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The Leading Edge : ゲノム 医療現在・過去・未来 ゲノム 編集技術Special Interview ゲノム 編集技術治療応用動向 ~効率・安全性の正確な評価を~ 三谷 幸之介 氏 (埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 遺伝子治療部門 部門長 教授) 遺伝子変異 起因する における 電気 シグナルのSceneフリーラジカルを 発生源める Novartis Todayフリードリッヒ ミーシャーバイオメディカル研究所 Novartis Innovation ノバルティス イノベーション 3 Vol. 3 July 2016 上図:ヒーラ 細 胞 の 染 色 体DNA CRISPRが切断するイメージ図 提供:HeLa cells by William J. Moore, University of Dundee/ Wellcome Images. Modified by PJ Kaszas.

Novartis Innovation Vol.3

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Page 1: Novartis Innovation Vol.3

The Leading Edge :

ゲノム医療の現在・過去・未来ゲノム編集技術で病と闘うSpecial Interview

ゲノム編集技術の治療応用の動向~効率・安全性の正確な評価を~三谷 幸之介 氏(埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 遺伝子治療部門 部門長 教授)

遺伝子変異に起因する脳における電気シグナルの嵐Scene:

フリーラジカルを発生源で食い止めるNovartis Today:

フリードリッヒ・ミーシャーバイオメディカル研究所

発行:ノバルティス ファーマ株式会社 広報統括部

〒105-6333 東京都港区虎ノ門1丁目23番1号 虎ノ門ヒルズ森タワー

Tel.03-6899-8000(代表) http://www.novartis.co.jp/

Novartis

Innovation ノバルティス イノベーション 第3号

Vol. 3 July 2016

Novartis Today :

フリードリッヒ ・ミーシャーバイオメディカル研究所

生物医学の研究を焦点にスイス・バーゼルにあるフリードリッヒ・

ミーシャーバイオメディカル研究所(Friedrich

Miescher Institute for Biomedical Research:

FMI)は1970年、ともにノバルティスの前身

であるCiba社とJ.R. Geigy社によって設立さ

れました。設立以来、疾患の分子的・細胞

学的基盤の解明で大きな成果を挙げ、基礎

的な生物医学研究を担う中核機関として国際

的に認知されています。現在は神経生物学、

定量生物学、幹細胞発生と細胞分化に関す

るエピジェネティクス﹡1に焦点を当てた研究を

行っています。

研究所の名称は、核酸の精製に初めて

成功したバーゼル生まれの科学者Friedrich

Miescher(1844〜1895)に由来します。

FMIはバーゼル大学の提携研究機関で

あり、ノバルティスバイオメディカル研究所

(NIBR)とも提携しています。

学術的研究と生物医学的応用の架け橋FMIは学術的研究と生物医学的応用のイン

ターフェースとしての役割を果たしています。研

究成果を発表することにより、科学界でのヒト

疾患に対する共通の理解を広めることに貢献し

ています。FMIの科学者たちは、ノバルティス

と協働し、診断や医薬の開発に努めています。

FMIは研究を行いながら、研究に必要な

新たな技術的プラットフォームを確立していま

す。例えばモデル生物を用いた遺伝学的アプ

ローチ、詳細なプロテオミクス﹡2やゲノミクス

による分析のほか、顕微鏡法や構造決定法

など最新の技術を活用しています。分子過程

を詳細に理解することにより、がんと闘う新た

な方法や、変性疾患からの回復、あるいは生

理的機能不全を伴う疾患を抑制する新たな方

法を生み出せると期待しています。

FMIのディレクター、Susan Gasserは「生

物医学研究の目的は、生細胞内で作用してい

る分子機構を明らかにし、新たな治療法を効

率的に開発することです。こうした研究が私た

ち一人ひとりの生活の質に大きな影響をもたら

すことは、これまで以上に明白です」と説明し

ます。

FMIは、独自のアイデアと革新的な技術で

絶えず知見の限界を推し広げていくことを奨励

しています。ディスカッションを重視するオープ

ンな研究環境で、学際的協力や分野を横断し

た情報交換が日常的に行われています。FMI

が生物医学研究において先導的な役割を担っ

ているのは、このような伝統があるがゆえです。

若い科学者の育成にも重点FMIの設立趣意書には、研究所の目的と

して「生物医学の基礎研究を追究し、促進す

ること」「世界中の若い科学者たちに科学研究

に携わるチャンスを提供すること」をうたってい

ます。現在FMIには、30カ国から100人にも

及ぶ博士号や科学修士の取得を目指す若者

が集っています。彼らは地元の大学に所属し

ながらFMIの国際博士号プログラムに参加し、

FMIグループのリーダーのもとで学位論文の

ための研究を行っています。さらに、世界各

国の博士研究員約90人が学位取得後の研究

をFMIで行っています。彼らは最新の分子的・

遺伝学的アプローチに触れるだけでなく、そ

の生物医学的応用を試みることを常に求めら

れています。

研究プログラムの質の高さ、最先端のプラッ

トフォームの確立、さらにオープンで平等な研

究環境の提供により、FMIは若い科学者の育

成の場として国際的に高く評価されています。上図:ヒーラ細 胞の 染 色体DNAを

CRISPRが切断するイメージ図

提供: HeLa cells by William J. Moore, University of Dundee/Wellcome Images. Modified by PJ Kaszas.

NPE00003JG0001 2016.07作成

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﹡1 エピジェネティクス

DNAの塩基配列を変えることなく、

遺伝子の働きを変化させるメカニズ

ムとその学問分野

﹡2 プロテオミクス

生体内の細胞や組織における、タン

パク質の構造・機能を総合的に研究

する学問分野

本記事はNIBRおよびFMIの記事を翻

訳、編集したものです

https://www.nibr.com/http://www.fmi.ch/

フリードリッヒ・ミーシャーバイオメディカル研究所 ディレクター Susan Gasser

Page 2: Novartis Innovation Vol.3

2

The Leading Edge :

