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平成28年度(2016)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 卒業論文概要 <英米言語文化> 安藤 彩奈 Charles Dickens, Oliver Twist 研究 池村 綾 Learning from Good Language Learners; Strategies for English Language Teachers 今井 万由子 World Englishes and Globish: A Survey of Popular Attitudes and the Beliefs of Professional English Language Educators 太田 久美子 J. M. Barrie, Peter Pan 物語研究 海保 香未 Edgar Allan Poe 研究 ―“William Wilson”を中心に― 佐藤 駿伍 William Shakespeare, Macbeth 研究 鈴木 萩奈 William Shakespeare, A Midsummer Night’s Dream 研究 中野 允登 Charles Dickens, A Tale of Two Cities 研究 <英語学> 池渕 雄大 A Study on the Tough-construction 木澤 悠 On Secondary Predicates in English 小林 健太 On Double Object Constructions in English 坂井 亮 A Comparative Study of Double Object Construction in English and Chinese 佐藤 大輔 On Verb Positions in English and French 志村 隼人 Notes on Double Object Constructions in English 鈴木 万佑子 A Study of Ellipsis in English 横山 舞 On the Distribution of Adverbs in English 吉田 葵 A Study of ECM-Constructions 若木 美夕 On Adverb Placement in English 若林 晶 On the Structure of Verbal Phrases <ドイツ言語文化> 川上 麻由子 フルトヴェングラーの音楽観 ―「生きた音楽」と「メカニカルな音楽」― 斎藤 有紗 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』研究 ―ハンスとハイルナーの関係から見る同性社会― 吉原 美帆 フケー『ウンディーネ』研究 ―魂の意味と変化後のウンディーネのユング心理学による解釈―

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平成28年度(2016)年度

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

卒業論文概要

<英米言語文化>

安藤 彩奈 Charles Dickens, Oliver Twist 研究

池村 綾 Learning from Good Language Learners; Strategies for English

Language Teachers

今井 万由子 World Englishes and Globish: A Survey of Popular Attitudes and the Beliefs of

Professional English Language Educators

太田 久美子 J. M. Barrie, Peter Pan 物語研究

海保 香未 Edgar Allan Poe 研究 ―“William Wilson”を中心に―

佐藤 駿伍 William Shakespeare, Macbeth 研究

鈴木 萩奈 William Shakespeare, A Midsummer Night’s Dream 研究

中野 允登 Charles Dickens, A Tale of Two Cities 研究

<英語学>

池渕 雄大 A Study on the Tough-construction 木澤 悠 On Secondary Predicates in English

小林 健太 On Double Object Constructions in English

坂井 亮 A Comparative Study of Double Object Construction in English and Chinese

佐藤 大輔 On Verb Positions in English and French

志村 隼人 Notes on Double Object Constructions in English

鈴木 万佑子 A Study of Ellipsis in English

横山 舞 On the Distribution of Adverbs in English

吉田 葵 A Study of ECM-Constructions

若木 美夕 On Adverb Placement in English

若林 晶 On the Structure of Verbal Phrases

<ドイツ言語文化>

川上 麻由子 フルトヴェングラーの音楽観

―「生きた音楽」と「メカニカルな音楽」―

斎藤 有紗 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』研究

―ハンスとハイルナーの関係から見る同性社会―

吉原 美帆 フケー『ウンディーネ』研究

―魂の意味と変化後のウンディーネのユング心理学による解釈―

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渡部 修平 フェリックス・メンデルスゾーンの思想研究

―『聖パウロ』に見るユダヤ教の言葉―

五十嵐 一喜 ベルンシュタインの政治思想─修正主義の倫理を、今日の政治に見る─

木村 沙保 心理学から見る魔女の役割 ―ラプンツェルを中心に―

鹿間 美帆 『黄金の壺』研究

<フランス言語文化>

相澤 佑美 ネルヴァル『シルヴィ』研究 ―第11章 « RETOUR »について―

星 伸哉 フランスの地域言語ブルトン語

渡邊 真由 ユゴー『レ・ミゼラブル』研究 ―「法」が登場人物に与える影響―

<ロシア言語文化>

藤井 祐輔 ロシア正教のイコン―その歴史と神聖性―

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安藤 彩奈 Charles Dickens, Oliver Twist 研究

本論文では、Charles Dickens(1812-1870)の Oliver Twist(1837-1839)を衣服・装飾とい

う側面から考察し、作品に込められたVictoria朝社会への風刺をより精細に解き明かした。

第一章では、Mr. Bumble を中心に衣服がもたらす権力と象徴性について分析している。

妻の尻に敷かれ教区吏としてのステータスを奪われた途端、馬鹿にされる彼の様子は、服

装の変化からも読み取ることが出来る。Victoria 朝時代のファッションは現在のイギリス

紳士服の先駆けといわれるフロックコートやベスト、チョッキが流行した時代であった。

産業の発展とイギリスの階級制度が相まって、衣服の象徴性がより強まったといえよう。

本章では、このように衣服がそれを着用する人物の本質以上に、その人物の本質を物語っ

ていることが揶揄されていることを明らかにした。

第二章では、第一章を踏まえて主人公である Oliver の環境の変遷に応じて変化する衣服

についてストーリーを追って考察している。Oliver は彼を取り巻く様々な人物と出会うこ

ととなるが、その度に身なりを変えることとなる。そして、これらの衣服は彼が出会った

キャラクターの経済力や社会的地位を暗に示すものであると分析した。また、環境の変化

に応じて着替えるよう命じられ、様変わりしていく Oliver の衣服が、彼の「周囲の人物に

翻弄される主人公」という印象や、彼の存在の希薄さを読者に感じさせる要因であると考

察した。本論では、このように彼の置かれる環境と衣服の変化が彼の社会的地位の変遷と

関係していることを解き明かした。

第三章では、衣服の色彩描写と物語におけるキャラクターとの関係性について分析した。

本章では特に、黄色・白色・緑色の 3 色を取り上げて、これらの色彩をもつ衣服とそれを

身に纏うキャラクターとの関係性について論じている。例えば、黄色は Victoria 朝時代、

嫌われ者の色として認識されることがあった。盗賊が着用している黄褐色の衣服も、ユダ

ヤ人である Fagin を筆頭とした盗賊団が、社会から孤立し忌々しい人物とされていたこと

を象徴的に示していたと解釈できる。このように、本章では衣服の色彩とキャラクターと

の関係性について考察した。

以上のように本論では、キャラクターが身に纏う衣服及び装飾品に着目し、それらが

人々の権力や生活環境の象徴とされていたことを明らかにした。また、それらの衣服の描

写に当時の階級社会に対する風刺を読み取ることが出来ると結論付けた。

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池村 綾 Learning from Good Language Learners;

Strategies for English Language Teachers

本論文では、第二言語習得研究において Good Language Learners (GLLs)と呼ばれる言

語習得の成功者の特徴やストラテジーを学び、日本の現代英語教育の目標や背景を踏まえ

た上で、生徒の英語学習を成功させるための英語教師に向けたティーチングストラテジー

を提案する。

第 2 章では、第二言語習得にまつわる要因を年齢、性別、性格、適性の項目に分けて考

察するが、これらの要因が言語習得に決定的ではないという結論に至った。そこで、Rubin

(1975)、Lightbown and Spada (1997)、Thompson (2005)の示す GLLs に共通した特徴や

ストラテジーを比較し、共通性の高い項目を、(1) あいまいさに寛容であること (2) 間違

いを恐れない、また間違いから学ぶこと (3) 活動の参加に積極的であること (4) 独自のス

トラテジーを用いていること (5) 教師をファシリテーターとしてみていること、という 5

つに絞りこれらの特徴を踏まえ GLLs に最も共通することは「自律性」であると結論づけ

た。

第 3 章では、現行高等学校学習指導要領で掲げられている「外国語を通じて,言語や文

化に対する理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,

情報や考えなどを的確に理解したり適切に伝えたりするコミュニケーション能力を養う。」

(文部科学省,2009)という英語教育の目標に関連し、コミュニケーション力の向上をよ

り重視した英語教育、「オールイングリッシュ」と呼ばれる英語で行う授業等、現在の日本

の英語教育における議論を取り上げる。また、目標達成のために、近年新たに導入された

「アクティブ・ラーニング」を英語科においてどのように実施していくべきかを述べた。

第 4 章では、生徒の英語学習の成功に向け、第 2 章で挙げた GLLs の持つ 5 つの特徴ご

とに生徒の「自律性」を助長するための提案がされる。(1)においては「英語を英語で理解

する」授業の進め方、(2)では「安心・安全」な学習環境づくり・間違いの「自己訂正」、(3)

に関しては、活動における自己関連性の重要性、(4)では生徒の多様性への気づきとメタ認

知ストラテジーの重要性、(5)では教師がファシリテーターとなり生徒の学習をサポートし

ていくことの重要性を述べた。

以上より、生徒の英語学習の成功のためには教師は生徒の「自律的な学び」をサポート

することが大切であるということが分かった。グローバル社会で活躍できる人材育成のた

めに、教師は英語教育を通して生徒の「自律性」を育成し、また、英語そのものだけでな

く生徒がより深く学び、知識を社会に応用していけるような授業・学習環境を提供する必

要があると結論づけた。

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今井 万由子 World Englishes and Globish: A Survey of Popular Attitudes and

the Beliefs of Professional English Language Educators

本論文では、国際化・多様化する英語を捉える World Englishes という概念と、国際

英語として提案されている Globish について考察する。また、英語のネイティブスピ

ーカーとノンネイティブを含む 150 人を対象に、英語や World Englishes に対する姿勢

をアンケート調査し、ネイティブ・ノンネイティブ、教員・学生、留学経験の有無な

どのカテゴリーごとに分析し、結果を考察する。

まず、現在英語が世界中で様々な国や地域で使用されている状況を踏まえ、大多数

の住民が英語を母語とするアメリカ、イギリスなどの国々で話されている英語だけで

なく、どの地域で話されている英語であろうと、その多様性と正当性を認めるべきで

あると主張する World Englishes の概念について論じる。この World Englishes という考

え方は 1980 年代頃から広まっており、世界の英語の教育現場においても、言語の多

様性を尊重する重要性が認識され始めている。しかし、特に日本の英語学習者はアメ

リカ英語などの「ネイティブ」英語を強く志向する傾向があると言われており

(Tokumoto & Shibata, 2011; Chiba, Matsuura & Yamamoto, 1995)、World Englishes に対す

る意識は低いのが現状である。また第 3 章では、フランス人の Jean-Paul Nerrière によ

って国際英語として提案された Globish について論じる。

さらに、標準英語、World Englishes、Globish について英語話者がそれぞれどのよう

な考えを持っているかを調べるため、英語のネイティブスピーカー22 人、日本人 70

人を含むノンネイティブスピーカー128 人に対して、アンケート調査を行った。第 4

章では、これらの集計結果を、(1)ネイティブとノンネイティブ、(2)日本人と日本人以

外のノンネイティブ、(3)日本人英語教師とネイティブスピーカーの英語教師、(4)英語

教師と学習者、(5)留学経験者と非経験者、などのカテゴリーごとに分析した。結果と

して、被験者の様々な傾向が確認されたが、特に、以下の点は特筆に値する。

1. 大部分の被験者は様々な種類の英語を尊重するべきだという考えには賛成であ

るものの、それを教育現場で用いる、または教えることに対しては否定的である。

2. 日本人はネイティブ、他のノンネイティブのグループと比較しても、「ネイティ

ブ」英語に固執する傾向が見られた。

3. 先行研究で、必ずしもネイティブスピーカーの英語がノンネイティブスピーカー

にとって一番理解されるわけではないと示されてきたが(Smith & Nelson, 2006)、大

多数の被験者はネイティブスピーカーのように話すことが意思疎通の点において

重要であると考えている。

今回の調査では、英語話者の「ネイティブ」志向の傾向が確認されたが、急速に世界

中で多角化する英語使用を鑑みれば、今後 World Englishes や英語の多様性を尊重する

ことの重要性はさらに増していくと考えられる。英語のアクセントや発音のみに固執

するのではなく、ネイティブスピーカーも含めた相互理解の姿勢が重要だと考える。

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太田 久美子 J. M. Barrie, Peter Pan 物語研究

