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西退退殿殿殿西写真1 愛宕神社拝殿 写真2 愛宕山麓から拝所に向かう神職と十三天狗 228

〔伝承組織〕 〔実施時期〕 〔実施場所〕〔名 五一...五一 悪 あく 態 たい 祭 まつ り 〔名 称〕 悪態祭り 〔実施場所〕 笠間市(旧西茨城郡岩間町)泉

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Page 1: 〔伝承組織〕 〔実施時期〕 〔実施場所〕〔名 五一...五一 悪 あく 態 たい 祭 まつ り 〔名 称〕 悪態祭り 〔実施場所〕 笠間市(旧西茨城郡岩間町)泉

五一 悪あ

態たい

祭まつ

〔名  

称〕

 

悪態祭り

〔実施場所〕

 

笠間市(旧西茨城郡岩間町)泉 

愛宕神社 

飯綱神社

〔実施時期〕

 

毎年十二月の第三日曜日

〔伝承組織〕

 

愛宕神社 

飯綱神社

〔由来伝承〕

 

悪態祭りは、愛宕神社の背後にある飯綱神社の祭りである。愛宕神社では、

悪態祭りの由来を江戸時代中期に施政者であった藩の役人が政治への村人の不

満を聞くために始められたと伝えられている。年貢米に苦しむ農民のうっぷん

晴らしのために、祭りの日だけは悪口を許されたのである。悪態祭りの由来は

複数あり、怨霊や厄病を退治するという悪退の祭りや嬥か

がい歌の一種とする由来が

伝えられている(註1)。

〔実施内容〕

 

平成二十年(二〇〇八)十一月二十一日(日)の十四時三十分から十六時

二十五分にわたり悪態祭が執り行われた。まず、愛宕神社の社務所で氏子の男

性らが、天狗役の白装束を身につける。五霊地区から選ばれた天狗役は、大天

狗一名と小天狗十二名で構成される。天狗役は無言で十八の祠を巡拝するとい

う修行を行わなければならないため、白いマスクを着用している。十四時三十

分から本殿で無言の神事が執り行われる(写真1)。神事の間、神職は無言の

ため、拝殿には太鼓の音のみが響いている。天狗役の氏子は、神職から大前に

置かれた藁ゴザに包まれた供物を手渡される。藁ゴザの中には、板で作られた

お膳の上に十円硬貨をみがいたミガキ銭、和紙で包まれたお供餅、カワラケが

包まれている。お供餅は悪態祭りの前日に氏子らが準備したものである。各祠

で、この藁ゴザを開いて、お供えをするため、天狗役の氏子が巡拝中、それぞ

れ一つの供物を携帯する。拝殿での神事が終わると、十八の祠の巡拝に出発す

る。まず、神職一名と天狗十三名は、社務所横に駐車している自動車に乗車し

て、愛宕山の麓まで下る。そして、神職と十三天狗は、麓にある水神様から愛

宕山中腹にある愛宕神社の隣の御泉井神までの各祠でそれぞれ礼拝を行う(写

真2)。祭礼で神職と天狗が供物をささげる祠は全部で十八あるが、各祠は、

①五霊の水源近くにある水神様、②北方の守護神で福徳を司る毘沙門、③登山

道を挟み東西に一対建立された睨み不動、④もう一対の睨み不動、⑤奈良の春

写真1 愛宕神社拝殿

写真2 愛宕山麓から拝所に向かう神職と十三天狗

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日大社を勧請する春日様、⑥松毬不動、⑦軍陀利様、⑧巨大石壁に大天狗と小

天狗の刻名があり、天狗の修験場であったとされる石尊様、⑨百石段の完成を

記念して不動明王を祀った百石段不動、⑩大同元(八〇六)年に徳一大師が開

創したといわれる愛宕神社、⑪山岳修験者によって開かれた神社で、手力男命

を祀る飯綱神社、⑫酒造りの神を祀る松尾神社、⑬瓦会村雲照寺住職明淨が建

立した飯綱神社本殿の六角殿(写真3)、⑭本殿を護る十三天狗の石祀である

十三天狗祀(写真4)、⑮雨を司る神である竜神様、⑯出雲神社、⑰農業や水

の神である阿夫利神社、⑱愛宕神社の繁栄を支えたとされる霊井神である御泉

井神である。これら十八の祠の中で、当日参拝が困難な⑧石尊様の祠での礼拝

だけは事前に行う。また、⑭十三天狗の石祠には、天狗のためにしめ縄で飾り

付けられ、祠の屋根にはカケ魚とオバンドーと呼ばれる甘酒を入れた竹筒がか

けられている(写真5)。カケ魚がなくなると、地元の人々の間では天狗が持っ

ていたといわれる。

 