ゲノム編集技術で病と闘う新たな編集ツール「CRISPR」想像してみてほしい。230万ページの小説

からたった1カ所の誤植を見つけ出すという作

業を。しかも、それをコンピューターも使わず

に行うということを。約30億対のDNA「文字」

を含んだヒトゲノムを編集する際、研究者はこ

れに匹敵するような場面に直面する。これま

でのツールでは、DNAの特定の場所を効率

よく見つけ出して編集することはとても難しい

作業だった。

新たに登場したCRISPR-Cas9(クリスパー・

キャス 9)システム(以下、CRISPR)と呼ば

れるツールを使えば、特定の標的遺伝子の

DNAを正確に切断したり、新たなDNAを挿

入したりすることが容易になる。CRISPRが

DNAを切り取ることができる分子バサミだと

想像するとわかりやすい。とても小さなハサミ

と、ゲノムを読み取って特定の配列を見つけ

出すことのできるRNA由来のターゲット分子

との組み合わせにより、ある1カ所だけを正

確に切断する。ノバルティスバイオメディカル

研究所(Novartis Institutes for Biomedical

Research:NIBR、本部・米マサチューセッ

ツ州ケンブリッジ)でテクノロジーグループを率

いるCraig Mickanin は「CRISPRの一番の

利点は、特定のDNA配列の認識にも、また

切断機能に指示を出すにも、RNAを活用して

いる点にある」と説明する。「RNAガイドの配

列は迅速かつ容易に設計できる。そしてCas9

と呼ばれるタンパク質で切断するのである。」

抗がん剤の創薬標的の探索にNIBRは、遺伝子治療の研究と創薬標的の

識別のためにCRISPRを導入。がんに関連す

る数千もの遺伝子が潜在的な創薬標的である

かどうかを迅速かつ正確に調査するためなど

に使用している。NIBRのがん分子標的識別

の専門家であるRob McDonaldは「CRISPR

は抗がん剤となり得る標的の選択を効率化

し、どの標的を創薬プロジェクトとして先へ進

めたらよいかを方向付けるものだ」と言う。

がんの原因を探求するNIBRの研究者たち

は、がん細胞株百科事典(Cancer Cell Line

Encyclopedia: CCLE)として知られる膨大な量の

がん細胞株を研究するためにCRISPRを使い始

めた。CCLEはNIBRとBroad Institute of MIT

and Harvardにより共同開発されたものである。

研究者たちはまた、がん遺伝子の突然変異

を研究するためにCRISPRと他の分子ツール

を組み合わせた。2015年の論文1に記載され

ている通り、NIBRの研究員であるYi Yang

らはCRISPRを用い、がんに含まれるいくつ

かの遺伝子に短いタンパク質のタグを貼付し

た。タグ付けされた遺伝子は融合タンパク質

を生成するが、それは遮蔽物質による保護な

しにはすぐに消滅してしまう。遮蔽物質の量を

変えることで、実際の低分子薬剤が投与量の

違いによってどのように標的を抑制するのかを

再現できる。遺伝子を標的とした低分子化合

物の創製に時間を費やすことなく、再現でき

るわけだ。CRISPR はこれら遺伝子を改変可

能な方法で研究するため、スタンフォード大学

のTom Wandless 教授の研究室で開発された

Degron-KIアプローチの応用を可能にした。

治療への応用の可能性を研究CRISPRは新たな治療計画を追求するヒ

ントにもなる。ノバルティスは2015年 1月、

CRISPRを使用した遺伝子編集を患者さんの

治療に応用するため、バイオテクノロジーのス

タートアップ企業であるIntellia Therapeutics

社との協働を開始した。実験は安全性を最

優先に、より制御しやすい生体外編集で実施

する。「対象としては様々な疾患の治療が考え

られるが、まずは特定のがんと血液疾患への

応用を期待している」とMickaninは説明する。

異常な血液細胞を取り除き、編集し、それを

患者さんに戻すことで、特定の血液疾患の治

療への応用の可能性がある。

免疫療法との相乗効果も検討ノバルティスはT細胞を操作して患者さんの

がんに導入するプログラムをペンシルベニア大

学と共同で行っているが、Mickaninのチームは

そのプログラムをCRISPRが強化できるかどう

かについても研究している。CRISPRの最初の

臨床応用は、血液がんに対するCAR-T(キメ

ラ抗原受容体発現T細胞)療法を強化するもの

になるかもしれない。CAR-T療法とは、忍者

のようなCAR-Tが、がん細胞の表面にある特

有なマーカーを認識して攻撃する治療法であ

る。早期の臨床試験では、ある種の血液がん

に対して期待が持てることを示した。

NIBRでCAR-Tグループを率いるPhil

Gotwalsは「CAR-T計画には乗り越えなけれ

ばならない数々の困難があるが、ゲノム編集が

解決策の1つになると見ている」と語る。さらに

CRISPRは、患者さんが過剰に強い免疫反応

を有する場合に細胞活動を停止させる方法を

提供できる可能性や、免疫療法に新たな手法

をもたらす可能性があるとYangは予測する。

CRISPRの可能性と課題CRISPRは、TALENと呼ばれる従来の

ゲノム編集方法に比べ、より効率的に、か

つ200分の1のコストで遺伝子の編集ができ

る。TALENは1つの遺伝子あたり約4,000

ドルの費用がかかり、CRISPRと比べ編集に

何カ月も長い時間を要する。加えて、遺伝子

抑制方法であるRNA干渉(RNAi)に比べ、

CRISPRには2つの大きな改良点がある。1

つはRNAiでは部分的にしかタンパク質を減

少させられないのに対し、CRISPRでは完全

にタンパク質を喪失させることができること。

もう1つは、CRISPRの改良された選択性に

ある。これまでRNAiの研究では、実験結

果の解釈を複雑にする標的配列以外を切断

するオフターゲット効果に悩まされてきた。

もちろん、すべての遺伝子操作ツールと同

じく、「CRISPRにもまだまだ改良の余地があ

る」とYangは述べる。とりわけ、CRISPRは

すべての遺伝子に有効ではなく、時に標的以

外のDNAと結合することがある。NIBR、そ

して世界中の研究所がこれらの問題に対処で

きるCRISPRの代替バージョンの開発を急進

している。細胞や動物モデルにおける研究の

先には、一日も早くCRISPRの臨床応用での

成果を得ることが期待される。

Image*: SPL/PPS

ノバルティスバイオメディカル研究所

ディレクター Craig MickaninPhoto by PJ Kaszas, NIBR

本記事はNIBRの記事を翻訳・編集

したものです

http://www.nibr.com/

*CRISPR-Cas9 システムの分子構造。

青色の部分がCas9タンパク質、赤色

がRNAガイドを示す。

黄色の二本鎖がDNA標的で、ピンク

の二本鎖は標的以外のDNAを示す

1. Zhou, Q. et al., Cancer Res. 2015; 75(10): 1949-58. 3

Page 3: Novartis Innovation Vol.3

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The Leading Edge :