J. M. Barrie (1860-1937)の Peter Pan シリーズは、1902 年に小説として初めて発表され

た。1953 年にはウォルト・ディズニー社によってアニメ映画化され、ファンタジー物語と

して世界で広く知られる作品となった。主人公が「永遠の子ども」Peter であることから、

これまでは子どもたちに焦点をあてた研究が多くなされてきた。しかし、その対極である大

人たちは、作中で重要な役割を担っているにもかかわらず、これまであまり注目されてこな

かった。そのため、本論では、大人、中でも特に詳細な描写がなされている Hook に焦点を

あて、彼の人物像を詳細に分析した。そして、Hook の人物像を作者 Barrie の伝記的背景

を参照しながら考察し、そこから Barrie が作品に込めたメッセージをさらに明らかにした。

第一章では、Hook の人物設定について考察した。Hook の特徴として、権力に執着して

いることや、過去に囚われていることが挙げられ、これらは作中の現実世界に登場する他の

大人たちの特徴とも同じであり、彼の性格は大人たちのもつネガティブな面を象徴してい

るということが分かった。また、イートン校で受けた教育にあまりにも影響されている

Hook の描写は、当時イギリスで問題となっていた、偏った教育制度と結びついていること

が明らかになった。これらのことから、Hook には単なる悪役ではなく、現実世界との結び

つきを感じさせるような意義深い人物設定がなされていると考察できた。

第二章では、Hook と Peter を比較し、その奇妙な関係性について考察した。この二人は

作中で真っ向から対立していることに加え、「子ども」と「大人」として対照的に描かれて

いるが、奇妙な類似性も見て取ることが出来る。二人の相違点と類似点を分析することで、

経験による差はあるものの、本質的な性格は同じであると言え、Hook は成長後の Peter と

して捉えることが出来ると考察した。子ども時代、大人時代を象徴する二人の違いは、子ど

も時代は自由気ままに振る舞えるが、経験と学習を積み重ねることでさまざまなものに縛

られていってしまうという、大人になっていくことの残酷さが込められていると読み解い

た。

第三章では、作者 Barrie の人生と Hook の関係性について分析した。その結果、孤独感

や教育に関する葛藤など、Barrie が生涯で抱えた苦悩と Hook の特徴は密接にリンクして

いることが明らかとなった。そのため、Hook は Barrie 自身であり、Peter に次ぐ第二の主

人公と言えよう。また、永遠の子どもである Peter には理想が詰め込まれているのに対し

て、Hook には Barrie の経験がそのまま反映されており、無情な現実の道理が投影されて

いると考察できた。妖精物語や海賊物語を好む一方で、ジャーナリストの経験から社会問題

や教育制度に関心の高かった Barrie は、Neverland というおとぎの国に、現実世界の厳し

さも描きこんだと言えるのである。

以上の考察から、Barrie は Neverland に「永遠の子ども」という夢を込めると同時に、

Hook を通して当時のイギリス社会の問題点や、容赦なく流れる時間の残酷さ、成長する過

程で逃れることのできない葛藤を描くことで、無情な現実世界を象徴的に描いていたと考

えられる。Peter Pan シリーズは単なる子供向けのファンタジー物語ではなく、現実世界に

潜む残酷さを含んだ、教訓的な物語なのである。だからこそ、子どものみでなくさまざまな

世代に愛され、初演から 100 年以上経った現在でも、時代を超えて親しまれていると言え

よう。

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海保 香未 Edgar Allan Poe 研究

― “William Wilson”を中心に―

「ウィリアム・ウィルソン」(“William Wilson” 1839) は、エドガー・アラン・ポー (Edgar

Allan Poe, 1809-1849) による、主人公ウィリアム・ウィルソンが彼と酷似したもう一人の

ウィリアム・ウィルソンに追われる姿を描いた、「分身」をテーマとする短編小説である。

この作品は、ポーの作品の中でも特にポー自身の姿が色濃く描かれている作品といわれて

いる。その点に着目し、「分身」のテーマとポー自身の精神や二面性について論じ、ポーと

「分身」のテーマが連関する要因は何か、ということについて考察した。

第 1 章では、「ウィリアム・ウィルソン」のテーマとなっている「分身」という概念を複

数の文献を参考に定義した。また、「分身」をテーマとするポー以外の作家の文学作品と「ウ

ィリアム・ウィルソン」を「分身」の扱われ方に着目して考察することにより、文学作品

においては「分身」が様々な役割を、それぞれの物語の一部分として担っていることを明

らかにした。さらに、心理学における「分身」の捉え方についても考察し、「分身」のあら

ゆるモチーフがナルシシズムに影響することから作家と作品との間に関連が生まれること

や、「分身」そのものをより広く解釈できる可能性を示した。

第 2 章では、第 1 章での「分身」の定義や分析を援用して、ポーの短編小説である「ア

ッシャー家の崩壊」(“The Fall of the House of the Usher” 1839)、「群集の人」(“The Man of

the Crowd” 1840)、「影」(“The Shadow ―― A Parable” 1835)、「天邪鬼」(“The Imp of the

Perverse” 1845) を取り上げ、それらの作品の中に見られる「分身」の要素や存在を確認し、

各物語の中で重要な役割を担っていることや表現の独自性があることを明らかにした。

第 3 章では、ポー自身と「分身」の連関について考察した。まず、第 2 章と同様に第 1

章の「分身」の概念を用いて「ウィリアム・ウィルソン」の分析を行った。そこから、ポ

ーが心理学的な意味合いで「分身」のモチーフを用いたのではなく、語り手の愚かさや自

己愛を表現するために用いたと考察した。また、ポーが自身の姿を「ウィリアム・ウィル

ソン」に投影しているのか、という問いに対する答えの探究も先行研究を参考に行い、ポ

ー自身の姿を投影する一方、語り手と「分身」を良心と私心という表裏一体の存在として

表している、と分析した。また、ポーの内面的な部分に「分身」のような側面があったと

いうことから、幼いころの愛情の飢え、成人してからの生涯における精神異常が、ポーの

作り出す作品の「分身」となって表れているのではないかと結論付けた。

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佐藤 駿伍 William Shakespeare, Macbeth 研究

William Shakespeare(1564-1616)の Macbeth は、Shakespeare が晩年に執筆したとさ

れ、四大悲劇にも数えられる有名な悲劇である。Macbeth に登場する三人の魔女たちは他

の登場人物と比べても特に印象的であり、三人の魔女たちについての数多くの先行研究が

存在するが、その解釈や物語への関与については未だ様々な議論がなされている。本論文で

は、Macbeth に登場する三人の魔女たちについて分析し、その解釈による物語内容の変化、

また魔女たちがどの程度 Macbeth に影響を与えたのかという点について考察した。

第一章では、三人の魔女たちが物語内で果たしている役割と、与える効果について、先行

研究を踏まえ分析した。物語の展開上、魔女たちの予言が物語を動かすきっかけであり、そ

の後も魔女たちが物語を展開させる役割を果たしていることを明らかにした。また A. C.

Bradley(1851-1935)は、「凄惨な事件が起こる現場は全て夜、または暗い場所で行われてお

り、Macbeth 全体を漆黒、暗黒が覆っている」(Shakespearean Tragedy 277)と指摘してい

るため、作中において“Night’s black agents”などと描写される魔女たちこそが Macbeth

を包む暗い雰囲気を作りだしていると分析した。また作中に散りばめられた Crow や Owl

といった魔女たちの使い魔たちの描写が、魔女たちの影響が隅々にまで渡っていることを

示していると考察した。

第二章では魔女たちの解釈について、二通りの解釈を挙げ、それによる物語内容と作品が

もつ意味の変化について考察した。一方の解釈として、作中に見られる魔女たちに対する嫌

悪感や当時のイングランド王 James I の著書 Daemonogie での魔女の定義から、当時問題

とされていた悪魔の手先であり「悪」の象徴であった魔女の解釈を挙げた。もう一方で、原

典 The Chronicles での曖昧な魔女たちの描写、作中での魔女たちを運命として捉える描写

から、Hecate に仕える運命の女神たちといった解釈を挙げた。前者の解釈では、野心を諫

める道徳劇、また James I の正当性を強める政治劇としての意味合いをもち、後者の解釈

では、Macbeth は単なる悪人ではなく、勇者としての面も描き出され、彼が破滅する姿に

カタルシスを得るアリストテレス的悲劇の意味合いをもつと分析した。

第三章では先行研究でも意見が分かれる、Macbeth の King Duncan 暗殺に関して、魔女

たちがどの程度影響を与えたのか、という議論について考察した。Bradley の「Macbeth に

もたらされた魔女たちの予言は、単に事実を予言しただけである」(285)、という意見に対

して、Macbeth が King Duncan 暗殺に踏み切るには動機が不十分かつ不自然であるとし

た。その根拠として、魔女たちの主人 Hecate が Macbeth へのまじないを“business”と

捉えており、魔女たちにまじないの準備を命じている描写などを挙げ、魔女たちには

Macbeth を陥れる動機があったと分析した。

以上の議論から、魔女たちの物語内での役割と効果、魔女についての解釈による物語内容

の変化などを明らかにした。また魔女たちの Macbeth への影響についての議論に関しては、

魔女たちには Macbeth を陥れるだけの動機があったという点から、その働きかけは積極的

なものと結論付けた。

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鈴木 萩奈 William Shakespeare, A Midsummer Night’s Dream 研究

William Shakespeare (1564-1616)の A Midsummer Night’s Dream (以下 MND とする)

は、Shakespeare が書いた喜劇作品の中でも有名な作品の一つである。MND は Athens の

夜の森を舞台に、人間の4人の男女や Athens の職人たちが、妖精という非現実的な存在と

関わりあいながら進行する幻想的な物語である。最終的には Athens の王 Theseus と

Amazon の女王 Hippolyta、そして4人の男女がそれぞれ円満に結ばれる形で終わりを迎え

る。しかし、MND の物語には現実的な部分や辛辣なやり取りが行われている部分も見受け

られる。本論文では、作品内のそのような部分を読み取り、どのように作品の幻想的な雰囲

気に溶け込んでいるのか、そしてその必要性について考察した。

第一章では、物語の展開の大きなカギを握る妖精たちのキャラクター設定について考察

した。先行研究や作品内の描写から、妖精の王 Oberon の従者である Puck には、物語にお

いて強く表れているいたずら好きな性格のほかにも悪魔的で残酷な部分があることを明ら

かにした。また、Oberon に関しても、人間の恋を円満に解決しようとする優しさをもつ一

方で、妻である Titania に対する態度は非情なものであることを読み取った。そして物語が

展開する場面にはそういった彼らのもつ厳しさが必要であったと考察した。さらに先行研

究から、彼らは様々なモデルから創られた複合的な存在であると明らかになり、そういった

複合性が彼らのもつ非情な部分を薄めているという結論に至った。

第二章では、Puck に振り回される人間の男女 4 人の恋愛模様の変化やそれに伴う理不尽

な待遇に着目して考察した。物語の中では、現実世界でも起こりうる恋愛の混乱が妖精や惚

れ薬という非現実的な存在によって引き起こされている。先行研究や物語での彼らの会話

を参考にし、お互いを罵りあったり愛に盲目で恋愛対象が急に変わったりするという辛辣

な展開は、きっかけとなる存在が非現実的であることや彼らの残酷な台詞に韻がふんだん

に使われていることによって曖昧にされていると考察した。このようにして物語の中で男

女の恋愛のいざこざはあっても、上手く物語の幻想的な世界に溶け込んでいるということ

が分かった。

第三章では Athens の職人である Bottom と妖精の国の女王である Titania との関わりに

着目した。先行研究や物語内の言動から、二人の会話の中に流れる幻想的な雰囲気の一方で、

現実的な思考でその幻想に動じない Bottom の姿と、彼をベッドに連れ込もうとする

Titania の欲望を明らかにした。この幻想世界には不釣り合いな態度も、やはり韻を踏まれ

た台詞と二人の関係性の矛盾によって曖昧になり、観客に非現実的な感覚を抱かせている

ということが分かった。

以上の点から、MND の現実性や辛辣な側面は物語の様々な場面で読み取ることができる

と分かった。そしてその現実性が物語の大きな展開のカギになっている部分があることか

らも、この側面は幻想的なこの物語においても必要な要素であったと結論付けられるので

ある。

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中野 允登 Charles Dickens, A Tale of Two Cities 研究

Charles Dickens(1812-70)の A Tale of Two Cities (1859)における登場人物たちの関係性

は「対照(contrastive/antithetic)」なものであると度々論じられてきたが、彼らの相似性に

はあまり注目されてこなかった。本論文では、登場人物の対照的な部分と類似点を踏まえて、

第二巻第十一章の題“A Companion Picture”に注目し、登場人物の関係性における

Companion Picture という概念を精査した。また、作者の伝記的事実と登場人物の関連性

から、Dickens が作品に込めた意識を解き明かした。

第一章では、登場人物たちの関係性を多面的に考察することによってCompanion Picture

という語の概念を考察した。これにより主要な人物の一人 Carton は、他の二人の青年

(Darnay、Stryver)との間に共通点と相違点の両方を持ち合わせていることが明らかとなっ

た。さらに、Carton と彼らの相違点はそれぞれが互いの理想像として捉えることができ、

支え合う関係にあると読むことができる。以上から、三人の青年が Lucie への愛を語る連続

した章の一つに示された Companion Picture という語は、一人の登場人物を中心に他の二

人の人物が対称(symmetry)を成す相互補完的な関係を示す概念であると言える。

第二章では、前章で見た関係性を踏まえて、登場人物の言動が他の人物の行動に影響を与

えることで、その後の展開を左右していくことを考察した。Lucie への告白が連続して起こ

る過程と、Dr. Manette の手記が暴かれる過程を考察することで、物語の展開は「他人との

直接的なイベントに起因する展開」と「ある人物の意志とは無関係に他人によって引き起こ

される展開」に大別できることが分かった。前者はさらに、第三者である他人の「肯定」と

「否定」を受けて引き起こされる展開に細分できることも明らかになった。

第三章では、Dickens と登場人物の間に見られる関係と、Companion Picture という概

念を本作品に用いることで示そうとした彼の意識を考察した。まず、恋人との関係や「家族」

というテーマの考察から、Carton は Dickens 自身の投影であり、「家族」を守る Carton は

理想像でもあることが窺えた。Darnay に関しても、Dickens にとっての類似性と理想像を

兼ね備えた人物だと言える。これにより、Dickens を中心に 2 人の青年を配置することがで

き、作者と登場人物が Companion Picture の概念で結びついていると考察した。また、序

文と第一巻第三章の冒頭部分の考察から、「秘密」は他人が容易に理解できるものではない

という Dickens の意識を明らかにした。この意識と彼らの関係性から、Dickens が当時抱

えていた愛人 Ellen Ternan(1839-1914)への愛という「秘密」を二人の青年の口を借りて明

らかにしたと捉えることができる。

以上の議論から、Companion Picture は、ある人物の視点から他の二人の人物が並べら

れたように見える複雑な関係性を示す概念だと言える。Dickens は自身をその関係性の中

に配置し、二人の登場人物に Ellen への愛を語らせることで、自分の「秘密」を他人に暴か

せることに成功したのである。

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池渕 雄大 A Study on the Tough-construction

本論文は、英語に見られる tough 構文についての研究である。tough 構文とは、以下の

ような文を指す。ここでは、B タイプの tough 構文について議論を進める。

(A) It is easy to please John.

(B) John is easy to please.

