの,組織

が顧客に提供する価値が含まれているものは

何だろうか。「医療プロセス」において価値

を付与する主たる対象は患者であるが,これ

は製品・サービスとは言えないだろう。医療

プロセスから生み出されるものは,患者その

ものではなく,患者の「状態の変化」であり,

患者が医療プロセスにおいて受けた医療サー

ビスの総体であると考えるべきである。すな

わち,医療における製品・サービスは「患者

などに提供される医療サービス全体」である

と考えるのが自然である。

 医療における「顧客」とは誰であろうか。

まずは,患者本人(または患者の代理人)と

考えるべきであろう。製品・サービスを「医

療サービスの全体」と考えるなら,その医療

サービスの直接の受け取り手は患者なのだか

ら当然である。

 もっと広く考えるなら,社会全体までを考

慮すべきかもしれない。製品・サービスの価

値の直接の受け取り手だけを顧客と考えると

病院安全教育 Vol.7 No.1 33

Page 3: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

しても,社会,正確には地域社会,地域住民,

当該医療機関の潜在顧客(将来,患者になる

かもしれない人)もまた顧客と考えてよいだ

ろう。

顧客志向 では次に,その製品・サービスの良し悪し

としての「品質」とはどのような意味なのだ

ろうか。品質は「ニーズにかかわる対象の特

性の全体像」と定義される。品質が考慮の対

象についての特性の全体像を意味しているこ

とに異存はないだろう。だが,特性といって

もそれこそゴマンとある。この定義のポイン

トは「ニーズにかかわる」の部分にあり,そ

れら無数に考えることのできる特性のうち

ニーズにかかわるものの全体像がその考慮の

対象の品質である。品質について考慮の対象

としたもの,それが製品・サービスであれ,

システムであれ,人であれ,プロセスであれ,

業務であれ,何であれ,その対象に対する

ニーズに関する特性に関心がある。

 さて,ニーズと言うが誰のニーズなのだろ

うか。顧客,すなわち提供する製品・サービ

スの受け取り手がその製品・サービスに対し

て持つニーズである。提供側ではなく,価値

の受け取り手が関心を寄せ何らかのニーズを

抱く,その特性の全体像,これが品質の意味

である。

 この品質の意味から,「品質の良し悪しは

顧客の満足度で決まる」と言うことができる。

提供者側が決めるものでない。「使用目的に

合っていること」とも言える。高級というこ

とと高品質ということは別のことである。公

序良俗,倫理に反しない限り,品質がよいも

のとはよく売れるもののことである。このよ

うに,品質マネジメントにおいては,品質とは

「顧客満足度」「使用適合性」であり,製品・

サービスを提供する側の論理ではなく,それ

を受け取る側の評価で決まると考えている。

目的志向 実は,「ニーズにかかわる対象の特性の全

体像」という品質の定義には,深遠なる意味

が隠されている。それは,品質の良し悪しは

外的基準で決まるということである。製品・

サービスの提供側から見て,その受け取り手

側という外部の価値基準によって決まるとい

うことである。「目的志向」と言ってもよい

かもしれない。製品・サービスの提供に当

たって,品質に関心を持つということは,す

べての行動は外的基準に適合するという目的

のためになされるべきであるということが示

唆されている。自分の勝手な価値観でなく,

目的に照らして自分の活動が妥当かどうか判

断するという行動様式が推奨されているので

ある。品質マネジメントが広範囲に適用され

る理由の一つは,品質が持つこのような基本

概念にある。

M:Management (マネジメント)目的達成 「管理」という用語からどのようなことを思

い浮かべるだろうか。「広辞苑」には,「管轄

し処理すること。良い状態を保つように処置

すること。とりしきること」などと書いてあ

る。「管轄」「とりしきる」と「良い状態を保

つように……」の間には,若干のニュアンス

の違いを感じる。同じ読みの「監理」を調べ

てみると「監督し処理すること。取り締まる

こと」とあり,こちらは明らかに統制のイ

メージが強い。

 品質マネジメントにおいて,「管理」「マネ

ジメント」は,「目的を効率よく継続的に達成

するためのすべての活動」を意味する。管理

社会,管理強化などの用語が与える語感は,

病院安全教育 Vol.7 No.134

Page 4: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

監視,締め付け,統制,規制などだが,品質

マネジメントでは,管理,マネジメントをそ

のような狭量なものとは考えてこなかった。

 管理の意味のうち最も重要なことは「目的

達成」である。目的達成のために監視,統制,

規制をすることがあるかもしれないが,それ

はあくまでも目的をうまく達成するための理

にかなった手段としてのことである。「管理

強化反対」と叫ぶ運動はよくあるが,管理が

目的達成のための活動であるなら,「目的達