ゲノム編集技術で病と闘う新たな編集ツール「CRISPR」想像してみてほしい。230万ページの小説

からたった1カ所の誤植を見つけ出すという作

業を。しかも、それをコンピューターも使わず

に行うということを。約30億対のDNA「文字」

を含んだヒトゲノムを編集する際、研究者はこ

れに匹敵するような場面に直面する。これま

でのツールでは、DNAの特定の場所を効率

よく見つけ出して編集することはとても難しい

作業だった。

新たに登場したCRISPR-Cas9(クリスパー・

キャス 9)システム(以下、CRISPR)と呼ば

れるツールを使えば、特定の標的遺伝子の

DNAを正確に切断したり、新たなDNAを挿

入したりすることが容易になる。CRISPRが

DNAを切り取ることができる分子バサミだと

想像するとわかりやすい。とても小さなハサミ

と、ゲノムを読み取って特定の配列を見つけ

出すことのできるRNA由来のターゲット分子

との組み合わせにより、ある1カ所だけを正

確に切断する。ノバルティスバイオメディカル

研究所(Novartis Institutes for Biomedical

Research:NIBR、本部・米マサチューセッ

ツ州ケンブリッジ)でテクノロジーグループを率

いるCraig Mickanin は「CRISPRの一番の

利点は、特定のDNA配列の認識にも、また

切断機能に指示を出すにも、RNAを活用して

いる点にある」と説明する。「RNAガイドの配

列は迅速かつ容易に設計できる。そしてCas9

と呼ばれるタンパク質で切断するのである。」

抗がん剤の創薬標的の探索にNIBRは、遺伝子治療の研究と創薬標的の

識別のためにCRISPRを導入。がんに関連す

る数千もの遺伝子が潜在的な創薬標的である

かどうかを迅速かつ正確に調査するためなど

に使用している。NIBRのがん分子標的識別

の専門家であるRob McDonaldは「CRISPR

は抗がん剤となり得る標的の選択を効率化

し、どの標的を創薬プロジェクトとして先へ進

めたらよいかを方向付けるものだ」と言う。

がんの原因を探求するNIBRの研究者たち

は、がん細胞株百科事典(Cancer Cell Line

Encyclopedia: CCLE)として知られる膨大な量の

がん細胞株を研究するためにCRISPRを使い始

めた。CCLEはNIBRとBroad Institute of MIT

and Harvardにより共同開発されたものである。

研究者たちはまた、がん遺伝子の突然変異

を研究するためにCRISPRと他の分子ツール

を組み合わせた。2015年の論文1に記載され

ている通り、NIBRの研究員であるYi Yang

らはCRISPRを用い、がんに含まれるいくつ

かの遺伝子に短いタンパク質のタグを貼付し

た。タグ付けされた遺伝子は融合タンパク質

を生成するが、それは遮蔽物質による保護な

しにはすぐに消滅してしまう。遮蔽物質の量を

変えることで、実際の低分子薬剤が投与量の

違いによってどのように標的を抑制するのかを

再現できる。遺伝子を標的とした低分子化合

物の創製に時間を費やすことなく、再現でき

るわけだ。CRISPR はこれら遺伝子を改変可

能な方法で研究するため、スタンフォード大学

のTom Wandless 教授の研究室で開発された

Degron-KIアプローチの応用を可能にした。

治療への応用の可能性を研究CRISPRは新たな治療計画を追求するヒ

ントにもなる。ノバルティスは2015年 1月、

CRISPRを使用した遺伝子編集を患者さんの

治療に応用するため、バイオテクノロジーのス

タートアップ企業であるIntellia Therapeutics

社との協働を開始した。実験は安全性を最

優先に、より制御しやすい生体外編集で実施

する。「対象としては様々な疾患の治療が考え

られるが、まずは特定のがんと血液疾患への

応用を期待している」とMickaninは説明する。

異常な血液細胞を取り除き、編集し、それを

患者さんに戻すことで、特定の血液疾患の治

療への応用の可能性がある。

免疫療法との相乗効果も検討ノバルティスはT細胞を操作して患者さんの

がんに導入するプログラムをペンシルベニア大

学と共同で行っているが、Mickaninのチームは

そのプログラムをCRISPRが強化できるかどう

かについても研究している。CRISPRの最初の

臨床応用は、血液がんに対するCAR-T(キメ

ラ抗原受容体発現T細胞)療法を強化するもの

になるかもしれない。CAR-T療法とは、忍者

のようなCAR-Tが、がん細胞の表面にある特

有なマーカーを認識して攻撃する治療法であ

る。早期の臨床試験では、ある種の血液がん

に対して期待が持てることを示した。

NIBRでCAR-Tグループを率いるPhil

Gotwalsは「CAR-T計画には乗り越えなけれ

ばならない数々の困難があるが、ゲノム編集が

解決策の1つになると見ている」と語る。さらに

CRISPRは、患者さんが過剰に強い免疫反応

を有する場合に細胞活動を停止させる方法を

提供できる可能性や、免疫療法に新たな手法

をもたらす可能性があるとYangは予測する。

CRISPRの可能性と課題CRISPRは、TALENと呼ばれる従来の

ゲノム編集方法に比べ、より効率的に、か

つ200分の1のコストで遺伝子の編集ができ

る。TALENは1つの遺伝子あたり約4,000

ドルの費用がかかり、CRISPRと比べ編集に

何カ月も長い時間を要する。加えて、遺伝子

抑制方法であるRNA干渉(RNAi)に比べ、

CRISPRには2つの大きな改良点がある。1

つはRNAiでは部分的にしかタンパク質を減

少させられないのに対し、CRISPRでは完全

にタンパク質を喪失させることができること。

もう1つは、CRISPRの改良された選択性に

ある。これまでRNAiの研究では、実験結

果の解釈を複雑にする標的配列以外を切断

するオフターゲット効果に悩まされてきた。

もちろん、すべての遺伝子操作ツールと同

じく、「CRISPRにもまだまだ改良の余地があ

る」とYangは述べる。とりわけ、CRISPRは

すべての遺伝子に有効ではなく、時に標的以

外のDNAと結合することがある。NIBR、そ

して世界中の研究所がこれらの問題に対処で

きるCRISPRの代替バージョンの開発を急進

している。細胞や動物モデルにおける研究の

先には、一日も早くCRISPRの臨床応用での

成果を得ることが期待される。

Image*: SPL/PPS

ノバルティスバイオメディカル研究所

ディレクター Craig MickaninPhoto by PJ Kaszas, NIBR

本記事はNIBRの記事を翻訳・編集

したものです

http://www.nibr.com/

*CRISPR-Cas9 システムの分子構造。

青色の部分がCas9タンパク質、赤色

がRNAガイドを示す。

黄色の二本鎖がDNA標的で、ピンク

の二本鎖は標的以外のDNAを示す

1. Zhou, Q. et al., Cancer Res. 2015; 75(10): 1949-58. 3

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The Leading Edge : Special Interview

ゲノム編集技術の治療応用の動向~効率・安全性の正確な評価を~埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 遺伝子治療部門 部門長 教授 三谷 幸之介 氏

遺伝子をノックアウト/ノックイン近年、細胞に治療遺伝子を丸ごと導入する

従来の遺伝子治療とは異なり、DNAを修復

する仕組みに着目した技術が開発され、ゲノ

ム編集と呼ばれるようになりました。ゲノム編

集には、特定のDNA配列を認識し切断する

人工制限酵素(TALEN、CRISPR-Cas9など)