本稿では、tough 構文に関わる 3 つの問題点を取りあげる。ここで取り上げるのは、easy

タイプの形容詞と不定詞の連鎖(A + I sequence)の表層的統語構造、tough 構文の派生、

tough 述語の特性に関する問題である。

第 2 章では、tough 構文内の A + I sequence の表層的な統語構造について議論を行った。

Nanni (1980)は、従来行われてきた Subcategorization 分析の問題点を受け、tough 構文に

おける補部を伴わない A + I sequence は語形成規則によって複合形容詞として再分析が適

用できると主張した。これに対し、Aki (1984)は、語形成規則によって再分析を受けた複合

形容詞は必ずしも統語レベルでの機能や語彙項目としての資格が保障されないという問題

点を挙げた。代替案として、Aki (1984)は tough 構文における A + I sequence に関わる現

象は他の形容詞にも見られる一般的な現象であることに着目し、A + I sequence の表層的統

語構造が派生される過程には外置操作が関与していると主張した。経験的事実の比較から、

Aki (1984)の分析を採用することが望ましいと結論付けた。

第 3 章では、tough 構文が派生される過程について議論を行った。Chomsky (1977)は

parasitic gap の容認可能性をはじめとした経験的事実から、Null Operator (NO)の A バー

移動が tough 構文の派生に関与していると主張した。Kaneko (1996)はこの主張の妥当性を

認める一方で、Chomsky の分析では主節主語の派生をうまく説明できないという問題点を

指摘した。これを受けて、Kaneko (1996)は、以下のような派生プロセスを提案した。(1) 主

節主語は tough 述語の項である。(2) tough 節(to 不定詞以下)は機能範疇 FP であり、そ

の中において NO の移動が生じ、FP の中で、Spec-Head Agreement が満たされる。(3)主

節主語は痕跡 t、NO と Strong Binding Condition によって結び付けられる。

第 4 章では、possible が tough 述語として現れることができないという事実に着目し、

tough 述語の特性について議論した。Akatsuka (1979)は possible が感情的特性、主観的特

性を欠いているため、tough 述語として現れることは出来ないと主張した。これをもとに、

tough 構文において possible が現れることができるのは、(1) 主語が客観的意味を持つとき

(2)tough 節が否定文にあるときのいずれかであると結論づけた。

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坂井 亮 A Comparative Study of Double Object Construction in English and Chinese

本論文では、英語と中国語の二重目的語構文および与格構文について論じるものである。 ○二重目的語構文(NP1 V NP2 NP3) (1) I give him a pen. (2) 我 送 他 一本 书。

‘I give him one-CL book’ ○与格構文(NP1 V NP3 to NP2) (3) I give a book to him. (4) 我 送 一本 书 给 他。 ‘I give one-CL book to him’

上記の例からもわかるように見かけ上では英語と中国語では外見上、類似していること

が見て取れる。しかしながら類似点も多くみられるものの相違点も多く見つかった。 第二章では、両言語で二重目的語構文・与格構文にそれぞれ現れる動詞の違いについて

考察した。英語では動詞に関して厳しい制約はないもの中国語では厳しい制約が見られ、

それぞれの構文で現れることができる動詞が決まっていることがわかった。また与格構文

では英語の to にあたる给(gei)が動詞的用法を持っているために所有の移動の表現のみに

限定される傾向があると結論付けた。 第三章では、Harley(2002)の P-have の分析に基づきそれぞれの文の含意性について考察

したのち、Affectedness Condition 及び中国語の把構文を用いた前置などの操作を通して、

それぞれの文構造について考察した。その結果、中国語でも Affectedness Condition が適

用され、二重目的語の NP2 は前置できないと結論付けた。 (5) a. Mr. Smith taught us English. b. Mr. Smith taught English to me. c 张三 教 学生 英语。

‘Zhangsan teach student English’ (6) a 他 把 一 个 好 消息 告诉 我。 ‘He ba one-CL good news tell me b*他 把 我 告诉 一个 好 消息。 ‘He ba me tell one-CL good news’ 第四章では、中国語の与格構文で観察される给(gei)について考察した。動詞としての特

性と前置詞としての特性を比較した。アスペクトの有無や前置や残置など観点からそれぞ

れの用法に関して大きな違いが見られることがわかった。

論文全体を通して、一見すると似ている両言語の二重目的語と与格構文では含意的な点

からは多くの共通点が見られたものの、動詞の特性などをはじめ、多くの違いも見られた。

これらの違いは英語の to にあたる中国語の给が大きくかかわっていると結論付けた。

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木澤 悠 On Secondary Predicates in English

本論文では、英語において二次述語が成立する条件やその統語構造の先行研究を概観し、

これまでの研究では統語構造の分析が出来なかった例の分析を試みている。

まず、第 2 章では、以下のような主語指向二次述語、目的語指向二次述語、結果二次述

語の 3 種類の二次述語がそれぞれ何と主述関係を結ぶかを論じた先行研究を考察した。

(1) a. John left the room happy. (主語指向二次述語)

b. John drank the beer flat. (目的語指向二次述語)

c. John hammered the metal flat. (結果二次述語)

これらの形容詞句はそれぞれ異なった位置で基底生成され、その位置でそれぞれの主部と

叙述関係を結ぶ、つまり相互 c 統御していると考えられている。当初は、目的語指向・結果

二次述語は動詞句内で生成されるのに対し、主語指向二次述語は IP の付加詞として生成さ

れると考えられていた。しかし、構成素性や束縛現象、作用域特性などから、主語指向二

次述語も動詞句内で生成されていることが分かった。動詞句内主語仮説を採用することで、

主語指向二次述語と主語の相互 c 統御関係を保つことができる。そのため、二次述語構文は

動詞句内主語仮説の妥当性を更に高める根拠となる。

しかし、一文において複数の二次述語が共起することが可能であるにもかかわらず、そ

れぞれの統語的位置でそれぞれの相互 c 統御の関係を維持する説明がこれまでの研究では

できない。そこで、第3章では、これを説明するために、Koizumi (1995) が提案している

AGRoP 仮説を採用する。これまで、構造的格はそれぞれ異なった配列(主格は Spec-head、

対格は Head-comp)でライセンスを受けていると考えられていたが、すべての格付与を

Spec-head の関係のもとで行えるようになるべく様々な提案がなされてきた。しかし、隣接

性条件や VP-shell 仮説は誤った予測をするという問題が生じている。AGRoP を採用する

ことで、それらの問題を解決し、すべての格付与を Spec-head の関係のもとで行えるよう

になる。

第 4 章では、Koizumi の AGRoP 仮説を二次述語構文にも援用することで、第 3 章で指

摘したこれまでの研究では説明ができなかった文の統語構造を分析する。まず、目的語は、

元位置で結果二次述語と相互 c 統御の関係を結び、目的語指向二次述語からの c 統御を受け

る。格付与のために AGRoP の指定部に目的語が、AGRoP の主要部に動詞が移動し、その

位置で目的語指向二次述語を c統御することで目的語指向二次述語との相互 c統御の関係を

維持する。最後に、正しい語順を維持するために動詞が動詞句の主要部にくりあがる。一

方、主語は元位置で主語指向二次述語との相互 c 統御関係を維持し、格を受けるために IP

の指定部にくりあがる。本論文では、二次述語構文は、AGRoP 仮説を採用することで、叙

述関係を結ぶ条件を保ちながら、その統語特性を説明できるようになると結論づけた。

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小林 健太 On Double Object Constructions in English

(1) John gave Mary a book. (二重目的語構文)

(2) John gave a book to Mary.(与格構文)

本論文では、英語における二重目的語構文と与格構文に関する先行研究を概観し、二重

目的語構文の統語構造の分析に関する一つの可能性を提案した。

第 2 章では、Kayne (1984)、Larson (1988)、Aoun and Li (1989) における二重目的語

構文と与格構文に関する分析を概観した。Kayne は二重目的語構文の二つの目的語の間に

「所有の変化」を表す意味的関係があるという立場から、その二つの目的語を含む小節が

存在すると仮定した。Larson は、Barss and Lasnik (1986) によって指摘された二つの目

的語に観察される統語的非対称性に着目し、それを説明するため二重目的語構文は与格構

文から派生され、それらの統語構造には VP-shell と呼ばれる構造が含まれると提案した。

Aoun and Li は二重目的語構文の目的語が数量詞化された場合のその数量詞の作用域に着

目し、Kayne と Larson による分析の問題点を指摘した上で、与格構文が二重目的語構文か

ら派生されると提案した。

第 3 章では、Baker (1996)が指摘した二重目的語構文と与格構文に課される統語的制約

を観察した。また、Culicover (1976) による与格構文と二重目的語構文に関する議論を概

観した。Culicover は与格構文に現れる前置詞 to や for をその構文が示す意味に応じてそれ

ぞれ 2 種類に分類し、「所有の変化」を意味する前置詞が生起する場合だけ二重目的語構文

への派生が許されると提案した。

次に、二重目的語構文には与格構文の to や for のように一つの目的語を認可する音形を

持たない要素が現れるという Koizumi (1993)の提案とそれをさらに発展させた Pesetsky

(1995)の議論を、第 4 章で考察した。Koizumi は二重目的語構文に音声的に空の接辞であ

る G や B が生起すると仮定し、それらが着点を表す項の状態を変化させると提案した(こ

の状態変化は非顕在的である)。Pesetsky は、一つの動詞が生起しただけでは二つの NP に

格を付与できないという一般的な条件を考慮し、Koizumi が仮定した空の要素が目的語の

うちの一つに格を与えると提案した。

最後に、第 5 章で二重目的語構造に関する一つの提案をした。Koizumi と Pesetsky の分

析では空の要素が認可する目的語は二つのうちどちらかという問いへの答えが異なってい

る。本論においては Koizumi の分析を採用した。さらに、Koizumi の分析と第 3 章で議論

した Culicover の提案に基づき、二重目的語構文は与格構文から派生され、派生前の与格構

文で「所有の変化」を表す前置詞が生起した場合は G や B が現れ、それが着点項を認可す

る結果、二重目的語構文が派生されるという可能性を提案した。

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佐藤 大輔 On Verb Positions in English and French

本論文では、英語とフランス語における動詞の構造的な位置について、先行研究に基

づき、否定標識(英語の not、フランス語の pas)や文中間副詞との相対的な位置関係

から分析する。ここで扱う動詞とは、語彙動詞及び助動詞(英語の be、have とそれらに

対応するフランス語の être、avoir)である。以下に副詞を用いた定形文の例を挙げる。

(A)は(B)のフランス語の文に相当する英語の文であり、下線は副詞を示す。

(A) He often arrives late. / *He arrives often late.

(B) *Il souvent arrive en retard. / Il arrive souvent en retard.

第二章では、上の例のように、語彙動詞と助動詞の定形節及び非定形節における相対的

な位置関係を比較・検証した。その結果、英語の助動詞とフランス語の語彙動詞及び助

動詞には否定標識や副詞に先行するという並行性が観察された一方で、英語の語彙動詞

はそれらに後続することが観察された。この差異は英語とフランス語の屈折の強さの違

いによるもので、フランス語の屈折は「強い」ため動詞をひきつけるが、英語のそれは

「弱い」ために動詞をひきつけることができないと分析されている。ただし、助動詞は

語彙動詞に比べ意味的に軽く、そのため英語の「弱い」屈折にさえひきつけられるとさ

れる。さらに、従来の分析では構造的に示すことができない位置に動詞が現れうるデー

タがあることも確認した。

第三章では、上の検証の結果を構造的に説明するため、Split-INFL 仮説を導入した。

これは従来の分析における IP(屈折範疇)を、時制を表す TP(Tense Phrase)と一致を

表す AGRP(Agreement Phrase)に細分化するものである。これら二つの投射範疇の構造

的な関係について、Pollock(1989)は TP が AGRP を支配する構造を提案したが、一方で

Haegemen and Guéron (1999)は AGRP が TP を支配する構造を提案した。本論文では、動

詞の形態素と統語構造の関係から後者を採用し、英語とフランス語の動詞の位置を構造

的に分析した。しかし、この構造を以ってしても依然として説明できないデータがある

ことを確認した。

第四章では、前章において問題とされたデータを分析するため、Pollock の提案した構

造を再び取り上げた。しかし、この場合ではさらに別の問題が生ずることがわかった。

ここで一度その問題から離れ、Chomsky (1995)を概観した。Chomsky は一致(Agreement)

に注目し、主語・動詞間と動詞・目的語間の二種類の一致を指摘し、これに基づいて

AGRSP と AGROP を仮定した。本論文は、第三章にて採用した Haegemen and Guéron の

構造に加え、Chomsky の二種類の AGRP を採用し、以下の構造を仮定した。

(C) [AGRsP AGRS [NegP Neg [TP T [AGRoP AGRO [VP ADV [VP V . . .]]]]]]

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最終的に、第二章の検証の結果をこの構造に基づいて修正し、英語とフランス語の動詞

の構造的な関係について次のように結論付けた。定形節においては英語の助動詞、フラ

ンス語の語彙動詞・助動詞は AGRS まで移動する。非定形節においてはフランス語の助

動詞は随意的に AGRS まで、語彙動詞は T まで、そして英語の助動詞は随意的に AGRO

までそれぞれ移動する。定形節、非定形節に関わらず、英語の語彙動詞は移動せず、VP

内に留まる。

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志村 隼人 Notes on Double Object Constructions in English

本論文は、英語における二重目的語構文についての研究である。二重目的語構文は学

校文法では SVOO の形をとる文型として知られている。まず、以下の文を見てほしい。

(1) John sent Mary a letter.

二重目的語構文で用いられる give や send などの動詞は一般に授与動詞と呼ばれ、こ

の構文においては間接目的語(indirect object : IO Mary)は直接目的語(direct object :

DO a letter)の前に現れ、IO は DO を非対称的に c 統御する。c 統御とは文中の構成素

が別の構成素を支配下に置くことで、非対称的な場合は相互に支配していないことを意

味する。このことは文を文法的にする上で非常に重要な点になる。

2 章ではこの研究分野において主要な先行研究である Larson (1988)と Aoun & Li

(1989) という一見真逆の IO V DO の生成手順をたどる二つの論文を、それぞれの

分析を比較しながら、実際に IO、DO、V がどのように文を成すかを議論する。

また、(1)の文は以下の(2)のように与格構文へと書き換えられることが知られている。

二重目的語構文と与格構文とでは DO が生起する位置が違っている。与格構文に派生す

る際、DO は IO の前に前置され、与格構文のしるしとして to が挿入される。

(2) John sent a letter to Mary.