十八の祠を巡るために、神職や天狗役、そして参詣者は愛宕山の急な坂道や

長い階段を登る。礼拝では神職が天狗に守られながら、供物を供えられた祠の

前で無言の祝詞をあげる。参詣者はその供物を盗むことができれば、一年の幸

福がおとづれるといわれている。そのため、参詣者は神職と天狗より先に祠を

取り囲む(写真6)。供物をできるだけ奪いやすくするためである。天狗十三

名は祠を取り囲む参詣者をかき分けながら、供物を祠の前に置き、神職が礼拝

をあげやすいようにする。礼拝の間、天狗は参詣者から供物を盗まれないよう

に神職と供物の周りを取り

囲む(写真7)。参詣者が

供物を盗むときは、天狗

十三名の隙間から供物を盗

んでいた。十八の祠での巡

拝をすべて終えると、再び

愛宕神社拝殿に戻る。拝殿

にいる天狗はマスクではな

く、天狗の面を着用した。

愛宕神社の拝殿の前には、

写真4 十三天狗の石祠

写真3 六角殿

写真6 供え物を狙う参詣者と十三天狗

写真5 天狗祠のカケ魚とオバンドー写真7 礼拝の間、祠を取り囲む十三天狗

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第 3章 詳細調査報告

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すでに多くの参詣者が集

まっている。天狗は参詣者

に向かって餅をまく(写真

8)。また、天狗が持って

いた青竹もすべて参詣者に

配られ、悪態祭りは十六時

二十五分に終了した。この

後、氏子や天狗らの直会が

行われた。

 

悪態祭りの時刻は、昭和

各祠で見られたが、その一方で天狗に対して、大声で悪口をいって天狗を言い

負かそうとする成人の参詣者はいなかった。また、悪態祭りでかつて行われた

という、天狗役が悪口を言う参詣者を青竹で叩くという行為はみられない。こ

のような現状から、悪口が祓除をもたらすという祭りの意義は参詣者の間に十

分に浸透しているとは言い難い。実際、悪態をつく参詣者が少なくなる中で、

本来の活気ある悪態祭りのために政治問題に関するシナリオを作るなどの工夫

を伝承者側で行っている。祭礼当日には拝礼の時に悪口をいう役目の男性が神

職と十三天狗の巡拝に同行していた。悪態祭りは奇祭として注目される一方で、

かつての祭りの姿を継承するための様々な工夫が氏子や地域住民を中心に行わ

れている。

 

                             (前川 

智子)

十六年(一九四一)までは夜に男性のみで行われた。悪態祭りは第二次世界大

戦になると中断した。毎年旧暦十一月十四日に行われていた戦後の悪態祭りで

は、五霊地区から選ばれた十三名の天狗役を務める若者が七日間家に戻らず、

祭りの行屋(元密蔵院)で身を清めた。行屋では女人禁制となり、若者たちが

餅をつくなどをして、十八の拝所で捧げる供物の準備が行われた(註2)。かつ

て十三名の天狗が井戸水で身を清めたという行屋が現在も残っている。戦後か

らは日中に行われるようになった。祭りが日中になると、戦前のように参詣者

の活気がなくなってしまった。一方、一部の参詣者らの過度な行動から事故が

起き、再び祭り自体が中断された時期もある。悪態祭りが復活したのは近年か

らであり、現在、行屋での七日間の精進決済は省略されている。

 

悪口は儀礼において祓除を意味する。悪態祭りでは、天狗に対して参詣者が

罵倒する行為が儀礼として組み込まれているため、祓除の意義が強い祭りであ

る。参詣者は一年の幸福のために「天狗のバカヤロー」と悪口をいい、祠のお

供え物を奪うことが行われる。それに対して、小天狗は、お供えものを盗む参

詣者を叩くために青竹を持っている。以上のような特徴的な点が悪態祭りで挙

げられる。

 

実際の悪態祭りの実地調査では、一年間の幸運のため、供物を奪う参詣者は 写真8 餅まきをする十三天狗

1� 

島田栄「愛宕神社の悪態祭」(岩間町町史編さん資料収集委員会『史料いわま』

第十号、一九八二年四月)四~五頁

2� 

成田和子・後藤性子「悪態祭」(岩間町史編さん資料収集委員会編『図説岩間

の歴史:合併三十五周年記念誌』岩間町、一九九一年)二一〇~二一一頁

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