成反対」ということになり,実に妙な言葉と

なる。

 管理の定義に含まれる重要な側面として,

効率性と継続性もある。効率性を問題にする

のは自然である。目的を達成するために,ど

んなにお金がかかっても,どんなに時間がか

かってもよいとは言えない。なるべく少ない

投入資源で目的を達成すべきである。

 継続性については,意外に思うかもしれな

い。たった一度だけの目的達成のために管理

は必要ないというのである。ここで注意した

いのは,継続ということの意味である。私た

ちは,全く同じ目的を全く同じ手段で達成す

ることはあり得ない。全く同じ状況が繰り返

されることはあり得ないからである。しか

し,全く同じではなくても似てはいる。患者

には多様性があるがみな等しく人間であり,

誰もが人間に固有の性質を持っている。人間

に対して何らかの対応をするとなったら何ら

かの意味で繰り返しがあり,活動は継続的と

なり管理が必要となる。

技術の活用 品質のよい製品・サービスを効率的に提供

するために必要なことは何だろうか。とにか

く,製品・サービスに固有の「技術」がなく

てはどうしようもない。医療においても,ど

のような疾患があり得るか,その時患者はど

のような状態になり得るか,それぞれの状態

においてどのような状態変化が起こり得るか,

望ましい状態に誘導するにはどのような医療

介入があり得るか,それらの医療介入を行う

と患者にどのような状態変化を起こし得るか

などに関する,膨大な知識,技術,技能を

持っていなければまともな診療はできない。

 これに加えて,こうした技術を組織で活用

していくための「マネジメント」が必要であ

る。高い知識,技術,技能を持っていても,

それが特定個人だけのものであれば組織全体

の能力にはならないし,それらが理論的には

組織が保有するものになっていたとしても,

然るべき時に然るべき人が適切に活用できる

ような仕組みを構築しておかなければ,それ

らの知識・技術・技能は日の目を見ない。マ

ネジメントとは,この意味で「分野・領域に

固有の技術を活用して目的を達成する技術」

と言える。

 これら2つの要件を「固有技術」「管理技術」

と言うことがある。固有技術とは,製品・

サービスの提供に必要な,製品・サービスに

固有な技術のことである。固有技術には,製

品・サービスに対するニーズにかかわる知

識・技術,製品・サービスの設計にかかわる

知識・技術,実現・提供にかかわる知識・技

術・技能,評価にかかわる知識・技術・技能

などがある。

 一方,管理技術とは,固有技術を支援し,

目的達成のための業務を効果的,効率的に実

施できるようにし,またさまざまな運営上の

問題を解決していくために有効な技術,方法

のことを言う。組織運営の方法,品質マネジ

メントや原価管理などの仕組みと運営,標準

的手順やマニュアルの設定と運用,問題解決

法などの手法・技法は管理技術の例である。

病院安全教育 Vol.7 No.1 35

Page 5: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

優れたマネジメントの原則 品質マネジメントの方法論には,優れたマ

ネジメントに共通する原理・原則が含まれて

いる。ページ数が限られていて,ここでは詳

細は説明できないが,その一端を簡単に紹介

しておく。QMSを構築し,品質マネジメン

トを適用することは,これらの珠玉のような

原則に従った組織運営を志向することを意味

する。●PDCA 品質マネジメントにおいては,管理を行う

際に,PDCAのサイクルを回すことが効果的・

効率的であるとしている。PとはPlan(計画),

DとはDo(実施),CとはCheck(確認),A

とはAct(処置)という意味である。PDCA

サイクルは,管理のために,計画を立て,計

画に従って実施し,結果が満足できるものか

どうか確認し,満足できなければ処置をする,

というのだから,当然と言えば当然である。

当たり前じゃないかとバカにしたくなるが,

なかなか深い意味がある。図1に,PDCAの

それぞれのステップにおいて実施することを

記してある。その意味を考えながらPDCAの

深い意味を考察したい。●事実に基づく管理 品質マネジメントは「事実に基づく管理」

を推奨している。品質マネジメントは,管理

における科学性を重視し,科学的管理を標榜

している。「科学性」の意味について難しい

議論はいろいろあるが,事実と論理を重んじ

る思考・行動様式という程度の意味だと考え

ると,科学性を標榜する品質マネジメントに

おいて事実を重視することは当然のことであ

る。●プロセス管理 品質を達成するための方法論として,品質

マネジメントは,「工程で品質をつくり込む」

ことを推奨している。一般に,望ましい結果

を得るためには,その結果を生み出すプロセ

スに着目するのが有効である。プロセス管理

とは,「結果を追うだけでなく,プロセス(仕

事のやり方)に着目し,これを管理し,仕事

の仕組みとやり方を向上させることが大切」

という考え方に基づくマネジメントの方法で

ある(図2)。