3 章では、2 章の内容を踏まえつつ、①二重目的語構文から与格構文へと派生する説、

②逆に与格構文から二重目的語構文へと派生する説、③二重目的語構文と与格構文はそ

れぞれ別の構造から派生される説、という 3 つの説に関して、言語学者のさまざまな先

行研究に触れながら二つの構文に関わるメカニズムを解明していく形をとった。

以上のように、本論文では二重目的語構文についてのほんの一部の記述であるが、基

本的な点を網羅しつつ発展的な内容まで概観した。帰結として、二重目的語構文と与格

構文は、文の構造的には重複する点は数多くあるものの、全くの言い換えとは言えず、

単に構成素を入れ替えて to の付け外しをすればそれぞれに派生できるわけではないと

いう結論に至った。

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鈴木 万佑子 A Study of Ellipsis in English

本論文は英語における省略現象について論じたものである。主な省略現象の特徴と省略

部分の句構造、そして間接疑問縮約に関する議論を展開する。

第二章では、省略現象の基本的な特徴と類似点、相違点を明らかにし、省略部分の句構造

に関する分析を概観した。主な省略現象として以下のようなものが挙げられる。

(1) Because [S Pavarotti couldn't [VP e ]], they asked Domingo to sing the part.] (動詞句省略)

(2) Although John's friends were late to the rally, [ Mary’s [e]] arrived on time. (名詞句内省略)

(3) We want to invite someone, but we don't know [S´ who [e]]. (間接疑問縮約)

(4) Mary met Bill at Berkeley and Sue [e] at Harvard. (空所化)

まず Lobeck (1995)に従い、上記の四種類の省略現象の基本的な特徴を示した。そして、

Jackendoff (1971)、Williams (1977)、 Chao (1987)、Lobeck (1995)の分析を概観し、動詞句省

略、名詞句内省略、間接疑問縮約が共通する特徴を持ち、空所化とは区別されるという点を

明らかにした。さらに X´理論に従い、動詞句省略、名詞句内省略、間接疑問縮約が以下の

ような同一の構造を成すと提案する Lobeck (1995)の分析を概観した。

(5)a. 動詞句省略 (5)b. 名詞句内省略 (5)c. 間接疑問縮約

IP DP CP

SP(I) INFL´ SP(D) D´ SP(C) C´

Mary INFL VP John's DET NP who COMP IP

is [e] [+Poss] [e] [+WH] [e]

しかし、この議論では、省略部分を導入できる指定部とそうでないものの違いを説明できな

い。そこで Lobeck (1995)で提案されている Strong Agreement を採用することで、指定部と補

部の一致が顕在的になっている場合に省略が許されるということを示した。

第三章では、間接疑問縮約に関する movement approach と non-movement approach を概観

し、それぞれに含まれる問題点とその解決策を提案した。movement approach は wh 句の CP

の指定部への移動が起こっているという考え方である。移動後に残される痕跡と移動した

wh 句には同一指標が付与されるため、wh 句と TP 内の痕跡との同一性は証明されるが、こ

の場合の wh 句の移動は島制約に違反している。この問題は、間接疑問縮約における島制約

の違反は削除操作により修復されるという Ross(1969)の提案や、島制約に違反した際に生じ

る素性が TP の削除操作によって消去されるという Lasnik(2011)や Merchant(2011)の提案を

採用することで解決することができる。対して non-movement approach は TP に存在する

phrase marker によって LF 段階で削除部分のコピーが起こるという考え方である。この議論

では wh 移動は起こっていないと考えられるため、島制約は問題にはならない。だが CP の

指定部に存在する wh 句と TP 内の対応物が同一であるということを示す必要がある。Chung

et al. (1995)は、コピーされた TP と CP の指定部に存在する wh 句への同一指標付与が適用

されるという議論を展開し、これらの要素の同一性を示した。この分析によって英語におい

ては non-movement approach の問題は解決されるが、他言語においては問題が残る。以上の

議論から、英語における関節疑問縮約は movement approach と non-movement approach のど

ちらの立場からも説明可能な現象であると結論付けた。

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横山 舞 On the Distribution of Adverbs in English

本論文は、英語における副詞の分布についての研究である。副詞はその生起位置によって

いくつかのグループに分類される。その分類について先行研究を概観し、比較検証を行う。

まず、第 2 章では Radford(1997)をとりあげた。Radford(1997)は、副詞には IP 副詞と

VP 副詞の少なくとも 2 種類あると提案する。

第 3 章では Nakajima(1982)をとりあげた。Nakajima(1982)は、副詞には V4に属す A 副

詞、V3に属す B 副詞、V2に属す C 副詞、V1に属す D 副詞という4種類があると主張する。

そして第4章でとりあげる Bowers(2001)は、C´付加部に生じる C-licensed 副詞、I´付加

部に生じる I-licensed 副詞、Pr´付加部に生じる Pr-licensed 副詞、V´付加部に生じる

V-licensed 副詞の4種類があると主張する。

第5章ではそれぞれの分析を比較検証する。まずは Nakajima(1982)と Bowers(2001)の

比較である。これら 2 つはどちらも副詞を 4 種類に分類するという点で共通し、例文を見

ても共通している部分が多かったため非常に類似していると考えられる。しかし、樹形図

で Bowers(2001)は 2 つの枝分かれ節点のみを仮定している一方 Nakajima(1982)は 2 つ以

上の枝分かれ節点を仮定しているため、ここでは Bowers(2001)のほうが望ましいと考える。

次にBowers(2001)とRadford(1997)を比較した。Bowersは副詞を 4種類に分類し、Radford

は少なくとも 2 種類に分類できると主張しているため矛盾はないと思われる。しかし、

Bowers の分析では V-licensed 副詞は動詞の後ろにのみ生じることができるのに対し、

Radfordの分析ではV-licensed副詞と同じ種類の副詞が動詞の前後に生じることができる。

その点で、Bowers と Radford の分析には矛盾が生じる。そして、Bowers の分析では以下

の(1a)で V-licensed 副詞にあたる completely が動詞 ignored の前に生じる理由が説明でき

ない。また、Radford の分析では V-licensed 副詞にあたる perfectly が動詞 learn の前に生

じている(1b)の非文性が説明できないということになる。

(1) a. They certainly have completely ignored her.

b.* John perfectly learn French.

本論文では副詞をはっきりと 4 種類に分類している Bowers(2001)がより望ましいと考え

る。しかし Bowers の分析には、(1a)のような文を説明できないというような課題もあり、

今後より詳細な副詞の分析が必要であるという結論に至った。

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吉田 葵 A Study of ECM-Constructions

本論文では、英語において動詞の後ろに対格名詞と不定詞節を伴う(1)のような構文( The

Accusative plus Infinitive Construction) について研究した。

(1) Cindy believes Marcia to be a genius.

(1)において動詞の後ろの名詞(Marcia)は主語的な特性と目的語的な特性の両方を持つ。ここ

で生じる疑問は、動詞の後ろの名詞は主語なのか、あるいは目的語なのか、ということであ

る。補文標識の that を用いた(1)とほぼ同義の文を考えると Marcia が明らかに主語位置にあ

ることがわかる。一方、(1)の Marcia を代名詞に置き換えると、その形は主格ではなく対格

の形で現れる。本論文では、動詞の後ろの名詞が主語位置にあるとする分析と目的語位置に

あるとする分析のそれぞれを概観した。

第 2 章では、はじめに(1)のような構文の主語的特性と目的語的特性のそれぞれを概要し、

続いてこの構文の主要な2つの分析とされている Raising-to-Object approach と Exceptional-

Case-Marking approach を導入した。Rosenbaum (1967)や Postal (1974)によって支持される

前者の分析は動詞の後ろの名詞が派生のなかで主語位置から目的語位置に上がるというも

のであり、それによって主語的特性と目的語的特性の両方を説明する。Chomsky (1973)や

Bresnan (1972)によって支持される後者の分析は、動詞の後ろの名詞は派生を通して主語

位置にあるとし、その目的語的な特性は、動詞の後ろの名詞に対して特別な格付与を仮定す

ることで説明する。この 2 つの分析に加えて、近年 Johnson(1991)や Lasnik and Saito(1991)

などによって見直された Raising-to-Object についても触れた。

第 3 章では、上記の主要な 2 つの分析の証拠を取り上げた。ここでは、それぞれの分析

において副詞の配置の観点から議論が進んだが、結果として両者の間で矛盾が生じた。その

ため、副詞自体の特性がそれぞれの分析に関わっているのではないかという仮定にたどり

着いた。

第 4 章では、第 3 章で概要した見直された Raising-to-Object の分析を再度取り上げ、考察

した。Raising-to-Object の分析で問題点とされている三分岐樹形図構造に関して Binary

Branching Hypothesis を採用し、三分岐構造を二分岐構造に変換するために Johnson (1991)

と Pesetsky (1989)の分析を用いた。結果として出来上がった二分岐構造は、動詞の後ろの

名詞が目的語位置に上がった形にはなっているものの、その表面的な形が Exceptional-Case-

Marking で示される樹形図とよく似た形となることがわかった。

上記のことから、いくらか問題は残るものの、 三分岐構造を二分岐構造に作りかえた

Raising-to-Object の分析は、Exceptional-Case-Marking を引き起こすための移動であると

考えられうるのではないかという結論に至った。

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若木 美夕 On Adverb Placement in English

本論文は、英語における副詞の生起位置に伴う諸問題ついての研究である。副詞の多く

は文中で様々な位置を占めることが可能であるが、その分布は副詞によって異なっている。

(1) a. {Evidently / Probably} John has lost his mind.

b. John {evidently / probably} has lost his mind.

(2) a.*{Completely / Easily} John has read the book.

b.*John {completely / easily} has read the book.

(1a.b)と(2a.b)はどちらも文構造的に同じ場所に副詞が現れている。(1a.b)は文法的であるが、

(2a.b)は非文である。文中に現れる副詞に関するこのような分布制限の相違について調査し

た。

第 2 章において、副詞の生起位置に関する先行研究を概観する。まず、Jackendoff (1972) は

-ly 副詞が現れることのできる文中の位置は表層的に3つ存在するということを指摘し、そ

の分析に伴って副詞を6つの分布的カテゴリーに分類している。また彼は、Keyser (1968)

の提案した転送可能性規約について問題を提示している。Keyser は副詞が複数の位置に現

れるのは、副詞自体が「移動」した結果であると見なしているが、Jackendoff はその規約の

適用を S に直接支配される副詞だけに限ることを示唆している。というのも、転送可能性

規約は、動詞に義務的に要求される副詞が自由に移動してしまうことを許し、非文法性を

生み出してしまうからである。そこで Travis (1988) は、副詞が複数の位置に現れるのは、

副詞自体の移動によるものではなく、副詞自体がある主要部の最大投射内で「認可」され

るためである、という「主要部素性認可」を提案している。例えば、completely のような物

事がどのように起こったかを表す様態副詞は V がもつ「Manner」という素性によって認可

され、probably のような節全体を修飾する文副詞は I がもつ「Event」という素性によって

認可されると想定する。さらに Travis は、Jackendoff (1972) や Roberts (1985) の分析を基に

して、この「主要部素性認可」を採用することでより正確に副詞を分類している。最後に

Bowers (1993) はこれまで提案されてきた分析を再考し、副詞に「認可」を与える主要部と

して Pr という新しい範疇の必要性を唱え、加えて様態副詞は X´の付加語という仮説を提

案した。彼の仮説の下では、より厳しく制限された副詞の分布制限の相違を見ることがで

きる。

この路線が正しいとすれば、副詞に関する分布制限の問題は、それぞれの副詞を認可す

る主要部が異なるためであると結論付けることができる。

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若林 晶 On the Structure of Verbal Phrases

本論文では、英語における動詞句の構造について VP shell の分析に焦点を当て、先行研究

を概観するとともにその構造の普遍性を考察する。VP shell が用いられる典型的な例は以下

のような三項動詞である。

(1) a. Mary gave Bill a present.

b. John put a book on the desk.

第 2 章では、Larson (1988)の二重目的語構文、与格構文における VP shell 分析を軸として、

これに関連する Hale and Keyser (1993)、Radford (1997)の分析を概観する。Hale and Keyser

は、VP shell 分析での動詞の移動は Larson が提案した繰り上げではなく、名詞の動詞派生と

同様の編入であると分析した。また、動詞句の統語派生がその中心となる動詞の語彙によ

って決まるという構造関係 LRS(Lexical Relational Structures)を提案し、完全解釈(Chomsky

1986)の観点から VP shell は多くても 2 つの VP から成ると分析した。VP shell は、①語彙

動詞を主要部とする VP と②抽象的で音形を持たない動詞を主要部とする VP の二層構造で

あり、この構造は使役関係を表すと主張している。同様の構造が Radford の分析にも採用さ

れたが、Radford は、使役は構造関係から表れてくるのではなく、抽象動詞が本来的に使役

素性を持つ causative light verb Ø であることを提案した。

(2)

第 3 章では、2 章で見た先行研究をもとに、能格動詞と非能格動詞の句構造の違いを分析

する。能格動詞は自動詞用法と他動詞用法があるが、どちらにおいても元は同じ統語構造

であると仮定し、動作主を項として取る causative light verb Ø の有無によって用法の違いが

生じると結論付けた。一方、非能格動詞は自動詞用法しかないが、同意の名詞と同じ文字

列を持つものが多いことから、①名詞の動詞派生を生じさせる使役素性を持たない light verb

と②使役素性を持つ causative light verb Ø から成る VP shell 構造であると分析した。その結

果、動作主を項として取りながら直接目的語を取らない構造の説明が可能になる。

第 4 章では、Keyser and Roeper (1992)の re-を中心とした抽象接辞の分析を概観し、その

なかで挙げられた接辞位置を占める要素 re-, dative, idiomatic noun 等が共起しない理由を VP

shell の観点から分析する。これらの要素は、それぞれが動詞句形成において VP shell 構造

持つと予測されるため、共起した場合には三層構造となり完全解釈の点で排除されるとい

う結論に至った。

vP v́ v VP Ø

V XP

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Furtwänglers Verständnis von Musik:

lebendige und mechanische Musik

H13J198A

Mayuko Kawakami

Der in Berlin gebürtige Wilhelm Furtwängler (1886-1954) war ein repräsentativer Dirigent in

der ersten Hälfte des 20. Jahrhundert. Zu seinen Lebzeiten wurden eine Vielzahl von neuen

Technologien erfunden und er erlebte große Veränderungen in der Lebensweise. Besonders

Verbesserungen von Vervielfältigung und Tontechnik haben den Menschen Gelegenheit

gegeben auf neue Art Musik zu hören. Furtwängler bezeichnete die Musik, zum Beispiel aus

dem Radio und auf Schallplatten als „mechanische Musik“. In Gegensatz hierzu setzte er die

tatsächlich gespielte Musik als „lebendige Musik“. In dieser Arbeit betrachte ich Furtwänglers

Musikverständnis und seine Unterscheidung von „lebendiger“ und „mechanischer“ Musik.

Im ersten Kapitel gebe ich einen Überblick wie sich die von Furtwängler genannten

Aufnahme- und Vervielfältigungstechniken historisch entwickelten. Die Tonaufnahmen von

damals waren kurz, von schlechter Tonqualität und konnten es nicht mit dem Original

aufnehmen. Daher wollten damals klassische Musiker nicht aktiv an Aufnahmen teilnehmen.

Aber das Verkaufen von Schallplatten ermöglichte einigen Händlern wirtschaftliche Profite.

Außerdem spielte auch das Radio bei der Verbreitung von Musik eine wichtige Rolle. In diesem

Kapitel behandele ich darüber hinaus auch noch „Das Kunstwerk im Zeitalter seiner

technischen Reproduzierbarkeit‟ (Walter Benjamin,1936) . Benjamin lebt in derselben Zeit wie

Furtwängler. Er behandelte hier die Themen Gemälde, Foto und Film, aber sein Begriff der

„Aura“ trifft zum Teil auch auf Musik zu.

Im zweiten Kapitel kläre ich wie Furtwängler über „mechanische“ Musik denkt, was er

unter „lebendiger“ Musik versteht und welche Musik Furtwängler in seinen Schriften

„Vermächtnis‟ (1956), „Ton und Wort: Aufsätze und Vorträge, 1918 bis 1954‟(1956) und

„Wilhelm Furtwängler Aufzeichnungen 1924-1954‟ (1980) fordert. Furtwängler fürchtete nicht

„mechanische Musik“ an sich, sondern er befürchtete, dass die Menschen durch den Auftritt

von „mechanischer Musik“ keine „lebendige Musik“ mehr verlangen könnten. Und

Furtwängler definiert „lebendige“ Musik als vitale Musik. Er fordert vom Zuhörer eine aktive

Haltung beim Zuhören. Die Musik, die Furtwängler fordert, ist „lebendige“ Musik. Sie kommt

unter den Voraussetzungen zustande, dass ein lebhafter Dirigent lebendige Werke zur

Aufführung bringt und die gespielte Musik auf einen lebendigen Zuhörer trifft.