を用いて染色体DNAを切断し、修復の際に

生じるエラーで遺伝子を破壊させる方法や、

切断箇所へ人工DNA断片(ドナーDNA)を

相同組み換えを介して正確に挿入して機能獲

得を行う方法があります[図1]。前者が遺伝子

ノックアウト、後者が遺伝子ノックインです。

遺伝子ノックアウトは多くの細胞で高い確

率で達成可能で、つまり、効率が高く、すで

にAIDS治療を目的に、HIVのコレセプター

であるCCR5遺伝子をノックアウトしたCD4

陽性T細胞を体内に戻す臨床試験が行われ

ています。また、癌の免疫遺伝子治療であ

るCAR-T(キメラ抗原受容体発現T細胞)の

T細胞受容体α鎖遺伝子をノックアウトする

ことで、患者さんのヒト白血球抗原(Human

Leucocyte Antigen:HLA)と異なる、他人

から作製したCAR-T(universal CAR-T)を

用いた臨床試験が始まりました。

遺伝子ノックインは、優性遺伝病の遺伝子

修復治療などにも応用が期待できます。ただ、

その技術はノックアウトより複雑で効率が低

く、ヒト造血幹細胞に対しては最高で30%程

度の細胞でしか成功せず、100%の細胞で治

療遺伝子を強発現する従来の遺伝子(付加)

治療には遠く及びません。肝臓のin vivoでの

遺伝子修復に至っては、マウスを用いた研究

で成功するのはせいぜい数パーセントです。

安全性の評価法や基準の設定をゲノム編集をめぐってはいくつもの課題があり

ます。例えば、今述べた効率の問題、安全性の

問題、適用される細胞・疾患などの問題、倫理・

社会的問題です。安全性に関しては、標的配列

以外の「オフターゲット」変異が問題となります。

例えば、Cas9が標的類似DNA配列を切断し

てしまうことや、ドナーDNAが間違った位置

に組み込まれてしまうことです。また、ゲノム編

集を施した細胞集団では、個々の細胞または

2つの対立遺伝子のそれぞれで、遺伝子修復と

遺伝子ノックアウト(修復の失敗)が起こりうるた

め、それらが混在してモザイク状態となります。

現時点では、治療標的細胞で網羅的にオフ

ターゲット変異部位とその頻度とを検出する方

法はありません。ほとんどの治療目的の研究

は、効率向上のためにCas9やドナー DNAを

多量に細胞に導入する一方、オフターゲット変

異の解析は最低限に留まっています。私たち

の研究では、ドナーDNAのオフターゲット組

み込みは予想以上に頻度が高いのですが、多

くのゲノム編集研究では見落とされています。

in vivoでのゲノム編集には、細菌由来であ

るCas9の免疫原性の問題や、何年もCas9

を強発現することによるオフターゲット変異の

蓄積の問題もあります。一方、1回の細胞分

裂において、ゲノムDNAの1010塩基に1つは

自然に変異が起こります。また、私たち一人一

人は200くらいまでの機能喪失型変異を有し、

疾患原因となる変異も20ほど持っています。

結局は何が正常で、どこからが異常なのかと

いう問題に突き当たります。ゲノム編集に限ら

ず、 100%安全な治療というものはなく、リス

ク・ベネフィットを踏まえて治療を行うかどう

かを判断することになり、安全性(特異性)の

評価・基準設定が急務です。

一部の技術は臨床応用のレベルに昨年、米国遺伝子細胞治療学会 / 日本

遺伝子細胞治療学会(American Society of

Gene & Cell Therapy / Japan Society of Gene

and Cell Therapy)とゲノム編集に関する国際

会議(Human Gene-Editing Initiative)がそ

れぞれ声明を発表し、どちらも「体細胞での

ゲノム編集の臨床研究は、倫理的問題につい

て現行の遺伝子治療の枠組みでよい」と提言

しました。

遺伝子ノックアウトについては臨床応用が

可能なレベルですが、分裂細胞か非分裂細

胞か、遺伝子破壊(高効率)か遺伝子修復(低

効率)か、また小児か成人かなどを総合的に

判断して進める必要があります。現時点では、

がん治療や感染症治療としての遺伝子ノック

アウト及び、造血幹細胞を対象としたex vivo

遺伝子修復は有望でしょう。ただし、これま

での報告は「まずゲノム編集ありき」で、当該

疾患にゲノム編集を用いる必要性を十分議論

していない面があります。従来の遺伝子治療

法と効率・安全性を比較し、それがどのレベ

ルに達したときに遺伝子修復治療を適用する

か判断すべきです。

実用化には社会的コンセンサスをヒト生殖細胞でのゲノム編集については、

技術的問題、生物学的問題、研究倫理上の

問題、さらに、長期にわたる安全性の追跡が

できないことや遺伝子を利用した機能増強に

応用される可能性など、種々の問題があります。

私が最も懸念するのは、CRISPR-Cas9 の技

術が比較的容易なため、生殖補助医療などに

応用される可能性です。生まれる子どもが必ず

遺伝病を発症するカップルもいますので、国内

で規制しても、海外で生殖細胞ゲノム編集を

受ける人が出てくることも考えられます。

ゲノム編集の技術は日進月歩で、治療への

応用が期待されているのは事実です。一方で、

安全性や倫理的に解決すべき問題もあり、実

用化には社会的なコンセンサスが求められま

す。そのためにも、我々科学者は、国民に正

しい知識を発信する必要があります。

(2016年5月23日 埼玉医科大学にて)

4 5

図1 ゲノム編集の方法

人工制限酵素の開発により効率が桁違いに上昇した   三谷幸之介氏提供

標的染色体変異配列

従来の方法(元々細胞が持つ仕組み)

同じ遺伝子配列間での組み換え

正常な遺伝子配列(ドナーDNA)

DNA配列の置き換え遺伝子ノックイン(遺伝子修復)

遺伝子ノックイン(遺伝子修復)

人工制限酵素を用いる方法

酵素で標的染色体を切断

ゲノム編集研究に取り組む三谷幸之介氏

遺伝子ノックアウト

人工制限酵素

Page 5: Novartis Innovation Vol.3

The Leading Edge : Special Interview

ゲノム編集技術の治療応用の動向~効率・安全性の正確な評価を~埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 遺伝子治療部門 部門長 教授 三谷 幸之介 氏

遺伝子をノックアウト/ノックイン近年、細胞に治療遺伝子を丸ごと導入する

従来の遺伝子治療とは異なり、DNAを修復

する仕組みに着目した技術が開発され、ゲノ

ム編集と呼ばれるようになりました。ゲノム編

集には、特定のDNA配列を認識し切断する

人工制限酵素(TALEN、CRISPR-Cas9など)