 図2のプロセスは,典型的な製造工程をイ

メージして書いている。実は,プロセス管理

という考え方は,一般的な業務の質を管理す

る際にも有効である。事務作業においてミス

が発生した時,「チェックしろ,チェックを強

化しろ」というアプローチもあり得るが,ミ

スの原因,誘因,背景要因を明らかにしてプ

ロセスを改善することによって発生率を減少

させる方が有効である。●標準化 「標準」や「標準化」という用語から何を思

い浮かべるだろうか。不条理な規制,ルール

図1●PDCAサイクル

Check確認

Act処置

Do実施

Plan計画

•PlanP1:目的・目標の明確化P2:目的達成のための手

段・方法の決定•DoD1:実施準備・整備D2:計画・指定・標準ど

おりの)実施•CheckC1:目標達成にかかわる状況確認,分析,対応検討C2:副作用の確認,対応検討•ActA1:応急処置,影響拡大防止A2:再発防止,未然防止

図2●プロセス管理

プロセス手順,方法,条件

原料・材料人の技量

確認項目

作業環境 設備,機器

結果

病院安全教育 Vol.7 No.136

Page 6: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

絶対主義の石頭,マニュアル人間,柔軟性の

かけらもない画一化,独創性の敵,多様性の

無視などだろうか。これらはいずれも,標準

や標準化のある側面を物語っている。しかし,

標準や標準化の深遠なる意味を理解した上

で,こうしたことを思い浮かべたわけではな

いだろう。

 標準は「計画」における繰り返し適用され

る目的達成手段であり,標準化によって「知

識や経験の再利用」,目的達成手段をいちい

ち考えなくても済む「省思考」が可能となる。

標準の内容は「技術・知識基盤」そのもので

ある。標準化は,改善の前後の方法を可視化

する「改善の基盤」である。標準は,どうす

ればよいか分かっていることは標準に従い,

その余裕を独創的思考に使うという意味で

「独創性の基盤」でもある。標準化とは単な

る画一化ではなく,組織で優れた方法を適用

できるようにするという意味で「ベストプラ

クティスの共有」手段でもある。●改善 人も組織も国も,自己を変えていくメカニ

ズムを持っていなければ,まともに生きてい

くことはできない。環境変化の大きさによっ

ては生き残れないかもしれない。よいシステ

ムは,内部にシステム自体を改善するための

サブシステムを持っていなければならない。

 品質マネジメントは問題解決を重視してき

た。それは過去の失敗を執拗に悔やむことを

推奨しているのではなく,製品・サービス,

プロセス,システムを継続的に改善していく

ことの重要性を強調してのことである。●原因分析 品質マネジメントでは,問題が起こった時,

その原因を明らかにし,原因を除去すること

によって,次からはその種の問題が起こらな

いようにすることを推奨している。PDCAに

もその思想は組み込まれており,またプロセ

ス管理も同様である。結果は原因があって起

こるので,因果関係を知るということは,目

的達成行動において重要であり,また有効で

ある。●人間尊重 品質マネジメントは,マネジメントにおけ

る人間の重要性を指摘し,組織を構成する人

のすべてを,マネジメントシステムを構成す

る無機的な部品,あるいは賃金という代価を

支払って買った知的能力・肉体的能力の保有

者として扱うのではなく,意欲のある,考え

る能力を持った,創意工夫を重ね,問題を解

決し,新たな価値を生み出す,不可思議な魅

力的存在と認め,正しく処遇することを推奨

している。

 「品質管理は人質管理」と言われることも

ある。製品・サービスの品質を管理すること

は,すなわち,その製品・サービスを産出す

る組織の構成員の質の管理にほかならない,

という意味である。品質を決定づけるあらゆ

る要素,つまり技術も,業務手順も,プロセ

スも,設備も,組織運営も,仕事の仕組みも,

情報システムも,知識データベースも何もか

もが,人間が企画し,設計し,実現し,運営

するからである。「人質」は「じんしつ」と

読む。「ひとじち」と読めてしまうのがご愛敬

ではあるが,品質マネジメントの極意を垣間

見る思いがする。

S:System(システム) 前述したような,Q(品質)とM(マネジ

メント)の基本的考え方と方法論を具現化し

た組織運営をするためには,そのためのシス

テムが必要である。すなわち,品質マネジメ

ントの目的を定め,この目的を達成するため

に必要な要素を明らかにし,これらの要素の

運用方法を最適化し,システムの全体最適を

実現する。

病院安全教育 Vol.7 No.1 37

Page 7: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

 QMSは,品質にかかわる日常のさまざまな

活動を有機的に関連づけ,総合的にマネジメ

ント(管理)する仕組みである。QMSは,

品質に関する方針および目標を定め,その目

標を達成するためのマネジメントシステムで

あり,プロセスと資源(人,モノ,金,情報)