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川上麻由子 フルトヴェングラーの音楽観

―「生きた音楽」と「メカニカルな音楽」―

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwängler, 1886-1954)はドイツのベ

ルリン生まれで、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者を務めるなど、

20 世紀前半を代表する指揮者である。彼の生きた時代は、様々な技術が発展し人々の

生活が大きく変わった時代でもあった。特に、録音や複製の技術が向上したことで、

民衆が音楽に触れる機会が大幅に増えることとなった。フルトヴェングラーは音楽の

なかでも、ラジオやレコードを通した間接的な音楽を「メカニカルな音楽」とし、そ

れに対するものとして「生きた音楽」を挙げている。本論文では、この 2 つの音楽に

対してフルトヴェングラーはどのように考え、「生きた音楽」とはどのような音楽であ

り、何を大切にしていたのかを考察した。

第 1 章ではまず、フルトヴェングラーが「メカニカルな音楽」とよぶ、1920 年代ごろ

からの音楽における録音、複製技術が歴史的にどのように発展してきたのかを概観し

た。当時の技術では、録音時間が短く、大編成では録音できず、音質も良くなかった

ため、クラシック音楽家たちは積極的に録音に望まなかった。しかし、クラシック音

楽の録音に商業的利益を見出した人々もおり、レコードが販売されるようになった。

また、ラジオの普及は大衆への音楽の普及に一役買った。その複製技術に対する論と

して、フルトヴェングラーと同時代に生きたベンヤミン(Walter Benjamin, 1882-1940)

の『複製技術の時代における芸術作品』(„Das Kunstwerk im Zeitalter seiner technischen

Reproduzierbarkeit‟, 1936)を考察した。ベンヤミンは絵画や写真、映画に焦点を当てて

論じていたが、彼の「アウラ」の概念は音楽にも通じるところもあった。

第 2 章ではフルトヴェングラーの『音楽ノート』(„Vermächtnis‟, 1956)『音と言葉』(„

Ton und Wort Aufsätze und Vorträge, 1918 bis 1954‟, 1956)、『フルトヴェングラーの手記』

(„Wilhelm Furtwängler Aufzeichnungen 1924-1954‟,1980)を中心に、フルトヴェングラ

ーが「メカニカルな音楽」についてどのように考えていたのか、「生きた音楽」とは何

か、どのような音楽を求めていたのかを考察した。フルトヴェングラーによると、「メ

カニカルな音楽」そのものよりも、その登場により大衆が「生きた音楽」を求めなく

なることを危惧し、憂いていた。そしてその「生きた音楽」とは「メカニカルな音楽」

と対照的な、直接聴く音楽ということだけでなく、「生命力のある音楽」のことを指し

ていることが分かった。フルトヴェングラーは聴衆にも生命力、つまり、音楽を理解

しようとする姿勢を持つことを必要とした。フルトヴェングラーは「生きた作品」を

生き生きと演奏し、「生きた聴衆」を見出すことを大切にしていた。この状態があって

こそ生まれるものが「生きた音楽」である。

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Eine Studie zu Herman Hesses „Unterm Rad“:

Homosexalität aus der Sicht der Beziehung von Hans und Heilner

H13J069A

Arisa Saito

Hermann Hesse (1877-1962) war ein deutscher Schriftsteller. Diese Abschlussarebeit behandelt

seinen Roman „Unterm Rad“ (1906). Es gibt zwei Jungen, Hans Giebenrath und Hermann Heilner,

in dem Roman. Ich betrachte, wie ihre Freundschaft hier dargestellt wird und welche Bedeutung sie

für die autobiographischen Elemente im Roman hat.

„Unterm Rad“ ist ein autobiografischer Roman. Hesses Entlassung aus dem Internat wurde in

die Figuren von Hans und Heilner übernommen. Im Gegensatz zu dem selbstständigen Heilner, war

Hans ein Nachzügler und litt an einer Neurose. Hesse Erfahrung, den Sturm von Innen heraus zu

überwinden, wurde in die Figur des Heilner übernommen. Das tragische Ende von Hans scheint die

Zukunft vorwegzunehmen, falls Hesse seine Neurose nicht überwinden können würde.

Es ist zu vermuten, dass Hesse seine Neurose nicht überwand, da er keine Mutter hatte. Hesse

hielt die mütterliche Liebe für wichtig, was als Motiv auch in seinen anderen Romanen auftaucht.

Hesse schildert auch Hans so, dass er ohne mütterliche Liebe unter einem strengen Vater und

Lehrern aufgewachsen ist. Heilner hingegen konnte geliebt von seiner Mutter aufwachsen. In der

Schule hilft ihm Hans seine Melancolie zu überwinden. Hans aber kann seine Schwäche, nicht

überwinden aus, Mangel an mütterlicher Liebe. Diese Schwäche steht in Beziehung mit Heilner, der

Hans für sein Glück ausnützt. Aber Hans lässt dies über sich ergehen, obwohl ihm bewusst ist, dass

er ausgenutzt wird. Er wird deshalb von seiner Umgebungs isoliert. Hans war für Heilner nichts

anderes eine praktische Existenz für Heilner und ein gleichzeitig ein sozialer Verlierer, den er

konsumierte.

Anfangs scheinen die beiden Freunde den gleichen Weg zu gehen. Aber später wird klar, dass

ihre Zukunft gegensätzlich ist. Dabei macht das tragische Ende von Hans eine starken Eindruck auf

den Leser. Der Gegensatz zwischen der glücklichen Zeit der ersten Liebe und der Einsamkeit,

nachdem Heilner ihn verlassen hat, ist sehr groß. Dies verursacht beim Leser weiter Mitleid. Hesse

hat hier die Bedeutung von Freundschaft und ihre seelischen Qualen durch Hans und Heilner

beschrieben.

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斎藤 有紗 ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』研究

――ハンスとハイルナーの関係から見る同性社会――

本論文では、ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse, 1877-1962)の長編小説『車輪の下』("Unterm

Rad”, 1906)を取り上げる。主人公ハンスとその友人ハイルナーの関係の描き方に注目し、

『車輪の下』がヘッセの自伝的小説であることから、二人の関係が意味するものを考察す

る。

『車輪の下』がヘッセの自伝的小説であるという点から作中のハンス、ハイルナーとヘ

ッセの相違点を確認すると、ヘッセが入学後半年で神学校を脱走して退学になったことは、

作中でハンスとハイルナーの両者に受け継がれており、ハイルナーが将来的に自立できた

ことに対してハンスはノイローゼに悩まされそのまま人生の落伍者となっている。生き延

びたハイルナーは「内面からの嵐」による精神的な苦難を乗り越えたヘッセの正史を辿り、

ハンスの破滅的な結末はヘッセがそれらの苦しみに耐えることができなかった場合の仮定

の未来を物語っていることがわかる。

ハンスがノイローゼに耐えられなかった原因の一つに、彼に母親がいない点が推測でき

る。ヘッセは母親の愛情を重視しており、その考えは彼の他の作品にも表れているが、ハ

ンスは厳しい父親や教師の重圧の下で母親の愛情を知らずに育ったため、誰かに甘えると

いう手段を知らなかったのである。対してハイルナーは母親からの愛情を受けて育ち、学

校ではハンスに相手をしてもらうことで詩人特有の憂鬱症を発散していたことが作中で示

されている。ハンスの他者を利用して精神的な安らぎを得ることができないという欠点は、

彼とハイルナーとの友人関係にも繋がっていて、ハイルナーはハンスを自分の都合のいい

ように利用していた。しかしながら、ハンスはそのことを理解していながらも甘んじて受

け入れていたために周囲から孤立してしまった。つまり、ハンスはハイルナーにとって都

合のいい存在として消費されるだけの社会的敗者となっていたのである。

以上のことから、一見親友として同じ道を歩んでいたかのように思えたハンスとハイル

ナーの友情は、彼らの結末の対称性を浮き彫りにし、読者にハンスの悲劇的な結末を強く

印象付ける作用を持っていることがわかる。二人がすれ違いから仲直りした後の初恋のよ

うに幸福な日々と、ハイルナーが神学校を去り一人残されたハンスの陰鬱な日々の落差は

非常に大きく、読者にさらなる憐れみを抱かせている。それだけでなく、ハンスの幸福な

日々ですら、客観的に見れば彼がハイルナーに従属しているだけのものなのである。精神

的な困難における友人の重要性がハンスとハイルナーの二人を通して描かれている。

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Eine Studie zur „Undine“ von Fouqué:

Die Bedeutung der Seele und die Deutung der beseelten Undine bei Jung

H13J178G

Miho YOSHIHARA

Friedrich Heinrich Karl de la Motte Fouqué (1777-1843) war ein deutscher Schriftsteller. Diese

Abschlussarbeit behandelt seine Erzählung „Undine“ (1811) und ich analysiere die Bedeutung der

Seele und den beseelten Charakter der Undine in ihren unterschiedlichen Ausprägungen.

Im ersten Kapitel betrachte ich, welche Vorstellungen es von Wassergeistern und von Wasser

im Allgemeinen gibt. Ein Ursprung des Wassergeists ist die Sirene in der „Odyssee“. Die Sirenen

sind Vögel mit Menschenköpfen. Sie sind böse und verführen die Männer. Im Laufe der Zeit haben

diese Wassergeister sich verändert und es erscheinen neue Wassergeister, die etwa Menschengestalt

haben und gut sind. Undine ist einer dieser neuen Wassergeister. Man verbindet mit Wasser viele

verschiedene Vorstellungen. Wasser ist nicht immer positiv besetzt, zum Beispiel als Symbol für

Leben oder für die Mutter, sondern kann auch negativ auftreten, zum Beispiel als Tod oder als

Unglück. Auch die Wassergeister haben einen guten und einen fürchterlichen Aspekt. Ich denke, dass

der Doppelaspekt des Wassers sich auf den Charakter der Wassergeister ausgewirkt hat.

Im zweiten Kapitel fasse ich den Wandel in der Darstellung der Undine zusammen. ich

analysiere die Bedeutung der Seele und das Beseelungsmotiv. Die seelenlose Undine ist eine

egoistische und kalte Frau. Aber die beseelte Undine ist eine fürsorgliche und freundliche Frau. Die

beseelte Undine sieht wie das Ideal der Frauen aus. Jung sagt, dass Seele gleichbedeutend mit Anima

ist. Anima ist die Vorstellunge einer weiblichen Persönlichkeit, die ein Mann hat und sein Ideal der

Frauen formt. Ich interpretiere hier, dass die Seele, die Undine bekommen hat, Anima als Ideal der

Frauen ist.

Im dritten Kapitel suche ich nach Gemeinsamkeiten von Undine und der sogenannten Großen

Mutter. Die Große Mutter ist ein Archetyp in Jungs Theorie und ist auch als Ideal der Frauen gedacht.

Alle wichtigen Merkmale der Großen Mutter treffen auch auf Undine zu. Erich Neumann

(1905-1960) sagte bereits, dass die Große Mutter in Zusammenhang mit den Wassergeistern steht. In

diesem Sinne verkörpert Undine die Große Mutter. Ich glaube, es ist hier deutlich geworden, dass

die Seele Anima bedeutet und sie den Wandel der Undine beeinflusst hat, so dass Undine ein

Frauenideal werden konnte.

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吉原 美帆 フケー『ウンディーネ』研究

―魂の意味と変化後のウンディーネのユング心理学による解釈―

本論文では、フリードリヒ・ハインリヒ・カール・ド・ラ・モット・フケー(Friedrich Heinrich

Karl de la Motte Fouqué, 1777-1843)の中編小説『ウンディーネ』(„Undine“, 1811)を取り上

げ、物語中の魂の意味と魂の獲得によって変化したウンディーネの人物像について考察す

る。

第一章ではフケーの『ウンディーネ』以前の水の精や物質としての水がどのように考え

られてきたかについて考察する。水の精の起源となったと言われるのはホメロスの『オデ

ュッセイア』に登場するセイレーンである。セイレーンは半人半鳥の姿で登場し、人間を

誘惑する邪悪な存在として描かれる。しかし時代と共に水の精は姿と性格が変化し、後に

人間の姿で現れ、人間に恵みをもたらす善い水の精が新たに誕生していった。ウンディー

ネはこの新しい水の精の一人である。また物質としての水は状態によって多数のイメージ

を連想させる。水は生や母のようなポジティブなイメージと、死や災害のようなネガティ

ブなイメージの両方を持つ。この特性が、水の精が善良な面と恐ろしい面の二面を持つと

いう特徴へ影響していると考えられる。

第二章では作中描写からウンディーネの性格の特徴をまとめ、魂を与えるというモチー

フの意味や、魂を獲得する前と魂を獲得した後のウンディーネを比較し、その性格につい

て分析する。魂を獲得する前のウンディーネは、自己中心的で冷酷な少女として書かれ、

魂を獲得した後のウンディーネは、気が利く優しい女性として書かれている。水の精の本

質は変わらないが、性格は変わっていることがわかる。変化後のウンディーネは理想の女

性として書かれているように思われる。ユング(Carl Gustav Jung, 1875-1961)によると、魂

とアニマは同一の意味を持ち、アニマとは男性が内面に持つ女性らしさであり、それは理

想の女性像を形成するという。よって、ウンディーネが獲得した魂とは理想の女性として

のアニマであると分析した。また魂を与えるというモチーフは男性の支配欲を意味してい

ると考えられる。

第三章では魂を獲得した後のウンディーネの書かれ方を、理想の女性としてのグレート

マザーという視点から考察する。グレートマザーとはユングによる元型論の中の元型の一

つで、目指すべき理想の女性像として考えられる。グレートマザーの特徴は、良い面と恐

ろしい面の両方を持つことと、魅了する力を持つことである。この特徴はウンディーネに

も当てはまる。またノイマン(Erich Neumann, 1905-1960)はグレートマザーと水の精の関

連を述べている。以上から、ウンディーネはグレートマザーの体現であり、理想の女性像

を表していると考察した。

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Eine Studie zu Felix Mendelssohns Denkformen:

Jüdische Zitate aus dem Alten Testament im Oratorium „Paulus“

H13J184A

Shuhei Watanabe

Felix Mendelssohn Bartholdy(1809-1847)war ein deutscher Komponist und schrieb 1836 das

Oratorium „Paulus“, dessen Thema Paulus in der Apostelgeschichte ist. Diese Studie macht die

Weltanschauung im „Paulus“ anhand der Verwendung von Wörtern aus dem alten Testament klar.

Der siebenjährige Mendelssohn änderte seinen Glauben vom Judentum zum Protestantismus. In

derselben Zeit riet ihm sein Vater dazu, den Namen „Mendelssohn“ aufzugeben, denn das war so

jüdisch. Mendelssohn aber verzichtet darauf nicht. Ich glaube, er möchte seine jüdische Identität

nicht verlieren..