を用いて染色体DNAを切断し、修復の際に

生じるエラーで遺伝子を破壊させる方法や、

切断箇所へ人工DNA断片(ドナーDNA)を

相同組み換えを介して正確に挿入して機能獲

得を行う方法があります[図1]。前者が遺伝子

ノックアウト、後者が遺伝子ノックインです。

遺伝子ノックアウトは多くの細胞で高い確

率で達成可能で、つまり、効率が高く、すで

にAIDS治療を目的に、HIVのコレセプター

であるCCR5遺伝子をノックアウトしたCD4

陽性T細胞を体内に戻す臨床試験が行われ

ています。また、癌の免疫遺伝子治療であ

るCAR-T(キメラ抗原受容体発現T細胞)の

T細胞受容体α鎖遺伝子をノックアウトする

ことで、患者さんのヒト白血球抗原(Human

Leucocyte Antigen:HLA)と異なる、他人

から作製したCAR-T(universal CAR-T)を

用いた臨床試験が始まりました。

遺伝子ノックインは、優性遺伝病の遺伝子

修復治療などにも応用が期待できます。ただ、

その技術はノックアウトより複雑で効率が低

く、ヒト造血幹細胞に対しては最高で30%程

度の細胞でしか成功せず、100%の細胞で治

療遺伝子を強発現する従来の遺伝子(付加)

治療には遠く及びません。肝臓のin vivoでの

遺伝子修復に至っては、マウスを用いた研究

で成功するのはせいぜい数パーセントです。

安全性の評価法や基準の設定をゲノム編集をめぐってはいくつもの課題があり

ます。例えば、今述べた効率の問題、安全性の

問題、適用される細胞・疾患などの問題、倫理・

社会的問題です。安全性に関しては、標的配列

以外の「オフターゲット」変異が問題となります。

例えば、Cas9が標的類似DNA配列を切断し

てしまうことや、ドナーDNAが間違った位置

に組み込まれてしまうことです。また、ゲノム編

集を施した細胞集団では、個々の細胞または

2つの対立遺伝子のそれぞれで、遺伝子修復と

遺伝子ノックアウト(修復の失敗)が起こりうるた

め、それらが混在してモザイク状態となります。

現時点では、治療標的細胞で網羅的にオフ

ターゲット変異部位とその頻度とを検出する方

法はありません。ほとんどの治療目的の研究

は、効率向上のためにCas9やドナー DNAを

多量に細胞に導入する一方、オフターゲット変

異の解析は最低限に留まっています。私たち

の研究では、ドナーDNAのオフターゲット組

み込みは予想以上に頻度が高いのですが、多

くのゲノム編集研究では見落とされています。

in vivoでのゲノム編集には、細菌由来であ

るCas9の免疫原性の問題や、何年もCas9

を強発現することによるオフターゲット変異の

蓄積の問題もあります。一方、1回の細胞分

裂において、ゲノムDNAの1010塩基に1つは

自然に変異が起こります。また、私たち一人一

人は200くらいまでの機能喪失型変異を有し、

疾患原因となる変異も20ほど持っています。

結局は何が正常で、どこからが異常なのかと

いう問題に突き当たります。ゲノム編集に限ら

ず、 100%安全な治療というものはなく、リス

ク・ベネフィットを踏まえて治療を行うかどう

かを判断することになり、安全性(特異性)の

評価・基準設定が急務です。

一部の技術は臨床応用のレベルに昨年、米国遺伝子細胞治療学会 / 日本

遺伝子細胞治療学会(American Society of

Gene & Cell Therapy / Japan Society of Gene

and Cell Therapy)とゲノム編集に関する国際

会議(Human Gene-Editing Initiative)がそ

れぞれ声明を発表し、どちらも「体細胞での

ゲノム編集の臨床研究は、倫理的問題につい

て現行の遺伝子治療の枠組みでよい」と提言

しました。

遺伝子ノックアウトについては臨床応用が

可能なレベルですが、分裂細胞か非分裂細

胞か、遺伝子破壊(高効率)か遺伝子修復(低

効率)か、また小児か成人かなどを総合的に

判断して進める必要があります。現時点では、

がん治療や感染症治療としての遺伝子ノック

アウト及び、造血幹細胞を対象としたex vivo

遺伝子修復は有望でしょう。ただし、これま

での報告は「まずゲノム編集ありき」で、当該

疾患にゲノム編集を用いる必要性を十分議論

していない面があります。従来の遺伝子治療

法と効率・安全性を比較し、それがどのレベ

ルに達したときに遺伝子修復治療を適用する

か判断すべきです。

実用化には社会的コンセンサスをヒト生殖細胞でのゲノム編集については、

技術的問題、生物学的問題、研究倫理上の

問題、さらに、長期にわたる安全性の追跡が

できないことや遺伝子を利用した機能増強に

応用される可能性など、種々の問題があります。

私が最も懸念するのは、CRISPR-Cas9 の技

術が比較的容易なため、生殖補助医療などに

応用される可能性です。生まれる子どもが必ず

遺伝病を発症するカップルもいますので、国内

で規制しても、海外で生殖細胞ゲノム編集を

受ける人が出てくることも考えられます。

ゲノム編集の技術は日進月歩で、治療への

応用が期待されているのは事実です。一方で、

安全性や倫理的に解決すべき問題もあり、実

用化には社会的なコンセンサスが求められま

す。そのためにも、我々科学者は、国民に正

しい知識を発信する必要があります。

(2016年5月23日 埼玉医科大学にて)

4 5

図1 ゲノム編集の方法

人工制限酵素の開発により効率が桁違いに上昇した   三谷幸之介氏提供

標的染色体変異配列

従来の方法(元々細胞が持つ仕組み)

同じ遺伝子配列間での組み換え

正常な遺伝子配列(ドナーDNA)

DNA配列の置き換え遺伝子ノックイン(遺伝子修復)

遺伝子ノックイン(遺伝子修復)

人工制限酵素を用いる方法

酵素で標的染色体を切断

ゲノム編集研究に取り組む三谷幸之介氏

遺伝子ノックアウト

人工制限酵素

Page 6: Novartis Innovation Vol.3

The Leading Edge :