からなる。QMSのもとで,複数の人間・部

門が協力して,経営目標を達成するためにプ

ロセスや資源の質を管理することになる。

 品質を保証するためには,各部門が,各段

階でさまざまな業務を実施する必要がある。

これらの活動の相互関係を表した図を,「品

質保証体系図」と言う。病院でのすべての業

務の体系を示した品質保証体系図によって,

個々のプロセスがQMS全体の中のどこに位

置づけられ,ほかのプロセスとどう連結し関

連しているのかを理解することができる。

 QMS構築の目的は,顧客満足(患者満足),

すなわち安全・良質な医療の提供にある。そ

の目的達成のために,医療に固有の知識・技

術と共に,これらの知識・技術を活かすため

のシステムとして,手順やその手順に従って

働く人や用いる設備,機器類などの資源が必

要である。業務の手順は,業務目的達成に必

要な知識・技術を,誰が,いつ,どのような

形で適用するかを規定し,目的達成に必要な

合理的手段を組織的に活用する基盤となる。

経営資源としての人は重要で,その質を高め

るため,どのような能力を有すべきか考察し

た上で,教育・訓練,人材開発,意欲喚起の

ための仕掛けをつくる。

 固有技術を十分に活用するためには,多く

の人々が目的に向かって,お互いの役割を認

識し,協力していけるような枠組み,ルール,

手順が必要で,この意味でもQMSが大きな

役割を果たす。工業における経験では,失

敗・手戻りの90%以上は,固有技術があるに

もかかわらずQMSの成熟度が低いことが要

因となって発生している。つまり,現在の技

術レベルが上がらなくても,QMSの改善で品

質向上が実現できるのである。

 例えば「与薬」というプロセスは,さまざ

まな職種の連携によって実現する。「注射の

仕方」という固有技術だけを改善しても,一

連の流れが相互の業務の円滑な連携によって

実現されなければ「与薬」の質はよくならな

い。連携が悪くて,例えば待ち時間が長く

なったら,いくら注射が上手でも,全体とし

て患者が抱く印象はよいものにならない。注

射指示の確認の仕方や,実施後の患者の状態

などの情報が医師に届くまでの手順など,与

薬プロセス全体が有機的に運用されなければ

ならない。このように,相互に関連する業務

プロセスとして,有機的なつながりが実装さ

れたシステムを構築することにQMSの意義

がある。

 随所で絶え間なく改善がなされたとしても,

それらがQMS全体として有効に機能しなけ

れば意味がない。そのためには組織全体が1

つのシステムとして機能するようにしなけれ

ばならない。まず,トップ自らが組織の品質

方針(品質に対する方向づけ)を正式に表明

する。その方針に基づき,部門,階層ごとに

具体的な品質目標を展開する(Plan)。品質

方針,品質目標を達成するためにQMSを運

用し,各人がなすべきことを実施する(Do)。

内部監査やマネジメントレビューによって,

運用結果を基にQMSの有効性をチェックす

る(Check)。必要に応じてQMSの改善をする

(Act)。このようなQMSの全体を覆う大きな

PDCAサイクルを回していくことで,筋の

通った組織的で継続的な改善が期待できる。

個々人の熱い思いを結集し,組織として成長

する仕組みを与えるもの,これもまたQMS

である。

病院安全教育 Vol.7 No.138