In Mendelssohns Auffassung bestand ein Oratoriums, er verlangte nicht nicht nur aus

menschlichen Gefühlen, aus dramatischen Elementen bestehen, sondern es sollte auch eine

bekehrende Funktion haben. Für Mendelssohn waren die Wörter in der Bibel dabei sehr wichtig und

dabei war er sich seiner Interpretation dieser Bibelstellen sehr sicher. Während in herkömmlichen

Oratorien die Lyrik normalerweise frei geschrieben wurden, folgt „Paulus“ an vielen Stellen direkt

dem Original der Bibel. Mendelssohn hatte die Texte für das Oratorium aus verschiedenen

Bibelstellen kombiniert.

„Paulus“ besteht dem Vorspiel inbegriffen aus 45 Szenen, darunter gibt es 10 Szenen mit

Zitaten aus dem alten Testament. Diese Zitate erscheinen in unterschiedlichichen Formen zum

Beispiel als direkte Zitate aus dem Alten Testament, aus Schlüsselwörtern in Kombination mit

Phrasen aus dem Alten Testament oder aus Zitaten aus dem Neuen Testament auch gemischt mit

Chorälen. Diese Zitate aus dem Alten Testament im „Paulus“ verstärken den emotionalen Ausdruck

und machen so die Beschreibung der Apostelgeschichte reicher. Darüber hinaus fügte Mendelssohn

durch diese Bibelzitate dem Oratorium seine bekehrende Funktion hinzu.

Ich glaube man kann sagen, dass durch die effektive Verwendung von alttestamentarischen

Zitaten, Mendelssohn den bekehrenden Charakter in seinem Oratorium „Paulus“ verstärken konnte.

Dabei drückte er seine Auffassung, was ein Oratorium ausmacht sowie seine religiöse

Weltanschaung aus. Dies war nur deshalb möglich, weil er die Bedeutung des Alten Testament so

tief verstanden hatte und diese Schrift für so etwas Besonderes hielt.

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渡部 修平 フェリックス・メンデルスゾーンの思想研究

『聖パウロ』に見るユダヤ教の言葉

本論文はドイツの作曲家メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809-1847)が、

新約聖書の中の使徒言行録におけるパウロの回心を題材に手掛けたオラトリオ『聖パウロ』

("Paulus”,1836)を取り上げ、ユダヤ人として生まれプロテスタントに改宗したメンデルス

ゾーンだからこそ表現できたであろうパウロの世界観を作中に登場する旧約聖書の言葉を

手掛かりとして明らかにしようとするものである。

当時 7 歳であったメンデルスゾーンは改宗に際して、父であるアブラハムから「メンデ

ルスゾーン」という名は至極ユダヤ的であり捨てるべきだと促された。しかし、それにも

かかわらずメンデルスゾーンは「メンデルスゾーン」を生涯名乗り続けた。このことは彼

がユダヤ人というアイデンティティを完全に捨て去ったわけではないことが窺える。

またオラトリオ観に関して言えば、メンデルスゾーンは当時オラトリオに求められた人

間的感情、ドラマ性、共感性とそれに相応しい音楽に加え教化的作用を独自に付加しよう

とした。さらに彼は聖書の言葉を最大限に尊重し、自身のそれに対する解釈にもかなりの

自信があったことが明らかになっている。これは一般的なオラトリオがどちらかといえば

自由詩によるものが多いのに対し、この作品は殆どの箇所において聖書の言葉を忠実に採

取し、それらを組み合わせて作詞していることがその証左として挙げられる。

『聖パウロ』は序曲を含め 45 の場面からなるが、そのうち 10 の箇所に旧約聖書からの引

用と思われる言葉が見られる。その登場の仕方は原文から丸ごと寸分たがわず引用したも

の、鍵となる単語や文章を至る所から集めて組み合わせたもの、また新約聖書の文言やコ

ラールと融合したものなど場面によって様々である。『聖パウロ』の中では、これら旧約聖

書の言葉によってパウロをはじめとする登場人物の印象や感情が使徒言行録の記述以上に

表現されているとともに、メンデルスゾーンが求めた教化的作用の付加を試みたものと考

えられる。またこのように旧約聖書の言葉を効果的に差し込むことで『聖パウロ』に自身

のオラトリオ観や宗教観を持たせたことは、彼が旧約聖書の言葉とそれが持つ性格を熟知

し、特別に思っていたからこそ可能であったことといえるだろう。

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Die politischen Anschauungen des Eduard Bernstein

Die Ethik des Revisionismus in der heutigen Politik der Industriestaaten

Kazuki Ikarashi

In meiner Bachelorarbeit beschäftige ich mich mit Bernsteins Konzept des Theoretischen

Revisionismus. Das Hauptziel von Bernsteins Revisionismus war, den Marxismus zu korrigieren.

Sein Ziel ist die Realisierung des Sozialismus durch Parlamente. Ich möchte hier zeigen, dass das

Denken von Eduard Bernstein (1850-1932), auch wenn seine Anschauungen zu Lebzeiten nicht

umgesetzt werden konnten, weiterexistieren und auf welche Weise seine Anschauung und Politiken

in heutigen politischen Systemen zu finden sind. Ich betrachte die Hintergünde seiner Anschauungen,

die Gültigkeit seiner Ansichten in der aktuellen Politik und die Gründe, warum er innerhalb der

damaligen politischen Anschauungen zu seinen Lebzeiten nicht akzeptiert wurde.

Im ersten Kapitel betrachte ich die Geschichte des Deutschen Sozialismus im 19. Jahrhundert

von der Zeit der Sozialistische Arbeiterpartei Deutschlands, die 1875 in Gotha gegründet wurde bis

zur Reichstagswahl im Jahr 1877. Dann analysiere ich die Formierung von Bernsteins Denken, die

auf dem Anfang der damaligen deutschen sozialistischen Politik beruht. Damals beklagte das

deutsche Volk sich über die herrschende deutsche Politik. Der Wiederaufbau der sozialen Zustände

war nötig, damit die deutsche Arbeiterschaft überleben konnte.

Im zweiten Kapitel betrachte ich das Denken von Karl Heinrich Marx (1818-1883), das

großen Einfluss auf die deutsche Politik ausübte. Dann erkläre ich die kommunistische Anschauung

von Wladimir Lenin (Влади́мир Ильи́ч Ле́нин, 1870-1924) und analysiere die Gründe, warum die

Anschauungen Bernsteins von den Marxisten kritisiert wurden. Besonders Bensteins Behauptung,

dass die natürliche Entwicklung zum Sozialismus durch Verbesserungen des Kapitalismus erreicht

werden könnte, wurde von Marxisten, die an den Zerfall des Kapitalismus glaubten, nicht akzeptiert.

Im dritten Kapitel, dem wichtigsten Kapitel meiner Arbeit, erkläre ich die Auffassung

Bernsteins und arbeite die Einflüsse in seinem Denken heraus, die sich besonders in der Politik

West- und Nordeuropas ausbreiteten. Ein Problem seines Denkens ist, dass die Standpunkte der

Völker in den Ländern z. B. in China, die kolonialisiert worden waren, völlig fehlen. Er beschäftigte

sich lediglich mit der Situation der Arbeiter im deutschen Reich. Aber seine Auffassung von

Sozialdemokratie, zu der unbedingt auch der Parlamentarismus gehört, breitete sich in der Moderne

aus und funktioniert als eine der wichtigsten Anschauungen der sozialen Bewegungen gerade auch in

den europäischen Ländern.

Die Gründungen sozialistischer Staaten in vielen Entwicklungsländern, zu denen etwa die

Sowjetunion oder die Volksrepublik China gehören, stellen eine Art Realisierung des Sozialismus

dar, der die Nationalisierung der Produktionsmittel und die Einführung der Planwirtschaft versuchte.

Aber die Gründung der sozialistischen Staaten nach sowjet-russischem Marxismus wird

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normalerweise als gescheitert eingeschätzt, da viele Staaten später die Marktwirtschaft wieder

eingeführt haben. Andererseits stärkte dies die Demokratie, wie Bernstein es einmal formulierte, so

dass für den Sozialismus heute die Verbindung mit dem Kapitalismus unerlässlich ist. Die weltweite

Armut nimmt mit Ausweitung des Kapitalismus stetig ab und in den hochentwickelten Ländern, z. B.

Schweden werden auch heute noch soziale Politiken immer stärker vorangebracht. Ich meine, dass

die Anschauungen Bernsteins auch heute hilfreich sind und dass der Kapitalismus allmählich

reformiert wird hin zu Sozialismus besonderes in den europäischen Ländern.

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五十嵐 一喜 ベルンシュタインの政治思想

──修正主義の倫理を、今日の政治に見る──

本論文では、19世紀を代表する社会主義的思想が現在21世紀において破綻的だと考えら

れているにもかかわらず、当時の修正主義的思想が脈々と受け継がれているということを

論ずる。ここでの修正主義とは、マルクス主義を修正し、議会を通じて社会主義の実現を

目指す思想を指す。また、本論を論じる上で、修正主義の生みの親であり、自身の思想や

政策が実る前、1932年にベルリンでこの世を去ったエドゥアルト・ベルンシュタイン(Eduard

Bernstein, 1850-1932)の意思が、今日の政治体制の中にもあることを示し、彼の思想が生ま

れる背景、彼の主張の現在における妥当性、当時の政治思想においてなぜ受け入れられな

かったかについて考察する。

第一章では、19世紀のドイツ社会主義の歴史について、1875年にゴータにおいて創設さ

れたドイツ社会主義労働者党や1877年の帝国議会(Reichstag)選挙頃から考察を進める。そ

してドイツの当時の社会主義政治の始まる経緯をふまえて、なぜベルシュタインの思想が

生まれたのかを考察していく。また、当時のドイツ政治への民衆の不満や嘆きを考察し、

ドイツ人民が生きる上で福祉的環境を再構築する必要性があったことについても論ずる。

第二章では、ドイツ政治に大きな影響を与えているマルクス(Karl Heinrich

Marx,1818-1883)の主張について考察を進める。そしてレーニン(Влади́мир Ильи́ч

Ле́нин,1870-1924)の共産主義思想についても触れ、ベルンシュタインの思想がマルクス主義

者に批判されるに至った理由について考察する。それはベルンシュタインの、資本主義の

改良を通じて社会主義への自然成長を目指す主張が、資本主義の崩壊を信じるマルクス主

義者に受け入れられなかったためであった。

第三章では、本論の最も主要な箇所であるベルシュタインの思想について触れ、現代の

西欧、北欧を中心として各国の政治に広がった彼の思想の影響について論じる。彼の思想

の問題点として、被征服地の民衆からの視点が欠落しているという点があった。しかし現

代において、彼の主張するような議会政治などの社会民主主義は世界中に広まり、ヨーロ

ッパ諸国においても、有力な社会運動の思想として働いているのである。

ロシア、中国、また多くの発展途上国の社会主義国家建設の動きは、生産手段の国有化

と計画経済の導入を試みたという点においては、一種の社会主義の実現と言えた。しかし

その後の、市場経済を再導入した動きを見れば、ロシア・マルクス主義による社会主義国

家の建設は失敗であったと評価できる。その一方で、ベルンシュタインがかつて社会主義

にとって不可欠と主張した民主主義は、現在ではむしろ資本主義との結びつきを強めてい

る。そして資本主義の拡大に伴って世界の貧困率は着実に減少し、先進諸国においては社

会福祉を増進する政策が進められている。このような資本主義による近代的成長、発展途

上国の貧困層の減少を享受しつつ、社会主義への漸進主義をとることが、各人の確実な生

活の向上において有効と考えられる。

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Das Motiv der Hexe aus psychologischer Sicht,

mit Schwerpunkt auf Rapunzel

H12J057C

Saho Kimura

In dieser Arbeit behandle ich die „Kinder- und Hausmärchen“, die Jacob Grimm (1785-1863) und

Wilhelm Grimm (1786-1859) geschrieben haben. Ich betrachte dabei besonders das Motiv der Hexe

und die Zauberin Gothel im "KHM12 Rapunzel" aus der Sicht der Jung’schen Psychologie.

Im ersten Kapitel analysiere ich die Motive der Hexe, der Zauberin und der weisen Frau.

In Japan werden diese Bezeichnungen meist identisch mit dem japanischen Wort für Hexe- übersetzt,

aber im deutschen Originaltext werden diese drei Formen unterschieden. Dabei habe ich große

Unterschiede zum Beispiel im Vorhandensein von Bestrafung an Ende der Geschichte, in seltsamen

Gang u. Ä.festgestellt.

Im zweiten Kapitel betrachte ich die Merkmale der Zauberin Gothel aus dem ersten

Kapitel. Frau Gothel wird mit dem Wort „Zauberin“ bezeichnet, aber sie verwendet keine Magie. Sie

schließt Rapunzel im Turm ein, aber zieht Rapunzel mit Liebe auf. Auf der anderen Seite hat Frau

Gothel auch eine fürchterliche Seite, da sie Rapunzel in ein ödes Feld verstößt. Man könnte also

sagen, dass Frau Gothel eine Zauberin ist, die sowohl liebevolle als auch zornige Seiten hat.

Im dritten Kapitel erforsche ich die Persönlichkeit, die Charakteristika und die Existenz

des Archetypus von Frau Gothel aus der Sicht der Jung’schen Psychologie. Laut Jung wohnt in jeder

Frau der sogenannte Archetypus im Unterbewusstsein ebenso wie zum Beispiel die Große Mutter die

zwei Gesichter von Leben und Tod hat. Als Muttergöttin kann sie das Leben symbolisieren, das

Götter und Länder gebärt. Gleichzeitig kann sie auch ein, Hausvater der Unterwelt sein. In den

„Kinder- und Hausmärchen“, kann sie ihre Kinder töten.Dabei entspricht sie der entsetzlichen Mutter

wie etwa in „KHM43 Frau Trude”, oder sie symbolisiert als gute Mutter das Leben, wie etwa in

„KHM24 Frau Holle”. Frau Gothel aber hat zwei Gesichter, sie zieht Rapunzel mit Liebe als gute

Mutter auf, ist aber gleichzeitig auch voll Zorn und verbreitet Furcht, wie es das Einschließen von

Rapunzel und ihre Verstoßung deutlich machen. In diesem Sinne könnte man sie der Jung’schen

Großen Mutter zuordnen.