遺伝子変異に起因する脳における電気シグナルの嵐電気シグナルが脳の灰白質の中でパルスを放

つことにより、私たちは文章を読み、理解する

ことができる。灰白質が存在する大脳皮質は

200億個を超える神経細胞の塊であり、それ

らが回路を形成している1。回路が正しく形成さ

れないと、神経伝達が混乱する可能性がある。

難治性てんかんの原因である限局性皮質

異形成(focal cortical dysplasia:FCD)2とい

う疾患を持つ小児は、出生時に大脳皮質の

一部に肥大した病変が認められ、しばしば大

脳において制御できていない過剰な電気シグ

ナルの嵐、てんかん発作を起こし、それが発

育遅延や発達障害へと繋がることがある。

シアトルこども病院研究所やノバルティスバ

イオメディカル研究所(NIBR)などからなる共

同研究チームは最近、FCD患者に細胞増殖

の制御に重要な役割を果たす分子「哺乳類

ラパマイシン標的タンパク質」(mammalian

target of rapamycin:mTOR)の遺伝子変異

が生じていることを突き止めた3。この発見は、

FCDは遺伝的であるかもしれないとする数多

くの証拠4を支持するとともに、分子標的治療

という新しいアプローチを示唆している。

患者の脳組織に潜む手掛かりシアトルこども病院の研究チームは、2012

年まで、てんかんの外科治療で採取した患者

の脳組織を用いて研究していた。生化学検査

では多くのサンプルでmTOR経路が過剰に活

性化していることを確認した。一方、DNAシー

クエンシングではmTOR経路の主要部位にお

ける変異がみられることが明らかになったが5、

これは広汎なびまん性の脳過形成の患者に限

られ、FCD患者には全く認められなかった。

臨床遺伝学者でもある同病院の2人の医師

は、変異はただ隠れているだけではないかと

疑った。そして、FCD患者においてはmTOR

変異を有する神経細胞が少ないため、一般的

なDNAシークエンシング技術では変異が検

出されなかったのではないかと考えた。

隠れた変異を明らかにするこの仮説を検証するツールを有していた

NIBRの次世代シークエンシング・グループは、

シアトルこども病院研究所などとの共同研究に

着手した。このグループは、がんを専門として

おり、サンプルの中のわずかな変異でも検出

でき、さらにこの研究のために 5%未満の細

胞に発生する変異も検出できるよう精度を高め

た。解析を進めた結果、FCD 8例のうち 4例

でmTOR経路の軽度の変異を特定した3。そ

の変異の中には、がん患者にみられるものと

全く同じ遺伝子領域も含まれていた。

並行して行われたNIBRの研究者による実

験では、ラットの神経細胞に特定した変異

を導入すると細胞体が非常に大きく成長し、

mTOR経路が亢進することも確認された。そし

て、変異した神経細胞にmTOR阻害剤を投与

すると、細胞は正常に近い大きさまで縮小した。

NIBRのLeon Murphyはこう語る。「mTOR経

路はがん領域ではよく知られていたが、神経科

学でも重要な標的になる。これらの神経疾患

に対してがん治療薬を応用することで、患者に

より多くの選択肢を提供できるかもしれない。」

Scene :

フリーラジカルを発生源で食い止める

フリーラジカルの生成を阻害フリーラジカルは、ほとんどすべての疾患

の発現と進行に関与すると考えられている。ス

トレスを受けた細胞からあふれ出すこれら化

学反応性の高い分子は一般的に酸素を含むこ

とから、フリーラジカルによる細胞の損傷作

用を防ぐ上ではビタミンCといった「抗酸化物

質」が役立つと長く期待されてきた。しかし、

臨床試験では、抗酸化物質にそのような作用

は基本的に発見されなかった。

ノバルティス研究財団ゲノミクス研究所

(Genomics Institute of the Novartis Research

Foundation:GNF、米カリフォルニア州サンディ

エゴ)とBuck Institute for Research on Aging

の研究者は、細胞のエネルギー代謝を変える

ことなく、ある種のフリーラジカルの生成を阻

害する化合物を特定した1。これらは、抗酸化

物質とは全く異なるアプローチの治療法となる

可能性を秘めている。

「これらは、アルツハイマー病などにおけ

る特定のシグナル伝達を鈍化させる、あるい

は妨害する研究で、メスのような役割を担え

る。また、医薬品となる可能性の高いより有

望な分子を設計する手助けにもなり得る」と、

Buck Instituteの Martin Brand氏は語る。

GNFのEd Ainscowは次のように説明する。

「フリーラジカルの分子分解を増加させる代わ

りに、その生成を減少させたい。ミトコンドリ

アは細胞のエネルギー源である一方、フリー

ラジカルを生成する。細胞がストレスを受ける

と、細胞にダメージを与えるほどにフリーラジ

カルの生成が増加する。」

ミトコンドリア内の複合体Ⅲと呼ばれる場所

がフリーラジカルの主な発生源と考えられ、通

常、細胞で酸素が欠乏した時に発生が顕著

になる。Brand氏らは、複合体Ⅲにおけるフ

リーラジカル生成を抑制し、かつエネルギー

生成を維持する化合物のアッセイ系を開発。

筋肉から単離されたミトコンドリアを用いて

635,000個もの低分子をスクリーニングした。

次に、特定された3つの化合物について、各

種ストレスに対する細胞保護作用を検証した。

フリーラジカルが関与する疾患に応用化合物が膵β細胞の保護に寄与するかどう

かを調べた。膵β細胞は酸素欠乏に弱く、そ

れが1型糖尿病患者への細胞移植を困難にし

ている。Ainscowは「移植した膵臓細胞の一

部に見られる萎縮や細胞死は、フリーラジカ

ルの過剰生成に起因する」と語る。抗生物質

でストレスを与えた動物の膵臓細胞において、

3つの化合物はフリーラジカルの生成を減少

させ、細胞を健康に保ったのである。フリー

ラジカルの生成増加は、神経変性疾患、慢

性炎症を伴う加齢関連疾患、黄斑変性など

異常な血管による疾患で数多く報告されてい

る。この結果は、この化合物が他の移植にも

応用ができる可能性を示唆している。

さらに、急速に成長する腫瘍細胞の中核

部は腫瘍の成長を遅らせる低酸素状態にある

が、フリーラジカルはそのような細胞への血液

供給を増加させ、酸素供給を促すシグナルを

出すことがある。「これを阻害すれば、固形が

んの成長を停止できる」とBrand氏は提唱する。

Image*: David Furness, Wellcome ImagesImage*: Jonathan Biag, Novartis

6 7

*ミトコンドリア(青色部分)におけるフリー

ラジカル生成を示す電子顕微鏡写真

「遺伝子変異に起因する脳における電気シ

グナルの嵐」「フリーラジカルを発生源で食

い止める」はNIBR の記事を翻訳、編集

したものです

https://www.nibr.com/

*研究者がFCD患者から特定したmTOR変異をラットの神経細胞に導入した結

果、患者から採取した脳組織でみられ

る現象と同様に神経細胞は肥大化した

1. Pelvig, D.P. et al., Neurobiol Aging. 2008; 29 (11): 1754-62.2. Kabat, J., Król P., Pol J Radiol. 2012; 77 (2): 35-43.3. Mirzaa, G.M. et al., JAMA Neurol. 2016 May 9. doi:

10.1001/jamaneurol. 2016. 0363.