Page 8: QMSの基本概念と その意義...QMSとは QMSとは,前述したように,Quality Management System(品質マネジ メントシステム)の略である。「システム」という用語はさまざまな場面で

QMSの意義 QMSを構築・運用することによって,次

のような効果が得られるだろう。

・経営への品質の寄与:経営・管理において,品質の確保が,皮相的な意味での効率や経済性よりも重要であると認識すること。・顧客志向:提供側の論理ではなく,価値を提供される側の評価が重視されるべきという思想,すなわち「目的志向」の重要性を認識すること。・仕事の質:どんな対象にも「質」を考えること。特に「仕事の質」という表現から業務改善への道が開けること。・マネジメントの概念:マネジメントが「目的を効率的かつ継続的に達成するためのすべての活動」と理解することにより,監視・統制などとは異なる価値観で合理的に目的を達成できること。・PDCAサイクル:P(Plan),D(Do),C(Check),A(Act)というサイクルを回すことにより,マネジメントのレベル向上を図ること。・実に基づく管理:あらゆる場面において事実に基づく科学的な管理の重要さを認識すること。・プロセス管理:よい結果を得るためにプロセスを管理するという考え方を身に付け,プロセス改善に取り組むこと。・人間重視:品質の維持・向上に人間が最も重要であること,人間の強さ・弱さを理解し,人間を尊重したマネジメントシステムを構築することの重要さを認識すること。・全員参加による改善:組織を構成する全員が参画し改善することの重要さ,有効性を認識すること。・問題解決:科学的問題解決法により多様な

問題を自ら解決し改善を進めること。* * *

 最後に,QMSの意義を,この用語を構成す

る3つの単語Quality(品質),Management

(マネジメント),System(システム)のそ

れぞれの意義を再考し,まとめとしたい。●Q:Quality(品質) 経営,組織活動において,何ごとにつけ,

顧客に焦点を当てる。経営の目的は顧客価値

提供にあり,そのためのマネジメントとはす

なわち品質マネジメントである。顧客志向の

考え方は,外的基準で物事を考えることであ

り,それは目的志向にほかならない。経営・

管理におけるこの行動様式は,さまざまなよ

い影響をもたらす。●M:Management(マネジメント) 品質のよい製品・サービスを提供するには,

何よりもその製品・サービスに固有の技術が

必須だが,同時にこれらの技術(=目的達成,

要求実現のための方法論)を生かして,日常

的に目的を達成していくことが必要であり,

その方法論であるマネジメントに注目をする。

また,マネジメントの原則,例えばPDCA,

事実の重視,プロセス管理,標準化,改善,

原因分析,人間尊重などを理解し,その原則

に従い合理的,効率的に目的を達成していく。●S:System(システム) 個人の思い,頭の中の漠とした思いを,目

的達成のための仕組み,仕掛けにより,確実

に形にしていくことが必要で,この意味での

システム化に焦点を当てる。組織全体で目的

を達成するために,組織を構成する各部門,

各機能,各人の役割を認識し,統合化してい

くことも必要である。

参考文献

1)飯塚悦功,水流聡子:医療品質経営―患者中心医療の意義と方法論,日本医療企画,2010.

病院安全教育 Vol.7 No.1 39