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木村 沙保 心理学から見る魔女の役割

―ラプンツェルを中心に―

本論文では、ヤーコプ・グリム(Jacob Ludwig Carl Grimm, 1785_1863)とヴィルヘルム・

グリム(Wilhelm Carl Grimm, 1786_1859)の兄弟が編纂したドイツの童話集である『子供た

ちと家庭のための昔話集』(„Kinder und Hausmärchen“,1812)に登場する魔女やそれに類す

る者たち、その中でも『KHM12 ラプンツェル』に登場する女魔法使いゴテルを中心に、

ユング心理学を用いて考察しようとするものである。一般に『グリム童話集』と呼ばれる

本作は 200 以上の童話が掲載されており、日本でも多くの話が知られている。

第一章では、魔法を使う存在を魔女、女魔法使い、賢女と分け、それぞれの特徴を分析

する。日本では同じように訳されることが多いが、ドイツ語の原文では魔女と女魔法使い

に用いられる語が異なるほか、物語の最後に与えられる罰の有無、歩き方が異常であるな

ど多くの相違点が存在することが判明した。また、箒で空を飛ぶなどの我々が想像する姿

は、15 世紀から 18 世紀にかけてヨーロッパを中心に行われた魔女狩りによるイメージであ

り、本作に姿を見せる魔女たちとは異なることがほとんどであることもわかった。

第二章では、第一章の分類を踏まえたうえで『ラプンツェル』に登場する女魔法使いゴ

テルがどのような特徴を持つのかを考察する。使用されている単語から分類すればゴテル

は女魔法使いに相当するが、不可思議な術を使用するなどの行いは作中には描写されてい

ない。また、主人公のラプンツェルを幽閉はするものの、虐待を行うどころか外に接触さ

せずに、大切に育んでいた。しかしその一方で怒りのあまりラプンツェルを荒野に追放す

るなど、世の人々に恐れられるに足る荒々しい面も保有している。このことからゴテルは、

魔法を使用し他者を虐げるだけの女魔法使いとしては例外的に、慈しみと怒りの両面性を

持った存在であると考えられる。

第三章ではユング心理学の元型論について言及し、これを用いることでゴテルの性格、

特徴、存在を多角的に研究する。元型とはすべての人類に共通する無意識の中にあるもの

で、その一種として母親が生と死の双方を内包するグレートマザーと呼ばれる型が存在す

る。神話によく見られる地母神は、神々や土地を生んだ生を象徴する女神でありながら死

を司る冥府の主である場合が多々あるが、これらもその一例として挙げられる存在である。

さらに『グリム童話集』の作品においても、死に至らしめる魔女、テリブル・マザーとし

て『KHM43 トゥルーデおばさん』を、両面を合わせ持ちながらも生を司る側面が強いこ

とからグッド・マザーとして『KHM24 ホレおばさん』をそれぞれ考察し、童話における

グレートマザー像を分析した。以上をゴテルに当てはめてみると、ラプンツェルを大切に

慈しんで育んだグッド・マザーの面と、怒りや恐ろしさ、彼女を幽閉し最後には追放した

テリブル・マザーの両面が見て取れることから、彼女もまたグレートマザーを表す存在で

あると考えられる。

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Betrachtungen zu „Der goldene Topf“

H12J092A

Miho Shikama

In diesem Aufsatz beschäftige ich mich mit E.T.A. Hoffmanns (1776-1822) „Der goldene Topf“ . In

der Geschichte heisst es, dass Anselmus‘ Seligkeit in Atlantis ein Leben in Poesie bedeutet. Aber

was sind Atlantis, die Poesie und die Beziehung der beiden? Was für eine Rolle spielt das grüne gold

glänzende Schlänglein, die Serpentina heißt, in der Geschichte genau? Dieser Aufsatz beschäftigt

sich mit diesen Fragen.

Im 1. Kapitel untersuche ich, wie Hoffmann (1776-1822) über die andere Welt und Poesie

denkt. Hoffmann (1776-1822) sagt einmal, dass man das Wunderland im Alltagsleben sehen kann,

wenn man es von einem poetischen Standpunkt aus betrachtet. Hoffmann und Novalis (1772-1801)

finden beide die wahre Gestalt der Natur in der Poesie.

Im 2. Kapitel beschäftige ich mich mit der Einheit der gesamten Natur. Dies steht mit der

„Emanationslehre“ in Zusammenhang. Plotinos (204-270) legt in seiner Emanationslehre Folgendes

dar. Alle Wesen wurden von einer gemeinsamen Quelle (to hen, Gott) geboren, darum sind sie sich

gegenseitig durch Sympathie verbunden und repräsentieren jeweils andere Wesen. In Bezug auf die

Emanationslehre denkt auch Paracelsus (1493-1541), dass alle Wesen mit Gott durch die Gestirne

verbunden sind, darum werden sie zu einer Signatur, die Gott und die anderen Wesen repräsentieren.

Im 3. Kapitel beleuchte ich, wie man nach Atlantis gelangt. Atlantis ist ein Reich, das in

Einklang mit der gesamten Natur steht. Aber keinen Einklang gibt es mehr in der Zeit, in der

Anselmus lebt. Wie kann Anselmus nach Atlantis kommen? Novalis denkt, dass die harmonische

Natur im Gemüt der Menschen möglich ist. Und er sagt auch, dass die Poesie der Ausdruck ihrer

Gemüter ist. Deshalb ist Atlantis in Anselmusens Gemüt möglich, und Atlantis ist auch der Ausdruck

seines Gemütes.

Was für eine Rolle aber spielt Serpentina in dem Prozess, der Anselmus nach Atlantis

bringt? Im 4. Kapitel beschäftige ich mich mit der Figur der Serpentina. Als Anselmus Serpentina

begegnete, gab ihm die Schlange die Ahnung einer anderen Welt und der Zukunft, und dass er bald

in Atlantis leben würde. Als Anselmus die Manuskripte dechiffrierte, half ihm Serpentina dabei mit

der Funktion seiner Fantasie. Die Fantasie ist unerlässlich in der Poesie. Und die Szene mit dem Glas

sieht nach „Unio Mystica“ aus. Die Kristallflasche stellt meiner Ansicht nach den Rahmen seines

Selbst dar. Serpentina wird deshalb zum Zeichen einer Gottheit, weil die Schlange Polarität hat, was

auch ein Merkmal einer Gottheit ist. Das tiefste Innere ist außerdem das Gemüt, wo das Wunderland

in Einklang mit der ganzen Natur sein kann. Anselmus konnte sein Selbst zerreißen und nach

Atlantis in seinem Gemüt gehen.

Im 5. Kapitel analysiere ich noch einmal den Text über Atlantis in der Geschichte. In Atlantis

wird Anselmus von der Natur angesprochen. Ihre Worte teilen ihm mit, dass der Einklang mit der

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ganzen Natur in Anselmus‘ Innerem liegt und er sich dort harmonisch mit der Natur verbinden kann.

Die Natur repräsentiert abstrakte Wesen. Darin drückt sich die Funktion seiner Fantasie aus. „Der

goldene Topf“ könnte somit so ausgelegt werden: Die Schlange Serpentina, die ein Symbol der

Gottheit ist, führte Anselmus nach Atlantis und Atlantis ist die Welt der Poesie, die Anselmus mit der

Erkenntnis des Einklangs aller Wesen durch seine Fantasie erschuf.

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鹿間 美帆 『黄金の壺』研究

本論文では、E.T.A.ホフマン(Ernst Theodor Amadeus Hoffmann, 1776-1822)の作品である『黄

金の壺』(Der goldene Topf, 1814)を取り上げ、この物語における不思議の国アトランティス

とポエジーとは何か、またアトランティスへの移行における蛇ゼルペンティーナの役割と

は何なのかについて考察した。第一章では、現実世界とは違うもう一つの世界がポエジー

と関連していることを、『黄金の壺』やホフマンの思想、そしてノヴァーリス(Novalis,

1772-1801)の思想において確認した。第二章では、プロティノス(Plotinos, 204-270)とパラケ

ルスス(Paracelsus, 1493-1541)の思想を参照し、アトランティスの特徴である「全自然の調和」

について考察した。「全自然の調和」とは、万物が同じ源から生まれ、共感によって結びつ

くことで、神性や他の物の顕れとなっている状態であった。次の第三章では、そのような

自然の状態にあるアトランティスが、調和を失ってしまった現在の時代においてどのよう

に存在し得るのかについて、ノヴァーリスの思想や作中の描写を参照しながら考察した。

アトランティスは、人間の精神の深みである心情に存在し、またそのような世界を内に抱

く精神の持ち主が見た自然に顕れた姿であった。アトランティスへ至るためには自然と人

との調和の関係である愛と、もう一つの世界の存在を信じる心が不可欠でもあった。続く

第四章では、これまで明らかになったアトランティスやポエジーと、ゼルペンティーナの

「蛇」という形象がどのような関連を持ち、どのような役割を果たしているのかについて

考察した。蛇ゼルペンティーナは、アンゼルムスにアトランティスの存在の予感を与え、

アトランティスを創造するために不可欠な想像力の働きを助け、「蛇」という二極性から神

性の顕れとしてアンゼルムスを調和の認識へ導いた。そしてアンゼルムスが狭い自己を破

ったことで、彼は神性の顕れである蛇ゼルペンティーナと合一したとともに、内面の深く

に開けたアトランティスの世界へ至ることができたのではないかと推察した。第五章では

これまでの考察をふまえて改めてアトランティスの描写を分析し、自然の言葉が、アンゼ

ルムスが自然との調和の関係を結んだことを示していると考えた。『黄金の壺』とは、神性

の顕れである蛇ゼルペンティーナがアンゼルムスを調和の認識に導き、その認識に立った

アンゼルムスがアトランティスをポエジーとして創造する物語なのではないかと考察した。

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L’étude sur Sylvie de Nerval : autour du chapitre XI, « RETOUR »

Yumi AIZAWA

Sylvie est une nouvelle de Gérard de Nerval (1808-55). Dans cette étude, nous nous sommes intéressée à la structure du chapitre XI, « RETOUR » qui traite du thème du souvenir : s’ouvrant sur des descriptions visuelles, il se termine sur une description auditive, on y trouve deux chansons, et Sylvie, la protagoniste de cette nouvelle s’interroge « Vous êtes dans vos réflexions ? »

Dans la première partie, nous avons analysé les textes du chapitre XI ainsi que leurs traductions japonaises, et nous en avons expliqué la structure en 4 parties avec les descriptions de lieu et de la voix.

Dans la deuxième partie, nous avons traité les descriptions visuelles, en particulier celle des lieux dans la première moitié du chapitre XI. D’abord, nous avons constaté que le topos de l’étang reflétant le souvenir du « je » avant le chapitre XI était employé deux fois dans ce chapitre. L’analyse montre qu’il est un signe avant-coureur de ce qui revient en mémoire et touche à la réalité. Ensuite, nous nous sommes penchée sur la place tenue par l’abbaye et la pelouse. En effet, en comparant comment ces lieux étaient traités dans la première partie de la nouvelle, nous avons pu identifier des changements de grandeur et d’ordre indiquant que leur descriptionavait un rôle particulier dans ce chapitre XI et qu’ils désignaient la réalité du souvenir.

Dans la troisième partie, nous avons explicité la relation entre les descriptions visuelles et auditives, en détaillant l’usage des adverbes de temps et la place de l’interrogation « Vous êtes dans vos réflexions ? ». Le chapitre XI commence par la description des lieux, et des propos de Sylvie qui dit au « je » pour décrire sa réalité. Ce « je » commence par se souvenir et, de plus en plus sous l’influence de sa voix, le chapitre XI passe du visuel au vocal, les adverbes de temps marquant l’apparition du souvenir auditif. C’est la répétition de cet adverbe dont découle son « Vous êtes dans vos réflexions ? » ainsi qu’aux chansons.

Dans la quatrième partie, nous avons fait l’analyse du paysage sonore, particulièrement de la voix et des chansons sur Sylvie et Adrienne. Nous avons constaté que, avant le chapitre XI, la voix de Sylvie symbolisait la réalité et que le changement de la voix d’Adrienne n’était pas agréable au « je ». Ensuite le chapitre XI décrit la voix de Sylvie où se reflète le souvenir de celle d’Adrienne. C’est un signe que le « je » essaie d’échapper à la réalité, surtout avec la chanson « Anges... ». Et puis, nous avons vu que «Anges » était un appel aux trois femmes que le « je » a aimé, Sylvie, Adrienne, et Aurélie. Sylvie proférant « Vous êtes dans vos réflexions ? » et chantant la chanson populaire « À Dammartin... », nous prouve qu’elle aussi est allée contre le temps, guidée par la voix du « je ».

Nous avons conclu que la complexité du souvenir dans Sylvie est exprimée par la répétition des réflexions sur les lieux, les voix et les chansons.

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相澤 佑美 ネルヴァル『シルヴィ』研究

第 11 章 « RETOUR »について

本論文では、ネルヴァル(Gérard de Nerval, 1808-55)作の『シルヴィ』を研究し、特に第

11 章の « RETOUR »に着目し論じた。第 11 章を軸として研究した理由としては、視覚的

描写から聴覚的描写で終わる第 11 章の構造や、二つの歌、さらにこの作品において重要な

登場人物、「シルヴィ」という女性の言葉である « Vous êtes dans vos réflexions ? »に疑問

を持ったからである。そこで、本論文の目的は、これらの疑問点を作品内における「記憶」

の主題と関連させて明らかにすることとした。 第一章では、第 11 章のテクストに注目した。テクストと拙訳を示した後、「場所」と「声」

に関する描写に基づいてテクストを四分割することができると示した。 第二章では、視覚的描写、特に第 11 章前半の「場所」の描写に注目した。まず、二度登

場する « étang »「池」の役割について分析した。第 11 章以前で 主人公「私」の記憶を反

映する存在として池が登場していたが、第 11 章における 池の再登場や池との距離の近さは、

既に池に反映された記憶が蘇り、現実に直面する予兆を示すと述べた。次に、修道院、芝

生といった「場所」の役割を分析した。第 11 章以前の「私」の回想と比較すると、大きさ

の変化や表記順の逆転が読み取れたため、これらの「場所」は第 11 章が回想の現実を描い

た章であると示す要素の一つであると分かった。 第三章では、視覚的な「場所」の描写と聴覚的な「声」の描写の関連性について、「時」

を示す副詞と « Vous êtes dans vos réflexions ? »という言葉に注目して論じた。第 11 章は

「場所」の描写から始まるが、視覚的に捉えられたその「場所」に関するシルヴィの言葉

は「私」に彼女の現実を知らせるものであった。彼女の「声」に反応した「私」は徐々に

様々な記憶が表出し、「時」の副詞が聴覚的記憶の表出を示す証となって「声」の描写に

移行していた。この「時」の副詞の連続が結果としてシルヴィの上の言葉や「歌」を導い

たのである。 第四章では、聴覚的描写、特にシルヴィとアドリエンヌに関する「声」と「歌」の描写

に注目した。まず第 11 章以前の描写から、堅実さを象徴するシルヴィの声と、「私」にと

っては好ましくないアドリエンヌの声の変化を確認した。第 11 章では「私」の現実逃避の

表れとして、シルヴィの声にアドリエンヌの声の記憶が投影され、特に修道女アドリエン

ヌを象徴する « Anges... »の「歌」でその様子が現れていた。この « anges »には「私」の愛

した女性たち、シルヴィ、アドリエンヌ、オーレリーへの語りかけが読み取れるとした。

そして、« Vous êtes dans vos réflexions ? »というシルヴィの「声」や、その後に彼女が歌

った « À Dammartin... »という「民謡」は、現実的なシルヴィも「私」の「声」に導かれ、

時を逆行していたことを示すのである。 以上より、『シルヴィ』における記憶の複雑さは、記憶が「場所」や「声」、「歌」に « réflexion »される描写の重なりによって表現されていたと分かった。

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Étude sur la langue bretonne

Shinya HOSHI

La langue bretonne, qui est le symbole de la Bretagne, n'a eu le droit qu'à très peu de

reconnaissance de la part du gouvernement français jusqu'à l'établissement de l'Union Européenne

(aux alentours de 1993). En bénéficiant à la fois de la croissance de l'Union Européenne et du

développement du localisme, le gouvernement français a commencé à promouvoir la langue bretonne,

et a lancé une politique de conservation de cette langue régionale. Désormais, ce concept de localisme

est devenu une importante force en France, en se construisant majoritairement autour de son symbole,

la langue bretonne, avec l'ouverture d'établissements scolaires, mais l'apparition de chanteurs

populaires aux textes en breton est également un exemple intéressant pour mesurer son importance.