4. Blümcke, I., Sarnat, H.B., Curr Opin Neurol. 2016 Jun; 29 (3): 0. doi: 10.1097/WCO. 0000000000000303.

5. Rivière, J.B. et al., Nat Genet. 2012; 44 (8): 934-40.1. Orr, A.L. et al., Nat Chem Biol. 2015; 11(11): 834-6.

Page 7: Novartis Innovation Vol.3

The Leading Edge :

遺伝子変異に起因する脳における電気シグナルの嵐電気シグナルが脳の灰白質の中でパルスを放

つことにより、私たちは文章を読み、理解する

ことができる。灰白質が存在する大脳皮質は

200億個を超える神経細胞の塊であり、それ

らが回路を形成している1。回路が正しく形成さ

れないと、神経伝達が混乱する可能性がある。

難治性てんかんの原因である限局性皮質

異形成(focal cortical dysplasia:FCD)2とい

う疾患を持つ小児は、出生時に大脳皮質の

一部に肥大した病変が認められ、しばしば大

脳において制御できていない過剰な電気シグ

ナルの嵐、てんかん発作を起こし、それが発

育遅延や発達障害へと繋がることがある。

シアトルこども病院研究所やノバルティスバ

イオメディカル研究所(NIBR)などからなる共

同研究チームは最近、FCD患者に細胞増殖

の制御に重要な役割を果たす分子「哺乳類

ラパマイシン標的タンパク質」(mammalian

target of rapamycin:mTOR)の遺伝子変異

が生じていることを突き止めた3。この発見は、

FCDは遺伝的であるかもしれないとする数多

くの証拠4を支持するとともに、分子標的治療

という新しいアプローチを示唆している。

患者の脳組織に潜む手掛かりシアトルこども病院の研究チームは、2012

年まで、てんかんの外科治療で採取した患者

の脳組織を用いて研究していた。生化学検査

では多くのサンプルでmTOR経路が過剰に活

性化していることを確認した。一方、DNAシー

クエンシングではmTOR経路の主要部位にお

ける変異がみられることが明らかになったが5、

これは広汎なびまん性の脳過形成の患者に限

られ、FCD患者には全く認められなかった。

臨床遺伝学者でもある同病院の2人の医師

は、変異はただ隠れているだけではないかと

疑った。そして、FCD患者においてはmTOR

変異を有する神経細胞が少ないため、一般的

なDNAシークエンシング技術では変異が検

出されなかったのではないかと考えた。

隠れた変異を明らかにするこの仮説を検証するツールを有していた

NIBRの次世代シークエンシング・グループは、

シアトルこども病院研究所などとの共同研究に

着手した。このグループは、がんを専門として

おり、サンプルの中のわずかな変異でも検出

でき、さらにこの研究のために 5%未満の細

胞に発生する変異も検出できるよう精度を高め

た。解析を進めた結果、FCD 8例のうち 4例

でmTOR経路の軽度の変異を特定した3。そ

の変異の中には、がん患者にみられるものと

全く同じ遺伝子領域も含まれていた。

並行して行われたNIBRの研究者による実

験では、ラットの神経細胞に特定した変異

を導入すると細胞体が非常に大きく成長し、

mTOR経路が亢進することも確認された。そし

て、変異した神経細胞にmTOR阻害剤を投与

すると、細胞は正常に近い大きさまで縮小した。

NIBRのLeon Murphyはこう語る。「mTOR経

路はがん領域ではよく知られていたが、神経科

学でも重要な標的になる。これらの神経疾患

に対してがん治療薬を応用することで、患者に

より多くの選択肢を提供できるかもしれない。」

Scene :

フリーラジカルを発生源で食い止める

フリーラジカルの生成を阻害フリーラジカルは、ほとんどすべての疾患

の発現と進行に関与すると考えられている。ス

トレスを受けた細胞からあふれ出すこれら化

学反応性の高い分子は一般的に酸素を含むこ

とから、フリーラジカルによる細胞の損傷作

用を防ぐ上ではビタミンCといった「抗酸化物

質」が役立つと長く期待されてきた。しかし、

臨床試験では、抗酸化物質にそのような作用

は基本的に発見されなかった。

ノバルティス研究財団ゲノミクス研究所

(Genomics Institute of the Novartis Research

Foundation:GNF、米カリフォルニア州サンディ

エゴ)とBuck Institute for Research on Aging

の研究者は、細胞のエネルギー代謝を変える

ことなく、ある種のフリーラジカルの生成を阻

害する化合物を特定した1。これらは、抗酸化

物質とは全く異なるアプローチの治療法となる

可能性を秘めている。

「これらは、アルツハイマー病などにおけ

る特定のシグナル伝達を鈍化させる、あるい

は妨害する研究で、メスのような役割を担え

る。また、医薬品となる可能性の高いより有

望な分子を設計する手助けにもなり得る」と、

Buck Instituteの Martin Brand氏は語る。

GNFのEd Ainscowは次のように説明する。

「フリーラジカルの分子分解を増加させる代わ

りに、その生成を減少させたい。ミトコンドリ

アは細胞のエネルギー源である一方、フリー

ラジカルを生成する。細胞がストレスを受ける

と、細胞にダメージを与えるほどにフリーラジ

カルの生成が増加する。」

ミトコンドリア内の複合体Ⅲと呼ばれる場所

がフリーラジカルの主な発生源と考えられ、通

常、細胞で酸素が欠乏した時に発生が顕著

になる。Brand氏らは、複合体Ⅲにおけるフ

リーラジカル生成を抑制し、かつエネルギー

生成を維持する化合物のアッセイ系を開発。

筋肉から単離されたミトコンドリアを用いて

635,000個もの低分子をスクリーニングした。

次に、特定された3つの化合物について、各

種ストレスに対する細胞保護作用を検証した。

フリーラジカルが関与する疾患に応用化合物が膵β細胞の保護に寄与するかどう

かを調べた。膵β細胞は酸素欠乏に弱く、そ

れが1型糖尿病患者への細胞移植を困難にし

ている。Ainscowは「移植した膵臓細胞の一

部に見られる萎縮や細胞死は、フリーラジカ

ルの過剰生成に起因する」と語る。抗生物質

でストレスを与えた動物の膵臓細胞において、

3つの化合物はフリーラジカルの生成を減少

させ、細胞を健康に保ったのである。フリー

ラジカルの生成増加は、神経変性疾患、慢

性炎症を伴う加齢関連疾患、黄斑変性など

異常な血管による疾患で数多く報告されてい

る。この結果は、この化合物が他の移植にも

応用ができる可能性を示唆している。

さらに、急速に成長する腫瘍細胞の中核

部は腫瘍の成長を遅らせる低酸素状態にある

が、フリーラジカルはそのような細胞への血液

供給を増加させ、酸素供給を促すシグナルを

出すことがある。「これを阻害すれば、固形が

んの成長を停止できる」とBrand氏は提唱する。

Image*: David Furness, Wellcome ImagesImage*: Jonathan Biag, Novartis

6 7

*ミトコンドリア(青色部分)におけるフリー

ラジカル生成を示す電子顕微鏡写真

「遺伝子変異に起因する脳における電気シ

グナルの嵐」「フリーラジカルを発生源で食

い止める」はNIBR の記事を翻訳、編集

したものです

https://www.nibr.com/

*研究者がFCD患者から特定したmTOR変異をラットの神経細胞に導入した結

果、患者から採取した脳組織でみられ

る現象と同様に神経細胞は肥大化した

1. Pelvig, D.P. et al., Neurobiol Aging. 2008; 29 (11): 1754-62.2. Kabat, J., Król P., Pol J Radiol. 2012; 77 (2): 35-43.3. Mirzaa, G.M. et al., JAMA Neurol. 2016 May 9. doi:

10.1001/jamaneurol. 2016. 0363.

4. Blümcke, I., Sarnat, H.B., Curr Opin Neurol. 2016 Jun; 29 (3): 0. doi: 10.1097/WCO. 0000000000000303.

5. Rivière, J.B. et al., Nat Genet. 2012; 44 (8): 934-40.1. Orr, A.L. et al., Nat Chem Biol. 2015; 11(11): 834-6.

Page 8: Novartis Innovation Vol.3

The Leading Edge :

ゲノム医療の現在・過去・未来ゲノム編集技術で病と闘うSpecial Interview

ゲノム編集技術の治療応用の動向~効率・安全性の正確な評価を~三谷 幸之介 氏(埼玉医科大学ゲノム医学研究センター 遺伝子治療部門 部門長 教授)

遺伝子変異に起因する脳における電気シグナルの嵐Scene:

フリーラジカルを発生源で食い止めるNovartis Today:

フリードリッヒ・ミーシャーバイオメディカル研究所

発行:ノバルティス ファーマ株式会社 広報統括部

〒105-6333 東京都港区虎ノ門1丁目23番1号 虎ノ門ヒルズ森タワー

Tel.03-6899-8000(代表) http://www.novartis.co.jp/

Novartis

Innovation ノバルティス イノベーション 第3号

Vol. 3 July 2016

Novartis Today :

フリードリッヒ ・ミーシャーバイオメディカル研究所

生物医学の研究を焦点にスイス・バーゼルにあるフリードリッヒ・

ミーシャーバイオメディカル研究所(Friedrich

Miescher Institute for Biomedical Research:

FMI)は1970年、ともにノバルティスの前身

であるCiba社とJ.R. Geigy社によって設立さ

れました。設立以来、疾患の分子的・細胞

学的基盤の解明で大きな成果を挙げ、基礎

的な生物医学研究を担う中核機関として国際

的に認知されています。現在は神経生物学、

定量生物学、幹細胞発生と細胞分化に関す

るエピジェネティクス﹡1に焦点を当てた研究を

行っています。

研究所の名称は、核酸の精製に初めて

成功したバーゼル生まれの科学者Friedrich

Miescher(1844〜1895)に由来します。

FMIはバーゼル大学の提携研究機関で

あり、ノバルティスバイオメディカル研究所

(NIBR)とも提携しています。

学術的研究と生物医学的応用の架け橋FMIは学術的研究と生物医学的応用のイン

ターフェースとしての役割を果たしています。研

究成果を発表することにより、科学界でのヒト

疾患に対する共通の理解を広めることに貢献し

ています。FMIの科学者たちは、ノバルティス

と協働し、診断や医薬の開発に努めています。

FMIは研究を行いながら、研究に必要な

新たな技術的プラットフォームを確立していま

す。例えばモデル生物を用いた遺伝学的アプ

ローチ、詳細なプロテオミクス﹡2やゲノミクス

による分析のほか、顕微鏡法や構造決定法

など最新の技術を活用しています。分子過程

を詳細に理解することにより、がんと闘う新た

な方法や、変性疾患からの回復、あるいは生

理的機能不全を伴う疾患を抑制する新たな方

法を生み出せると期待しています。

FMIのディレクター、Susan Gasserは「生

物医学研究の目的は、生細胞内で作用してい

る分子機構を明らかにし、新たな治療法を効

率的に開発することです。こうした研究が私た

ち一人ひとりの生活の質に大きな影響をもたら

すことは、これまで以上に明白です」と説明し

ます。

FMIは、独自のアイデアと革新的な技術で

絶えず知見の限界を推し広げていくことを奨励

しています。ディスカッションを重視するオープ

ンな研究環境で、学際的協力や分野を横断し

た情報交換が日常的に行われています。FMI

が生物医学研究において先導的な役割を担っ

ているのは、このような伝統があるがゆえです。

若い科学者の育成にも重点FMIの設立趣意書には、研究所の目的と

して「生物医学の基礎研究を追究し、促進す

ること」「世界中の若い科学者たちに科学研究

に携わるチャンスを提供すること」をうたってい

ます。現在FMIには、30カ国から100人にも

及ぶ博士号や科学修士の取得を目指す若者

が集っています。彼らは地元の大学に所属し

ながらFMIの国際博士号プログラムに参加し、

FMIグループのリーダーのもとで学位論文の

ための研究を行っています。さらに、世界各

国の博士研究員約90人が学位取得後の研究

をFMIで行っています。彼らは最新の分子的・

遺伝学的アプローチに触れるだけでなく、そ

の生物医学的応用を試みることを常に求めら

れています。

研究プログラムの質の高さ、最先端のプラッ

トフォームの確立、さらにオープンで平等な研

究環境の提供により、FMIは若い科学者の育

成の場として国際的に高く評価されています。上図:ヒーラ細 胞の 染 色体DNAを

CRISPRが切断するイメージ図

提供: HeLa cells by William J. Moore, University of Dundee/Wellcome Images. Modified by PJ Kaszas.

NPE00003JG0001 2016.07作成

8

﹡1 エピジェネティクス

DNAの塩基配列を変えることなく、

遺伝子の働きを変化させるメカニズ

ムとその学問分野

﹡2 プロテオミクス

生体内の細胞や組織における、タン

パク質の構造・機能を総合的に研究

する学問分野

本記事はNIBRおよびFMIの記事を翻

訳、編集したものです

https://www.nibr.com/http://www.fmi.ch/

フリードリッヒ・ミーシャーバイオメディカル研究所 ディレクター Susan Gasser