On peut donc s'interroger sur la raison pour laquelle le gouvernement français ne s'est pas intéressé à

la langue bretonne avant les années 1990.

De façon à mettre en évidence ces raisons, nous étudierons les aspects les plus pertinents de la

politique linguistique de la France. Nous nous intéresserons au fait que l'État français a pu, dans un

premier temps, considérer la langue bretonne comme un danger et un ennemi pour elle, avant de

finalement remarquer son potentiel à collaborer avec la langue et la culture française, afin d'en faire

un atout pour l'identité du pays.

Dans la première partie, nous expliquons tout d'abord l'histoire de la langue bretonne.

Dans la deuxième partie, nous étudions ensuite les évolutions de la politique linguistique de la

France.

Enfin, dans la troisième partie, nous expliquons l'évolution de l'activité et de la politique de la

langue bretonne.

L'objectif principal des politiciens français était d'unifier l'État à travers la langue, le français.

C'est pourquoi la langue latine et les langues régionales tel que le breton furent perçues comme des

langues ennemies pour l'unification de la France.

La fin des années 1980 est un tournant décisif pour la langue bretonne. Des entreprises, des

municipalités ou bien encore des médias de masse ont commencé à utiliser la culture bretonne. La

Bretagne, qui renvoyait auparavant l'image d'une région pauvre et en retard sur son temps, connut ainsi

la réussite économique.

L'État a commencé à remettre en question son image de la Bretagne, jusqu'à reconnaître que la

langue bretonne n'était pas une menace pour la France et le français, permettant ainsi aux deux langues

de coexister aujourd'hui, et également d'en faire un atout pour le pays.

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星 伸哉 フランスの地域言語ブルトン語

ブルターニュ地方の象徴とも呼べるブルトン語は、欧州連合(EU)成立(1993 年)まで

は、フランス中央政府から全く相手にされなかった言語であったが、EU 発達と共に、地域

主義が過熱するにつれて、保護と促進の対象となった。フランスにおけるブルターニュ地方

の地域主義は、1990 年代の脚光を浴び 2016 年現在では大きな勢力となりその象徴ともい

えるブルトン語も教育機関を中心に広がりをみせ、ブルトン語で歌う人気フランス人歌手

まで現れている。

しかしながらそれ以前、つまり 1990 年以前ブルトン語はフランス言語政策の相手にされ

なかった。ではそれはなぜか。フランス全土を対象とした言語政策とブルトン語に関する政

策の変遷を整理することでその理由を明らかにした。

結論としてはブルターニュ文化およびブルトン語が、フランス国家に敵対する危険なモ

ノという視線からむしろフランス語やフランス文化を発信する際に協力するモノと見られ

るようになったからである。

第一章ではブルトン語の大まかな歴史について概説した。ブルトン語がどういった経緯

でブルターニュ地方に伝わり 1990 年代以前なぜ「貧しい地域の言語」というイメージがつ

いていたのか説明した。

第二章ではフランスにおける言語政策の変遷を俯瞰した。とくに 1539 年の「ヴィレル・

コトレの勅令」から始まるフランス語強化と拡大を目的とする政策を取り上げた。1919 年

ヴェルサイユ条約から始まる英語の脅威に対抗するフランス語奨励政策と国際社会の地域

言語奨励政策を整理した。

第三章ではブルトン語に関する政策と運動の変遷を俯瞰した。フランスの政治家は常に

いかにカトリック聖職者(=ラテン語)の支配から離脱するか苦慮してきた。彼らの最大の

目的はフランス語という言語で国家を統一することであった。そのためラテン語もブルト

ン語を含めた地域言語もフランス国家にとって敵性言語だった。1970 年代まではブルトン

語も紛争性のある言語運動をしていたのでフランス中央政府もブルトン語を奨励すること

はなかった。しかし 1980 年代末からブルトン語運動は転換点を迎え企業、自治体、メディ

ア関係者がブルターニュ文化を利用し始めたのである。そこでポジテイブなイメージとし

てのブルトン語が広まり始めた。以前は貧しい遅れた移民送り出し地域というイメージの

ブルターニュ地方が経済の成功を収めたこともあいまって、フランス中央政府は一転地域

言語と協力する姿勢を見せたのだ。実際それは成功して現在に至る。ブルトン語(ブルター

ニュ地域文化)は「反フランス」という形でも「純フランス」という形でもないところで地

域見直しが進んだことでフランス共和国とフランス語の脅威ではなく、それらと共に生き

るものになったのだ。

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L’étude sur Les Misérables: l’influence de la « loi » sur les personnages

Mayu WATANABE Dans cette étude, nous nous sommes intéressés au grand roman Les Misérables de Victor Hugo (1802-1885). Notre objectif a été d’éclaircir la façon dont la loi est représentée dans cette œuvre. Pour l’expliquer, nous avons notamment étudié le changement d’image du personnage principal Jean Valjean, aux yeux de Javert et de Marius, et nous avons analysé les scènes illustrant le mieux cet aspect du récit. Afin d’accomplir notre objectif, nous nous sommes concentrés sur l’analyse textuelle, et avons réfléchi à l’intention de l’auteur à travers les caractéristiques de son style et de son vocabulaire. Dans la première partie, nous avons présenté une scène montrant de façon concrète les problèmes de la loi. Le personnage de Jean Valjean a souffert toute sa vie à cause de la dureté de la loi, même après avoir été remis en liberté. Il témoigne ainsi de la façon dont la loi va déshumaniser un coupable en le punissant, et après sa libération, l’empêcher de réintégrer la société : l’ancien détenu endure ainsi sa peine tout au long de sa vie et souffre toujours, même à l’extérieur des murs de la prison. Dans la deuxième partie, nous avons confronté l’évolution de l’image que Javert et Marius ont de Jean Valjean, afin de les comparer et d’examiner l’influence que la loi a pu avoir dans ce changement. On peut tout particulièrement noter le fait que, dès que Marius a su que Jean Valjean était un ancien forçat, il a éprouvé de la répulsion à son égard, et a placé Jean Valjean en dessous des autres hommes. Au contraire, Javert, qui éprouvait autrefois de la haine pour le criminel Jean Valjean, et cherchait donc à l’arrêter en le poursuivant obstinément, finit par être touché par sa générosité, malgré son statut d’ancien forçat. Nous avons démontré que le style d’écriture traduit l’image que Javert et Marius ont chacun de Jean Valjean : dans la scène de Marius, on remarque une grande insistance sur le fait qu’à ses yeux, le forçat est un être inférieur aux autres hommes, tandis que dans la scène de Javert, on relève l’utilisation de l’oxymore de « galérien sacré ». L’union de ces mots opposés démontre l’opinion partagée du personnage à l’égard de Jean Valjean. Dans la troisième partie, nous avons montré qu’il s’est produit un changement intérieur en Marius et Javert, c’est-à-dire qu’ils ont réussi à se détacher de leurs conceptions déterminées par la loi et ont modifié leur façon de penser pour un jugement plus personnel, ce qui a entraîné un changement de leur image de Jean Valjean. Ensuite, nous avons cherché à démontrer avec la mort de Jean Valjean, que même s’il est devenu un homme meilleur et s’est amendé après avoir purgé sa peine, l’ombre de la loi a continué de le poursuivre jusqu’à son dernier souffle. En conclusion, nous avons montré que Victor Hugo met en avant les problèmes de la justice et de la société avec une mise en contraste de la loi, de la générosité ou bien encore de la noblesse de l’homme. C’est à travers cette opposition que nous avons pu mettre en lumière la construction rigoureuse des Misérables telle qu’elle est réalisée dans le style d’écriture.

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渡邊 真由 ユゴー『レ・ミゼラブル』研究 ―「法」が登場人物に与える影響―

本論文では、ヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo, 1802-1885)の長編小説『レ・ミゼラブ

ル』を取り上げた。主人公ジャン・ヴァルジャンと関わりが深いジャヴェールとマリユス

がジャン・ヴァルジャンに対して抱くイメージの変化に着目し、二人のイメージの変化が

表れている場面の分析をもとに、この作品の中で「法(loi)」がどのように描かれているの

かを明らかにすることを目指した。その際、テクスト分析を主眼に置き、文体や語彙の特

徴に表れる著者の意図について考察した。 第 1 章では、「法」の問題が表れている具体的な場面を紹介し、「法」が重要人物である

ジャン・ヴァルジャン、ジャヴェール、マリユスとどのように関わっているかに言及した。

「法」は罪を犯した者から人間性を奪い、その者が社会に復帰することを妨げているとい

う問題点が、釈放されてからも「法」のために苦しみ続けるジャン・ヴァルジャンに表れ

ていること、そして、警察官ジャヴェールと弁護士マリユスは、最初はジャン・ヴァルジ

ャンを判断するうえで「法」を基準にしていたことを明らかにした。 第 2 章では、ジャヴェールとマリユスがそれぞれジャン・ヴァルジャンに対して抱くイ

メージの変化を対比することで、二人がそれぞれ異なるイメージを抱く要因や、「法」がど

のような影響を及ぼしているか考察した。マリユスは、ジャン・ヴァルジャンが前科者で

あるという理由から、彼の本質を見ることはせず、人間よりも下等な存在であると決めつ

け、嫌悪感を抱いた。一方ジャヴェールは、犯罪者であるジャン・ヴァルジャンを憎み、

捕えるために執拗に追跡してきたが、彼の寛大さに触れたことで、前科者ではあるが偉大

な人物であることを認めた。マリユスの場面では徒刑囚が人間以下の存在であることが強

調されているのに対し、ジャヴェールの場面では、「神聖な徒刑囚」のように矛盾する語を

結び付ける対義結合が用いられており、二人のイメージの対立が文にも表れていることを

指摘した。 第 3 章では、マリユスのジャン・ヴァルジャンに対するイメージが好転する場面を分析

し、ジャヴェールの変化との共通点を見出した。そして、二人のジャン・ヴァルジャンに

対するイメージの変化は、「法」にとらわれていた考え方を改めたジャヴェールとマリユス

自身の心境の変化も表していることを指摘した。また、ジャン・ヴァルジャンの死にも言

及し、改心してどれほど善良になったとしても「法」の追及は死ぬまで終わらないという

ことを確認した。 以上の考察から、この作品の中でユゴーは、「法」と人物の行動や内面の寛大さ、崇高さ

などを対比させて描くことで、「法」や社会の問題を強調する意図があったのではないかと

結論付けた。さらに、ジャヴェールとマリユスのジャン・ヴァルジャンに対するイメージ

の対立を、文の構造の対立としても表していたことなどから、この作品では、細部まで考

えられた厳密な構成が見られることを明らかにした。

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藤井 祐輔 ロシア正教のイコン

―その歴史と神聖性―

「イコンは芸術作品であるか。」―イコンに関する文献には、しばしばこの問いが書かれ

ている。一見すれば絵画であるイコンは芸術作品と言って間違いないように思われる。し

かしイコンは、「天上への窓」や「天国を映し出す鏡」と称される信仰用具としてその存在

意義を確立してきた。この、美術品と信仰用具の両方の性格を一つに有する物、イコンに

興味を抱き論文のテーマに設定するに至った。

本論文では、イコンの発生からの歴史を辿りロシアにおけるイコンのあり方を概説する

とともに、ロシアの人々の生活におけるイコンの必要性にふれることにより、イコンの持

つ神聖性を考察し、その本質に迫った。また代表的な聖像画家である、アンドレイ・ルブ

リョフらの作品を他の美術絵画と比較することで、ロシア文化におけるイコンの独自的位

置づけも考察していく。

第1章では、イコンの起源からイコノクラスムを経て、イコンの分派、流入、受容とそ

の歴史と発展を述べた。イコノクラスムで迫害対象となったイコンが、その中で神学的正

当性を得たことでビザンティン帝国において一つの文化としての更なる発展へと繋がり、

ロシアへ流入することとなる。

第2章では、キリスト教徒とともにロシアで受容されたイコンが発展していく様子を述

べた。様々な画家による流派の違いや、タタールの軛に代表される世界史的背景の中でイ

コンがどのように発展し変化してきたのかを見ると、ロシアにおける地域的特色や時代的

特色が色濃くイコンという文化に反映されていることが分かる。

第3章では、イコンそれ自体の神聖性について掘り下げた。人々がイコンを何として捉

え、どのような側面に神聖性を見てきたのかを述べることで、研究背景に挙げたイコンの

持つ2つの性格(美術品と信仰用具)についての考察を深めた。他の美術絵画と異なり逆

遠近法で描かれたイコンは、観想者を神や聖人と同じ世界へ誘う性質を持っていたと言え

る。

第4章では、第3章で見えたイコンの神聖性をもとに、人々の生活の中におけるイコン

のあり方を、例を用いて述べた。教会等の信仰の場、人生や生活全般を含んだ家庭、典礼

暦による祝日の計3場面に目を向けた。また、イコノスタシスについての説明もこの章で

述べた。

ロシアで独自の発展を遂げてきたイコンという存在は元来、純粋な信仰用具としての役

割を有するものとされてきたが、時代が進むとイコンに美を求める人々が現れた。この二

面性を持ってはいるが、人々が生活の至る場面でイコンを通じて「神の国」の知覚・一体

化を求めていることからも、ロシアにおけるイコンは技巧的表現による一時的な美的感覚

の悦びを受容すること以上の存在価値を有しており、それ自体がイコンの神聖性を確立し

ていると考察した。